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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-07T23:36:43Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
シャルル・フーリエ
2018-06-30T11:21:41Z
<p>113.32.216.171: /* 参考文献 */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 哲学者<br />
| region = [[西洋哲学]]<br />
| era = 18世紀の哲学<br />[[19世紀の哲学]]<br />
| image_name = Fourier.gif<br />
| image_size = 200px<br />
| image_alt = <br />
| image_caption = シャルル・フーリエの肖像<br />
| name = フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ<br />Francois Marie Charles Fourier<br />
| other_names = <br />
| birth_date = {{生年月日と年齢|1772|4|7|no}}<br />
| birth_place = {{FRA987}}・[[ブザンソン]]<br />
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1772|4|7|1837|10|10}}<br />
| death_place = {{FRA1830}}・[[パリ]]<br />
| school_tradition = フーリエ主義<br />[[空想的社会主義]]<br />
| main_interests = [[文明]]<br />[[形而上学]]、[[宇宙論]]、[[運命]]<br />[[倫理学]]、[[愛]]、[[性愛]]<br />[[社会哲学]]、[[政治哲学]]<br />
| notable_ideas = 物質的運動、有機的運動、動物的運動、社会的運動<br />[[:en:Phalanstère|Phalanstère]]<br />Attractive work<br />[[欲望]]<br />情念引力の理論<br />
| influences = (基本的には過去のあらゆる哲学者を批判的に引用し、発展させている。以下は名前緒よく挙げられている例である。)<br />[[プラトン]]<br />[[アリストテレス]]<br />[[ルネ・デカルト]]<br />[[アイザック・ニュートン]]<br />[[ゴットフリート・ライプニッツ]]<br />[[ピエール=シモン・ラプラス]]<br />[[イマヌエル・カント]]<br />[[ジャン=ジャック・ルソー]]<br />[[ヴォルテール]]<br />その他多数<br />
| influenced = [[ロラン・バルト]]<br />[[ヴァルター・ベンヤミン]]<br />[[ピエール・クロソウスキー]]<br />[[ジル・ドゥルーズ]]<br />[[オクタビオ・パス]]<br />[[ピエール・ジョゼフ・プルードン]]<br />[[カール・マルクス]]<br />[[フリードリヒ・エンゲルス]]<br />[[ニコライ・チェルヌイシェフスキー]]<br />[[ピョートル・クロポトキン]]<br />[[アンドレ・ブルトン]]<br />[[シュールレアリスム]]文学<br />その他多数<br />
| signature = <br />
| signature_alt = <br />
| website = <!-- {{URL|example.com}} --><br />
}}<br />
'''フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ'''(Francois Marie Charles Fourier、[[1772年]][[4月7日]] - [[1837年]][[10月10日]])は、[[フランス]]の[[哲学者]]、[[倫理学者]]、[[社会思想|社会思想家]]。「[[空想的社会主義|空想的社会主義者]]」を代表する人物の一人。<br />
<br />
==生涯==<br />
[[1772年]]、フーリエは[[ブザンソン]]で裕福な商人の家に3人の姉を持つ一人息子として生まれる。彼は幼年時代に商業そのものに対する批判感があったと言われている。しかしながら、彼が9歳の時に父を亡くし、彼は家業を継ぐためにヨーロッパを移り歩く徒弟修業を強いられる。<br />
<br />
当時のフランス第二の都市であった[[リヨン]]に落ち着くが、[[1793年]]のリヨン包囲の混乱に巻き込まれ、投獄されたあげくに相続財産の多くを失うことになる。このときの悲惨な体験が後の思想につながっていると言われ、彼は以来、政治革命に対し根強い不信感を抱くようになる。<br />
<br />
その後は雇われ店員や行商人を続けながら、[[1808年]]に代表的な著作である『[[四運動の理論]]』を執筆・刊行する。この中でフーリエは、宇宙には物質的、有機的、動物的、社会的運動の4つの運動があるとし、彼は社会的運動において物質的世界における[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]の[[万有引力の法則]]に匹敵する「情念引力の理論」を発見したと宣言する。<br />
<br />
フーリエはこの情念引力論に依拠した1620人から成る農業[[アソシアシオン]]、すなわち[[ファランジュ]]の建設を提唱した。しかし彼の一種奇抜な著作の内容と理論は、同時代人からは嘲笑の的となり、一部の熱心な支持者や弟子を除くと、まともに理解・評価されることがなかった。その後、フーリエの最初の弟子である[[ミュイロン]]たちなどから、後の[[フーリエ主義]]運動が生まれることになる。<br />
<br />
[[1822年]]、弟子の[[ミュイロン]]に急かされる形であるが、以前に執筆していた『大概論』の一部を『家庭・農業[[アソシアシオン]]論』として上梓する。<br />
<br />
[[1829年]]、『大概論』の一部を『家庭・農業[[アソシアシオン]]論』の要約である『ソシエテールな産業的新世界』を出版するが、これもまた多くの読者を獲得するに至らなかった(ちなみに、まだ青年であった[[ピエール・ジョゼフ・プルードン|プルードン]]がこの書の印刷所で校訂作業に従事していた)。しかしフーリエは落胆せず、毎日正午には帰宅し、自身の思想の[[ファランジュ]]建設のための資金提供者を待っていたといわれている。<br />
<br />
晩年のフーリエは[[パリ]]で過ごし、[[コンシデラン]]らと集まって[[エコール・ソシエテール]]を結成。<br />
<br />
上記以外の著作に[[1967年]]になって、シモーヌ・ドゥブーの発見、刊行により初めて出版された『愛の新世界』があるが、これはフーリエが書きとめた同じノート・草稿を元にしており、そもそも『大概論』という書を目指したものであったが、後世の者によってその草稿の一部がまとめられて発行されたものである。現在、その草稿自体は[[パリ]]のフランス国立古文書館に所蔵されている。<br />
<br />
==思想、哲学==<br />
「社会的、動物的 有機的、物質的という四運動の理論こそ、[[理性]]の企てるべき唯一の研究であった<ref>シャルル・フーリエ、『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、古典文庫、[[2002年]]、11項。</ref>」と考え、その立場から、過去の哲学者たちの姿勢を根本的に批判し、自らの哲学を展開する。また、それまでの哲学は、[[アイザック・ニュートン]]や[[ゴットフリート・ライプニッツ]]によってその諸法則が発見された、[[物質]]的運動の部門までしか到達していないのだとしている<ref>同上、同項</ref>。<br />
<br />
『四運動の理論』では、それまでの哲学、学問史を批判している。また、古今東西様々な哲学者、とくに[[倫理]]、[[道徳]]の分野で業績を残す学者たちの名前を挙げ、引用しつつ、その書物の記述を批判し、「[[誤謬]]の伝道者たち<ref>シャルル・フーリエ、『四運動の理論〈下〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、古典文庫、[[2002年]]、155項。</ref>」と批判している。<br />
<br />
フーリエは、運命について考察している。フーリエによれば、運命とは、「万有運動に関する神の数学的諸法則の、現在、過去、未来にわたる帰結である<ref>シャルル・フーリエ、『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、[[2002年]]、62項。</ref>」としている。そして、万有運動は、社会的、動物的、有機的、物質的という四つの主要部門に分類されるとした上で、『四運動の理論』のはじめ、定義を述べた第一部において、それらを次のように定義している。{{Quotation|一、社会的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、住民をもつすべての天体における諸々の社会機構の配置と継承とを規制した諸法則である。<br />二、動物的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、諸々の天体における過去または未来のあらゆる創造物に、情念と本能とを配分する諸法則である。<br />三、有機的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、諸々の天体において創造された、または創造さるべきあらゆる物質に、特性、形、色、味、等々を配分する諸法則である。<br />四、物質的運動。この理論はすでに近代幾何学によって解明されたところだが、その結果知られたものは、神がそれらに則って、諸々の天体に対し物質の重量を規制した諸法則である。|シャルル・フーリエ著|『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、[[2002年]]、62項より}}<br />
そして、いかなる運動の作用も、この四運動に含まれるとしている。『四運動の理論』においては、第一部解説篇の「定義と分類」においてこのことを確認した上で、運動とその根源的な原理についてのさらに詳細な分析が展開される。<br />
<br />
また、その他にも、フーリエは「情念引力」という概念を説いている。「愛の重力理論」と呼ばれることもある。12の基礎の情念があり、その相互関係に情念引力があるという。このコンセプトは『四運動の理論』、そしてフーリエ社会思想において極めて重要な『愛の新世界』など、初期から晩年の著作まで一貫しており、後に[[空想的社会主義]]と呼ばれることになる彼の[[社会哲学]]、[[社会思想]]において、根底を支える思想となった。そしてフーリエはこう述べている。{{Quotation|情念引力の諸法則はあらゆる点で、ニュートンとライプニッツによって解明された物質引力の諸法則に合致するのである。そして物質界と精神界とに通ずる運動体系の統一というものが存するのだ。|シャルル・フーリエ著|『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、[[2002年]]、30項より}}<br />
この部分に関する具体的議論も、著書のなかで展開される重要な部分となっている。<br />
<br />
フーリエの社会思想は主に、文明諸国民から忘却ないしは軽視されてきた<ref>シャルル・フーリエ、『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、古典文庫、[[2002年]]、13項。</ref>二つの部門、「農業組合」と「情念引力」に関する研究を最重要視している<ref>同上、同項。</ref>。フーリエは、「産業主義の批判」と「理想的協同体の提案」、「自然的欲望の肯定」について詳細に研究している。当時のヨーロッパは[[産業革命]]勃興期であり、国家・政府が産業主義を推奨し、その庇護を受けた産業者(資本家)が賃金労働者をとことんまで搾取するという光景が至るところに存在した。また、そのような「国家」の暴力に対して「革命」の暴力もまた悲惨な光景を生み出していた。革命と称する破壊と暴力によって何か益を生み出すかといえば、(フーリエ自身が体験したように)財を失った多数の貧民や浮浪者、破壊されつくした街を生み出しつつあり、これでは本来の「革命」の目的からすると悪循環であった。<br />
<br />
そこでフーリエが提案したのは「アソシアシオン」(協同体)の創造(フーリエの用語で言えば「ファランジュ」)であった。その協同体は国家の支配を受けず、土地や[[生産手段]]は共有とした上で、1800人程度を単位として数百家族がひとつの協同体で共同生活をする。基本的に生活に必要なものは自給自足とする。また、労働活動を集約することで[[時短 (労働)|労働時間を短縮]]する。といった提案であった。このようなファランジュの中心には、その建物だけでも自生自立しうる「ファランステール」という集合機能と集住機能をもったパビリオンが設定された。そこまでは後の[[社会主義]]・[[共産主義]]思想に類型が認められるが、フーリエ独自の観点としてさらに「自然的[[欲望]]の肯定」と女性の権利の尊重<ref>シャルル・フーリエ、『愛の新世界』、なおフーリエは「[[フェミニズム|フェミニスム]]」という言葉を史上初めて用いた人物とされている。</ref>が認められる。<br />
<br />
==評価==<br />
[[カール・マルクス]]、あるいはその継承者によって「[[空想的社会主義]]」と片付けられ歴史の記憶に忘れ去られようとしていたところで、フランスの[[シュールレアリスム]]系の文学者や、20世紀以降の哲学者、思想家によって再発見・再評価された。例を挙げると、思想家では[[ロラン・バルト]]、[[ヴァルター・ベンヤミン]]([[パサージュ]]論)、[[ピエール・クロソウスキー]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、文学者では[[アンドレ・ブルトン]]、[[オクタビオ・パス]]などがフーリエの文章と思想から影響を受け、あるいは賞賛した。<br />
<br />
ちなみに、[[フリードリヒ・エンゲルス]]は自らの著作などでフーリエを「偉大な批評家」として大きく評価しており、「[[マルクス主義|科学的社会主義]]」を標榜したマルクス・エンゲルスによってフーリエの思想が「空想的社会主義として片付けられた」という意見は、一部誤解を含むことになる。<br />
<br />
== 邦訳著作 ==<br />
膨大な著作のうち、現在、日本において邦訳出版されているシャルル・フーリエの著作は以下の作品である。<br />
<br />
*『愛の新世界』、[[福島知己]]訳、[[作品社]]、[[2006年]]、増補新版2013年。<br />
*『四運動の理論〈上〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、古典文庫、[[2002年]]。<br />
*『四運動の理論〈下〉』、[[巖谷國士]]訳、[[現代思潮新社]]、古典文庫、[[2002年]]。<br />
<br />
==参考文献==<br />
*シモーヌ・ドゥブー、『フーリエのユートピア』、[[今村仁司]]監訳、[[平凡社]]、[[1993年]]。<br />
*ジョナサン・ビーチャー、『シャルル・フーリエ伝―幻視者とその世界』、福島知己訳、[[作品社]]、[[2001年]]。<br />
*H・ベッカー、『フーリエと[[アンドレ・ブルトン|ブルトン]]―[[ドイツ]]における[[シュルレアリスム]]研究序説』、酒井昌美訳、[[啓文社]]、[[1993年]]。<br />
*[[石井洋二郎]]、『科学から空想へ』、[[藤原書店]]、[[2009年]]。<br />
*ジャン・ルフラン、『十九世紀フランス哲学』、川口茂雄監訳、長谷川琢哉・根無一行訳、[[白水社]]文庫クセジュ、[[2014年]]。<br />
*カール・J. ガーネリ、『共同体主義―フーリエ主義とアメリカ』、宇賀博訳、[[恒星社厚生閣]]、[[1989年]]。<br />
*[[ロラン・バルト]]、『サド、フーリエ、ロヨラ』、篠田浩一郎訳、みすず書房、1990年、新版2002年。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
{{people-stub}}<br />
{{Communism-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:ふうりえ しやるる}}<br />
[[category:18世紀フランスの哲学者]]<br />
[[category:19世紀フランスの哲学者]]<br />
[[Category:フランスの政治哲学者]]<br />
[[Category:フェミニスト哲学者]]<br />
[[Category:社会主義フェミニスト]]<br />
[[Category:男性のフェミニスト]]<br />
[[Category:性に肯定的なフェミニスト]]<br />
[[Category:フェミニズム史]]<br />
[[category:空想的社会主義]]<br />
[[category:フランス社会主義の人物]]<br />
[[category:共産主義者]]<br />
[[Category:フランスにおける反ユダヤ主義]]<br />
[[Category:ブザンソン出身の人物]]<br />
[[Category:1772年生]]<br />
[[Category:1837年没]]</div>
113.32.216.171
遺言
2018-06-15T10:06:53Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>{{Law}}<br />
'''遺言'''(ゆいごん、いごん、いげん)とは、日常用語としては形式や内容にかかわらず広く故人が自らの死後のために遺した言葉や文章をいう。日常用語としては'''ゆいごん'''と読まれることが多い。このうち民法上の法制度における遺言は、[[死|死後]]の[[法律]]関係を定めるための最終[[意思]]の表示をいい、法律上の効力を生じせしめるためには、民法に定める方式に従わなければならないとされている([[b:民法第960条|民法960条]])。法律用語としては'''いごん'''と読まれることが多い。<br />
<br />
::<small>この記事では、日本の現行[[民法 (日本)|民法]]における遺言の制度を解説する。条名は、特に断りない限り民法のものである。</small><br />
<br />
==総説==<br />
===遺言制度の趣旨===<br />
{{節スタブ}}<br />
*'''遺言自由の原則'''<br />
:遺言の制度を認めることによって、人は遺言により、生前だけでなく、その死後にも自己の[[財産]]を[[自由]]に[[処分]]できることになる。<ref>[[金子宏]]・[[新堂幸司]]・[[平井宣雄]]:法律学小事典(第4版補訂版)、[[有斐閣]]、2008年10月20日第4版補訂版第1刷、p.15</ref><br />
===法的性質===<br />
*要式行為<br />
:遺言は民法に定める方式に従わなければすることができない[[要式行為]](一定の方式によることを必要とする行為)であり、方式に違反する遺言は[[無効]]となる([[b:民法第960条|960条]])。<br />
*単独行為<br />
:遺言は相手方のない[[単独行為]]である。<br />
*死因行為(死後行為)<br />
:遺言は遺言者の[[死亡]]後に効力が生じる法律行為である([[b:民法第985条|985条]])。<br />
*[[代理]]に親しまない行為<br />
<br />
===遺言能力===<br />
*満15歳以上の者は遺言をすることができる([[b:民法第961条|961条]])。<br />
*遺言は本人の最終意思を確認するものであり、また、代理に親しまない行為であるから、未成年者・[[成年被後見人]]・[[被保佐人]]・[[被補助人]]が遺言をする場合であっても、その保護者は同意権や取消権を行使することができない([[b:民法第962条|962条]])。ただし、[[成年被後見人]]については、医師2人以上の立ち会いの下で正常な判断力回復が確認された場合にのみ遺言をすることができる([[b:民法第973条|973条]])。<br />
<br />
===遺言指定事項===<br />
遺言の最も重要な機能は、遺産の処分について、被相続人の意思を反映させることにある。被相続人の意思である遺言を尊重するため、相続規定には任意規定が多く(ただし遺留分規定等強行規定も少なくない)、遺言がない場合は、民法の規定に従って[[相続]]が行われる(これを'''法定相続'''という)。これに対し、遺言を作成しておくと、遺産の全体または個々の遺産を誰が受け継ぐかについて自らの意思を反映させることができる。[[遺贈]]の方法により、相続人以外の者に遺産を与えることも可能である。<br />
<br />
遺言がない場合、通常、相続手続には相続人全員で共同して遺産分割協議書を作成し、[[登記所]]、[[金融機関]]などに提出しなければならない。相続人の間で合意が得られない場合、相続人が行方不明となっていたり遠方に居住している場合などには、遺産分割協議書の作成は困難な仕事である。加えて、[[相続税]]の申告期限(10か月以内)に分割が確定しない場合は、各種の軽減特例を受けられないなどのデメリットがある。<br />
<br />
遺言でどの財産を誰に相続させるかを明確に記載することにより、当該相続人は不動産の[[所有権移転登記]]を単独で行うことができる。また、遺言で遺言執行者を指定することにより、預貯金の払戻しを円滑に行うことができる。このように遺言には、相続に関するさまざまな手続に関する遺族の負担を軽減するという実務上の利点がある。<br />
<br />
遺産の処分に関連しない行為([[未成年後見人]]の指定など)も遺言によって行うことができる。また、生前に行うこともできるし、遺言によっても行うことができる行為がある(子の[[認知]]など)。<br />
<br />
このように遺言事項は多種に及ぶが、まず、民法上規定されている事項について、それぞれ規定のある条名とともに示すと以下のとおりである。<br />
*相続人の[[相続廃除|廃除]]と廃除取消([[b:民法第893条|893条]]・[[b:民法第894条|894条]])<br />
*相続分の指定および指定の委託([[b:民法第902条|902条]])<br />
*遺産分割方法の指定および指定の委託、遺産分割禁止(5年を限度とする)([[b:民法第908条|908条]])<br />
*遺贈([[b:民法第964条|964条]])<br />
*子の[[認知]]([[b:民法第781条|第781条]]第2項)<br />
*未成年後見人・未成年後見監督人の指定([[b:民法第839条|839条]]・[[b:民法第848条|848条]])<br />
*祭祀主宰者の指定([[b:民法第897条|897条]]1項)<br />
*特別受益の持戻しの免除([[b:民法第903条|903条3項]])<br />
*相続人間の担保責任の定め([[b:民法第914条|914条]])<br />
*遺言執行者の指定および指定の委託等([[b:民法第1006条|1006条]]・[[b:民法第1016条|第1016条]]~[[b:民法第1018条|1018条]])<br />
*遺贈の減殺の方法([[b:民法第1034条|1034条]])<br />
<br />
その他、[[一般財団法人]]の設立([[一般社団・財団法人法]]第152条2項)、[[信託]]の設定([[信託法]]第3条2号)もすることができるほか、[[保険法]]44条1項によれば生命保険の保険金受取人の変更も可能とされている(これらは遺言によらず生前に行うことが一般的であろう)。遺言の撤回は遺言の方式のみによって可能である([[b:民法第1022条|1022条]])。<br />
<br />
====「相続させる」旨の遺言====<br />
[[判例]]により、特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」旨の遺言は、遺産分割方法の指定と解する<ref>最判平成3年4月19日[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52445]民集45巻4号477頁: 特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言は、特段の事情のない限り、何らの行為を要せずに、被相続人死亡の時に直ちに当該遺産当該相続人に相続により承継される。</ref>とされ、当該遺産が不動産である場合、当該相続人が単独で登記手続をすることができるとされていることから、利用価値が高い(2003[[年度]](平成15年度)[[税制]]改正以前は登記に関して必要となる[[登録免許税]]が遺贈の場合に比べて低額であるというメリットもあった)。<br />
<br />
さらに、「相続させる」遺言によって不動産を取得した相続人は、登記なくしてその権利を第三者に対抗することができるとの判例<ref>最二小判平成14年6月10日[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=62433]判例時報1791号59頁</ref>が出たことから、他の相続人の債権者による相続財産の差押えを未然に防ぐことができるというメリットも生まれた。<br />
<br />
==遺言の方式==<br />
遺言の方式には普通方式遺言と特別方式遺言がある。<br />
===普通方式遺言===<br />
====自筆証書遺言====<br />
;条件<br />
*遺言書の全文が遺言者の自筆で記述(代筆やワープロ打ちは不可)<ref name="nikkeiyuigon">日本経済新聞朝刊2016年8月20日付</ref><br />
*日付と氏名の自署<ref name="nikkeiyuigon"/><br />
*押印してあること([[実印]]である必要はない)<ref name="nikkeiyuigon"/><br />
<br />
遺言書の保管者は、相続の開始を知った後、遅滞なく、これを家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならない([[b:民法第1004条|1004条]]1項)。<br />
<br />
====公正証書遺言====<br />
遺言内容を[[公証人]]に口授し、公証人が証書を作成する方式。証人2名と手数料の用意が必要となる。推定相続人・受遺者等は証人となれない。[[公証人]]との事前の打ち合わせを経るため、内容の整った遺言を作成することができる。証書の原本は公証役場に保管され、遺言者には正本・謄本が交付される。遺言書の検認は不要である([[b:民法第1004条|1004条]]2項)。公証役場を訪問して作成するほか、公証人に出向いてもらうことも可能である<ref name="nikkeiyuigon"/>。<br />
<br />
====秘密証書遺言====<br />
遺言内容を秘密にしつつ公証人の関与を経る方式。証人2名と手数料の用意が必要であるほか、証人の欠格事項も公正証書遺言と同様である<ref>遺言内容が秘密であるから、証人の欠格事項には公正証書の場合に比して注意が必要である。</ref>。代筆やワープロ打ちも可能だが、遺言者の署名と押印は必要であり([[b:民法第970条|970条]]1項1号)、その押印と同じ印章で証書を封印する(同項2号)。代筆の場合、証人欠格者以外が代筆する必要がある。遺言者の氏名と住所を申述したのち(同項3号)、公証人が証書提出日及び遺言者の申述内容を封紙に記載し、遺言者及び証人と共に署名押印する(同項4号)。遺言書の入った封筒は遺言者に返却される。自筆証書遺言に比べ、偽造・変造のおそれがないという点は長所であるが、紛失したり発見されないおそれがある。<br />
<br />
遺言書の保管者は、相続の開始を知った後、遅滞なく、これを[[家庭裁判所]]に提出して、その検認を請求しなければならない(1004条1項)。<br />
<br />
===特別方式遺言===<br />
普通方式遺言が不可能な場合の遺言方式。普通方式遺言が可能になってから6か月間生存した場合は、遺言は無効となる([[b:民法第983条|983条]])。<br />
<br />
====危急時遺言====<br />
=====一般危急時遺言=====<br />
疾病や負傷で死亡の危急が迫った人の遺言形式(976条)。証人3人以上の立会いが必要。証人のうちの1人に遺言者が遺言内容を口授する。遺言不適格者が主導するのは禁止。口授を受けた者が筆記をして、遺言者及び他の証人に読み聞かせ、または閲覧させる。各証人は、筆記が正確なことを承認した後、署名・押印する。20日以内に[[家庭裁判所]]で確認手続を経ない場合、遺言が無効となる。<br />
<br />
=====難船危急時遺言=====<br />
船舶や飛行機に乗っていて死亡の危急が迫った人の遺言方式(979条)。証人2人以上の立会いが必要。証人の1人に遺言者が遺言内容を口授する。口授を受けた者が筆記をして、他の証人が確認する。各証人が署名・押印する。遅滞なく家庭裁判所で確認手続を経る必要がある。<br />
<br />
====隔絶地遺言 ====<br />
=====一般隔絶地遺言=====<br />
[[伝染病]]による行政処分によって交通を断たれた場所にいる人の遺言方式(977条)。[[刑務所]]の[[服役囚]]や災害現場の被災者もこの方式で遺言をすることが可能。警察官1人と証人1人の立会いが必要。家庭裁判所の確認は不要。<br />
<br />
=====船舶隔絶地遺言=====<br />
船舶に乗っていて陸地から離れた人の遺言方式(978条)。飛行機の乗客はこの方式を選択することはできない。船長又は事務員1人と、証人2人以上の立会いが必要。家庭裁判所の確認は不要。<br />
<br />
{| class="wikitable" | style="margin:0 auto"<br />
|+'''遺言の方式とその特徴'''<br />
| colspan="3" style="text-align: center;" | 遺言の方式 || style="text-align: center;" | 特徴<br />
|-<br />
| rowspan="3" | 普通方式遺言 || colspan="2" style="text-align: center;" | 自筆証書遺言 || 遺言内容の秘密を保てるが、偽造・変造・滅失のおそれがある<br />
|-<br />
| colspan="2" style="text-align: center;" | 公正証書遺言 || 偽造・変造・滅失のおそれがないが、遺言内容の秘密を保てないおそれがある<br />
|-<br />
| colspan="2" style="text-align: center;" | 秘密証書遺言 || 遺言内容の秘密を保てるが、滅失のおそれがある<br />
|-<br />
| rowspan="4" | 特別方式遺言 || rowspan="2" | 危急時遺言 || 一般危急時遺言 || <br />
|-<br />
| 難船危急時遺言 ||<br />
|-<br />
| rowspan="2"| 隔絶地遺言 || 一般隔絶地遺言 ||<br />
|-<br />
| 船舶隔絶地遺言 ||<br />
|}<br />
<br />
===証人・立会人の欠格者===<br />
証人・立会人は以下の欠格者以外の者なら誰でもなることができる([[b:民法第974条|974条]])。<br />
#未成年者<br />
#推定相続人、受遺者及びそれらの配偶者、並びに直系血族<br />
#[[公証人]]の配偶者、四親等内の[[親族]]、書記及び使用人<br />
<br />
===共同遺言の禁止===<br />
遺言は2人以上の者が同一の証書ですることができない([[b:民法第975条|975条]])。2人以上の者が同一の証書で遺言をすると各人が自由に撤回することが難しくなり、故人の最終的な意思の確認が困難になるためと解されている。夫婦が同一の証書に連名で遺言する場合などが共同遺言として無効とされる。<br />
<br />
===遺言の作成における諸問題===<br />
*自書<br />
:自筆証書遺言については全文の自書が必要である([[b:民法第968条|968条]]1項)。<br />
:過去の判例ではカーボン複写による自筆の遺言も有効とされている。<ref>最判平成5年10月19日[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=73150]</ref><br />
*日付<br />
:普通方式遺言では日付が有効要件とされている([[b:民法第968条|968条]]1項・[[b:民法第970条|970条]]1項)。<br />
:遺言の日付は「平成15年吉日」などの年月日が特定できないものは無効だが、<ref>最判昭和54年5月31日民集33巻4号445頁[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52147]</ref>「還暦の誕生日」、「65歳の誕生日」、「平成15年大晦日」など、年月日が特定できるものなら有効である。しかし、できる限り混乱防止のために普通に年月日を記載するほうが望ましい。<br />
:特別方式遺言において日付の記載は遺言の有効要件とはされず、日付が正確さを欠いていても特別方式遺言は無効にはならない。<ref>最判昭和47年3月17日民集26巻2号249頁[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52059]</ref><br />
*氏名<br />
:遺言者が通常使用している通名等でも、遺言書を書いた者が特定できる場合は有効。<ref>大判大正4年7月3日民録21輯1176頁</ref><br />
*押印<br />
:拇印でよいとする判例がある。<ref>最判平成元年2月16日民集43巻2号45頁[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52210]</ref><br />
:いわゆる[[花押]]を書くことは、民法[[b:民法第968条|968条]]1項の押印の[[要件]]を満たさない。<ref>平成27年(受)118、遺言書真正確認等、求積金等請求事件、平成28<br />
年6月3日、最高裁判所第二小法廷(未収録)[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85930]</ref><br />
*封印<br />
:秘密証書遺言については封緘と封印が必要([[b:民法第970条|970条]]1項2号)。<br />
:遺言に封印のある場合は家庭裁判所に提出して検認を受けるときに、相続人(もしくはその代理人)の立ち会いがなければ開封できない([[b:民法第1004条|1004条]]3項)。ちなみに検認を経なくても遺言は当然には無効とはならないが、過料の制裁を受ける可能性がある([[b:民法第1005条|1005条]])。<br />
*相続人の欠格事由<br />
:遺言に関し次の者は、[[相続人]]の欠格事由になる([[b:民法第891条|891条]])。<br />
:# 詐欺又は強迫によって、被相続人が相続に関する遺言をし、撤回し、取り消し、又は変更することを妨げた者 <br />
:# 詐欺又は強迫によって、被相続人に相続に関する遺言をさせ、撤回させ、取り消させ、又は変更させた者 <br />
:# 相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者<br />
<br />
==遺言の効力==<br />
===遺言の効力発生時期===<br />
遺言は遺言者の死亡の時からその効力を生ずる([[b:民法第985条|985条]]1項)。遺言に停止条件を付した場合において、その条件が遺言者の死亡後に成就したときは、遺言は、条件が成就した時からその効力を生ずる([[b:民法第985条|985条]]2項)。<br />
<br />
===遺言の無効・取消し===<br />
遺言も[[法律行為]]の一種であるから、他の法律行為と同じように[[意思能力]]のない者による遺言や公序良俗([[b:民法第90条|90条]])に反する遺言は無効とされる。その一方で、遺言は法律行為ではあるものの最終意思の表示であるという点で他の法律行為とは性質が異なることから、取消しについても異なる扱いを受け、本人は自由に遺言を撤回することができるものと規定されている([[b:民法第1022条|1022条]])。また、遺言は代理に親しまない法律行為であるから、[[制限行為能力者]]に関連する規定の適用は排除され([[b:民法第962条|962条]])、制限行為能力者が遺言をする場合であっても、遺言を行う本人に遺言能力があれば保護者はその遺言に関して同意権や取消権などを行使できない。遺言をした制限行為能力者本人が遺言を取り消したい場合には[[b:民法第1022条|1022条]]により取り消すことになる([[b:民法第1022条|1022条]]に規定される遺言制度における撤回及び取消しについては後述)。撤回行為が撤回されたり効力を失っても、一度撤回された遺言は原則、復活しない([[b:民法第1025条|1025条]])。ただし、復活の意思が明白である場合に、遺言の復活を認めた判例もある(後述)<br />
<ref name = courts002 >最高裁判決平成9年11月13日[http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52799]・民集第51巻10号4144頁</ref>。<br />
<br />
===遺贈===<br />
遺言者は包括または特定の名義でその財産の全部または一部を処分することができる([[b:民法第964条|964条]]本文)。これを'''遺贈'''という。ただし、[[遺留分]]に関する規定に違反することはできない([[b:民法第964条|964条]]ただし書)。<br />
{{main|遺贈}}<br />
<br />
==遺言の執行==<br />
===遺言書の検認・開封===<br />
遺言の保管者や発見者は相続開始を知った後、遅滞なく家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならない([[b:民法第1004条|1004条]]1項)。検認は遺言書の存在を確定し現状を保護するために行われる手続であるが、遺言書の有効・無効という実体上の効果を左右するものではない<ref>大決大正4年1月16日民録21輯8頁</ref>。なお、公正証書遺言については検認を要しない([[b:民法第1004条|1004条]]2項)。<br />
<br />
封印のある遺言書は、家庭裁判所において相続人またはその代理人の立会いがなければ、開封することができない([[b:民法第1004条|1004条]]3項)。<br />
<br />
===遺言執行者===<br />
遺言により遺言執行者が指定されている場合または指定の委託がある場合は、遺言執行者が就職し、直ちに任務を開始する([[b:民法第1006条|1006条]]・[[b:民法第1007条|1007条]])。子の[[認知]]・相続人の廃除およびその取り消しを除き、遺言執行者がなくても相続人が遺言の内容を実現することが可能であるが、手続を円滑に進めるためには、遺言執行者を指定しておく方がよい。<br />
<br />
遺言執行者は相続人でも成れ([[b:民法第1009条|1009条]])、いないときは、[[家庭裁判所]]は利害関係人の請求によって、遺言執行者を選任することができ([[b:民法第1010条|1010条]])、遺言に定めた報酬または家庭裁判所の定める報酬を受ける([[b:民法第1018条|1018条]])。ただし、次のものは遺言執行者にはなれない。<br />
:*[[未成年者]]<br />
:*[[破産|破産者]]で復権を得ない者<br />
<br />
遺言執行者は相続人の代理人とみなされ([[b:民法第1015条|1015条]])、やむを得ない事由がなければ、第三者にその任務を行わせることができない([[b:民法第1016条|1016条]])。<br />
遺言執行者が数人いる場合には、その任務の執行は、原則として過半数で決するが、単独でも保存行為は、することができる。([[b:民法第1017条|1017条]])。<br />
<br />
不動産の登記について、遺贈の場合は遺言執行者が[[登記義務者]]となるが、「相続させる」遺言の場合は前述の判例により、相続開始時に承継されたとみなされ、相続人が単独で登記することができるため遺言執行者は関与しない。<br />
<br />
遺言の執行は業務として法令で規定されているのは[[弁護士]]と[[司法書士]]である。また、[[信託銀行]]でも[[遺言信託]]と称して遺言執行サービスを提供している。<br />
<br />
== 遺言の撤回及び取消し ==<br />
=== 遺言撤回の自由 ===<br />
遺言が遺言者の最終の意思を確認するものであるという本質から、遺言者は、いつでも遺言の方式に従って、その遺言の全部または一部を撤回することができるとされる([[b:民法第1022条|1022条]])。また、遺言者は、その遺言を撤回する権利を放棄することができないものとされる([[b:民法第1026条|1026条]])。<br />
<br />
=== 法定撤回事由 ===<br />
以下の場合には遺言が撤回されたものとみなされる。<br />
*遺言内容が抵触する遺言書が複数ある場合、その抵触する部分については後の遺言書によって前の遺言書が撤回されたものとして扱われる([[b:民法第1023条|1023条]]1項)。抵触しない部分については前の遺言書が依然として有効である。なお、日付が同じで書かれた前後が不明な遺言書が複数ある場合、相互に抵触する部分は無効となると考えられている。<br />
*遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合には、その抵触する部分については遺言は撤回されたものとして扱われる([[b:民法第1023条|1023条]]2項)。<br />
*遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなされる([[b:民法第1024条|1024条]]前段)。<br />
*遺言者が故意に遺贈の目的物を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなされる([[b:民法第1024条|1024条]]後段)。<br />
<br />
=== 撤回された遺言の効力 === <br />
撤回された遺言は、その撤回の行為が撤回され、取り消され、または効力を生じなくなるに至ったときであっても、撤回された遺言は効力を回復しない([[b:民法第1025条|1025条]]本文)。ただし、撤回の行為が詐欺または強迫によるものである場合は、遺言の効力は回復する([[b:民法第1025条|1025条]]ただし書)。<br />
<br />
なお、第一の遺言を第二の遺言により撤回した遺言者が、さらに第二の遺言を第三の遺言で撤回した場合において、遺言書の記載に照らして、遺言者の意思が第一の遺言の復活を希望するものであることが明らかな場合、[[b:民法第1025条|1025条]]ただし書の趣旨から遺言者の真意を尊重して第一の遺言の効力の復活を認めるのが相当と解されるとする判例<ref name = courts002/>がある。<br />
<br />
=== 負担付遺贈に係る遺言の取消し ===<br />
負担付遺贈を受けた者がその負担した義務を履行しないときは、相続人は、相当の期間を定めてその履行の催告をすることができる。この場合において、その期間内に履行がないときは、その負担付遺贈に係る遺言の取消しを家庭裁判所に請求することができる([[b:民法第1027条|1027条]])。<br />
<br />
==脚注==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[相続]]<br />
* [[遺贈]]<br />
* [[遺書]]<br />
* [[遺言の方式の準拠法に関する法律]]<br />
* [[エンディングノート]]<br />
<br />
{{葬制}}<br />
<br />
{{Law-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:いこん}}<br />
[[Category:日本の相続法]]<br />
[[Category:死に関する慣習|ゆいこん]]<br />
[[Category:遺言|*]]</div>
113.32.216.171
蜷川虎三
2018-05-05T04:15:14Z
<p>113.32.216.171: /* 府政 */ 公立進学校そのものが存在しないと言う誤解を招くスローガンの記述を削除し一部を手直し</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2013年2月|ソートキー=人1981年没}}<br />
{{政治家<br />
|各国語表記 = にながわ とらぞう<br />
|画像 = Torazo Ninagawa 01.jpg<br />
|画像サイズ = 250px<br />
|画像説明 = 府知事に当選して胴上げされる蜷川<br />
|国略称 = {{JPN}}<br />
|生年月日 = [[1897年]][[2月24日]]<br />
|出生地 = [[東京都]][[江東区]]<br />
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1897|2|24|1981|2|27}}<br />
|死没地 = <br />
|出身校 = [[水産講習所]](現・[[東京海洋大学]])<br/>[[京都帝国大学]](現・[[京都大学]])<br />
|学位 = [[博士_(経済学)|経済学博士]]<br />
|前職 = 京都帝国大学教授<br/>[[中小企業庁]]長官<br />
|現職 =<br />
|所属政党 = ([[日本社会党]]→)<br/>[[無所属]]<br />
|称号・勲章 = [[勲一等瑞宝章]]<br />
|世襲の有無 = 無<br />
|親族(政治家) = <br />
|配偶者 = <br />
|サイン = <br />
|ウェブサイト = <br />
|サイトタイトル = <br />
|国旗 = <br />
|職名 = [[ファイル:Flag_of_Kyoto_Prefecture.svg|25px]] 公選第2-8代 [[京都府知事]]<br />
|当選回数 = 7回<br />
|就任日 = [[1950年]][[4月20日]]<br />
|退任日 = [[1978年]][[4月15日]]<br />
|退任理由 = <br />
}}<br />
'''蜷川 虎三'''(にながわ とらぞう、[[1897年]][[2月24日]] - [[1981年]][[2月27日]])は、[[日本]]の[[政治家]]、[[経済学者]]、[[統計学者]]。初代[[中小企業庁]]長官。元[[京都府知事]]([[1950年]] - [[1978年]])。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
=== 学生時代 - 京都大学教官時代 ===<br />
[[東京府]][[東京市]][[深川区]]深川入船町(現在の[[東京都]][[江東区]][[木場]]一丁目)の[[材木商]]の家に生まれた。旧制東京府立第三中学(現・[[東京都立両国高等学校・附属中学校]])、[[農商務省 (日本)|農商務省]]水産講習所(現・[[東京海洋大学]])卒業<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953514/7 『官報』第1401号、大正6年4月6日、p.106]</ref>後、[[京都大学|京都帝国大学]][[経済学部]]に入学、[[1923年]]に卒業<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940187/301 『京都帝国大学一覧 自大正12年至大正13年』京都帝国大学、1924年3月、p.589]</ref>。[[1927年]]、同[[助教授]]となる。当初は[[マルクス経済学]]者の[[河上肇]]に私淑し<ref>吉村康著『蜷川虎三の生涯』三省堂、1982年</ref>、漁業水産経済学を研究していたが、[[ドイツ]]に留学後、『統計利用に於ける基本問題』で[[経済学]][[博士号]]を取得する<ref>{{Cite Web|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/500000037712|title=書誌事項(CiNii Dissertations)|publisher=国立情報学研究所|accessdate=2017-12-14}} [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959159/8 『官報』第2680号、昭和10年12月7日、p.202]</ref>も教授に昇格するのはずっと遅く[[1942年]](昭和17年)だった。[[1945年]](昭和20年)に経済学部長となるも翌年、[[戦争責任]]を自認し辞職する。<br />
<br />
=== 政治家への転身、京都府知事へ ===<br />
その後、[[1948年]](昭和23年)に中小企業庁の初代長官となったものの、[[吉田茂]][[内閣総理大臣|首相]]と[[中小企業]][[政策]]をめぐって対立し[[1950年]](昭和25年)に辞任。同年、[[日本社会党]]公認・[[全京都民主戦線統一会議]](民統)推薦で京都府知事選挙に立候補し当選、以後7期28年間知事を務める。なお、同年には[[第2回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]と[[京都市]]長選も行われ、それぞれ民統が推した[[大山郁夫]]・[[高山義三]]が当選する。しかし高山市長はその後[[保守]]系に軸足を置き始め、高山が市長を退き[[国立京都国際会館]]館長になった後でも確執が続いた。<br />
<br />
=== 府政 ===<br />
府政に於いては、「憲法を暮らしの中に生かそう」の垂れ幕を[[京都府庁舎|京都府庁]]に掲げた。[[憲法記念日 (日本)|憲法記念日]]には[[日本国憲法]]前文を記した屏風を背に訓示するなど、[[地方自治]]の現場でも一貫して[[護憲]]の立場を実践し続けた。それは、施策にもあらわれている。<br />
<br />
教育行政では、[[戦後]]直後の「[[高校三原則]]」の政策を原則堅持して、高校の小学校区・[[総合選抜]]入試をうちだした。これにより、[[受験戦争]]を緩和し、中学卒業者に広く中等教育への門戸を開いた。こうした教育政策によって高校進学率は上昇し、[[京都大学]]へ合格者を輩出する高校数も増加したが、一方で[[京都府立洛北高等学校・附属中学校|府立洛北高校]]等古参の名門高の進学実績は悪化する弊害が出た。これとは別に、学校教職員の[[勤務評定]]の実施も「政府権力からの府教育への干渉」だとして断固拒否した。<br />
<br />
[[福祉]]行政に関しても全国で初めて「65歳以上のお年寄り医療費助成制度」を設立するなどの手厚い予算をつけた。[[公害]]対策でもかなり厳しい基準を設けた。これらは、国を上回る基準を定めることで、国の福祉政策や[[環境政策学|環境政策]]をリードするという戦略だった。また、[[現業]][[公務員]]を大量に採用し、組合を保護した。<br />
<br />
産業振興策は、蜷川自身が中小企業庁初代長官として中小企業政策に携わっていたため、国の政策を先進的にとりいれた。また、京都府独自でも産業振興計画を策定。その中で「政・官・学・財」が一体となってバックアップし企業が京都に根付くような体制(府の[[融資]]条件の緩和や[[工業団地]]設立など)をつくっていく。[[金融政策]]では府の資金管理を地元銀行([[京都銀行]])に任せ、[[公共事業]]の資金も地元銀行から借り受けるなど、地元[[金融機関]]の育成をはかった。繊維産業をはじめとする[[地場産業]]の保護・活性化にも力を注いだ。また、「民力培養」をキーワードに生活や産業のための[[道路]]はどんどん建設するとの方針がだされ、地元建設業者に工事の仕事が割り振られた。また、国の大型開発行政と住民の反対運動が対立した際には、度々[[住民]]側に理解を示した。<br />
<br />
農業・漁業などに関しては、国が推し進める稲作[[減反]]に反対の姿勢を取り、独自の「[[京都食管]]」と呼ばれる価格保障制度や育成策をだす。その事で[[第一次産業]]の人たちが安心して京都に住めるような環境もつくった。[[観光客]]が京都の観光でお金を落としてくれるような施策もうち、京都ブランドを全国に売り出していく。<br />
<br />
このように、政策運営は総じて手堅く、産業振興に注力しつつも、大規模公共事業には消極的であった。この運営方針が当たった事と[[高度成長]]が重なった事で、税金が豊かに集まり、また、予算編成のさいは歳出削減に重点が置かれたため、財政不振に苦しむことがほとんどなかった([[1956年]]に山城大水害の影響で一度[[財政再建団体]]に転落したが、[[1962年]]に自力で立ち直った。その後は黒字の年が多かった)。<br />
<br />
このため、次第に[[医師会]]や農業団体などの一部の団体からの支持も獲得する。そのため選挙では圧倒的な強さを誇った。<br />
<br />
[[政治]]的には、蜷川ははじめ[[日本社会党]]員として立候補したものの、[[前尾繁三郎]]など保守派との関係も維持していた。そのため[[自由民主党 (日本)|自民党]]は[[1958年]](昭和33年)の知事選挙では蜷川を推薦したが、蜷川が[[左翼|左派]]の反対にあってその推薦状を返上したため、以後自民党は知事選で蜷川を推薦することはなかった。その代わりに蜷川は[[純政会]]や[[府政同友会]]などの郡部保守政治家に代表される知事[[与党]]を味方につけ、[[1963年]](昭和38年)からは府議会で多数派を占めるようになった。<br />
<br />
また、1960年代からは[[革新]]勢力が都市部を中心に支持を拡大した。これに対して自民党は、京都財界や地方[[マスコミュニケーション|マスコミ]]([[京都新聞]]。近畿放送の放送免許交付などを条件に自民党に有利な記事を書かせた<ref>笹井慈朗『右と左と裏』白石書院、2002</ref>)を味方にし、のちには[[民社党]]や[[公明党]]とも連携するようになった。社会党や[[日本共産党|共産党]]などの議会与党のほか、府職員[[労働組合]]、府[[教職員組合]]、府医師会などは引き続き蜷川を支持し、保革対立の様相が色濃くなった。また1960年代後半から蜷川と政策的に協調することが多くなった共産党は、[[都市問題]]などのイシューにうまく対応したこともあって、[[1970年代]]に[[京都府議会]]で急速に勢力を拡大した。<br />
<br />
=== 批判 ===<br />
自民党や京都財界、地方マスコミが問題にした蜷川府政の政策はさまざまある。<br />
<br />
例えば、交通・生活行政。蜷川府政の下、山間部や[[日本海]]側の開発は進んだのだが、都心部では住民の開発反対運動の意向を蜷川が気にしたため(蜷川の支持母体は都市部の住民団体が多かった)、あまり手をつける事ができなかった。この影響で都市部の[[上下水道]]等の[[インフラストラクチャー|インフラ]]整備や[[道路]]の[[舗装]]が遅れたと保守派は批判したが、この問題について蜷川陣営は京都市の道路行政については知事の権限が及んでいないと主張している。しかし保守派のネガティブ・キャンペーンはかなり広範囲にわたって行われ、現在でも蜷川府政は道路行政に消極的だったと信じている者は多い。<br />
<br />
また、教育問題や福祉などでも京都大学への府立高校からの進学率低下などが批判された(ただし府立高校の京都大学への進学率は保守府政転換後も低下の一途をたどっている)。なお、蜷川が導入した公立高校の[[総合選抜]]制度は、[[2013年]]の入試を最後に全廃されている<ref>[http://www.asahi.com/edu/articles/OSK201303150063.html 高校選び、より自由に 京都で総合選抜廃止]朝日新聞 2013年3月15日</ref>。<br />
<br />
それらの逆風がふいても、蜷川知事は高い実務能力と膨大な[[マニフェスト|公約]]実現で積み重ねてきた信頼を武器に、選挙では連勝を続けた。蜷川はこの勢いに乗って行財政改革を進め、府の機構を効率化した。また今までの企業誘致策や観光施策をより進めたことで、この時期、他自治体が非常に苦しんだ[[オイルショック]]による税収減も難なく乗り越える事ができた。<br />
<br />
=== 知事引退から死去まで ===<br />
磐石であるかに見えた蜷川府政であったが、1970年代に入るとそれに陰りが見え始める。府議会で蜷川府政を支持していた社会党が蜷川に露骨な注文を突き付けるようになり、それを嫌った蜷川は同じく府政を支持していた共産党に肩入れをするようになった。それにより、共産党は京都府全体で急速に勢力を拡大するが、反面社会党の勢力は弱まり、両者の対立は深まっていく。<br />
<br />
7期目を目指した[[1974年]](昭和49年)の知事選では自民・[[公明党|公明]]・[[民社党|民社]]に加えて[[社会党右派]]までが推した対立候補(前社会党[[参議院議員]]だった[[大橋和孝]]。大橋は蜷川の推薦を決めた党本部の方針に背いたとして後に除名処分となる<ref>なお、[[江田三郎]]らも大橋を支援したため党本部から厳重注意を受けており、これが江田の離党と[[社会民主連合]]結党の遠因となった。{{see also|社会民主連合#党史|江田三郎#社会党離党と死}}</ref>)に大苦戦。わずか4千票の僅差でようやく当選したものの、この苦戦や自らの年齢(当時78歳)に限界を感じた蜷川は、[[1978年]](昭和53年)に知事を引退。蜷川にとって最後の京都府本会議で、府議会議員であった[[野中広務]]は『横綱に子供が飛びかかる光景』、『議場が蜷川教授の教室』と例えた演説を行った。また、[[毎日新聞]]の[[社説]]も蜷川の引退に当たって「三十年近くにもわたって『住民の暮らしを守る』地方自治の精神を貫き通してきた」とのコメントを寄せている<ref>[http://www.jcp.or.jp/faq_box/2002/020327-faq.html 「地方自治の灯台」とよばれた蜷川府政とは?][[2002年]][[3月27日]]「[[しんぶん赤旗]]」</ref>。その後の1978年京都知事選で、後継の[[杉村敏正]]候補が自民推薦の[[林田悠紀夫]]に敗れ、28年間にわたる革新府政は終了した。<br />
<br />
その後は、悠々自適の余生を過ごし日本共産党の応援などをしていたが、[[1981年]](昭和56年)3月に84歳で死去した。<br />
<br />
== 評価 ==<br />
[[自由民主党 (日本)|自民党]]などからは「独裁・暗黒時代」「京都を極限まで遅らせた張本人」という批判がある。ただし、自民党などもその蜷川知事の出した予算に任期中ずっと賛成していたり、議会内では蜷川知事を褒め称える言動を数々していた事実や、[[保守]]支持層の大部分も「[[日本の高速道路|高速道路]]がなくても他と違う京都が良い」「赤くても白くても日々の仕事と生活を豊かにしてくれるトップであれば良い」という理由で蜷川支持にまわっていた。<br />
<br />
[[日本共産党]]は蜷川府政の知事[[与党]]であり、府政を好意的にとらえている。一方でその共産支持層の中にも「蜷川さんの教育政策は流石にやり過ぎで、少し迷惑だった。」との声があった。また、その後日本共産党は一度も[[革新]]府政を奪回できていない。直接の原因は保守層や非共産系の革新勢力を取り込めていないことである。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
京都府民からは「(蜷川の)トラさん」、「蜷川はん」という愛称で親しまれた。<br />
<br />
前述の野中広務、京都財界のリーダー格であった[[京都商工会議所]]会頭[[塚本幸一]]([[ワコール]]元社長、後に[[日本会議]]会長)など、[[政治]]的には鋭く対立する立場にありながらも、「魅力的な人物であった」という形で著書等で一定の評価をしている者も見られる。<br />
<br />
[[立命館大学]]・[[関西大学]]の講師を務めたことがある。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
=== 単著 ===<br />
* 『統計学研究 第1巻』 岩波書店 1931<br />
* 『漁村問題と其対策』 立命館出版部 1932<br />
* 『統計利用に於ける基本問題』 岩波書店 1932<br />
* 『水産経済学 厚生閣』 1933 (水産学全集 第11巻)<br />
* 『漁村の更生と漁村の指導』 政経書院 1934<br />
* 『統計学概論』 1934 (岩波全書)<br />
* 『漁村経済講話水産日本の話』 大日本水産会 1938<br />
* 『女性と戦争生活』 船場書店 1943<br />
* 『中小企業問題の解決』 時事通信社 1950<br />
* 『樽みこし 対談集』 駸々堂出版 1972<br />
* 『暮らしを守る政治』 徳間書房 1973<br />
* 『洛陽に吼ゆ 回想録』 朝日新聞社 1979.3<br />
* 『虎三の言いたい放題』「虎三の言いたい放題」刊行委員会 1981.6<br />
<br />
=== 共著 ===<br />
* 『憲法を暮らしのなかに 民衆に語りかける蜷川虎三』 [[杉村敏正]]、川口是編 汐文社 1970<br />
* 『峠のむこうに春がある 教育論集』 京都教育センター編 民衆社 1973<br />
* 『道はただ一つこの道を 自治体論集』 細野武男編 民衆社 1974<br />
* 『統計利用における基本問題 現代語版』 蜷川統計学研究所編 産業統計研究社 1988.1<br />
<br />
=== 翻訳 ===<br />
* 経済統計綱要 デーヴィース 山海堂出版部 1925<br />
* 経済循環期の統計学的研究 ヘンリー・エル・ムウア 大鐙閣 1928<br />
<br />
;記念論集<br />
*現代の経済と統計 / 蜷川虎三先生古稀記念論文集編集委員会 有斐閣 1968<br />
<br />
==伝記など==<br />
*[[吉村康]]『蜷川虎三の生涯』蜷川虎三伝記編纂委員会編 三省堂 1982<br />
*[[西口克己]]『小説蜷川虎三』新日本出版社 1984 <br />
**『西口克己小説集 第14巻 (小説蜷川虎三)』新日本出版社 1988<br />
*[[影山昇]]『蜷川虎三の水産経済と中小企業振興 元京都府知事の青春』成山堂書店 1999 <br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{colbegin|2}}<br />
{{Reflist}}<br />
{{colend}}<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[山田芳治]] - [[日本社会党]]の元[[衆議院議員]]。蜷川の下で京都府総務部長・[[副知事 (日本)|副知事]]を務める。<br />
* [[富井清]] - 元京都市長([[1967年]] - [[1971年]])。蜷川と同じく革新系首長として活躍<br />
<br />
<br />
{{京都府知事|1950年-1978年}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:になかわ とらそう}}<br />
[[Category:日本社会党の人物]]<br />
[[Category:日本の経済学者]]<br />
[[Category:日本の統計学者]]<br />
[[Category:京都大学の教員]]<br />
[[Category:立命館大学の教員]]<br />
[[Category:関西大学の教員]]<br />
[[Category:日本の商工官僚]]<br />
[[Category:日本の経産官僚]]<br />
[[Category:京都府知事]]<br />
[[Category:東京海洋大学出身の人物]]<br />
[[Category:京都大学出身の人物]]<br />
[[Category:東京都区部出身の人物]]<br />
[[Category:1897年生]]<br />
[[Category:1981年没]]</div>
113.32.216.171
エノン写像
2018-04-14T11:55:53Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>{{multiple image<br />
| align = right<br />
| direction = vertical<br />
| footer = ''a'' = 1.4、''b'' = 0.3のエノン写像における''x''<sub>n</sub>と''y''<sub>n</sub>の時間発展、変数の不規則な振る舞いが見て取れる。<br>初期値:x<sub>1</sub>=0.1、y<sub>1</sub>=0<br>繰り返し数:''n'' = 500まで<br />
| footer_align = left<br />
| width = 300<br />
| image1 = X time evolution Henon map (n from 1 to 100).png|X time evolution Henon map (n from 1 to 100).png<br />
| image2 = Y time evolution Henon map (n from 1 to 100).png|Y time evolution Henon map (n from 1 to 100).png<br />
}}<br />
'''エノン写像'''(エノンしゃぞう、Hénon map)とは、[[2次元]]の離散[[力学系]]の一種。次の2変数連立常差分方程式([[漸化式]])で示される{{Sfn|小室|2005|p=123}}。<br />
:<math>\begin{cases}x_{n+1} = 1-a x_n^2 + y_n\\y_{n+1} = b x_n \end{cases}</math><br />
ここで、''a''、''b''は[[定数]]で、単に[[パラメータ]]などと呼ぶ{{Sfn|小室|2005|p=123}}。<br />
<br />
エノン写像は、1976年にフランスの天文学者ミシェル・エノン([[:fr:Michel Hénon]])により発表された{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=99}}{{Sfn|Hénon|1976}}。エノンは、1963年に発表された[[ローレンツ方程式]]が生み出す[[カオス理論|カオス]]をさらに研究するため、ローレンツの系の本質的性質を同様に持ちつつも、より簡単な数学モデルを構築することを目的に上記の写像を考案した{{Sfn|Hénon|1976| pp=69&ndash;70}}。<br />
<br />
また、1969年にエノンが発表した以下の形式の写像についても、もう一つのエノン写像として紹介される場合もある{{Sfn|Weisstein}}{{Sfn|Hénon|1969}}。<br />
:<math>\begin{cases}x_{n+1} = x_n \cos \alpha + (y_n - x_n^2) \sin \alpha \\ y_{n+1} = x_n \sin \alpha + (y_n - x_n^2) \cos \alpha \end{cases}</math><br />
<br />
==エノン・アトラクタ==<br />
エノン写像における''a''、''b''は任意の定数だが、写像が[[アトラクター#ストレンジアトラクター|ストレンジアトラクタ]]となるような最適なパラメータとして、エノンは''a'' = 1.4、''b'' = 0.3を提案し{{Sfn|Hénon|1976|p=72}}、これらの値がエノン写像における標準的なパラメータ値としてよく使用される{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=103}}。このときの解軌道は'''エレン・アトラクタ'''と呼ばれる{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=102}}。<br />
[[File:HenonMapImage.png|thumb|center|300px|エノン・アトラクタ<br>横軸:''x''<sub>n</sub>、縦軸:''y''<sub>n</sub>]]<br />
また、他のストレンジアトラクタ同様にエレン・アトラクタの解軌道は[[フラクタル]]構造を持つ{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=105}}。図形を拡大していくと、無限に相似の形状が表れる{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=105}}。[[フラクタル次元]]は、{{仮リンク|容量次元|en|Minkowski–Bouligand dimension}}では約1.27、{{仮リンク|相関次元|en|Correlation dimension}}では約1.23である{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012|p=198}}{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012|p=200}}。<br />
[[File:Fractal of henon attractor.png|thumb|center|450px|エノン・アトラクタのフラクタル構造<br>繰り返し数は、(1) n = 10<sup>4</sup>、(2) n = 10<sup>5</sup>、(3) n = 10<sup>6</sup>、(4) n = 10<sup>6</sup><br>(4)は拡大率に対してプロット数(繰り返し数)が少ないので、軌道の点に隙間が目立つ]]<br />
<br />
==分岐図==<br />
[[ロジスティック写像]]などと同様にパラメータ''a''、''b''の変化に応じて、カオスだけではなく、周期的振る舞いに落ち着いたり、[[固定点]]へ収束したりするような振る舞いに変わる{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=103}}。<br />
<br />
パラメータに応じて写像の変数が最終的にどのような値に落ち着くかを示すのに[[分岐図 (力学系)|分岐図]]が用いられるが、エノン写像のような2次元写像の場合には、横軸と縦軸にパラメータ変化を取ってパラメータ2つの変化の影響を同時に観察する2パラメータ分岐図と、1つのパラメータは固定してもう1つのパラメータ変化の影響だけを観察する1パラメータ分岐図がある{{Sfn|小室|2005|p=123}}{{Sfn|小室|2005|p=128}}。<br />
[[File:Henon bifurcation map b=0.3.png|thumb|400px|center|エノン写像の1パラメータ分岐図 ''b'' = 0.3]]<br />
上図は''b'' = 0.3におけるエノン写像の1パラメータ分岐図の例で、各種の[[分岐 (力学系)|分岐]]が観察される。''a''が約0.912を超えると2周期から4周期への[[周期倍分岐]]が発生する{{Sfn|小室|2005|p=126}}。また、約1.226を超えると不規則な振る舞いから7周期軌道へ変化する[[サドルノード分岐]]が発生する{{Sfn|小室|2005|p=126}}。<br />
<br />
約1.115と約1.271を超えたときには、アトラクタの軌道が突然大きくなる内部クライシスと呼ばれる現象が発生する{{Sfn|小室|2005|p=126}}。エノン・アトラクタにおけるパラメータ値である''a'' = 1.4を超え、さらに約1.426を超えると、アトラクタを描いていた解軌道は崩壊して変数はマイナスへ[[発散]]するようになる。これは境界クライシスと呼ばれ{{Sfn|小室|2005|p=126}}、本質的には内部クライシスと同じ現象だがアトラクタ軌道が大きくなるに留まらず、無限遠へ発散する{{Sfn|小室|2005|p=122}}。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
==参考文献==<br />
*{{Cite journal |first=Michel |last=Hénon |title=A two-dimensional mapping with a strange attractor |url=http://projecteuclid.org/euclid.cmp/1103900150 |journal=Communications in Mathematical Physics |volume=50 |issue=1 |year=1976 |publisher=Springer |pages=69-77 |ref= {{Sfnref|Hénon|1976}} }}<br />
*{{Cite journal |first=Michel |last=Hénon |title=Numerical Study of Quadratic Area-Preserving Mappings |journal=Quarterly of Applied Mathematics |volume=27 |issue=3 |month=October |year=1969 |publisher=Brown University |pages=291-312 |ref= {{Sfnref|Hénon|1969}} }}<br />
*{{cite book ja-jp |title=基礎からの力学系 -分岐解析からカオス的遍歴へ- |author=小室元政|publisher=サイエンス社 |year=2005 |edition=新版 |isbn= 4-7819-1118-8 |ref= {{Sfnref|小室|2005}} }}<br />
*{{cite book ja-jp |author=合原一幸・黒崎政男・高橋純|editor=遠藤諭|title=哲学者クロサキと工学者アイハラの神はカオスに宿りたもう|publisher=アスキー|year=1999|edition=初版 |isbn=4-7561-3133-6|ref={{Sfnref|合原・黒崎・高橋|1999}}}}<br />
*{{cite book ja-jp |author=K.T.アリグッド・T.D.サウアー・J.A.ヨーク |translator =星野高志・阿部巨仁・黒田拓・松本和宏|others=津田一郎(監訳)|editor=シュプリンガー・ジャパン |title=カオス 第1巻 力学系入門 |publisher=丸善出版 |year=2012 |isbn=978-4-621-06223-4 |ref={{Sfnref|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012}} }}<br />
*{{cite web |url=http://mathworld.wolfram.com/HenonMap.html |title=Hénon Map |work=MathWorld |accessdate=2014-10-26 |author=Eric W. Weisstein |publisher= Wolfram Research |ref= {{Sfnref|Weisstein}} }}<br />
<br />
{{デフォルトソート:えのんしやそう}}<br />
[[Category:力学系]]<br />
[[Category:カオス理論]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
113.32.216.171
分岐図 (力学系)
2018-04-14T11:45:12Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>[[Image:LogisticMap_BifurcationDiagram.png|300px|thumb|right|ロジスティック写像の分岐図]]<br />
<br />
[[力学系]]において、'''分岐図(ぶんきず、bifurcation diagram)'''とは、[[分岐 (力学系)|分岐]]を図に表したものである。<br />
<br />
有名なものは、[[ロジスティック写像]]の分岐図(右図)である。<br />
<br />
この図は、ロジスティック写像を、<br />
:<math> x_{n+1}=rx_n(1-x_n)\,</math> <br />
とし、横軸にパラメーター(分岐パラメーター)''r'' 、縦軸に[[周期点]]をとっている。<br />
<br />
一般的に、連続力学系では[[固定点]]をとり、離散力学系では周期点をとることが多い。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ふんきす}}<br />
[[category:複雑系]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]<br />
[[Category:カオス理論]]<br />
[[Category:分岐理論]]<br />
<br />
[[de:Bifurkationsdiagramm]]<br />
[[ru:Каскад бифуркаций]]</div>
113.32.216.171
ホップ分岐
2018-04-14T11:41:54Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>[[力学系]]において'''ホップ分岐'''(ホップぶんき、{{Lang-en-short|Hopf bifurcation}})とは、系の安定性の変化により周期解が生じる[[分岐 (力学系)|分岐]]の一種である。<br />
<br />
より正確には、線形近似に対する[[複素共役]]な二つの[[固有値]]が[[複素平面]]の[[座標軸|虚軸]]を横切る際に、ある力学系の[[固定点]]が安定性を失う局所的な分岐のことをいう。<br />
<br />
ある程度一般的な力学系に対しては、固定点から小さい振幅の[[リミットサイクル]]が分岐する。<br />
<br />
[[アンリ・ポアンカレ]]、{{仮リンク|アレクサンドル・アンドロノフ|en|Aleksandr Andronov}}および{{仮リンク|エバーハルト・ホップ|en|Eberhard Hopf}}の名にちなみ、'''ポアンカレ・アンドロノフ・ホップ分岐'''と呼ばれることもある。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
=== 超臨界ホップ分岐と亜臨界ホップ分岐 ===<br />
ホップ分岐も、[[ピッチフォーク分岐]]と同様に、'''超臨界'''と'''亜臨界'''の二種類がある。リミットサイクルは、'''第一リアプノフ係数'''(the first Lyapunov coefficient)と呼ばれる値が負ならば軌道安定であり、このとき分岐は超臨界である。第一リアプノフ係数が負でないならば、リミットサイクルは不安定であり、分岐は亜臨界である。<br />
<br />
ホップ分岐の{{仮リンク|正準系|en|normal form (dynamical systems)}}は、<br />
<br />
{{Indent|<math>\frac{dz}{dt}=z((\lambda+i) + b |z|^2), </math>}}<br />
<br />
である。ここで、''z'' , ''b'' は[[複素数]] 、<math> \lambda </math> はパラメーターである。''b'' を、<br />
<br />
{{Indent|<math> b= \alpha + i \beta. \,</math>}}<br />
<br />
と表すとき、<math>\alpha</math> を第一リアプノフ係数と呼ぶ。<br />
* <math>\alpha</math> が負ならば、''&lambda;''&nbsp;>&nbsp;0 に対する次の安定なリミットサイクルが存在する:<br />
::<math> z(t) = r e^{i \omega t} \,</math><br />
: ここで<br />
::<math> r=\sqrt{-\lambda/\alpha}\text{ and }\omega= 1 + \beta r^2 \, </math><br />
: である。このときの分岐は'''超臨界'''と呼ばれる。<br />
* <math>\alpha</math> が正ならば、''&lambda;''&nbsp;<&nbsp;0 に対するある不安定なリミットサイクルが存在する。このときの分岐は'''亜臨界'''と呼ばれる。<br />
ホップ分岐は、[[ベロウソフ・ジャボチンスキー反応]]などで起こる。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[分岐図 (力学系)|分岐図]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Spedia|Andronov-Hopf_Bifurcation|Andronov-Hopf Bifurcation}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ほつふふんき}}<br />
[[Category:数学に関する記事]]<br />
[[Category:分岐理論]]</div>
113.32.216.171
トランスクリティカル分岐
2018-04-14T11:40:29Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>'''トランスクリティカル分岐'''(transcritical bifurcation)は、[[分岐 (力学系) |分岐]]の一つ。<br />
<br />
分岐の前後では、[[安定性 (数学)|安定]]な[[不動点]]と不安定な不動点が存在する。しかし、合わさった時、安定性が交換される。<br />
<br />
[[正準系]]は、<br />
{{Indent|<math> \frac{dx}{dt}=rx-x^2. \, </math>}}<br />
である。<br />
<br />
この式はロジスティック方程式に似ているが、''r'' と ''x'' は正と負の値をとりうる(一方ロジスティック方程式の場合非負である)。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[分岐図 (力学系)|分岐図]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とらんすくりていかるふんき}}<br />
[[Category:数学に関する記事]]<br />
[[Category:分岐理論]]</div>
113.32.216.171
サドルノード分岐
2018-04-14T11:39:53Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>'''サドルノード分岐''' (saddle-node bifurcation) は、[[分岐 (力学系) |分岐]]の一つ。余次元は1。'''フォールド分岐''' (fold bifurcation) や、'''ブルースカイ分岐''' (blue sky bifurcation) とも呼ばれる。<br />
<br />
この分岐では、[[安定性 (数学)|安定]]な[[不動点]]と不安定な不動点が合わさり、不動点が消滅する。<br />
[[正準系]]は、<br />
{{Indent|<math>\frac{dx}{dt}=r+x^2</math>}}<br />
である。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[分岐図 (力学系)|分岐図]]<br />
* [[カタストロフィー理論|カタストロフィー]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Spedia|Saddle-node_Bifurcation|Saddle-node Bifurcation}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:さとるのうとふんき}}<br />
[[Category:分岐理論]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
113.32.216.171
力学系
2018-04-14T11:38:55Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>'''力学系'''(りきがくけい、[[英語]]:dynamical system)とは、一定の規則に従って[[時間]]の経過とともに[[状態]]が変化する[[システム]]([[系 (自然科学)|系]])、あるいはそのシステムを記述するための数学的な[[数理モデル|モデル]]のことである。一般には状態の変化に影響を与える数個の要素を[[変数]]として取り出し、要素間の相互作用を[[微分方程式]]または[[差分方程式]]として記述することによってモデル化される。<br />
<br />
力学系では、システムの状態を[[実数]]の[[集合]]によって[[定義]]している。各々の状態の違いは、その状態を代表する変数の差のみによって表現される。システムの状態の変化は[[関数 (数学)|関数]]によって与えられ、現在の状態から将来の状態を一意に決定することができる。この関数は、状態の発展規則と呼ばれる。<br />
<br />
力学系の例としては、振り子の振動や自然界に存在する生物の個体数の変動、惑星の軌道などが挙げられるが、この世界の現象すべてを力学系と見なすこともできる。システムの振る舞いは、対象とする現象や記述のレベルによって多種多様である。<br />
;力学系の具体例<br />
* [[振動運動]]([[調和振動子]]、[[非線形振動子]]、[[ファン・デル・ポール振動子]])<br />
* [[ロトカ=ヴォルテラの方程式]]<br />
* [[時計反応]] ([[:en:Brusselator|Brusselator]], [[:en:Oregonator|Oregonator]])<br />
* [[ローレンツ方程式]]<br />
* [[ロジスティック写像]]<br />
* [[馬蹄写像]]<br />
* [[エノン写像]]<br />
<br />
== 概要 ==<br />
力学系の考え方は、[[ニュートン力学]]に端を発する。力学系では、他の[[自然科学]]や[[工学]]の分野と同様に、状態の変化に影響を与える数個の要素を変数として取り出し、要素間の相互作用を記述することによってモデル化される。そして現在の直後の状態を、[[微分方程式]]または[[差分方程式]]を用いて与えている。将来のある時点における状態は、現在の直後の状態を求める計算を複数回繰り返すことによって求めることができる。そのため力学系では、現在の状態を与えることで、将来のすべての状態を決定することができる。<br />
<br />
しかしながら、解析的に求められる力学系はごく一部だけであり、さらに力学系を解くためには高度な数学が必要とされる。そのため、コンピュータの登場以前では、ごく単純なシステムのみが研究の対象として扱われた。<br />
<br />
単純な力学系ならば、その振る舞いも容易に理解することができる。しかしながら複雑なシステムになると、その挙動も複雑さを増し、詳しく解析しなければ将来の状態を予想することができなくなる。<br />
<br />
よく知られたシステムであっても、その挙動に影響を与える変数をすべて記述できているとは限らない。また、求められた数値解がシステムの近似解として本当に適切かどうかについても検証しなければならない。これらの問題を解決するため、力学系の研究では[[リアプノフ安定]]や[[構造安定]]など、「安定性」の概念が用いられている。安定性の概念を用いることにより、たとえモデルが同じであっても、初期条件の違いによってシステムの挙動に大きな違いが出る理由を容易に説明することができる。<br />
<br />
システムの挙動は初期条件によって異なるため、ある 1 つの初期条件の下での挙動を調べることに大きな意味はない。ある条件では周期的な振る舞いをするかもしれないし、ある状態に落ち着くかもしれない。どのような条件でどのような挙動を呈するかが重要である。力学系では、システムの挙動の種類を数学的に分類している。起こりうる挙動の種類が完全に知られている力学系の例としては、状態を 2 変数で記述できるシステムや、[[線形力学系]]などがある。<br />
<br />
システムの状態に影響を与える変数が多様な場合、ある変数の値が[[臨界値]]と呼ばれるある一定の値を超えると、システムの挙動が大きく変化する'''[[分岐 (力学系)|分岐]]現象'''が起こる。分岐現象の例としては、割り箸の両端にある一定以上の力を加えると折れる現象、道路を通過する自動車の台数がある一定の台数を超えると渋滞が発生する現象、鉛をある一定以上の温度に加熱すると溶融する現象などが挙げられる。<br />
<br />
力学系の理論は[[アンリ・ポアンカレ]]の研究によって飛躍的に発展し、力学系の概念は[[統計力学]]や[[カオス理論]]の基礎の構築に対して大きな影響を与えた。<br />
<br />
== 基本定義 ==<br />
一般に力学系とは、以下の条件を満たす、[[時間]] ''T''、[[位相空間]]である[[多様体]] ''M''、写像 ''f'' による[[タプル]]である。<br />
{{Indent|<br />
<math>\begin{align}<br />
&t,s \in T,~\mathbf{x} \in M,\\<br />
&\mathbf{f}:T \times M \to M,\\<br />
&\mathbf{f}(0,\mathbf{x})=\mathbf{x},\\<br />
&\mathbf{f}(s,\mathbf{f}(t,\mathbf{x}))=\mathbf{f}(t+s,\mathbf{x}).<br />
\end{align}</math><br />
}}<br />
力学系は、連続力学系と離散力学系に分類できる。<br />
<br />
== 連続力学系 ==<br />
''t'' が[[実数]]全体で定義される力学系は連続力学系、あるいは'''フロー'''('''流れ''')と呼ばれる。連続力学系は一般に微分方程式で定義されることが多い。<br />
<br />
例えば、[[関数 (数学)|関数]] ''X'' <sub>1</sub>(''t'' ), ''X'' <sub>2</sub>(''t'' ), ..., ''X <sub>n</sub>''(''t'' ) を成分に持つような ''n'' 次元[[ベクトル]]を '''X'''(''t'' )、''t'' と '''X''' の関数である ''n'' 次元のベクトルを '''F'''(''t'', '''X''') とし、'''X''' に対する連立微分方程式<br />
{{Indent|<math>\frac{d\mathbf{X}}{dt} = \mathbf{F}(t, \mathbf{X})</math>}}<br />
を考える。このとき、''n'' 次元空間 (''X'' <sub>1</sub>, ''X'' <sub>2</sub>, ..., ''X <sub>n</sub>'' ) が上述の微分方程式の[[相空間]]であり、''f <sup>t</sup>'' は ''f <sup>t</sup>'' ('''X'''(''s'' )) = '''X'''(''s'' + ''t'' ) によって与えられる。<br />
<br />
より抽象的には、微分方程式を与える係数行列 F は多様体上の[[ベクトル場]]として与えられ、力学系 f はその[[ベクトル場#流れ|ベクトル場の流れ]]として実現される。従って連続力学系は実数の加法群 R による多様体 M への可微分な[[作用]]だということになる。<br />
<br />
== 離散力学系 ==<br />
''t'' は整数全体でのみ定義されるような力学系は離散力学系とよばれる。離散力学系は多様体のある変換の[[反復写像]]としてとらえられる。つまり、任意の整数 ''n'' について f<sup>n</sup> は f<sup>1</sup> を n 回合成した(''n'' が負ならば f の逆写像を -''n'' 回合成した)写像になっている。したがって離散力学系は可逆変換 f<sup>1</sup> が定める整数の加法群Zによる多様体Mへの作用だということになる。<br />
<br />
== 解軌道 ==<br />
集合 &#x7B; ''f<sup>&nbsp;t</sup>(x)'' | ''t'' &#x7D; は'''解軌道'''と呼ばれる。特殊な解軌道として、[[ホモクリニック軌道]]や[[ヘテロクリニック軌道]]がある。<br />
<br />
解軌道が[[閉曲線]]になる場合は、'''閉軌道'''と呼ばれる。また閉軌道の特殊な場合として[[リミットサイクル]]がある。<br />
<br />
解軌道の様子を調べる理論を、[[大域理論]]という。<br />
<br />
== 不動点 ==<br />
''f<sup>&nbsp;t</sup>'' の[[不動点]]は、解軌道の一つで重要な性質を持ち、系の全体像をつかむのにも役立つ。<br />
一般に、数学や物理学の分野で[[平衡状態]]を表す際には[[平衡点]]、経済学の分野では[[均衡点]]と呼ばれることもある。<br />
<br />
上述の微分方程式では次のように定義される。相空間内の点 '''c''' おいて<br />
{{Indent|<math>\mathbf{F}(t, \mathbf{c}) = \mathbf{0}</math>}}<br />
が成立するとき、'''X''' = '''c''' は 上述の微分方程式の解である。この点は '''F'''(''t'' , '''X''') = '''0''' を満たす上述の微分方程式の定数解に対応し、相空間の中で移動しない。<br />
<br />
== 力学系の分類 ==<br />
<br />
* [[モース・スメール系]]<br />
<br />
* [[双曲型力学系]] (公理A)<br />
* [[非双曲型力学系]] (ホモクリニック接触・ヘテロ次元サイクル)<br />
<br />
* [[自励系]]<br />
* [[線形力学系]]<br />
* [[保存系]]と[[散逸系]]<br />
* [[可逆系]]<br />
* [[勾配系]]<br />
* [[ハミルトン系]]<br />
* [[エルゴード理論]]<br />
* [[可積分系]]<br />
<br />
== 大域理論 ==<br />
* [[アトラクター]]<br />
* [[リペラー]]<br />
* [[ストレンジ・アトラクタ]]<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[カオス理論]]<br />
* [[複雑系]]<br />
* [[システム力学]]<br />
* [[個体群動態学]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Spedia|Dynamical_Systems|Dynamical Systems}}<br />
<br />
{{数学}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:りきかくけい}}<br />
[[Category:力学系|*]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
113.32.216.171
対称性の破れ
2018-04-14T11:38:08Z
<p>113.32.216.171: /* 概要 */</p>
<hr />
<div>'''対称性の破れ'''(たいしょうせいのやぶれ, Symmetry breaking, Symmetry violation)とは、[[場の量子論]]において、ある高い[[対称性]]を持ちうる理論が、より低い対称性を持つ状態になっていることを意味する。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
対称性の破れは、[[臨界点]]を交差して[[系]]に作用する(無限小に)小さな[[揺らぎ]]が、系の[[分岐 (力学系)|分岐]]の方向を決定する[[現象]]である。揺らぎ("[[熱雑音|雑音]]")に気付いていない外部観測者にとって、分岐の選択は恣意的に見える。そのような遷移は系を[[ランダム|無秩序]][[状態]]から分岐の中の一つの状態に決定するため、この過程は[[対称性]]の"破れ"と呼ばれる。無秩序は系の小さな変動がその全体の外観を変化させないという意味でより対称的であるので、その対称性は"破れる"。<br />
<br />
対称性の破れは、[[w:Pattern formation|パターン形成]]において主要な役割を担うと考えられている。<br />
<br />
1972年、[[ノーベル物理学賞|ノーベル賞受賞者]][[フィリップ・アンダーソン]]は、[[還元主義]]のいくつかの欠点を示すために''More is different''というタイトルの[[サイエンス]]誌の論文<ref>{{cite journal | last=Anderson | first=P.W. | title=More is Different | journal=Science | volume=177 | issue=4047| pages=393–396 | year=1972 | url=http://www.isnature.org/Files/Anderson_More_is_Different.pdf | doi=10.1126/science.177.4047.393 | pmid=17796623}}</ref>で、対称性の破れの概念を用いた。<br />
<br />
対称性の破れには、大きく分けて次の三種類が知られている。<br />
* 明示的な対称性の破れ<br />
* 自発的な対称性の破れ<br />
* 量子異常による対称性の破れ<br />
<br />
==明示的な対称性の破れ==<br />
:''詳細は「[[明らかな対称性の破れ|明示的対称性の破れ]]」を参照''<br />
<br />
理論には対称性が高い精度で存在するが、[[ラグランジアン]]および[[運動方程式]]に対称性を破る小さな項が含まれていることを指す。対称性を満たすとして理論計算したところを出発点とした[[摂動]]によって系を理解することが出来る。明示的対称性の破れは、系を記述している法則がそれ自身、問題になっている対称性の下で不変ではない時に起こる。<br />
<br />
[[標準模型|標準モデル]]における「[[CP対称性の破れ]]」がこの一例である。1981年において最新の観測結果であった[[ボトムクォーク]]の寿命が理論予測よりも大きいという事実に基づき、B中間子系で観察できるという事が、A.B.Carterと[[三田一郎]]によって指摘された。これによって、B中間子系がクォーク混合とCP対称性の破れを観測するには重要であると認識されることとなった。なお、[[クォーク]]混合に関しては、理論から予測されるよりも数が少ない[[太陽ニュートリノ]]の減少を説明できる[[ニュートリノ振動]]とも密接な繋がりを持つ現象である。<br />
<br />
==自発的な対称性の破れ==<br />
{{main|自発的対称性の破れ}}<br />
<br />
[[自発的対称性の破れ]]は、理論のラグランジアンや運動方程式自体は対称性を持つが、[[真空]]が対称性を破っている場合を言う。このとき、系の背景([[真空]])が非不変であるため、系の法則は不変だが系自体が不変でないように見える。そのような対称性の破れは[[秩序パラメータ]]によってパラメータ化される。自発的対称性の破れの特別なものが[[w:dynamical symmetry breaking|力学的対称性の破れ]]である。<br />
<br />
ワインの瓶は回転対称であるが、系がもっとも低エネルギーの点を探した結果、ワインの瓶底の一点に落ちると、その点は回転対称でないことを想像すればイメージが掴みやすい。その際、ワイン底に沿って小さなエネルギーで転がることが出来るが、これを量子化した粒子を南部ゴールドストーン・[[ボーズ粒子|ボソン]]と言う。<br />
<br />
[[ヒッグス粒子|ヒッグス機構]]は、この南部ゴールドストーンボソンが[[ゲージ場]]と結合して質量のあるベクトル粒子となる機構である。<br />
<br />
== 量子異常による対称性の破れ ==<br />
[[古典論]]の段階では理論の[[ラグランジアン]]に対称性があるが、[[量子化 (物理学)|量子化]]に伴ってその対称性が失われてしまう現象を''量子異常による対称性の破れ''と言う。代表的な例として、古典的には<math>\pi^0</math>[[中間子]]は二つの[[光子]]には対称性のため崩壊できないが、場の量子論では崩壊できることが示され実験と一致している。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[CPT定理]]<br />
* [[小林・益川理論]]<br />
* [[ヒッグス機構]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.kek.jp/newskek/2003/janfeb/belle-cp2.html KEKニュース・ベル実験]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:たいしようせいのやふれ}}<br />
<br />
[[Category:素粒子物理学]]<br />
[[Category:対称性]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>
113.32.216.171
京都京阪バス
2018-04-11T01:55:09Z
<p>113.32.216.171: /* 本社・営業所所在地 */</p>
<hr />
<div>{{混同|京阪京都交通|京都バス}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名 = 京都京阪バス株式会社<br />
|英文社名 = KYOTO KEIHAN BUS Co.Ltd<br />
|ロゴ = [[ファイル:Keihan Uji bus01.jpg|300px]]<br />大型貸切車<br />
|種類 = [[株式会社]]<br />
|市場情報 = <br />
|略称 = <br />
|国籍 = {{JPN}}<br />
|郵便番号 = 614-8161<br />
|本社所在地 = [[京都府]][[八幡市]]上奈良宮ノ東2-5<br />
|設立 = [[2002年]][[12月6日]]<br />
|業種 = 陸運業<br />
|統一金融機関コード = <br />
|SWIFTコード = <br />
|事業内容 = バス事業/旅行業/損害保険代理業<br />
|代表者 = [[代表取締役]][[社長]] 藤山雅三<br />
|資本金 = 4,000万円<br />
|売上高 = <br />
|総資産 = <br />
|従業員数 = <br />
|決算期 = <br />
|主要株主 = [[京阪電気鉄道]] 100%<br />
|主要子会社 = <br />
|関係する人物 = 細谷福太郎<br />
|外部リンク = http://kyotokeihanbus.jp/<br />
|特記事項 = 登記上の本店は京都府[[綴喜郡]][[宇治田原町]]大字岩山小字辻出61<br />2006年3月31日までは親会社は[[京阪宇治交通]]<br >[[京阪ホールディングス]]の[[連結子会社]]である。<br />
}}<br />
[[ファイル:Keihan-Uji Kotsu nonstep.jpg|thumbnail|240px|旧・京阪宇治交通低床色]]<br />
'''京都京阪バス'''(きょうとけいはんバス)は、[[京阪電気鉄道]]系列のバス会社であり、[[京阪バス]]の関連会社である。2002年の発足から2014年3月までの社名は'''京阪宇治バス'''であった。同じ京阪バス系列の京阪シティバスを吸収合併の上、2014年4月に現社名に改称した<br />
<br />
京阪宇治バス当時の本社は[[京都府]][[京田辺市]]にあったが、京都京阪バスへの改称と同時に現在の[[八幡市]]に移転した。<br />
<br />
== 総説 ==<br />
設立当初の[[親会社]]は[[京阪宇治交通]]であったが、同社が2006年4月1日に京阪バスに合併されたため、現在の親会社は京阪バスである。なお、登記上の本店所在地は、旧・京阪宇治交通同様[[綴喜郡]][[宇治田原町]](詳細な住所も同一)であり、実質的な旧・京阪宇治交通の後継会社であった(会社の経営、社章なども同社の方針をほぼ継承していた。ただし社章は京阪宇治交通と同デザインであるが、白抜き型となっていた)。<br />
<br />
全路線で[[スルッとKANSAI]]、[[京阪グループ共通バスカード]]が使用できる(立命館大学(BKC)線を除く)。既に京阪バスや京阪京都交通に導入されているIC[[乗車カード]]、[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]については、2015年3月1日に導入されており(参考リンク [http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140430000160 1]・[http://www.rakutai.co.jp/news/0501/001.html 2])、2016年4月1日より[[Suica]]など[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]にも対応した。<br />
<br />
京阪宇治バス時代の輸送人員は、2005年度と2006年度が430万人/年、2007年度が480万人/年であり、1日あたり1万数千人前後である<ref name="kokksho">[http://www.mlit.go.jp/report/press/jidosha03_hh_000036.html 国土交通省 報道発表資料]「乗合バスの上限運賃改定について」、および同リンク先添付の「参考資料」</ref>。<br />
<br />
発足後初(実質的には京阪宇治交通時代の1997年以来約12年ぶり)となる運賃値上げを伴う改定を、[[2009年]][[3月7日]]に実施<ref name="kokksho" /><ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009020500238&genre=B1&area=K00 京阪宇治バスの運賃値上げ認可 3月7日から67系統で平均10%] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20091003162319/http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009020500238&genre=B1&area=K00 |date=2009年10月3日 }} [http://www.ujibus.co.jp/top-p/rireki5/rosen/0213unchinkaitei.html 京阪宇治バスサイトの告知]</ref>。その後2011年3月18日にも2度目の値上げを実施した<ref>[http://www.ujibus.co.jp/top-p/rireki7/0318u-kaitei/0318unchinkaitei.html 一般路線バスの運賃改定のお知らせ2011]</ref>。その後、消費税増税に伴い一部運賃区間で運賃の引き上げが行われ現在の一般的な運行系統の初乗り運賃は210円となっている。<br />
<br />
==沿革==<br />
*[[2002年]][[12月6日]] 会社設立<br />
*[[2003年]][[4月1日]] バス事業を[[京阪宇治交サービス]]より引き継ぐ<br />
*[[2007年]][[8月28日]] [[大阪府]][[枚方市]]より京都府京田辺市に本社を移転する。<br />
*2007年[[11月10日]] 京田辺(一部)・城陽・宇治田原地区の路線を京阪バスより譲渡される。<br />
*[[2008年]][[11月1日]] 路線休止により、一般路線は[[滋賀県]]から撤退。<br />
*[[2014年]]4月 京阪シティバスと合併し、'''京都京阪バス'''に改称<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20131112000041 京阪バス2子会社、来春合併 「宇治」と「シティ」経営強化へ] - 京都新聞2013年11月12日</ref><ref>同じ京阪グループで会社名の類似している[[京阪京都交通]]とは別の会社である。</ref>。本社を京田辺市から八幡市に移転。また、京田辺市と宇治市の2箇所あった営業所も本社所在地の八幡市に集約。<br />
*[[2015年]][[3月1日]] [[PiTaPa]]と[[ICOCA]]利用を開始。<br />
*[[2016年]][[4月1日]] IC乗車カード全国相互利用サービス実施を開始。<br />
*[[2018年]]4月1日 [[バスロケーションシステム]]を導入し、「京阪グループバスナビ」サイト内でバス接近情報の提供を開始。[[コミュニティバスやわた]]を京阪バスより移管。<br />
<br />
==本社・営業所所在地==<br />
括弧内は営業所の略称及び、京阪グループ共通バスカードに於ける印字略称。<br />
*本社 京都府八幡市上奈良宮ノ東2-5<br />
*松井山手営業所(観光課) 京都府京田辺市山手中央2-1<br />
*[[京都京阪バス八幡営業所|八幡営業所]] 京都府八幡市上奈良宮ノ東2-5 <br />
**松井山手営業所はバス営業所ではなく旅行業の営業所である。<br />
<br />
=== 京阪宇治バス時代の営業所 ===<br />
*[[京阪宇治バス宇治営業所|宇治営業所]](ウジ) 京都府[[宇治市]]莵道荒槙1-48<br />
**1922年10月1日開設。2014年3月限りで閉鎖。跡地は2015年より[[平和堂]]フレンドマートとなった。<br />
*[[京阪バス京田辺営業所|京田辺営業所]](ウタ) 京都府京田辺市田辺茂ヶ谷20<br />
**2007年11月10日開設。京阪バス京田辺営業所と共用しており、2014年3月限りで当社のみ撤退。なお「ウタ」の印字は旧・京阪宇治交通田辺が、かつて使用していたものでもある。<br />
<br />
なお、前身会社以来請け負っている京阪バス[[京阪バス寝屋川営業所|寝屋川営業所]]と京田辺営業所の[[管理の受委託 (バス)|運行管理受託]]を継続しており、ウェブサイトの求人案内には(京阪バスと表記せずに)「寝屋川営業所」「京田辺営業所」と記載されている<ref>[http://www.kyotokeihanbus.jp/04saiyo/d/saiyo-d.html 採用情報] - 京都京阪バスウェブサイト(2015年1月11日閲覧)</ref>。<br />
<br />
==車両==<br />
車両の運転席側窓下の裾部および後部入口ガラス窓に「KEIHAN」のCIロゴが入っている。すべての塗装車両が対象である。<br />
<br />
===路線バス・コミュニティバス===<br />
[[ファイル:ujibus001.jpg|thumb|240px|路線バス車両(京阪宇治バス時代)。左は低床車、右は従来からの車両。]] <br />
2003年度より導入された低床バスでは、上の画像の様に淡いグリーンに3本の緑のラインが入った塗装が施されている。また京阪宇治バス時代には側面に「''KEIHAN UJI BUS''」と書かれていたが、合併と相前後して消されている。<br />
<br />
===貸切・観光バス===<br />
[[十二単]]をモチーフにした塗装で「うらら」の愛称で親しまれている。この塗装は旧・京阪宇治交通が公募した、[[京都府立莵道高等学校]]3年生の女子生徒(当時)が考案したものを採用し、[[1994年]]に[[リムジンバス]]用車両に制定したものであり、[[1996年]]頃より貸切バス車両にも制定された(ただし小型車はベースカラーを大型車の白色に対して銀色を使用している)。<br />
<br />
なお貸切車両の一部は、[[2005年日本国際博覧会]](愛知万博)の際に会場と宇治の間の路線バスとして運行した事例もある。また、行楽シーズンには京阪バスに貸し出され、[[京都定期観光バス]]の続行便として使用される場合もある。<br />
<br />
<!--===車両番号について(京阪宇治バス時代)===<br />
====2003年より2008年まで及び2010年以降====<br />
京阪宇治バスでは、2003年から2008年まで及び2010年落成の自社発注の車両、および中古車両(下記の例外を除く)には以下の法則により、車両番号を付番していた(一部例外あり)。<br />
*4桁の[[アラビア数字]]で標記。<br />
*千の位の数字は、納車した年の西暦の末尾である。ただし旧仕様車([[ツーステップバス]])は頭部の数字は小さめに書かれている(例:1995年納車 <small>5</small>/2005年納車 5)。<br />
*百の位の数字は車両の形態を意味するものである(1・貸切用大型車、3・一般路線用大型車、4・一般路線用中型車、5・一般路線用小型車)。<br />
**ただし、京阪宇治バスでは中型長尺車は大型車扱い、中型短尺車は小型車扱いとなる。<br />
*十の位と一の位は納車順に付番される。<br />
**ただし、大型・中型車は01〜99を共通で、小型車は大型・中型車とは別に01M〜99M、但し小型ショート車MではなくSをそれぞれ付番する。また貸切車両は一般路線車両とは別に付番しており、下2桁が京阪宇治交サービス時代からの通し番号となっている。このため京阪宇治バスで導入した車両は下2桁が29から付番されている。<br />
*表記例:一般路線車両で2005年導入の大型車で発足後通算10番目に納車された車両は「5310」と、2007年導入の大型車で発足後通算26番目の納車であるが1995年製の中古車両の場合は「<small>5</small>326」と、貸切車両で2007年に導入され、発足後通算3番目に納車された車両は「7131」と、2009年導入の小型ショート車で、発足後通算8番目の小型車として納車された車両は「9508S」とそれぞれ付番する。<br />
**小型車は大型・中型車共通の通し番号とは別に付番しているため、末尾下2桁が重複している(例・6504Sと4304)が管理上・運用上は支障は生じていない。<br />
なお旧・京阪宇治交サービスからの引継車、および京阪バスからの譲渡車のうち旧・京阪宇治交通に在籍した車両については旧・京阪宇治交サービス、旧・京阪宇治交通、京阪バス時代の車両番号を引き続き使用している。また2005年度落成以降の新規導入車両および一部の中古車両については希望ナンバーを使用して[[ナンバープレート (日本)|ナンバープレート]]を車両番号に合わせている。<br />
<br />
2007年落成の7422以降はノンステップバス車両に書かれていた、側面の「ノンステップバス」文字が省略されるようになっている(ツーステップバス、ワンステップバス車両には元来文字は書かれていない)。<br />
<br />
====2009年のみ====<br />
基本の付番方法は2003年から2008年までに準拠していたが、大型車及び中型車の場合は京阪バスに倣い、ノンステップバス車両は頭部に「N-」を付けるようになった。この付番方法はN-9335よりN-9338まで適用されたが、この年限りの付番となり、2010年以降は再度2003年以前の付番方法に戻った。なお小型車の付番方法は変更されていない。<br />
*表記例:2009年導入の大型車で発足後38番目に納車され、ノンステップバス仕様のものは「N-9338」と付番する。<br />
<br />
===車両の部品===<br />
[[方向幕]]は[[レシップ]]製、放送装置は京阪バスグループで唯一[[レゾナント・システムズ]]製(ネプチューンブランド)を使用している(一部例外あり)。--><br />
<br />
==乗車券類==<br />
*[[京阪グループ共通バスカード]]<br />
<br />
==バスツアー==<br />
旧・京阪宇治交通時代末期の[[1990年代]]中期よりバスツアーを積極的に開催し、旧・京阪宇治交サービス時代より「旅うらら」と言うツアー名で、主に宇治市より概ね200km以内の場所を中心に催行している。時折[[東京ディズニーリゾート]]や[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]への遠距離(中には宿泊を伴うものもある)ツアーも開催される。<br />
<br />
なお過去には、宇治より[[山形県]]([[月山]])や[[群馬県]]([[尾瀬]])までの[[ハイキング]]ツアーや、[[長崎県]]の[[ハウステンボス]]へのツアーも開催されていた(尾瀬は複数回実施している)。[[2008年]]には[[スルッとKANSAIバスまつり]]へのツアーも実施した。<br />
<br />
ハイキングツアーは一部ツアーを除き、「遊々ハイキング」と称し、このツアーは旧・京阪宇治交サービスおよび旧・京阪宇治交通の山岳部が共同で企画していた(分社化前は旧・京阪宇治交通山岳部の単独企画)。旧・京阪宇治交通時代の[[1998年]]より、旧・京阪宇治交サービス時代の2002年までは頻繁に行っていたが、翌2003年に実施する分社化準備の関係や貸切車両の減少、当時の親会社であった京阪宇治交通と同社との事情もあり中止された。ただし「遊々ハイキング」と称さないハイキングツアーは、現在でもごく稀に開催されていることもある。<br />
<br />
「遊々ハイキング」は旧・京阪宇治交サービス時代に終了したが、本項では京阪宇治バス記事内に包括して記述する。また一部公式配布物に於いて「遊遊ハイキング」との誤字もある。<br />
<br />
その他の定番コースには「[[西国三十三箇所]]巡り」などがある。<br />
<br />
==特記事項==<br />
*[[2006年]]度より、[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]を一部の車両の前面に取り付けている。マークの種類は数種ある。<br />
*宇治田原町営バスの運行も宇治田原町より委託されている。<br />
*「城陽さんさんバス」の愛称は公募により、[[京都府立京都すばる高等学校]]の女子生徒による発案のものが採用された。この愛称は運行開始翌年の2007年11月10日より使用を開始した(それ以前は「城陽市コミュニティバス」であった)。<br />
<br />
==参考文献==<br />
*京阪宇治交通「地域とともに六十年」 1983年発行<br />
*京阪宇治交サービス/京阪宇治バス バスツアー「旅うらら」パンフレット各号<br />
<br />
==脚注==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==関連項目== <br />
*[[京阪バス]]<br />
*[[京阪バスシステムズ]]<br />
*[[愛知万博の交通]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.kyotokeihanbus.jp/ 公式サイト]<br />
{{京阪バスグループ}}<br />
{{スルッとKANSAI}}<br />
{{DEFAULTSORT:きようとけいはんはす}}<br />
[[Category:近畿地方の乗合バス事業者]]<br />
[[Category:近畿地方の貸切バス事業者]]<br />
[[Category:京阪バス|社けいはんうしはす]]<br />
[[Category:八幡市の企業]]<br />
[[Category:2002年設立の企業]]<br />
{{節スタブ}}<br />
{{bus-stub}}</div>
113.32.216.171
東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律
2018-01-20T04:36:48Z
<p>113.32.216.171: /* 対象社局 */</p>
<hr />
<div>{{Law}}<br />
{{日本の法令<br />
|題名=東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律<br />
|番号=平成23年6月15日法律第68号<br />
|通称=<br />
|効力=現行法<br />
|種類=産業法<br />
|内容=[[電波法]]の特例法<br />
|関連=電波法<br />
|リンク=[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H23/H23HO068.html 総務省法令データ提供システム]<br />
|}}<br />
{{Wikisource}}<br />
<br />
'''東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律'''(ひがしにほんだいしんさいにともなうちじょうデジタルほうそうにかかるでんぱほうのとくれいにかんするほうりつ、平成23年6月15日法律第68号)は、[[2011年]][[6月15日]]に[[公布]]・[[施行]]された[[日本]]の[[法律]]。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[東日本大震災]]により甚大な被害を受けた地域において[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]の受信に必要な設備を整備することが困難となっていることに対処するため、[[電波法]]の特例を定めた。<br />
<br />
[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[福島県]]における特定の無線局区分の周波数の使用の期限について、[[2012年]](平成24年)[[7月24日]]を限度として[[総務大臣]]が延長できることとし、無線局免許の有効期間を当該延長された期限までの期間とする(法2条)。<br />
<br />
免許の有効期間を延長された無線局の免許人は、延長された有効期間の[[電波利用料]]を国に納めることを要せず、延長された期間の運用に要する費用の助成を電波利用料の使途に加える(法3条および4条)。<br />
<br />
== 具体的運用 ==<br />
=== 対象地域 ===<br />
総務省は2011年[[4月20日]]に[[岩手県|岩手]]、[[宮城県|宮城]]、[[福島県|福島]]の3県に関してはアナログ放送停波の延期を検討し、他の地域に関しては予定通りアナログ放送を終了すると発表した<ref>{{cite press release<br />
|title=地上放送の完全デジタル化について<br />
|url=http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000089.html<br />
|publisher=総務省情報流通行政局地上放送課<br />
|date=2011-04-20<br />
|accessdate=2011-07-10<br />
}}</ref>。<br />
<br />
この決定に先立ち、総務省では震災によるテレビ関連の被害とデジタル化業務への影響について調査を行った。これによると、[[関東地方]]の1都6県(被害の大きかった[[茨城県]]・[[千葉県]]を含む)及び[[青森県|青森]]・[[秋田県|秋田]]・[[山形県|山形]]の3県は地震等による送信所・ケーブルテレビ等の被害が認められず、受信施設等の被害が確認されるにとどまった。またデジサポも3月中にほぼ通常業務に戻っている<ref>{{cite press release<br />
|title=地震による被災状況|url=http://www.soumu.go.jp/main_content/000111759.pdf|publisher=総務省情報流通行政局地上放送課|date=2011-04-20|accessdate=2011-07-16|format=pdf}}</ref>。<br />
<br />
=== 対象社局 ===<br />
いずれも中継局を含む。<br />
; [[日本放送協会]](いずれも[[NHK総合テレビジョン|総合]]・[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]])<br />
* '''[[NHK盛岡放送局]]'''(JOQG-TV、JOQC-TV)<br />
* '''[[NHK仙台放送局]]'''(JOHK-TV、JOHB-TV)<br />
* '''[[NHK福島放送局]]'''(JOFP-TV、JOFD-TV)<br />
; 民間放送<br />
* '''[[IBC岩手放送]]'''(JODF-TV)<br />
* [[テレビ岩手]](JOII-TV)<br />
* [[岩手めんこいテレビ]](JOYH-TV)<br />
* [[岩手朝日テレビ]](JOIY-TV)<br />
* '''[[東北放送]]'''(JOIR-TV)<br />
* '''[[仙台放送]]'''(JOOX-TV)<br />
* [[宮城テレビ放送]](JOMM-TV)<br />
* [[東日本放送]](JOEM-TV)<br />
* '''[[福島テレビ]]'''(JOPX-TV)<br />
* [[福島中央テレビ]](JOVI-TV)<br />
* [[福島放送]](JOJI-TV)<br />
* [[テレビユー福島]](JOKI-TV)<br />
<br />
''' * 太字はアナログVHF局'''<br />
<br />
=== スケジュール ===<br />
;2011年7月24日<br />
:この日の正午を以って対象社局以外におけるアナログテレビ放送を完全終了し、同日24時に完全停波。<ref>一部の[[独立局]]では17:00JSTまたは18:00JSTに先行停波</ref><br />
;延長期間中<br />
:*3県のデジサポは、各県における地デジ化推進の取組みを集中して進める。<br />
:*地域単位で地デジ化が完了した場合は、該当地域においては期間中であってもアナログ放送を終了し、アナログ放送のエリアを段階的に縮小する(実際にその事例はない)。<br />
:*アナログ放送の送信方法は各社局の判断に委ねる。コストダウンのため「デジ→アナ変換」も選択肢に加えられる。<br />
:*アナログ送信設備の積極的保守は行わない。<br />
;2012年3月31日<br />
:この日の正午を以って対象社局のアナログテレビ放送を完全終了し、同日24時に完全停波。これで日本全国において[[日本の地上デジタルテレビ放送|完全デジタル化完了]]。<br />
<br />
== 脚注・出典 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*{{PDFlink|[http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/dtv/111207_1/pdf/120116_1.pdf 東北3県におけるアナログ放送終了に向けた取組] - 総務省}}<br />
*{{PDFlink|[http://www.tvi.jp/analogue-info/index.pdf アナログ放送延長のお知らせ] - テレビ岩手}}<br />
*[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H23/H23HO068.html 総務省法令データ提供システム 東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律]<br />
<br />
{{東日本大震災}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:ひかしにほんたいしんさいにともなうちしようてしたるほうそうにかかるてんはほうのとくれいにかんするほうりつ}}<br />
[[Category:日本の法律]]<br />
[[Category:日本の産業法]]<br />
[[Category:日本の地上波テレビ放送]]<br />
[[Category:東日本大震災関連法規]]<br />
[[Category:2011年の法]]<br />
[[Category:長大な項目名]]</div>
113.32.216.171
テンプレート:Idol-stub
2017-11-26T07:40:05Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>{{Asbox<br />
| name = Idol-stub<br />
| image = Wikipe-tan_full_length.svg<br />
| pix = 35<br />
| subject = [[アイドル]]([[グラビアアイドル]]・[[ライブアイドル]]・[[ネットアイドル]]・[[レースクイーン]]・[[コスプレイヤー]]などを含む)<br />
| category = アイドルに関するスタブ<br />
| tempsort = *<br />
| related = [[Portal:アイドル|ポータル:アイドル]]/[[プロジェクト:芸能人]]<br />
}}<noinclude><br />
[[Category:芸能人のテンプレート|*Idol-stub]]<br />
</noinclude></div>
113.32.216.171
井岡弘樹
2017-11-26T07:34:56Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>{{Boxing statsbox<br />
|name=井岡 弘樹<br />
|image=<br />
|realname=井岡 弘樹<br />
|nickname=<br />
|weight=[[ミニマム級]]<br />[[ライトフライ級]]<br />
|height=172cm<br />
|reach=174cm<br />
|nationality={{JPN}}<br />
|birth_date={{生年月日と年齢|1969|1|8}}<br />
|birth_place=[[大阪府]][[堺市]]<br />
|death_date=<br />
|death_place=<br />
|style=右ボクサー<br />
|total=42<br />
|wins=33<br />
|KO=17<br />
|losses=8<br />
|draws=1<br />
|no contests=<br />
|}}<br />
'''井岡 弘樹'''(いおか ひろき、[[1969年]][[1月8日]] - )は、[[日本]]の元[[プロボクサー]]、[[タレント]]。<br />
<br />
第2代日本[[ミニマム級]]王者、元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ミニマム級王者、元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ライトフライ級]]王者。[[大阪府]][[堺市]]出身。現役時代は[[グリーンツダボクシングクラブ]]所属。[[エディ・タウンゼント]]の最後の愛弟子。[[井岡ボクシングジム]]初代会長。現在は[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]所属タレント(マネジメント契約)として活動する傍ら、井岡ボクシングトレーニングジム(通称:井岡弘樹ジム)の会長も務める。右ボクサータイプ。[[大阪経済大学]]経営学部在学中。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
元々は野球少年で[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]友の会会員。ボクシング好きの父に影響されて[[赤井英和]]に憧れ、中学2年生の時に赤井が所属する三和ツダジム(現・グリーンツダジム)へ兄・井岡一法とともに入門。<br />
<br />
入門当初から将来の世界王者として津田博明会長に期待され、[[海老原博幸]]や[[藤猛]]や[[柴田国明]]ら多くの世界王者を輩出した名伯楽エディ・タウンゼントの指導を受ける(後に、エディが指導した最後の世界王者となる)。<br />
<br />
エディがデビュー前の少年の指導を任されることは異例であったが、井岡は津田会長の期待通りに成長し、デビュー前から当時の日本王者や世界ランカークラスの選手を圧倒する実力を身に付けており、[[義務教育]]終了と同時に三和ツダジムでの合宿を経て17歳でプロデビュー。<br />
<br />
1986年1月23日、関西の選手としては異例の[[後楽園ホール]]でのデビュー戦(ミニマム級第1号選手、日本プロボクシング史上初の同級の公式試合)を行い、井岡は3回KO勝利でデビュー戦を飾り以降も連勝街道を走る。<br />
<br />
恵まれた体格を生かした[[アウトボクシング]]、軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に'''国内最年少の18歳9ヶ月10日'''でWBC世界ミニマム級王座を獲得した。<br />
<br />
1991年12月にはWBA世界ライトフライ級王座も獲得し[[ファイティング原田]]・[[柴田国明]]に続き史上3人目となる世界王座2階級制覇を達成した。<br />
* [[1987年]]、第2代日本ミニマム級王者(獲得時の'''最年少日本王者'''であり、'''国内最年少世界王者'''<ref>世界単位で見れば元3階級制覇王者[[ウィルフレド・ベニテス]]が'''17歳6ヶ月'''で最年少世界王座戴冠記録を保持している。</ref><ref>2007年10月11日、当時'''18歳9ヶ月5日'''だった[[亀田大毅]]が記録更新を狙ってWBC世界フライ級王者[[内藤大助]]に挑戦したが判定負けにより王座奪取はならず更新されなかった。</ref>ともに2014年5月現在も破られていない)<br />
* [[1987年]]、WBC世界ミニマム級王者<br />
* [[1991年]]、WBA世界ライトフライ級王者<br />
サウスポースタイルの対戦相手を苦手としており、[[ナパ・キャットワンチャイ]]戦以降は、所属ジム会長が世界戦([[飯田覚士]]戦)以外はマッチメイクでサウスポーの選手を避けていたというエピソードもある。<br />
<br />
現役時代の主な入場曲は映画[[トップガン (映画)|トップガン]]の[[劇中歌]]である[[ティーナ・マリー|TEENA MARIE]]の「LEAD ME ON」と映画[[ロッキー3]]の[[主題歌]]である[[サバイバー (バンド)|Survivor]]の「[[アイ・オブ・ザ・タイガー|Eye of the Tiger]]」。<br />
<br />
[[2002年]]8月25日、一法とともに井岡ボクシングジムを設立。初代会長を務めた。<br />
<br />
2013年2月に行われた西日本ボクシング協会会長選挙で当選を果たし、4月1日より任期3年で就任<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b0%e6%b2%ac&k=201302/2013021000114|title=新会長に井岡氏=西日本ボクシング協会|newspaper=時事通信|date=2013-02-10}}</ref>。<br />
<br />
[[ファイル:HIROKI IOKA BOXING GYM.JPG|サムネイル|井岡弘樹ジム]]<br />
2013年6月1日付で井岡ジムの会長職を一法に禅譲し、自身は「井岡弘樹ジム」を設立(実際は井岡ジムの別施設が独立して西日本協会加盟)して会長となる<ref>[http://daily.co.jp/newsflash/ring/2013/05/27/0006024928.shtml 「井岡ジム」「井岡弘樹ジム」併存へ] デイリースポーツ 2013年5月27日</ref>。<br />
<br />
現役時代のライバルに元WBA・WBC世界ミニマム級王者で後に[[日本プロボクシング協会]]会長も務めた[[大橋秀行]]がおり、両者の対戦がファンから熱望されていたものの、結局は実現しなかった。<br />
<br />
[[2012年]]6月20日に愛弟子であり自身の甥(一法の長男)の[[井岡一翔]]が[[井岡一翔 対 八重樫東戦|世界王座統一戦]]を戦った相手は、大橋の愛弟子である[[八重樫東]]であったため「20年越しの代理戦争」と報道された<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120619/mrt12061918040003-n1.htm|title=20年越しの代理戦争「井岡VS大橋」|newspaper=産経新聞|date=2012-6-19}}</ref>。<br />
<br />
===家族===<br />
井岡家は[[村上水軍]]の末裔で父の代まで[[周防大島]]で漁業を営んでいた<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/12/07/kiji/K20121207004720070.html|title=井岡、墓前に2階級制覇誓う「今度も結果を残したい」|newspaper=スポーツニッポン|date=2012-12-07}}</ref>。<br />
<br />
2003年に結婚した妻は[[吹田市]]にある正福寺の住職の娘<ref>{{Cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012801000520.html|title=井岡さんが来月婚姻届提出 元ボクシング世界王者|newspaper=47NEWS|date=2003-01-28}}</ref>。<br />
<br />
兄・一法も元ボクサーで、フェザー級で2戦2KO勝を残すも1年足らずで引退。井岡ジムのトレーナー兼プロモーターを務めた後、2013年6月1日より「井岡ボクシングジム・プロフェッショナル」と改名された同ジム会長に就任し、井岡弘樹ジムのプロモーターも兼任。<br />
<br />
前述の甥である一翔もプロボクサーで[[井岡ボクシングジム|井岡ボクシングジム・プロフェッショナル]]に所属しており、自身と同じく2階級制覇を果たしている(元WBA・WBC世界ミニマム級統一王者、元WBA世界ライトフライ級王者)。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
* [[1986年]]1月23日、17歳の誕生日を待ってプロデビューし、3回KOで勝利。<br />
* [[1987年]]7月8日、小野健治を下し、日本ミニマム級王座獲得。これは日本プロボクシング史上最年少記録。<br />
* 1987年10月18日、9戦目にして世界初挑戦。新設されたばかりのWBC世界ミニマム級王座決定戦に出場。マイ・トンブリフラム([[タイ王国|タイ]])を12回判定に降し、日本国内最年少新記録となる'''18歳9ヶ月10日'''で世界王座獲得。また、日本のジムに所属する選手の9戦目での世界王座獲得は、[[具志堅用高]]と並ぶ国内最短記録(当時=現在は[[田中恒成]]の5戦目)。<br />
* [[1988年]]1月31日、初防衛戦。元IBF同級王者にしてWBC1位の指名挑戦者、李敬淵([[大韓民国|韓国]])に12回TKO勝ち。この試合が井岡の世界戦唯一のKO勝ち。病床の恩師エディ・タウンゼントに捧げる勝利で、この翌日にエディは死去。<br />
* 1988年6月5日、2度目の防衛戦。[[ナパ・キャットワンチャイ]]([[タイ王国|タイ]])と対戦し、引き分けで辛くも防衛成功。最終12回、挑戦者の強打でダウン寸前にまで追い込まれるも、終了のゴングが30秒早く鳴らされた疑惑の試合となった。<br />
* 1988年11月13日、3度目の防衛戦。ナパと再戦し、12回判定負け。王座から陥落した。<br />
* [[1989年]]6月10日、世界再挑戦。ナパと三たび対戦したが、11回TKO負けで王座返り咲きならず。その後、[[村田英次郎]]の指導を受ける。<br />
* [[1991年]]12月17日、WBA世界ライトフライ級王者[[柳明佑]](韓国)に挑戦。無敗で17度防衛中の絶対王者をアウトボクシングで攻略。圧倒的不利の予想を覆し、12回判定勝ち。日本人3人目の世界王座2階級制覇達成。<br />
* [[1992年]]3月31日、初防衛戦。ノエル・ツニャカオ(フィリピン、元WBC世界フライ級王者[[マルコム・ツニャカオ]]の兄)と対戦し、12回判定勝ち。<br />
* 1992年6月15日、2度目の防衛戦。元WBAミニマム級王者[[金奉準]](韓国)と対戦し、12回判定勝ち。<br />
* 1992年11月18日、3度目の防衛戦で前王者・柳と再戦したが、12回判定負けで王座陥落。<br />
* [[1993年]]6月23日、日本人初の3階級制覇を目指し、フライ級で世界挑戦。WBA世界同級王者[[デビッド・グリマン]]([[ベネズエラ]])に挑むも、8回TKO負け。3階級制覇達成ならず。<br />
* [[1995年]]10月17日、WBA世界フライ級王座に再挑戦。前年にグリマンを降して王者となったセーン・ソー・プルンチット(タイ)に挑むも10回TKO負け。またも3階級制覇は達成されず、その後、一時的に[[マック・クリハラ]]の指導を受ける。<br />
* [[1997年]]2月25日、WBA世界フライ級王座に三たび挑戦。前年にセーンを降して王者となった[[ホセ・ボニージャ]]([[ベネズエラ]])に挑むが、7回TKO負けでまたしても3階級制覇達成はならなかった。その後、フライ級での世界王座奪取を断念し、[[スーパーフライ級]]に転向。<br />
* [[1998年]]4月29日、WBA世界スーパーフライ級王者[[飯田覚士]]に挑戦。フルラウンドにわたり一進一退の攻防を展開するも、12回判定負け。<br />
* 1998年12月19日、かつてのジムメイトでもあり後のWBC世界スーパーフライ級王者[[徳山昌守]]とノンタイトル戦を行うも、5回TKO負け。世界戦以外の試合で初の敗戦を喫した。この試合後、控え室で所属ジムの津田博明会長と報道陣をシャットアウトして30分間の話し合いを持ち、井岡は引退を決意。津田会長曰く「井岡とは、普通の試合(=世界戦以外の試合)に一度でも負けたら引退すると決めていた」。<br />
<br />
== 戦績 ==<br />
{{Boxing recordbox<br />
|total=42<br />
|wins=33<br />
|KOwins=17<br />
|decwins=<br />
|otherwins=<br />
|losses=8<br />
|KOloss=<br />
|decloss=<br />
|otherloss=<br />
|draws=1<br />
|no contests=<br />
|}}<br />
<br />
== 獲得タイトル ==<br />
* 第2代日本[[ミニマム級]]王座(防衛0=返上)<br />
* [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ミニマム級王座(防衛2)<br />
* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ライトフライ級]]王座(防衛2)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[男子ボクサー一覧]]<br />
* [[ボクシング日本王者一覧]]<br />
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]]<br />
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧|世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧]]<br />
* [[複数階級制覇 (ボクシング)]]<br />
* [[井岡一翔]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.fandango.co.jp/talent_prf/action/TalentProfileDetailSearchAction?unitId=0&talentId=10716 井岡弘樹・吉本興業プロフィール]<br />
* [http://www.ioka-gym.com/ 井岡ボクシングジム]<br />
* {{Boxrec|id=593|name=井岡弘樹}} <br />
<br />
{{Championshiptitle次空|第2代|日本|[[ミニマム級]]|小野健治|横沢健二|1987年7月8日 - 1987年9月28日(返上)}}<br />
{{Championshiptitle-1||[[世界ボクシング評議会|WBC]]|世界[[ミニマム級]]|階級新設|ナパ・キャットワンチャイ|1987年10月18日 - 1988年11月13日}}<br />
{{Championshiptitle||[[世界ボクシング協会|WBA]]|世界[[ライトフライ級]]|柳明佑|柳明佑|1991年12月17日 - 1992年11月18日}}<br />
<br />
{{日本のボクシング世界王者}}<br />
{{年間最優秀選手賞 (日本プロボクシング)}}<br />
{{報知プロスポーツ大賞受賞者-ボクシング}}<br />
{{西日本ボクシング協会会長}}<br />
{{DEFAULTSORT:いおか ひろき}}<br />
[[Category:日本の男子ボクサー]]<br />
[[Category:ボクシングの日本王者]]<br />
[[Category:ミニマム級世界王者]]<br />
[[Category:ライトフライ級世界王者]]<br />
[[Category:世界ボクシング協会世界王者]]<br />
[[Category:世界ボクシング評議会世界王者]]<br />
[[Category:日本のボクシング世界王者]]<br />
[[Category:日本のボクシングトレーナー]]<br />
[[Category:日本のタレント]]<br />
[[Category:ボクシング解説者]]<br />
[[Category:堺市出身の人物]]<br />
[[Category:1969年生]]<br />
[[Category:存命人物]]</div>
113.32.216.171
金須嘉之進
2017-11-26T07:14:29Z
<p>113.32.216.171: </p>
<hr />
<div>{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--><br />
| Name = 金須 嘉之進<br />
| Img = <br />
| Img_capt = <br />
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --><br />
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --><br />
| Background = classic<br />
| Born = {{生年月日|1867|2|21}} <br />
| Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --><br />
| Alias = <br />
| Blood = <!-- 個人のみ --><br />
| School_background = <br />
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1967|2|21|1951|4|7}}<br />
| Origin = {{JPN}}[[宮城県]][[仙台市]]<br />
| Instrument = <br />
| Genre = [[クラシック音楽]]<br />
| Occupation = 演奏家、[[聖歌]]指揮者、[[作曲家]]<br />
| Years_active = <br />
| Label = <br />
| Production = <br />
| Associated_acts = <br />
| Influences = <br />
| URL = <br />
| Current_members = <!-- グループのみ --><br />
| Past_members = <!-- グループのみ --><br />
| Notable_instruments = <br />
}}<br />
{{Portal クラシック音楽}}<br />
'''金須 嘉之進'''(きす よしのしん、[[1867年]][[2月21日]] - [[1951年]][[4月7日]])は演奏家・[[聖歌]]指揮者・[[作曲家]]。[[正教徒]]であり、[[聖名]]は'''インノケンティ'''。主に[[日本正教会]]で聖歌の指導・聖歌の作曲等で活躍したほか、世俗の領域でも各種音楽教育に尽力した。[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー=コルサコフ]]に師事。<ref>出典:[http://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/koseki_990806.html 藍川由美 「古関裕而を歌う」]</ref>弟子に[[古関裕而]]がいる。<br />
<br />
==略歴==<br />
<ref>出典:中村理平『キリスト教と日本の洋楽』大空社、98頁 - 99頁</ref><br />
*[[1867年]]([[慶応]]3年)[[2月21日]]、当時の仙台藩で生まれる。<br />
*[[1881年]] - [[駿河台]]にあった[[正教会]]の[[神学校]]に入学、[[ヤコフ・チハイ]]や[[デミトリイ・リオフスキー]]などに音楽を学んだ。<br />
*[[1891年]]夏 - リムスキー=コルサコフが教授を務める[[サンクトペテルブルク音楽院|ペテルブルク音楽院]]に留学、リムスキー=コルサコフに師事。ヴァイオリン、ピアノの奏法のほか、聖歌指揮法および作曲理論を習得。<br />
*[[1894年]]([[明治]]27年) - 帰国。[[1919年]]([[大正]]8年)まで25年間、リオフスキー、小原甲三郎らと共に[[ニコライ堂]]などで聖歌隊の指導に当たる。<br />
*[[1895年]](明治28年)3月 - 本郷中央会堂での慈善音楽会で、[[ラファエル・フォン・ケーベル]]らとともにヴァイオリンを演奏。<br />
*その後、[[南満州鉄道|満洲鉄道]]のロシア語通訳として[[ハルビン市|ハルピン]]に駐在するなどしたのち、[[関東大震災]]後は仙台に移り、[[宮城県女子師範学校]]、[[吉田女学校]]、[[宮城県女子専門学校]]などで教鞭をとる。[[青葉音楽院]]を主宰し地域の音楽教育に貢献。この頃に福島県の川俣銀行(現[[東邦銀行]]川俣支店)に勤務していた[[古関裕而]]と知り合う。<br />
*[[1939年]]([[昭和]]14年) - [[東京]][[大森]]に移転。<br />
*[[1943年]](昭和18年) - [[鎌倉]]に移住。<br />
*晩年に再度半年ほど、ニコライ堂の聖歌指導を担当(年月不詳)<br />
*[[1951年]](昭和26年)[[4月7日]] - 84歳で[[永眠]]。<br />
<br />
==作品==<br />
===正教会聖歌===<br />
*[[常に福にして]] - [[1925年]](大正14年)[[11月18日]]作<br />
*[[平和の憐み]] - [[1926年]](大正15年)[[2月16日]]作<br />
*[[主の祈り|天主經]](主の祈り) - [[1927年]](昭和2年)[[2月11日]]作<br />
*[[ヘルヴィムの歌]] - [[1935年]](昭和10年)[[7月20日]]作<br />
<br />
===歌曲===<br />
*『東の門』(主教歓迎の歌) - 作詞:[[中井木菟麻呂]]。[[1911年]](明治44年)[[7月16日]]作<br />
*『東亜建設の歌曲』作詞:[[中井木菟麻呂]](年月不詳)<br />
<br />
===大学歌・校歌===<br />
*[[慶應義塾大学]](旧塾歌)(作詞:[[角田勤一郎]]) - 外部リンク:[http://nannen.cool.ne.jp/music.html 慶應義塾歌集]<br />
*[[聖和学園短期大学]]校歌(作詞:国安康嶺)<br />
*[[宮城県石巻女子高等学校]](作詞:[[渡辺義丸]])<br />
*[[宮城県石巻好文館高等学校]](作詞:渡辺義丸) - 外部リンク:[http://www.koubunkan.myswan.ne.jp/kouka.htm 宮城県石巻好文館高等学校校歌]<br />
*[[荒浜小学校]](作詞:武田直衛) - 外部リンク:[http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/wakabayashiku/14/14-08.htm 荒浜]<br />
<br />
==脚注==<br />
<div class="references-small"><references /></div><br />
<br />
==参考文献==<br />
*[[牛丸康夫]]著『日本正教史』[[日本ハリストス正教会]]<br />
*中村理平『キリスト教と日本の洋楽』大空社<br />
*金須嘉之進『ペトログラード音楽院の憶ひ出』 月刊楽譜第23巻3月号 54-56頁 昭和9<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ニコライ・カサートキン]] - [[日本正教会]]の[[亜使徒]]・[[大主教]]。[[聖人]]。<br />
*[[パーヴェル・チェスノコフ]] - 金須と同時代に[[ロシア正教会]]で活躍した正教会聖歌作曲家。ソ連政府による宗教弾圧の下で、聖歌作曲を禁じられる。<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://koubunkan.ed.jp/www/outline 渡辺義丸先生、金須嘉之進氏について] - [http://koubunkan.ed.jp/ 宮城県石巻好文館高等学校]のページ<br />
*[http://www.orthodoxjapan.jp/meiji.html 明治文化とニコライ] - [[日本ハリストス正教会]]のページ。金須が[[ニコライ堂]]の聖歌指揮者として活躍していた事が記されている。<br />
*[http://www8.ocn.ne.jp/~sendai/page058.html 仙台正教会の沿革] - [[仙台ハリストス正教会]]のページ。金須が仙台の聖歌隊の指導にも当たって居た事が記されている。<br />
*[http://www.keio.ac.jp/ja/contents/mamehyakka/66.html 慶應義塾豆百科No.66塾歌制定の経緯] - [[慶應大学]]のページ。金須が作曲した旧塾歌について若干の説明あり。<br />
*[http://www.archives.tohoku.ac.jp/tenji/josenten.htm 宮城県女子専門学校資料展 展示目録]<br />
*http://asano-hammond.com/ ジャズハモンドオルガニスト 浅野仁 - 金須嘉之進の曾孫 慶應義塾出身<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:きす よしのしん}}<br />
[[Category:正教会聖歌作曲家]]<br />
[[Category:日本の作曲家]]<br />
[[Category:日本正教会]]<br />
[[Category:日本の正教徒]]<br />
[[Category:日本のヴァイオリニスト]]<br />
[[Category:日本の指揮者]]<br />
[[Category:幕末仙台藩の人物]]<br />
[[Category:仙台市出身の人物]]<br />
[[Category:1867年生]]<br />
[[Category:1951年没]]</div>
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テンプレート:東京スポーツ
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