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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-04-28T23:58:10Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
オートバイの種類
2018-09-01T22:55:17Z
<p>117.18.216.16: /* その他 */</p>
<hr />
<div>{{Pathnav|自動車|オートバイ|frame=1}}<br />
<br />
[[ファイル:MOGO Hamburg 15.JPG|300px|サムネイル|右|様々な種類のオートバイが一堂に会してのパレード。]]<br />
'''オートバイの種類'''(オートバイのしゅるい)では[[原動機]]を搭載した[[二輪車]](日本語では三輪、時に四輪や一輪のものを含む)である[[オートバイ]]の形状や用途による分類を解説する。<br />
<br />
== 分類 ==<br />
オートバイは用途、設計、特徴などのさまざまな要素によって分類され、その種類は数多い。分類方法には法規に基づく排気量や変速型式を規準にする分類や、用途、構造、特性など、利用者の価値観に基づく分類などが挙げられ、それらを組み合わせた説明がなされている場合が多い。<br />
<br />
たとえば、1980年代に出版された百科事典では、大別すれば、<br />
# [[スポーツ]]性を重視し、身体を使いつつ、走行すること自体を楽しむタイプ<ref name="hp-303">[[#大百科|世界大百科事典 第4巻]]、P. 303 オートバイ</ref><ref group="注釈">[[スポーツ]]は[[競走|レース]]とは別の言葉で、同義ではない。</ref><br />
# 通勤、通学などの移動手段として利用される比較的小型のタイプ<ref name="hp-303" /><br />
になるとされ、1 のスポーツ性を重視したものをさらに細分化すると、<br />
# 舗装道路を快適に走るための'''オンロード'''モデル<br />
# 路面状況を選ばず走るための'''オフロード'''モデル<br />
に大別できるとされている<ref name="hp-303" />。さらにスポーツ性を重視したモデルの中でも、オンロード、オフロードともに一般公道での走行ができない、[[オートバイ競技]]専用の車両なども存在する。<br />
<br />
こうした規準を踏まえたうえで、一般に流通しているオートバイを扱うカタログ雑誌ではネイキッド、スーパースポーツ、ツアラー、メガスポーツ、クルーザー、デュアルパーパス、スクーター、レーサー、ビジネスバイク、などといった分類のもとにオートバイの車種の解説が行われている<ref name="aokitakao">青木タカオ『図解入門よくわかる最新バイクの基本と仕組み』秀和システム、2010年</ref>。<br />
<br />
排気量の大きさで区別して、排気量の大きなものを「大型バイク」、排気量の小さなものを「ミニバイク」と分類することもある。例えば駐輪場の管理者などが用いており、何cc以上を大型と見なすか、その線引きについては、さまざまな方法がある。駐輪場などでは実際上は125cc以上で線を引いている例は多いが、文言上は50cc以上としている例もある<ref>{{PDFlink|[http://sunlight-k.sakura.ne.jp/01-04-kiyakusyu/Kiyaku_Main/02_03OogataBaiku_MiniBaiku_ChuushaKisoku.pdf]}}</ref>。自動車免許での運転が可能な原動機付自転車など、排気量の小さなものを「ミニバイク」と呼ぶことがある。<br />
<br />
その車両を使用したレースなどが存在し、[[レギュレーション]]から一定の仕様が求められる場合などにおいては厳格な仕様、分類などが当てはめられる場合もあるが、こうした分類はメーカーによる販売戦略を受け、使い勝手の広さをアピールする意図で他の分類を意味する単語が与えられたり、[[オートバイ雑誌]]やユーザーなどによって異なる分類がなされ、さらなる細分化がなされることがある。したがって、以下に列記する分類名は必ずしも普遍的なものではない。<br />
<br />
== オンロードモデル ==<br />
[[ファイル:Red BMW on the dragon's tail at Deals Gap, NC.jpg|250px|サムネイル|右|オンロード車でワインディングロードを駆けるのもオートバイの楽しみ方のひとつである。]]<br />
[[ファイル:Supersport TT race1 IMG 0639.JPG|250px|サムネイル|右|オンロードモデルを用いて[[サーキット]]でレースを行う、という楽しみ方もある。]]<br />
オートバイメーカーの総合[[カタログ]]などにも用いられる大分類で、'''ロードスポーツ'''、'''ロードバイク'''とも呼ばれる。舗装路を快適に走行できるように工夫されたタイプのオートバイを総称してこのように分類され、道路舗装の進んだ日本などの国では最も車種構成の幅広い分類である。<br />
<br />
; ネイキッド<br />
: 日本以外では'''スタンダード'''({{lang-en-short|standard}})や'''ロードスター'''({{lang-en-short|roadstar}})と呼ばれる、最も基本的な車体構成を持つ車種である。日本では1970年代に[[カウル]]を装備した車種が流行したのち、カウルの無い車種を区別して「ネイキッド」と呼ぶことが一般化した。それ以前は戦中戦後に日本で多く見られた[[アメリカン]]とは対照的に、ヨーロッパで広まっていたスタイルの車種として「ヨーロピアン」と呼ばれていた。<br />
: {{main|ネイキッド (オートバイ)}}<br />
; ストリートファイター<br />
: カウルを装備していないオートバイの分類で、ネイキッドを細分化した1ジャンルとして扱われる場合もある。乗車姿勢やエンジンの特性は乗りやすさよりも走行性能を重視している<ref>{{Citation |title=Hogs on 66: Best Feed and Hangouts for Road Trips on Route 66 |first1=Michael |last1=Wallis |first2= Marian |last2=Clark |publisher =Council Oak Books |year=2004 |isbn= 9781571781406 |url=http://books.google.com/?id=4b_qJyw-ZX8C |quote='''Streetfighter --''' Also known as a 'hooligan' cycle, this is a sports-bike stripped of all superfluous bodywork. }}</ref><ref>{{Citation |title=Choppers |first1=Matt |last1=Doeden |first2=Joe |last2=Leonard |publisher=Lerner Publications |year=2007 |isbn= 9780822572886 |url=http://books.google.com/?id=7wDcbl-UsmYC&pg=PA46|quote='''streetfighter:''' a type of [[superbike]] customized for maximum speed and performance.}}</ref>。<br />
: {{see also|ネイキッド (オートバイ)#ストリートファイター}}<br />
; スーパースポーツ<br />
: サーキットなどでのスポーツ性の高い走行に比重をおいた車種である。乗車姿勢は前傾が強くスポーツ性が高いが、クッションが硬いシートなどにより、長距離走行では疲れやすい。日本ではかつて'''レーサーレプリカ'''と呼ばれた。<br />
: {{main|スーパースポーツ}}<br />
;メガスポーツ<br />
: 外観はスーパースポーツに近いが、大排気量のエンジンと比較的大柄な車体を持ったものをこのように呼ぶ場合がある。<br />
: {{see also|スーパースポーツ#メガスポーツ}}<br />
; ツアラー<br />
: 長距離の[[ツーリング (オートバイ)|ツーリング]]を快適に行うことを目的とした設計がなされた車種をこのように分類する。総じて、乗員に当たる走行風を軽減するための大きめのカウルや、長距離でも疲れにくい乗車姿勢の車体構成を持ち、直進安定性の高い車体特性などを備えている。高出力エンジンを搭載したハイスピードツアラーや、旋回性能などを高めたスポーツツアラーなどのように細分化される場合もある。<br />
: {{main|ツアラー (オートバイ)}}<br />
; アメリカン<br />
: 北米大陸の郊外に多く見られる直線道路を長く移動する利用環境のなかで、[[アメリカ合衆国]]を中心に発達したタイプを日本ではこのように呼び、オートバイメーカーの分類にも用いられる。英語圏では'''クルーザー'''({{lang-en-short|cruiser}})と呼ばれる。[[ドラッグレース]]をイメージさせるものはドラッグとも呼ばれる。<br />
: {{Main|クルーザー (オートバイ)}}<br />
; ストリートバイク<br />
: 取り回しが楽で、市街地走行に十分なエンジン性能をもつ車種をストリートバイクと呼ぶ場合がある。空冷単気筒エンジンや[[フレーム (オートバイ)#クレードルフレーム|シングルクレードルフレーム]]といったシンプルな車体構成により改造の自由度が高く、[[スカチューン]]や[[シャコタン|ローダウン]]といったカスタムのベースとされる。<br />
; オールドルック <br />
: スポークホイールや空冷エンジンなど、[[旧車]]が持つ外観的特徴を持つものをこのように分類する。本当の旧車は設計や製造そのものが古いのに対し、オールドルックは昔の(オールド)オートバイを模した外観(ルック)の意匠を持つだけで、部品は新しい設計のものが搭載されている。<br />
; スクランブラー<br />
: [[スクランブルレース]]で用いられたオンロードバイクの車体にオフロードタイヤを履かせたオフロードバイクの原型となったタイプ。<br />
; ビッグスクーター<br />
: 排気量の大きなスクーターをビッグスクーターと呼び分ける場合がある。<br />
: {{see also|スクーター#ビッグスクーター}}<br />
<br />
<gallery caption="オンロードモデルの画像"><br />
ファイル:HONDA CB1300 RB.JPG|ネイキッドタイプ<br />
ファイル:Paris - Salon de la moto 2011 - Ducati - Streetfighter 848 - 001.jpg|ストリートファイタータイプ<br />
ファイル:Honda CBR1000RR Fireblade.jpg|スーパースポーツタイプ<br />
ファイル:Yamaha TZR250 2MA.jpg|レーサーレプリカタイプ<br />
ファイル:Paris_-_Salon_de_la_moto_2011_-_Suzuki_-_Hayabusa_-_001.jpg|メガスポーツタイプ<br />
ファイル:FJR1300 blue left.jpg|ツアラータイプ<br />
ファイル:Honda Goldwing - Flickr - mick - Lumix.jpg|クルーザータイプ<br />
ファイル:Harley-Davidson.jpg|アメリカンタイプ<br />
ファイル:Yamaha_TW_mod_01.jpg|ストリートタイプ<br />
ファイル:Kawasaki W650 1999 2000.jpg|オールドルックタイプ<br />
ファイル:Moto Guzzi Caferacer.JPG|カフェレーサータイプ<br />
ファイル:Ducati 250 Scrambler 1973.jpg|スクランブラータイプ<br />
ファイル:Yamaha TMAX 2007TMS.jpg|ビッグスクータータイプ<br />
</gallery><br />
<br />
== オフロードモデル ==<br />
{{Otheruses|モーターバイク|自転車のオフロードバイク|マウンテンバイク|オールテレインバイク|シクロクロスバイク}}<br />
[[ファイル:XT660ZTenere.JPG|250px|サムネイル|右|オートバイでは、舗装路を離れて大自然の中へと乗り出してゆく、という楽しみ方もある。オフロード車の特徴は未舗装路も走ることができることであり、一般にストロークの長いサスペンションなどを備え、オンロード車では走行不可能なこうした道でも走ることができる。]]<br />
[[ファイル:DualSportBMW1200GS SuzukiDRZ400.jpg|250px|サムネイル|右|デュアルパーパスは未舗装路・舗装路のどちらも快適に走行でき、写真のような未舗装路のロング・ツーリングにも向いている。デュアルパーパス車やアドベンチャー車で大陸横断や複数の大陸走破を行う人もいる。]]<br />
舗装道路以外でも走ることを前提に設計されたものを「[[オフロード]]タイプ」や「オフロード車」などと呼ぶ。中排気量のものを「ミドルオフロード」または「ミドルオフ」、大排気量のものを「ビッグオフロード」または「ビッグオフ」とも呼ぶ。総じて大径のスポークホイールや長いストロークを持つ[[サスペンション]]、軽量で細身の車体を持っているのが特徴である。軽量化のためにバッテリーやセルモーターを廃したものもある。かつては「スクランブラー」と呼ばれていた<ref>{{cite web|url=http://www.streetride.jp/essay/essay06/es06-09/|title=バイクのカテゴリー ストリートエッセイ 【STREET-RIDE】ストリートバイク ウェブマガジン|pubrisher=株式会社バイクブロス|accessdate=2015-10-22}}</ref>。<br />
; デュアルパーパス<br />
: オフロードタイプのうち、公道を走れるように法定保安部品類<ref group="注釈">[[ヘッドライト]]、[[ブレーキランプ]]、[[ウィンカー]] など。</ref>を備えたものをメーカーの大分類ではこのように呼ぶ。メーカーによってはトレイルと呼ぶ場合もある。<br />
: {{main|デュアルパーパス}}<br />
; アドベンチャー<br />
: デュアルパーパスのなかでも大排気量のエンジンとハーフカウルを搭載したものを、近年ではアドベンチャーと呼ぶ例が多い。アルプスローダー([[和製英語]])やマルチパーパスと呼ばれる場合もある。[[アフリカ]]や[[オーストラリア]]に見られる広大で平坦な砂漠地帯での[[ラリーレイド]]競技([[ダカール・ラリー]]など)で従来から使用されている車両のイメージを踏襲しながら、一般ユーザー向けに舗装路や市街地でも快適で使いやすい設計とした製品が多い。<br />
; スーパーモタード<br />
: スーパーモタードという競技に用いられる車両である。<br />
: {{main|スーパーモタード}}<br />
; フラットトラッカー、ダートトラッカー<br />
: アメリカで発祥した[[ダートトラックレース]]に特化したオートバイを指す。単気筒のエンジンを搭載したスリムで低めの車体で、サスペンションストロークは少なく、ダウンフェンダーで後部に大きなゼッケンプレートを持つ外観が特徴である。こうした外観的特徴を持ちながら保安部品を備えた車種も国産メーカーから市販されていたことがある。<br />
; モトクロッサー、モトクロスバイク<br />
: [[モトクロス]]と呼ばれる、林間や岩場などに設けられた[[コース]]での[[競技]]に特化したもので、公道走行に必要な保安部品を持たないものがほとんどである。<br />
: {{main|モトクロッサー}}<br />
; エンデューロレーサー、エンデュランサー、エンデューロマシン、エンデューロバイク<br />
: オフロードの耐久レースに特化したオートバイを指す。モトクロスバイクに近いが、長時間の走行でも疲れにくい特性を持っている。公道走行できるようになっているものが多く、前述のデュアルパーパスと重なる特徴が多い。<br />
: {{main|エンデューロ}}<br />
; トライアルバイク、トライアラー<br />
: 岩場や沢、[[崖]]、あるいは人工の障害物などを走破する技術を競う[[競技]](トライアル競技)に特化したオートバイを指す。保安基準を備えて公道走行できる車種も市販されている。<br />
: {{main|トライアル (オートバイ)}}<br />
; ファームバイク、アグリカルチャー<br />
: 一般的な特徴として、左右両側に備えられた[[スタンド (オートバイ)#サイドスタンド|サイドスタンド]]、大型のリアキャリアとハンドルポスト上のフロントキャリア、大型の泥除け(マッドガード)などを有し、人が歩く程度の速度で移動可能な低い[[ギア比]]のトランスミッションや[[副変速機]]が備えられる。チェーンドライブの場合には[[牧草]]などの巻き込み防止のためにフルカバータイプのチェーンカバーが装備される場合がある。クラッチレバーやブレーキレバーを引いた状態で固定しておけるロック機構が装着されるなど、一般的なデュアルパーパスとは大きく異なる外観や機能性が持たせられている。かつては機構の一部を省略しながらもこうした外観的特徴を強く残した車種が国産メーカーから市販されていたことがある。<br />
<gallery caption="オフロードモデルの画像"><br />
ファイル:DualSportDR650 DR350.jpg|デュアルパーパスタイプ<br />
ファイル:Yamaha_XT_1200_Z_Super_Ténéré.jpg|デュアルパーパスタイプ<br />
ファイル:Transalp XL400V.jpg|アドベンチャータイプ<br />
ファイル:FTR223.jpg|ダートトラッカータイプ<br />
ファイル:YAMAHA WR250X.jpg|スーパーモタードタイプ<br />
ファイル:Boxes KTM.JPG|モトクロッサータイプ<br />
ファイル:KTM 660 Rallye Dakar 2005.jpg|エンデューロレーサータイプ<br />
ファイル:Hornberg.jpg|トライアルタイプ<br />
ファイル:Suzuki DR200.JPG|アグリカルチャータイプ<br />
</gallery><br />
<br />
== タウンユースモデル ==<br />
[[ファイル:Honda Super Cub with Okamoti.jpg|250px|サムネイル|右|[[出前機]]を搭載した[[出前]]仕様のカブ。]]<br />
[[ファイル:Motorcycles of Ho Chi Minh City super cub PB277788.jpg|250px|サムネイル|右|[[ベトナム]]の[[ホーチミン市]]など、東南アジアでは日本とは比較にならない重積載で運用される事もしばしばである。]]<br />
[[通勤]]、[[通学]]、あるいは事業活動にオートバイが利用される場合は多く、こうした用途に向けて設計された車種をタウンユースモデルと呼ぶ場合もある。ファミリーバイクと呼ばれることもあり、メーカーによる製品の分類名とする場合や、[[保険会社]]が提供する特約の対象として、用途が限定された車両の区分として用いられている場合などがある。<ref group="注釈">ファミリーバイク特約と称して125cc以下のオートバイに限定した保障内容を設けるなど。</ref>また、[[報道]]や行政では、小型のオートバイを総称してミニバイクと呼ぶこともある。<br />
<br />
片手がふさがった状態であってもシフトチェンジができるように遠心式自動クラッチを採用してクラッチレバーを割愛するなど、運用を補助する簡便な操作形態に設計されている場合がある。出力よりも経済性、利便性が優先され、積載量、耐久性、燃費や車両価格などに秀でた設計とされる傾向にある。<br />
<br />
; スクーター<br />
: ほとんどの車両がオートマチックトランスミッションを用いた簡単な操作で運転できる。フットボードの下をフレームが通る車体構成から車両を跨いで乗車する必要がない。<br />
: {{main|スクーター}}<br />
; ビジネスバイク<br />
: [[郵便]]や[[新聞]]などの[[配達]]業務、[[ラーメン屋]]や[[蕎麦屋]]などに代表される[[外食]]業界の[[出前]]業務、[[銀行]]や[[証券会社]]の顧客訪問などに利用されることを主眼に設計された車種をこのように分類する。多くは原付もしくは小型自動二輪車で、高い耐久性と低燃費が特徴である。一般に、多くの荷物を積めるように後ろの荷台が大きく頑丈で、また大きな前カゴをつけられるように設計されている。[[サスペンション]]は重積載に耐えるように固めのバネが組まれ、後ろの荷台に大きく背の高い貨物<ref group="注釈">施錠可能な金属製ケースや、[[岡持ち]]を積載する[[出前機]]など。</ref>を積んだ際にも乗降が楽なように、[[フレーム_(オートバイ)|アンダーボーンフレーム]]を有する。雨天時でも足もとが前輪の[[泥|泥はね]]で汚れないように両足を覆うレッグシールドを備える場合も多い<ref group="注釈">日本以外ではこうしたビジネスバイクを総括して[[アンダーボーン]]([[:en:Underbone]])と呼ばれている。</ref>。<br />
: {{main|w:Underbone}}<br />
; 宅配バイク<br />
: ビジネスバイクのなかでも[[ピザ]]やビールケースなどの運搬に最適化されたものが広く普及してこのように呼ばれるようになった。屋根付きの三輪スクーターが元来の形態で現行の市販車では[[ホンダ・ジャイロキャノピー]]が代表格となっている。1985年2月15日より道路交通法上はミニカーの扱いで<ref name="ishikawa">{{PDFlink|[http://honbu.police.pref.ishikawa.lg.jp/keimu_bu/kousou/jouhoukokai/kouki/kouki19901226-1.pdf 交企発第434号交指発第590号]}} 石川県警察 平成2年12月26日</ref>、ヘルメット着用と法定速度30km/hが適用されないことから、[[1985年]]に日本初の宅配ピザである[[ドミノ・ピザ]]が創業する際に、ヒガ・インダストリーズがオリジナルで設計したのが始まりであった。1980年代後半から登録台数の増加に伴って事故も激増したことを受け、運行上の特性が二輪車に類似しているなどの理由から、1991年1月1日から道路交通法上の扱いが原動機付自転車に変更された<ref name="ishikawa" />。後部には宅配商品を乗せるトランクが付いている。現在では屋根付き三輪スクーターに限らず、似たような形態のものを呼ぶ場合も多い。<br />
: {{main|ミニカー (車両)}}<br />
; モペッド<br />
: 自転車のように足でこぐこともエンジンの動力で走ることもできる二輪車を指す。日本では訛ってモペットとも呼ばれる。原動機を指すモーター (motor) とペダル (pedal) の[[かばん語]]でモペッド (moped) と呼ばれるようになった。無免許で運転可能なフランスやイタリアの製品が多いが、現在の日本ではエンジンの動作状態にかかわらず原動機付自転車の扱いとなるため普及していない。<br />
: {{main|モペッド}}<br />
<gallery caption="タウンユースモデルの画像"><br />
ファイル:Honda Dio.jpg|50ccのスクーター<br />
ファイル:Suzuki Address V125S 3.JPG|125ccのスクーター。簡単操作でありながら、50ccよりも大きなパワーが期待でき、しかも法的にも60km/hまで(未満)の走行が認められている。[[スズキ・アドレス]]V125S <br />
ファイル:Benly110.jpg|スクーターの簡単操作のまま積載量を増強したタイプ<br />
ファイル:Honda Jazz.jpg|丸みをおびたデザインや暖色系のカラーリングなどで女性を意識したモデルも多い。<br />
ファイル:Supercub50fi.jpg|ビジネスバイクの代名詞となっている[[ホンダ・カブ|ホンダ・スーパーカブ]]。<br />
ファイル:Postal Supercub MD.jpg|[[郵便配達]]用のカブ。<br />
ファイル:CT-110.jpg|路面状態の悪い地域での運用を見据えた車種も存在する。<br />
ファイル:Yamaha-YB50cdi.JPG|「跨る」着座スタイルのビジネスバイク、[[ヤマハ・YB|ヤマハ・YB50]]。<br />
ファイル:Cd250u.jpg|[[ホンダ・CD250U]]。ほぼオンロード車に近い形態であるが、大型キャリアなどの存在によりビジネスバイクに分類される。<br />
ファイル:Gyro-X.jpg|[[中食]]のデリバリーにも多用される[[ホンダ・ジャイロ]]<br />
ファイル:Choinori.jpg|特にサイズの小さいタイプ([[スズキ・チョイノリ]])。<br />
ファイル:Woman on Velosolex.jpg|モペッド<br />
</gallery><br />
<br />
== 特殊車両 ==<br />
; 警察用車両<br />
: 世界各国の[[警察]]がオートバイを警察車両として運用している。日本の警察では1914年に宮田製作所によって製作された車両の一部が導入されたのを最初として、1936年以降[[白バイ]]に代表される運用がなされている。<br />
<br />
<gallery><br />
ファイル:Washington DC Police Motorcycle 01.jpg|アメリカ合衆国の警察車両<br />
ファイル:Polizia.municipale.motorcycle.arp.jpg|イタリアの警察車両<br />
ファイル:Austrian police motorcyclist.JPG|オーストラリアの警察車両<br />
ファイル:BMW R1200RT - Northern Constabulary.jpg|スコットランドの警察車両<br />
ファイル:Japanese HONDA VFR800P police motorcycle.jpg|日本の警察車両<br />
ファイル:Supercub90.jpg|交番などにある警察車両<br />
</gallery><br />
<br />
; 消防用車両<br />
: 日本の消防庁は'''消防バイク'''としてオートバイを活用している。消防バイクはオフロード車などを用いて[[ポンプ車]]が入れない狭隘地などへ入り初期消火を担当している。<br />
; 救急用車両<br />
: '''[[救急バイク]]'''は4輪車に比べて小型で機動性が高い特性を利用し、[[渋滞]]の先にある事故現場へいち早く駆けつけて救命率を高めるために用いられている。日本でもわずかずつだが導入される動きがある。<br />
<br />
<gallery><br />
ファイル:MOB-100 Corpo de Bombeiros SP.jpg|ブラジルの救急バイク。2008年には数百台が追加的に寄贈、導入された。<br />
ファイル:Paramedic Suzuki V-Strom 650 in Serbia.jpg|セルビアの救急バイク<br />
ファイル:Yamaha SEROW 250, Tokyo FD..jpg|東京消防庁の消防活動二輪部隊の[[ヤマハ・セロー|セロー250]]。高圧[[放水銃]]を装備している。<br />
ファイル:Ichikawa-akabai.jpg|市川市消防局の赤バイ。<br />
ファイル:Fire-engine-bike.jpg|横浜市消防局の消防機動二輪隊、[[出初式]]でのデモンストレーション。<br />
</gallery><br />
<br />
; 軍用車両<br />
: [[第一次世界大戦]]以降、各国の[[軍隊]]はそれまでの[[馬]]に代わり、オートバイを用いて[[騎兵]]の[[機械化]]を図っていった。始めは戦場での悪路走行や劣悪な整備事情を考慮して、[[サイドバルブ]]やリジッドフレームなどの頑丈で信頼性の高い設計を用いた、[[ハーレーダビッドソン]]や[[:en:BMW R75]]等の大排気量のオートバイが[[サイドカー]]などの形態で用いられることが多く、[[大日本帝國陸軍]]もハーレーのサイドバルブモデルを[[ライセンス生産]]した[[九七式側車付自動二輪車]]等を採用していた。<br />
: [[第二次世界大戦]]で[[航空機]]が発展してくると、[[空挺部隊]]などの新たな兵科が台頭する。この戦争でも前述の大型オートバイが引き続き使用され続けた一方、[[空挺兵]]の空挺降下後の移動手段の一つとして、[[輸送機]]内での携帯にも適した超小型スクーターが各国で研究開発され、幾つかは実戦配備された。<br />
: [[戦後]]は復興に伴う道路事情の改善などにより、前述の旧式設計の大型オートバイは次第に淘汰されていき、[[憲兵]]の日常のパトロールに敵した高速走行重視のオンロード車、荒れ地でのより高速な機動性の確保を重視したオフロード車など、各国の軍事事情に合わせて様々な車種が選定され、採用されている。変わった例ではアメリカ軍が自軍の採用車種の使用燃料を[[JP-8]]に統一する目的で開発した[[ディーゼルオートバイ]]([[:en:Diesel motorcycle]])である、'''Hayes Diversified Technologies(HDT) M1030M1'''が存在する。<br />
: [[陸上自衛隊]]の情報小隊などではオフロード車を偵察、連絡用に使用している。災害時には、崩落地帯やがれきの山を突破して連絡したり救助活動を行うことができる。<br />
<gallery><br />
ファイル:Harley Davidson 1940 WLA 1.jpg|[[第二次世界大戦]]で[[アメリカ軍]]に用いられた[[:en:Harley-Davidson WLA|ハーレーダビッドソン・WLA]]<br />
ファイル:BMW R75 Sahara.JPG|[[ドイツ第三帝国]]軍で用いられたBMW R75とサイドカー<br />
ファイル:M72 Molotow 1948.JPG|[[ソビエト連邦]][[赤軍]]で採用され、現在でも使用され続けている[[IMZ・ウラル|IMZ-M72]]。[[鹵獲]]したBMW R71を元にフルコピー製造された。<br />
ファイル:Welbike.jpg|空挺部隊向けスクーターの最初期事例、1942年[[イギリス軍]]の[[エクセルシオール (オートバイ・コヴェントリー)|エクセルシオール]]・[[:en:Welbike]]<br />
ファイル:G-683 Cushman 53, W-699783.JPG|1944年にアメリカ軍が空挺部隊向けに製造した[[:en:Cushman_53|クッシュマン・53]]<br />
ファイル:1944 paracadutisti motorcycle.JPG|1944年にイタリア軍が空挺部隊向けに開発した'''[[:it:Volugrafo Aermoto 125|Volugrafo Aermoto]]'''<br />
ファイル:Vespa img 2351.jpg|1950年代に[[フランス軍]]空挺部隊が[[M20 75mm無反動砲]]を空挺運用する目的で製造した[[:en:Vespa 150 TAP|Vespa 150 TAP "バズーカ・ベスパ"]]<br />
ファイル:Australian_Perentie_Land_Rover_and_MP_motorcycles.jpg|[[オーストラリア軍]]の憲兵がパトロールに使用する白バイに類似したオンロード車<br />
ファイル:JGSDF XLR250R (HONDA) 3.jpg|陸上自衛隊の[[偵察用オートバイ]]、[[ホンダ・XR|ホンダ・XLR250R]]。<br />
ファイル:JGSDF reconnaissance bicycle (Kawasaki KLX250) 20120429-02.JPG|偵察用オートバイの現行車種、[[カワサキ・KLX|カワサキ・KLX250]]<br />
ファイル:M1030m1.jpg|[[カワサキ・KLR650]]をベースに[[ディーゼルエンジン]]を搭載した、'''HDT M1030M1'''<br />
</gallery><br />
<br />
== 競技用 ==<br />
オンロードレースやオフロードレースに関わらず、競技用の車両として一般向けに市販される完成車で、コンペティションとも呼ばれる。保安部品を備えず、登録書類は発行されないのが一般的である。レギュレーションに基づいて製造販売される物もある([[ホモロゲーション]])。輸入車両については、[[通関]]証明書類を提示し保安部品を備えれば正規に車両登録することが可能で、公道走行も行える場合がある。このことから、日本でも販売している競技用車両を海外から[[輸入]](いわゆる[[逆輸入]])して公道走行仕様にする業者もある。<br />
<br />
[[ポケットバイク]]と呼ばれる、1970年代に日本で誕生したミニチュアサイズのオートバイや、[[ホンダ・QR50]]や[[ヤマハ・PW50]]のように子供用として設計されたモデルもある<ref>{{cite web|url=http://www.yamaha-motor.co.jp/mc/competition/pw/spec.html|publisher=ヤマハ発動機株式会社|accessdate=2014-03-31|quote=PW50は体重が25kg以下の方の使用を想定して開発しています。|title=仕様:PW50 - バイク スクーター | ヤマハ発動機株式会社}}</ref>。<br />
<br />
== その他 ==<br />
*[[トライク]]<br />
: 3輪のオートバイをこのように呼ぶ場合がある。日本ではトライクは三輪自動車であるので通常は普通自動車に分類されるが、後述の特定二輪車に該当する場合は、普通自動車ではなく自動二輪車として扱われる。<br />
*[[特定二輪車]]<br />
: 日本の法律におけるトライクの種類。3輪のオートバイ([[原動機付自転車]]を除く)であって、[[内閣総理大臣]]が定める条件を満たす車両について法律の適用においては、自動二輪車として扱われる。[[ヤマハ・トリシティ]](2014年発売)などがある。<br />
*[[サイドカー]]<br />
: バイク(オートバイ、自転車)本体に平行して、一輪の車台を取り付けたもの。側車とも呼ばれる。競技用のものは一体型。<br />
*[[全地形対応車]]<br />
: 道路以外の地形も走ることを想定して設計された3輪または4輪の乗り物で、オートバイと同様の乗車装置や構造を持つ。ATVと略称されたり、日本ではバギー、海外では3輪のものはトライク、4輪のものはクアッドとも呼ばれる。<br />
*[[スノーモービル]]<br />
: 雪上を走らせる乗り物で、オートバイと同様の乗車装置や構造を持つ。<br />
*[[スノーバイク]]<br />
: スノーモービルと同様に雪上を走らせる乗り物で、オフロードバイクの車体を用い、タイヤの代わりにそりと無限軌道を装着したもの。<br />
*[[電動自転車]]、電気自転車<br />
: [[電動機]]を[[動力]]として走行可能な[[自転車]](のようなもの)。 [[ペダル]]を漕ぐことが不可欠な[[電動アシスト自転車]]とは区別される。出力の大きなもの(もしくはオートバイに見えるもの)は 電動バイク。 定格出力で原付登録または軽二輪登録が必要となるため、原付免許もしくは二輪免許が必要である。<br />
* [[電動バイク]]<br />
: 電動機を[[動力]]として設計されたもの。電動自転車と明確な区別は無い。2輪のものから上記のものまで様々ある。主にスクーターが多いが、スポーツタイプ、ビジネスタイプ、折り畳み式もある。大半がATであるが、[[ビクトリー・エンパルス]]のようなMTも一部存在する。ガソリンのオートバイから吸排気部分を取り出し{{仮リンク|コンバートEV|en|Electric vehicle conversion}}に改造したり、自転車を改造し、電動機を装着して原付、軽二輪登録をしているものもあるため、原付免許または二輪免許が必要である。<br />
*{{仮リンク|モノホイール|en|Monowheel}}、一輪バイク<br />
:一輪の大きなホイールの中に運転者が乗り込むタイプの[[一輪車]]で、多くは原動機付(「 漫画「[[W3]]」「[[GANTZ]]」、アニメ映画 「[[スチームボーイ]]」に登場)でオートバイの一種と考えられる。19世紀から作られ、現在は主に娯楽用。日本では公道走行禁止。速度記録は98km/h。<br />
:また、電動一輪車([[自立安定一輪車]]参照)も広義では電動自転車。<br />
<br />
<gallery><br />
ファイル:Honda Z50M.jpg|ホンダ・モンキー<br />
ファイル:Motoco 02.jpg|ホンダ・モトコンポ<br />
ファイル:Trike.7arp.jpg|トライク<br />
File:ヤマハ -TRICITY 発表会 (14569130633).jpg|特定二輪車<br />
ファイル:Himeji-Oshiro-Matsuri 2010 153.JPG|トライク、さらにサイドカー付き<br />
ファイル:NSUmaxBeiwagen.jpg|サイドカー<br />
ファイル:Quad Bikes - Flickr - mick - Lumix.jpg|全地形対応車<br />
ファイル:Snowmobile-italia.jpg|スノーモービル<br />
ファイル:Honda NSF250R Tokyo Motor Show 2011.jpg|レーサーベース車両<br />
ファイル:Pocketbike dirtbike.jpg|オフロード用のキッズバイク<br />
</gallery><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注釈"|2}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
<!--<br />
== 参考文献 ==<br />
*{{Cite journal|和書<br />
|author = 中村友彦<br />
|date = 2000-09<br />
|title = 王者奪還<br />
|journal = Bikers Station<br />
|volume = 156<br />
|pages = P. 77-85<br />
|publisher = [[遊風社]]<br />
|id = 雑誌07583-9<br />
|ref = BS156 }}<br />
--><br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[オートバイ]]<br />
* [[:Category:オートバイの車両区分]]<br />
* [[:Category:オートバイの車種]]<br />
* [[:Category:オートバイメーカー・ブランド]]<br />
* [[オートバイ競技]]<br />
* [[競走車]]<br />
* [[運転免許]]<br />
* [[旅行]]<br />
* [[キャンプ]]<br />
* [[ライダーハウス]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
&ensp;{{Commonscat-inline|Motorcycles}}<br />
<br />
{{オートバイの形態}}<br />
{{オートバイ部品と関連技術}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:おおとはいのしゆるい}}<br />
[[Category:オートバイの形態|*しゆるい]]</div>
117.18.216.16
梶原一騎
2018-07-22T23:09:46Z
<p>117.18.216.16: /* 1980年代 */</p>
<hr />
<div>{{複数の問題|参照方法=2008年6月|独自研究=2008年6月}}<br />
{{Infobox 漫画家|<br />
| 名前 = 梶原 一騎<br />
| 画像 = <br />
| 画像サイズ = <br />
| 脚注 = <br />
| 本名 = 高森 朝樹<br/>(たかもり あさき)<br />
| 国籍 = {{JPN}}<br />
| 生年 = [[1936年]][[9月4日]]<br />
| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1936|9|4|1987|1|21}}<br />
| 没地 = <br />
| 活動期間 = [[1960年]]頃 - [[1987年]]<br />
| 職業 = [[漫画原作者]]<br/>[[小説家]]<br/>[[映画プロデューサー]]<br />
| ジャンル = [[スポーツ漫画]]<br/>[[劇画]]<br />
| 代表作 = 『[[巨人の星]]』<br />『[[あしたのジョー]]』<br />『[[愛と誠]]』<br />『[[空手バカ一代]]』<br />『[[タイガーマスク]]』<br />『[[柔道一直線]]』<br />『[[赤き血のイレブン]]』<br />『[[夕やけ番長]]』<br />『[[侍ジャイアンツ]]』<br />『[[男の星座]]』※いずれも原作担当<br />
| 受賞 = 第 8回[[講談社児童まんが賞]]<br />(『巨人の星』)<br />
| 公式サイト = }}<br />
'''梶原 一騎'''(かじわら いっき、[[1936年]][[9月4日]] - [[1987年]][[1月21日]])は、日本の[[漫画原作者]]、[[小説家]]、[[映画プロデューサー]]。本名は、'''高森 朝樹'''(たかもり あさき)。'''高森 朝雄'''(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。<br />
<br />
[[1966年]]から『[[週刊少年マガジン]]』に連載された[[漫画]]『[[巨人の星]]』の原作者として名声を上げ、以後『[[あしたのジョー]]』(高森朝雄名義)、『[[タイガーマスク]]』など、いわゆる「[[スポ根]]もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。<br />
<br />
弟は漫画原作者、[[空手道|空手家]]の[[真樹日佐夫]]。妻は高森篤子([[1945年]][[3月5日]] - [[2015年]][[4月6日]])。[[1973年]]から[[1985年]]にかけて[[離婚]]期間があり、その間の[[1979年]]から[[1981年|81年]]にかけて[[台湾]]の有名タレント、[[白冰冰]](パイ・ピンピン)とも婚姻関係を結ぶ。高森篤子との間に2人の娘と3人の息子がおり、白との間に娘・[[白暁燕]](パイ・シャオイェン)がいた。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
東京市浅草区(現台東区)石浜の木賃アパートで知的でインテリ<ref>ただし、線の細い大人しい優等生然としたインテリではなく、権力的なものに上から押さえつけられるのを根っから嫌う反骨精神旺盛なインテリジェンスであった。</ref>な父・[[高森龍夫]]と情念の深い母・高森や江(旧姓:佐藤)の間に三兄弟の長男として生まれ、まもなく両親とともに渋谷区隠田1丁目(現在の神宮前4・6丁目周辺)に移った<ref>高森日佐志『蝮の裔の我は身なれば』 飯倉書房、[[1996年]]、p.65、p.371</ref><ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』 [[東邦出版]]、[[2010年]]、p.371</ref>。父方の祖父が熊本県高森町周辺の出身であるだけで、梶原自身と[[九州]]との関わりは[[宮崎県]]への1年の[[疎開]]と[[福岡県]][[小倉市]](現在の[[北九州市]]小倉)の親戚の家へ預けられたという程度である{{sfn|斎藤|p=71}}<ref>植地毅、勝畑聰「スーパー劇画王烈伝〜梶原一騎らぷそでぃ」『マンガ地獄変』[[水声社]]、[[1996年]]、p.17。</ref>。<br />
<br />
弟の真樹日佐夫によれば「兄の朝樹は、父方の知的な高森家と、大柄で激烈な気性の持ち主ばかりだった母方の佐藤家の遺伝子の「合作」だった」とも語っている。<br />
<br />
幼少時から非常に凶暴で喧嘩っ早く目立ちたがり屋な気質が現れていた。戦中の[[昭和18年]]に、父の龍夫が師範科時代に在籍していた学校である私立緑岡小学校(後の[[青山学院初等部]])に入学するものの、朝樹の持つ荒い気質と校風は水と油のようなもので、クラスメートや上級生の子供達とも衝突ばかり起こしていた。この頃すでに梶原は体が大きく太り気味だったので、同級生も敵わぬと見たのか上級生とつるんで逆襲してくるため、梶原はいつも生傷が絶えなかった。その上級生を奇襲し血染めにしたことで、母親が学校から呼び出されることになり、梶原はわずか1年生にして退学。家の近くの公立小学校に入れられた。その際に担任の教師に叱り付けられ「'''あなたは、こういう学校には向かない子です!普通の学校に行った方がいいのではありませんか'''」と罵られ、この言葉に朝樹は子供心にも傷ついた。<br />
<br />
公立小学校時代は同級生に、雑誌『[[暮らしの手帖]]』編集長[[花森安治]]の長女葵がいる。梶原は取れたボタンを付けてもらった等の思い出があり、淡い思いを抱いていたというが、当の葵は「高森くん」という同級生がいたことは覚えていたものの、それ以上の詳しい記憶はないという{{sfn|斎藤|pp=}}。<br />
<br />
その後、[[1945年]]に入ると東京が連合国軍機の空襲を受けることになったため、梶原を含めた高森一家は仕事のある父を東京に残し、ミカン山を営んでいた父の叔父である林進士が住む[[宮崎県]][[富島町]](現[[宮崎県]][[日向市]])に疎開。しかし、現在家督を継いでいる林晴夫の話によれば、富島町亀崎村の日向灘を見下ろす山の中腹にあった林家の裏手のミカン畑は当時開墾されて間もなく、まだ苗を植えたばかりだったから、さしたる収穫がなかった。それよりも自給自足の耕作が必要で当時八歳だった朝樹は、母と共に[[肥やし]]を担ぎ、苗の隙間で芋を育てては掘っていた。<br />
<br />
戦後、[[川崎市]]に転居。このころ教護院「新日本学園」で1年を過ごしている<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』78頁</ref>。のち[[東京都]][[大田区]][[蒲田]]に移り、大田区立相生小学校に学ぶ<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』6-7頁</ref>。小学生時代、蒲田に転居した直後から駅前のマーケットで万引きやかっぱらいを繰り返し、たびたび補導されたが改悛の情なく、弟の真土(真樹日佐夫)まで引き込むようになったため<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』67頁</ref>、両親の配慮で[[青梅市]]の[[教護院]]「東京都立誠明学園」に送られ中学相当の3年間を過ごす<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』8頁</ref>。<br />
<br />
誠明学園在学中は寮から少なくとも二度脱走している(一度目は自宅に到着する前に連れ戻された)<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』15-16頁</ref>。なお「梶原」とは誠明学園時代に恋仲で結婚まで考えていた娘の苗字に由来する筆名である<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』92頁</ref>。のち真樹日佐夫は高校時代に空き巣狙いを繰り返して鑑別所に送られたが、担当刑事から共犯者の存在を示唆された母は梶原に疑いの目を向けた<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』67頁</ref>。<br />
<br />
[[東京都立芝商業高等学校]]を半年ほどで中退<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』104頁</ref>(本人は長らく[[早稲田大学]]卒と詐称していた。例えば、[[ごま書房]]刊の「息子の鍛え方」の裏表紙には、[[早稲田大学]][[卒業]]と記述されていた)。父の[[高森龍夫]]は、梶原の出生当時、[[中央公論]]社で校正の仕事に従事していたが、のちに[[改造社]]へ移り、[[編集者]]として活躍する。また弟の真樹日佐夫や妻の篤子によれば、梶原の両親は弟などには愛情を注いでいたのに対し、梶原がいくら頑張っても認めようとはしなかったという<ref>[[山田玲司]]「[[絶望に効くクスリ|絶望に効く薬 敗者復活編]]」第32錠・高森篤子/前編より [[光文社]]「FLASH」2010年12月21日号、p.97</ref><!--{{要出典|date=2010年1月}}-->。<br />
<br />
もともとは文学青年で[[小説家]]を志していたが<ref>梶原の漫画原作は小説形式だった(梶原一騎『劇画一代』[[毎日新聞社]]、[[1979年]]、p.163。清水京武「川崎のぼるインタビュー 描かれなかった後編はどんな物語だったのか!?」『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』[[メディアファクトリー]]、[[1999年]]、p.48)。</ref>、生活のため『チャンピオン太』などで漫画の原作を担当する日々を送っていた。『週刊少年マガジン』の当時の編集長・[[内田勝]]と副編集長・[[宮原照夫]]が梶原の元を訪れ「梶原さん、マガジンの[[佐藤紅緑]](少年小説の第一人者)になって欲しいんです」と口説かれ『巨人の星』の原作を始めたところ、これがヒットとなったため、以降は漫画・劇画の原作に本腰を入れて取り組むようになった。<br />
<br />
[[1971年]]に『[[空手バカ一代]]』を発表、[[大山倍達]]率いる[[極真会館|極真空手]]を世に紹介した。『地上最強のカラテ』など、極真空手のプロモート映画も多数制作している。『チャンピオン太』など、実在する[[格闘家]]をモデルにした作品も多い。<br />
<br />
[[1973年]]『[[愛と誠]]』が[[松竹]]で[[愛と誠#実写作品|映画化]]されたことにより、芸能界のひのき舞台へ出る{{sfn|蕪木|pp=102-103}}{{sfn|大塚|pp=13-15、132-133}}{{sfn|地獄変|pp=23-25、69-77}}。[[1974年]]、同作の[[愛と誠#テレビドラマ|テレビドラマ化]]にあたり、[[オーディション]]で選ばれた[[池上季実子]]を池上の所属プロから引き抜き{{sfn|大塚|pp=13-15、132-133}}{{sfn|地獄変|pp=23-25}}、梶原プロダクションを設立{{sfn|大塚|pp=13-15、132-133}}{{sfn|地獄変|pp=23-25}}。映画界への進出を企て{{sfn|地獄変|pp=23-25、69-77}}、梶原原作漫画のアニメ化で親交のあった[[東京ムービー]]社長の[[藤岡豊]]、[[石原プロモーション]]で映画のプロデュースを行っていた川野泰彦と[[1975年]]「三協映画」を設立した{{sfn|地獄変|pp=23-25、69-77}}。「三協」の意味は「三人で協力する」という意味合いである。いくらヒットを飛ばそうと、[[制作プロダクション|独立プロ]]のトップは、[[日本映画製作者連盟|メジャー映画会社]]のトップと飲み食いすることはないが{{sfn|蕪木|pp=102-103}}、梶原を原作とする、製作する映画がヒットを続けることで、[[松竹]]や娯楽性の豊かさに目をつけた[[東映]]が{{sfn|地獄変|pp=23-25、69-77}}、梶原を大事にするようになった{{sfn|蕪木|pp=102-103}}{{sfn|高取|pp=234-244}}。こうして単なる劇画作家から、プロデューサー、芸能プロダクションのトップというイメージを手に入れる{{sfn|大塚|pp=13-15}}。当時の映画界の四巨星といわれた[[東映]]の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]、[[東宝]]の[[松岡功]]、[[大映]]の[[徳間康快]]、[[松竹]]の[[奥山融]]とも一緒に飲み食いする立場となり、芸能界に顔を効かせるようになった{{sfn|蕪木|pp=102-103}}。<br />
<br />
三協映画では、文芸路線、格闘技路線、梶原原作漫画のアニメ化の三つの路線があったが、経営的には格闘技もので上げた収益を文芸もので使い果たすことの繰り返しであった。なお、[[1977年]]に自身の原案をもとに、[[鈴木清順]]が監督をした10年ぶりの作品『[[悲愁物語]]』を撮らせている{{sfn|地獄変|pp=23-25、69-77}}。<br />
<br />
自身の漫画から産まれたキャラクター「タイガーマスク」が現実に[[新日本プロレス]]でデビューしたことが契機となって、梶原は[[1980年]]代から、かねてから縁のあった[[プロレス]]界にも深入りするようになる。<br />
<br />
[[1983年]][[5月25日]]、[[講談社]]刊『[[月刊少年マガジン]]』副編集長・飯島利和への傷害事件で逮捕された。この逮捕により、過去に[[暴力団]]員とともに起こした「[[アントニオ猪木]]監禁事件」や、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]][[ホステス]]に対する暴行未遂事件([[1982年]][[3月18日]])、『プロレスを10倍楽しく見る方法』の[[ゴーストライター]]のゴジン・カーンから10万円を脅し取った事件も明るみに出ている。弟の高森日佐志によると、このとき警察が狙っていた本件は覚醒剤常習容疑だったという<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』324頁</ref>。警察は、梶原が[[萩原健一]](当時、大麻不法所持で逮捕留置中だった)に大麻を渡したのではないかと疑っていた<ref>高森日佐志『昭和兄弟模様』324-325頁</ref>。その他にもさまざまなスキャンダルが[[マスメディア]]を賑わせ、連載中の作品は[[打ち切り]]、単行本は[[絶版]]処分となり、名声は地に落ちた。<ref>[http://www.fujisan.co.jp/yomimono/articles/4784?page=2 第7回 「マガジンの軍神」梶原一騎]</ref><br />
<br />
2か月に及ぶ勾留後に保釈され、[[8月8日]]、[[山の上ホテル]]でステーキと鰻を一緒に食べた直後、倒れた。病院での診断名は壊死性劇症[[膵臓炎]]。死亡率が100%に近い、死に至る病気であり、長年の[[アルコール依存]]や暴飲暴食が祟って[[胆石]]を長時間放置し続けたために周辺臓器がすべて病んでおり、わずかな期間に手術を4回重ね、4度目の時に医師団から「あと2時間の命」とまで宣告されていた。長年培ってきた体力等から生還を果たしたが、87キロあった体重も60キロを割っていた。<br />
<br />
1985年3月14日、東京地裁刑事第二十八部で、懲役2年、執行猶予3年(求刑は懲役2年)の有罪判決を受ける{{sfn|斎藤|p=419}}。[[1985年]]([[昭和]]60年)、かねてからの念願だった[[小説家]]への転身を決意して、真樹日佐夫との合作で正木亜都のペンネームで[[小説家]]としての活動を開始{{sfn|斎藤|p=381}}。漫画原作者からの[[引退]]を宣言して、「梶原一騎引退記念作品」として自伝漫画『[[男の星座]]』(作画:[[原田久仁信]])連載開始。掲載誌は事件後も唯一連載を打ち切らなかった『漫画ゴラク』だった{{sfn|斎藤|p=341}}。[[力道山]]、[[大山倍達]]などが実名で登場する中、著者自身実名ではなく「梶一太」と名をつけ、その青春遍歴のドラマを赤裸々に描き、同時にこれまで見られなかったほどの飄々たるユーモアも漂わせながらライフワーク的な作品となるはずであったが、[[1987年]]([[昭和]]62年)年明けに体調不良となって入院し、1月21日午後12時55分、[[東京女子医大]]病棟一室にて死去、病室には辞世の句が残されていた。<br />
<br />
<blockquote>【吾が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば 珠と砕けん】</blockquote><br />
<br />
『男の星座』は未完に終わった。<br />
<br />
死後数年間は梶原について語ることをタブー視される風潮が見られたが、梶原の再評価の機運が高まるのは、[[1990年代]]半ばになってからである<ref>竹内オサム『戦後マンガ50年史』[[筑摩書房]]、[[1995年]]、p.172</ref>。<br />
<br />
[[2005年]]の[[東京アニメアワード]]にて、特別功労賞(原作者部門)を受賞した。<br />
<br />
== 作品の特色 ==<br />
梶原の世界は、戦前の『[[少年倶楽部]]』等で人気を呼んだ[[佐藤紅緑]]らの熱血小説と[[教養小説]]の世界の系譜と戦後の[[福井英一]]『[[イガグリくん]]』<ref>{{絶版マンガ図書館2|47591|イガグリくん}}(外部リンク)</ref>などの流れを受け継いだものと指摘されている<ref>米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』[[平凡社新書]]、[[2002年]]、p.35。</ref><ref>[[西村繁男]]『まんが編集術』[[白夜書房]]、[[1999年]]、p.329。</ref><ref>串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』[[晶文社]]、2003年、p.101。</ref>。これは、マンガの神様と謳われたモダンな作風の[[手塚治虫]]には欠けた要素であり、事実手塚は生涯、梶原が得意とした[[スポーツ漫画]]と[[格闘漫画]]を手がけなかった<ref>[[米沢嘉博]]「現代マンガは手塚の呪縛を逃れ得るか」『手塚治虫マンガ論』[[河出書房新社]]、[[2007年]]、p.165。</ref><ref>夏目房之介『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』[[筑摩書房]]、[[1995年]]、pp.100-101。</ref>(ただし手塚は「巨人の星対鉄腕アトム」の企画やアニメ「あしたのジョー」が虫プロダクションにより作られるなど積極的に梶原と関わっている)。<br />
<br />
梶原作品の特色としては、最後に主人公が散り去っていく場合が多く、ハッピーエンドで完結する作品はほとんどないといわれている<ref>[[大塚英志]]「梶原一騎 未完のビルドゥングスロマン」『教養としての<まんが・アニメ>』[[講談社現代新書]]、[[2001年]]、pp.43-44。</ref>。時に自己破滅的であり直情型で己の道に突き進む主人公像が見られるが、真白になるまで燃え尽きる結末を好むのは、彼の作品の特徴ともいえる。<br />
<br />
ストーリーの展開としては型破りで奇想天外、なおかつ劇的な内容で読者を飽きさせない巧みな作風が特徴である。『巨人の星』の[[大リーグボール]]養成ギプスや消える魔球に代表される奇抜なアイディア、『空手バカ一代』の劇的なストーリー展開、『[[愛と誠]]』にみられる奥深い心理描写などは、彼の特異な才能の一面を発揮したものと評価されている。<br />
<br />
若手時代、[[五味康祐]]の成人向け小説『スポーツマン一刀斎』を少年向け雑誌に掲載するためのリライトの仕事をして、その作品に登場する「架空のキャラクターと実在のスポーツ選手との共演」という手法を学んだという。馬場、猪木、王、長嶋といった実在の選手と架空の選手をうまく融和させる手法を結実させ、最終的にタイガーマスクを現実化させるところまで行っている。<br />
<br />
[[主人公]]と[[ライバル]]は片親を亡くしたか、両親ともいない、または捨てられた場合が多く、孤児の場合、師匠が親代わりという設定になる。総じて「'''主人公を甘えさせてくれる母親がいない'''」というケースがすべての作品における普遍的なテーマとなっている。「男を成長させるのは、味方との融和でなく、強敵との死闘だ」という人生哲学により、主人公がある程度強くなると、それまで師匠だった人物が敵にまわる展開が繰り返される(具体的には「[[巨人の星]]」、「[[あしたのジョー]]」、「[[タイガーマスク]]」、「[[柔道一直線]]」、「[[柔道讃歌]]」の項目を参照)。<br />
<br />
[[1980年代]]に入ると真面目に読まれていた梶原作品の生真面目さに、とりわけ『巨人の星』には逆説的にギャグの要素を感じ取る視点が生まれ、数多くの漫画などで[[パロディー]]の対象とされた<ref>[[いしかわじゅん]]『漫画の時間』[[晶文社]]、[[1995年]]、p.95。</ref><ref>夏目房之介「おおげさマンガは面白い」『[[毎日新聞]]』1994年2月2日号(『マンガの力 成熟する戦後マンガ』[[晶文社]]、[[1999年]]に所収)</ref>。『[[マカロニほうれん荘]]』の[[鴨川つばめ]]はギャグとして読んでいたと語り<ref>大泉実成『消えたマンガ家』[[大田出版]]、[[1996年]]、pp.150-151</ref>、[[江口寿史]]の『[[すすめ!!パイレーツ]]』などが典型例である。<br />
<br />
「原作の内容は一字一句変えてはならない」という不文律があり、これを絵を描く漫画家に強制していた(例外はちばてつや、ふくしま政美などごく一部あるのみ)。その代わりに、漫画家の絵のタッチやコマ割り等の内容に関しては一切文句を言わなかったといわれている。<br />
<br />
== 評価と影響力 ==<br />
昭和40年代([[1965年]]から[[1974年]])に入ると[[テレビ]]が一家に1台は普及するようになり、テレビ文化は大衆化された。梶原作品の多くは、[[アニメ]]化または実写化されテレビ放映し人気を博した。またテレビによる宣伝効果で原作の売り上げも伸びた。<br />
<br />
漫画界においては、手塚治虫が手がけずに傍流になっていた熱血とスポーツと格闘技の世界を復権させて、多くの模倣作を生み出したことで主流の地位まで引き上げた。[[少女漫画]]の世界にも梶原の影響は及び、『[[サインはV]]』『[[アタックNo.1]]』といった[[スポ根]]ものが人気を博した<ref>[[石子順造]]『戦後マンガ史ノート』[[紀伊國屋書店]]、[[1980年]]、p.147。</ref><ref>加納則章「熱血マンガ 馬鹿の時代!!」『別冊宝島288 70年代マンガ大百科』[[宝島社]]、[[1996年]]</ref>。<br />
<br />
一方では[[映画]]作りにも注力しいくつかのヒット作を世に送り出した。格闘界では[[アントニオ猪木]]の異種格闘技シリーズに代表される試合にも、仕掛け人的な役割を演じ強い影響力をもたらした。<br />
<br />
だがその一方で「[[カポエイラ]]はずっと逆立ちしたまま闘う格闘技」「[[ブルース・リー]]は[[極真会館|極真空手]]を習っていた」等の、誤った説を自著で発表したこともあり、今でもそれが定説となってしまっているものもある。梶原的ファンタジーの頂点とも言える『[[プロレススーパースター列伝]]』が、前記のような誤った説(というより意図的な創作)の集合体であるのは、多くのプロレスファンの知るところとなっている。<br />
<br />
[[1983年]]の逮捕事件により、梶原個人は一時的にはマスコミ界から抹殺に近い状況まで追い込まれ、作品の評価も失墜した。梶原の暴力癖は傲岸不遜というより、収入が跳ね上がっても一向に上昇しない自らの社会的地位([[銀座]]に繰り出しても小説家を迎える態度では無いと本人は感じていた)、小説家志望の自分に常にヒットを要求する漫画編集者などへの怒りや苛立ち、鬱屈が引き金になった物が多く、ひどい時には女性を巡るトラブルから、鉄拳を実弟の真樹、[[幼馴染]]、[[ホステス]]に向けたこともあった。<br />
<br />
また、梶原がコワモテだった理由について、ライターの[[竹熊健太郎]]は、漫画制作において、原作は叩き台と思われており、そうでもしないと個性がなくなるからではないかと推測している<ref>[[安藤健二]]『封印作品の謎2』[[太田出版]]、[[2006年]]、p.60。</ref>。<br />
<br />
[[小林よしのり]]は自分の漫画(格闘お遊戯)で梶原一騎をもじった登場人物を出して茶化したことに対し「怒りを招くのではないか」と危惧していたが、梶原は「自分には[[ギャグ]]は書けない」としてギャグ漫画家に敬意を持っており、事なきを得たという。ギャグ漫画の巨匠・[[赤塚不二夫]]とも飲み仲間であり、赤塚に対し一目おくことがあった(『人生これでいいのだ!!』[[1999年]]・[[集英社]]刊)。著書『劇画一代』の中でギャグ漫画は個人的には好きであると明かし、[[山上たつひこ]]のギャグを評価しつつも、「赤塚は文化人を気取っているからそこまでやれぬ、やらぬだけで、もし赤塚が本気になってギャグ漫画を描けば山上ごときは消し飛んでしまう」と評している。[[小学館]]の赤塚担当編集者だった[[武居俊樹]]は、梶原が赤塚に直接「俺、ギャグは描けないんだ。だからあんたの漫画の原作は描けないな」と言ったのを聞いている(武井著『赤塚不二夫のことを書いたのだ』)。後に小林よしのりは『新ゴーマニズム宣言』で「白鳥が美しく見えるのは水の中で必死に足で水を掻いているから」という[[花形満]]の台詞を引用し、「梶原一騎からはいっぱい学んだ」というコメントを書いている。<br />
<br />
[[1983年]]の事件による逮捕と、これによってようやく白日の下になったそれまで不問にされていた数々の出来事のために晩年や死後数年間は、出版界・マスコミでも梶原についてはタブーとされていた時期があった<ref>[[夏目房之介]]は「そろそろまとまった梶原一騎の再評価がでてきていいと思う」と記していた(「日本的大衆娯楽性の正統派 梶原一騎をもういちど」、『消えた魔球 <sub>熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか</sub>』[[双葉社]]、[[1991年]]、のち[[新潮文庫]]、[[1994年]]に所収)。</ref>。しかし、[[1990年代]]半ばに再評価の兆しが伺えた。その発端となったのは、[[1994年]]、劇作家・[[高取英]]・著『梶原一騎を読む』([[1994年]]・[[ファラオ企画]]刊)である。[[夏目房之介]]、[[いしかわじゅん]]、[[呉智英]]といった論客たちが寄稿し、死後初めて梶原一騎と梶原作品について取り上げられた最初の書物となった。その後、[[1994年]][[8月15日]]付の朝日新聞の連載コラム『新戦後がやってきた』の中で梶原一騎の不遇と当時「好感度調査」で4年連続一位の座を独走する[[ビートたけし]]を対比させた論評が掲載された。そして、ジャーナリスト・[[斎藤貴男]]が関係者への徹底した入念な取材を元に発表された労作『'''夕やけを見ていた男 -評伝・梶原一騎-'''』([[1995年]]・[[新潮社]]刊)により、再評価の気運が高まった<ref>加納則章「「馬鹿」の美しさを広めた梶原一騎」『[[別冊宝島]]288 70年代マンガ大百科』[[宝島社]]、[[1996年]]、p.38。</ref>。本書は[[1995年]][[3月19日]]付の朝日新聞書評欄で作家・[[沢木耕太郎]]による書評や数々のサブカル誌がとりあげられたことにより、それまで[[タブー]]とされていたマスメディアでも『[[驚きももの木20世紀]]』<ref>「あしたのジョー」伝説 〜梶原一騎・ちばてつや 男の闘い〜</ref>([[1997年]][[4月25日]]オンエア)を皮切りに『二十世紀最強の秘蔵映像211連発!』<ref>スターの秘蔵映像を紹介する番組で「日本が誇るアニメ界の三大巨匠」として[[手塚治虫]]、[[藤子・F・不二雄]]とともに紹介された。</ref>([[1997年]][[12月31日]]オンエア)『[[BSマンガ夜話]]』<ref>『[[巨人の星]]』〈1997年9月22日放送〉『[[あしたのジョー]]』〈2001年8月6日放送〉『[[空手バカ一代]]』〈2002年8月8日放送〉</ref>『[[ブロードキャスター]]』<ref>創刊40周年、発行部数410万部で日本一となった『[[週刊少年マガジン]]』のメモリアルが紹介されている。</ref>([[1999年]][[4月3日]]オンエア)『[[ダウンタウンDX]]』<ref>ゲストがアテレコを務める「ナキメンタリー3分間劇場」のコーナーで紹介。『[[タイガーマスク]]』(1999年5月20日放送)『[[夕やけ番長]]』(1999年6月3日放送)</ref>などでも梶原作品が取り上げられ、梶原一騎の名が再び世に出るようになった。また当時、数々の歴史上人物を取り上げていた[[関口宏]]司会による人気番組『[[知ってるつもり?!]]』([[1999年]][[7月11日]]オンエア)でも梶原一騎の生涯が紹介された<ref>視聴率は通常よりも高い17.6%であった。</ref>。今日でも『[[あしたのジョー]]』絡みなどで『[[NHK教育]]』「あしたのジョーの、あの時代」([[2007年]][[3月24日]]オンエア)や『[[報道ステーション]]』<ref>「団塊世代に贈る(11)~『あしたのジョー』の時代」</ref>([[2008年]][[3月25日]]オンエア)などで取り上げられ、[[2007年]][[3月2日]]には、紛失されていた『あしたのジョー』の直筆原稿の一部発見が『[[NHKニュース7]]』で第一報として取り上げられ、話題を呼んだ。<br />
<br />
== 大山倍達と『空手バカ一代』 ==<br />
[[アメリカ合衆国|米国]]でかつて敵国であった大男どもをなぎ倒し、凱旋帰国して国内でもかなりの有名人であった[[大山倍達]]の元に[[1954年]]頃、梶原が訪ねた時、石を抱えて大山に近づき、「この石を割ってみせてくれませんか?」とお願いしたことが二人の初めての出会いとなった。その時、大山の数々の[[武勇伝]]の挿話に若き日の梶原は大いに心を打たれた。最初はそれほど密接な関係ではなかったが、二人の親交は徐々に深まりつつあった。当時の梶原の大山に対する気持ちとして「大山倍達は巨大な不遇の碑に見えた。12歳も年が違う大山倍達に対して何というか父性本能のようなものを感じたのだ」と述懐している(『反逆世代への遺言』[[1984年]]・[[ワニブックス]]刊)。<br />
<br />
昭和32年(1957年)から昭和34年(1959年)の3年間、[[大山道場]]で[[空手]]修行もしていた<ref name = 渡邊54>[[#渡邊|「梶原一騎氏に伝えた実戦談」、54頁。]]</ref>。指導をした[[渡辺一久 (極真)|渡邊一久]]は「週に1, 2回は稽古に来ていた<ref name = 渡邊54/>。左半身に構え、ワンツーの[[殴打技]]を主にし、[[蹴り技]]はあまりなかった<ref name = 渡邊54/>。巨体と[[柔道]]経験を活かして組んで投げようとするが、足捌きが速い大山道場の強豪を捉えられなかった<ref name = 渡邊54/>。相手の突きを身体で受け、前に出て突きで攻める熱闘型の組手スタイルだった<ref name = 渡邊55>[[#渡邊|「梶原一騎氏に伝えた実戦談」、55頁。]]</ref>。昭和33年(1958年)頃、昇級審査を受け、[[空手道#段級位・色帯・称号|緑帯]]を允許された<ref name = 渡邊55/>。大山倍達先生は、作家としてまだ無名だった梶原一騎氏を『将来、大山道場を宣伝してくれる人だから』と語り、空手の達人が活躍する主人公の小説を書いてほしかったようだが、その先見の明は10数年後に証明されることとなった<ref name = 渡邊55/>。」と述べている。<br />
<br />
[[1969年]][[6月]]『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』にて『[[虹を呼ぶ拳]]』(画・[[つのだじろう]])の連載を開始。この作品の中で大山は協力者(アドバイザー)として名前を連ねている。この頃、同じく『[[柔道一直線]]』(画・[[永島慎二]])にも空手使い・鬼丸雄介の師匠として実名で作中に登場することが見られた。<br />
<br />
[[1970年]][[11月]]『[[空手バカ一代]]』プロジェクトが発進する。武道の世界では反体制の立場にある一介の空手家を大講談社の少年雑誌が大きく取り上げていいものか社内でも議論はあったが、当時『少年マガジン』がノンフィクション作品を発表していたこと等により実現が可能となり、[[1971年]][[6月]]『少年マガジン』誌上で梶原にとって長年の念願であった『[[空手バカ一代]]』(画・[[つのだじろう]])の連載を開始。連載当初から反響の大きさにより、[[極真会館]]には連日50人、100人の入門志願者が押しよせ、大山自身も劇画によって知名度が上がり、極真会館館長の立場から一定の社会的地位を占めることとなった。<br />
<br />
しかし[[1973年]]、作画担当の[[つのだじろう]]が「連載を降りたい」と言い出した。「原作が来るのがひどく遅く、締切りに追われて満足な仕事ができない」「待つ時間ばかりで、他に自分のやりたい仕事の時間が確保できない」というのがその理由。連載から二年が過ぎ、当初予定していた大山倍達一代記は描きあげていたが、まだまだ人気は高かった。当時『[[あしたのジョー]]』などの人気漫画の連載が終了していたことにより、『少年マガジン』の部数の影響も考慮して連載終了の気配を示しにくい状況ではあったが、つのだ自身が以前から独学でオカルトの世界を研究しており、この年『少年チャンピオン』の夏休み企画で描いた短編シリーズ『[[亡霊学級]]』がヒットしたことにより、『[[恐怖新聞]]』の連載が決定していた、などの要因が重なったことで最終的にはつのだの意見を容れ、降板することとなった。降板後もつのだとマガジン編集部は喧嘩別れすることはなく、すぐに「[[うしろの百太郎]]」の連載が始まっている。<br />
<br />
つのだの後を引き継ぐ形となった[[影丸譲也]]は、先程にもあるように大山倍達個人の挿話は描ききられていた状況であったため、物語の展開の苦難を余儀なくされた。そこで梶原は弟子の[[芦原英幸]]に目をつけ、彼を中心とした挿話を描いたことで急に人気があがり、再び盛り返すこととなった。が、これが極真会館や、さらには大山との間で大きな亀裂を生むこととなった。<br />
<br />
ジャーナリスト斎藤貴男の取材でも、大山は「(『空手バカ一代』は)大山倍達物語でなく、芦原物語になってしまった」と語っている。真樹日佐夫も大山没後に東京スポーツで連載していた大山の伝記で、「弟子を取り上げてくれるなとは言わないが、あまり持ち上げるのはいかがなものか? 長い目で見れば決して彼らの為にもならんと思うが…」という大山の言葉を紹介している。大山は、「弟子を活躍させるなら満遍なく登場させて欲しいと」望んだが、それではテーマが散漫になってしまい、ドラマにならないため漫画として厳しかった。<br />
<br />
芦原英幸を中心に描かれた新生『空手バカ一代』は、極真会館内部での派閥抗争を招く結果となってしまう。「あいつが漫画になって、俺がならないのはなぜだ」と不満を持つ弟子もいたという。空手家でもない梶原の勢力が極真内部で拡大していくことに対する批判は、彼を重用する大山にも及んだ。極真内部は、次第に大山派と梶原派の二大勢力と、マイペースの中間派に分裂していった。<br />
<br />
そんな状況の中で制作された『地上最強のカラテ』([[1976年]])は興行として大ヒットを記録したが、さらにこの成功が梶原と大山の仲に決定的な亀裂をもたらした。当初、梶原サイドと大山サイドで半分ずつ出資していたが、配給収入の分配として梶原サイドから大山サイドに対して支払われることは一切なく、続篇の『地上最強のカラテ・パート2』([[1977年]])でも同様のことが行なわれ、大山サイドの不信感を募らせることとなった(梶原サイドは「利益を独り占めにした覚えはない」「大きな収益をもたらしても、大きな制作資金を投入しているので厳密には利益は微々たるもの」であることを主張している)。<br />
<br />
『[[空手バカ一代]]』の初代作画担当であった[[つのだじろう]]はオカルト物の連載を終了させ、オカルトとは別の分野の作品を描こうとしていた。そんな時期に旧知の大山から梶原抜きの大山倍達伝の企画を諮られたが、当初つのだは梶原の報復を恐れて断る。すると大山は当時親しくしていた評論家・[[平岡正明]]を原作につけることでつのだが矢面に立たないよう配慮した。原作者をつけることに懲りていたつのだだったが、大山の熱心な申し出もあいまって一人で引き受ける。こうして1978年4月『少年チャンピオン』から連載された『[[ゴッドハンド]]』は、梶原の大きな不興を買うこととなった。この頃からつのだ本人及び編集サイドに梶原サイドからのクレイムがつき、結果、作品自体も読者人気が及ばず、わずか9週で打ち切りとなった。が、それ以後も梶原サイドからのつのだ本人に対する脅迫まがいの行為は途絶えることがなかったという。<br />
<br />
堪忍袋の緒が切れたつのだは、『増刊ビッグコミックス』で連載していたオカルト漫画『魔子』の[[最終回]]に梶原一騎と[[真樹日佐夫]]を中傷する内容のセリフをアナグラムで書いてしまう。それを知った梶原は激怒し、つのだを新宿の[[京王プラザホテル]]に軟禁し、各出版社や漫画家仲間宛に無理矢理詫び状を書かせた(業界では有名な「つのだじろう詫び状事件」である)。この時、仲裁に入るべきビッグコミック編集部の梶原側への対応が弱腰そのものだった為、漫画家の[[本宮ひろ志]]は激怒して、同誌に連載していた「[[男樹]]」の連載を中止している。<br />
<br />
その後も梶原と大山との義兄弟関係は公の場では維持され続けたが、[[1980年]]蔵前国技館で開催された[[ウィリー・ウィリアムス (格闘家)|ウィリー・ウィリアムス]] VS [[アントニオ猪木]]との世紀のイベントで梶原と大山との確執は頂点に達した。ウィリー VS 猪木戦における極真サイドから梶原襲撃“指令”などの怪情報が、試合前から関係者の間でまことしやかに流れた。結局は起こることはなかったものの、そのことを信じた梶原サイドは大山に対して“誠意ある謝罪”を要求した。身に覚えのない大山としても謝罪する謂れはなく、大山との長年に及ぶ関係は途絶えた。<br />
<br />
その後は梶原の逮捕やスキャンダル、闘病生活も静観していた大山ではあるが、[[1983年]]に大病から奇跡的な生還を果たした療養中の梶原に対し、匿名で励ましの手紙を送った。それを読んだ梶原は「これは館長からだよ。俺にはわかるんだ」と話したという。大山はこの挿話を梶原の妻・篤子から後に知らされ、晩年に[[ジャーナリスト]]・[[斎藤貴男]]の取材に応じた時もこのことを嬉しそうに話したという。<br />
<br />
[[1985年]][[5月]]、『漫画ゴラク』にて梶原一騎引退記念作品と銘打たれた自伝劇画『[[男の星座]]』(作画[[原田久仁信]])を発表。[[力道山]]、[[木村政彦]]、[[ルー・テーズ]]など実在の人物が登場するなか、[[大山倍達]]の話題が多く描かれており、その他にも極真会館のさまざまな挿話がちりばめられ、若き日の梶原の大山に対する熱い思いが込められていた。作画担当の[[原田久仁信]]によれば、『男の星座』を描いて(極真との)関係が修復に向かっているところがあったという(木村修・編『格闘漫画で強くなる!』[[1997年]]・アスペクト刊)。しかし梶原の死により、『男の星座』は絶筆となる。『漫画ゴラク』追悼号には「もっと早く仲直りすべきだった。許すべきだった。後悔しています。(中略)。約20年間のつきあいでしたが仲直りできなかったのが、かえすがえすも残念でなりません。仏に申し訳ないと思っています」と大山の一文が寄せられている。<br />
没後、実弟の真樹日佐夫は大山に「せめて葬儀には出席してもらいたい」と依頼したが、大山は辞退している。大山の秘書を務めた[[高木薫]]によれば、大山は理由について「私は案外小心者なので」とだけ語ったという(高木著『わが師大山倍達~1200万人への道』より)。<br />
<br />
== 創価学会との関係 ==<br />
[[斎藤貴男]]『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』pp.205 - 207([[新潮社]]、[[1995年]] ISBN 4104030015)によると、梶原は[[1970年]]初春、[[自由民主党 (日本)|自民党]]と[[公明党]]から、[[1971年]]の[[第9回参議院議員通常選挙]]に立候補しないかと誘われたことがある(結局立候補はしなかった)。梶原の[[根性論]]は当時、[[創価学会]]会長の[[池田大作]]から大変気に入られていた。池田は演説に際して梶原作品を取り上げて[[根性]]の大切さを説き、その根性を「[[広宣流布]]」(広く仏法を流布すること)のために役立てよと述べた。このような縁から、梶原は[[荘司としお]]と組んで『[[公明新聞]]』に『熱血モーレツ記者』という作品を発表したこともあった。このことから創価学会員であるとの誤解をさせることがあるが、これは誤りである。<br />
<br />
== 他著からの引用など ==<br />
梶原一騎の原作において頻繁に他著からの引用が見られるがその多くが梶原自身の創作であることがよく知られる。「水上で優雅に見える白鳥も水面の下では激しく足をばたつかせている」などのよく知られる知識なども事実とはことなる。<br />
<br />
アーネスト・ヘミングウェイ<br />
<br />
「事実をありのまま伝えるという行為は いかなる面白い創作をするよりも困難な作業である」 <br />
<br />
坂本龍馬<br />
<br />
「どんなときでも坂道を登っていく。男が死ぬときは、例えそこがドブの中であろうと前のめりに死んでいたい」<br />
<br />
デュマ<br />
<br />
「復讐とは神が人間に与え給うた最も甘美かる快楽を得る行為である」 <br />
<br />
ネルー首相<br />
<br />
「愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで。それは地上におけるもっとも激しい 厳しい自らを捨てて かからなければならない戦いである」<br />
<br />
== 備考 ==<br />
* アニメ『[[ルパン三世]]』劇場版第1作『[[ルパン三世 ルパンVS複製人間]]』で、[[赤塚不二夫]]と共に[[声優]]を務めた。<br />
* [[赤塚不二夫]]・著『人生これでいいのだ!!』([[1999年]]・[[集英社]]刊)の中で梶原一騎とのゴールデン街で飲み歩いた思い出を披露している。<br />
* 『[[YAWARA!]]』『[[MONSTER]]』『[[二十世紀少年]]』の著者である[[浦沢直樹]]は 放送作家・[[倉本美津留]]との漫画談義で「梶原さんは原作者ですが、その想像力は[[手塚治虫|手塚]]さんと双璧をなすと言ってもいい。[[シェイクスピア]]的な存在だと思います」と述べ、「梶原作品を外して、梶原以降のスポーツものを語ることはできません。[[水島新司]]さんの『[[ドカベン]]』も、[[あだち充]]さんの『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』も、僕の『[[YAWARA!]]』もシェイクスピア梶原に対して、どんな角度で攻めればいいかを考え抜いた結果なんです」と答えている。(『[[BRUTUS]]』[[2016年]][[2月15日]]号)<br />
* 『[[グラップラー刃牙]]』の著者・[[板垣恵介]]は、[[川原正敏]]、[[猿渡哲也]]との三大人気格闘漫画家の座談会で『[[柔道一直線]]』の地獄車や『[[あしたのジョー]]』の金竜飛の挿話を例に上げて「梶原一騎さんは、思い込みの天才」と評している。(『格闘技マンガ最強伝説』[[1996年]]・[[福昌堂]]刊より)<br />
* 『週刊少年マガジン』[[2008年]][[9月17日]]号の『[[青春少年マガジン1978〜1983|青春少年マガジン]]』の作品の中で若き日の著者・[[小林まこと]]が講談社のパーティーにて梶原との初対面のシーンが描かれている。<br />
*『週刊少年ジャンプ』2008年9月29日(42)号の『[[バクマン。]]』(原作:[[大場つぐみ]]、作画:[[小畑健]])の中で『'''男の条件'''』(原作:梶原一騎、作画:[[川崎のぼる]])の作品が取り上げられ、登場人物が「日本一の漫画原作者・梶原一騎が書いた……」というセリフが掲載されている。<br />
* 『週刊プレイボーイ』[[2008年]][[10月13日]]号の[[TAJIRI]]と[[キン肉マン]]の原作者・嶋田隆司([[ゆでたまご]])との対談の中で嶋田は、子供の頃、梶原作品に影響を受けていたことを披露。またTAJIRIも「梶原一騎は自分にとって神のような存在」であることを明かしていた。<br />
* 『[[おれはキャプテン]]』の著者である[[コージィ城倉]]は「一番影響を受けた作家は梶原一騎である」と公言している。『[[グラゼニ]]』などでの原作者としての名義である「[[森高夕次]]」は、梶原の別名である「[[高森朝雄]]」に由来する。「高」と「森」を逆にして、「朝」を「夕」にして、「次」は梶原一騎を次ぐ者という意味である<ref>[http://media.excite.co.jp/book/interview/200404/p05.html 「コージィ城倉スペシャルインタビュー 読みやすさの原点に立ち返る。それが『おれはキャプテン』](現在はリンク切れ)(同[https://web.archive.org/web/20040504074054/http://media.excite.co.jp/book/interview/200404/p05.html アーカイブ])</ref>。<br />
* 『[[映画秘宝]]』[[2010年]][[5月]]号の[[萩原健一]]インタビューにて、萩原が大麻事件で勾留されていた時期に、同じ留置場の別の房に梶原も(副編集長への傷害事件で)勾留されていたことを披露しており、たまたま屋上で遭遇した時に梶原が小さく見えたと印象を伝えている。<br />
* 『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の「ご先祖様は有名人」のコーナーで梶原一騎が取り上げられ、司会の[[タモリ]]が「俺はこの人に3回会ったことがある」と述懐していた。また、ご先祖に縁のあるゲストとして復縁後に誕生した末っ子(三男)・誠樹が出演し、水曜レギュラーの[[柴田理恵]]から父親の印象について尋ねられ<!--昔から梶原一騎によく似ていると云われているが、-->「怖いです」と答えていた。<br />
* 晩年の夫人、[[白冰冰]]は[[台湾]]の有名タレントで、現在でもファンの自動車に肖像画が描かれるほど敬愛されている。2人の間に生まれた娘・[[白暁燕]]は、梶原の没後の[[1997年]]に身代金目的で誘拐され、惨殺された(17歳没)。<br />
*いわゆる、友達のような親子関係は嫌いで、子供たちへも自分への礼儀については厳しかったが、呼び方に関しては自分を「パパ」と呼ばせるという一面もあった。<br />
*晩年の梶原は、家庭で時折癇癪を起こすことはあったものの、概ね穏やかに過ごしていたという。「夕焼けを見ていた男」で紹介され、2016年春に発売された週刊誌でも長男が改めて語ったエピソードとして、ある日遊びに夢中になって門限に遅れてしまった息子たちが帰宅すると玄関は既に施錠されて入ることができず、呼び鈴を鳴らしたところ、家の中から梶原の「こんなに遅くまで遊んでいるような子はうちの子じゃありませーん」という'''嬉しそうな'''声が聞こえてきた、というものがある。<br />
<br />
== 主な作品 ==<br />
=== 漫画原作 ===<br />
'''太字'''は[[テレビアニメ]]化した作品。''斜線''は[[テレビドラマ]]化した作品。<br /><br />
○は[[アニメ映画]]化した作品。◎は[[実写映画]]化した作品。<br /><br />
●は[[プログラムピクチャー]]として公開された作品。△は[[ラジオドラマ]]化した作品。<br /><br />
▲は舞台化した作品。□は[[Vシネマ]]及び[[OVA]]化した作品。×は未刊行作品。<br />
==== 1960年代 ====<br />
; 1961年<br />
* ハリケーンGメン(作画:[[九里一平]])<br />
; 1962年<br />
* ''[[チャンピオン太]]''(作画:[[吉田竜夫]])<br />
* 0戦チャンピオン(高森朝雄名義、作画:吉田竜夫)<br />
; 1963年<br />
* ×[[新戦艦大和]](作画:団鉄也)<br />
* ×忍者 宮本武蔵(作画:どやたかし)<br />
* ×忍者柴田(作画:[[古城武司]])<br />
* 大空三四郎(作画:吉田竜夫)<br />
* ふりそで剣士(作画:東浦美津夫)<br />
* ハリス無段(作画:吉田竜夫)<br />
; 1964年<br />
* ×二刀流力道山(作画:水島朗)<br />
* ×空手にかけたちかい(作画:[[荘司としお]])<br />
* ×潜艦豊登(作画:水島朗)<br />
* ×未来人王(作画:古城武司)<br />
; 1965年<br />
* 魔犬ムサシ(作画:[[石川球太]]) ※『魔犬ムサシ号』改題<br />
* ×まぼろし大将(作画:左馬一平)<br />
* ×忍法太平洋戦記 空母島(作画:[[辻なおき]])<br />
* ×忍法太平洋戦記 姿なき英雄(作画:荘司としお)<br />
* ×大妖虫サソラ(作画:鹿野さとる)<br />
; 1966年<br />
* 偉大なる王(作画:古城武司)<br />
* ○△▲□'''[[巨人の星]]'''(作画:[[川崎のぼる]])<br />
* 吹けよ!カミカゼ(作画:古城武司)<br />
* 大魔鯨(作画:川崎のぼる)<br />
* ×鉄人レーサー(作画:[[堀江卓]])<br />
; 1967年<br />
* '''[[夕やけ番長]]'''(作画:荘司としお)<br />
* 挑戦者AAA(作画:[[永島慎二]])<br />
* 白い魔神(作画:川崎のぼる)<br />
* ×[[キングコング]](高森朝雄名義、作画:[[一峰大二]]) ※テレビアニメ『キングコング』のコミカライズ版<br />
* ×巨人の星 黒部猛巳編(作画:川崎のぼる)<br />
* ×キングコング(高森朝雄名義、作画:一峰大二) ※[[月刊少年マガジン|別冊少年マガジン]]連載、テレビアニメ『キングコング』のコミカライズ版<br />
* ●''[[柔道一直線]]''(作画:永島慎二、[[斎藤ゆずる]])<br />
* ×巨人の星 ポール矢吹編・前編(作画:川崎のぼる) ※なお後編は川崎のぼる氏の事故による入院のため発表されていない<br />
* 泣き笑い番長(作画:[[水島新司]]) ※『ファイティング番長』改題<br />
* ×青春球場(作画:[[園田光慶]])<br />
* ×[[キャプテン・スカーレット]](作画:園田光慶)※テレビSF人形劇『キャプテン・スカーレット』のコミカライズ版。<br />
* ×火の玉レーサー カミカゼ(作画:園田光慶)<br />
; 1968年<br />
* ○◎△▲'''[[あしたのジョー]]'''(高森朝雄名義、作画:[[ちばてつや]])<br />
* 特攻3万メートル(作画:[[横山まさみち]])<br />
* ◎●'''[[タイガーマスク]]'''(作画:辻なおき)<br />
* [[甲子園の土]](作画:一峰大二)<br />
* ×鬼とオレたち(作画:石井いさみ)<br />
* 男の条件(作画:川崎のぼる)<br />
* 巨人の星 青島光彦編(作画:川崎のぼる)<br />
* ×レーサーの喪章は赤いバラの花(作画:[[宮谷一彦]])<br />
* [[ジャイアント台風]](高森朝雄名義、作画:辻なおき)<br />
* [[白鯨]](作画:[[影丸譲也]]) ※[[ハーマン・メルヴィル]]の同名[[長編小説]]を元に構成<br />
* ×キック魂 (だましい)(作画:古城武司)<br />
; 1969年<br />
* ×たいよう先生(作画:石井いさみ)<br />
* プロレス悪役シリーズ(作画:一峰大二) ※『プロレス悪役物語』改題<br />
* 復讐記(作画:影丸譲也) ※[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]の[[小説]]『[[モンテ・クリスト伯]]』を脚色、構成<br />
* ●'''[[キックの鬼]]'''(高森朝雄名義〔ただし途中まで〕、作画:[[中城健|中城けんたろう]])<br />
* ×ミュンヘンの虹(作画:[[峯岸ひろみ]])<br />
* キック魂 (ガッツ)(作画:[[南波健二]])<br />
* [[虹をよぶ拳]](作画:[[つのだじろう]])<br />
* 友情山脈(作画:福原秀美)<br />
* ×ケンよ海で泣け(作画:[[小沢さとる]])<br />
* 夕やけ番長(作画:荘司としお) ※[[週刊少年チャンピオン]]連載<br />
* モーレツ!巨人(作画:石井いさみ)<br />
* 狼よ!なぜ走る(作画:つのだじろう)<br />
* 格闘王V(作画:[[みね武]])<br />
<br />
==== 1970年代 ====<br />
; 1970年<br />
* '''[[赤き血のイレブン]]'''(作画:園田光慶、深大路昇介)<br />
* キリマンジャロの風(高森朝雄名義、作画:石川球太)<br />
* [[太陽の恋人|朝日の恋人]](作画:[[かざま鋭二]])<br />
* 野獣の弟(作画:石井いさみ)<br />
* ×人生二勝一敗(作画:[[聖日出夫]])<br />
* おとこ道(作画:[[矢口高雄]])<br />
* ×城と太陽と名探偵(作画:[[横山光輝]])<br />
* [[金田正一]]物語 どあほう一念!!400勝(作画:菅原卓也)<br />
; 1971年<br />
* ケンカの聖書(作画:石井いさみ)<br />
* 熱血モーレツ記者(作画:荘司としお) ※『猪突猛進記者』改題<br />
* 柔道一直線 鬼車青春双六(作画:斎藤ゆずる)<br />
* ×[[ファイティング原田]]物語 挑戦!!連打する男(作画:菅原卓也)<br />
* 柔道一直線 鬼車の子守り歌(作画:斎藤ゆずる)<br />
* 柔道一直線 大完結編(作画:斎藤ゆずる)<br />
* ''太陽の恋人''(作画:かざま鋭二)<br />
* ◎'''[[空手バカ一代]]'''(作画:つのだじろう、影丸穣也)<br />
* 斬殺者(作画:[[小島剛夕]])<br />
* ●'''[[侍ジャイアンツ]]'''(作画:[[井上コオ]])<br />
* 陽気蝮 乱世の梟雄 斎藤道三伝(作画:[[小山春夫]])<br />
; 1972年<br />
* ×夕日の恋人(作画:かざま鋭二)<br />
* 剣は道なり(作画:荘司としお)<br />
* '''[[柔道讃歌]]'''(作画:[[貝塚ひろし]])<br />
* ◎□[[ボディガード牙]](作画:中城健)<br />
; 1973年<br />
* ◎△▲''[[愛と誠]]''(作画:[[ながやす巧]])<br />
* 一騎名勝負劇場(作画:小山春夫、菅原卓也、左馬一平、中城健、武藤康也、水島健一朗)<br />
* [[おれとカネやん]](作画:古城武司)<br />
* ×プロレス地獄変 うそつき魔王(作画:[[宮谷一彦]]、いしだ晋一、朝香慶朗、下田文博)<br />
* [[紅の挑戦者]](高森朝雄名義、作画:中城健)<br />
; 1974年<br />
* 新 ボディガード牙 カラテ地獄変(中城健)<br />
* ×ウルフの調書(作画:南波健二)<br />
* ×[[長嶋茂雄]]物語 炎の讃歌(作画:貝塚ひろし)<br />
* ◎若い貴族たち(作画:[[佐藤まさあき]])<br />
* 世界ケンカ旅行 空手戦争(共同原作:[[大山倍達]]、作画:守谷哲己)<br />
; 1975年<br />
* 花も嵐も(作画:川崎のぼる)<br />
* 朝焼けの祈り(作画:かざま鋭二)<br />
* 巨人の太陽(作画:古城武司)<br />
* ''天下一大物伝''(作画:[[大島やすいち]])<br />
; 1976年<br />
* ×悪役天使(作画:一大寺鉄)<br />
* [[ゴッド・アーム]](作画:[[桑田次郎]])<br />
* マットの獅子王 [[アントニオ猪木]]伝(構成:[[真樹日佐夫]]、作画:[[小畑しゅんじ]])<br />
* ×花と十字架(作画:古城武司)<br />
* 明日へキックオフ(作画:[[前田俊夫]])<br />
* ●'''新巨人の星'''(作画:川崎のぼる)<br />
* [[格闘士ローマの星]](作画:[[ふくしま政美]])<br />
* ◎[[恋人岬]](作画:[[牧美也子]])<br />
; 1977年<br />
* 序章 火乃家の兄弟(作画:かざま鋭二)※後に『青春山脈』と改題<br />
* 拳鬼奔る(作画:ふくしま政美、[[ケン月影]])<br />
* 昭和一代女(作画:[[上村一夫]])<br />
* 英雄失格(作画:[[やまさき拓味]])<br />
* ×巨人の星 [[王貞治]](作画:[[関谷ひさし]])<br />
; 1978年<br />
* 青春山脈(作画:かざま鋭二)<br />
* 熱球讃歌(作画:貝塚ひろし)<br />
* あゝ五高 武夫原頭に草萌えて(作画:影丸穣也)<br />
* ◎[[四角いジャングル]](作画:中城健)<br />
* 巨人の星外伝 それからの飛雄馬(作画:川崎のぼる)<br />
* おかあさん(作画:はしもとかつみ)<br />
* □[[新カラテ地獄変]](作画:中城健、影丸譲也)<br />
; 1979年<br />
* ×真説 柳生十兵衛(作画:小島剛夕)<br />
* □人間兇器(作画:中野喜雄)<br />
* 巨人のサムライ炎(作画:影丸穣也)<br />
* 哀愁荒野(作画:[[松久由宇]])<br />
* ×最強・最後のカラテ(構成:真樹日佐夫、作画:岡本春助)<br />
* ×[[ウィリー・ウィリアムス (格闘家)|ウィリー・ウィリアムス]]物語 黒い必殺拳(作画:古城武司)<br />
* 雨の朝サブは…(作画:[[下條よしあき]])<br />
<br />
==== 1980年代 ====<br />
; 1980年<br />
* 初恋物語(作画:[[小野新二]])<br />
* [[プロレススーパースター列伝]](作画:[[原田久仁信]])<br />
* 覆面プロレス王 タイガーマスク(作画:[[宮田淳一]]) ※後に『タイガーマスク二世』と改題<br />
* ×さらばサザンクロス(作画:かざま鋭二)<br />
; 1981年<br />
* ×SP長い顎(作画:ほり善明)<br />
* ×[[タイガーマスク二世]](作画:[[つはらよしあき]]) ※コミックまるまる連載<br />
* '''タイガーマスク二世'''(作画:宮田淳一) ※増刊少年マガジン連載<br />
; 1982年<br />
* 悪役ブルース(作画:[[峰岸とおる]])<ref name="OS">梶原が暴行事件によって逮捕され連載中止。</ref><br />
* ×ザ・レフェリー(作画:中城健)<br />
* ×おんなプロレス地獄変 女子プロレスラー紅子(作画:中城健)<ref name="OS" /><br />
* 正編カラテ地獄変(作画:中城健→影丸譲也)<ref name="OS" /><br />
; 1985年<br />
* [[男の星座|一騎人生劇場 男の星座]](作画:原田久仁信) ※連載中に梶原の死去により未完、遺作となった<br />
* 火子伝説(作画:古城武司、[[広岡球志]]) ※梶原没後に完結<br />
; 1986年<br />
* ピストン堀口物語(作画:影丸穣也) ※『ピストン堀口血戦譜 SLボクサー』改題<br />
<br />
=== 小説、絵物語 ===<br />
==== 1950年代 ====<br />
; 1953年<br />
* 勝利のかげに(絵:林唯一) ※懸賞入賞作<br />
; 1954年<br />
* 白井の王座ゆるがず<br />
* 柔道日本一<br />
* 空手鬼武勇伝(絵:富賀正俊)<br />
* 無敵鬼殺し<br />
* 全米にとどろく鬼六段前田<br />
* 涙の柔道王<br />
* リングの兄弟<br />
* 勝利の鉄腕<br />
* 少年プロレス王 鉄腕リキヤ(絵:[[吉田竜夫]])<br />
* 空手王のいかり(絵:[[池田宏]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}})<br />
* 鉄腕嵐をこえて(絵:林唯一)<br />
* クリスマスの決斗(絵:池田浩晶)<br />
* 日本のマンモス力道山(絵:千葉浩)<br />
* ほまれの鉄腕(絵:岩井泰三)<br />
; 1955年<br />
* 荒野の快男児(絵:吉田竜夫)<br />
* 十六才の拳闘王<br />
* 少年拳闘王(絵:岩井泰三)<br />
* 力道山対木村の大試合(絵:[[湯浅利八]])<br />
* 世界一強い男<br />
* 宙とぶ巨人<br />
* 少年拳闘王<br />
* あおげ大空<br />
* 日本の虎(絵:白石太郎)<br />
* 柔道か!空手か!決戦両国橋(絵:田渕創生)<br />
* 友情のタッグチーム(絵:深尾徹哉)<br />
* 少年プロレス王(絵:吉田竜夫)<br />
* [[ルー・テーズ]]物語(絵:吉田竜夫)<br />
* うなる山嵐<br />
* 日本柔道の虎(絵:豊田稔)<br />
* 木刀の快男児(絵:伊勢良夫)<br />
* 柔道王三船十段(絵:福田三郎)<br />
; 1956年<br />
* 黒帯小天狗(絵:湯浅利八)<br />
* 日本の虎(絵:湯浅利八)<br />
* リングの王者(絵:岩井泰三)<br />
* 白亞館の決闘(絵:岩井泰三)<br />
* 柔道王<br />
* 花咲く決戦(絵:槙有為男)<br />
* 講道館四天王(絵:竹山のぼる)<br />
* リングの鬼<br />
* 日本柔道のトラ(絵:岩井泰三)<br />
* 少年柔道王<br />
* 柔道小僧(絵:豊田稔)<br />
* プロレス五郎(絵:吉田竜夫)<br />
* 風雲講道館(絵:湯浅利八、豊田稔)<br />
* 少年四天王(絵:[[永松健夫]])<br />
* 竜虎二少年(絵:湯浅利八)<br />
* 拳闘絵物語 日本の虎(絵:湯浅利八)<br />
* 決戦ともえ投げ<br />
* 無敵の空気なげ<br />
* リングの二人組(絵:吉田郁也)<br />
; 1957年<br />
* 猛牛対空手王の決闘(絵:湯浅利八)<br />
* 巨人軍一刀斎(絵:霜野二一彦)<br />
* 変相魔人(絵:[[桑田次郎]])<br />
* 一升マスのちかい(絵:[[武部本一郎]])<br />
* 富士一平(絵:桜井はじめ)<br />
* 怪人よわむし男(絵:武部本一郎)<br />
* 竜巻三四郎(絵:吉田竜夫)<br />
* 大空行進曲(絵:吉田竜夫)<br />
* 柳生の虎<br />
* 怪奇探偵小説 白バラ探偵局(絵:岩田浩晶)<br />
* 講道館の竜虎(絵:石井達治)<br />
* リングの悪魔(絵:逢瀬弘)<br />
; 1958年<br />
* 豪快前田六段<br />
* 仮面の殺人者(絵:吉田郁也)<br />
* 白虎大助(絵:吉田竜夫)<br />
* 仮面の殺人鬼<br />
* 虹を呼ぶ対決<br />
* [[若乃花]]{{要曖昧さ回避|date=2016年5月}}物語 花と嵐の土俵入り<br />
* 嵐を呼ぶ新大関<br />
; 1959年<br />
* 火をはく左フック<br />
* 父と子の花道<br />
* 新人王をかけて<br />
* [[宮本武蔵]](絵:佐藤広喜)<br />
* 朝汐太郎(絵:石井達二)<br />
* 誇り高き人々(絵:[[高荷義之]])<br />
* 土俵の若武者<br />
* おどり出たホープ<br />
* やったぞ米倉<br />
* 打たせて撃つ ピストン堀口血戦譜<br />
<br />
==== 1960年代 ====<br />
; 1960年<br />
* マウンドの王者<br />
* 白銀に挑戦する男<br />
* 第一回オリンピックへの道<br />
* [[ガンファイター]](絵:[[小松崎茂]]) ※映画『ガン・ファイター』のコミカライズ版<br />
; 1961年<br />
* 拳銃王子<br />
* 千の銃口を持つ男<br />
* スポーツびっくり話(絵:霜野二一彦)<br />
* おれは力道山(絵:水野良太郎)<br />
* 新戦艦大和(絵:吉田郁也)<br />
* 力道山光浩<br />
* [[高山一夫]]物語 うなれ!!KOパンチ(絵:[[中村英夫 (洋画家)|中村英夫]])<br />
* 早うち名保安官(絵:中村英夫)<br />
; 1962年<br />
* 零戦まぼろし隊(絵:吉田郁也)<br />
* プロレス悪役物語(絵:中村英夫、[[石原豪人]])<br />
* [[力道山]]物語(絵:霜野ニ一彦)<br />
* プロレスの王者 力道山物語(絵:中村英夫)<br />
* 原田選手物語 とったぞ!!世界の王者(高森朝雄名義、絵:斉藤寿夫)<br />
* 白井選手物語 日本人初の世界チャンピオン誕生(高森朝雄名義、絵:斉藤寿夫)<br />
* 栄光!リングの鬼(高森朝雄名義、絵:中村英夫)<br />
; 1963年<br />
* 大あばれ日本ジュードー(絵:岩田浩昌)<br />
* 力道山をねらう怪人ころし屋たち(構成担当、絵:林朝路)<br />
* ああ東海に日は上る(絵:岩田浩昌)<br />
* プロレス世界選手権 力道山をねらう8人男(構成担当、絵:坂口太郎、中村猛男、南村喬、湯川久雄)<br />
* プロレス世界選手権 花形レスラー総まくり(構成担当、絵:坂口太郎、中村猛男、湯川久雄)<br />
* プロレス=ワールド戦特報(構成担、絵:中村猛男、湯川久雄)<br />
* 力道山のひみつ作戦2<br />
; 1964年<br />
* あせとなみだのゴールイン(絵:林朝路)<br />
* ニュース速報 から手チョップはもう見られない!<br />
* 怪力[[豊登]] ちかいの必殺わざ<br />
* 王者はだれ?日本のプロレス5人男(構成担当、絵:中村猛男、南村喬之、湯川久雄)<br />
* 豊登にいどむ怪人レスラー これがミイラ男だ!(絵:中村猛男)<br />
* プロレス世界のチャンピオン力くらべ(構成担当、絵:石原豪人、中村猛男、南村喬、湯川久雄)<br />
* こうして生まれた 王の合気道打法(高森朝雄名義、絵:林朝路)<br />
* 世界のチャンピオン(絵:斉藤寿夫)<br />
* 後藤又兵衛(絵:伊藤幾久造)<br />
* 忍者と秘宝(絵:[[柳柊二]])<br />
* 新プロレス悪役物語(絵:石原豪人)<br />
* 力道山のひみつ兵器(絵:石原豪人)<br />
* プロレス世界一物語(絵:石原豪人)<br />
* なぐりこみ!大宇宙(絵:前村教綱)<br />
* 無敵の忍法剣 柳生十兵衛(絵:柳柊ニ)<br />
* 快男児物語 少年ジンギスカン(絵:中村英夫)<br />
* 日本柔道はなぜ負けた!(絵:林朝路)<br />
* 長島・王の名勝負物語 三冠王への道(絵:石原豪人)<br />
* 七つボタンは桜に錨(絵:石原豪人)<br />
; 1965年<br />
* [[ルー・ゲーリッグ]]物語 愛と勇気の打げき王<br />
* 力道山にちかった世界のチャンピオン 豊登<br />
* 動物悪役物語(絵:中村英夫、石原豪人、小松崎茂)<br />
* 新しい巨人の英雄宮田投手のすべて(絵:岩田浩昌)<br />
* 世界の王者 原田選手物語(絵:上西康介)<br />
; 1966年<br />
* プロレス怪人物語(絵:中村英夫)<br />
* プロレス名勝負物語(絵:中村英夫)<br />
* プロレス世紀の恐怖試合(絵:石原豪人)<br />
* ナポレオン=ソロ危機いっぱつ(絵:[[南村喬之]])<br />
* 空とぶ ろくろ首(絵:[[水木しげる]])<br />
* プロレス速報 日本を襲撃!五人の悪魔<br />
* 義賊と捕物十番勝負(絵:佐藤広喜)<br />
* [[悪魔くん]](構成担当、原作:若林一郎、絵:水木しげる) ※[[東映]]の[[特撮]][[テレビドラマ]]の絵物語<br />
* 川崎のぼる名画劇場 命をかけた野獣との対決 人類大血闘画報(構成担当、絵:[[川崎のぼる]])<br />
; 1967年<br />
* せむし怪人ののろい(絵:中村英夫)<br />
* プロレス世界の怪人ベストテン(絵:中村英夫)<br />
* [[馬場のぼる]]決戦録 ふみつぶし魔との死闘(絵:中村英夫)<br />
* ボクシング悪役物語(絵:石原豪人)<br />
* 野球王[[ベーブ・ルース]]物語 ちかいのホームラン(絵:中村英夫)<br />
* 世界へはばたく三羽がらす<br />
* さくれつしたちかいの殺人パンチ<br />
; 1968年<br />
* 涙のホームラン王(絵:中村英夫)<br />
* プロレス必殺技シリーズ 世紀の殺しわざコブラツイスト(高森朝雄名義、絵:石原豪人)<br />
* プロレス必殺技シリーズ 驚異の石頭1本足原爆頭突き(高森朝雄名義、絵:石原豪人)<br />
* プロレス名勝負物語 首つり魔をたおせ!!(高森朝雄名義、絵:石原豪人)<br />
* 青春に旋風をよべ(絵:[[依光隆]])<br />
; 1969年<br />
* 朝焼けの悲しみ(絵:霜野二一彦) ※[[巨人の星]]誕生の秘密をあかす半自伝小説<br />
<br />
==== 1970年代 ====<br />
; 1970年<br />
* 球魂の歌(絵:[[南波健二]])<br />
; 1972年<br />
* 狼と来た夏(絵:[[貝原浩]])<br />
; 1974年<br />
* 純愛山河「[[愛と誠]]」(絵:[[ながやす巧]]) ※余話<br />
; 1979年<br />
* 父なる川([[川上哲治]]) ※小説<br />
<br />
==== その他 ====<br />
* ふたりのジョー(原案:梶原一騎・真樹日佐夫、文:[[木村光一 (小説家)|木村光一]]) ※梶原の[[プロット (物語)|プロット]]に真樹が肉付けし2002年に小説として発表。翌年OVA化された。<br />
; 年代不明<br />
* 朝の足音 ※佳作入賞作<br />
<br />
== 著作 ==<br />
* 地獄からの生還(自伝的エッセイ)ISBN 4877285075<br />
* わが懺悔録<br />
* [http://www.mandarake.co.jp/publish/hoshi/ 男たちの星]<br />
<br />
== 映画制作(三協映画) ==<br />
* 愛のなぎさ(1976年)<br />
* 地上最強のカラテ(1976年) ドキュメンタリー<br />
* 地上最強の空手PART2(1976) ドキュメンタリー<br />
* 雨のめぐり逢い(三協映画=[[松竹]]、1977年)<br />
* [[悲愁物語]](三協映画=松竹、1977年) 監督:[[鈴木清順]]、脚本:[[大和屋竺]]<br />
* 世紀の真剣勝負 史上最強の空手 結集編(1977年) ドキュメンタリー<br />
* マッハ'78(松竹=三協映画、1978年)<br />
* カラテ大戦争(松竹=三協映画、1978年)<br />
* 格闘技世界一 四角いジャングル (1978年) ドキュメンタリー<br />
* 激突!格闘技 四角いジャングル(1979年) ドキュメンタリー<br />
* 最強最後のカラテ(1980年) ドキュメンタリー<br />
* あしたのジョー(三協映画=富士映画=ヘラルドエンタープライズ、1980年)<br />
* 格闘技オリンピック(1980年) ドキュメンタリー<br />
* リトルチャンピオン(松竹=三協映画、1981年)<br />
* あしたのジョー2 (三協映画=ヘラルドエンタープライズ=富士映画=ちば企画、1981年)<br />
* 巨人の星(1982年)<br />
* [[もどり川]](1983年)( 監督:[[神代辰巳]]、脚本:[[荒井晴彦]]、原作:[[連城三紀彦]]「戻り川心中」)<br />
<br />
== 原作の実写映画化 ==<br />
* [[ボディガード牙]] ([[東映]]、[[1973年の日本公開映画|1973年]])<br />
* ボディガード牙 必殺三角飛び (東映、1973年)<br />
* 愛と誠 ([[松竹]]、芸映プロ、[[1974年の日本公開映画|1974年]])<br />
* [[けんか空手 極真拳]] (東映、[[1975年の日本公開映画|1975年]])<br />
* けんか空手 極真無頼拳 (東映、1975年)<br />
* 若い貴族たち 13階段のマキ (東映、1975年)<br />
* 続 愛と誠 (松竹、1975年)<br />
* 愛と誠 完結篇 (三協映画、[[1976年の日本公開映画|1976年]])<br />
* [[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]] (東映、[[1977年の日本公開映画|1977年]])<br />
* 恋人岬 (松竹、1977年)<br />
* カラテ大戦争 (松竹、三協映画、[[1978年の日本公開映画|1978年]])<br />
* [[タイガーマスク (映画)|タイガーマスク]] (2012タイガーマスク製作委員会、[[2013年の日本公開映画|2013年]])<br />
<br />
== 梶原一騎の人生を描いた作品、映画 ==<br />
* 『すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史』(2003年)( 原作、脚本:[[真樹日佐夫]])<br />
* 『[[木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか]]』 ※梶原一騎や真樹日佐夫が実名で登場する[[ノンフィクション]]<br />
<br />
== 大日本プロレス設立計画 ==<br />
* [[昭和]]後期に梶原が設立を計画した[[プロレス]][[団体]]。結局不成立となった。<br />
* [[1994年]][[12月21日]]に設立したプロレス団体「[[大日本プロレス]]」とは無関係である。<br />
{|class="wikitable"<br />
|+証言<br />
!出典!![[門茂男]]『馬場・猪木の真実』,角川文庫,[[1985年]](昭和60年)!![[ユセフ・トルコ]]『プロレスへの遺言状』,[[2002年]](平成14年)<br />
|-<br />
!証言者<br />
|colspan="2" align="center"|ユセフ・トルコ<br />
|-<br />
!時期<br />
|[[1978年]](昭和53年)9月 <br />
|[[1983年]](昭和58年)<br />
|-<br />
!出資者<br />
|colspan="2" align="center"|'''梶原一騎'''<br />
|-<br />
!出資額<br />
|colspan="2" align="center"|1億5千万円<br />
|-<br />
!放映テレビ局<br />
|colspan="2" align="center"|[[フジテレビジョン|フジテレビ]]<br />
|-<br />
!社長<br />
|colspan="2" align="center"|[[豊田泰光]](当時・フジテレビ専属スポーツ解説者)<br />
|-<br />
!他の役員<br />
| |<br />
*[[吉村道明]]<br />
*トルコ<br />
|<br />
|-<br />
!エース選手<br />
|colspan="2" align="center"|<br />
*[[高見山大五郎|高見山]](当時大相撲現役。先代[[東関]]親方)<br />
*[[千代の富士貢|千代の富士]](当時大相撲現役。先代[[九重 (相撲)|九重]]親方)<br />
|-<br />
!他の所属選手<br />
| <br />
|<br />
*[[アントニオ猪木]]<br />
*[[ジャンボ鶴田]]<br />
*[[佐山聡|タイガーマスク]]<br />
*後の[[ジャパンプロレス]]のメンバー<br />
|-<br />
!崩壊の理由<br />
|colspan="2" align="center"|<br />
出資金を一時預かった関係者がほぼ全額私的流用した<br />
|-<br />
!その関係者とは<br />
| 役員の一人で、もともとは[[豊登道春|豊登]]の有力な[[タニマチ]]<br />
|<br />
若いスタッフ<br />
|-<br />
!使い込みの詳細<br />
|土地関係の仕事<br />
|道場建設の時に騙されて、そこから雪だるま式に使い込み<br />
|}<br />
* なお[[サムソン・クツワダ]]が、同じく[[1977年]](昭和52年)近辺において、社長=岩田弘([[国際プロレス|TBSプロレス]]元社長)、エース=高見山・鶴田・[[渕正信]]・[[大仁田厚]]で新団体を作るという構想があったことを自ら暴露している。岩田と懇意にしていた[[笹川良一]]の庇護が期待できたという([[吉田豪]]『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝 part1』[[kamipro]] books)<br />
<br />
== 出演 ==<br />
; 映画<br />
* [[けんか空手 極真拳]] ([[1975年]]、[[東映]]) - 本人<br />
* 愛と誠 完結篇 (三協映画、1976年)<br />
* 地上最強のカラテシリーズ - 本人<br />
* [[ルパン三世 ルパンVS複製人間]] - 書記長<ref>{{Cite web | url = http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20140328/index.html| title = ルパン三世 ルパンVS複製人間| publisher = 金曜ロードSHOW!| accessdate = 2016-06-05}}</ref>(声優として特別出演)<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 高森篤子『妻の道-梶原一騎と私の二十五年』、JICC出版局、[[1991年]][[11月]]。ISBN 4-7966-0219-4<br />
* {{Cite book|和書 |author=蕪木和夫|title=劇画王 梶原一騎評伝|publisher=[[風塵社]]|date=1994年1月|ISBN=4-938733-07-2|ref={{SfnRef|蕪木}}}}<br />
* {{Cite book|和書 |editor=[[高取英]]|title=「梶原一騎」をよむ|publisher=[[ファラオ企画]]|date=1994年4月|ISBN=4-89409-050-3|ref={{SfnRef|高取}}}}<br />
* {{Cite book|和書 |author=[[植地毅]]・[[宇田川岳夫]]・[[吉田豪]]|title=マンガ地獄変|publisher=[[水声社]]|date=1996年10月|ISBN=978-4-89176-341-1|ref={{SfnRef|地獄変}}}}<br />
* {{Cite book|和書 |author=大塚祐哉|title=梶原一騎、そして梶原一騎|publisher=風塵社|date=1997年10月|ISBN=4-938733-37-4|ref={{SfnRef|大塚}}}}<br />
* [[真樹日佐夫]]『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』(『ちくま文庫』)、[[筑摩書房]]、[[2000年]][[4月]]。ISBN 4-480-03553-2 ※原著は、[[真樹日佐夫]]『荒野に一騎咆ゆ-風靡し壮烈に散った劇画界巨星の慟哭の鎮魂譜』([[日本文芸社]]、[[1987年]][[10月]]。ISBN 4-537-02077-6)を改題改訂した『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』([[飯倉書房]]、[[1997年]][[1月]]。ISBN 4-8422-0307-2)。<br />
* [[斎藤貴男]]『梶原一騎伝』(『新潮文庫』)、[[新潮社]]、[[2001年]][[3月]]。ISBN 4-10-148731-6 ※原著は、{{Cite book|和書 |author=斎藤貴男|title=夕やけを見ていた男-評伝 梶原一騎|publisher=[[新潮社]]|date=1995年1月|ISBN=4-10-403001-5|ref={{SfnRef|斎藤}}}}<br />
* 山本鎭雄『劇画『巨人の星』を読む(第2部・第3部補遺)」 『社会学的世界 増補改訂版』([[恒星社厚生閣]]、[[2001年]])<br />
* {{Cite book |和書 |author = 渡邊一久 |authorlink = 渡辺一久 (極真) |editor = [[フル・コム]] |title = 幻の大山道場の組手 かつて地上最強の空手は実在した |origdate = 2013-5-6 |edition = 初版第1刷 |publisher = [[東邦出版]] |series = [[BUDO-RA BOOKS]] |id = C0075 |isbn = 978-4-8094-1118-2 |oclc = 841143377 |ref = 渡邊 }}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[士道館]]<br />
* [[添野義二]]<br />
* 大室山一騎道場 - [[静岡県]][[伊東市]]にある士道館の道場。梶原一騎の碑があり、士道館の門下生たちがよく掃除をしに訪れる<br />
* [[スポ根]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.kajiwara-ikki.com 梶原一騎 Official Site]<br />
*[http://www.mangaz.com/title?query=梶原一騎 マンガ図書館Z無料配信中作品]- [[マンガ図書館Z]]<br />
<br />
{{タイガーマスク}}<br />
{{巨人の星}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:かしわら いつき}}<br />
[[Category:梶原一騎|*]]<br />
[[Category:日本の漫画原作者]]<br />
[[Category:日本の小説家]]<br />
[[Category:日本の随筆家]]<br />
[[Category:プロレスの関係者]]<br />
[[Category:タイガーマスク]]<br />
[[Category:アントニオ猪木]]<br />
[[Category:ジャイアント馬場]]<br />
[[Category:力道山]]<br />
[[Category:極真会館]]<br />
[[Category:東京都区部出身の人物]]<br />
[[Category:1936年生]]<br />
[[Category:1987年没]]</div>
117.18.216.16
贖銅
2018-04-14T22:42:10Z
<p>117.18.216.16: </p>
<hr />
<div>'''贖銅'''(しょくどう/ぞくどう)は、実刑の代わりに罪相当額の[[銅]]を[[官司]]へ納入する換刑であり、罰金・財産刑の側面をもつ。[[日本]]では[[養老律令]]の時代に最初に制定された。<br />
<br />
==概要==<br />
[[律令制]]で定められた[[五罪]]([[笞罪]]・[[杖罪]]・[[徒罪]]・[[流罪]]・[[死罪 (律令法)|死罪]])について、銅を納めることで刑罰を免じられた。<br />
*適用意図として、身分的特権によるもの、老人や子供、障害者などに対する配慮など換刑を意図したものと、過失犯や疑罪(推定有罪)該当者に対する配慮など犯罪の特性に由来する法定刑的な刑罰に分かれている。<br />
*徴収された贖銅は傷害罪や誣告罪の場合には被害者の家に与えられたが、原則的には国家に帰して[[贓贖司]]において獄舎の修理や囚人の衣料・薦席・薬品代などにあてられた(同司廃止後は[[刑部省]]が直接行った)。<br />
<br />
=== 換算率 ===<br />
笞罪は10回につき1斤、杖罪も10回につき1斤(ただし杖の回数は最低60回から最高100回までであるため、実際の支払は6-10斤の間となる)、徒罪(1-3年)の場合には20-60斤(半年増加ごとに10斤増加)、流罪の場合には近流80斤、中流90斤、遠流100斤、死罪の場合には200斤。銅以外でも銭や稲、布など銅に代わり得る物での納付も認められており、[[986年]]には銭60文を銅1斤に換算することが定められている。平安時代になると実刑を回避する手段ばかりではなく、銅を請求する事例も増えた。<br />
<br />
=== 納付期限 ===<br />
判決が出されてより笞罪が30日、杖罪は40日、徒罪は50日、流罪が60日、死罪が80日と差があった。また、官人の場合には[[官当]]による換刑を行い、その不足分を贖銅で補わせた。これを'''当贖'''(とうしょく/とうぞく)と呼ぶ。更に[[議請減贖]]の資格者の親族や七位もしくは勲六等以上の者の父母妻子及び五位以上の者の妾が流罪以上の対象になった場合にも[[蔭位|蔭]]の一種として、贖銅による減刑が行われる場合もあった。これを'''蔭贖'''(おんしょく/おんぞく)という。ただし、刑罰によっては蔭贖が認められない場合もあった。反対に贖銅が払えない者も直ちに実刑を受けず、官人であれば[[位禄]]・[[季禄]]などを差し押さえ、庶民であれば官の労役に従うことで贖銅の代わりとされた。時代が下ると[[検非違使]]によって強制的に徴収される事例もあった。<br />
<br />
==贖銅の事例==<br />
*[[1147年]] [[平清盛]]は祇園闘乱事件がきっかけで、[[鳥羽天皇|鳥羽法皇]]より30斤の贖銅を命ぜられている。<br />
<br />
==参考文献==<br />
*利光三津夫「贖銅」(『国史大辞典 7』(吉川弘文館、1986年) ISBN 978-4-642-00507-4)<br />
*高塩博「贖罪」「贖銅」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)<br />
*赤木志津子「蔭贖」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)<br />
*水本浩典「蔭贖」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6)<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しよくとう}}<br />
[[Category:日本の律令制]]<br />
[[Category:日本の刑罰史]]<br />
[[Category:財産刑]]<br />
<br />
{{Japanese-history-stub}}</div>
117.18.216.16
青酸コーラ無差別殺人事件
2017-12-03T03:17:28Z
<p>117.18.216.16: /* 事件を題材にした作品 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 事件・事故<br />
| 名称 = 青酸コーラ無差別殺人事件<br />
| 画像 = <br />
| 脚注 = <br />
| 場所 = [[東京都]]、[[大阪府]]<br />
| 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = <br />
| 経度度 = |経度分 = |経度秒 = <br />
| 日付 = [[1977年]]([[昭和]]52年)[[1月4日]] - 2月半ば<br />
| 概要 = 無差別殺人事件<br />
| 手段 = [[シアン化ナトリウム]]<br />
| 攻撃人数 = 不明<br />
| 標的 = 民間人<br />
| 被害者 = 3人死亡(内1人自殺)、1人意識不明<br />
| 損害 = <br />
| 犯人 = 不明<br />
| 動機 = 不明<br />
| 謝罪 = 無し<br />
}}<br />
'''青酸コーラ無差別殺人事件'''(せいさんコーラむさべつさつじんじけん)とは、[[1977年]]([[昭和]]52年)[[1月4日]]から2月半ばまで、[[東京]]・[[大阪]]で起こった[[無差別殺人]][[事件]]である。[[シアン化ナトリウム]](青酸ソーダ)入りの[[コカ・コーラ]]を飲んだ[[会社員]]らが死亡した。'''毒入りコーラ事件'''とも呼ばれる。<br />
<br />
== 第1の事件(東京) ==<br />
[[1977年]](昭和52年)[[1月3日]]午後11時半ごろ、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]で[[東海道新幹線]]の[[食堂車|列車食堂]]の[[アルバイト]]に就いていた男子高校生(当時16歳、[[京都市]]在住)が、[[アルバイト]]先から宿舎へ戻る途中、[[品川駅]]近くの品川スポーツランド(現在の[[品川プリンスホテル]]:[[1978年]](昭和53年)開業)正面にある[[日本の公衆電話|公衆電話]]に置かれていた、未開封のコカ・コーラを拾い、宿舎に持ち帰った。翌4日の午前1時過ぎに飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じ、すぐに吐き出し[[水道水]]で[[口]]を漱ぐが、突然倒れてしまった。男子高校生は意識不明の[[重体]]となり、直ちに[[病院]]に運ばれ、[[胃洗浄]]などの[[救命処置]]が行われたが、まもなく死亡した。死因は[[青酸]]中毒だった。<br />
<br />
== 第2の事件(東京) ==<br />
同月4日の午前8時15分頃、前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから、第1京浜国道道路を約600m北に行った歩道上で、作業員(当時46歳)が倒れているのが発見され、こちらも病院に運ばれたが死亡が確認された。死因は第一の事件と同様に青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、男性が開栓したとみられるコーラのびんが発見され、残っていたコーラから青酸反応が検出された。<br />
<br />
[[警察]]が周辺を[[捜索]]したところ、同日午後0時すぎ頃、作業員がコーラを拾った電話ボックスから約600m離れた[[品川区]]にある商店の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。それ以前にその商店の息子(当時15歳)が用事で出かける際にこのコーラを発見していたが、用事の後に飲もうと思いそのまま出掛けたため、間一髪で難を逃れている。彼がコーラに毒物が入っていた事を知ったのは、用事から帰宅した時に[[警察官]]が来訪していたからであった。<br />
<br />
警察は一連の事件を受け、同一犯の可能性が高いとみて、コーラが人気である[[若者]]世代や、青酸化合物を入手しやすい[[塗装]]業・[[加工]]業者をあたったが、物証に乏しく、[[犯人]]・犯行を特定できず、事件は謎を多く残したまま[[1992年]](平成4年)1月4日午前0時(日本時間・[[UTC+9]])をもって[[公訴時効]]となった。<br />
<br />
== 第3の事件(大阪) ==<br />
東京の事件から約1ヶ月後の2月13日午前6時20分頃、[[大阪府]][[藤井寺市]]に住む[[会社員]]の男性(当時39歳)が出勤途中に[[タバコ]]を買うため立ち寄った酒屋の公衆電話に、中身の入ったコーラのびんが置かれているのを発見し、飲んだところ突然意識不明に陥り病院に運ばれた。男性が飲んだコーラのびんからは青酸反応が検出された。男性は一命を取り留めたが、退院した翌日に[[自宅]]で[[ガス燃料|ガス]][[自殺]]した。<br />
<br />
[[遺書]]はなかったが、死の直前には[[家族]]などに「'''東京の事件を知っていたのにこのような事態になって世間に顔向けできない'''」と漏らしていたという。<!--(「事件は知ってはいるが、当事者になるとは思わなかった」など容易に推測されるため、まるで意味のある謎として取り扱うべきではないと考慮しコメントアウトしました。) しかし、なぜ東京の事件を知った上でコーラを拾って飲んだのかは謎である。 -->また、「誰もコーラを飲んだ場面を見ていない」「男性の出た症状には青酸中毒特有の症状がなかった」との[[報道]]もあった。<!--(疑問の前提として前述の条件が確定しているのか不明なため、報道に変更しました。確定および出展がある場合はその旨と共に再編集願います)という疑問がある。 --><br />
<br />
== 第4の事件?(東京) ==<br />
<!--[[バレンタインデー]]を狙った青酸入り[[チョコレート]]事件もあった。-->翌日の2月14日、[[東京駅]]の[[八重洲]]地下街で、[[会社]][[社長]]の男性(当時43歳)が階段のところに[[チョコレート]]40箱入りの紙袋が置かれているのを発見した。男性は、一連の青酸コーラ事件から「このチョコレートにはもしや…」と疑い、警察に届けた。<br />
<br />
警察では当初、遺失物扱いされたが落とし主が出てこないため、製造者に返却した。[[製造]]会社がこれを調べたところ、[[製造番号]]が破りとられていたことから不審に思い、研究所で調べたところ青酸化合物が検出された。<br />
<br />
製造者が再び警察に届け、[[無差別殺人]]事件として[[捜査]]したがこの件でも犯人[[逮捕]]はできなかった。またこのチョコレート箱には「''オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス''」(驕れる醜い[[日本人]]に[[天誅]]を下す)などと[[カタカナ]]のゴム印による脅迫文らしきものが添付されていた。<br />
<br />
この事件と第1〜3の事件との関連性は不明である。<br />
<br />
== 第5の事件?(東京) ==<br />
同じく2月14日、東京駅の隣接駅である[[神田駅 (東京都)|神田駅]]の[[トイレ]]でチョコレートを拾った男性がいた。彼は[[電車]]に乗るとこれを食べたが、意識不明となって[[秋葉原駅]]から[[救急車]]で病院に搬送された。病院では[[食中毒]]と診断される。幸いにも命に関わるようなものではなく、本人は意識が戻り翌日には退院している。<br />
<br />
当時これは同じ日に[[神田 (千代田区)|神田]]で発生した青酸チョコレート事件とは関連が無いと思われていた。ただの食中毒という診断だったため警察への届けも無かったのである。しかし翌年になって神田の話が[[刑事|捜査員]]の耳に入り、拾った本人から提供されたチョコレートを分析したところ微量の[[青酸ナトリウム]]が含有されていたことが判明した。<br />
<br />
== 第6、第7の事件?(東京) ==<br />
2件の青酸チョコレート事件を受けて警察が改めて捜査を行なったところ、2月14日以前にもチョコレートの入ったバッグが東京駅に置かれているのを見たと言う複数の[[証言]]があった。これらのチョコレートを置いたのは同一人物で、コーラに青酸を入れた犯人である可能性が高いと言われたが真相は判明していない。なお、このチョコレートについての詳細は不明。<br />
<br />
== 事件の影響 ==<br />
当時まだ、250ml[[リターナブル瓶|リターナブルボトル]]の[[自動販売機]]による販売は珍しくなかったが、この事件を契機に急速に数を減らし、有人店のセルフサービスとして数える程度が残った。このような事件を防ぐため、一度開栓したら元の状態に戻すことの出来ないプルトップ付き缶(250mlストレート缶)が、自動販売機の主流になり、ビンでの販売も、缶用の自販機で扱え、尚且つ一度開栓したら、他者からその状態が分かるスクリューキャップボトルへ変更された。<br />
<br />
また、その場で購入したもの等以外の飲食物は、決して拾い食いしないように呼びかけたこともあってか、同様な事件は、これ以降なくなっている。<br />
<br />
==備考==<br />
*1997年から1999年にかけ、[[講談社]]から発行された『週刊 日録20世紀』の33号(この号では、1977年が取り上げられた)において、最初の2つの事件(本項目での“第1の事件”と“第2の事件”がこれに該当)が取り上げられ、被害者の実名も紹介された。<br />
<br />
== 事件を題材にした作品 ==<br />
* 舞台『有栖川家の密やかな愉しみ』([[楽劇座]]/作:関口純)- [[不思議の国のアリス]]に登場する「eat me」「drink me」と本事件を関連づけて、コーラを飲んでしまった被害者の心の闇を描いている。<br />
* [[ドーベルマン刑事]] - 「大都会の孤独!!」「新婦警沙樹ちゃん」の両エピソードは、本事件を基にしたストーリーである。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[パラコート連続毒殺事件]]<br />
* [[グリコ・森永事件]]<br />
* [[全日空817便ハイジャック事件]] - ハイジャック犯が青酸で自殺<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030150_00000 青酸コーラ 殺人事件(1977年)] - [[NHKアーカイブス]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:せいさんこおらむさへつさつしんしけん}}<br />
[[Category:昭和時代戦後の殺人事件]]<br />
[[Category:品川区の歴史]]<br />
[[Category:千代田区の歴史]]<br />
[[Category:戦後の東京]]<br />
[[Category:藤井寺市の歴史]]<br />
[[Category:日本の未解決殺人事件]]<br />
[[Category:連続殺人事件]]<br />
[[Category:毒物を使用した事件]]<br />
[[Category:無差別殺人事件]]<br />
[[Category:1977年の日本の事件]]<br />
[[Category:1977年1月]]<br />
[[Category:1977年2月]]</div>
117.18.216.16
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