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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=115.37.19.152&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-25T08:28:29Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 極左 2018-03-30T01:51:24Z <p>115.37.19.152: /* 極右や右翼との共通点 */</p> <hr /> <div>{{政党政治}}<br /> &#039;&#039;&#039;極左&#039;&#039;&#039;(きょくさ、[[英語|英]]:far left, extreme left)、または&#039;&#039;&#039;急進左翼&#039;&#039;&#039;([[英語|英]]:radical left)、または&#039;&#039;&#039;革命的左翼&#039;&#039;&#039;([[英語|英]]:revolutionary left)とは、極端に[[左翼]]的な[[思想]]、人物、党派、勢力を指す。[[対義語]]は[[極右]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> {{未検証|section=1|date=2010年5月}}<br /> 「極左」とは、[[左翼・右翼]]の視点における用語で、その思想の性質や比重などが極端に[[左翼|左派]]である思想や個人や集団を指す。極左は通常は、[[平等主義]]&lt;ref&gt;Left and right: the significance of a political distinction, Norberto Bobbio and Allan Cameron, University of Chicago Press, 1997. pp. xvii, 37.&lt;/ref&gt;・[[社会階層]]上の政治的、経済的、社会的な権力層に対する徹底した反対と闘争&lt;ref&gt;Altemeyer, Bob. &#039;&#039;The authoritarian specter&#039;&#039;. President and Fellows of Harvard College, 1996. p. 219.&lt;/ref&gt;を主張し、支配階級に関連する人々と敵対する&lt;ref&gt;Altemeyer, Bob. &#039;&#039;Personality and democratic politics&#039;&#039;. President and Fellows of Harvard College, 1996. Berkeley and Los Angeles, California, USA; London, England, UK: University of California Press, 1975. p. 203.&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 「極左」や「極右」の用語は学者により多くの意味で使用され、相互に矛盾するものも含まれる。また「極左」や「極右」はあくまで相対的な用語であり、自称する例は少なく、[[レッテル]]張りに使われる場合も多い。<br /> <br /> 複数の[[政治的スペクトル]]の観点からは、主に経済面における「左翼」や「極左」と、主に社会面における「左翼」と「極左」には、明白な相違がある&lt;ref&gt;http://www.politicalcompass.org/analysis2&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 主に経済面における「左翼」とは通常、経済的平等を実現するために共同体や政府の役割を推進する[[社会主義]]や[[共産主義]]であり、その「極左」とは社会主義や共産主義の中で特に[[急進主義|急進的]]な思想のことである。しかし、どこからを急進的と呼ぶかは時代や学者や観点により異なる。社会主義を各国における主要産業の国営化などの[[改良主義]]と考え、その対比で共産主義革命や私有財産制の廃止などを主張する共産主義を急進主義と考える立場、共産主義の中で特に[[暴力革命]]や[[プロレタリア独裁]]を主張する[[マルクス・レーニン主義]]などを急進的と考える立場、[[一国社会主義論]]の[[ソ連型社会主義]]を批判して[[永続革命論]]を主張する[[トロツキズム]]などを急進的と考える立場、[[米ソデタント]]なども行った[[ソ連型社会主義]]と対比して、より徹底した反[[帝国主義]]闘争を主張した[[新左翼]]各派などを急進的と考える立場など、さまざまである。<br /> <br /> 主に社会的側面における「左翼」とは通常、社会的平等を実現するために[[権威]]や[[権力]]の最少化を推進する[[無政府主義]]であり、その「極左」とは無政府主義の中で特に急進的な思想のことである。しかし無政府主義は通常、統一された組織や定式化された教義なども拒否する多様な思想の総称であるため、その中の特に急進的な思想や集団の例示は困難である。<br /> <br /> また経済的側面と社会的側面の両方に関連する「左翼」は、社会主義や共産主義と無政府主義の両方の側面を持っており、代表例には[[集産主義的無政府主義]]や[[アナルコサンディカリスム]]などがある。その「極左」とは、これらの中で特に急進的な思想のことである。<br /> <br /> フランスの『極左の辞典』(Serge Cosseron編)は、「極左」を「[[共産党]]の左に位置しているすべての運動」と定義している&lt;ref&gt;Cosseron, Serge (編). Le dictionnaire de l&#039;extrême gauche. パリ: Larousse, 2007. p.20&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお思想上の急進主義ではなく、行動上の[[暴力]]主義は通常「[[過激派]]」と呼ばれる。極左の暴力主義集団は日本では通常、[[マスコミ]]では「(左翼、極左)過激派」、[[警察]]では「[[極左暴力集団]]」、[[日本共産党]]の独自用語では「[[ニセ「左翼」暴力集団]]」と呼ばれる。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{see also|社会主義#歴史|共産主義#歴史|無政府主義#歴史|新左翼}}<br /> [[近代]]における[[市民社会]]確立の契機となった[[市民革命]]は、しばしば武力を伴う暴力革命であった。その代表的な存在である[[フランス革命]]では、急進的な[[共和派]]が[[憲法制定国民議会|国民議会]]の議長席から見て左側に陣取ったため、これが[[左翼]]の語源となった。フランス革命においては、革命の進行に伴って、共和派の中でもさらに急進的な[[ジャコバン派]]が[[独裁政治]]を開始し、反対派を多数処刑する[[恐怖政治]]を行った。ジャコバン派の別称は、当時は議場においては後方の高い位置に陣取っていたことから「山岳派」となっていた。<br /> <br /> 1960代から70年代にかけて、[[ベトナム戦争]]に対する反戦運動や[[非同盟]]諸国の解放・[[民族自決]]権運動、[[冷戦]]下の西側各国における[[学生運動]]の盛り上がりなどを背景として、[[パレスチナ解放人民戦線]] (PFLP) 、[[フランス]]の[[直接行動]]グループ、[[西ドイツ]]の[[ドイツ赤軍|赤軍派]]、[[イタリア]]の[[赤い旅団]]、日本の[[日本赤軍]]などが国際テロを行う有名な極左集団として台頭した。彼らは革命や民族解放を標榜してテロや[[ハイジャック]]を頻繁に行ったが、これらの大半は過激な犯罪行為により[[テロリズム|テロリスト]]や[[過激派]]として政府当局から弾圧され、また日本においては党派間の路線対立による[[内ゲバ]]の激化による支持層やシンパの離反を招いたため、暴力革命・政府転覆という目標は達成されなかった。<br /> <br /> [[ソビエト連邦]]崩壊による冷戦終結とともに極左勢力の退潮は決定的となった。ただし従来より[[ソ連型社会主義]]を[[スターリニズム]]であり真の社会主義では無いと批判している[[新左翼]]各派は、ソ連崩壊は当然としている。<br /> <br /> 近年では、[[先進国]]においては、爆弾テロや殺人([[暗殺]])といった非合法的暴力から、[[デモ活動|デモ]]や抗議、[[プロパガンダ]]といった合法的手段への転換を標榜する傾向にあり、主に[[市民|市民派]]のグループを名乗って合法的な選挙によって議員を確保していることもしばしばある。また、[[ブント (市民団体)|ブント]](現・アクティオ・ネットワーク)のように活動手段の転換を基礎付ける形で、[[マルクス主義]]等の[[階級闘争]]史観を有する綱領を放棄するなど、政治目標においても路線転換を図った組織もある。しかし、中には、デモ行動中に暴徒化し破壊活動に走る場合もあり、それを意図してデモ参加者を扇動する党派も存在している。<br /> <br /> [[開発途上国|発展途上国]]で活発な活動を行なっているのは[[ペルー]]の[[センデロ・ルミノソ]]などがある。<br /> <br /> しかし、例えば極左に所属するフランス政党、[[トロツキー主義]]に基づいた[[反資本主義新党]]や[[労働者の闘争党]]などはテロに反対し、トロツキー自身もテロという戦略が誤っていると主張した。極左フランスのアナキズム組織も、例えば[[オルターナティヴ・リバタリアン]]はテロに反対する立場である。フランス極左組織や政党などは、テロによって当然民衆が支持しなくなり、テロを行っても資本主義にインパクトがほとんどないと唱え、テロに反対し、[[ゼネラル・ストライキ|ゼネスト]]を支持している。<br /> <br /> 日本については、学生運動が多発した時代から下って[[安定成長期]]、[[バブル景気]]といった時代を経て、国民の多くは経済的に有史以来の豊かさを手に入れたため、極左勢力の支持はほとんどなくなっていた。ところが、[[21世紀]]に入って以降の[[格差社会]]・[[貧困|貧困層]]の拡大と[[東日本大震災]]での[[福島第一原子力発電所事故|原発事故]]を受けた社会不安の拡大は、極左勢力の若干の復調を生み出している&lt;ref&gt;戦後左翼に学ぶ暴力入門〈其の一〉新左翼から過激派へ 彼らがいかに人を殺してきたか 若杉大 [[ジャパニズム]]17号&lt;/ref&gt;。日本の極左過激派勢力は原発事故を機に本来の組織名や党派性を隠して積極的に[[オルグ (社会運動)|オルグ]]を進めているとされる&lt;ref&gt;[http://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten283/pdf/04_26-29P.pdf 第4章 公安情勢 過激派]警察庁&lt;/ref&gt;。具体的な情勢では、2014年現在、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]や[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協]]が活動家の数を減らしている一方で、[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]が勢力を拡大しているという情報がある&lt;ref&gt;[http://www.sankei.com/affairs/news/141130/afr1411300020-n3.html 今どきの若者なぜ中核派? 反原発やサークル装い浸透 京大捜索で注目]産経新聞 2014年11月30日&lt;/ref&gt;。ただ、格差や貧困が広がり続けているとされる[[2015年]]現在の日本でも、警察が極左の動向を厳しく監視していることもあり、極左勢力による大規模騒乱事件などは起きていない。<br /> <br /> == 極右や右翼との共通点 ==<br /> {{see also|極右|政治的スペクトル|政治的シンクレティズム}}<br /> 極右(思想)と同じく、極左(思想)もまた「支配者に取っての善き物」を民衆に強制する強権性と独善性、[[国家]]や[[社会]]の権利が[[個人]]の権利を優越するとする[[全体主義]]などの面では、思想的・行動的に共通点が存在する&lt;ref&gt;[http://books.google.co.jp/books?id=46m6AAAAIAAJ&amp;q=%E6%A5%B5%E5%8F%B3+%E6%A5%B5%E5%B7%A6+%E5%85%B1%E9%80%9A&amp;dq=%E6%A5%B5%E5%8F%B3+%E6%A5%B5%E5%B7%A6+%E5%85%B1%E9%80%9A&amp;hl=ja&amp;ei=TOsZTbisOpG6vQPIlpyfDg&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=6&amp;ved=0CDoQ6AEwBQ 吉田茂とサンフランシスコ講和・第 1 巻][[三浦陽一]]&lt;/ref&gt;。極右から極左へ、あるいは極左から極右への[[転向]]例も少なくない&lt;ref&gt;[http://books.google.co.jp/books?id=KsE1dQ2E91IC&amp;pg=PA149&amp;dq=%E6%A5%B5%E5%8F%B3+%E6%A5%B5%E5%B7%A6+%E5%85%B1%E9%80%9A&amp;hl=ja&amp;ei=tesZTf31IoKovQOC3pCFDg&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=2&amp;ved=0CCkQ6AEwATgK#v=onepage&amp;q=%E6%A5%B5%E5%8F%B3%20%E6%A5%B5%E5%B7%A6%20%E5%85%B1%E9%80%9A&amp;f=false 政治学・行政学の基礎知識(堀江湛)149p]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[マルクス・レーニン主義]]を掲げる[[社会主義国]]、特に[[スターリニズム]]は、通常は左翼と呼ばれるが、アメリカの[[自由主義]]者などからは極端な共産主義という意味で「極左」と、また対立する他の左翼などからは極端な[[国家主義]]、[[個人崇拝]]、愛国主義、[[軍国主義]]、[[排外主義]]などの意味で「極右」、「[[社会帝国主義]]」、「[[国家資本主義]]」などと呼ばれる事もある&lt;ref&gt;「Truman {far right) emphasizes point while Stalin {far left) listens」[http://books.google.co.jp/books?id=hFQEAAAAMBAJ&amp;pg=PA181&amp;dq=stalinism+far-left&amp;hl=ja&amp;ei=fuIZTdqBA4v8vQOviqGSDg&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=6&amp;ved=0CD4Q6AEwBQ#v=onepage&amp;q&amp;f=false LIFE - 1955年10月17日]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「Joseph Stalin (far right) and Leon Trotsky (second from left) stand together as comrades in 1917」 - [http://books.google.co.jp/books?id=k6SiNA5PPicC&amp;pg=PA13&amp;dq=stalinism+far-left+far-right&amp;hl=ja&amp;ei=veEZTYn2NpH0vQOytuzNDQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=1&amp;ved=0CCYQ6AEwADgK#v=onepage&amp;q&amp;f=false Systems of Government Communism (R. Grant)]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「The radical distrust of mainstream media found on the far Left can certainly be found in spades on the ultra-Right.」[http://books.google.co.jp/books?id=_0C_W0BZaXIC&amp;pg=PA92&amp;dq=stalinism+far-left&amp;hl=ja&amp;ei=fuIZTdqBA4v8vQOviqGSDg&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=7&amp;ved=0CEIQ6AEwBg#v=onepage&amp;q=stalinism%20far-left&amp;f=false Radical media: rebellious communication and social movements (John Downing)]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「Stalinism as ultraleft and nationalism as ultraright」[http://books.google.co.jp/books?id=Po03enYpbqsC&amp;pg=PA191&amp;dq=stalinism+ultra-left&amp;hl=ja&amp;ei=xu8ZTfXzO4W8vgOpnrmPDg&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=1&amp;ved=0CCYQ6AEwADgK#v=onepage&amp;q=stalinism%20ultra-left&amp;f=false Yugoslavia: a state that withered away (Dejan Jović) p191]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 批判用語 ==<br /> 対立する左翼党派の間で相手を「極左」あるいは「もはや左翼ではなく、我々左翼に敵対する右翼や権力である」という批判的用語には以下がある。<br /> *[[ソビエト連邦共産党]]や[[コミンテルン]]による[[トロツキズム]]などに対する「[[極左冒険主義]]」や「[[帝国主義]]の手先」など(詳細は &#039;&#039;[[トロツキズム#レッテルとしての「トロツキスト」]]&#039;&#039; を参照)<br /> *[[中国共産党]]による反体制勢力に対する「[[反右派闘争]]」<br /> *[[日本共産党]]による[[新左翼]]各派に対する「[[ニセ「左翼」暴力集団]]」や「ニセ「左翼」」&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-21/20060921faq12_01_0.html ニセ「左翼」への「泳がせ政策」とは? - 日本共産党]&lt;/ref&gt;<br /> *[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]による[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]などに対する「[[権力謀略論|権力の謀略]]」や「国家権力の走狗」など&lt;ref&gt;[http://books.google.co.jp/books?id=ko4oAQAAIAAJ&amp;q=%E4%B8%AD%E6%A0%B8%E6%B4%BE%E3%80%80%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E3%81%AE%E8%B5%B0%E7%8B%97&amp;dq=%E4%B8%AD%E6%A0%B8%E6%B4%BE%E3%80%80%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E3%81%AE%E8%B5%B0%E7%8B%97&amp;hl=ja&amp;ei=IugZTZy_OYXUvQPdhMT2DQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=2&amp;ved=0CCwQ6AEwAQ 共産主義者, 第166~171号]&lt;/ref&gt;<br /> *中核派による革マル派に対する「[[ファシズム|ファシスト]]・カクマル」など&lt;ref&gt;[http://books.google.co.jp/books?id=fCqGAAAAIAAJ&amp;q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AB&amp;dq=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AB&amp;hl=ja&amp;ei=0-kZTZ2UMoTEvgPb9fnxDQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=2&amp;ved=0CCsQ6AEwAQ 中曽根の国家改造計画批判(城戶通隆)361P]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://books.google.co.jp/books?id=DBtJAAAAMAAJ&amp;q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88+%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AB&amp;dq=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88+%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AB&amp;hl=ja&amp;ei=m_IZTcnXDJCgvgOTwJXzDQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=6&amp;ved=0CDoQ6AEwBTgU 米帝の戦争政策と日帝の軍事大国化:反戦・反安保・反核闘争の発展のために(樫山康次)P509]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 代表例 ==<br /> 通常「極左」と呼ばれる主な思想や運動や組織には以下がある。ただし「極左」を自称する例はほとんど無く、その範囲は学者や時代や視点により異なる。<br /> *起源とされるもの<br /> **[[フランス革命]]での[[ジャコバン派]]<br /> *[[共産主義]]や[[アナキズム]]の潮流の中で特に急進的・暴力的な行動を行ったもの<br /> **[[第一次世界大戦]]後の[[ドイツ共産党]]<br /> **[[第四インターナショナル]]など[[トロツキズム]]を標榜する組織<br /> **[[所感派]]指導下([[1951年]]~[[1954年]])の[[日本共産党]]&lt;ref&gt;[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A/ Yahoo!百科事典(小学館『日本大百科全書』)]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_01.htm 警察庁]、[http://books.google.co.jp/books?id=E8HHhggPynAC&amp;pg=PA187&amp;dq=%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E5%86%92%E9%99%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A+%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4&amp;hl=ja&amp;ei=SG7uTPf1LIHUvQOtm6jTDQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=1&amp;ved=0CCcQ6AEwAA#v=onepage&amp;q=%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E5%86%92%E9%99%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%20%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%20%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4&amp;f=false 私の戦後史と日本共産党論]、[http://books.google.co.jp/books?id=G_61AAAAIAAJ&amp;q=%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E5%86%92%E9%99%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A+%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4&amp;dq=%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E5%86%92%E9%99%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A+%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4&amp;hl=ja&amp;ei=SG7uTPf1LIHUvQOtm6jTDQ&amp;sa=X&amp;oi=book_result&amp;ct=result&amp;resnum=5&amp;ved=0CDgQ6AEwBA 日本の労働組合100年]&lt;/ref&gt;<br /> **[[中国]]の[[毛沢東]]による[[文化大革命]]<br /> **[[カンボジア]]の[[クメール・ルージュ]]<br /> **[[コロンビア]]の[[コロンビア革命軍]]<br /> **[[ペルー]]の[[センデロ・ルミノソ]]<br /> **[[新左翼]]や[[ノンセクト・ラジカル]]<br /> ***[[日本]]の[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]、[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協]]など<br /> ***[[日本赤軍]]、[[ドイツ赤軍]]、[[イタリア]]の[[赤い旅団]]、[[東アジア反日武装戦線]]など<br /> <br /> == 参照 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * &#039;&#039;&#039;極左&#039;&#039;&#039; - [[左翼]] - [[中道左派]] - [[中道政治|中道]] - [[中道右派]] - [[右翼]] - [[極右]]<br /> * [[革新]]<br /> * [[日本の労働運動史]]<br /> * [[ニセ「左翼」暴力集団]]<br /> * [[極左暴力集団]]<br /> * [[極左冒険主義]]<br /> * [[過激派]]<br /> <br /> {{政治的スペクトル}}<br /> {{DEFAULTSORT:きよくさ}}<br /> [[Category:政治的極左|*]]<br /> [[Category:政治的左翼]]<br /> [[Category:政治的スペクトル]]</div> 115.37.19.152 双十協定 2018-03-30T01:50:59Z <p>115.37.19.152: /* 背景 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;双十協定&#039;&#039;&#039;(そうじゅうきょうてい)とは、[[日中戦争]]の戦闘終結後、[[中国国民党]]と[[中国共産党]]とが締結した協定。両党が分裂している局面を終結させ、戦後中国に民主的な政権を樹立させることを目的に発表した会談の要旨で、民国34年([[1945年]])[[10月10日]]に調印されたことから双十協定と呼ばれる。正式名称は&#039;&#039;&#039;政府と中共代表の会談紀要&#039;&#039;&#039;(政府與中共代表會談紀要)。<br /> <br /> == 背景 ==<br /> 日中戦争終戦後、中国の平和的発展を脅かす外的要因が減少しつつあったことから、抗日という同一目標に向け共同作戦を採用したことで、戦争中には表面化していなかった中国国民党と中国共産党との間に政治矛盾が浮上してきた。[[中国東北部|東北]]、[[華北]]、[[中原]]の各地区では、国共両党の軍隊が都市統治権と戦略物資の接収をめぐって争いが展開されていた。その頃、[[ソビエト連邦|ソ連]]は東北地区にあった元日本軍の兵器と戦略物資を獲得しており、これが[[林彪]]が率いる東北共軍に流れていた。一方、日本敗戦とともにアメリカは、抗日戦末期に弱体化が著しかった国民党軍に大量の援助を行い、これによって新たに39個師団に武装・訓練をほどこし、アメリカ船をもって在中国日本人の本国送還を急ぎ、空路・海路から約40万の国民党軍兵士とアメリカ海兵隊5万人を華北に派遣・上陸させて北京、天津など重要都市を占領、かつ国民党軍にかわってアメリカ軍みずから華北の炭坑、鉄道などを接収した&lt;ref&gt;[[三浦陽一]]「「アジアの巨大な疑問符」 : 中国東北をめぐる戦後処理問題とアメリカの極東政策」。&lt;/ref&gt;。こうしたアメリカ軍による北上作戦援助は、公式には日本軍勢力一掃による中国の急速な主権回復のためと理由づけられていたが、アメリカの目的はそれだけではなく、華北の主要都市および輸送・産業上の戦略拠点が中共軍の手に落ちたいよう先手を打ち、さらに国民党の東北支配の足場をいちはやく固めることにあった。このように国民政府は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]から軍事援助を受け、アメリカ海空軍によって[[国民革命軍]]が華北、東北地方に展開され、両党は一部の地区で散発的な衝突を繰り返していた。<br /> <br /> アメリカは、戦後の東アジアの政治地図として、日本が再び台頭してくるのを抑えるためにも、中国になんらかの形で民主的な政権が生まれ、それが東アジアの安定勢力になることを期待していた。本国政府や中国駐留アメリカ軍の間で、多少の意見の相違はあったものの、「国民党のリーダーシップのもとに中国の統一を図る」、「国民党をできるだけ支援するが、共産党との対立が内戦に発展することは極力回避する」、「アメリカが中国の内戦に地上軍を派遣したりすることはしない」とする点では大筋大体一致していた。中国駐留のアメリカ軍総司令官・[[アルバート・ウェデマイヤー]]中将の次の会見談話は、なぜアメリカ軍が中国に駐留し続けるのか、中国の内戦にどういう関与をするのか、という連合国の記者の質問に答えたものであるが、アメリカの大体の姿勢が窺える。「米軍は中国における内戦に捲き込まれないだろう。しかし米陸軍省からの指令で、米国人の生命財産を保護するために軍隊を使用する必要があり、余の麾下司令官にはその旨指令してある。米軍が中国の内戦に参加し、中共軍に対し攻撃を加えているといった向きもあるようだが、これまで米軍がかかる侵略的行為に出たことはないことを断言する。余はこれまで個人的に国共が妥協するよう極力努めてきたし、部下にも中国の政争や陰謀画策に参加しないよう命令していた&lt;ref&gt;(『朝日新聞』1945年11月12日)&lt;/ref&gt;。」&lt;ref&gt;[http://www.ohproject.com/ivlist/07/21.html 山東半島に渡った満鉄技術者たち 第11回-オーラル・ヒストリー企画]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 民国34年([[1945年]])[[8月]]、[[蒋介石]]主席は[[国民政府]]の呉鼎昌の提案を受け入れ、[[毛沢東]]に対して[[重慶市|重慶]]で国内の和平問題について討議すべく三度にわたって会談を呼びかけた。<br /> <br /> この呼びかけに応じた毛沢東と[[周恩来]]、[[王若飛]]は[[8月28日]]、アメリカの[[パトリック・ハーレー]]大使と共に[[延安]]から重慶を訪れ、中国共産党の代表として中国国民党の代表である蒋介石、[[王世杰]]、[[張治中]]、[[邵力子]]と会談を行った。<br /> [[Image:1945 Mao and Chiang.jpg|thumb|250px|重慶会談で祝杯をあげる蒋介石と毛沢東]]<br /> <br /> == 協議内容 ==<br /> {{Commons category|Double Tenth Agreement}}<br /> 会談開催前、両党は協議期間中の停戦を発表していたが、実際には協議における優位性をより確保するために、共産党の軍隊は戦略的要地の奪い合いを繰り返し、協議期間中も戦火がやむことは無かった。<br /> <br /> 協議を通して共産党は抗日拠点の独立主権を主張し続けたが、[[海南省]]、[[浙江省]]、[[河南省]]一帯に分布する13ヶ所の拠点を国民党に提供することに同意した。また、これらの拠点については、国民政府の接収後に両党のイデオロギーを結合させた「新民主主義」の構想を掲げることで、両党の観念形態の対立を和らげようとした。一方国民党も、民国26年([[1937年]])の日中戦争勃発前に既に共産党が保有していた延安の革命根拠地の保持を変えなかったが、その他の地区は取り戻すことを主張した。さらに、共産党の軍隊を国民政府の指導下にある[[国民革命軍]]に組み入れて統一的に指揮することを要求した。共産党は、国民党だけがコントロールしている政府に軍隊を渡すことを拒絶したが、人員の削減はできるとし、真に民主的な政府を成立させた後に、軍を渡すことを求めた。<br /> [[Image:Shuangshixieding.jpg|thumb|right|300px|「双十協定」]]<br /> 43日間にわたる協議を経て、双方は10月10日に「政府と中共代表の会談紀要」に署名した。その日付から「双十協定」と呼ばれている。<br /> <br /> 主な内容は、<br /> * 平和的な建国の基本方針を承認し、一切の紛争は対話によって解決することに同意する。<br /> * 長期に渡って協力し、あくまで内戦を避け、独立し自由で富強な新しい中国を建設し、徹底的な[[三民主義]]を実行する。<br /> * [[訓政]]体制を速やかに終わらせ、憲政を実施する。<br /> * 速やかに[[:zh:政治协商会议|政治協商会議]]を開き、[[国民大会]]やその他の問題の協議を行った後に新憲法を新たに制定する。<br /> * 中国共産党は蒋介石主席と南京国民政府が中国の合法的な指導者の地位にあることを承認し、南京国民政府は中国共産党が合法的な政党であることを承認する。<br /> <br /> == 結果 ==<br /> [[File:Chiang_at_1946.jpg|thumb|政治協商会議での蒋介石]]<br /> [[File:Zhouenlai_talk.jpg|thumb|政治協商会議での周恩来]]<br /> <br /> 1946年1月10日、協定に基づき、政治協商会議(党派間の協議機関)が重慶で開催された。各党派の代表構成は、国民党が8、共産党が7、その他の政党・無党派が23であった。この会議では憲法改正案・政府組織案・国民大会案・平和建国綱領などが採択され、国民政府委員会(政府最高機関)の委員の半数が国民党以外に割りあてられるなど、国民党は共産党を初めとする諸党派に対して一定の譲歩を示した。同時に国民党代表の[[張群]]、共産党代表の周恩来、アメリカ代表の[[ジョージ・マーシャル]]による{{仮リンク|軍事調処執行部|zh|军事调处执行部}}(三人委員会)が成立し、「国共停戦協定」も調印された。しかし、3月の党大会において、国民党は共産党が提唱する「民主連合政府」の拒否と国民党の指導権の強化を決議した。6月には蒋介石は中国共産党への攻撃を命じ、[[国共内戦]]が勃発した。<br /> <br /> 日中戦争によって、多大なる犠牲者を出した中華民国であったが、結局は[[西安事件]]の際にスターリンや毛沢東の意図した通りに日本軍との戦いで損耗し切った状態であり、毛沢東率いる中共は日本軍と国民党軍の相打ちを実現させた事で戦力の温存を図っていた。結果的に1949年には国民党軍及び蒋介石は日本領ではなくなっていた[[台湾]]に亡命し、事実上の敗戦国となった[[中華民国]]の首都[[南京]]に代わり、[[北京]]を首都とする[[中華人民共和国]](1970年代に国連の中国代表権も中華民国から奪い現在も中国を名乗る国家)が1949年に建国された。この中華人民共和国の八路軍と呼ばれていた軍隊は[[中国人民解放軍]]と改称したが、現在も続く[[二つの中国]]問題として中華民国は、その後訪れた[[冷戦]]時代を日米韓と共に[[西側諸国]]として過ごす事になり、中国人民解放軍は[[台北]]を臨時首都とする[[中華民国軍]]と、事実上の国境線となった[[台湾海峡]]を隔てて、21世紀現在も分裂国家として睨み合いを続けている。<br /> <br /> ただし、蒋介石は自身の最大の援助国アメリカの内戦回避の意向を無視して内戦を起こしたことでアメリカからは中国の経済援助政策を打ち切られ、さらにアメリカも中国から撤退し、当時の[[ハリー・S・トルーマン]]米大統領は台湾に敗走した蒋介石を見捨て台湾海峡不介入声明を出すにまで至り&lt;ref&gt;{{cite web|title=Harry S Truman, “Statement on Formosa,” January 5, 1950|url=http://china.usc.edu/harry-s-truman-%E2%80%9Cstatement-formosa%E2%80%9D-january-5-1950|publisher=[[南カリフォルニア大学]]|date=February 25, 2014|accessdate=2017-05-07}}&lt;/ref&gt;、蒋介石自身にも責任はある。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:そうしゆうきようてい}}<br /> [[Category:中華人民共和国の歴史]]<br /> [[Category:中華民国の政治]]<br /> [[Category:国共内戦]]<br /> [[Category:1945年の法]]<br /> [[Category:重慶の歴史]]<br /> [[Category:1945年の中国]]</div> 115.37.19.152 片山善博 2018-03-20T10:26:09Z <p>115.37.19.152: /* 主な職歴 */</p> <hr /> <div>{{otheruses|政治家|哲学者|片山善博 (哲学者)}}<br /> {{政治家<br /> |人名 = 片山 善博<br /> |各国語表記 = かたやま よしひろ<br /> |画像 = Yoshihiro Katayama-20060719a.jpg|thumb|200px<br /> |画像説明 = <br /> |国略称 = {{JPN}}<br /> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1951|7|29}}<br /> |出生地 = {{JPN}} [[岡山県]][[岡山市]][[東区 (岡山市)|東区]]<br /> |没年月日 = <br /> |死没地 = <br /> |出身校 = [[東京大学法学部]]<br /> |前職 = [[国家公務員]]([[自治省]])<br /> |現職 = [[早稲田大学]]教授&lt;br /&gt;[[鳥取大学]]客員教授<br /> |所属政党 = 無所属<br /> |称号・勲章 = [[法学士]](東京大学・[[1974年]])<br /> |配偶者 = [[片山弘子]](2009年死別)&lt;br /&gt;(2010年再婚)<br /> |サイン = <br /> |ウェブサイト = <br /> |サイトタイトル = <br /> |国旗 = JPN<br /> |職名 = 第14代 [[総務大臣]]<br /> |内閣 = [[菅内閣 (第1次改造)|菅第1次改造内閣]]&lt;br /&gt;[[菅内閣 (第2次改造)|菅第2次改造内閣]]<br /> |選挙区 = <br /> |当選回数 = <br /> |就任日 = [[2010年]][[9月17日]]<br /> |退任日 = [[2011年]][[9月2日]]<br /> |所属委員会 = <br /> |議員会館 = <br /> |元首職 = <br /> |元首 = <br /> |国旗2 = 鳥取県<br /> |職名2 = 公選第15-16代 [[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]<br /> |当選回数2 = 2回<br /> |就任日2 = [[1999年]][[4月13日]]<br /> |退任日2 = [[2007年]][[4月12日]]<br /> |退任理由2 = 2007年鳥取県知事選挙不出馬のため<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;片山 善博&#039;&#039;&#039;(かたやま よしひろ、[[1951年]]([[昭和]]26年)[[7月29日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、元[[自治省|自治]][[官僚]]。[[早稲田大学]]教授。<br /> <br /> [[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]](2期)、[[鳥取大学]][[客員教授]]、[[地方制度調査会]]副会長(第29代)、[[行政刷新会議]]議員、[[総務大臣]]([[菅内閣 (改造)|第14代]])を務めた。[[岡山県]][[岡山市]][[東区 (岡山市)|東区]]出身。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> === 略歴 ===<br /> [[岡山県]][[赤磐郡]][[瀬戸地域|瀬戸町]](現[[岡山市]][[東区_(岡山市)|東区]])生まれ。両親は、ともに教師であった。[[岡山県立岡山大安寺高等学校]]、[[東京大学法学部]]卒業。[[1974年]]、[[自治省]]入省。[[鳥取県庁]]や[[国土庁]]への出向を経て、自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官・固定資産税課長・府県税課長などの役職を歴任し、[[1998年]]12月に退官した。<br /> <br /> [[1999年]]4月、鳥取県知事選挙に出馬し、初当選を果たす。鳥取県知事在任中は[[岩手県知事一覧|岩手県知事]](当時)の[[増田寛也]]や[[宮城県知事一覧|宮城県知事]](当時)の[[浅野史郎]]らに並び、官僚出身の改革派知事の代表格であった。[[2004年]]7月、[[読売新聞]]により実施された世論調査では78%の高水準の支持率を記録し、全国47都道府県の知事で1位であった。[[2003年]]の知事選では[[日本共産党]]も片山を評価し対抗候補を出さなかったため無投票当選となった。<br /> <br /> [[2006年]]12月、翌年の知事選に出馬せず、2期で知事を退任する意向を表明&lt;ref&gt;[http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=335861005 片山知事が3選不出馬表明]&lt;/ref&gt;。[[2007年]]4月、鳥取県知事を退任した。同年5月、[[鳥取大学]]地域学部地域政策学科の客員教授(非常勤)に就任&lt;ref&gt;[http://www.nnn.co.jp/news/070512/20070512002.html 片山前知事に辞令交付 鳥取大学客員教授に]&lt;/ref&gt;。7月には[[地方制度調査会]]副会長に就任。[[2009年]]10月から、[[鳩山由紀夫内閣]]の下で設置された[[行政刷新会議]]の議員を務める。<br /> <br /> [[2010年]]9月、[[菅内閣_(第1次改造)|菅改造内閣]]で[[総務大臣]]に任命され、初入閣。[[民間人閣僚]]の総務大臣は、元岩手県知事の増田寛也に続き2人目([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権では初の民間人閣僚)。翌[[2011年]]1月発足の[[菅内閣_(第2次改造)|菅再改造内閣]]でも留任した。2011年9月、[[野田内閣]]発足に伴い退任。<br /> <br /> === 主な職歴 ===<br /> * [[1979年]]7月 - [[国税庁]][[能代市|能代]]税務署長<br /> * [[1980年]]7月 - [[鳥取県]]地方[[課長]]<br /> * [[1981年]]11月 - 鳥取県[[総務部]]財政課長<br /> * [[1983年]]11月 - [[国土庁]]土地政策課[[課長補佐]]<br /> * [[1985年]]10月 - 自治省地域政策課課長補佐<br /> * [[1987年]]6月 - 自治大臣[[秘書官]]<br /> * [[1988年]]9月 - 自治省財政課課長補佐<br /> * [[1990年]]4月 - 自治省国際交流企画官<br /> * [[1992年]]4月 - 鳥取県総務[[部長]]<br /> * [[1995年]]7月 - 自治省[[固定資産税]]課長<br /> * [[1998年]]1月 - 自治省府県税課長<br /> * [[1998年]]12月 - 自治省退職<br /> * [[1999年]]4月 - 鳥取県知事に初当選<br /> * [[2003年]]4月 - 鳥取県知事に[[無投票当選|無投票]]で再選<br /> * [[2010年]]9月 - [[総務大臣]]就任<br /> * [[2011年]]9月 - 同退任<br /> <br /> === 政策・主張 ===<br /> * [[2000年]]10月に発生した[[鳥取県西部地震]]に際し、被災者の個人住宅に対し全国で初めて復旧助成(利子補給)を実施した。<br /> * [[2002年]]6月の鳥取県議会一般質問での答弁において、「地方レベルの人権救済制度の必要性」に言及。[[2005年]]9月に[[鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例]]を可決させたが、[[人権擁護法案]]に類するこの条例に対しては反対意見が多く寄せられた。<br /> * [[2003年]]6月、地方分権改革推進会議議長の[[西室泰三]]が提出した国から地方に対する税源移譲の実施見送りの意見書に対し、民主的な手法ではないとして、西室が会長を務める[[東芝]]製品を鳥取県の随意契約の対象から除外することを示唆した&lt;ref&gt;[http://www.news.janjan.jp/government/0306114215/1.php 政治・片山鳥取県知事“不買”発言の波紋]&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2010年]]4月、[[参議院]][[総務委員会]]に参考人として出席し、「(地方自治体に)一番屈辱的なのが[[地方債]]への(国の)関与だ。こんなものは自分たちで決めればいい」と現行の財政制度を批判している。<br /> * 2007年2月、知事就任以降に1560万円以上の裏金がつくられ、約915万円が飲食などに支出されていたことが発覚し、鳥取県から減給10分の1(1か月)の処分を受けた&lt;ref&gt;<br /> [http://www.47news.jp/CN/200702/CN2007020901000420.html 裏金1560万円以上 鳥取県、知事ら57人処分(共同通信 2007年2月9日)]&lt;/ref&gt;。なお、片山は裏金作りの手法については「私の知事就任以前の問題」として調査しない考えを示し、自身の就任以前の裏金についても不問とした&lt;ref&gt;「改革、完全でなかった」県の裏金発覚(『朝日新聞』2006年10月5日) &lt;/ref&gt;。<br /> * 2011年4月、NHKの番組内で、日本赤十字社に届いている義援金を政府が差配すると発言&lt;ref&gt;[http://www.asahi.com/politics/update/0403/TKY201104030098.html 日赤義援金の配分基準、国が策定へ 片山総務相が言及 (asahi.com 2011年4月3日)]&lt;/ref&gt;。<br /> * 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛成。「社会の変化に対応して夫婦別姓の選択があってもよい。」「最高裁の判決はこの議論は国会でさらに深めるべきだ、というものだったが、司法の判断があるべきだったのではないか」と述べる&lt;ref&gt;[https://www.city.kiyose.lg.jp/s007/020/020/010/18-19.pdf 「片山善博さんが語る「男性にとっての男女共同参画」」](2015年11月24日)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 鳥取自立塾 ====<br /> 鳥取県の事業として、地域の自立と再生を目指すことを目的に掲げ、[[2004年]]から毎年夏に鳥取県の主催で3度実施された。全国から改革派の首長(現職・元職含)や大学教授などを招き、講演をはじめ分科会やパネルディスカッションを実施。<br /> <br /> * 主な出席者<br /> {{col-begin}}<br /> {{col-break}}<br /> * [[石田芳弘]](前[[犬山市]]長)<br /> * [[土屋正忠]](前[[衆議院]]議員、前[[武蔵野市]]長)<br /> * [[福嶋浩彦]](前[[我孫子市]]長)<br /> * [[古川康]]([[佐賀県]]知事)<br /> * [[穂坂邦夫]]([[NPO]]代表、前[[志木市]]長)<br /> {{col-break}}<br /> * [[山口二郎]]([[北海道大学]]大学院法科研究科付属高等法政教育研究センター長)<br /> * [[増田寛也]](元[[総務大臣]]、前[[岩手県]]知事)<br /> * [[横尾俊彦]]([[多久市]]長)<br /> {{col-end}}<br /> * 概要<br /> ** [http://www.pref.tottori.jp/kikakubu/jiritu/jiritsujyuku/index.htm 第1回(2004年)]<br /> ** [http://www.pref.tottori.jp/kikakubu//jiritu/H17jiritujyukugairyaku/index.htm 第2回(2005年)]<br /> ** [http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=30926 第3回(2006年)]<br /> <br /> === 人物 ===<br /> * 家族は妻、4男2女。2度結婚歴があり、初婚の弘子夫人は[[2009年]]7月、[[悪性リンパ腫]]により死去した。後妻は鳥取県職員で1度の離婚歴があり、2010年11月に片山と再婚した。6人の子供は全て弘子夫人との間の子供である。<br /> * [[2005年]]、[[ベスト・ファーザー イエローリボン賞]]受賞。<br /> <br /> == 著書 ==<br /> *『住むことは生きること 鳥取県西部地震と住宅再建支援』([[2006年]]、東信堂)<br /> *『市民社会と地方自治』([[2007年]]、[[慶應義塾大学出版会]])<br /> *片山善博の『日本を診る』([[2010年]]~、[[岩波書店]])<br /> <br /> === 共著 ===<br /> *『地域間交流が外交を変える 鳥取-朝鮮半島の「ある試み」』[[釼持佳苗]]共著([[2003年]]、[[光文社新書]])<br /> *『災害復興とそのミッション 復興と憲法』[[津久井進]]共著(2007年、クリエイツかもがわ)<br /> *『今、義務教育が危ない! 国民のライフラインを守ろう』[[渡邉光雄]]、[[樋口恵子]]、[[佐藤学 (教育学者)|佐藤学]]共著(2007年、[[ぎょうせい]])<br /> *『ポスト新自由主義 民主主義の地平を広げる』[[山口二郎]]、[[高橋伸彰 (経済学者)|高橋伸彰]]、[[柄谷行人]]、[[上野千鶴子]]、[[金子勝 (経済学者)|金子勝]]共著([[2009年]]、七つ森書館)<br /> *『ここだけは聞いておきたい裁判員裁判 31の疑問に答える』[[国谷裕子]],[[四宮啓]]共著 日本評論社 2009<br /> *『「自治」をつくる 教育再生 脱官僚依存 地方分権』[[塩川正十郎]]、[[御厨貴]]、[[粕谷一希]]、[[増田寛也]]、[[養老孟司]]共著(2009年、[[藤原書店]])<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * [[佐野眞一]]『てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎』(2003年、講談社)431-436頁<br /> * [[田中成之]]『改革の技術 鳥取県知事・片山善博の挑戦』(2004年、[[岩波書店]])<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例]]<br /> * [[時事放談]]<br /> * [[ベスト・ファーザー イエローリボン賞]]<br /> * [[石原慎太郎]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.fdc.gr.jp/cam/bestfather/2005/1.html 2005年度イエローリボン賞:片山善博]<br /> * [http://www.inose.gr.jp/mailmaga/mailshousai/2007/070524.html 日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ]<br /> * [http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02072301.html 対談]<br /> <br /> <br /> {{総務大臣|2010年 - 2011年}}<br /> {{地域主権推進担当大臣|2010年 - 2011年}}<br /> {{鳥取県知事|1999年 - 2007年}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:かたやま よしひろ}}<br /> [[Category:日本の閣僚経験者]]<br /> [[Category:日本の総務大臣]]<br /> [[Category:鳥取県知事]]<br /> [[Category:日本の総務官僚]]<br /> [[Category:慶應義塾大学の教員]]<br /> [[Category:鳥取大学の教員]]<br /> [[Category:東京大学出身の人物]]<br /> [[Category:岡山市出身の人物]]<br /> [[Category:1951年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 115.37.19.152 財務省主税局 2018-03-15T03:42:15Z <p>115.37.19.152: /* 歴代主税局長 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;主税局&#039;&#039;&#039;(しゅぜいきょく)は、[[日本]]の[[行政機関|中央省庁]]のひとつである[[財務省 (日本)|財務省]]の[[内部部局]]の一つ。<br /> <br /> 国の税制の企画・立案、租税収入見積事務等の業務としている。<br /> <br /> == 組織 ==<br /> *総務課<br /> **主税企画官(広報)       <br /> **主税企画官(地方税)       <br /> **主税調査官 (2)<br /> *調査課<br /> *税制第一課<br /> **主税企画官<br /> *税制第二課<br /> **主税企画官<br /> *税制第三課<br /> *[[参事官]]<br /> **主税企画官<br /> **国際租税総合調整官<br /> <br /> == 歴代主税局長 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> ! 氏名<br /> ! 在任期間<br /> ! 前職<br /> ! 後職<br /> |-<br /> | [[平田敬一郎]]<br /> | [[1947年]](昭和22年)12月29日&lt;br /&gt; - [[1952年]](昭和27年)12月27日<br /> | [[物価庁]]第一部長<br /> | [[国税庁]]長官<br /> |-<br /> | [[渡邊喜久造|渡辺喜久造]]<br /> | [[1952年]](昭和27年)12月27日&lt;br /&gt; - [[1956年]](昭和31年)7月6日<br /> | [[東京国税局]]長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | 原純夫<br /> | [[1956年]](昭和31年)7月6日&lt;br /&gt; - [[1960年]](昭和35年)4月12日<br /> | [[主計局]]次長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[村山達雄]]<br /> | [[1960年]](昭和35年)4月12日&lt;br /&gt; - [[1963年]](昭和38年)4月22日<br /> | [[財務省大臣官房|大臣官房]]財務調査官<br /> | 退官<br /> |-<br /> | 泉美之松<br /> | [[1963年]](昭和38年)4月22日&lt;br /&gt; - [[1965年]](昭和40年)11月16日<br /> | 国税庁次長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[塩崎潤]]<br /> | [[1965年]](昭和40年)11月16日&lt;br /&gt; - [[1967年]](昭和42年)11月7日<br /> | 国税庁次長<br /> | 退官<br /> |-<br /> | [[吉国二郎]]<br /> | [[1967年]](昭和42年)11月7日&lt;br /&gt; - [[1969年]](昭和44年)8月6日<br /> | [[証券局]]長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | 細見卓<br /> | [[1969年]](昭和44年)8月6日&lt;br /&gt; - [[1971年]](昭和46年)6月1日<br /> | 大臣官房[[審議官]]<br /> | [[財務官 (日本)|財務官]]<br /> |-<br /> | ([[吉田太郎一]])<br /> | [[1971年]](昭和46年)6月1日&lt;br /&gt; - [[1971年]](昭和46年)6月15日<br /> | colspan=&quot;2&quot; | (大臣官房審議官が心得兼務)<br /> |-<br /> | [[高木文雄]]<br /> | [[1971年]](昭和46年)6月15日&lt;br /&gt; - [[1974年]](昭和49年)6月26日<br /> | 大臣[[官房長]]<br /> | [[財務事務次官|大蔵事務次官]]<br /> |-<br /> | 中橋敬次郎<br /> | [[1974年]](昭和49年)6月26日&lt;br /&gt; - [[1975年]](昭和50年)7月8日<br /> | 大臣官房長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[大倉真隆]]<br /> | [[1975年]](昭和50年)7月8日&lt;br /&gt; - [[1978年]](昭和53年)6月17日<br /> | [[財務省国際局|国際金融局]]長<br /> | 大蔵事務次官<br /> |-<br /> | [[高橋元]]<br /> | [[1978年]](昭和53年)6月17日&lt;br /&gt; - [[1981年]](昭和56年)6月26日<br /> | [[経済企画庁]]長官官房長<br /> | 大蔵事務次官<br /> |-<br /> | [[福田幸弘]]<br /> | [[1981年]](昭和56年)6月26日&lt;br /&gt; - [[1982年]](昭和57年)6月1日<br /> | 大臣官房付・&lt;br /&gt;[[日本銀行政策委員会]]大蔵省代表委員<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[梅沢節男|梅澤節男]]<br /> | [[1982年]](昭和57年)6月1日&lt;br /&gt; - [[1985年]](昭和60年)6月25日<br /> | [[大阪国税局]]長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[水野勝 (官僚)|水野勝]]<br /> | [[1985年]](昭和60年)6月25日&lt;br /&gt; - [[1988年]](昭和63年)12月27日<br /> | 東京国税局長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[尾崎護]]<br /> | [[1988年]](昭和63年)12月27日&lt;br /&gt; - [[1991年]](平成3年)6月11日<br /> | 大臣官房審議官<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | 濱本英輔<br /> | [[1991年]](平成3年)6月11日&lt;br /&gt; - [[1993年]](平成5年)6月25日<br /> | 大臣官房[[総務審議官#旧制度下の大臣官房総務審議官|総務審議官]]<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[小川是]]<br /> | [[1993年]](平成5年)6月25日&lt;br /&gt; - [[1995年]](平成7年)5月26日<br /> | [[証券局]]長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[薄井信明]]<br /> | [[1995年]](平成7年)5月26日&lt;br /&gt; - [[1998年]](平成10年)1月31日<br /> | 大臣官房審議官<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | 尾原榮夫<br /> | [[1998年]](平成10年)1月31日&lt;br /&gt; - [[2001年]](平成13年)7月10日<br /> | 大臣官房審議官<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[大武健一郎]]<br /> | [[2001年]](平成13年)7月10日&lt;br /&gt; - [[2004年]](平成16年)7月2日<br /> | 国税庁次長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[福田進]]<br /> | [[2004年]](平成16年)7月2日&lt;br /&gt; - [[2006年]](平成18年)7月28日<br /> | 会計センター所長&lt;br /&gt;兼財務総合政策研究所長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[石井道遠]]<br /> | [[2006年]](平成18年)7月28日&lt;br /&gt; - [[2007年]](平成19年)7月10日<br /> | 国税庁次長<br /> | 会計センター所長&lt;br /&gt;兼財務総合政策研究所長<br /> |-<br /> | 加藤治彦<br /> | [[2007年]](平成19年)7月10日&lt;br /&gt; - [[2009年]](平成21年)7月14日<br /> | 国税庁次長<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[古谷一之]]<br /> | [[2009年]](平成21年)7月14日&lt;br /&gt; - [[2012年]](平成24年)8月17日<br /> | 大臣官房審議官<br /> | 国税庁長官<br /> |-<br /> | [[田中一穂]]<br /> | [[2012年]](平成24年)8月17日&lt;br /&gt; - [[2014年]](平成26年)7月4日<br /> | 理財局長<br /> | [[主計局]]長<br /> |-<br /> | [[佐藤慎一 (官僚)|佐藤慎一]]<br /> | [[2014年]](平成26年)7月4日&lt;br /&gt; - [[2016年]](平成28年)6月17日<br /> | 大臣官房長<br /> | 財務事務次官<br /> |-<br /> | 星野次彦<br /> | [[2016年]](平成28年)6月17日&lt;br /&gt; - <br /> | 国税庁次長<br /> |<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> {{財務省}}<br /> [[Category:大蔵省]]<br /> {{Gov-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:しゆせいきよく}}</div> 115.37.19.152 東京都副知事 2018-03-06T13:13:34Z <p>115.37.19.152: /* 過去の主な東京都副知事 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2012年12月19日 (水) 10:11 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;東京都副知事&#039;&#039;&#039;(とうきょうとふくちじ)は、[[東京都知事]]を補佐し、その補助機関たる職員の担任する事務を監督する、[[地方自治法]]に定められた[[特別職]]の[[東京都]]職員で、[[東京都]]の[[副知事 (日本)|副知事]]である。定数は4人&lt;ref&gt;[http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10101291.html 東京都副知事の定数条例]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 副知事相互には上下関係はないが、知事に事故があるとき、または知事が欠けたときの知事の職務代理順序が規則で決められており、これが実質的な序列となっている。また、各副知事には担当する局や特命事項が割り当てられている。副知事の給料は、月額120万9000円である&lt;ref&gt;[http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1010383001.html 東京都知事等の給料等に関する条例] 別表1&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[地方自治法]]第163条で、副知事の任期は4年とされているが&lt;ref&gt;[http://www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp/hukuchiji/ 「東京都副知事について」]東京都&lt;/ref&gt;、通常、副知事人事は知事選と同時の4年に1度であり、都の[[局長]]級職員などから抜擢される。[[中央省庁]]からの出向はほとんどなく、都職員出身の副知事は辞職後、[[東京地下鉄]]や[[首都高速]]などに[[天下り]]している。<br /> <br /> == 現任 ==<br /> 2017年10月現在&lt;ref&gt;[http://www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp/hukuchiji/ 東京都副知事について 東京都政策企画局]&lt;/ref&gt;<br /> * 川澄 俊文(前政策企画局長、2016年6月 - )公益財団法人[[東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会]][[評議員]]<br /> * 長谷川 明(前政策企画局長、2017年10月 - )公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員<br /> * [[猪熊純子|猪熊 純子]](前会計管理局長、2017年10月 - )公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長<br /> <br /> == 過去の主な東京都副知事 ==<br /> 役職名は副知事就任時の&#039;&#039;&#039;前職または元職&#039;&#039;&#039;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;line-height:1.4em; font-size:95%;&quot;<br /> |- style=&quot;white-space:nowrap;&quot;<br /> ! 氏名 !! 在職期間 !! 前職 !! 後職<br /> |-<br /> | [[大木操]] || 1947年 - 1950年 ||貴族院議員 ||<br /> |-<br /> | [[山田文雄]] || 1947年 - 1950年 ||[[太平洋協会]]調査部長 ||[[愛知大学]]学長<br /> |-<br /> | 住田正一 || 1947年 - 195?年 ||[[国際汽船]]職員||呉造船所社長、日本海事史学会会長<br /> |-<br /> | [[春彦一]] || 1950年 - 1955年 ||東京都労働局長 ||新日本観光社長、[[東京都住宅供給公社]]理事長<br /> |-<br /> | [[佐藤基]] || [[1955年]] - [[1959年]] ||[[会計検査院長]] ||[[公正取引委員会]]委員長<br /> |-<br /> | [[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]] || [[1959年]] - [[1967年]] ||[[内閣官房副長官]] ||[[首都高速道路公団]]理事長、都知事(1979年 - 1995年)<br /> |-<br /> | 御子柴博見 ||[[1963年]] - 1967年|| 東京都総務局長 ||首都高速道路公団副理事長、特別区[[人事委員会]]委員長、社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会理事長<br /> |-<br /> | [[続訓弘]] || [[1983年]] - [[1991年]] ||東京都財務局長 ||[[参議院議員]]、[[総務庁]]長官、[[公明党]]副代表<br /> |-<br /> | [[金平輝子]] || [[1991年]] - [[1995年]] ||東京都福祉局長 ||[[東京都歴史文化財団]]理事長、[[東京都公安委員会]]委員、[[日本司法支援センター]]理事長、[[日本財団]]評議員、[[厚生省]]医療福祉審議会会長、日本更生保護女性連盟会長、財団法人[[女性のためのアジア平和国民基金]]副理事長・訪韓団団長、財団法人市川房枝記念会女性と政治センター理事長、[[労働省]]ハンセン病問題に関する検証会議座長、[[浴風会]]顧問<br /> |-<br /> | 鹿谷崇義 || 1991年 - 1995年 ||東京都総務局長 ||[[多摩都市モノレール]]社長、東京都新都市建設公社理事長<br /> |-<br /> | [[青山やすし]]&lt;!--漢字表記は「佾」--&gt; ||[[1999年]] - 2003年 ||[[東京都知事本局|東京都政策報道室]][[理事]] ||[[明治大学]]大学院教授、東京都[[社会福祉協議会]]会長、東京都農業会議会長<br /> |-<br /> | 福永正通 ||1999年 - 2005年 ||[[東京都清掃局]]長 ||東京都[[国民健康保険団体連合会]]理事長、[[国民健康保険中央会]]理事<br /> |-<br /> | [[浜渦武生]] || [[2000年]] - [[2005年]] ||[[石原慎太郎]]東京都知事[[特別秘書]]||[[東京交通会館]]副社長、都参与<br /> |-<br /> | [[竹花豊]] || [[2003年]] - 2005年 ||[[広島県警察]][[本部長]] ||[[警察庁]][[生活安全局]]長、[[東京都教育委員会]]委員、[[東京ビッグサイト]]社長、全国万引犯罪防止機構理事長<br /> |-<br /> | [[大塚俊郎]] || [[2004年]] - [[2007年]] ||東京都[[出納長]]、東京都主税局長 ||[[新銀行東京]]取締役会議長<br /> |-<br /> | [[横山洋吉]] || [[2005年]] - [[2007年]] ||[[東京都教育委員会]][[教育長]] ||東京信用保証協会理事長、[[全国信用保証協会連合会]]会長、[[日本宝くじ協会]]理事長、東京のあすを創る協会会長<br /> |-<br /> | [[関谷保夫]] || [[2005年]] - [[2007年]] ||[[東京都産業労働局]]長 ||[[東京地下鉄]]副社長・社長補佐、東京都人事委員長<br /> |-<br /> | 谷川健次 || 2007年 - 2009年 ||東京都財務局長 ||[[東京臨海ホールディングス]]社長、[[地方公共団体金融機構]]副理事長<br /> |-<br /> | 山口一久 || 2007年 - 2009年 ||[[東京都知事本局]]長 ||東京都福祉保健財団理事長、[[東京都競馬]]社長<br /> |-<br /> | [[菅原秀夫]] || 2007年 - 2010年 ||[[東京都主税局]]長 ||[[日本自動車ターミナル]]社長、[[首都高速道路]]社長、東京熱供給社長<br /> |-<br /> | [[猪瀬直樹]] || 2007年 - 2012年 ||作家、[[東京工業大学]]特任教授||都知事(2012年 - 2013年)、[[大阪府]]特別顧問、[[大阪市]]特別顧問<br /> |-<br /> | 佐藤広 || 2009年 - 2012年 ||東京都産業労働局長 ||東京信用保証協会理事長、[[東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会]]常務理事・副事務総長、共同実施事業管理委員会副委員長<br /> |-<br /> | 村山寛司 || 2010年 - 2012年 ||東京都財務局長 ||日本自動車ターミナル社長、東京地下鉄副社長、東京信用保証協会理事長、全国信用保証協会連合会会長<br /> |-<br /> | 秋山俊行 || 2012年 - 2016年 ||東京都知事本局長 || [[東京都人材支援事業団]]理事長、日本自動車ターミナル社長<br /> |-<br /> | 安藤立美 || 2012年 - 2017年 ||東京都知事職務代理者、東京都財務局長 ||東京都参与<br /> |-<br /> | 前田信弘 || 2013年 - 2016年 ||東京都知事本局長 || [[東京臨海ホールディングス]]社長<br /> |-<br /> | 中西充 || 2016年 - 2017年 ||東京都総務局長 || <br /> |-<br /> | 山本隆 || 2016年 - 2017年 ||東京都産業労働局長 || 東京都人材支援事業団理事長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総長、共同実施事業管理委員会副委員長<br /> |}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> {{東京都の行政組織}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:とうきようとふくちし}}<br /> [[Category:東京都副知事|*]]</div> 115.37.19.152 増田義郎 2018-03-06T10:49:47Z <p>115.37.19.152: /* 略歴 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;増田 義郎&#039;&#039;&#039;(ますだ よしお、本名・&#039;&#039;&#039;増田 昭三&#039;&#039;&#039;、[[1928年]][[2月17日]] - [[2016年]][[11月5日]]&lt;ref&gt;{{Cite news|title=訃報 増田義郎さん88歳=東大名誉教授|newspaper=毎日新聞|date=2016-11-7|url=http://mainichi.jp/articles/20161107/k00/00m/060/135000c|accessdate=2016-11-7}}&lt;/ref&gt;)は、日本の[[文化人類学者]]、[[歴史学者]]([[ラテンアメリカ]]文化史)。[[東京大学]][[名誉教授]]。[[東京]]生まれ。[[従四位]]&lt;ref&gt;『官報』6917号、平成28年12月12日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 略歴 ==<br /> * [[1945年]]3月 東京府立第六中学校(現[[東京都立新宿高等学校]])卒業<br /> * [[1950年]]3月 [[東京大学文学部]]英吉利文学専修卒業<br /> * [[1956年]]11月 [[東京大学教養学部]]専任講師<br /> * [[1959年]]7月 助教授<br /> * [[1971年]]7月 教授<br /> * [[1988年]] 定年退官、名誉教授。<br /> * [[1989年]] [[千葉大学]]文学部教授<br /> * [[1995年]] [[亜細亜大学]]国際関係学部教授<br /> * [[1998年]] 同客員教授([[1999年]]3月まで)<br /> * [[2010年]]秋 [[瑞宝中綬章]]受章<br /> <br /> == 活動==<br /> 元は[[英文学]]を専攻していたが、1950年代後半からは、日本におけるラテンアメリカ史の開拓研究者となり、[[インカ帝国]]、[[マヤ文明]]のほか、[[大航海時代]](命名者でもある)や[[海賊]]などについて厖大な数の著作と翻訳がある。また自身[[イベリア半島]]やラテンアメリカ圏に、調査紀行を多くしている。<br /> <br /> == 著書 ==<br /> ===単著===<br /> *『インカ帝国探検記――ある文化の滅亡の歴史』([[中央公論社]], 1961年/[[中公文庫]], 1975年、新装版2001年、改版2017年)<br /> *『古代アステカ王国――征服された黄金の国』(中央公論社[[[中公新書]]], 1963年)<br /> *『太陽の帝国インカ――征服者の記録による』(角川書店[角川新書], 1964年) <br /> *『純粋文化の条件――日本文化は衝撃にどうたえたか』([[講談社現代新書]], 1967年)<br /> *『メキシコ革命――近代化のたたかい』(中央公論社[中公新書], 1968年)<br /> *『沈黙の世界史(12) 太陽と月の神殿』(新潮社, 1969年)<br /> **『太陽と月の神殿――古代アメリカ文明の発見』(中公文庫, 1990年)<br /> *『新世界のユートピア』([[研究社]], 1971年/中公文庫, 1989年)<br /> *『世界の歴史(7) インディオ文明の興亡』(講談社, 1977年)<br /> *『コロンブス』([[岩波書店]][[[岩波新書]]], 1979年)<br /> *『ビジュアル版 世界の歴史(13) 大航海時代』([[講談社]], 1984年)<br /> *『略奪の海カリブ――もうひとつのラテン・アメリカ史』(岩波書店[岩波新書], 1989年)<br /> *『黄金郷に憑かれた人々』([[日本放送出版協会]][NHKブックス], 1989年)<br /> *『大航海者の世界(3) マゼラン――地球をひとつにした男』([[原書房]], 1993年)<br /> *『黄金の世界史』(小学館, 1997年/[[講談社学術文庫]], 2010年)<br /> *『日本人が世界史と衝突したとき』(弓立社〈叢書日本再考〉, 1997年)<br /> *『物語ラテン・アメリカの歴史――未来の大陸』(中央公論社[中公新書], 1998年)<br /> *『アステカとインカ――黄金帝国の滅亡』([[小学館]], 2002年)<br /> *『太平洋――開かれた海の歴史』([[集英社新書]], 2004年)<br /> <br /> ===共著===<br /> *([[藤井龍彦]]・[[利根山光人]]・[[大江健三郎]]・[[小池祐二]])『新潮古代美術館(14)古代アメリカの遺産』([[新潮社]], 1981年)<br /> *([[友枝啓泰]])『世界の聖域(18)神々のアンデス』(講談社, 1982年)<br /> *(フランクリン・ピース)『図説インカ帝国』(小学館, 1988年)<br /> *([[柳田利夫]])『ペルー 太平洋とアンデスの国――近代史と日系社会』(中央公論新社, 1999年)<br /> *([[前川輝光]]・[[高殿良博]]・[[鯉渕信一]]・[[竹内実]])『アジア人の価値観』(アジア書房, 1999年)<br /> *([[吉村作治]])『インカとエジプト』(岩波書店[岩波新書], 2002年)<br /> *(青山和夫)『古代アメリカ文明 世界歴史の旅』([[山川出版社]], 2010年2月)<br /> <br /> ===編著===<br /> *『大系世界の美術(7)古代アメリカ美術』([[学研ホールディングス|学習研究社]], 1973年)<br /> *『世界の博物館(5)メキシコ国立人類学博物館――太陽の国マヤ・アステカの文明』(講談社, 1978年)<br /> *『アメリカ論(2)中南米』([[放送大学教育振興会]], 1986年)<br /> *『スペイン』(新潮社, 1992年)<br /> *『世界各国史(26)ラテン・アメリカ史(Ⅱ)南アメリカ』([[山川出版社]], 2000年)<br /> *『図説 海賊』([[河出書房新社]][ふくろうの本], 2006年)<br /> *『図説 大航海時代』([[河出書房新社]][ふくろうの本], 2008年)<br /> <br /> ===共編著===<br /> *([[上田勤]]・[[大橋健三郎]])『現代英米文学ハンドブック』([[南雲堂]], 1961年)<br /> *([[堀内清治]])『世界の建築(1)古代オリエント・古代アメリカ』(学習研究社, 1983年)<br /> *([[染田秀藤]]・[[山田善郎]])『ラテンアメリカ世界――その歴史と文化』([[世界思想社]], 1984年)<br /> *([[中川久定]]・[[二宮敬]])『[[17・18世紀大旅行記叢書]]・第Ⅰ期(全10巻)』(岩波書店, 1990年-1994年)<br /> *(NHK取材班)『NHK大英博物館(6)マヤとアステカ・太陽帝国の興亡』(日本放送出版協会, 1991年)<br /> *([[島田泉 (考古学者)|島田泉]])『古代アンデス美術』(岩波書店, 1991年)<br /> *([[山田睦男]])『世界各国史(25)ラテン・アメリカ史(Ⅰ)メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』(山川出版社, 1999年)<br /> <br /> ===主な訳書===<br /> * 『片隅の人生 サマセット・モーム全集(第8巻)』(新潮社, 1956年)<br /> * ロザモンド・レーマン『ワルツへの招待』(三笠書房, 1956年/角川文庫, 1991年)<br /> * アコスタ『新大陸自然文化史1 (上下)』(岩波書店「[[大航海時代叢書]]」, 1966年)<br /> * ゴドフリー・リーンハート『社会人類学』(岩波書店, 1967年)<br /> * [[ウィリアム・ハーディー・マクニール|ウィリアム・H・マクニール]]『世界史』(新潮社、1971年)<br /> **改訳版 (中央公論新社, 2001年/中公文庫(上下), 2008年)<br /> * L・G・ルンブレラス『アンデス文明――石期からインカ帝国まで』(岩波書店, 1977年)<br /> * ハーヴェイ・ホワイト『メキシコの黄金』(晶文社, 1977年)<br /> * シエサ・デ・レオン『インカ帝国史』(岩波書店「大航海時代叢書」, 1979年/[[岩波文庫]], 2006年)<br /> * [[フアン・ルルフォ|フワン・ルルフォ]]『ペドロ・パラモ』(岩波書店, 1979年/岩波文庫, 1992年)<br /> * コルテスほか『征服者と新世界』(岩波書店「大航海時代叢書」, 1980年)<br /> * [[ラス・カサス]]『インディアス史』(岩波書店「大航海時代叢書」, 1981年)<br /> * ペドロ・ピサロほか『ペルー王国史』(岩波書店「大航海時代叢書」, 1984年)<br /> * R・A・スケルトン『世界探検地図――大航海時代から極地探検まで』(原書房, 1986年)<br /> * クリントン・V・ブラック『カリブ海の海賊たち』(新潮社[[[新潮選書]]], 1990年)<br /> * スティーヴン・マーロウ『秘録コロンブス手稿』([[文藝春秋]](上・下), 1991年)<br /> * [[ジェイムズ・クック|クック]]『太平洋探検』(岩波書店(上・下), 1992-94年/岩波文庫(全6巻), 2004-05年)<br /> * サルバドール・デ・マダリアーガ『コロンブス正伝』([[角川書店]], 1993年)<br /> * マリアノ・クエスタ=ドミンゴ『図説航海と探検の世界史』(原書房, 1995年)<br /> * スティーヴン・マーロウ『[[ドン・キホーテ]]のごとく セルバンテス自叙伝』([[文藝春秋]](上・下), 1996年)<br /> * [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン|ロバート・ルイス・スティーヴンスン]]『完訳 [[宝島]]』(中公文庫, 1999年)<br /> * デイヴィッド・コーディングリ編『図説海賊大全』([[東洋書林]], 2000年)<br /> * エリザベス・バケダーノほか『大陸別世界歴史地図(4)南アメリカ大陸歴史地図』([[東洋書林]], 2001年)<br /> * ラウラ・ラウレンチック・ミネリ編『インカ帝国歴史図鑑――先コロンブス期ペルーの発展、紀元1000-1534年』(東洋書林, 2002年)<br /> * フランシスコ・デ・ヘレス/ペドロ・サンチョ『インカ帝国遠征記』(中公文庫, 2003年)<br /> * マリア・ロストウォロフスキ『インカ国家の形成と崩壊』(東洋書林, 2003年)<br /> * [[ウィリアム・サマセット・モーム|サマセット・モーム]]『ドン・フェルナンドの酒場で――サマセット・モームのスペイン歴史物語』([[原書房]], 2006年)<br /> * ブライアン・レイヴァリ『船の歴史文化図鑑――船と航海の世界史』(悠書館, 2007年)<br /> * シエサ・デ・レオン『インカ帝国地誌』(岩波文庫, 2007年)<br /> * [[ダニエル・デフォー]]『完訳 [[ロビンソン・クルーソー]]』(訳・解説、中央公論新社, 2007年/中公文庫, 2010年) <br /> * [[ブロニスワフ・マリノフスキ|マリノフスキー]]『[[西太平洋の遠洋航海者]]』([[講談社学術文庫]], 2010年)-旧訳版は中央公論社「[[世界の名著]]」(抄訳) <br /> <br /> ==脚注==<br /> {{Reflist}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:ますた よしお}}<br /> [[Category:日本の文化人類学者]]<br /> [[Category:日本の歴史学者]]<br /> [[Category:東京大学の教員]]<br /> [[Category:千葉大学の教員]]<br /> [[Category:亜細亜大学の教員]]<br /> [[Category:ラテンアメリカ史学者]]<br /> [[Category:スペインの植民政策|研 ますた]]<br /> [[Category:東京都出身の人物]]<br /> [[Category:瑞宝中綬章受章者]]<br /> [[Category:1928年生]]<br /> [[Category:2016年没]]</div> 115.37.19.152 後藤高志 2018-02-28T07:56:31Z <p>115.37.19.152: /* 来歴・人物 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 人物<br /> |氏名 = 後藤 高志<br /> |ふりがな = ごとう たかし<br /> |画像 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |画像サイズ = &lt;!--省略値は180x180px--&gt;<br /> |画像説明 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1949|2|15}}<br /> |生誕地 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |没年月日 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |死没地 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |職業 = [[西武ホールディングス]] 代表取締役社長・[[西武鉄道]]取締役会長<br /> |出身校 = [[東京大学経済学部]]<br /> |配偶者 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> |子供 = &lt;!--省略可--&gt;<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;後藤 高志&#039;&#039;&#039;(ごとう たかし、[[1949年]](昭和24年)[[2月15日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[西武ホールディングス]]代表取締役社長、[[西武鉄道]]取締役会長、[[埼玉西武ライオンズ]]取締役オーナー、[[ところざわサクラタウン]]アドバイザーリーボード。<br /> <br /> ==来歴・人物==<br /> [[東京都]]出身。[[成蹊中学校・高等学校]]を経て[[東京大学経済学部]]卒業。大学時代は[[東京大学運動会ラグビー部|ラグビー部]]に所属。[[第一勧業銀行]]入行。企画部副部長時代、総会屋利益供与事件に揺れる社内で「4人組」として改革の先頭に立つ&lt;ref&gt;{{cite news |title=OB紹介|author= |agency=|publisher=東京大学ラグビー部|date=|url=http://www.turfc.com/staticpage/ob|accessdate=2015-5-22}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[みずほホールディングス]]執行役員常務・[[みずほフィナンシャルグループ]]常務執行役員・[[みずほコーポレート銀行]](現:[[みずほ銀行]])取締役副頭取・みずほコーポレート([[ベンチャーキャピタル]])代表取締役社長(兼任)を経て、[[2005年]][[5月24日]]に[[メインバンク]]としている[[西武グループ]]を再建するため、西武鉄道社長に就任した&lt;ref&gt;{{cite news |title=西武トップに後藤氏起用へ みずほコーポ副頭取|author= |agency=|publisher=共同通信|date=2005-1-12|url=http://www.47news.jp/CN/200501/CN2005011201003299.html|accessdate=2015-5-22}}&lt;/ref&gt;。就任時、会社の体質を改革するとし株主に「早期にいい形で」上場すると宣言。「峻別と集中」「企業価値の極大化」の2大コンセプトのもと経営改革を推進する&lt;ref&gt;{{cite news |title=上場廃止から10年、“眠れる獅子”西武HDの大変貌【1】みずほから送り込まれた経営陣の「峻別と集中」の構造改革|author= |agency=|publisher=PRESIDENT Online|date=2015-1-22|url=http://president.jp/articles/-/14306|accessdate=2015-5-22}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2006年]][[2月3日]]にグループ再編の一環として[[西武ホールディングス]]が新しく設立され、同社長に就任。同年[[3月27日]]に西武鉄道と[[プリンスホテル]]を西武ホールディングスの子会社化し、グループ再編を完了した。<br /> <br /> [[2007年]][[5月18日]]、西武ライオンズ・[[太田秀和]]代行が球団副社長に降格の際、取締役オーナーに就任する&lt;ref&gt;{{cite news |title=太田代行、副社長に降格 西武が裏金問題で処分|author= |agency=|publisher=共同通信|date=2007-5-7|url=http://www.47news.jp/CN/200705/CN2007050701000604.html|accessdate=2015-5-22}}{{リンク切れ|date=2017年9月}}&lt;/ref&gt;。就任後、これまで球団が極力扱わなかった[[福岡県]]を本拠地とした前身球団([[西日本鉄道|西鉄]]クリッパース〜西鉄ライオンズ〜[[福岡野球|太平洋クラブライオンズ〜クラウンライターライオンズ]])時代の球団史の再評価、福岡時代の球団OBとの関係修復・顕彰や、球団名を埼玉西武ライオンズに改め、[[埼玉県]]を中心とした地域への密着に取り組むなど、方針転換に着手している。<br /> <br /> [[2010年]][[6月23日]]に西武鉄道の代表取締役社長から取締役会長となった。<br /> <br /> ==脚注==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> *[http://www.seibu-group.co.jp/ 西武グループ]<br /> *[http://www.seibu-group.co.jp/railways/ 西武鉄道]<br /> *[http://www.seibuholdings.co.jp/ 西武ホールディングス]<br /> *[https://web.archive.org/web/20100808011320/http://www.seibu-group.co.jp/LIONS/ 埼玉西武ライオンズ]<br /> *[http://www.toshin.com/top_leader/article/201602/index.php 西武グループ再生 〜峻別と集中〜]<br /> <br /> {{西武グループ}}<br /> {{埼玉西武ライオンズ及びその前身球団歴代オーナー|埼玉西武ライオンズ|2007.5.18 - }}<br /> {{People-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:ことう たかし}}<br /> [[Category:日本の実業家]]<br /> [[Category:西武鉄道グループの人物]]<br /> [[Category:埼玉西武ライオンズ関連人物]]<br /> [[Category:みずほフィナンシャルグループの人物]]<br /> [[Category:プロ野球のオーナー]]<br /> [[Category:日本のラグビーユニオン選手]]<br /> [[Category:東京大学運動会ラグビー部の選手]]<br /> [[Category:成蹊高等学校出身の人物]]<br /> [[Category:東京都出身の人物]]<br /> [[Category:1949年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 115.37.19.152 名古屋高等商業学校 2018-02-02T22:48:27Z <p>115.37.19.152: /* 教員 */</p> <hr /> <div>{| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;margin-left:14px; float: right;&quot;<br /> |-<br /> ! colspan=&quot;2&quot; |名古屋高等商業学校&lt;br /&gt;(名古屋高商)<br /> |-<br /> |創立<br /> |1920年<br /> |-<br /> |所在地<br /> |愛知県呼続町&lt;br /&gt;(現・名古屋市瑞穂区)<br /> |-<br /> |初代校長<br /> |[[渡辺龍聖]]<br /> |-<br /> |廃止<br /> |1951年<br /> |-<br /> |後身校<br /> |[[名古屋大学大学院経済学研究科・経済学部]]<br /> |-<br /> |同窓会<br /> |[http://www.kitankai.net/modules/pico1/index.php?content_id=17 (社)キタン会]<br /> |}<br /> &lt;!--他の高商記事と形式を統一しているので、冒頭の文章のスタイルは変えないでください。--&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;名古屋高等商業学校&#039;&#039;&#039;(なごやこうとうしょうぎょうがっこう)は、[[1920年]]([[大正]]9年)11月に設立された[[旧制専門学校]]である。略称は「&#039;&#039;&#039;名古屋高商&#039;&#039;&#039;」( - こうしょう)または「&#039;&#039;&#039;名高商&#039;&#039;&#039;」(めいこうしょう)で、校地の愛称にちなみ「&#039;&#039;&#039;剣陵学園&#039;&#039;&#039;」(けんりょうがくえん)とも称される。<br /> <br /> なお、この項目では改称後の「&#039;&#039;&#039;名古屋経済専門学校&#039;&#039;&#039;」( - けいざいせんもんがっこう)についても述べる。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> * [[第一次世界大戦]]後の高等教育拡充の動きのなかで全国&#039;&#039;&#039;6番目&#039;&#039;&#039;の官立[[高等商業学校]]として発足し、本科・商工経営科を設置した。<br /> * [[愛知県]]下では、愛知県立医学専門学校&lt;ref&gt;[[1903年]]、[[専門学校令]]による[[旧制専門学校]]として設立され、[[1920年]]、[[大学令]]による愛知県立医科大学(旧制)に昇格、[[1931年]]には官立移管され(旧制)名古屋医科大学に改組、[[1939年]]の[[名古屋大学|名古屋帝国大学]]発足に際し、その[[医学部]]の母体として併合された。現在の名古屋大学医学部の源流である。&lt;/ref&gt;・[[名古屋高等工業学校]]・[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]に次いで4番目に設立された旧制高等教育機関である。<br /> * 生徒は地元の愛知県出身者が多く、大半が会社・商店などの企業に就職した。<br /> * [[第二次世界大戦]]中に、「&#039;&#039;&#039;名古屋経済専門学校&#039;&#039;&#039;」(&#039;&#039;&#039;名古屋経専&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;名経専&#039;&#039;&#039;)と改称し、&#039;&#039;&#039;名古屋工業経営専門学校&#039;&#039;&#039;を併設した。<br /> * [[学制改革]]により&#039;&#039;&#039;[[新制大学|新制]][[名古屋大学]][[法経学部]]経済学科および経営学科(現在の[[名古屋大学大学院経済学研究科・経済学部]])の構成母体&#039;&#039;&#039;となった。<br /> * 卒業生により同窓会「[[社団法人]]キタン会」(結成当時の名称は「其湛(きたん)会」)が組織されており、名古屋大学経済学部と共通の同窓会となっている。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> === 設立の経緯 ===<br /> [[1918年]]([[大正]]7年)、[[文部省]]が計上した官立第6[[高等商業学校]]設置のための予算が[[帝国議会]]を通過し、その候補地として[[名古屋市|名古屋]]のほか[[静岡市|静岡]]・[[松山市|松山]]が挙がった。特に名古屋市は[[第一次世界大戦]]期の好況により工業化が進展し、その人材を育成する商業教育機関を必要としていたことから、[[愛知県]]の[[松井茂]][[愛知県知事|知事]]は名古屋に高等商業学校、三河地方に[[高等農林学校]]を誘致し、既設の[[旧制医学専門学校|医専]](愛知県立医専)・[[高等工業学校|高工]](名古屋高工)と併せて高等教育の4分野をカバーする学校を県下に揃えることを構想した&lt;ref&gt;当時この4分野をカバーする高等教育機関を揃えていたのは[[東京府]]のみであった。&lt;/ref&gt;。この結果、高農の誘致はならなかった&lt;ref&gt;この時は「三大農学校」の一つに数えられていた[[愛知県立安城農林高等学校|(県立)安城農林学校]]([[旧制中等教育学校|旧制中等学校]])の高農昇格が志向されたが、近隣に[[岐阜高等農林学校|岐阜]]([[1921年]])・[[三重高等農林学校|三重]]([[1923年]])の官立2高農が設置された関係もあって認められず、[[名古屋大学|名古屋帝国大学]]設立([[1939年]])以降は同大学の[[農学部]]設置構想へと変わったが戦時下という事情もあって実現しなかった。[[第二次世界大戦]]後の[[学制改革]]を経て、[[愛知青年師範学校|愛知青師]]を前身とする[[愛知教育大学|愛知学芸大学]]安城分校の施設・校地を転用して[[名古屋大学]][[農学部]]が設置されたのは[[1951年]]である。堀田慎一郎『農学部の誕生と安城キャンパス』(名大史ブックレット11)、名古屋大学大学文書資料室、[[2006年]]、参照。&lt;/ref&gt;ものの、高商の設置が決定され、愛知県は1918年度より5年間、高商設立経費の1/3以上(約1,060,000円)を負担することとなり、[[1920年]]11月、[[勅令]]第551号(官制公布)により名古屋高等商業学校が設立された。名古屋高商は修業年限3年の本科を設置、初代校長には[[小樽高等商業学校|小樽高商]]初代校長から第6高等商業学校創立委員長に転じた[[渡邊龍聖]]([[東京専門学校 (旧制)|東京専門学校]]、[[東京大学|帝国大学]][[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|文科大学]]で学び、[[コーネル大学]]で哲学博士号取得。[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]校長を務めた)が就任した。渡邊は名高商の存続期間の大半を占める24年間にわたって校長を務めたため、名高商のカラーや理念は彼によってかたちづくられることとなった。<br /> <br /> === 教育と研究の拡充 ===<br /> 設立時の教育方針は、渡邉校長の前任校である小樽高商での教育方針がかなりの程度踏襲され、[[英語]]を始めとする外国語教育や、商業実践(模擬会社による実習)・商品実験(製造や品質鑑定などの実験)などの実践的な科目に重点が置かれ、多くの外国人講師が任用されたほか、[[1922年]]4月には「&#039;&#039;&#039;商品実験室&#039;&#039;&#039;」が設置された。さらに実例に則して学生に自由討論を行わせる「ケースメソッド教授法」や商品の生産・流通に関わる人間の心理を研究する「商工心理学」が名古屋高商独自の教育法・学科目として導入された。<br /> <br /> 教育と並行して研究活動も盛んになった。[[1923年]]には研究団体として発足した「商業経済学会」は機関誌『商業経済論叢』を創刊、[[1926年]]に研究施設として設置された「&#039;&#039;&#039;産業調査室&#039;&#039;&#039;」は翌[[1927年]]2月に機関誌『調査報告』を創刊、さらに[[1932年]]には研究団体「商業美術研究会」が『商業美術論集』を創刊した。特に産業調査室は、1922年教授として着任した[[赤松要]]が渡邉校長に提言して設置されたもので、赤松を主任として経営調査、景気循環の実証研究などが行われ、[[1933年]]には約40年間にわたり日本の全生産物を網羅した生産指数を発表し、「名高商生産指数」と称された。以上のように名高商では、のちに赤松が「総合大学として偉容を有する」と称賛したほどの、旧制専門学校のレベルを超えた高度な研究が行われていたが、「専門学校は大学と対等の最高学府」とする理念を堅持していた渡邊校長が大学昇格に消極的であったため、大学昇格運動が表面化することはなかった。<br /> <br /> 生徒(本科生)は愛知県出身者が圧倒的に多く、近隣の[[岐阜県]]・[[三重県]]出身者が続き、卒業生は6割程度が会社・商店などの企業に就職、10%程度が東京商科大学・神戸商業大学などに進学した([[1936年]])。課外活動としてスポーツも盛んであり、野球部は[[1931年]]の[[甲子園球場|甲子園]]大会で全国制覇(中京商業の間違いでは?)、水泳部は[[1930年]]の全国高商連盟大会で5種目の新記録を出して総合得点で優勝、[[1932年]]には部員の[[清川正二]]が[[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|ロサンゼルス五輪]]の100m背泳で金メダルを獲得した。<br /> <br /> === 戦時体制の進行 ===<br /> 渡邉校長が辞任した[[1935年]]頃から名高商では戦時色が色濃くなっていった。まず、[[1936年]]より[[帝国大学]]教授や[[帝国議会]]議員を講師に日本文化・皇室の意義・戦時経済などをテーマとした「日本文化講義」が開講されるようになった。生徒組織も戦時体制に即したものに再編され、[[1940年]]には学友会が解散し、代わって「報国団」が発足、さらに[[1941年]]8月には「学校報国隊」が発足し名高商は完全に戦時体制に取り込まれることになった。これと並行して[[学徒動員|生徒の戦時動員]]も進行し、[[1938年]]の勤労奉仕作業開始を経て、太平洋戦争開始後の[[1943年]]には修業年限が2年に短縮されるとともに臨時徴兵検査が校内で実施され、合格者は仮卒業証書を授与され軍人として戦地に赴いた。<br /> <br /> [[1944年]]3月には戦時学制改革により名高商は「名古屋経済専門学校」(名経専)と改称するとともに、国家のための工業経営者の育成を標榜する「名古屋工業経営専門学校」が併設され、前者は従来の高商生が卒業するまでの受け入れ機関としてのみ存置を許され、漸次後者へと移行するものとされた。しかし戦局の悪化によってこのような体制すら長続きすることは困難となり、同年には[[三菱重工業|三菱重工]]名古屋航空機製作所への勤労動員が開始され、ついで[[1945年]]3月には工経専の授業自体が停止となり、名経専・工経専は完全に学校としての機能を止めた。<br /> <br /> === 新制への移行 ===<br /> 敗戦後の名経専では戦時体制からの離脱とともに、[[学制改革]]による[[新制大学]]昇格への動きが本格化した。[[1946年]]には修業年限が3年へと復活し、また戦時体制の象徴であった名古屋工経専が廃止され、工経専の生徒は名経専の本科を分割して設置した経済科・経営科のうち後者に編入されることとなった。敗戦の年の1945年末に開催された学生大会では「大学昇格」が決議され、これをきっかけに生徒・教職員・其湛会などが一体となって「名古屋経営大学」への昇格運動が本格化した。名経専では当初、渡邊初代校長以来の「総合大学に匹敵する」との自負から、単独での大学昇格をめざした。<br /> <br /> しかし一方で理系学部主体の(旧制)名古屋大学&lt;ref&gt;[[1947年]]10月、名古屋帝国大学を改称。この時点では[[帝国大学令#国立総合大学令|国立総合大学令]]に基づく[[旧制大学]]であり、学部は[[理学部]]・[[工学部]]・[[医学部]]のみが設置されていた。&lt;/ref&gt;が文系学部を完備した新制総合大学への移行をめざし、名高商を統合して経済学部の母体とする構想を進めていたため、最終的に名経専は新制名古屋大学への参加をめざす途を選択した。[[1949年]]5月の新制名古屋大学発足にともない同大学に包括された名経専は、新たに設置された法経学部経済学科・経営学科の構成母体となり、翌[[1950年]]には2学科が分離して[[名古屋大学経済学部]]が新設された。[[1951年]]3月、名経専は最後の卒業式を挙行し廃校となった。<br /> <br /> 名経専の「産業調査室」は敗戦後の一時中断を経て[[1950年]]に名大経済学部の施設として復活、[[1953年]]には経済調査室に改組されて現在の名大大学院経済学研究科附属「国際経済動態研究センター」に継承されている。また、同窓会である其湛会は[[1953年]]に[[社団法人]]化され、[[1969年]]には名大経済学部同窓会と一本化されて「其湛啓友会」となり、その後「キタン会」と改称されて現在に至っている。<br /> <br /> === 年表 ===<br /> * [[1920年]]11月 - 勅令第551号により設立。本科を設置(修業年限3年)。<br /> * [[1921年]]5月 - 授業開始。この年、学友会発足。<br /> * [[1922年]]4月 - 商品実験室設置。<br /> * [[1923年]] - 研究団体「商業經濟學會」発足。機関誌『商業經濟論叢』創刊。<br /> * [[1924年]] - 同窓会「其湛會」の発足。商工経営科設置(修業年限1年)。<br /> * [[1926年]] - 産業調査室設置。<br /> * [[1927年]]2月 - 機関誌『調査報告』創刊。<br /> * [[1930年]] - 水泳部が全国高商連盟大会で総合優勝。<br /> * [[1931年]] - 『剣陵十周年史』刊行。<br /> * [[1932年]]8月 - 水泳部の[[清川正二]]が[[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|ロサンゼルス五輪]]で金メダル獲得。<br /> * 1932年 - 商業美術研究会『商業美術論集』創刊。<br /> * [[1933年]] - 「名高商生産指数」の発表。左翼運動により生徒15名検挙、うち11名が除籍。<br /> * [[1934年]] - 左翼運動で生徒6名検挙、うち4名除籍。<br /> * [[1936年]] - この年度より「日本文化講義」開始。<br /> * [[1938年]] - 生徒による勤労奉仕作業開始。<br /> * [[1939年]] - 「興亜青年勤労報国隊」として生徒5名が中国に派遣。<br /> * [[1940年]]11月 - 学友会解散。<br /> * 1940年12月 - 学友会に代わる「報国団」発足。<br /> * [[1941年]]8月 - 学校報国隊発足。<br /> * [[1943年]] - [[学徒動員]]のため修業年限を2年に短縮。臨時徴兵検査実施。<br /> * [[1944年]]3月 - 「&#039;&#039;&#039;名古屋経済専門学校&#039;&#039;&#039;」と改称。名古屋工業経営専門学校を併設。<br /> * 1944年 - [[三菱重工業]]名古屋航空機製作所への勤労動員開始。<br /> * [[1945年]]3月 - 授業停止。<br /> * 1945年12月 - 学生大会が開催され「大学昇格」を決議。<br /> * [[1946年]]3月 - 工業経営専門学校を廃止し、経済専門学校に統合。経専の本科を経済科・経営科に分け、後者に工経専の生徒を編入。<br /> * 1946年 - 修業年限を3年に復活。<br /> * 1947年3月 - 「(名古屋経営大学)昇格期成同盟」が発足。<br /> * [[1947年]] - 生徒自治会が発足。<br /> * [[1949年]]5月 - 新制[[名古屋大学]]に包括され、法経学部経済経営学科の母体となる。<br /> * [[1950年]]4月 - 法経学部を法学部・経済学部に分離。<br /> * [[1951年]]3月 - 廃止。<br /> <br /> == 歴代校長 ==<br /> * 初代:[[渡辺龍聖]]([[1921年]]11月〜[[1935年]]5月)<br /> ** [[小樽高等商業学校|小樽高商]]校長より転じ第6高等商業学校創立委員長になり、1921年4月〜11月、校長事務取扱。<br /> * 第2代:国松豊(1935年5月〜[[1945年]]9月)<br /> * 第3代:高瀬五郎(1945年9月〜[[1946年]]3月)<br /> * 第4代:野本悌之助(1946年5月〜[[1949年]]7月)<br /> * 第5代:[[酒井正兵衛]](1949年7月〜[[1951年]]3月)(兼名古屋大初代経済学部長)<br /> <br /> == 校地の変遷と継承 ==<br /> &lt;!--この節の編集についてはノート参照--&gt;<br /> [[愛知県]][[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]][[呼続町]]大字瑞穂字川澄(のち[[名古屋市]][[南区 (名古屋市)|南区]]に編入。現在の[[瑞穂区]][[瑞穂町 (名古屋市)|瑞穂町]]川澄)に設立された(&#039;&#039;&#039;桜山&#039;&#039;&#039;校地:所在地は近郊の[[熱田神宮]]の神体である草薙の剣にちなみ「剣ヶ丘」「剣陵」と命名された)。この校地は名古屋大学への包括により法経学部経済学科・経営学科に継承された(のちに経済学部)が、名大キャンパスの統合移転に際して名古屋市に売却され、経済学部は[[1959年]]([[昭和]]34年)3月までに現在の&#039;&#039;&#039;東山&#039;&#039;&#039;キャンパスに移転した。現在は[[名古屋市立大学]]川澄キャンパスとして同大学の[[医学部]]・附属病院が置かれ、名高商・名経専を記念する「其湛の塔」が残されている。<br /> <br /> == 著名な教員・出身者 ==<br /> === 教員 ===<br /> * [[河合逸治]] - [[東京帝大]]英文科出身。[[河合塾]]創始者。[[名城大学]]設立にも参画。<br /> * [[赤松要]] - [[東京高等商業学校|東京高商]]出身。[[1922年|1922]] - [[1939年]]名高商教授(のち[[東京商科大学 (旧制)|東京商大]]([[一橋大学]]の前身)に転ず)。[[雁行形態論]]提唱。<br /> * [[酒井正兵衛]] - 東京商大出身。[[1925年]]講師就任。[[1928年]]教授就任。初代名古屋大学経済学部長、[[経済社会学会]]会長、[[日本学術会議]]会員等を歴任。名古屋大学名誉教授。<br /> * [[深見義一]] - 東京商大出身。のちに一橋大学教授に転じ、商学部長、社団法人流通問題研究協会会長を歴任。第1回日本商業学会賞受賞。<br /> * [[藻利重隆]] - [[山口高等商業学校|山口高商]]・東京商大出身。[[1936年]]2月講師就任。[[1938年]]3月教授就任。のちに一橋大学教授に転じ、商学部長、[[日本経営学会]]理事長を歴任。<br /> * [[末松玄六]] - 東京商大出身。名古屋大学名誉教授。初代日本中小企業学会副会長。[[日経・経済図書文化賞]]受賞。<br /> <br /> === 出身者 ===<br /> * [[渡辺栄一]] - 元[[建設大臣]]、元[[美濃加茂市]]長、元衆院決算委員長<br /> * [[辻寛一]] - 元[[衆議院議員]]([[自由民主党 (日本)|自由民主党]])/ [[辻真先]]の父 <br /> * [[清川正二]] - 水泳選手([[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|1932年ロサンゼルス五輪]]金メダリスト)、日本人初の[[IOC]]副会長、元[[兼松|兼松江商]]社長<br /> * [[河合邦人]] - 元[[河合塾]]理事長、元喜久牡丹酒造社長、元[[広島県議会]]議員<br /> * [[河合斌人]] - 元[[河合塾]]理事長・会長、元[[山一證券]]副社長<br /> * [[古川勝巳]] - [[日本ヘラルド映画]]設立者、元同社社長、元[[ヘラルド興業]]社長<br /> * [[鈴木永二]] - 元[[日経連]]会長、元[[三菱化成]]社長・会長<br /> * [[石井健一郎]] - 元[[大同特殊鋼]]会長、元[[日経連]]副会長、全国選抜中等学校野球大会で高松商監督で優勝<br /> * [[与良ヱ]] - 元[[中日新聞社]]社長<br /> * [[越後正一]] - 元[[伊藤忠商事]]社長、元トータルファッション協会長<br /> * 堀田輝雄 - 元[[伊藤忠商事]]副社長・副会長、元[[大阪商工会議所]]副会頭<br /> * 長谷川栄一 - 元[[御園座]]会長、元[[日本演劇興行協会]]長、元[[名古屋ロータリークラブ]]会長<br /> * [[乾豊彦]] - 元[[乾汽船]]社長、元[[日本ゴルフ協会]]会長<br /> * 谷信一 - 元[[東海銀行]]頭取<br /> * [[加藤隆一]] - 元[[東海銀行]]頭取・会長、元[[名古屋商工会議所]]会頭<br /> * 大橋小源治 - 元[[丸万証券]]社長、元[[東海銀行]]常務<br /> * 野村末一 - 元[[三井化学|三井東圧化学]]社長<br /> * 中井春雄 - 元[[日本水産]]社長<br /> * [[大内三郎]] - 元[[四国電力]]社長<br /> * 稲垣登 - 元[[三井住友建設|三井建設]]社長、元[[三井物産]]副社長(武道にも優れ、現在でも公立校唯一の学生相撲横綱)<br /> * 北根貞雄 - 元[[中央三井信託銀行|中央信託銀行]]社長<br /> * 鈴木亭一 - 元[[日本特殊陶業]]社長<br /> * 小林宏武 - 元[[山梨中央銀行]]頭取<br /> * 太田広一 - 元[[豊田化工]]社長<br /> * [[柴田泰男]] - 元[[豊田通商]]社長、元[[トヨタ自動車]]監査役<br /> * 中山典昭 - 元[[日本化成]]社長、元[[三菱化成]]取締役<br /> * 浅野重雄 - [[東海サーモ]]会長、大垣商工会議所副会頭<br /> * 神森忠義 - 元[[旭有機材]]社長、元[[旭化成工業]]副社長<br /> * 川島章司 - 元[[国際証券]]社長・会長、元野村證券専務<br /> * 塚田欽一郎 - 元[[東海電気工事]]社長、元[[中部電力]]副社長<br /> * 高橋和雄 - 元[[名鉄エージェンシー]]社長、元[[名古屋商工会議所]]職員<br /> * 山田哲三 - 元[[カノークス]]社長、元[[日商岩井鉄鋼製品販売]]社長<br /> * [[河島博]] - 元[[ヤマハ]]社長、元[[ダイエー]]副会長<br /> * [[塩野谷九十九]] - 経済学者、名古屋大名誉教授<br /> * [[小島清]] - 経済学者、元日本国際経済学会理事長、一橋大名誉教授<br /> * 君島逸平 - 映画評論家<br /> * [[建元正弘]] - 経済学者、大阪大名誉教授<br /> * [[矢尾次郎]] - 経済学者、神戸大学名誉教授<br /> * 宮下忠雄 - 経済学者、神戸大学名誉教授<br /> * [[渡邊進 (会計学者)|渡邊進]] - 会計学者、神戸大学名誉教授<br /> * [[瀧正男]] - 体育学者、[[中京大学]]名誉教授<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}{{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> == 参考・関連文献 ==<br /> &#039;&#039;&#039;書籍&#039;&#039;&#039;<br /> * 神谷智 『名古屋大学 キャンパスの歴史1(学部編)』(名大史ブックレット2)、名古屋大学大学史資料室、[[2001年]]<br /> * 堀田慎一郎 『名古屋高等商業学校 ―新制名古屋大学の包括学校(2)―』(名大史ブックレット10)、名古屋大学大学文書資料室、[[2005年]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;論文&#039;&#039;&#039;<br /> * {{PDFlink|[http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/publications/journal/no2/03.pdf 竹内常善 「日本経済と名古屋大学経済学部の接点」 『名古屋高等教育研究』2(2002年)]}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.nagoya-u.ac.jp/ 名古屋大学]<br /> * [http://www.kitankai.net/ (社)キタン会]<br /> * [http://nua.jimu.nagoya-u.ac.jp/booklet/ 名大史ブックレット(DL可能)]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[名古屋大学大学院経済学研究科・経済学部]]<br /> <br /> 他の高等商業学校については[[高等商業学校#主要な高等商業学校]]を参照。<br /> * [[高等商業学校]]<br /> * [[旧制専門学校]]<br /> * [[学制改革]]<br /> 名古屋大学に包摂された旧制学校<br /> * [[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]<br /> * [[岡崎高等師範学校]]<br /> <br /> {{日本の高等商業学校・旧制商科大学}}<br /> {{デフォルトソート:なこやこうとうしようきようかつこう}}<br /> [[Category:日本の高等商業学校|なこや]]<br /> [[Category:愛知県の旧制教育機関]]<br /> [[Category:瑞穂区の学校|廃なこやこうとうしようきようかつこう]]<br /> [[Category:瑞穂区の歴史]]<br /> [[Category:名古屋大学|旧なこやこうとうしようきようかつこう]]<br /> [[Category:1920年設立の教育機関]]<br /> [[Category:1951年廃止]]<br /> [[Category:学校記事]]</div> 115.37.19.152 少年兵 2018-02-02T03:37:45Z <p>115.37.19.152: /* その他 */</p> <hr /> <div>[[画像:Jovita Feitosa.jpg|thumb|[[三国同盟戦争]]に投入された少年兵士]]<br /> &#039;&#039;&#039;少年兵&#039;&#039;&#039;(しょうねんへい)あるいは&#039;&#039;&#039;少女兵&#039;&#039;&#039; (しょうじょへい)({{lang-en-short|Child soldier}})、は、18歳未満の[[子供]]の[[兵隊]]のこと。特に、[[陣地]]を守らせたり、[[プロパガンダ]]を提供するために、軍事活動に強制動員する場合を指す。<br /> <br /> 時に、&#039;&#039;&#039;子供のいけにえ&#039;&#039;&#039;と言われることがあるが、宗教的な子供のいけにえとは同質のものではない。&#039;&#039;&#039;子供兵士&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;子供兵&#039;&#039;&#039;の呼称も同様に用いられる。<br /> <br /> [[戦争]]や[[紛争|武力紛争]]に兵隊として子供たちが使われていることに対し、社会の関心を引き出すために、毎年[[2月12日]]に、レッドハンドデー{{enlink|Red Hand Day}}を開催している。レッドハンドデーは、[[国連総会]]で採択された&#039;&#039;&#039;武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書&#039;&#039;&#039; (Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the involvement of children in armed conflicts) が[[2002年]][[2月12日]]に発効される日に開始された。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 歴史的に有名な少年兵に[[少年十字軍]]、[[オスマン帝国]]の[[イェニチェリ]]、[[戊辰戦争]]の[[白虎隊]]と[[二本松少年隊]]等の事例、近代では三国同盟戦争 [[第二次世界大戦]]における[[ヒトラーユーゲント]]を代表とする各国の少年志願兵などがある。ただし第二次世界大戦までの少年兵はあくまで正規の軍人としての地位と待遇を受け、また軍事教育を受けた上で国民軍の一員として正規戦争を戦っていた。<br /> <br /> そもそも、古代から近代までは、現在とは「少年」の定義が異なっている。[[治承・寿永の乱|源平合戦]]や[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の乱世では十代前半で初陣を飾ることは珍しくなく、戊辰戦争の時代は特定の藩だけでなく、他の藩も元服後の侍は大人として扱われ武家の教育がされていた。<br /> <br /> 現代において国際的問題となっているのは、[[冷戦]]崩壊後の[[第三世界]]における[[民族紛争]]において、主に反政府組織によって子供が意に反して、奴隷のように兵士として使われ過酷な待遇を受ける状況である。<br /> <br /> 反政府組織の例としては、[[ダイヤモンド]]の権益を巡る[[シエラレオネ]]、[[リベリア]]での紛争における[[リベリア国民愛国戦線]]や[[革命統一戦線]]、[[スリランカ]]の[[タミル・イーラム解放のトラ]]、[[ネパール内戦]]における[[ネパール共産党毛沢東主義派]]が挙げられる。<br /> <br /> == 登場と台頭の理由 ==<br /> 歩兵としての少年兵が多く用いられるようになった理由の一つに、[[武器]]の小型化がある。かつて武器の主力であった[[刀剣]]や[[槍]]、[[弓矢]]などを使いこなすには熟練が必要であった上に大きく嵩張り、重量もあった。そして、子供用の軽量の武具では、鎧に身を包んだ敵兵を倒すだけの威力は望めなかった上、容易に敵に蹴散らされる危険が高く、正面兵力としては使い物にならなかった。<br /> <br /> 15世紀に[[銃]]が登場してからも、20世紀後半まで主力であった[[火縄銃]]や[[マスケット銃]]、[[ボルトアクション方式]]小銃は全長が長く重い上に反動も強かったため、子供では大人と同様に使いこなしてすばやく移動することは難しかった。以上のような理由で、戦争当事国がよほど追い詰められている状況でもない限り少年兵は「動員しても(正面戦力としては)役に立たない存在」とされ、陸戦の主役たる歩兵として前線に立たされることを防いでいた。<br /> <br /> ただし、歩兵以外では、古くは[[帆船]]時代の[[軍艦]]では火薬運搬手などとしてしばしば用いられ、また近代戦でも[[戦車]]や[[航空機]]など個別の技能を要求される兵器では少年時代からの訓練が効果的であるため、志願による少年訓練生の制度は一般的であった。なお、当時は15歳ほどで成人として認められるなど、現在とは「少年」の概念が若干異なる。<br /> <br /> しかし、[[ベトナム戦争]]後に各国で主流の歩兵装備となった[[アサルトライフル]]と個人携行[[対戦車兵器]]の出現はその状況を一変させ、2つ合わせても10kgほどの重量しかない[[AK-47|AK(カラシニコフ突撃銃)]]と[[RPG7]]は、最低限の訓練とともに子供を十分な攻撃力を持つ歩兵に変えてしまうようになった。<br /> <br /> アサルトライフルは[[市街戦]]に代表される接近戦を有利に展開させるため全長が短く軽量にデザインされ、大量生産が容易であるため安価に供給され、フルオート連射を容易にするために比較的威力が低く反動も少ない小口径・短小薬莢の弾薬を使用している。このためアサルトライフルは子供でも携行・射撃が容易となり、至近距離からフルオートで弾をばら撒くように連射するだけなら正規軍の兵士のように射撃に習熟させる必要もない。<br /> <br /> また、個人携行対戦車兵器は、極めて低コストかつ容易な取り扱いで、個人が物陰から一撃で高価な装甲車両を撃破することを可能とした反面で、発射後の爆風や火球で位置が特定され易く射手の死亡率が高いという欠点を持つため、これが登場した第二次大戦中から使い捨てにできる子供や老人達に装備させるのに適した兵器として量産された経緯を持つ(例:[[国民突撃隊]])。<br /> <br /> == 問題 ==<br /> [[File:Minors held in Guantanamo.jpg|thumb|left|[[グァンタナモ米軍基地]]には、少年兵も収容されており、アメリカ国内では、少年は釈放するよう要求するデモが発生している。「訴追ではなく保護を」「子どもがグアンタナモに? めちゃくちゃだ!」]]<br /> [[国際連合児童基金|ユニセフ]]は少年兵の数を約25万人と推定している。その姿は、[[開発途上国]]の武力紛争で見られ、実際の[[戦闘]]から[[誘拐]]、[[スパイ]]活動、物資の運搬など幅広い活動に従事している。中には[[地雷]]避けにと、真っ先に地雷原に突入を強要されるケースも報告されている。少女の場合は、兵士に妻として与えられ、[[性的虐待]]にあったり、身の回りの世話などをさせられたりすることが多い。<br /> <br /> 恐怖から逃れるため、薬物を投与されることも多い。特に武器として与えられる小銃の[[弾丸]]に使われている[[火薬]]には、燃焼力強化のために[[トルエン]]が含まれているが、これら少年兵の恐怖心をなくしたり、あるいは[[依存症]]を引き起こさせて脱走を防ぐといった目的から、このトルエンを含む火薬を服用させて、中毒症状に陥らせるケースも報告されている。<br /> <br /> 少年兵は、非政府団体のみならず、政府の軍事機関が徴用することもあり、少年兵になる経緯も様々である。誘拐されるケースが非常に多いが、中には、貧困・飢えからの脱出や、殺された家族の復讐などの目的で自発的に兵士となる場合もある。また少年兵は補充が容易であるなどの理由から、最も危険な前線に狩り出され、前方には敵の銃口、後ろには[[督戦隊|脱走を阻む自陣営の大人の兵士の銃口]]があり、生き残るために前進のみを強制されていることも多い。<br /> <br /> 実際の戦闘に参加し、残虐行為を行った者も多いため、誘拐や虐待などの被害者であると同時に、犯罪者であるという複雑な側面を持つ。そのため、家族や地域社会に受け容れてもらえない元少年兵も多く、[[ストリートチルドレン]]になったり、ギャング団に入ったりする者もおり、元少年兵の社会復帰は大きな課題となっている。また、少年兵による市民の虐殺や傷害、略奪行為が深刻であった[[シエラレオネ]]では、少年兵の刑事責任をめぐって議論が続いている。<br /> <br /> 彼らの刑事責任については、その他、元少年兵が難民認定を申請する際に問題となる。[[難民条約]]は、戦争犯罪又は[[人道に対する罪]]を犯したと考えるに足る相当な理由がある場合に、難民の地位を与えないことを規定しているためである。<br /> <br /> アフリカ諸国の反政府組織の例では、村々を襲って教育もままならない幼い少年少女を拉致し、[[洗脳]]教育的な軍事教練を施し兵員とする。少年兵は使う者にとっては従順な存在であり、特に[[革命統一戦線]]の例では、[[薬物]]で洗脳し、村人の腕や足を切らせるなどしていたことから世界で批判が湧き起こっている。実際、[[2005年]]8月に[[欧州連合]]はネパール共産党毛沢東主義派を非難している。<br /> <br /> 国際法では、18歳未満の子供は強制的徴兵されないとしている。しかし、紛争が頻発している地域では多くの子供たちが強制的に徴兵されている。少年兵は軍隊以外の生活習慣や知識を持たず、家族を理解できない者もいるため、大人になっても平穏な社会生活を送れない、故郷へ戻れないなど負の連鎖を繰り返すこととなる。このため拉致されて傷ついた子供たちの心のケアを、[[非政府組織]]などが専門の施設を設けて教育と並行するなどして行っている。<br /> <br /> == 関連国際法 ==<br /> === 条約 ===<br /> ; [[ジュネーブ諸条約第一追加議定書]](1977年採択)<br /> : 国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を控えるよう要請し、15歳以上18歳未満の者を徴募する場合の最年長の優先を規程(77条)。<br /> ; [[ジュネーブ諸条約第二追加議定書]](1977年採択)<br /> : 非国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止(4条)。<br /> ; [[児童の権利に関する条約]](1989年採択)<br /> : 15歳未満の児童の軍隊への採用を禁止(38条)。<br /> ; 子どもの権利および福祉に関するアフリカ憲章{{enlink|African Charter on the Rights and Welfare of the Child}}(1990年採択)<br /> : 18歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止(22条)。<br /> ; [[国際刑事裁判所規程]](1998年採択)<br /> : 18歳未満の児童の自国軍隊への徴募及び敵対行為への直接的参加のための利用を戦争犯罪として規定(8条)。犯罪実行時に18歳未満であったものに対する管轄権の排除(26条)。<br /> ; 最悪の形態の児童労働の廃絶のための国際条約{{enlink|Worst Forms of Child Labour Convention, 1999}}(1999年採択)<br /> ; 武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約選択議定書{{enlink|Optional Protocol on the Involvement of Children in Armed Conflict|Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the involvement of children in armed conflict}}(2000年採択)<br /> : 18歳未満の児童の&#039;&#039;強制的&#039;&#039;徴集及び敵対行為への参加を禁止。自国の軍隊に志願する者ついては、18歳未満の者の採用を認めているが(3条)、その際低年齢を引き上げ、最低年齢について拘束力のある宣言をする義務がある(3条)。また、国の軍隊とは異なる武装集団は、18歳未満の者の採用及び敵対行為への使用をすべきではないと規定され、締約国は、そのような行為を国内法上の犯罪とする措置をとる義務を有する(4条)。<br /> <br /> === 国連決議 ===<br /> ; [[国際連合安全保障理事会]][http://www.mineaction.org/downloads/S%20RES%201261%20Protection%20of%20Children.pdf 決議1261(1999年)]<br /> : 子供と武力紛争に関する最初の国連決議<br /> ; 国際連合安全保障理事会[http://www.womenwarpeace.org/toolbox/res1314.pdf 決議1314(2000年)]<br /> : 武力紛争が子供に与える影響を再認識するとともに、加盟国に対して武力紛争における児童の関与に関する児童の権利条約選択議定書の批准を呼びかけた。<br /> ; 国際連合安全保障理事会[http://daccessdds.un.org/doc/UNDOC/GEN/N01/651/10/PDF/N0165110.pdf?OpenElement 決議1379(2001年)]<br /> : 事務総長に対し、少年兵を使用している武力紛争当事者のリスト作成を要請。<br /> ; 国際連合安全保障理事会[http://daccessdds.un.org/doc/UNDOC/GEN/N03/231/16/PDF/N0323116.pdf?OpenElement 決議1460(2003年)]<br /> : 少年兵の使用停止を呼びかけ。<br /> ; 国際連合安全保障理事会[http://www.watchlist.org/links/res_1539.pdf 決議1539(2004年)]<br /> : 事務総長に対して、監視・報告に関する体制の活動計画案の提出及び、同決議の履行状況についての報告書を提出するよう要請。<br /> ; 国際連合安全保障理事会[http://www.watchlist.org/links/res_1612.pdf 決議1612(2005年)]<br /> : 武力紛争から子供を保護するため、監視及び報告の制度を導入。<br /> <br /> === その他 ===<br /> ; [[国連事務総長特別代表]]報告[http://www.iccnow.org/documents/SpRepChildrenArmedConflictReport.A.60.335.pdf?PHPSESSID=295dcc83edc71a63c89ae2c67a452846 A/60/335(2005年)]<br /> ; [[国連事務総長]]報告[http://daccessdds.un.org/doc/UNDOC/GEN/N05/215/07/PDF/N0521507.pdf?OpenElement S/2005/72]<br /> : 武力紛争と子供について、監視・報告、国際法違反者の名前公開、制裁などのメカニズムの使用について報告。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> 歴史を通じ多くの文化の中、子供は広く軍事行動の一端を担っていた。そのようなことが、文化的倫理に反する時でも、同じように行われた。<br /> 戦争に関与する子供について、もっとも古い記録は、古代遺産から見ることが出来る。[[地中海]]沿岸の低地では、若い者が大人の戦士の助手、二輪戦車操縦士、または鎧持ちとして仕えることが慣習となっていた。<br /> <br /> [[聖書]]の中にも、同じような例が見られる([[ダビデ]]による[[サウル]]王への従事)。また、[[ヒッタイト]]と[[古代エジプト]]の芸術、[[古代ギリシャ]]の[[ギリシャ神話|神話]]([[ヘラクレス]]と[[ヒラス]]{{enlink|Hylas}}の物語)、哲学や文学などにも見ることができる。<br /> <br /> 古代に遡る慣習を見ても、子供たちは手荷物の一部という名目の元で、軍人の他の家族と一緒に従軍させられるのが常であった。このため子供たちは後衛戦による危害に晒されることとなり、[[アジャンクールの戦い]]などにおいてはイギリス軍の従者や子供たちがフランス軍による大量虐殺の憂き目にあった。<br /> <br /> ローマ帝国においても若者が戦場に駆り出されたが、子供を戦争に利用するのは賢明でなく、残酷なことであるとは理解されており、プルタークは若者が従軍するにあたっては最低でも16歳でなければならないものとする規定があったととれる記述を残している。<br /> <br /> 中世ヨーロッパでは、およそ12歳ほどの少年が軍人の側近(従者)として使われていたが、実際の戦闘において彼らの果たしうる役割は理論的に見ても限られたものであった。1212年のいわゆる[[少年十字軍]]は、神の加護によって彼らが敵を征服するであろうという前提の下に、何千という少年たちを訓練されていない兵士として採用し編成されたものである。しかし、これらの子供たちのうち実際に戦闘に参加したものはなく、伝承によれば彼らは奴隷として売られたとのことである。多くの学者は少年十字軍なるものが子供たちだけで、あるいは子供たちを中心として編成されたとは考えていないが、しかし少年十字軍は家族の全員が戦争行為に一役買っていた時代を例証するものではある。<br /> <br /> 近代初頭の戦闘には少年たちがしばしば参加している。彼らの目立った役割の一つは、どこにでもいる(軍楽隊の)ドラマーである。映画『[[ワーテルロー (映画)|ワーテルロー]]』([[ワーテルローの戦い]]に基づく)には、会戦の火蓋を切る[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を煽動するフランスの少年ドラマーが描かれているが、連合軍の兵士によってあっさりと撃ち倒されている。大航海時代には少年が大英帝国海軍の軍船の乗組員となり、船の弾薬庫から砲兵のところまで弾薬や砲弾を運ぶなどの重要な任務を担っていた。これらの少年は「火薬運搬手」 (powder monkeys) と呼ばれていた。[[ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]における[[マフェキング]]の籠城戦の際には、[[ロバート・ベーデン=パウエル]]が12歳から15歳の少年を入隊させて斥候として訓練し、それによって数の限られた成人の兵士を実際の戦闘へ効率よく配備することができた。この少年たちの働きの良さが、ベーデン=パウエルによる[[ボーイスカウト]](当初は軍事的な路線に沿っていた若者の組織)の設立を間接的に導いた。<br /> <br /> 1827年にロシア皇帝[[ニコライ1世]]によって発令された法律により、過剰な数のユダヤ人少年が従軍させられるために強制徴用され、軍事訓練機関へ送られた。この少年兵はカントニスト{{enlink|Cantonist}}という名で知られている。25年にわたる徴兵期間は公式には18歳からはじまるものとされていたが、厳格な人数割り当て制度を果たすために8歳ほどの年少者までが連れて来られるのが普通であった。<br /> <br /> === 三国同盟戦争 ===<br /> <br /> === 第二次世界大戦 ===<br /> [[File:Childsoldier In Okinawa.jpg|thumb|left|200px|沖縄戦で捕虜となった少年兵]]<br /> <br /> 第二次世界大戦において、日本では、[[大日本帝国陸軍]]が、[[沖縄戦]]において現地の14歳~17歳の少年を「&#039;&#039;&#039;[[鉄血勤皇隊]]&#039;&#039;&#039;」や「&#039;&#039;&#039;少年[[護郷隊]]&#039;&#039;&#039;」として[[防衛召集]]している。[[鉄血勤皇隊]]は、[[旧制中学校|旧制中学]]生ら1780人によって編成され、[[沖縄戦]]での戦闘に動員されて、約半数が戦死した(17歳未満の戦死者は567名)。なかには戦車への[[肉弾|斬り込み攻撃]]によって爆死した者もいる。沖縄における17歳未満の少年兵の防衛召集は、法律によらず陸軍省令を法的根拠としており、その法的手続きにも多くの問題が指摘されている(&#039;&#039;詳細は「[[鉄血勤皇隊]]」を参照&#039;&#039;)。さらに日本政府は、[[本土決戦]]が迫る1945年6月に[[戦時緊急措置法]]とともに「[[義勇兵役法]]」を制定し、15歳以上の男子、17歳以上の女子に対して義勇兵役の「臣民の義務」を課すこととし、日本全国で男女の少年兵を召集して戦闘に参加させることを可能とした。なお[[義勇兵役法]]には「朕ハ曠古(こうこ)ノ難局ニ際会シ忠良ナル臣民ガ勇奮挺身皇土ヲ防衛シテ国威ヲ発揚セムトスルヲ嘉シ」と異例ともいえる[[上諭]]がつけられた。<br /> <br /> [[Image:Polish Boy Scouts fighting in the Warsaw Uprising.jpg|thumb|1944年[[ワルシャワ蜂起]]中の、ポーランドのボーイスカウトによる地下組織&#039;&#039;スザーレ・スゼレジ&#039;&#039;{{enlink|Szare Szeregi}}の兵士]]<br /> ヨーロッパでは[[社会主義]][[シオニスト]]青年運動のハッショーメール・ハッツァーイール{{enlink|Hashomer Hatzair}}の多くのメンバーは、[[1943年]]の[[ワルシャワ・ゲットー]]における反乱で戦闘に参加した。その他のナチス統治下にあったヨーロッパの[[反ファシズム]] {{enlink|Anti-fascism}}[[レジスタンス運動]]は、部分的に少年によって構成されていた。[[赤軍|ソビエト赤軍]]でも、[[戦争]]中に少年兵を起用している。<br /> <br /> [[ドイツ]]軍でも、[[ヒトラーユーゲント]]は、[[ナチス]]ドイツの正式な組織として、少年を、肉体的に訓練し、ナチスの[[イデオロギー]]に染め上げていた。第二次世界大戦の終わりまで、ヒトラーユーゲントのメンバーが軍隊に入隊する年齢は、時間を追うごとに下がっていき、[[1945年]]の[[ベルリンの戦い]]では、ドイツ軍の主力の一つとなっていた。<br /> <br /> === 朝鮮戦争 ===<br /> [[韓国]]は14歳から17歳の少年少女14,400人を韓国兵とした&lt;ref&gt;{{cite news<br /> |url = http://www.chosunonline.com/news/20100219000058<br /> |title = 朝鮮戦争:少年・少女兵の実体認められる<br /> |newspaper = [[朝鮮日報]]<br /> |date = 2010-02-19<br /> |accessdate = 2010-02-19<br /> |archiveurl = https://web.archive.org/web/20100221004702/http://www.chosunonline.com/news/20100219000058<br /> |archivedate = 2010年2月21日<br /> |deadlinkdate = 2017年10月<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> === ベトナム ===<br /> [[Image:VietnamchildsoldierEdit.jpg|thumb|right|[[ベトナム共和国陸軍]]の12歳の兵。[[M79 グレネードランチャー]]を手にしている。 1968年、[[ベトナム戦争]]中の[[タンソンニャット国際空港]]にて]]<br /> {{Main|ベトナム戦争}}<br /> ベトナム戦争期間中、アメリカ兵によって(アメリカ軍の文書でも同様に)、[[ベトナム]]の子供が、[[手榴弾]]や[[爆発物]]を手渡しされ、対アメリカ兵の武器として使用されたと報告している。報告の一つには、幼い女の子が、手榴弾の使用方法を指導されていた例がある(直接的に被害を与えるか、心理的に被害を与えるかなどを意図し、手榴弾を起動させるピンを抜く、抜かないなど)。もう一つの例では、子供の体に爆発物を巻きつけ、アメリカ兵の中に混ざるように促され、機械端末または[[リモートコントロール]]によって、爆破すると言う報告もある。<br /> <br /> 子供たちへの致命的武力{{enlink|Deadly force}}が、使われているほど頻繁に必要なのかに関連し、このような事件の頻度について、熱い議論がなされている。<br /> <br /> === [[シエラレオネ]] ===<br /> 数千人の子供が、1993年から2002年のシエラレオネ内戦に関わったすべての勢力、[[革命統一戦線]](RUF)、軍事革命評議会{{enlink|Armed Forces Revolutionary Council|AFRC}}、親政府[[ゲリラ]]市民防衛軍{{enlink|Civil Defence Forces|CDF}}に参加、使用された。<br /> <br /> 子供たちは、多くの場合、力ずくで集められ、[[覚せい剤]]を与えられ、残虐行為をすることに慣れていった。少女たちも同様に集められ、[[兵士]]として、また多く、[[性行為]]の相手として従属させられた。多くの子供たちは村が攻撃されたときの生き残りだった。彼らは、[[斥候]]や村の攻撃、[[ダイヤモンド]]採掘場の警備に充てられた。<br /> [[イシメール・ベア]](Ishmael Beah)は、内戦中の自分の生活について、「A Long Way Gone: Memoirs of a Child Soldier」に記述した。<br /> <br /> 2007年6月、シエラレオネ特別法廷{{enlink|Special Court for Sierra Leone}}は、反乱軍だった軍事革命評議会{{enlink|AFRC}}にいた3名を、人道に対する罪、[[国際人道法]]{{enlink|international humanitarian law}}違反数件を以って、戦争犯罪人として有罪判決を下した。その中に、15歳以下の子供を部隊に加入させたことも含まれていた。これによって、シエラレオネ特別法廷は、軍に子供を徴集したことを犯罪と評決した、[[国際連合|国連]]を背景にした初めての裁判所になった&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sc-sl.org/Press/pressrelease-062007.pdf 『AFRCの問責公判で有罪判決』(&quot;Guilty Verdicts in the Trial of the AFRC Accused&quot;)]|104&amp;nbsp;[[:en:Kibibyte|KiB]]&lt;!-- application/pdf, 107243 bytes --&gt;}} シエラレオネ特別法廷のプレスリリース 2007年6月20日;&lt;br /&gt;[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/06/20/AR2007062000952.html?hpid=moreheadlines 『シエラレオネが戦争犯罪人3名に有罪宣告』&quot;Sierra Leone Convicts 3 of War Crimes&quot;], &#039;&#039;[[AP通信|AP]]&#039;&#039;, 2007年6月20日 (&#039;&#039;[[ワシントンポスト]]&#039;&#039;);&lt;br /&gt;[http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6221112.stm 『シエラレオネ、初めての戦争犯罪判決』&quot;First S Leone war crimes verdicts&quot;], &#039;&#039;[[英国放送協会|BBC]]&#039;&#039;, 2007年6月20日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === イラン・イラク戦争 ===<br /> [[イラン・イラク戦争]]の後半になり、戦闘員不足を補うため、[[ティーンエイジャー]]を使ったことで両者とも非難の対象になった。<br /> <br /> === パレスチナ紛争 ===<br /> {{main|en:Child suicide bombers in the Israeli-Palestinian conflict}}<br /> 少年兵は[[パレスチナ問題|パレスチナ紛争]]でも使用された。<br /> 子ども兵士徴用廃止をめざす連合{{enlink|Coalition to Stop the Use of Child Soldiers}}の発効した「少年兵の使用に関するグローバルレポート2004」 (2004 Global Report on the Use of Child Soldiers) によれば、2000年~2004年の間に、少なくとも9件の子供による自爆攻撃{{enlink|Child suicide bombers in the Israeli-Palestinian conflict}}があった&lt;ref name=&quot;CSGR2004-292&quot;&gt;{{PDFlink|1=[http://www.child-soldiers.org/document_get.php?id=966 少年兵グローバルレポート2004 原文:Child Soldiers Global Report 2004]}} 子ども兵士徴用廃止をめざす連合{{enlink|Coalition to Stop the Use of Child Soldiers}} p. 292&lt;/ref&gt;。「パレスチナ武装組織による、組織的な徴集があった証拠は無いが、子供がメッセンジャーや運び屋として使用され、いくらかのケースで兵士や、イスラエル兵や市民を狙った自爆攻撃をしている。それらの手法で、[[ファタハ]]、[[ハマス]]、[[イスラーム聖戦 (パレスチナ)|イスラム聖戦]]、[[パレスチナ解放人民戦線]]の、すべての主だった政治グループが子供を巻き込んでいる」&lt;ref name=&quot;CSGR2004-304&quot;&gt;{{PDFlink|1=[http://www.child-soldiers.org/document_get.php?id=966 少年兵グローバルレポート2004 原文:Child Soldiers Global Report 2004]}} 子ども兵士徴用廃止をめざす連合{{enlink|Coalition to Stop the Use of Child Soldiers}} p. 304 脚注18には、この情報がパレスチナ人権監視グループ(PHRMG)から得ているとしている 2004年3月&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> アラブのジャーナリスト、フダ・アル=フセインは、2000年10月27日付けの[[イギリス]][[ロンドン]]の新聞「アル=シャーク・アル=アウサット」(&#039;&#039;Al-Sharq Al-Awsat&#039;&#039;)で、「国連機関が、[[ギャング]]の戦いのるつぼの中に子供たちを放り込む[[ミリシア]]のリーダーたちから、(特にアフリカの)少年兵を救っている間に、パレスチナのリーダーの中に……子供の少年時代を終わらせる命令をするものが居る。それが子供たちの息の根を止めることになると知りながら」&lt;ref&gt;[http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&amp;Area=sd&amp;ID=SP14700 アラブのジャーナリストが、パレスチナの少年兵問題を非難した 原文:Arab Journalist Decries Palestinian Child-Soldiers] 翻訳:[[中東報道研究機関]]. Special Dispatch 147 2000年10月31日&lt;/ref&gt;と書いた。<br /> <br /> 2002年6月20日付、[[クウェート]]紙「アザマン」(&#039;&#039;Azzaman&#039;&#039;)とのインタビューで、[[マフムード・アッバース]]は、これらの事例を非難し、「小さな子供が死んでいく」ことに反対だと述べた。[[ヨルダン]]紙「アルライ」(&#039;&#039;Alrai&#039;&#039;)では「ひどい話だ。[[ラファ]]{{enlink|Rafah}}で少なくても40人の子供が、[[パイプ爆弾]]で手を吹き飛ばされ[[障害者]]となっている。<br /> <br /> 2005年5月23日、[[アムネスティ・インターナショナル]]は、軍事活動に子供を使うことを即座にやめるよう、パレスチナの軍事グループに再度求めた。:「パレスチナ軍事グループは、軍事攻撃中に、子供を使ってはいけない。また、武器やその他の物資を運ばせてはいけない」&lt;ref&gt;[http://web.amnesty.org/library/Index/ENGMDE150332005 イスラエル/占領地: パレスチナ軍事グループは子供を使ってはいけない 原文:Israel/Occupied Territories: Palestinian armed groups must not use children] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070711013612/http://web.amnesty.org/library/Index/ENGMDE150332005 |date=2007年7月11日 }} 2005年5月23日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===コンゴ民主共和国===<br /> [[コンゴ民主共和国]]の東部から南東部各州では、2000年代以降、国軍と隣国の支援を受けた武装組織([[ルワンダ解放民主軍]])、国軍の不満分子([[人民防衛国民会議]]、[[3月23日運動]])、民兵組織([[マイマイ (コンゴ)]])などが入り乱れて対立、割拠しており、国連児童基金では、約4,500人の少年兵が存在していると推計している&lt;ref&gt;{{Cite news<br /> |url=http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2967805/11335239<br /> |title=コンゴで少年兵550人を解放、国連<br /> |work=CNN.co.jp<br /> |publisher=[[CNN]]<br /> |date=2013-09-12<br /> |accessdate=2013-09-15<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===ネパール===<br /> [[ネパール内戦]]において、[[欧州連合]] (EU) は[[ネパール共産党毛沢東主義派]]が戦闘で少年兵を使っているとして非難し、400名もの子供が死亡したと主張している。<br /> <br /> ===スリランカ===<br /> [[スリランカ]]の反体制武装組織である[[タミル・イーラム解放のトラ]](1975年-2009年)は、一家庭につき一人の子どもに[[召集令状]]を送る手法で少年兵の[[徴兵]]を行っていた&lt;ref&gt;[https://www.unicef.or.jp/kodomo/teacher/pdf/st/st_49.pdf 兵士として過ごした 少女時代を乗り越えて] 日本ユニセフ協会 2018年1月28日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 出典 ==<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[子供]]<br /> *[[子どもの権利]]<br /> *[[児童の権利に関する条約]]<br /> *『[[ブラッド・ダイヤモンド]]』<br /> *『[[ジョニー・マッド・ドッグ]]』 - 内乱中のリベリアを元少年兵たちの目線で描いたドキュメンタリー映画。少年兵役には本物の元少年兵を起用している。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *松本仁一  『カラシニコフ』 [[朝日新聞社]]、2004年。ISBN 4022579293<br /> *P.W. シンガー 『子ども兵の戦争』 [[日本放送出版協会]]、2006年。ISBN 4140811161<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.unicef.org/index.html 国連児童基金(UNICEF)]<br /> *[http://www.child-soldiers.org/ Coalition to Stop the Use of Child Soldier]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しようねんへい}}<br /> [[Category:少年兵|*]]<br /> [[Category:戦争犯罪]]<br /> [[Category:軍事社会学]]<br /> [[Category:子どもの権利]]<br /> [[Category:児童労働]]<br /> [[Category:年齢差別]]</div> 115.37.19.152 民事局 2018-02-01T09:37:24Z <p>115.37.19.152: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;民事局&#039;&#039;&#039;(みんじきょく)は、[[法務省]]や[[最高裁判所事務総局]]の[[内部部局]]の一つ。<br /> <br /> == 職務 ==<br /> * 登記、戸籍、国籍、供託、公証、司法書士及び土地家屋調査士に関する事務<br /> * 民法、商法及び民事訴訟法など民事基本法令の制定、改廃に関する法令案の作成などの立法に関する事務<br /> <br /> == 組織 ==<br /> * 参事官7人<br /> * 総務課<br /> ** 登記情報管理室<br /> ** 登記情報センター室<br /> ** 民事調査官<br /> * 民事第一課<br /> * 民事第二課<br /> ** 地図企画官<br /> * 商事課<br /> * 民事法制管理官<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[検察庁]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.moj.go.jp/MINJI/ 民事局]<br /> <br /> {{法務省}}<br /> {{Gov-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:みんしきよく}}<br /> [[Category:法務省]]<br /> [[Category:日本の民事司法]]</div> 115.37.19.152 三ツ井康 2018-01-27T09:32:59Z <p>115.37.19.152: /* 学歴 */</p> <hr /> <div>{{BLP unsourced|date=2012年9月14日 (金) 12:00 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;三ツ井 康&#039;&#039;&#039;(みつい やすし、[[1937年]][[1月7日]] - )は日本の実業家。扶桑社社長などを歴任した。[[鹿児島県]][[鹿児島市]]出身。<br /> <br /> == 学歴 ==<br /> *[[一橋大学社会学部]]([[1959年]])卒業。<br /> <br /> == 職歴 ==<br /> *[[1960年]]4月1日:[[フジテレビジョン|フジテレビ]] に入社、<br /> *[[1988年]]4月1日:フジテレビ[[取締役]]。<br /> *[[1991年]]4月1日:フジテレビ、[[扶桑社]][[常務取締役]]。<br /> *[[1992年]]6月23日:[[扶桑社]][[専務取締役]]。<br /> *[[1993年]]4月1日:扶桑社[[代表取締役]][[社長]]。<br /> *[[1997年]]5月23日:フジテレビ代表取締役[[副社長]]。<br /> *[[2015年]]6月11日:[[共同テレビジョン]][[取締役]][[相談役]]退任&lt;ref&gt;{{cite news |title=人事 共同テレビ|author= |agency=|publisher=産経ニュース|date=2015-5-29 |url=http://www.sankei.com/economy/news/150529/ecn1505290023-n1.html|accessdate=2015-6-8}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 映画作品 == <br /> * [[1985年]][[12月21日]]:『[[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎]]』<br /> *[[1999年]][[10月30日]]:『[[梟の城]]』<br /> *[[2000年]][[3月4日]]:『[[デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!]]』<br /> *2000年3月4日:『[[ONE PIECE]] ローグタウン編』<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> {{フジサンケイグループ}}<br /> {{DEFAULTSORT:みつい やすし}}<br /> [[Category:日本の実業家]]<br /> [[Category:一橋大学出身の人物]]<br /> [[Category:フジテレビの人物]]<br /> [[Category:共同テレビの人物]]<br /> [[Category:日本の映画プロデューサー]]<br /> [[Category:鹿児島県出身の人物]]<br /> [[Category:1937年生]]<br /> [[Category:存命人物]]<br /> {{People-stub}}</div> 115.37.19.152 吉村達也 2018-01-27T06:03:56Z <p>115.37.19.152: /* 人物 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;吉村 達也&#039;&#039;&#039;(よしむら たつや、[[1952年]][[3月21日]] - [[2012年]][[5月14日]])は[[日本]]の[[男性]][[小説家]]、[[推理作家]]、[[ホラー作家]]。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> [[東京都]]出身。[[東京都立田園調布高等学校]]を経て[[一橋大学商学部]]卒業。[[フジサンケイグループ]]入社後、[[ニッポン放送]]制作部ディレクター、編成部員をへて[[扶桑社]]出向。扶桑社時代に書いた『Kの悲劇』でデビュー。書籍編集長勤務を経て、[[1990年]]より作家専業となる。<br /> <br /> またニッポン放送在籍中、ラジオディレクターでありながら[[オールナイトニッポン]]の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を半年間担当する。[[詰将棋]]作家でもあり、1996年には[[将棋世界]]誌において最優秀作品に選ばれた。<br /> <br /> デビューした直後の作品では、ど派手なトリック物が多かった。しかし、だんだん、トリックよりも、人間の心理を重視するストーリー展開の作品がメインとなった。<br /> <br /> [[2012年]][[5月14日]]午前10時34分、進行性[[胃癌]]のため[[東京都]][[千代田区]]の[[佐々木研究所]]附属杏雲堂病院で死去&lt;ref&gt;{{Cite news |title=「私はこの度、死んでしまいました」 ミステリー作家、吉村達也氏の遺言が話題に |newspaper=[[J-CASTニュース]] |date=2012-05-15 |url=http://www.j-cast.com/2012/05/15132148.html |accessdate=2016-06-14}}&lt;/ref&gt;。{{没年齢|1952|3|21|2012|5|14}}。自らのオフィシャルサイトにて「長らくごぶさたしておりました。 突然ですが、私はこの度、死んでしまいました。」と発表がなされた&lt;ref&gt;吉村達也公式ウェブサイト2012年5月14日月曜日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 作品リスト ==<br /> 括弧内は執筆順である。<br /> === 推理 ===<br /> ==== シリーズ外 ====<br /> * Kの悲劇 (001) 杠葉啓 扶桑社、1986.2 のち角川文庫、徳間文庫<br /> * 創刊号殺人事件 (003) 有楽出版社、1987.7 のち角川文庫<br /> * エンゼル急行を追え 超能力少女誘拐計画 (006) 中央公論社[[C★NOVELS]]、1988.3<br /> * ゴーストライター (007) カドカワノベルズ、1990.5<br /> ** 『幽霊作家殺人事件』に改題 角川文庫、1997.12<br /> * 三十三人目の探偵 (010) 角川文庫、1991.1<br /> ** 『ハイスクール殺人事件』に改題 角川文庫、1997.9<br /> * それは経費で落とそう (036) 角川書店、1992<br /> ** 『「丸の内殺人物語」』に改題<br /> * [会社を休みましょう]殺人事件 (052) 光文社文庫、1993.9<br /> * 黒白の十字架 (025) TENZAN NOVELS、1992.6<br /> ** 完全リメイク版 黒白の十字架 (151) 講談社文庫、2003.6<br /> * ミステリー教室殺人事件 (067) 光文社文庫、1994.9<br /> * 一身上の都合により、殺人 (068) 祥伝社、1994.9<br /> * 私も組織の人間ですから 大人のための恐怖ミステリー (071) 角川書店、1994.11<br /> ** 書き下ろし表題作の中編を加えて『西銀座殺人物語』に改題 (087) 角川文庫、1996.4<br /> * ダイヤモンド殺人事件 (072) 光文社文庫、1994.12<br /> * 侵入者ゲーム (089) 講談社、1996.7<br /> * 定価200円の殺人 (092) 角川mini文庫、1996.11<br /> * クリスタル殺人事件 (104) 光文社文庫、1997.9<br /> * 感染列島 パンデミック・イブ (195) 小学館、2008.12<br /> ** 大幅加筆、サブタイトル改題をして『感染列島 パンデミック・デイズ』に 小学館文庫、2009.7<br /> * 蛍坂 (200) ワニブックス、2009.10<br /> <br /> ==== 志垣警部+和久井刑事シリーズ ====<br /> * キラー通り殺人事件 (005) 講談社Jノベルス、1987.9<br /> ** 『キラー通り殺人事件【完全リメイク版】』に完全改稿 (134) 講談社文庫、2002.3<br /> * 富士山殺人事件 (060) 祥伝社[[ノン・ノベル]]、1994.3<br /> * 回転寿司殺人事件 (126) ケイブンシャ・ノベルス、2001.6<br /> <br /> ==== 烏丸ひろみシリーズ ====<br /> * カサブランカ殺人事件 (002) 広済堂出版、1987.4<br /> ** 『逆密室殺人事件』に改題 角川文庫、1991.5<br /> * 南太平洋殺人事件 (004) 広済堂出版、1987.8 のち角川文庫<br /> * トリック狂殺人事件 (014) カドカワノベルズ、1991.5 のち文庫<br /> * ABO殺人事件 (020) カドカワノベルズ、1992.1<br /> ** 『血液型殺人事件』に完全改稿 (073) 角川文庫、1994.12<br /> * 薔薇色の悲劇 (037) 実業之日本社ジェイノベル、1992.11<br /> ** 『美しき薔薇色の殺人』に改題<br /> * 檸檬色の悲劇 (044) 実業之日本社ジェイノベル、1993.4<br /> ** 『哀しき檸檬色の密室』に改題<br /> * 瑠璃色の悲劇 (050) 実業之日本社ジェイノベル、1993.8<br /> ** 『妖しき瑠璃色の魔術』に改題<br /> * ラベンダーの殺人 (099) 角川mini文庫、1997.5<br /> ** 『富良野ラベンダー館の殺人』に改稿 (164)<br /> * 怪文書殺人事件 (112) ケイブンシャ・ノベルス、1999.8<br /> * 「シアトルの魔神」殺人事件 (123) 角川文庫、2001.4<br /> * 嵯峨野白薔薇亭の殺人 (174) 角川文庫、2006.1<br /> <br /> ==== OL捜査網シリーズ ====<br /> * OL捜査網 (012) 光文社文庫、1991.4<br /> * 夜は魔術(マジック) (023) 光文社文庫、1992<br /> <br /> ==== 軽井沢純子シリーズ ====<br /> * 算数・国語・理科・殺人 礼儀正しい死者たち (016) 祥伝社ノン・ポシェット、1991.8<br /> * 英語・ガイジン・恥・殺人 (018) 祥伝社ノン・ポシェット、1991<br /> ** 『[英語が恐い]殺人事件』に改題<br /> * ピタゴラスの時刻表 (031) 祥伝社ノン・ポシェット、1992.8<br /> * ニュートンの密室 (034) 祥伝社ノン・ポシェット、1992.10<br /> * アインシュタインの不在証明 (043) 祥伝社ノン・ポシェット、1993.4<br /> <br /> ==== 氷室想介シリーズ ====<br /> * 編集長連続殺人-13日目の惨劇- (008) 光文社文庫、1990.7<br /> * スターダスト殺人事件 (009) 光文社カッパノベルス、1990.9<br /> ** 『旧軽井沢R邸の殺人』に改稿 (057) 光文社文庫、1994.2<br /> * 五重殺+5 (011) 光文社カッパノベルス、1991.1<br /> ** 『シンデレラの五重殺』に改題 (064)  光文社文庫、1994.7<br /> * 六麓荘の殺人 (026) 光文社カッパノベルス、1992.6 のち文庫<br /> * 御殿山の殺人 (041) 光文社カッパノベルス、1993.2<br /> * 金沢W坂の殺人 (053) 光文社カッパノベルス、1993.11<br /> * 小樽「古代文字」の殺人 (069) 光文社カッパノベルス、1994.10<br /> * 「香港の魔宮」殺人事件 (081) ワンナイトミステリー3 角川文庫、1995<br /> * 「北京の龍王」殺人事件 (128) 角川文庫、2001.8<br /> * 能登島黄金屋敷の殺人 (086) カッパ・ノベルス、1996.2<br /> * 空中庭園殺人事件 (101) 光文社文庫、1997.7<br /> * 「倫敦の霧笛」殺人事件 (118) 角川文庫、2000.8<br /> * 心霊写真―氷室想介のサイコ・カルテ― (130) カッパ・ノベルス、2001.10<br /> ** 『遠隔推理―氷室想介の事件簿』に改題<br /> <br /> * ☆旧・魔界百物語・・・未完のまま打ち切り<br /> ** 京都魔界伝説の女 (114) カッパ・ノベルス、1999.11<br /> ** 平安楽土の殺人 (133) カッパ・ノベルス、2002.2<br /> ** 万華狂殺人事件 (161) カッパ・ノベルス、2004.9<br /> <br /> * ☆新・魔界百物語・・・内容を一部変更し、新シリーズとして再開<br /> ** 妖精鬼殺人事件 (218) 飯塚書店、2011.9 のち文庫<br /> ** 京都魔王殿の謎 (221) 飯塚書店、2011.12 のち文庫<br /> ** 幻影城の奇術師 (223) 飯塚書店、2012.2 のち文庫<br /> ** 殺人者の舞踏会→作者の病死により、壮大なスケールで構想されていた物語のうち、第1章が完成したのみで絶筆<br /> <br /> ==== ラジオディレクター青木聡美シリーズ ====<br /> * 死者からの人生相談 (015) ベストセラーズ、1991.7<br /> * 死者に捧げるプロ野球 (028) 双葉ノベルス、1992.7<br /> ** 『「巨人─阪神」殺人事件』に改題<br /> <br /> ==== 朝比奈耕作シリーズ ====<br /> 「青龍村の惨劇」から始まる「新・惨劇の村・五部作」で、朝比奈耕作シリーズは完結し、再登場はないとする。<br /> * 私が私を殺す理由 (013) [[トクマ・ノベルズ]]、1991.4<br /> ** 『「伊豆の瞳」殺人事件』に完全改稿 (055) 徳間文庫、1994.1<br /> * そして殺人が始まった (017) トクマ・ノベルズ、1991.9<br /> ** 『「戸隠の愛」殺人事件』に完全改稿 (056) 徳間文庫、1994.2<br /> * 雪と魔術と殺人と (019) トクマ・ノベルズ、1991.12<br /> ** 『「北斗の星」殺人事件』に完全改稿 (059) 徳間文庫、1994.3<br /> * ☆惨劇の村・五部作<br /> ** 花咲村の惨劇 (022) トクマ・ノベルズ、1992.5 のち文庫<br /> ** 鳥啼村の惨劇 (024) トクマ・ノベルズ、1992.6 のち文庫<br /> ** 風吹村の惨劇 (029) トクマ・ノベルズ、1992.7<br /> ** 月影村の惨劇 (030) トクマ・ノベルズ、1992.8<br /> ** 最後の惨劇 (033) トクマ・ノベルズ、1992.9<br /> * 出雲信仰殺人事件 (042) カドカワノベルズ、1993.3<br /> * 金閣寺の惨劇 (045) トクマ・ノベルズ、1995.5<br /> * 銀閣寺の惨劇 (046) トクマ・ノベルズ、1995.5<br /> * 邪宗門の惨劇 (054) 角川文庫、1993.12<br /> * ☆惨劇の島・三部作<br /> ** 宝島の惨劇 (062) トクマ・ノベルズ、1994.4<br /> ** 水曜島の惨劇 (063) 1994.5<br /> ** 血洗島の惨劇 (074) トクマ・ノベルズ、1995.1<br /> * 観音信仰殺人事件 (070) カドカワノベルズ、1994.11<br /> * 銀河鉄道の惨劇 (上・下) (077, 085) トクマ・ノベルズ、1995.7(上)、1996.2(下)<br /> * 「カリブの海賊」殺人事件 (080) ワンナイトミステリー2 角川文庫、1995.8<br /> * 私の標本箱 (082) 講談社ノベルス、1995.9<br /> ** 『ベストセラー殺人事件』に改題<br /> * トワイライトエクスプレスの惨劇 (083) カドカワノベルズ、1995.11<br /> * 「あずさ2号」殺人事件 (093) カドカワノベルズ、1996.11<br /> * 「富士の霧」殺人事件 (095) トクマ・ノベルズ、1996.12<br /> * 「長崎の鐘」殺人事件 (100) トクマ・ノベルズ、1997.5<br /> * 新幹線秋田「こまち」殺人事件 (103) カドカワエンタテインメント、1997.8<br /> * 鬼死骸村の殺人 (107) ハルキ・ノベルス、1998.7<br /> * ☆四季の殺人<br /> **「吉野の花」殺人事件 (108) トクマ・ノベルズ、1999.3<br /> **「横濱の風」殺人事件 (129) トクマ・ノベルズ、2001.9<br /> **「鎌倉の琴」殺人事件 (141) トクマ・ノベルズ、2002.10<br /> **「舞鶴の雪」殺人事件 (149) トクマ・ノベルズ、2003.5<br /> * 地球岬の殺人 (113) ハルキ・ノベルス、1999.8<br /> * 天井桟敷の貴婦人 (117) トクマ・ノベルズ、2000.2<br /> * 「ナイルの甲虫(スカラベ)」殺人事件 (120) 角川文庫、2001.1<br /> * ☆新・惨劇の村・五部作<br /> ** 青龍村の惨劇 (163) トクマ・ノベルズ、2004.12<br /> ** 朱雀村の惨劇 (170) トクマ・ノベルズ、2005.7<br /> ** 白虎村の惨劇 (173) トクマ・ノベルズ、2006.2<br /> ** 玄武村の惨劇(未刊)<br /> ** 愛の奇跡(未刊)<br /> <br /> ==== 里見捜査官シリーズ ====<br /> * 時の森殺人事件(全6巻) (021, 027, 032, 035, 038, 040)中央公論社C★NOVELS、1992-93 のち文庫<br /> * 読書村の殺人 (048) 中央公論社C★NOVELS、1993.7<br /> * 日本国殺人事件 (098) ハルキ文庫、1997.4<br /> <br /> ==== 温泉殺人事件シリーズ ====<br /> * 修善寺温泉殺人事件 (039) ケイブンシャノベルス 1992.12 のち文庫<br /> * 由布院温泉殺人事件 (047) 講談社ノベルス 1993.6 のち文庫<br /> * 龍神温泉殺人事件 (051) 講談社ノベルス 1993.9 のち文庫<br /> * 白骨温泉殺人事件 (058) ケイブンシャノベルス 1994.2 のち文庫<br /> * ランプの秘湯殺人事件 (065) フェミナノベルズ 1994.7 のち文庫<br /> * 五色温泉殺人事件 (066) 講談社ノベルス 1994.8 のち文庫<br /> * 知床温泉殺人事件 (075) 講談社ノベルス 1995.3 のち文庫<br /> * 天城大滝温泉殺人事件 (076) JOY NOVELS 1995.6 のち文庫<br /> * 猫魔温泉殺人事件 (088) 講談社ノベルス 1996.5 のち文庫<br /> * 城崎温泉殺人事件 (094) JOY NOVELS 1996.12 のち文庫<br /> * 金田一温泉殺人事件 (096) 講談社ノベルス 1997.2 のち文庫<br /> * 鉄輪温泉殺人事件 (105) 講談社ノベルス 1997.10 のち文庫<br /> * 地獄谷温泉殺人事件 (110) 講談社文庫 1999.6<br /> * 嵐山温泉殺人事件 (131) 講談社文庫 2001.11<br /> * 蛇の湯温泉殺人事件 (132) JOY NOVELS 2002.1 のち文庫<br /> * 十津川温泉殺人事件 (139) JOY NOVELS 2002.7 のち文庫<br /> * 有馬温泉殺人事件 (140) 講談社文庫 2002.9<br /> * 霧積温泉殺人事件 (150) JOY NOVELS 2003.6 のち文庫<br /> * 大江戸温泉殺人事件 (156) JOY NOVELS 2004.2 のち文庫<br /> * 「初恋の湯」殺人事件 (172) JOY NOVELS 2005.12 のち文庫<br /> * 伊香保温泉殺人事件 (184) JOY NOVELS 2007.7 のち文庫<br /> * 京都―宇奈月 トロッコの秘湯殺人事件 (193) JOY NOVELS 2008.9 のち文庫<br /> * 瀬戸内―道後殺人事件 (198) JOY NOVELS 2009.7 のち文庫<br /> * 八甲田山殺人事件 (202) JOY NOVELS 2009.12 のち文庫<br /> * 「人間失格」殺人事件 (205) JOY NOVELS 2010.3 のち文庫<br /> * 黒川温泉殺人事件 (209) JOY NOVELS 2010.7 のち文庫<br /> * 青荷温泉殺人事件 (214) JOY NOVELS 2011.1<br /> <br /> ==== 世界遺産シリーズ ====<br /> おなじみの志垣警部と和久井刑事のコンビが登場する新シリーズ。<br /> * 白川郷 濡髪家の殺人 (210) 講談社ノベルス、2010.8<br /> * 原爆ドーム0(ゼロ)磁場の殺人 (224) 講談社ノベルス、2012.4<br /> <br /> ==== 長谷川美枝子+向井明弁護士シリーズ ====<br /> * 鬼の棲む家 (190) 集英社文庫、2008.4<br /> * 怪物が覗く窓 (194) 集英社文庫、2008.10<br /> * コールドケース (197) 集英社文庫、2009.4<br /> * 悪魔が囁く教会 (201) 集英社文庫、2009.10<br /> <br /> ==== 歴史ミステリーシリーズ ====<br /> * 卑弥呼の赤い罠 (206) 集英社文庫、2010.4<br /> * 飛鳥の怨霊の首 (211) 集英社文庫、2010.10<br /> * 陰陽師暗殺 (217) 集英社文庫、2011.4<br /> * 十三匹の蟹 (219)(2011年10月)<br /> <br /> ==== レイルロードシリーズ ====<br /> * 鳥取砂丘の青い風 (212) 実業之日本社文庫、2010.11<br /> <br /> ==== 警視庁超常犯罪捜査班「チームクワトロ」シリーズ ====<br /> * 「巴里の恋人」殺人事件 (079) ワンナイトミステリー1 角川文庫、1995<br /> * ミステリオ (222) 角川ホラー文庫、2011.12<br /> * 警視庁超常犯罪捜査班 File #2 勉教 (225) 角川ホラー文庫、2012.4<br /> <br /> ==== 心理サスペンス ====<br /> * 京都天使突抜通の恋 (124) 集英社、2001.5<br /> * やさしく殺して (136) 集英社文庫、2002.4<br /> * 幻視鏡 (137) 双葉文庫、2002.5<br /> * 別れてください (142) 集英社文庫、2002.10<br /> * 第一印象 (143) 双葉文庫、2002.11<br /> * 夫の妹 (147) 集英社文庫 2003.4<br /> * しあわせな結婚 (154) 集英社文庫 2003.10<br /> * 年下の男 (158) 集英社文庫 2004.4<br /> * セカンド・ワイフ (162) 集英社文庫 2004.10<br /> * 禁じられた遊び (167) 集英社文庫 2005.4<br /> * 私の遠藤くん (171) 集英社文庫 2005.10<br /> * 家族会議 (176) 集英社文庫 2006.4<br /> * なぜ紫の夜明けに (177) 双葉社、2006.8<br /> * 可愛いベイビー (179) 集英社文庫 2006・10<br /> * 危険なふたり (180) 集英社文庫、2007.1<br /> * ディープ・ブルー (181) 集英社文庫、2007.4<br /> * 心の旅 (182) 双葉文庫、2007.5<br /> * ドリーム (185) PHP研究所、2007.8<br /> ** 加筆改題し『Dの変身』に PHP文芸文庫、2011.3<br /> * 生きてるうちに、さよならを (186) 集英社文庫、2007.10<br /> <br /> ==== マインドミステリー ====<br /> * 孤独 (121) 新潮文庫 2001.1<br /> * ぼくが愛したサイコ (153) JOY NOVELS 2003.9<br /> * ドクターM殺人事件 (166) JOY NOVELS 2005.4<br /> ** 加筆、内容変更をして『王様のトリック』に改題 双葉文庫、2010.12<br /> <br /> ==== ホラー ====<br /> * 初恋 (049) 角川ホラー文庫 1993.7<br /> * 文通 (061) 角川ホラー文庫 1994.4<br /> * 先生 (078) 角川ホラー文庫 1995.8<br /> * 家族の肖像 (084) 中央公論社 1996.2<br /> ** 『踊る少女』に改題<br /> * ふたご (090) 角川ホラー文庫 1996.8<br /> * iレディ (111) 角川ホラー文庫 1999.8<br /> * ケータイ (115) 角川ホラー文庫 1999.12<br /> * お見合い (125) 角川ホラー文庫 2001.6<br /> * &#039;&#039;☆神保家 三部作&#039;&#039;<br /> ** 卒業 (135) 角川ホラー文庫 2002.3<br /> ** 樹海 (144) 角川ホラー文庫 2003.1<br /> ** 時計 (165) 角川ホラー文庫 2005.1<br /> * オール (138) ハルキ・ホラー文庫、2006.9<br /> * Black Magic Woman (145) JOY NOVELS (有楽出版社) 2003.1<br /> ** 『黒魔術の家』に改題<br /> * かげろう日記 (146) 角川ホラー文庫 2003.3<br /> * ボイス (148) 角川ホラー文庫 2003.4<br /> * トンネル (152) 角川ホラー文庫 2003.9<br /> * スイッチ (155) 角川ホラー文庫 2004.1<br /> * ついてくる―京都十三夜物語 (122) アミューズブックス、2001.4<br /> ** 『ついてくる』に完全改稿 (157)<br /> * ナイトメア (159) 角川ホラー文庫 2004.6<br /> * 姉妹―Two Sisters― (160) 角川ホラー文庫 2004.7<br /> * ビンゴ (168) 角川ホラー文庫 2005.7<br /> * グリーン・アイズ (175) 角川ホラー文庫 2006.3<br /> * 憑依─HYOU・I─ (178) 角川ホラー文庫 2006.9<br /> * 性格交換 (183) ハルキ文庫 2007.5<br /> * 携帯フォビア (187) JOY NOVELS 2007.10<br /> * マタンゴ 最後の逆襲 (188)(東宝映画『[[マタンゴ]]』の続編作品) 角川ホラー文庫 2008.1<br /> * ケータイ紛失! (189) ハルキ文庫 2008.2<br /> * 勝手に甦る記憶 (192) ハルキ文庫 2008.6<br /> * 月のうさぎ (196) 角川ホラー文庫 2009.2<br /> * 危険なケータイ (199) ハルキ文庫 2009.7<br /> * ボクサー (203) 角川ホラー文庫 2010.1<br /> * 赤ずきん (207) 角川ホラー文庫 2010.5<br /> * ソックリさん (216) 角川ホラー文庫 2011.2<br /> * ウイニングボール (上・下) (220) ハルキ文庫 2011.11<br /> * 13の幻視鏡 (227) 角川ホラー文庫 2013.2(書籍化されていなかった12作を収録した短編集)<br /> <br /> ==== ナミダ系ホラー ====<br /> * ゼームス坂から幽霊坂 (119) 双葉文庫、2000.9<br /> * あじゃ@109 (127) ハルキ・ホラー文庫 2001.8<br /> <br /> === その他 ===<br /> * 王様殺人事件(将棋研究本、伊藤果七段共著) (091) 毎日コミュニケーションズ、1996.11<br /> * 多重人格の時代―人間関係のピンチを脱する大逆転の発想 (097) PLAY BOOKS(青春出版社)、1997.2<br /> * がん宣告マニュアル 感動の結論 (102) アミューズブックス 1997.7<br /> ** 『こころのくすり箱―いのちのエピローグ』に改題<br /> * 正しい会社の辞め方教えます (106) カッパ・ブックス、1998.6<br /> * たった3カ月でTOEICテスト905点とった (109) ダイヤモンド社、1999.6<br /> * 京都瞑想2000 (116) アミューズブックス、2000.1<br /> * マジックの心理トリック (169) 角川oneテーマ21、2005.7<br /> * その日本語が毒になる! (191) PHP新書、2008.5<br /> * 脳に効くことわざ (204) ワニブックス【PLUS】新書、2010.2<br /> * 続・脳に効くことわざ (208) ワニブックス【PLUS】新書、2010.6<br /> * 秋葉原耳かき小町殺人事件―私たちは「異常者」を裁けるか (215) ワニブックス【PLUS】新書、2011.2<br /> * ヒマラヤの風にのって (226) 角川書店、2012.7 →作者本人が病室のベッドの上で書き綴った、最後の遺作<br /> <br /> == メディアミックス作品 ==<br /> === テレビドラマ ===<br /> ; [[TBSテレビ|TBS]]系<br /> :* [[月曜名作劇場]]<br /> :** [[温泉殺人事件シリーズ]]([[2016年]][[5月30日]]、主演:[[片岡鶴太郎]])<br /> :** [[ミステリー作家・朝比奈耕作シリーズ]](2016年[[6月6日]]、主演:[[小泉孝太郎]])<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.yoshimura-tatsuya.com/ Birds of Paradise] - 公式ホームページ<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:よしむら たつや}}<br /> [[Category:ニッポン放送の人物]]<br /> [[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]<br /> [[Category:日本の編集者]]<br /> [[Category:日本の推理作家]]<br /> [[Category:日本のホラー作家]]<br /> [[Category:一橋大学出身の人物]]<br /> [[Category:東京都出身の人物]]<br /> [[Category:1952年生]]<br /> [[Category:2012年没]]</div> 115.37.19.152 鴨武彦 2018-01-26T20:45:42Z <p>115.37.19.152: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;鴨 武彦&#039;&#039;&#039;(かも たけひこ、[[1942年]][[4月3日]] - [[1996年]][[12月17日]])は、[[日本]]の[[政治学者]]・[[国際政治学者]]。元[[東京大学]][[法学部]]教授、元[[早稲田大学]][[政治経済学部]]教授。専門は、国際政治、安全保障、[[ヨーロッパ統合|国際統合]]論。父は元[[一橋大学法学部]]教授の[[鴨良弼]](刑事訴訟法)。<br /> <br /> == 人物概説 ==<br /> [[東京都]]生まれ。[[早稲田大学]][[政治経済学部]]および同[[大学院]]政治学研究科、[[イェール大学]]大学院で学んだ後、早稲田大学政治経済学部教授に就任。[[藤原保信]]と共に、政治学科を代表する存在であった。[[坂本義和]]の後任として[[1989年]]に東京大学法学部に赴任。当時の法学部教官は卒業生が殆どであり、他大学、それも私学出身の鴨の招聘はマスコミで話題となった。<br /> <br /> [[1991年]]、『国際安全保障の構想』で第12回[[石橋湛山賞]]を受賞。[[1994年]]から1996年まで日本国際政治学会理事長。<br /> <br /> [[高橋進 (政治学者・ドイツ政治)|高橋進]]、[[山口二郎]]、[[斎藤精一郎]]とともに、[[村山富市]]のブレーンとしても知られた。<br /> <br /> 門下生に[[田中孝彦]]([[早稲田大学]]教授)、[[柳沢秀夫]](NHK解説委員)、[[長有紀枝]]([[難民]]を助ける会元代表)、[[中村英俊]]([[早稲田大学]]准教授)、[[大門毅]]([[早稲田大学]]教授)等。<br /> <br /> {{要出典範囲|date=2014年2月24日 (月) 01:20 (UTC)|外交における[[ハト派]]・[[タカ派]]の対比にならってそのどちらでもない「鴨派」という冗談が鴨の周辺では流行した}}。<br /> <br /> ==著作==<br /> ===単著===<br /> *『軍縮と平和への構想――国際政治学からの接近』([[日本評論社]], 1982年)<br /> *『国際統合理論の研究』([[早稲田大学出版部]], 1985年)<br /> *『変革の時代の外交と内政』([[成文堂]], 1988年)<br /> *『国際安全保障の構想』([[岩波書店]], 1990年)<br /> *『ヨーロッパ統合』([[日本放送出版協会]][NHKブックス], 1992年)<br /> *『世界政治をどう見るか』(岩波書店[[[岩波新書]]], 1993年)<br /> <br /> ===共著===<br /> *([[大嶽秀夫]]・[[曽根泰教]])『政治学』([[有斐閣]], 1996年)<br /> <br /> ===編著===<br /> *『講座世紀間の世界政治(全6巻)』(日本評論社, 1993-1994年)<br /> **1巻「旧超大国の国際関係」<br /> **2巻「ヨーロッパの国際秩序――主権国家システムの変容」<br /> **3巻「アジアの国際秩序――脱冷戦の影響」<br /> **4巻「国際地域における秩序変動――比較のダイナミズム」<br /> **5巻「パワー・ポリティクスの変容――リアリズムとの葛藤」<br /> **6巻「日本の国際化――新しい世界秩序への模索」<br /> <br /> ===共編著===<br /> *([[山本吉宣]])『相互依存の国際政治学』([[有信堂高文社]], 1979年)<br /> *(山本吉宣)『相互依存の理論と現実』(有信堂高文社, 1988年)<br /> *([[伊藤元重]]・[[石黒一憲]])『リーディングス国際政治経済システム(全4巻)』(有斐閣, 1997-1999年)<br /> **1巻「法・政治・民族」<br /> **2巻「主権国家を超えて」<br /> **3巻「経済活動」<br /> **4巻「新しい世界システム」<br /> <br /> ===訳書===<br /> *[[ブルース・ラセット]]『安全保障のジレンマ――核抑止・軍拡競争・軍備管理をめぐって』(有斐閣, 1984年)<br /> *[[ウィリアム・ウォレス (政治学者)|W・ウォーレス]]『西ヨーロッパの変容』(岩波書店, 1993年) <br /> *ブルース・ラセット『パクス・デモクラティア――冷戦後世界への原理』([[東京大学出版会]], 1996年)<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:かも たけひこ}}<br /> [[Category:日本の政治学者]]<br /> [[Category:国際関係研究者]]<br /> [[Category:東京大学の教員]]<br /> [[Category:早稲田大学の教員]]<br /> [[Category:東京都出身の人物]]<br /> [[Category:1942年生]]<br /> [[Category:1996年没]]</div> 115.37.19.152 アメリカ創価大学 2018-01-19T07:03:41Z <p>115.37.19.152: /* ランキング */</p> <hr /> <div>{{Coord|33.554722|-117.735361|region:US_type:edu|display=title}}<br /> {{Infobox university<br /> |name = アメリカ創価大学&lt;br /&gt;Soka University of America<br /> |native_name =<br /> |latin_name =<br /> |image =<br /> |image_size =<br /> |caption =<br /> |motto ={{refbegin}}<br /> Be philosophers of a renaissance of life;&lt;br /&gt;Be world citizens in solidarity for peace;&lt;br /&gt;Be the pioneers of a global civilization.<br /> {{refend}}<br /> |established =2001年<br /> |type =私立<br /> |endowment =10億1000万ドル&lt;ref name=Petersons2015&gt;{{cite book|title=Four-Year Colleges 2015|date=2014-07-22|publisher=Peterson&#039;s|isbn= 978-0768938630 |page=133}}&lt;/ref&gt;<br /> |staff =<br /> |faculty =67人<br /> |president =ダニエル・Y・ハブキ&lt;br /&gt;Daniel Y. Habuki<br /> |provost =トモコ・タカハシ&lt;br /&gt;Tomoko Takahashi<br /> |principal =<br /> |rector =<br /> |chancellor =<br /> |vice_chancellor =<br /> |dean =<br /> |head_label =<br /> |head =<br /> |students =<br /> |undergrad =412人<br /> |postgrad =<br /> |doctoral =<br /> |profess =<br /> |city =[[アリソ・ビエホ (カリフォルニア州)|アリソ・ビエホ市]]<br /> |state =[[カリフォルニア州]]<br /> |country ={{USA}}<br /> |campus =<br /> |free_label =<br /> |free =<br /> |colors =青、白、金色<br /> |colours =<br /> |mascot =<br /> |fightsong =<br /> |nickname =ライオンズ(Lions)<br /> |affiliations =<br /> |footnotes =<br /> |website =[http://www.soka.edu/ www.soka.edu]<br /> |address =1 University Drive&lt;br /&gt;Aliso Viejo, CA 92656&lt;!--<br /> |telephone =1 (888) 600-Soka<br /> --&gt;|coor =<br /> |logo =<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;アメリカ創価大学&#039;&#039;&#039;(アメリカそうかだいがく、[[英語]]:Soka University of America)は、[[アメリカ合衆国]]・[[カリフォルニア州]][[オレンジ郡 (カリフォルニア州)|オレンジ郡]][[アリソ・ビエホ (カリフォルニア州)|アリソ・ヴィエホ市]]に本部を置くアメリカの[[私立大学]]である。[[2001年]]に設置された。[[大学の略称]]は「&#039;&#039;&#039;SUA&#039;&#039;&#039;(エスユーエー)」。[[平和]]、[[人権]]、生命尊厳という人類の根本原理を教育理念として創立された&lt;ref&gt;[http://www.soka.ac.jp/international/sua/index.html Soka University of America California Private University for undergraduate, graduate and Study abroad Programs] 創価大学のウェブサイトのSUAのページより 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;。モットーは、「文化主義」の地域の指導者育成、「人間主義」の社会の指導者育成、「平和主義」の世界の指導者育成、自然と人間の共存の指導者育成の4つである。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> [[File:Tsunesaburo Makiguchi.jpg|175px|left|thumb|初代創価学会会長・牧口常三郎(1930年頃)]]<br /> [[ファイル:060907-005-SokaU-FoundersHall.jpg|thumb|right|350px|ファウンダーズ・ホール、アリソ・ビエホキャンパス&lt;br&gt;(Founders Hall, Aliso Viejo campus.)]]<br /> [[牧口常三郎]][[創価学会]](旧:[[創価教育学会]])初代会長の構想を継承し、SUAは当初、[[池田大作]][[創価学会インタナショナル]](SGI)会長により、1987年に、「[[創価大学]][[ロサンゼルス]]分校」として、カリフォルニア州の{{仮リンク|カラバサス (カリフォルニア州)|label=カラバサス|en|Calabasas, California}}に設立された。最初は2.38 km2という敷地の小さな[[大学院]]であった。この場所は、元はチュマシュ族(Chumash people)という[[アメリカ州の先住民族|アメリカ原住民]]のコミュニティーの中にあった。ところが、SUAが大学を設立するために敷地を拡張しようとしたところ、チュマシュ族伝統の土地を保護する環境団体によって反対を受ける。<br /> <br /> これによって、SUAは大学の位置を移転することとなった。1995年、同大学はカリフォルニア州[[オレンジ郡 (カリフォルニア州)|オレンジ郡]][[アリソ・ビエホ (カリフォルニア州)|アリソ・ヴィエホ]]市に土地を購入。新しい[[キャンパス]]には18の建物が建てられ、2001年5月3日に開学。同年8月24日には、最初の学生120人が学部生として入学した。2005年にはカラバサスにあった大学院もSUAに合併された。<br /> <br /> 2005年から2007年の間にかけて、最初の3学年が卒業した。卒業率は90%と非常に高く、更に三分の一以上の学生が[[大学院]]へ進学した。<br /> また、2008年度のPeterson&#039;s Guide to Four Year Collegesによると、38%のSUA卒業生が大学院へ進学した。<br /> <br /> 卒業生は、[[ケンブリッジ大学]]、[[カーネギーメロン大学]]、[[コロンビア大学]]{{仮リンク|ティーチャーズ・カレッジ (コロンビア大学)|label=ティーチャーズ・カレッジ|en|Teachers College, Columbia University}}、[[デューク大学]]、[[ハーバード大学]]、[[ハワイ大学マノア校]]{{仮リンク|ウィリアム・S・リチャードソン・ロースクール|label=ロースクール|en|William S. Richardson School of Law}}、[[インディアナ大学]]、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]、[[ニューヨーク大学]]、[[ジョージ・ワシントン大学]]、[[オックスフォード大学]]、[[スタンフォード大学]]、[[セント・ジョーンズ大学]]、[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]]、[[カリフォルニア大学サンディエゴ校]]、[[カリフォルニア大学アーバイン校]]、[[リヴァプール大学]]、{{仮リンク|メリーランド大学バルティモア校|en|University of Maryland, Baltimore}}{{仮リンク|メリーランド大学ロースクール|label=ロースクール|en|University of Maryland School of Law}}、[[ピッツバーグ大学]]、[[南カリフォルニア大学]]、[[ウィスコンシン大学マディソン校]]、[[ヴァンダービルト大学]]、[[イェール大学]]、[[ペンシルバニア大学]]など、数多くの名門校に進学している。<br /> <br /> == 特色 ==<br /> [[在籍者 (学習者)|学生]]数対[[教授]]数の比が9:1で、一クラスに学生が平均13人という[[少人数授業|少人数]]の[[ディベート|ディスカッション]]形式中心で授業が進められる。<br /> <br /> 学生の半数はアメリカ出身、残りの半数は、[[日本]]、[[インド]]、[[タイ王国|タイ]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[ドイツ]]、[[イタリア]]、[[イギリス]]([[スコットランド]]含む)、[[ニュージーランド]]、[[トルコ]]、[[メキシコ]]、[[チリ]]、[[ペルー]]など、6つの大陸、30を越える国からやって来る。<br /> <br /> SUA最大の特徴としては、その[[奨学金]]制度が挙げられる。SUAでは優秀な学生にはメリット・ベース、[[学費]]の援助が必要な学生にはニード・ベースの2種類の奨学金が与えられる。2010年には、国内外の学生の90%に対して、合計すると800万ドル(ニード・ベースでは500万ドル以上、メリット・ベースでは300万ドル以上)の奨学金が支給された。&lt;br /&gt;更に、創価オポチュニティ・スカラシップ(Soka Opportunity Scholarship、SOS)という新しい制度が導入され、これによって[[家計|家庭]]の[[収入]]が6万ドル以下の場合、学費が免除となった(ただしこれに寮費と食費は含まれない)&lt;ref&gt;[http://www.soka.edu/admission_aid/financial_aid/default.aspx SUA - Financial Aid] SUAのウェブサイトFinancial Aidのページより 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 学部・研究科 ==<br /> [[File:060907-006-SokaU-PaulingHall.jpg|right|thumb|267px|ライナス・アヴァ・ヘレン・ポーリング・ホール&lt;br&gt;(Linus and Ava Helen Pauling Hall)]]<br /> [[File:060907-008-SokaU-StudentCenter crop.jpg|267px|thumb|right|学生センター(Student Center)]]<br /> <br /> === カリキュラム ===<br /> 学部は一般教養学([[リベラル・アーツ|リベラルアーツ]])で、[[東洋]]と[[西洋]]を融合させた視点から授業が繰り広げられる。<br /> [[哲学]]、[[歴史]]、[[人文科学]]、[[科学]]、[[美術]]、[[コミュニケーション]]などの一般教養カリキュラムの他に、学生は学部として下記の4つの内1つのプログラムを選択できる:<br /> * 国際研究(International Studies)<br /> * 人文科学(Humanities)<br /> * 社会・行動学(Social Behavioral Science)<br /> * 環境学(Environmental Studies)<br /> <br /> また、学部を2つ選択し卒業することも可能である(ダブル・コンセントレーション)。<br /> <br /> === ラーニング・クラスター ===<br /> SUAの特色の一つとして、ラーニング・クラスター(Learning Cluster)があげられる。これは、3週間に渡る時事問題に関するプログラムで、秋学期から学生が自ら教員と共同でクラスを用意・構築していく。ラーニング・クラスターの目的は、時事問題に対して学生が熟達した応答を導き出せるようになること、リサーチ能力や批判的思考力を育むこと、そして世界への活発的な関与を助長することである。そのため、Luis &amp; Linda Nieves Family Foundationの奨学金により、アメリカ国内外(主に[[ラテンアメリカ|中南米]]、中国、インドなど)での研修旅行がクラスによっては可能である。<br /> <br /> === 留学 ===<br /> 全てのSUA生は、1セメスターの間自らが学んでいる言語に対応した国への留学が義務付けられている。この時の費用は学費に含まれている。留学先は、[[スペイン語]]圏では[[スペイン]]の[[マドリード]]、[[バルセロナ]]、[[セビリア]]など、[[メキシコ]]の[[ハラパ]]、[[エクアドル]]の[[キト]]、[[コスタリカ]]の[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]など、[[中国語]]圏では中国の[[南京市|南京]]、[[北京市|北京]]、[[上海市|上海]]、[[台湾]]([[中華民国]])の[[台北市|台北]]など、また[[日本語]]では[[東京都|東京]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[大阪府|大阪]]などである。対応するプログラムによって、学生は[[ホームステイ]]や[[学生寮]]で生活する。<br /> <br /> === 大学院 ===<br /> 過去、SUAには大学院のプログラムも存在し、[[英語]]を[[第二言語]]として教えるためのプログラムでは「[[:w:en:Teaching English as a second language|Teaching English as a Second Language]](TESL)」という[[修士]]の[[学位]]を修得することができた。このプログラムでは学生対教授の比率が6:1で、2006年に第10期生が卒業した。2014年8月からは新たに「Educational Leadership and Societal Change」という修士プログラムが提供される。このプログラムは、教育分野のリーダーとして[[博士]]号に進学を希望する学生のためにオファーされる。&lt;ref&gt;[http://www.soka.edu/news_events/news/2013/06/soka-university-offers-new-master-of-arts-ma-program-in-educational-leadership-and-societal-change.aspx SUA Campus News - 06.26.2013; SUA offers new MA in Educational Leadership and Societal Change] 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;今後も更なるプログラムを増やすために検討中である。<br /> <br /> == 学生生活 ==<br /> [[File:060907-007-SokaU-Dorms.jpg|350px|left|thumb|レジデンス・ホール(Residence Halls):&lt;br&gt;&quot;ホライズン(Horizon)&quot;、&quot;オーロラ(Aurora)&quot;、&lt;br&gt;&quot;アビオナ(Abeona)&quot;、&quot;サンライズ(Sunrise)&quot;]]<br /> SUAは[[全寮制]]の大学であり、特別な申請をしない限り学生は[[学生寮|寮]]生活を送る。<br /> <br /> SUAには「パーツ(The Pearl)」(学生の制作するニュース・マガジン)、「[[模擬国連|モデル・ユナイテッド・ネイションズ]](Model United Nations)」、「ヴァイタ・リオンズ・[[オーケストラ|フィルハーモニー・オーケストラ]](Vita Leones Philharmonic Orchestra)」、「ソールシロース(Sualseros)」([[サルサ (ダンス)|サルサダンス]])、「リズミッション(Rhythmission)」([[ヒップホップ (ダンス)|ヒップホップダンス]])、「{{仮リンク|ガングルー|en|Ghungroo}}(Ghungroo)」({{仮リンク|インドの古典舞踊|en|Indian classical dance}})、「ジョーショー・ダイコ(Josho Daiko)」([[和太鼓]]グループ)、「スチューデント・ムーブメント・フォー・{{仮リンク|核軍縮|label=ニュークリアー・ディサーマメント|en|nuclear disarmament}}(Student Movement for Nuclear Disarmament)」([[反核運動]])、「[[スクーバダイビング|スクーバ]]・クラブ(Scuba Club)」、「キープ・ソール(Keep Soul)」、「[[ヒューマニズム]]・イン・アクション(Humanism in Action)」、「カピリナ・ホーロカヒ(Ka&#039;Pilina Ho&#039;olokahi)」([[フラ|ハワイアン・ポリネシアンダンス]])、「ソール・ウィングス(Soul Wings)」([[合唱]]団)、「インスタント・レイディオ(Instant Radio)」([[バンド (音楽)|バンド]])「キャッツ・イン・クロウンス(Cats in Crowns)」([[ジャズ]])、[[剣道]]、「サークル・K(Circle K)」、その他[[ボランティア]]活動など、たくさんのクラブ(日本でいう[[クラブ活動|サークル活動]])がある。<br /> <br /> また、SUAには「Soka Student Union(SSU)」という学生自治会が存在し、9つの委員会がSUAの方針において重要な決定権を握り、責任を担う。執行委員会(Executive Council)、クラブ評議会(Club Senate)、学究委員会(Academic Department)、環境委員会(Environmental Department)の責任者3名(執行委員会のみ5名)は選挙により輩出され、卒業委員会(Graduation Department)、歴史委員会(History Department)、スピリット委員会(Spirit Department)、SSUパブリケーションズ(SSU Publications)と創価関係委員会(Soka Relations)の責任者各3名ずつは現職の執行委員会役員により抜擢される。<br /> <br /> [[File:Soka University Recreation Center closeup.jpg|right|thumb|300px|レクリエーション・センター(Recreation Center)]]<br /> <br /> 2002年からは毎年、コミュニティーのために倶楽部評議会主催で[[ハロウィン]]のイベント「ホーンテッド・ハウス(Haunted House、お化け屋敷)」を催している。<br /> <br /> [[File:Soka Performing Arts Centers.jpg|right|thumb|267px|創価舞台芸術センター&lt;br&gt;(The Soka Performing Arts Center)]]<br /> <br /> また、同年から毎年5月の第一土曜日には[[大学祭]]「インターナショナル・フェスティバル(International Festival)」の開催を開始した。このイベントでは、3つのステージで600を超える各国のパフォーマンス(学生のパフォーマンスも含む)が催される。このイベントのための執行委員会もSSUの責任者と学生によって設立されている。<br /> <br /> == ランキング ==<br /> 2015年度の[[USニューズ&amp;ワールド・レポート]]誌では、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]国内の[[リベラル・アーツ・カレッジ|リベラルアーツ・カレッジ]]で第41位に選ばれた&lt;ref&gt;[http://colleges.usnews.rankingsandreviews.com/best-colleges/soka-university-of-america-38144 Soka University of America | Best College | US News] 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;(14年度は41位、13年度は49位、12年度は64位)。<br /> <br /> 14年度には同順で[[バラク・オバマ]]第44代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]も通っていた[[オクシデンタル大学]]は15年度に44位にランクを下げたが、SUAは41位というポジションを維持し、[[セブン・シスターズ (大学)|セブン・シスターズ]]の一角でもある名門[[マウント・ホリヨーク大学]]や、{{仮リンク|ユニオン大学|en|Union University}}と同順になった。同ランキングにおいて、国内のリベラルアーツ・カレッジでTOP50、[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]ではTOP10(7位)としての地位は不動となってきている。<br /> <br /> また、同ランキングによるとリベラルアーツ部門の「Best Value School」でも5位に選ばれた(14年・15年度)。SUAの上には超名門の[[アマースト大学]]、[[ウィリアムズ大学]]、[[ポモナ・カレッジ|ポモナ大学]]、[[ウェルズリー大学]]が並んでいる。同様の総合部門では[[ハーバード大学]]、[[プリンストン大学]]、[[イェール大学]]、[[スタンフォード大学]]、[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]が上位5校であった。<br /> <br /> 「College Factual」というランキングにおいては国内の総合ランキング(リベラルアーツ・カレッジを含む)で56位、[[カリフォルニア州]]内で9位にランクインした&lt;ref&gt;[http://www.collegefactual.com/colleges/soka-university-of-america/rankings/ College Rankings for Soka University of america by CollegeFactual.com] 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 更には大学の卒業率と1年目から2年目への進学率を元に作られた「the Happiest Freshmen」というランキングにおいて、米国内のリベラルアーツを含む全大学の内イェール大学、[[シカゴ大学]]に次いで3位に選ばれた&lt;ref&gt;[http://www.collegechoice.net/posts/colleges-with-happiest-freshman/ 50 Colleges and Universities with the Happiest Freshmen | College Choice] 2016年4月7日閲覧。&lt;/ref&gt;。SUA以降はプリンストン大学、アマースト大学、スタンフォード大学と続いているので、世界最高峰の名門校に引けを取らないレベルに成長してきている。<br /> <br /> 開学わずか十数年目にしてこういったランキングで上位にランクインすることは、アメリカ国内においても異例の事である。<br /> == 出身者 ==<br /> *[[金澤伸幸]] - [[経済学者]]、[[一橋大学]]社会科学高等研究院特任講師&lt;ref&gt;[https://hri.ad.hit-u.ac.jp/html/100000543_profile_ja.html 「金澤 伸幸(カナザワ ノブユキ)」]一橋大学&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 系列校 ==<br /> 以下の学校は、いずれも別の学校法人による設置であり、いわゆる「[[附属学校]]」ではない。<br /> * {{JPN}}<br /> ** [[学校法人創価学園]]<br /> *** [[創価中学校・高等学校]]<br /> *** [[関西創価中学校・高等学校]]<br /> *** [[東京創価小学校]]<br /> *** [[関西創価小学校]]<br /> *** [[札幌創価幼稚園]]<br /> ** [[学校法人創価大学]]<br /> *** [[創価大学]](経済学部・経営学部・法学部・文学部・教育学部・理工学部・看護学部・国際教養学部)<br /> *** [[創価女子短期大学]](現代ビジネス学科・英語コミュニケーション学科)<br /> * {{BRA}}<br /> ** ブラジル創価学園(小学校 中学校)(高校は2017年開設予定)<br /> ** ブラジル創価幼稚園<br /> * {{HKG}}<br /> ** 香港創価幼稚園<br /> * {{KOR}}<br /> ** 韓国幸福幼稚園<br /> * {{MYS}}<br /> ** マレーシア創価幼稚園<br /> * {{SGP}}<br /> ** シンガポール創価幼稚園<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *{{commonscat-inline|Soka University of America}}<br /> * [http://www.soka.edu/ Soka University of America] - 公式サイト<br /> {{Univ-stub}}<br /> {{創価学会}}<br /> {{Normdaten}}<br /> ----<br /> <br /> &#039;&#039;この項目は、[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学|ウィキプロジェクト 大学]]の[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学/大学テンプレート (日本国内)|テンプレート]]を使用しています。&#039;&#039;<br /> {{DEFAULTSORT:あめりかそうかたいかく}}<br /> [[Category:創価大学]]<br /> [[Category:宗教系学校]]<br /> [[Category:カリフォルニア州の大学]]<br /> [[Category:2001年設立の教育機関]]<br /> [[Category:学校記事]]</div> 115.37.19.152 デイヴィッド・アーカー 2018-01-11T12:27:09Z <p>115.37.19.152: /* 来歴 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;デイヴィッド・アーカー&#039;&#039;&#039;(David Aaker、またはDavid Allen Aaker、[[1938年]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[経営学者]]、[[マーケティング理論家]]、[[コンサルタント]]である。専攻は[[ブランド]]戦略。[[カリフォルニア大学バークレー校]][[ハース・ビジネススクール]][[名誉教授]]、[[電通]]顧問。<br /> <br /> ==来歴==<br /> [[1938年]]、[[ノースダコタ州]][[ファーゴ (ノースダコタ州)|ファーゴ]]で生まれた。[[マサチューセッツ工科大学]](MIT)卒業後、[[スタンフォード大学]]で[[統計学]][[修士]]号、[[経営学博士]]号([[Ph.D.|Ph.D. in Business Administration]])を取得した。<br /> <br /> [[カルフォルニア大学バークレー校]][[ハース・ビジネススクール]]で教鞭を執る。博士課程指導学生に[[阿久津聡]][[一橋大学]]大学院教授などがいる&lt;ref&gt;[http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_43_01_01.pdf]ADstudies Vol.43&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==研究==<br /> [[ブランド・アイデンティティ]]の概念の提唱者として知られる。日本で紹介されている著書には、『ブランド・エクイティ戦略』、『ブランド優位の戦略』、『ブランド・リーダーシップ』、『シナジー・マーケティング』(以上、ダイヤモンド社)、『戦略立案ハンドブック』(東洋経済新報社)などがあり、その他にも著作、論文多数。<br /> <br /> 米国、ヨーロッパをはじめ、南米、日本およびアジアでもグローバルに講演活動を行っている。<br /> <br /> [[2002年]]より[[電通]]の顧問も務め、いくつかの企業でも数多くブランド戦略のアドバイスを行ってきた。<br /> <br /> ==受賞==<br /> *1996年:ポール D.コンバース賞(マーケティング領域で目覚ましい貢献を果たした研究者に贈られる)<br /> <br /> ==著書==<br /> ===単著===<br /> *&#039;&#039;Developing Business Strategies, New York: Wiley.(第2版は[[1988年]]、第6版は[[2001年]])<br /> **&#039;&#039;Developing Business Strategies&#039;&#039;, 6th Edition, Wiley, ISBN 978-0-471-06411-4.([[2001年]][[8月10日]])<br /> <br /> *&#039;&#039;Strategic Market Management&#039;&#039;, New York: Wiley.(第3版は[[1992年]])<br /> *&#039;&#039;Strategic Market Management&#039;&#039;, 2007, ISBN 978-0-470-05623-3.<br /> **(翻訳書)[[野中郁次郎]]・北洞忠宏・[[石井淳蔵]]・[[嶋口充輝]][訳]『戦略市場経営―戦略をどう開発し評価し実行するか』[[ダイヤモンド社]]、[[1986年]]9月。<br /> <br /> *&#039;&#039;Managing Brand Equity&#039;&#039;,illustrated edition, Free Press.([[1991年]][[9月9日]])<br /> **(翻訳書)陶山計介・中田善啓・尾崎久仁博・小林哲〔訳〕([[1994年|1994]])『ブランド・エクイティ戦略―競争優位をつくりだす名前、シンボル、スローガン』[[ダイヤモンド社]]。<br /> *&#039;&#039;Managing Brand Equity&#039;&#039;, 1992, ISBN 978-0-02-900101-1<br /> *&#039;&#039;Building Strong Brands&#039;&#039;, Free Press, ISBN 978-0-02-900151-6.([[1995年]][[12月12日]])<br /> <br /> *&#039;&#039;Brand Portfolio Strategy: Creating Relevance, Differentiation, Energy, Leverage, and Clarity&#039;&#039;, Free Press, ISBN 978-0-7432-4938-6.([[2004年]][[3月30日]])<br /> **(翻訳書)[[阿久津聡]][訳]『ブランドポートフォリオ戦略―事業の相乗効果を生み出すブランド体系』ダイヤモンド社、[[2005年]]7月。<br /> <br /> *&#039;&#039;From Fargo to the World of Brands: My Story So Far&#039;&#039;, 2005, ISBN 978-1-58736-494-5<br /> <br /> *&#039;&#039;Spanning Silos:The New CMO Imperative&#039;&#039;, Harvard Business School Press, ISBN 978-1-4221-2876-3.([[2008年]][[9月16日]])<br /> **(翻訳書)[[大里真理子]][訳]『シナジーマーケティング―部門間の壁を越えた全社最適戦略』ダイヤモンド社、[[2009年]][[3月13日]]。<br /> <br /> *&#039;&#039;Brand Leadership&#039;&#039;, Pocket Books.([[2009年]][[10月1日]]) <br /> *&#039;&#039;Building Strong Brands&#039;&#039;, Pocket Books.([[2010年]][[4月29日]])<br /> **(翻訳書)陶山計介・梅本春夫・小林哲・石垣智徳[訳]『ブランド優位の戦略―顧客を創造するBIの開発と実践』ダイヤモンド社、[[1997年]]7月。 <br /> <br /> *&#039;&#039;Brand Relevance: Making Competitors Irrelevant&#039;&#039;, San Francisco: Jossey-Bass, ISBN 978-0-470-61358-0.([[2011年]][[1月25日]])<br /> **(翻訳書)阿久津聡、電通ブランド・クリエーション・センター〔訳〕([[2011年]])『カテゴリー・イノベーション―ブランド・レレバンスで戦わずして勝つ』[[日本経済新聞出版社]]、[[2011年]][[11月25日]]。<br /> *&#039;&#039;Marketing Research&#039;&#039;, 11th Edition, Wiley.([[2012年]][[10月9日]])<br /> <br /> *Brand Building and Social Media (2011)<br /> *Preference vs. Relevance (2011)<br /> *Wi ning the Brand Relevance War (2011)<br /> *Eight Characteristics of Successful Retail Concepts (2011)<br /> *Personal Branding Interviews: David Aaker (2011)<br /> <br /> ===共著===<br /> *&#039;&#039;Consumerism: Search for the Consumer Interest&#039;&#039;, New York: Free Press.([[1971年]]、第2版は[[1974年]]、George S. Dayと共著)<br /> **(翻訳書)デイヴィッド・A・アーカー、ジョージ・S.デー/谷原修身、今尾雅博、中村勝久[共訳]『コンシューマリズム―消費者の利益のために』[[千倉書房]]、[[1984年]]10月。(原著第4版の翻訳) <br /> <br /> *&#039;&#039;Advertising Management&#039;&#039;, Englewood Cliffs, N.J.: Prentice-Hall.([[1975年]]、第2版は[[1982年]]、John G. Myersと共著)<br /> **(翻訳書)デイヴィッド・A・アーカー、J.G.マイヤーズ著 、野中郁次郎、上久訳([[1977年]]/1977)『アドバタイジング・マネジメント : 広告意思決定の理論』[[東洋経済新報社]]。 <br /> *&#039;&#039;Essentials of Marketing Research&#039;&#039;, New York: John Wiley &amp; Sons.(第2版は[[2002年]]、V. KumarとGeorge S. Dayと共著)<br /> *&#039;&#039;Marketing Research&#039;&#039;, Hoboken ; New York: Wiley.(第8版は[[2004年]]、V. KumarとGeorge S. Dayと共著)<br /> <br /> *&#039;&#039;Strategic Market Management: Global Perspectives, Chichester: Wiley.([[2010年]]、Damien McLoughlinと共著) <br /> <br /> *&#039;&#039;Brand Leadership: The Next Level of the Brand Revolution&#039;&#039;, Free Press, ISBN 978-0-684-83924-0.([[2000年]]1月、Erich Joachimsthalerと共著)<br /> **(翻訳書)デイヴィッド・A・アーカー、エーリッヒ・ヨアヒムスターラー/阿久津聡[訳]『ブランド・リーダーシップ―「見えない企業資産」の構築』ダイヤモンド社、[[2000年]]10月。<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[マーケティング]]<br /> *[[ブランド・エクイティ]]<br /> <br /> ==脚注==<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ああかあ ていういつと}}<br /> [[Category:アメリカ合衆国の経営学者]]<br /> [[Category:カリフォルニア大学バークレー校の教員]]<br /> [[Category:マーケティング]]<br /> [[Category:ノースダコタ州の人物]]<br /> [[Category:1938年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 115.37.19.152
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