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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=111.87.58.8&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-08T02:58:53Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 紀元前2世紀 2018-08-04T14:20:58Z <p>111.87.58.8: /* 東アジア */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2013年5月}}<br /> {{Centurybox| 千年紀 = 1 | 世紀 = 2 | 年代 = 100 | BC = 1 }}<br /> [[Image:Zhang Qian.jpg|thumb|300px|[[張騫]]使節団。[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]の命により[[月氏|大月氏]]へと派遣され、[[西域]]との交流といわゆる[[シルクロード]](絲綢之路)の発展を促した。画像は[[敦煌]][[莫高窟]]に描かれた張騫。]]<br /> &#039;&#039;&#039;紀元前2世紀&#039;&#039;&#039;(きげんぜんにせいき)は、[[西暦]]による[[紀元前200年]]から[[紀元前101年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == できごと ==<br /> [[File:Xian 2006 4-19.jpg|thumb|right|250px|{{仮リンク|漢の景帝陵(陽陵)|zh|汉阳陵}}。景帝は[[呉楚七国の乱]]を平定したことで父の文帝から続く前漢の安定期である「文景の治」を現出した。画像は景帝陵に副葬されていた陶俑の数々({{仮リンク|咸陽漢陽陵博物館|zh|咸阳汉阳陵博物馆}}蔵)。]]<br /> [[ファイル:Lacquer Coffin Unearthed from the 2nd-century-BC Han Tomb No.1 at Mawangdui 2011-07.JPG|thumb|250px|[[馬王堆漢墓]]。1972年に湖南省長沙市で発見された前漢[[長沙国]]の高官[[利蒼]]一族の墳墓で、生けるがごとく保存状態の良い利蒼夫人の遺体が埋葬されていた。画像はその朱塗りの漆の模様が描かれた木棺(湖南省博物館蔵)。]]<br /> [[ファイル:Si lü yu yi.JPG|thumb|250px|[[南越国]]の繁栄と没落。南越は5代93年にわたり中国南部からベトナム北部を支配した王国で前漢に秘してひそかに帝位を称するほどであったが、前漢の武帝により滅ぼされた。画像は[[趙バツ|趙眜]]陵墓で発見された王の遺体を包んでいた絲縷玉衣([[西漢南越王博物館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Pergamonmuseum Pergamonaltar.jpg|thumb|250px|ペルガモンのゼウス大祭壇。ドイツの発掘調査と遺物の移送により「神々と巨人族との戦い(ギガントマキア)」の浮彫を含む往時の姿が[[ベルリン]]の[[ペルガモン博物館]]で再現されている。]]<br /> [[ファイル:Nike of Samothrake Louvre Ma2369 n4.jpg|thumb|right|180px|[[サモトラケのニケ]]。[[ヘレニズム]]芸術を代表する作品で現在は[[ルーヴル美術館]]の所蔵となっている。]]<br /> [[ファイル:Rosetta Stone.JPG|thumb|right|200px|[[ロゼッタ・ストーン]]。もとは[[プトレマイオス5世]]がメンフィスで出した勅令を刻んだもので、[[神聖文字]]・[[民衆文字]]・[[ギリシア文字]]が併記されていたことから[[シャンポリオン]]が神聖文字の解読するための足掛かりとなった。現在は[[大英博物館]]の所蔵となっている。]]<br /> [[ファイル:Xong-e Ashdar Parthian relief.jpg|thumb|right|200px|[[パルティア]]王国の拡大。西アジアではイラン系遊牧民が建てた国家パルティアが国王[[ミトラダテス1世]]の時代に勢力を拡大した。画像はイランの[[フーゼスターン州]]イゼーのXong-e Ashdarにあるミトリダテス1世を記念する浮彫。]]<br /> [[ファイル:MenandrosCoin.jpg|thumb|right|200px|[[メナンドロス1世]]。ヘレニズム系ギリシア人による[[インド・グリーク朝]]の国王で仏典の『[[ミリンダ王の問い]]』では仏教に帰依したことで知られている。画像はこの王の肖像が刻まれたコイン([[大英博物館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Death of Gaius Gracchus.jpg|thumb|right|250px|[[グラックス兄弟]]の改革。ポエニ戦争終結後のローマ社会構造の大きな変化に合わせるべく改革が行われたが、元老院派の反発が強く兄弟の改革は挫折した。画像はフランソワ・トピノ・ルブランによる歴史画「[[ガイウス・グラックス]]の死」。]]<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> * 紀元前200年 - [[白登山の戦い]]で[[匈奴]]の[[冒頓単于]]が[[前漢]]の[[劉邦]]を破る。<br /> * 紀元前196年 - 淮陰侯[[韓信]]が処刑される。<br /> * 紀元前195年<br /> ** 前漢で[[恵帝 (漢)|恵帝]]が即位( - [[紀元前188年]])。[[呂雉|呂后]]の専横が始まる。<br /> ** 燕の[[衛満]]が[[箕子朝鮮]]を滅ぼし、[[衛氏朝鮮]]を建てる( - [[紀元前108年]])。<br /> * 紀元前180年 - [[前漢]]で呂后死去。呂氏一族が誅殺され、[[文帝 (漢)|文帝]]が即位( - [[紀元前157年]])。<br /> * 紀元前177年 - 匈奴の冒頓単于が[[月氏]]を攻撃し、月氏は大月氏・小月氏に分裂する。<br /> ** 大月氏は[[サカ族]]を逐ってイリ地方のイシク湖周辺に移動し、小月氏は甘粛・青海に留まる。<br /> * 紀元前162年 - 匈奴の[[老上単于]]が大月氏の王を敗死させ、大月氏は[[ソグディアナ]](粟特)に移動。<br /> ** 大月氏はその後、隣接する[[トハラ]](大夏)も支配下に置く。<br /> * 紀元前157年 - 前漢で[[景帝 (漢)|景帝]]が即位( - [[紀元前141年]])。<br /> * 紀元前154年 - 前漢で[[呉楚七国の乱]]。<br /> * 紀元前141年 - 前漢で[[武帝 (漢)|武帝]]が即位( - [[紀元前87年]])。<br /> * 紀元前139年 - 前漢の[[張騫]]が[[月氏|大月氏]]に派遣される。<br /> * 紀元前136年 - 前漢で[[董仲舒]]の献策で[[儒教]]が官学とされ、[[五経博士]]が置かれる。<br /> * 紀元前134年 - 前漢で[[孝廉]]の制が導入される([[郷挙里選]]の始まり)。<br /> * 紀元前127年 <br /> ** 前漢で推恩の令。<br /> ** 前漢の将軍[[衛青]]が匈奴から河南([[オルドス地方]])を奪う。<br /> * 紀元前122年 - 淮南王[[劉安]]が自害する。<br /> * 紀元前121年 - [[祁連山脈]]を本拠としていた匈奴の[[伊稚斜単于]]が前漢の[[霍去病]]に敗れ、[[河西回廊]]は前漢の領土となる。<br /> ** 河西回廊には[[酒泉郡]]([[紀元前121年]])、[[武威郡]]([[紀元前115年]])、[[張掖郡]]([[紀元前111年]])、[[敦煌郡]]([[紀元前88年]])の四郡を設置する。<br /> * 紀元前119年 - 衛青と霍去病が匈奴を撃破し漠南([[内モンゴル]])を獲得。<br /> * 紀元前113年 - 汾陰での銅鼎の発見によりこの年を「[[元鼎]]4年」とする([[元号]]制度の始まり)。<br /> ** 武帝の統治初年(紀元前140年)に遡り「[[建元 (漢)|建元]]」「[[元光 (漢)|元光]]」「[[元朔]]」「[[元狩]]」の6年ごとの元号も併せて定められる。<br /> * 紀元前111年 - 前漢の武帝が[[南越]]を滅ぼし、[[南海郡 (中国)|南海郡]]を設置する。<br /> * 紀元前110年 - 前漢の武帝が[[泰山]]で[[封禅]]の儀を執行する。<br /> * 紀元前108年 - 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし、[[楽浪郡]]・[[真番郡]]・[[臨屯郡]]・[[玄菟郡]]の[[漢四郡]]を設置する。<br /> * 紀元前105年 - 前漢の[[江都公主]](細君)が[[烏孫]]王[[昆莫]]に降嫁する。<br /> * 紀元前102年 - 前漢の武帝の命で[[李広利]]が[[大宛]]を征服し[[汗血馬]]を獲得する。<br /> <br /> === 地中海世界 ===<br /> * 紀元前200 - 190年頃 - [[ヘレニズム時代]]の彫刻「[[サモトラケのニケ]]([[ルーブル美術館]]蔵)」が作られる。<br /> * 紀元前196年 - [[プトレマイオス5世]]の[[メンフィス勅令]]が刻まれた「[[ロゼッタ・ストーン]]」が建立される。<br /> * 紀元前192年 - [[共和政ローマ]]と[[セレウコス朝]]の[[アンティオコス3世]]が[[ローマ・シリア戦争|戦争]]( - [[紀元前188年]])。<br /> * 紀元前190年 - [[グレコ・バクトリア王国]]の[[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]]が西北インドに進出し[[タクシラ]]を占領。<br /> * 紀元前188年 - アパメアの和約。セレウコス朝がヨーロッパから撤退する。<br /> * 紀元前180年頃 - ブリハドラタ王が殺害されマウリア朝が滅亡、[[プシャミトラ]]が[[シュンガ朝]]を建てる。<br /> * 紀元前168年 - [[ピュドナの戦い]]でローマがマケドニアに勝利。[[ポリュビオス]]がローマに連行される。<br /> * 紀元前167年頃 - [[ユダ・マカバイ]]が[[エルサレム神殿]]を回復。[[ハスモン家]]によるユダヤ支配のはじまり。<br /> * 紀元前150 - 100年頃 - ギリシアで[[アンティキティラ島の機械]]が製作される。<br /> ** これは現在確認できる世界最古の歯車式[[アナログ計算機]]とされている。<br /> * 紀元前148年 - 共和政ローマが[[マケドニア属州|マケドニア]]を属州にする。<br /> * 紀元前146年<br /> ** [[第3次ポエニ戦争]]により[[カルタゴ]]が共和政ローマに滅ぼされる。<br /> ** [[コリントスの戦い]]により[[コリントス]]が共和政ローマに滅ぼされる。<br /> *** [[アカイア同盟]]は解体され、[[古代ギリシア|ギリシア]]各都市は属州[[アカエア]]に編入される。<br /> * 紀元前145年頃 - グレコ・バクトリア王国の主要都市[[アイ・ハヌム]]が月氏に滅ぼされる。<br /> * 紀元前141年 - パルティア国王[[ミトラダテス1世]]がバビロニアに侵攻してセレウコス朝の[[セレウキア]]を陥落させる。<br /> ** パルティアはティグリス川に面したセレウキア対岸のオピス(後のクテシフォン)を拡充する。<br /> * 紀元前133年<br /> ** ローマで[[ティベリウス・グラックス]]が[[護民官]]となり、「センプロニウス農地法」を提出するが反対派に暗殺される。<br /> *** ティベリウスの死を契機に共和政ローマは「[[内乱の一世紀]]」へ突入( - [[紀元前27年]])。<br /> ** [[ペルガモン]]国王アッタロス3世が領土をローマに遺贈する。<br /> *** これに不満を持つ王族のアリストニコスが[[エウメネス3世]]を名乗り反乱を起こす。<br /> ** [[ヌマンティア戦争]]で[[スキピオ・アエミリアヌス]]がヌマンティアを陥落させる。<br /> * 紀元前132年 - [[シャンルウルファ|エデッサ]]や[[ハッラーン|カルラエ]]を含む北シリアにオスロエネ王国が成立( - [[244年]])。<br /> * 紀元前130年代 - グレコ・バクトリア王国が[[トハラ]](大夏)人によって滅ぼされる。<br /> * 紀元前130 - 100年頃 - ヘレニズム時代の彫刻「[[ミロのヴィーナス]](ルーブル美術館蔵)」が作られる。<br /> * 紀元前129年頃 - [[パルティア]]が[[ヘカトンピュロス]]から[[クテシフォン]]に都を遷す。<br /> * 紀元前123年 - 共和政ローマで[[ガイウス・グラックス]]が護民官となる。<br /> * 紀元前121年<br /> ** [[元老院最終勧告]]によりガイウス・グラッススが公敵と見做され逃亡した後に自害、支持者3000人余も処刑される。<br /> ** 共和政ローマが[[ガリア・ナルボネンシス]](ガリア・トランスアルピナ)を属州にする。<br /> * 紀元前113年 - [[キンブリ・テウトニ戦争]]( - [[紀元前101年]])。<br /> * 紀元前112年 - [[ユグルタ戦争]]( - [[紀元前105年]])。<br /> * 紀元前107年 - 共和政ローマで[[ガイウス・マリウス]]の軍制改革。<br /> <br /> ----<br /> &lt;!-- ここから下は、紀元前2世紀に起こったことであるが、東アジアと地中海世界以外で年がはっきりしていない事柄である。 --&gt;<br /> * テーラワーダ仏教が[[スリランカ]]に伝わる。<br /> * [[メキシコ]]で[[テオティワカン]]が築かれる。<br /> * [[ポーランド]]中南部から[[ウクライナ]]西部に[[プシェヴォルスク文化]]、ウクライナ北部から[[ベラルーシ]]南部に[[ザルビンツィ文化]]が展開。<br /> <br /> * 紀元前2世紀 - 紀元後1世紀 - 日本では青銅器の使用が広がる<br /> ** [[出雲]]地方の[[荒神谷遺跡]]や[[加茂岩倉遺跡]]で大量の青銅器が出土。<br /> ** [[淡路島]]でも「菱環鈕式」の最古級の[[銅鐸]]が出土している。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === 地中海世界 ===<br /> ==== 共和政ローマ ====<br /> {{main|[[:Category:紀元前2世紀の古代ローマ人]]}}<br /> <br /> ==== カルタゴ・ヌミディア ====<br /> * [[ハンニバル・バルカ]]([[紀元前247年|前247年]] - [[紀元前183年|前183年]]) - カルタゴの[[政治家]]・[[将軍]]・[[第二次ポエニ戦争]]でローマを翻弄する<br /> * [[マシニッサ]]([[紀元前238年|前238年]] - [[紀元前148年|前148年]]) - [[ヌミディア]]の王(在位[[紀元前202年|前202年]] - [[紀元前148年|前148年]])・第二次と[[第三次ポエニ戦争|第三次]]のポエニ戦争でローマに協力<br /> * [[ユグルタ]]([[紀元前160年|前160年]] - [[紀元前104年|前104年]]) - ヌミディア王(在位[[紀元前118年|前118年]] - [[紀元前106年|前106年]])・[[マシニッサ]]の孫・[[ユグルタ戦争]]でローマと戦う<br /> <br /> ==== ギリシアとヘレニズム諸国 ====<br /> * [[ナビス]](? - [[紀元前192年|前192年]]) - [[スパルタ]]最後の王(在位[[紀元前206年|前206年]] - [[紀元前192年|前192年]])・スパルタの再興を目指すが[[アカイア同盟]]とローマに敗北<br /> * [[アンティオコス3世]]([[紀元前241年|前241年]] - [[紀元前187年|前187年]]) - セレウコス朝の王(在位[[紀元前223年|前223年]] - [[紀元前187年|前187年]])・[[ローマ・シリア戦争]]で敗北<br /> * [[エウメネス2世]](? - [[紀元前159年|前159年]]) - [[アッタロス朝]][[ペルガモン]]の王(在位[[紀元前197年|前197年]] - [[紀元前159年|前159年]])・ペルガモンの大図書館を充実させる<br /> * [[アンティオコス4世エピファネス|アンティオコス4世]]([[紀元前215年|前215年]]? - [[紀元前163年|前163年]]) - セレウコス朝の王(在位[[紀元前175年|前175年]] - [[紀元前163年|前163年]])・[[マカバイ戦争]]を誘発<br /> * [[ユダ・マカバイ]](?- [[紀元前160年|前160年]]) - セレウコス朝支配下にあったユダヤでマカバイ戦争を指揮し[[ハスモン朝]]の基礎を築く<br /> * [[カルネアデス]]([[紀元前214年|前214年]] - [[紀元前129年|前129年]]) - ギリシアの哲学者・[[アカデメイア]]学頭・「[[カルネアデスの板]]」という問題で知られる<br /> * [[ペルセウス (マケドニア王)|ペルセウス]]([[紀元前212年|前212年]]頃 - [[紀元前166年|前166年]]) - [[アンティゴノス朝]][[マケドニア]]最後の王(在位[[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前168年|前168年]])・[[ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]で敗北<br /> * [[ポリュビオス]]([[紀元前204年|前204年]]? - [[紀元前125年|前125年]]?) - ギリシアの歴史家で『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者・[[ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]で捕虜となりローマに送られる<br /> * [[ヒッパルコス]]([[紀元前190年|前190年]]頃 - [[紀元前120年|前120年]]頃) - ギリシアの天文学者・46星座を決定し[[視等級]]や[[歳差運動]]などの分野で業績を残す<br /> * [[アレクサンドリアのヘロン]](生没年不詳) - エジプトの工学者・数学者・[[クテシビオス]]の弟子か・「[[ヘロンの公式]]」や「[[ヘロンの噴水]]」で有名<br /> * [[キュジコス]]のエウドクソス(生没年不詳) - ギリシア出身の航海家・エジプト王[[プトレマイオス8世]]の支援により[[紅海]]経由のインド航路を発見<br /> * [[ディオニュシオス・トラクス]]([[紀元前170年|前170年]] - [[紀元前90年|前90年]]) - エジプトの文法学者・ギリシア語の『文法の技法』を執筆し[[品詞]]の概念をまとめる<br /> * [[アッタロス3世]]([[紀元前170年|前170年]]頃 - [[紀元前133年|前133年]]) - アッタロス朝ペルガモンの最後の王(在位[[紀元前138年|前138年]] - [[紀元前133年|前133年]])・ローマにペルガモンを遺贈<br /> * [[エウメネス3世]](? - [[紀元前129年|前129年]]) - アッタロス朝の王族(アリストニコス)・アッタロス3世死後に王を僭称・太陽国家(ヘリオポリス)の建設を訴えるがローマに鎮圧される<br /> * [[ミトラダテス2世]]([[紀元前123年|前123年]] - [[紀元前88年|前88年]]/[[紀元前87年|87年]]) - [[アルサケス朝]][[パルティア]]の王・[[クテシフォン]]に遷都し「諸王の王」と呼ばれる<br /> <br /> === 中央アジア・インド ===<br /> * [[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]](在位[[紀元前200年|前200年]]頃 - [[紀元前180年|前180年]]頃) - ギリシア系[[バクトリア王国]]の国王・[[ガンダーラ]]を制圧し最盛期をもたらす<br /> * [[プシャミトラ]](在位[[紀元前180年|前180年]]頃 - [[紀元前144年|前144年]]頃) - インドの国王・[[マウリヤ朝]]を滅ぼし[[シュンガ朝]]を立てる<br /> * [[パタンジャリ]](生没年不詳) - インド(シュンガ朝時代)の文法学者・[[ヨーガ学派]]の重要文献である『[[ヨーガ・スートラ]]』の編纂者<br /> * [[メナンドロス1世]](在位[[紀元前155年|前155年]]頃 - [[紀元前130年|前130年]]頃) - 西北インドのギリシア系王国の国王・仏典の『[[ミリンダ王の問い]]』でも有名<br /> * [[ナーガセーナ]](生没年不詳) - インドの仏教僧(比丘)・『ミリンダ王の問い』では王と問答し仏教に帰依させたと伝えられる<br /> <br /> === 中国と周辺諸国 ===<br /> * [[叔孫通]](生没年不詳) - 前漢の儒者・博士・太常・廃絶された儀礼を組織し[[劉邦|高祖劉邦]]のもとで儒教の振興に尽くす<br /> * [[衛満]](生没年不詳) - [[衛氏朝鮮]]の建国者・燕王[[盧綰]]が呂后政権を恐れ匈奴に出奔した後に朝鮮北部で自立する<br /> * [[利蒼]](? - [[紀元前186年|前186年]]) - 前漢の政治家・[[呉氏長沙国]]の相をつとめ初代軑侯となる・発掘された[[馬王堆漢墓]]にその妻子と葬られていた<br /> * [[呂雉]](? - [[紀元前180年|前180年]]) - 前漢の高祖劉邦の皇后・恵帝の母・劉邦の死後に政権を恣にし呂氏一族を登用する<br /> * [[冒頓単于]](? - [[紀元前174年|前174年]]) - 匈奴の[[単于]](在位[[紀元前209年|前209年]] - [[紀元前174年|前174年]])・[[月氏]]や[[東胡]]を討ち国家統一・[[秦]]から前漢の中国を圧倒する<br /> * [[趙佗]](? - [[紀元前137年|前137年]]) - 南越の初代王(武帝)(在位[[紀元前203年|前203年]] - [[紀元前137年|前137年]])・[[楚漢戦争]]で独立・60余年在位で100余歳で逝去?<br /> * [[陳平]](? - [[紀元前178年|前178年]]) - 前漢の政治家・丞相・呂雉没後に[[周勃]]らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した<br /> * [[周勃]](? - [[紀元前169年|前169年]]) - 前漢の武将・丞相・呂雉没後に[[陳平]]らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した<br /> * [[劉濞]]([[紀元前215年|前215年]] - [[紀元前154年|前154年]]) - 前漢の皇族・劉邦の甥で呉王となる・景帝時代に楚王[[劉戊]]らと呉楚七国の乱を起こす<br /> * [[文帝 (漢)|文帝]]([[紀元前203年|前203年]] - [[紀元前157年|前157年]]) - 前漢の第5代皇帝(在位[[紀元前180年|前180年]] - [[紀元前157年|前157年]])・呂氏一族が誅滅された後に即位・「[[文景の治]]」を現出<br /> * [[賈誼]]([[紀元前200年|前200年]] - [[紀元前168年|前168年]]) - 前漢の政治家・文人・文帝に仕え国政を改革・「弔屈原文」「鵩鳥賦」の作がある<br /> * [[中行説]](生没年不詳) - 前漢の宦官・文帝の時代に匈奴に嫁した公主に従い[[老上単于]]に仕える・恨みから前漢に仇をなすようになる<br /> * 河上公(生没年不詳) - 前漢の隠者・文帝に『老子』の注釈書である『老子道徳経章句』を開示したと伝わる<br /> * [[公孫弘]]([[紀元前200年|前200年]] - [[紀元前121年|前121年]]) - 前漢の学者・丞相・武帝の治世を補佐する一方で[[主父偃]]や[[董仲舒]]を失脚させる<br /> * [[景帝 (漢)|景帝]]([[紀元前188年|前188年]] - [[紀元前141年|前141年]]) - 前漢の第6代皇帝(在位[[紀元前156年|前156年]] - [[紀元前141年|前141年]])・諸侯への領土削減策から呉楚七国の乱を招く<br /> * [[晁錯|鼂錯]](? - [[紀元前154年|前154年]]) - 前漢の政治家・諸侯の勢力削減策を進め呉楚七国の乱を招く・反乱鎮圧のためと称して殺される<br /> * [[袁盎]](生没年不詳) - 前漢の政治家・文帝から景帝に仕える・呉楚七国の乱に際し政敵であった鼂錯の処刑を進言する<br /> * [[周亜夫]](? - [[紀元前143年|前143年]]) - 前漢の将軍・政治家・周勃の子・呉楚七国の乱を鎮圧したが景帝と不和になり餓死する<br /> * [[劉安]]([[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前122年|前122年]]) - 前漢の皇族・劉邦の孫で淮南王となる・『[[淮南子]]』の著者・武帝に叛意を疑われ自害<br /> * [[主父偃]](生没年不詳) - 前漢の政治家・諸侯の領土を細分化する「推恩の令」を建策・諸侯に憎まれ武帝に誅殺される<br /> * [[司馬相如]]([[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前117年|前117年]]) - 前漢の文章家・武帝に仕え「天子游獵賦」など賦で知られる<br /> * [[董仲舒]]([[紀元前176年|前176年]]? - [[紀元前104年|前104年]]?) - 前漢の[[儒学者]]・五経博士の設置などでいわゆる儒教の官学化に貢献<br /> * [[劉勝]](? - [[紀元前113年|前113年]]) - 前漢の皇族・武帝の庶兄で中山王(靖王)となる・埋葬した墓地から金縷玉衣が出土・[[蜀]]の[[劉備]]の遠祖<br /> * [[武帝 (漢)|武帝]]([[紀元前156年|前156年]] - [[紀元前87年|前87年]]) - 前漢の第7代皇帝(在位[[紀元前141年|前141年]] - [[紀元前87年|前87年]])・匈奴に対する外征を行い[[西域]]に勢力を拡大<br /> * [[張騫]](? - [[紀元前114年|前114年]]) - 前漢の政治家・外交官・武帝の命で匈奴に対する同盟のため大月氏へと赴き西域を踏破する<br /> * [[衛青]](? - [[紀元前106年|前106年]]) - 前漢の武将・大将軍大司馬・甥の霍去病とともに匈奴征討に大きく貢献・姉の[[衛子夫]]は武帝の皇后<br /> * [[東方朔]]([[紀元前154年|前154年]] - [[紀元前92年|前92年]]) - 前漢の政治家・文人・その滑稽と機知で武帝に愛された・死後は伝説化し[[仙人]]とされる <br /> * [[司馬遷]]([[紀元前145年|前145年]] - [[紀元前87年|前87年]]) - 前漢の[[歴史家]]・『[[史記]]』の著者・武帝の前で[[李陵]]を弁護して怒りを買い[[宮刑]]に処せられる<br /> * [[霍去病]]([[紀元前140年|前140年]] - [[紀元前117年|前117年]]) - 前漢の武将・大司馬・叔父の[[衛青]]とともに匈奴征討に大きく貢献・[[霍光]]は異母弟<br /> * [[李広利]](? - [[紀元前88年|前88年]]) - 前漢の[[軍人]]・武帝の命で[[汗血馬]]を求め[[大宛]]を攻略・後年は匈奴に降伏し粛清される<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=†}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 2 | 年代 = 100 | BC = 1 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:きけんせん2せいき}}<br /> [[Category:紀元前2世紀|*]]</div> 111.87.58.8 3世紀 2018-08-04T14:04:17Z <p>111.87.58.8: /* 200年代 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2017年10月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:Relief of Shapur I capturing Valerian.jpg|right|thumb|280px|[[エデッサの戦い]]。新興勢力の[[サーサーン朝]]ペルシアがローマ帝国に勝利した。画像は[[ナクシェ・ロスタム|ナクシュ・イ・ルスタム]]の磨崖像で、平伏するローマ皇帝[[ウァレリアヌス]]と騎乗のサーサーン朝皇帝[[シャープール1世]]が浮き彫りにされている。]]<br /> [[File:Grande Ludovisi Altemps Inv8574.jpg|thumb|right|280px|[[軍人皇帝時代]]。ローマ帝国全体の政情が不安定となり、半世紀に20人余の皇帝が乱立される混乱期を迎え外敵の侵攻も勢いを増した。画像は「{{仮リンク|グランデ・ルドヴィシの石棺|en|Ludovisi Battle sarcophagus}}([[ローマ国立博物館]]アルテンプス宮蔵)」でローマ人とゲルマン人の闘いが彫刻されている。被葬者は軍人皇帝デキウスの息子とされている。]]<br /> <br /> <br /> &#039;&#039;&#039;3世紀&#039;&#039;&#039;(さんせいき)は、[[西暦]][[201年]]から西暦[[300年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == できごと ==<br /> [[ファイル:Sanguo_map.jpg|right|thumb|270px|[[三国時代 (中国)|三国時代]]。[[後漢]]の滅亡とともに各地で群雄が相争う時代に突入した。今日でも人気の高い小説『[[三国志演義]]』の舞台として有名である。]]<br /> [[File:Three Brothers.jpg|thumb|right|200px|蜀の[[劉備]]とその義兄弟。漢王室の末裔とされる劉備とその同志たちは三国時代の群雄のうちでも知名度が高い。画像は一堂に会した劉備・[[関羽]]・[[張飛]]を描いた18世紀の画家桜井雪館の絵画。]]<br /> [[ファイル:The Seven Sages of the Bamboo Grove.jpg|270px|right|thumb|[[竹林の七賢]]。魏から晋にかけての政治的な混乱から遠ざかり[[清談]]をした人々で後世の中国の知識人のモデルともなった。画像は室町時代の日本の絵画。]]<br /> [[ファイル:JinJar.JPG|thumb|right|180px|古越州[[青磁]]の展開。三国時代から西晋にかけて複雑な意匠を伴う明器としての青磁が[[江南]]各地([[浙江省]]・[[江蘇省]])で製造された。画像は[[上海博物館]]所蔵の青磁神亭壺(穀倉罐)で壺の上部にある楼閣や人物像に特色がある。]]<br /> [[ファイル:Hashihaka kohun aerial.jpg|250px|right|thumb|[[箸墓古墳]]。日本最古級の古墳で[[倭迹迹日百襲姫命]]の墓との伝承がある。また[[邪馬台国]]畿内説では[[卑弥呼]]の墓に比定する考えもある。]]<br /> [[ファイル:Miran fresco1.jpg|thumb|right|250px|[[ミーラン遺跡]]。[[タクラマカン砂漠]]の南方に位置し、西域南道の[[オアシス都市]]として各地の文化が混交した。画像はミーランの仏教寺院遺跡にあった「有翼天使」の壁画でローマ的な顔立ちが特徴的である。]]<br /> [[ファイル:Grande collonade street06(js).jpg|250px|right|thumb|[[パルミラ]]遺跡の列柱道路。パルミラ女王ゼノビアはローマの混乱に乗じて自立したが、アウレリアヌス帝によって滅ぼされた。]]<br /> [[ファイル:Moses and burning bush.jpeg|200px|right|thumb|[[ドゥラ・エウロポス]]遺跡。ローマ帝国東端の要塞都市で257年にサーサーン朝に占領され廃墟となった。画像はこの地にあった[[ユダヤ教]]の[[シナゴーグ]]の壁画「[[モーセ]]と燃える柴」。]]<br /> [[ファイル:Dionysosmosaik.JPG|200px|right|thumb|[[ケルン|コロニア・アグリッピネンシス]](ケルン)。ローマ帝国内での属州各地の地位の上昇とともにガリアでも独立政権が生まれ([[ガリア帝国]])、この地がその首都となった。画像は220-230年代に作られた「[[ディオニソス]]の[[モザイク]]」で、{{仮リンク|ケルンのローマ・ゲルマン博物館|en|Romano-Germanic Museum}}に所蔵されている。]]<br /> [[ファイル:Venice – The Tetrarchs 03.jpg|200px|right|thumb|[[ヴェネツィア]]にある[[テトラルキア]](四分割統治)の像。[[ディオクレティアヌス]]によりローマ帝国は正帝2人と副帝2人の計4人で統治されることになった。]]<br /> <br /> * 日本では[[弥生時代]]末期から[[古墳時代]]初期にあたる。<br /> ----<br /> === 200年代 ===<br /> {{main|200年代}}<br /> * 203年<br /> ** [[セプティミウス・セウェルス]]帝が[[ガラマンテス族]]を破り[[属州アフリカ]]の「リメス・トリポリタヌス」を拡大する。<br /> ** [[フォロ・ロマーノ]]の[[セプティミウス・セウェルスの凱旋門]]が建設される。<br /> * 204年 <br /> **[[遼東]]の[[公孫康]]が[[楽浪郡]]の南に[[帯方郡]]を設置。<br /> **[[曹操]]が[[鄴]]を占領し、この地を根拠地とする。<br /> * 208年 - 曹操が後漢の丞相となる。[[赤壁の戦い]]で、[[劉備]]・[[孫権]]連合軍が曹操を破り、中国は三分の形勢となる。<br /> <br /> === 210年代 ===<br /> {{main|210年代}}<br /> * 211年 - [[カラカラ]]帝が共同皇帝であった弟の[[プブリウス・セプティミウス・ゲタ|ゲタ]]を粛清する。<br /> * 212年 - カラカラ帝が[[ローマ帝国]]の全自由民にローマ市民権を与える([[アントニヌス勅令]])。<br /> * 215年 - カラカラ帝による[[アレクサンドリア]]市民虐殺。<br /> * 216年 - ローマ市内の[[カラカラ浴場]]が完成する。<br /> * 217年 - [[パルティア]]遠征中のカラカラ帝が暗殺され、[[マクリヌス]]がローマ皇帝になる。<br /> * 218年 - アンティオキアの戦いでマクリヌス帝が敗北。<br /> ** [[セウェルス朝|セウェルス家]]の巻き返しで[[エメサ]]の神官[[ヘリオガバルス]]がローマ皇帝になる。<br /> ** ヘリオガバルスはシリア・エメサの太陽神をローマの[[エラガバリウム]]神殿の主神として招来し黒石バエティルスを配置。<br /> <br /> === 220年代 ===<br /> {{main|220年代}}<br /> * 220年 - [[後漢]]の[[献帝 (漢)|献帝]]の[[禅譲]]を受け[[曹丕]]が皇帝となり[[魏 (三国)|魏]]を建てる(- 265年)。[[九品官人法]]が導入される。<br /> * 220年頃<br /> ** [[ゴート族]]が東西に分裂。<br /> ** 南インドの[[サータヴァーハナ朝]]が滅亡。<br /> * 221年 - 劉備が[[蜀]](蜀漢)を建てる(- 263年)。<br /> * 222年<br /> ** 孫権が[[夷陵の戦い]]で蜀に勝利し、自立して[[呉 (三国)|呉]]を建てる(- 280年)。[[三国時代 (中国)|三国時代]]が始まる。<br /> ** ローマ皇帝ヘリオガバルスが暗殺され、従兄弟の[[アレクサンデル・セウェルス]]が皇帝となる。<br /> * 224年 - {{仮リンク|ホルミズダガンの戦い|en|Battle of Hormizdegan|label=ホルミズド平原の戦い}}でペルシアの[[アルダシール1世]]がパルティアの[[アルタバノス4世|アルタバノス]]に勝利。<br /> * 226年 - ペルシアのアルデシール1世が「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」の称号を名乗る([[サーサーン朝]]ペルシアの成立)。<br /> * 228年 - アレクサンデル帝の近衛長官で法学者でもあった[[ドミティウス・ウルピアヌス]]が近衛軍団の反乱で暗殺される。<br /> <br /> === 230年代 ===<br /> {{main|230年代}}<br /> * 230年 - [[ゾロアスター教]]がサーサーン朝の国教となる。<br /> * 234年 - [[五丈原の戦い]]で蜀の諸葛亮と魏の司馬懿が交戦。途上で諸葛亮が陣没し司馬懿は軍を退却させる。<br /> * 235年 - アレクサンデル・セウェルスが[[マインツ]]で暗殺され[[セウェルス朝]]が断絶。<br /> ** [[マクシミヌス・トラクス]]がローマ皇帝となり、[[軍人皇帝時代]]始まる( - [[284年]])。<br /> ** またこの時代をローマ帝国内外の社会的・経済的変動を含めて「[[3世紀の危機]]」とも呼ぶ。<br /> * 238年<br /> ** [[遼隧の戦い]]で遼東の[[公孫淵]]が[[司馬懿]]に滅ぼされる。<br /> ** [[ローマ内戦 (238年)|内戦]]からローマで六皇帝が乱立(六皇帝の年)。<br /> *** この内戦を鎮圧した[[ゴルディアヌス3世]]帝が即位し政局は一時的な安定を取り戻す。<br /> * 239年 - [[倭]]の女王[[卑弥呼]]が帯方郡に使者を送り、魏の[[曹叡|明帝]]への奉献を願う。帯方郡の太守である[[劉夏]]は使者を魏の[[洛陽]]へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「[[親魏倭王]]」とし、金印紫綬・[[銅鏡]]100枚を授ける(魏の景初三年『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書・東夷伝)。<br /> <br /> === 240年代 ===<br /> {{main|240年代}}<br /> * 243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。<br /> * 244年<br /> ** {{仮リンク|ミシケの戦い|en|Battle of Misiche}}で、サーサーン朝の[[シャープール1世]]がローマ皇帝[[ゴルディアヌス3世]]を敗死させる。<br /> ** 魏の[[カン丘倹|毌丘倹]]が高句麗に遠征し丸都城を蹂躙する。<br /> * 245年 - 魏の[[曹芳|少帝]]、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。<br /> * 247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。<br /> * 248年 - ローマ皇帝[[ピリップス・アラブス]]によるローマ建国一千年祭が行われる。<br /> * 248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または[[台与]])が女王となる。<br /> * 249年 - 魏の[[司馬懿]]がクーデターを起こし、[[曹爽]]らを誅殺([[高平陵の変]]または正始の政変)。<br /> <br /> === 250年代 ===<br /> {{main|250年代}}<br /> * 250年 - ローマ皇帝[[デキウス]]のキリスト教徒迫害。<br /> * 250年頃 - サーサーン朝のシャープール1世が[[インド]]の[[クシャーナ朝]]を破る。<br /> * 251年 - [[アブリットゥスの戦い]]で、ローマ皇帝[[デキウス]]がゴート軍に殺害される。<br /> * 255年 - 毌丘倹の乱。<br /> * 257年 - サーサーン朝がユーフラテス川南岸のローマ帝国の要塞都市[[ドゥラ・エウロポス]]を征服。<br /> <br /> === 260年代 ===<br /> {{main|260年代}}<br /> * 260年<br /> ** シャープール1世が[[エデッサの戦い]]でローマ帝国の[[ウァレリアヌス]]帝を虜囚とする。<br /> ** [[ポストゥムス]]が[[ガリア]]で皇帝を名乗って独立([[ガリア帝国]])。<br /> ** 魏の皇帝[[曹髦]]がクーデタに失敗して殺害され、[[司馬昭]]が擁立した[[曹奐]]が皇帝(元帝)となる。<br /> * 261年<br /> ** ウァレリアヌス帝の共同皇帝だった息子の[[ガッリエヌス]]が単独皇帝となり、キリスト教寛容令を発布。<br /> ** [[鮮卑]]索頭部の[[拓跋力微]]が魏に入貢する。<br /> * 262年 - アナトリア半島西南部の大地震で、エフェソスが大破する。<br /> * 263年 - 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。<br /> * 264年 - 魏の司馬昭が晋王となる。<br /> * 265年 - 魏の元帝の禅譲を受け、[[司馬炎]]が[[西晋]]の初代皇帝(武帝)となる( - [[316年]])。<br /> * 266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する(『[[日本書紀]]』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。<br /> * 267年 - [[パルミラ王国]]の実権を[[ゼノビア]]が掌握する。<br /> * 268年 - 晋が泰始律令を公布する。これは体系的な統一法典としての最初の[[律令]]。<br /> * 268年/269年 - [[ナイススの戦い]]で[[クラウディウス・ゴティクス]]帝がゴート人に勝利しバルカン半島を制圧。<br /> * 269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクス帝の迫害を受けて刑死。<br /> <br /> === 270年代 ===<br /> {{main|270年代}}<br /> * 271年<br /> ** サーサーン朝のシャープール1世が[[ジュンディーシャープール]]に医学教育のための学院を設置。<br /> ** [[ローマ皇帝]][[ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス]]が「[[アウレリアヌスの城壁]]」を建設( - [[275年]])。<br /> * 273年頃 - [[マニ教|マニ]]が刑死。<br /> * 274年 - アウレリアヌス帝が[[凱旋式]]で元老院から「帝国の再建者」の称号を授与される。<br /> ** この年までにアウレリアヌス帝はパルミラ王国(273年)、[[ガリア帝国]](274年)を平定しローマ帝国の再統一を達成。<br /> ** 同年アウレリアヌス帝はローマに「不敗太陽神([[ソル・インウィクトゥス]])」の神殿を建立する。<br /> * 275年 - サーサーン朝遠征途上のアウレリアヌス帝が暗殺される。<br /> <br /> === 280年代 ===<br /> {{main|280年代}}<br /> * 280年 - 晋が呉を滅ぼし中国を統一する。晋の武帝が「戸調之式」を発布し[[占田・課田制]]を開始する。<br /> * 284年<br /> ** [[ディオクレティアヌス]]がローマ皇帝に即位( - 305年)。[[専制君主制]](ドミナートゥス)を導入する。<br /> ** ローマ帝国の属州[[ガリア]]でバガウダエの反乱が起こる。<br /> <br /> === 290年代 ===<br /> {{main|290年代}}<br /> * 291年 - 晋で[[八王の乱]]が起こる(- [[306年]])。<br /> * 292年 - グアテマラの[[ティカル]]の記念碑29号に暦日が記録される。この時期よりマヤ[[古典期]]が始まる。<br /> * 293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国の[[テトラルキア]](四分割統治)を始める。<br /> * 297年 - ディオクレティアヌスにより[[インディクティオ]](15周年暦)が導入される。<br /> <br /> === 300年代 ===<br /> {{main|300年代}}<br /> * 300年頃 - ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより「カピタティオ(土地税)」「ユガティオ(人頭税)」の再編がなされる。<br /> * この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓(首長墓)が現れる。<br /> <br /> === 出土品の記録 ===<br /> <br /> &lt;!-- 以下は別記事に文章を移動させた方がよいと思う。 --&gt;<br /> * 238年 - 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する([[山梨県]]西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。<br /> * 239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、[[大阪府]]和泉市の[[和泉黄金塚古墳]]と[[島根県]]大原郡の神原古墳から出土している。<br /> * 240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する([[群馬県]]高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。<br /> * 244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、[[兵庫県]]宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。<br /> ----<br /> * イラン西北部サンジャーン地方のチェル・アーバード塩山で発見された「{{仮リンク|ソルトマン|en|Saltmen}}(イラン国立考古学博物館蔵)」は3世紀頃に死亡した人間の遺体である。<br /> <br /> == 文化 ==<br /> * [[建安の七子]] - [[孔融]]・[[陳琳]]・[[徐幹]]・[[王粲]]・[[応トウ|応瑒]]・[[劉楨]]・[[阮瑀]]<br /> * [[竹林の七賢]] - [[阮籍]]・[[ケイ康|嵆康]]・[[山濤]]・[[劉伶]]・[[阮咸]]・[[向秀]]・[[王戎]]<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === 地中海世界 ===<br /> * [[セプティミウス・セウェルス]]([[146年]] - [[211年]]) - ローマ皇帝(在位[[193年]] - [[211年]])・[[セウェルス朝]]の創始者<br /> * [[カラカラ]]([[188年]] - [[217年]]) - ローマ皇帝(在位[[209年]] - [[217年]])・[[アントニヌス勅令]]を発布・[[カラカラ浴場]]を建設<br /> * [[ヘリオガバルス]]([[203年]] - [[222年]]) - ローマ皇帝(在位[[218年]] - [[222年]])・[[シリア]]の[[太陽神]]信仰をローマに導入・虐殺される<br /> * [[アレクサンデル・セウェルス]]([[208年]] - [[235年]]) - ローマ皇帝(在位[[222年]] - [[235年]])・セウェルス朝の最後・以後は軍人皇帝時代に<br /> * [[マクシミヌス・トラクス]]([[173年]]頃 - [[238年]]) - ローマ皇帝(最初の[[軍人皇帝]])(在位[[235年]] - [[238年]])・[[ローマ内戦 (238年)|238年のローマ内戦]]を招来<br /> * [[ピリップス・アラブス]]([[204年]]頃 - [[249年]]) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[244年]] - [[249年]])・ローマ建国一千年祭を挙行<br /> * [[デキウス]]([[201年]] - [[251年]]) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[249年]] - [[251年]])・キリスト教を迫害・[[アブリットゥスの戦い]]で戦死 <br /> * [[ウァレリアヌス]]([[200年]]頃 - [[260年]]以降) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[253年]] - [[259年]])・[[エデッサの戦い]]で捕虜となる<br /> * [[ガッリエヌス]]([[218年]]頃 - [[268年]]) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[253年]] - [[268年]])・ガッリエヌス勅令で騎士身分を登用<br /> * [[クラウディウス・ゴティクス]](213年/214年 - 270年) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[268年]] - [[270年]])・[[ゴート族|ゴート人]]を制圧<br /> * [[ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス]]([[214年]] - [[275年]]) - ローマ皇帝(軍人皇帝)(在位[[270年]] - [[275年]])・ガリア帝国とパルミラ王国を滅ぼしローマを統一<br /> * [[ポストゥムス]](? - [[268年]]) - ガリア帝国の初代皇帝(在位[[260年]] - [[268年]])・皇帝を僭称しローマ帝国からの独立を図る<br /> * [[ゼノビア]]([[240年]]頃 - [[275年]]以降) - シリアのパルミラ王国の女王・ローマ帝国の東部属州に勢力拡大するが鎮圧される<br /> * [[ディオクレティアヌス]]([[244年]] - [[311年]]) - ローマ皇帝(在位[[284年]] - [[305年]])・[[ドミナートゥス]]とテトラルキアを導入し帝国を再建する<br /> * [[アフロディシアスのアレクサンドロス]]([[200年]]頃活動) - アテナイで活躍した[[逍遥学派]]の哲学者・アリストテレス註解者・『運命について』他がある<br /> * [[アレクサンドリアのクレメンス]]([[150年]]? - [[215年]]?) - キリスト教神学者・[[アレクサンドリア]]学派の[[ギリシア教父]]・[[オリゲネス]]の師<br /> * [[ディオ・カッシウス]]([[155年]]/[[163年]]/[[164年]] - [[229年]]以降) - ローマ帝国の[[政治家]]・元老院議員・歴史家・『ローマ史』を執筆<br /> * [[テルトゥリアヌス]]([[160年]]? - [[220年]]?) - キリスト教神学者・最初期の[[ラテン教父]]の一人・著作に『護教論』がある<br /> * [[ヘロディアヌス]]([[170年]] - [[240年]]) - ローマ帝国の官僚・歴史家としてセウェルス朝の記録である『ローマ人の歴史』を残す<br /> * [[ドミティウス・ウルピアヌス]]([[170年]]頃? - [[228年]]) - ローマ帝国の法学者・[[プラエフェクトゥス・プラエトリオ|近衛長官]]・[[アレクサンデル・セウェルス]]帝の側近だが暗殺される<br /> * [[ヒッポリュトス (対立教皇)|ヒッポリュトス]]([[170年]]頃? - [[235年]]) - [[対立教皇]](在位[[217年]] - [[235年]])・神学者・教皇[[カリストゥス1世 (ローマ教皇)|カリストゥス1世]]と対立・殉教し聖人とされる<br /> * [[アンモニオス・サッカス]]([[174年]]頃 - [[242年]]頃) - 哲学者・「テオディダクトス」・エジプトで活躍し弟子にオリゲネスやプロティノスがいる<br /> * [[アイリアノス]]([[175年]]頃 - [[235年]]頃) - 著述家・ギリシア語で書かれた逸話集『動物の特性について』や『ギリシア奇談集』が有名<br /> * [[オリゲネス]]([[182年]]? - [[251年]]) - キリスト教神学者・アレクサンドリア学派の代表・『[[ヘクサプラ]]』の著者・没後の公会議で異端とされる<br /> * [[アレクサンドリアのディオファントス]](生没年不詳) - 数学者・[[ディオファントス方程式]]を含む『[[算術 (書物)|算術]]』を残し「代数学の父」と呼ばれる<br /> * [[ディオゲネス・ラエルティオス]](生没年不詳) - 哲学史家・『ギリシャ哲学者列伝』は古代ギリシア・ローマ哲学についての貴重な資料<br /> * [[エメサのヘリオドロス]](生没年不詳) - シリア出身のギリシア語著作家・恋愛小説『エチオピア物語』を執筆する<br /> * [[キプリアヌス]] (3世紀初頭 - [[258年]]) - キリスト教神学者・[[カルタゴ]]司教・[[ウァレリアヌス]]帝時代に殉教・主著に『カトリック教会統一論』がある <br /> * [[ウァレンティヌス]](? - [[269年]]) - ローマの司祭か?[[クラウディウス・ゴティクス]]帝時代に殉教・「[[バレンタインデー]]」の起源となる<br /> * [[プロティノス]]([[205年]]? - [[270年]]) - ネオプラトニズム([[新プラトン主義]])の創始者とされる哲学者・主著は『エンネアデス』<br /> * [[テュロスのポルピュリオス]]([[234年]] - [[305年]]) - ネオプラトニズムの哲学者・プロティノスの弟子・主著は『[[エイサゴーゲー]]』<br /> * パノポリスのゾシモス(3世紀 - 4世紀) - エジプトの [[錬金術|錬金術師]]・『真正なる覚え書き』などの著作の作者に帰せられている<br /> <br /> === ペルシア ===<br /> * [[アルダシール1世]](? - [[241年]]?) - サーサーン朝ペルシア帝国の初代皇帝(在位[[226年]] - [[240年]])・[[パルティア]]を滅ぼす<br /> * [[シャープール1世]](? - [[272年]]?) - サーサーン朝ペルシア帝国の皇帝(在位[[241年]] - [[272年]])・[[エデッサの戦い]]でローマ軍を破る<br /> * [[マニ (預言者)|マニ]]([[210年]] - [[276年]]) - サーサーン朝時代の宗教家・[[シャープール1世]]に重用されるが後に殉教死・著作『シャーブフラガーン』がある<br /> * [[カルティール]](3世紀) - サーサーン朝の[[ゾロアスター教]]大神官長・歴代皇帝に仕え異教や異端を迫害・マニを刑死させる<br /> <br /> === インド ===<br /> * [[龍樹|ナーガールジュナ]](龍樹)([[150年]]頃 - [[250年]]頃) - インドの[[大乗仏教]]の僧侶・[[中観派]]の祖で『[[中論]]』を執筆<br /> * ヴィシュヌ・シャルマー(3世紀前半) - インドの文人・[[サンスクリット語]]による児童向け説話集『[[パンチャタントラ]]』を編纂する<br /> * ヴァースデーヴァ1世(3世紀前半) - クシャーナ朝の王・中国の魏に使節を送り「親魏大月氏王」の称号を得る<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 後漢 ====<br /> * [[孔融]]([[153年]] - [[208年]]) - 後漢末の文人・[[孔子]]の子孫・「[[建安の七子]]」の一人<br /> * [[曹操]]([[155年]] - [[220年]]) - 後漢末の豪族・三国時代の魏の基礎を固める・赤壁の戦いでは敗北する<br /> * [[荀イク|荀彧]]([[163年]] - [[212年]]) - 後漢末の政治家・「王佐の才」を評価され曹操に献策を行うが後に対立する<br /> * [[蔡エン|蔡琰]]([[177年]]? - [[249年]]?) - 後漢末から魏の女流詩人・父は[[蔡邕]]・数奇な運命を辿り「胡笳十八拍」「悲憤詩」を残す<br /> * [[献帝 (漢)|献帝]]([[181年]] - [[234年]]) - 後漢最後の皇帝(在位[[189年]] - [[223年]])・魏の曹丕に[[禅譲]]する<br /> <br /> ==== 魏 ====<br /> * [[曹丕]]([[187年]] - [[226年]]) - 三国時代の魏の初代皇帝(文帝)(在位[[220年]] - [[226年]])・文芸評論『[[典論]]』の著者<br /> * [[鍾ヨウ|鍾繇]]([[151年]] - [[230年]]) - 後漢末から魏の政治家(太傅)・政権の重鎮となる・書家として[[鍾繇体]]を用い「[[急就章]]」などを残す<br /> * [[陳羣]](? - [[236年]]) - 三国時代の魏の政治家・[[郷挙里選]]に替わる官吏登用法として[[九品官人法|九品中正法]]を建議<br /> * [[曹爽]](? - [[249年]]) - 三国時代の魏の曹一族の一人・[[大将軍]]・政敵であった司馬懿の正始の政変で殺害される<br /> * [[何晏]](? - [[249年]]) - 後漢末から三国時代の魏の政治家・学者・[[王弼 (三国)|王弼]]とともに[[清談]]の先駆者([[正始の音]])<br /> * [[公孫淵]](? - [[238年]]) - 三国時代の遼東太守・遼東の地で自立し燕王と称したが魏の司馬懿によって追討され滅ぶ<br /> * [[司馬懿]]([[179年]] - [[251年]]) - 後漢末から三国時代の魏の武将・政治家・司馬一族を統率し西晋の礎を築く<br /> * [[曹植]]([[192年]] - [[232年]]) - 後漢末から三国時代の魏の文人・曹操の子で曹丕の弟・文才に恵まれ「洛神賦」などが有名<br /> * [[山濤]]([[205年]] - [[283年]]) - 三国時代の魏から西晋の官僚・[[竹林の七賢]]の一人<br /> * [[司馬師]]([[208年]] - [[255年]]) - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬懿の長子で司馬昭らの兄・正始の政変で曹芳を退位させる<br /> * [[阮籍]]([[210年]] - [[263年]]) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人<br /> * [[司馬昭]]([[211年]] - [[265年]]) - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬師の弟・皇帝曹髦を殺害し元帝を擁立・西晋の武帝の父<br /> * [[嵆康]]([[224年]] - [[262年]]/[[263年]]) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人<br /> * [[鍾会]]([[225年]] - [[264年]]) - 三国時代の魏の武将・政治家・[[蜀漢の滅亡|蜀を滅ぼした]]功労者・後に反乱を起こし戦死する<br /> * [[王弼 (三国)|王弼]]([[226年]] - [[249年]]) - 三国時代の魏の学者・政治家・[[何晏]]とともに[[清談]]の先駆者(正始の音)<br /> * [[王戎]]([[234年]] - [[305年]]) - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人<br /> <br /> ==== 蜀 ====<br /> * [[劉備]]([[161年]] - [[223年]]) - 三国時代の蜀の初代皇帝(昭烈帝)(在位[[221年]] - [[223年]])<br /> * [[関羽]](? - [[219年]]) - 後漢末の劉備に仕えた武将・死後「関帝」と称され神とされる<br /> * [[張飛]](? - [[221年]]) - 後漢末から三国時代の武将・劉備と蜀に仕え[[長坂の戦い]]などで活躍<br /> * [[諸葛亮]]([[181年]] - [[234年]]) - 三国時代の蜀の政治家・劉備に仕え[[軍師]]として「天下三分の計」を起こす<br /> * [[姜維]]([[202年]] - [[264年]]) - 三国時代の蜀の武将・諸葛亮亡き後の蜀を支え北伐を繰り返す・しかし蜀の滅亡は防げず<br /> * [[陳寿]]([[233年]] - [[297年]]) - 三国時代の蜀から西晋の官僚・『三国志』の著者<br /> <br /> ==== 呉 ====<br /> * [[孫権]]([[182年]] - [[252年]]) - 三国時代の呉の初代皇帝(大帝)(在位[[229年]] - [[252年]])<br /> * [[周瑜]]([[175年]] - [[210年]]) - 後漢末の武将・孫権に仕える・劉備と結び赤壁の戦いで曹操軍に勝利する<br /> * [[陸機]]([[261年]] - [[303年]]) - 三国時代の呉から西晋の政治家・武将・文学者として「文賦」がある<br /> <br /> ==== 西晋 ====<br /> * [[賈充]]([[217年]] - [[282年]]) - 魏から西晋の政治家・武将・曹髦の政変を鎮圧し西晋の建国の功臣となる・賈南風は娘<br /> * [[杜預]]([[222年]] - [[284年]]) - 魏から西晋の政治家・武将・呉を亡ぼし三国統一した時の功労者・「破竹の勢い」の故事でも有名<br /> * [[張華]]([[232年]] - [[300年]]) - 西晋の政治家・武帝から恵帝に仕え西晋を支えるが八王の乱に巻き込まれる・主著に『[[博物誌]]』がある<br /> * [[司馬炎]]([[236年]] - [[297年]]) - 西晋の初代皇帝(武帝)(在位[[265年]] - [[290年]])・司馬懿は祖父で司馬昭は父<br /> * [[左思]]([[252年]] - [[307年]]頃) - 西晋の文学者・代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」と高い評価を受けた<br /> * [[恵帝 (西晋)|恵帝]]([[259年]] - [[306年]]) - 西晋の第2代皇帝(在位[[290年]] - [[306年]])・[[賈南風|賈后]]らの容喙により八王の乱が起きる<br /> * [[賈南風]]([[257年]] - [[300年]]) - 西晋の恵帝の皇后(賈后)・汝南王[[司馬亮]]らと[[楊駿]]を殺害し八王の乱の始まりをなす<br /> * 江統(? - [[310年]]) - 西晋の官人(太子洗馬)・斉万年の反乱の後に『徒戎論』で異民族をその故郷に帰す政策を奏上する<br /> <br /> ==== 日本 ====<br /> * [[卑弥呼]]([[170年]]頃 - [[248年]]頃) - [[邪馬台国]]の[[女王]](在位[[188年]]頃 - 248年頃)・魏と通交し「親魏倭王」の称を得る<br /> * [[台与|壱与]]([[235年]]頃 - ?) - 邪馬台国の女王。卑弥呼の親族でその跡を継ぐ。西晋に遣使したと推定される。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 3 | 年代 = 200 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:3せいき}}<br /> [[Category:3世紀|*]]</div> 111.87.58.8 9世紀 2018-08-04T13:43:49Z <p>111.87.58.8: /* 840年代 */</p> <hr /> <div>{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=9th_century&amp;oldid=695768288 英語版 &quot;9th century&quot; 12:54, 18 December 2015 (UTC)]|date=2016年1月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:Viking Ship Museum - Oseberg ship - 3.jpg|thumb|250px|[[ヴァイキング]]時代の到来。巧みな航海術を駆使した北欧の海賊はヴァイキングと呼ばれ恐れられた。画像は[[ノルウェー]]のオーセベリ墳丘墓から出土した[[オーセベリ船|船葬用の船体]]([[オスロ]]の[[ヴァイキング船博物館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Wikinger.jpg|thumb|250px|[[イングランド]]を襲撃する[[デーン人]](ヴァイキング)。画像は12世紀に書かれた『聖[[エドマンド殉教王]]伝』の挿絵。]]<br /> [[File:Spillings Silver Hoard 2 closeup.jpg|thumb|right|250px|{{仮リンク|スピリングスの秘宝|en|Spillings Hoard}}。[[ゴットランド島]]はヴァイキングの通商・貿易の拠点であり、それを裏付けるよう1999年にこの島の北端スピリングスでヴァイキング時代の宝物が大量に発見された。大量の銀製品の他にイスラムや[[ハザール]]の貨幣も出土している。]]<br /> [[ファイル:Samara spiralovity minaret rijen1973.jpg|thumb|220px|[[マルウィヤ・ミナレット]](サーマッラーのミナレット)。[[アッバース朝]]第8代カリフの[[ムウタスィム]]が建築した[[サーマッラー]]の大モスク付属の螺旋式のミナレット。]]<br /> [[ファイル:Harun Al-Rashid and the World of the Thousand and One Nights.jpg|thumb|right|180px|[[ハールーン・アッラシード]]。アッバース朝最盛期のカリフで、『[[千夜一夜物語]]』では夜ごとにバグダードの街に繰り出す風流な君主として描かれている。]]<br /> [[ファイル:Maqamat hariri.jpg|thumb|220px|「[[知恵の館]](バイト・アル・ヒクマ)」。アッバース朝カリフ・[[マアムーン]]の治世にバグダードには翻訳事業や学問研究のための「知恵の館」が設置された。画像はここに集まる学者たちを描いた13世紀の細密画([[フランス国立図書館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Manjusri Kumara (bodhisattva of wisdom), India, Pala dynesty, 9th century, stone, Honolulu Academy of Arts.jpg|thumb|200px|インド最後の仏教王朝の[[パーラ朝]]。ダルマパーラ王により9世紀末に北インドの大半が支配下に置かれた。画像は9世紀に造られたパーラ様式の[[文殊菩薩]]石像([[ホノルル美術館]])。]]<br /> [[ファイル:Jingangjing.jpg|thumb|250px|[[敦煌文書]]。敦煌には3万とも4万とも数えられる膨大な古文書が収蔵されている。画像は[[大英博物館]]所蔵の「[[金剛般若波羅蜜経]]」。これは現存する世界最古の木版印刷の巻子本(書籍)で唐の[[懿宗]]の治世の868年に作成されたもの。]]<br /> [[File:Cover and page of Ennin&#039;s Diary - The Record of a Pilgrimage to China in Search of the Law 入唐求法巡禮行記.jpg|thumb|right|200px|『[[入唐求法巡礼行記]]』。日本僧[[円仁]]は[[最澄]]の下で天台教学を修めた後、遣唐留学生として中国に赴き詳細に渡る見聞をこの記録にまとめた。唐の[[武宗 (唐)|武宗]]による[[会昌の廃仏]]に遭遇するなど辛酸を舐めたが、それも含めてこの記録は晩唐の貴重な資料となっている。]]<br /> [[ファイル:Famen temple 25.jpg|thumb|right|250px|[[法門寺]]宝物。唐では武宗による会昌の廃仏以後も仏教は衰えを見せなかった。歴代皇帝の尊崇を集めた法門寺からは1987年に地下宮殿が発見され多くの宝物が出土した。画像は法門寺の金銀器の一つで{{仮リンク|禁止出境展覧文物|zh|禁止出境展览文物}}でもある「八重宝函」。]]<br /> [[File:Pressapochista4.jpg|thumb|right|220px|「海東の盛国」。[[靺鞨]]人と[[高句麗]]遺民により建国された[[渤海 (国)|渤海]]は、国王[[大仁秀]]と続く[[大彝震]]のもとで国力を増進し、唐や日本との良好な関係もあって、この時期「海東の盛国」と呼ばれた。画像は大彝震の年号「[[咸和 (渤海)|咸和]]」が刻まれた「咸和四年銘仏龕([[倉敷市]][[大原美術館]]蔵)」。]]<br /> [[ファイル:Taizokai.jpg|thumb|220px|[[密教]]招来。[[空海]]らによって日本に密教がもたらされ平安時代の仏教に大きな影響を与えた。画像は密教で用いる[[胎蔵界]][[曼荼羅]]で京都[[東寺]]所蔵のもの。]]<br /> [[File:Scène de l&#039;Ise-monogatari par Nonomura Sōtatsu.jpg|thumb|right|220px|『[[伊勢物語]]』の世界。この物語の主人公は政治では不遇でありながら歌才に恵まれた貴公子[[在原業平]]がモデルとされている。画像は伝[[俵屋宗達]]の『伊勢物語図色紙』([[大和文華館]]蔵)六段芥川で業平が二条后高子を連れ出す場面。]]<br /> [[ファイル:Ban dainagon ekotoba.jpg|thumb|450px|[[応天門の変]]。藤原氏による他氏排斥が進んで摂関政治が確立し、律令国家体制から王朝国家体制へと政体が変化した。画像は12世紀に応天門の変の経緯を描いた「[[伴大納言絵詞]]」([[出光美術館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Tiwanaku - Versunkener Hof.jpg|thumb|right|250px|[[ティワナク]]。[[ボリビア]]の[[ラパス県 (ボリビア)|ラパス県]]の4000メートル近くの標高にある遺跡で、最盛期である9世紀には人口は1万人を越えたと想定されている。画像は半地下式方形広場で人面の装飾がなされている。]]<br /> [[File:KarlII monks.jpg|thumb|right|200px|[[カロリング朝|カロリング帝国]]の分裂。[[ヴェルダン条約]]と続く[[メルセン条約]]でカール大帝の遺領は三分割された。画像は両条約で西フランク王となった禿頭王シャルル2世の肖像で、フランス国立図書館所蔵の『{{仮リンク|ヴィヴィアンの聖書|en|First Bible of Charles the Bald}}』の細密画。]]<br /> [[ファイル:Siege of Paris (885–886).jpeg|thumb|250px|「{{仮リンク|パリの戦い|en|Siege of Paris (885–886)}}」。[[ウード (西フランク王)|パリ伯ウード]]はヴァイキングから[[パリ]]を死守し名声を高めた。画像はジャン=ピエール・フランクの歴史画([[ヴェルサイユ宮殿]]{{仮リンク|戦闘の回廊|en|Galerie des Batailles}}蔵)。]]<br /> [[File:Alfred-jewel-ashmolean.jpg|thumb|right|200px|[[アルフレッド大王]]。デーン人を下しイングランドの再建に貢献したことでアングロ・サクソン史上唯一の「大王」の名がつけられた。画像は「AELFRED MEC HEHT GEWYRCAN(アルフレッドの命で作られた)」の銘を持つ「{{仮リンク|アルフレッドの宝飾|en|Alfred Jewel}}([[アシュモリアン博物館]]蔵)」。]]<br /> [[ファイル:Варяги.jpg|thumb|right|250px|[[ルーシ]]国家の成立。画像は[[スタラヤ・ラドガ|ラドガ]]にて東スラブ人と出会う[[ヴァリャーグ]]の[[リューリク]]一行を描いた[[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]の歴史画。]]<br /> [[ファイル:Apse mosaic Hagia Sophia Virgin and Child.jpg|thumb|right|200px|[[イコノクラスム]]の終結。東ローマ帝国では843年の[[コンスタンティノポリス]]での教会会議により聖画像崇敬派の勝利が確定し正教の教義が確認された。画像は870年頃に作られた[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア教会]][[アプス]]半ドームにある聖母子のモザイク画。]]<br /> [[ファイル:Kyrill&amp;Method.jpg|thumb|right|200px|スラブ人への宣教。東ローマ帝国出身のキュリロス・メトディオス兄弟は[[グラゴール文字]]を作成しキリスト教の宣教に努めた。画像は18-19世紀にロシアで描かれたこの兄弟の[[イコン]](聖画像)。]]<br /> [[ファイル:Old Basilica in Pliska 2.JPG|thumb|right|250px|[[プリスカの戦い]]。プリスカは[[第一次ブルガリア帝国]]の都で、ここをめぐり東ローマ帝国と死闘を繰り広げた。811年にはバルビツィア峠でブルガリア皇帝[[クルム]]が東ローマ皇帝[[ニケフォロス2世]]を戦死させ大勝利を収めた。画像は現在の[[プリスカ (ブルガリア)|プリスカ]]遺跡。]]<br /> &#039;&#039;&#039;9世紀&#039;&#039;&#039;(きゅうせいき)は、[[西暦]][[801年]]から西暦[[900年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == できごと ==<br /> === 800年代 ===<br /> {{main|800年代}}<br /> * [[800年]]頃<br /> ** [[チチカカ湖]]周辺の[[ティワナク文化]](ティワナクV期前半)が最盛期を迎える。<br /> ** インドの[[ラージャスターン州]][[ジャイプル]]近郊にある[[チャンド・バオリ]]の階段井戸が建設される。<br /> * 801年<br /> ** [[征夷大将軍]]の[[坂上田村麻呂]]が[[陸奥国|陸奥]]へ向かう。<br /> ** [[畿内]]の[[班田]]を12年に一度とする。<br /> ** [[バルセロナ]]包囲戦でカール大帝がイスラム勢力に勝利し[[バルセロナ伯]]を設置。<br /> * 802年<br /> ** {{仮リンク|ジャヤーヴァルマン2世|en|Jayavarman II}}が[[カンボジア]]を統一し、[[アンコール朝]]が成立。<br /> ** 東ローマ帝国で女帝[[エイレーネー (東ローマ女帝)|エイレーネー]]が政変で廃位され、皇帝[[ニケフォロス1世]]が即位。<br /> ** 坂上田村麻呂が[[胆沢城]]を築く。後に[[鎮守府 (古代)|鎮守府]]を置く。蝦夷の[[アテルイ|大墓公阿弖流為]]ら降伏する。<br /> ** [[スコットランド]]北西[[ヘブリディーズ諸島]]の[[アイオナ]]修道院がヴァイキングに襲撃される(続く806年、825年にも)。<br /> * 803年<br /> ** カール大帝がアッバース朝の[[ハールーン・アッ=ラシード]]に派遣していた使節が[[アーヘン]]宮廷に戻る。<br /> *** ハールーン・アッ=ラシードから贈られた象「[[アブル=アッバース]]」を伴っての帰国となる。<br /> ** ハールーン・アッ=ラシードが[[ジャアファル]]を処刑。バルマク家一族を粛清。<br /> ** 東ローマ皇帝ニケフォロス1世との和約によりヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。<br /> ** 坂上田村麻呂が[[志波城]]を築く。<br /> * 804年<br /> ** 坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。<br /> ** [[最澄]]と[[空海]]が唐にわたる。<br /> * 805年<br /> ** 唐の皇帝[[順宗 (唐)|順宗]]が即位し政治改革を志す([[永貞]]の革新)が、大病で退位し[[憲宗 (唐)|憲宗]]が即位。<br /> ** 最澄が[[天台宗]]を学んで帰国。<br /> ** [[菅野真道]]と[[藤原緒嗣]]との間で「徳政論争」が行われる。<br /> ** カール大帝によりアーヘン宮廷礼拝堂([[アーヘン大聖堂]])が完成し奉献される(796年 - )。<br /> * 806年<br /> ** [[桓武天皇]]が没し、第51代[[平城天皇]]が即位。<br /> ** 空海が[[真言宗]]を学んで帰国。<br /> ** カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。<br /> ** アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのヘラクレアとティアナを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。<br /> * 807年<br /> ** [[伊予親王の変]]。<br /> ** [[生野銀山]]が開坑される。<br /> * 809年<br /> ** ハールーン・アッ=ラシードが死去。<br /> ** 平城天皇が譲位し、第52代[[嵯峨天皇]]が即位(崇文の治)。<br /> <br /> === 810年代 ===<br /> {{main|810年代}}<br /> * 810年 <br /> ** [[薬子の変]]。<br /> ** [[デンマーク]]王[[ゴズフレズ (デンマーク王)|ゴズフレズ]]がフランク王国支配の[[フリースラント]]を襲撃する。<br /> * 811年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世が[[プリスカの戦い]]でブルガリアの[[クルム (ブルガリア皇帝)|クルム]]に敗北し戦死。<br /> * 812年 - 東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を「フランク族の皇帝」として承認。<br /> * 813年<br /> ** [[ガリシア]]の[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]で聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]の墓が発見されたという。<br /> ** アッバース朝6代カリフの[[アミーン]]が異母兄[[マアムーン]]に暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。<br /> * 814年<br /> ** 日本最初の勅撰漢詩集『[[凌雲集]]』が成立。<br /> ** 嵯峨天皇がその子女8人に源姓を賜い臣籍降下させる([[嵯峨源氏]]。賜姓[[源氏]]の始まり)。<br /> ** カール大帝死去、息子の[[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルートヴィヒ1世]]が単独皇帝となる。<br /> * 815年 - 東ローマ皇帝[[レオーン5世]]が再び聖像破壊令を出す(第二次[[イコノクラスム]] - 843年)。<br /> * 816年<br /> ** 空海が[[高野山]][[金剛峯寺]]を開基。<br /> ** [[アゼルバイジャン]]でホッラム教徒バーバクの反乱( - [[837年]])。<br /> * 817年 - 唐の皇帝憲宗の命で淮西節度使の呉元済が討伐される(文恬武嬉)。<br /> * 818年<br /> ** [[菅原清公]]らが『[[文華秀麗集]]』を編纂。<br /> ** 嵯峨天皇が死刑停止の宣旨([[弘仁格]])を公布し死刑執行が停止される( - [[1156年]])。<br /> * 819年 - 皇帝憲宗に献じた[[韓愈]]の『[[論仏骨表]]』が勅勘を被り、韓愈が潮州刺史に左遷される。<br /> <br /> === 820年代 ===<br /> {{main|820年代}}<br /> * 820年 - 東ローマ帝国で[[レオーン5世]]が暗殺され、皇帝[[ミカエル2世]]が即位しアモリア朝が成立。<br /> ** 小アジアではこれに反対する{{仮リンク|スラブ人トマスの反乱|en|Thomas the Slav}}が起きる( - [[824年]])。<br /> * 821年<br /> ** [[ホラサーン]]で[[ターヒル朝]]が自立する。<br /> ** 唐と吐蕃との間で[[長慶会盟]]が結ばれる。<br /> * 822年<br /> ** 現存最古の説話集『[[日本現報善悪霊異記|日本霊異記]]』を[[景戒]]が編集。<br /> ** 最澄が死去、その7日後に[[比叡山]]の大乗戒壇建立が勅許が出る。<br /> ** 空海が[[東寺]](教王護国寺)を賜与される。<br /> ** マヤの[[コパン]]第17代王ウキト・トーク即位の記録がある祭壇Lの年代(この記録を最後にコパン王朝の記録は途絶える)。<br /> * 823年<br /> ** 「[[唐蕃会盟碑]]」が建てられる(チベットの[[トゥルナン寺]](大昭寺)前の碑のみ現存)。<br /> ** 嵯峨天皇が譲位し、第53代[[淳和天皇]]が即位。<br /> * 825年<br /> ** [[イングランド]]で[[ウェセックス]]王国の[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]王が[[マーシア]]を[[エランダン]]で破る。<br /> * 825年頃<br /> ** イニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こし[[ナバラ王国]]を建国。<br /> * 827年<br /> ** [[チュニジア]]の[[アグラブ朝]]が[[シチリア島]]征服に着手。<br /> ** 菅原清公・[[良岑安世]]らが『[[経国集]]』を編纂。<br /> ** 東ローマ皇帝[[ミカエル2世]]からフランク王国のルートヴィヒ1世に『[[偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース|偽ディオニュシオス]]文書』が贈られ[[サンドニ大聖堂]]に納められる。<br /> * 828年 - エジプトの[[アレクサンドリア]]から[[マルコ (福音記者)|聖マルコ]]の遺骸が[[ヴェネツィア]]に運ばれる([[サン・マルコ大聖堂]]の起こり)。<br /> * 828年頃 - 空海が[[綜藝種智院]]を創設。<br /> * 829年 - [[ウェセックス]]王国の[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]がイングランドを統一。<br /> <br /> === 830年代 ===<br /> {{main|830年代}}<br /> * 830年頃 - [[チェック人]](西スラブ族)が[[モラビア王国]]建設。<br /> * 830年<br /> ** [[唐]]で[[牛僧孺]]と[[李徳裕]]が争う([[牛李の党争]])( - 844年)。<br /> ** [[ハッラーン]]にて[[アッバース朝]]カリフの[[マアムーン]]が[[サービア教徒]]に遭遇する。<br /> ** カリフのマアムーンが[[バグダード]]に「[[知恵の館]]([[バイト・アルヒクマ]])」を建設する。<br /> *** ハッラーンに続きバグダードでのギリシア語文献からアラビア語への翻訳が盛んになる。<br /> * 832年<br /> ** カリフのマアムーンが[[クフ王のピラミッド]]の内部に調査隊を潜入させる。<br /> ** [[南詔]]が[[ピュー]](驃)を滅ぼす。<br /> * 833年<br /> ** アッバース朝で[[ムウタスィム]]が[[カリフ]]に即位。トルコ人奴隷([[マムルーク]])で親衛隊を組織。<br /> ** 淳和天皇が譲位し、第54代[[仁明天皇]]が即位。<br /> * 835年<br /> ** 唐で[[甘露の変]]が起こる。<br /> ** 空海が死去。<br /> * 836年 <br /> ** アッバース朝がバグダードから[[サーマッラー]]に遷都。<br /> ** [[プラティーハーラ朝]]の[[ボージャ1世]]が北インドの中心地[[カナウジ]]を制圧。<br /> * 837年<br /> ** 唐の[[文宗 (唐)|文宗]]の命による「[[石経|開成石経]]」([[西安碑林博物館]]蔵)が完成する。<br /> * 838年<br /> ** [[小野篁]]を[[隠岐国]]に配流。<br /> ** [[円仁]]が唐にわたる( - [[847年]])。<br /> ** [[アモリオンの戦い]]。<br /> * 839年 - [[アマルフィ共和国]]が独立。<br /> <br /> === 840年代 ===<br /> {{main|840年代}}<br /> * 840年 - [[ウイグル]]が[[キルギス人|キルギス]]の攻撃により崩壊。<br /> ** 統一ウイグル国家の崩壊により、[[甘州ウイグル王国]]・[[天山ウイグル王国]]他の地域政権が成立。この一部が[[カラ・ハン朝]]成立に合流。<br /> * 841年 - [[フォントノワの戦い]]。<br /> * 842年<br /> ** [[ストラスブールの誓い]]。<br /> ** 嵯峨上皇が死去し、[[承和の変]]が起こる。<br /> *** 皇太子[[恒貞親王]]が廃され、道康親王が太子となる。[[橘逸勢]]・[[伴健岑]]らが配流となり、太子の外伯父[[藤原良房]]の勢力が拡大。<br /> ** 吐蕃の[[ランダルマ]]王が暗殺され、後継者争いから吐蕃は分裂する。<br /> * 843年<br /> ** [[ヴェルダン条約]]で[[フランク王国]]が3つに分裂。<br /> ** コンスタンティノポリス教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定し、[[イコノクラスム]]が終結する。<br /> *** 主催者は東ローマ皇帝[[ミカエル3世]]の母[[テオドラ (テオフィロスの皇后)|テオドラ]]と総主教メトディオス1世。このことを記念して「[[大斎 (正教会)|正教勝利の主日]]」が制定される。<br /> ** [[ノルウェー]]のオーセベリ墳丘墓に[[オーセベリ船|船葬用の船体]]([[オスロ]]の[[ヴァイキング船博物館]]蔵)が埋められる。<br /> ** [[文室宮田麻呂]]が乱を企てたとして[[伊豆]]に流される。<br /> * 844年 - クラビホの戦いで[[アストゥリアス]]王[[ラミロ1世 (アストゥリアス王)|ラミロ1世]]がイスラム教徒に勝利。<br /> * 845年<br /> ** 唐の[[武宗 (唐)|武宗]]が仏教を弾圧([[会昌の廃仏]])。<br /> ** [[ハンブルク]]がデンマーク王ホリック率いるヴァイキングに襲撃される。<br /> * 846年頃 - [[ブハーリー]]が[[ハディース]]『真正集([[サヒーフ・アル=ブハーリー]])』を完成させる。<br /> * 847年 - ローマで「ボルゴの火災」。<br /> * 849年<br /> ** イタリアの[[ナポリ]]・[[アマルフィ]]・[[ガエータ|ガエタ]]の艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。<br /> ** 東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダスにより[[コンスタンティノープル大学|コンスタンティノポリス大学]](マグナウラ宮殿大学)が再興される。<br /> <br /> === 850年代 ===<br /> {{main|850年代}}<br /> * 850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代[[文徳天皇]]が即位。<br /> * 850年頃 - 『偽[[イシドルス]]法令集』が北フランスで編纂される。<br /> * 851年 - ジャングランの戦いで、[[ブルターニュ公|ブルターニュ王]]エリスポエが西フランク王[[シャルル2世]]に勝利し独立を獲得。<br /> * 853年 - 唐の商人[[欽良暉]]漂着。<br /> * 855年 - [[斉衡]]地震により[[奈良]]の[[東大寺]][[大仏]]の頭部が落下する。<br /> * 856年<br /> ** 懐建可汗が唐から冊封を受けて[[天山ウイグル王国]]が成立する。<br /> ** イランのダムガンで死者20万人の大地震。<br /> * 858年<br /> ** 文徳天皇が没し、第56代[[清和天皇]]が即位。<br /> ** [[藤原良房]]が臣下としては初の[[摂政]]となる。<br /> * 859年<br /> ** 唐で[[裘甫の乱]]が起こる。<br /> ** [[南詔]]王世隆が皇帝を自称する。<br /> <br /> === 860年代 ===<br /> {{main|860年代}}<br /> * 860年<br /> ** [[行教]]が[[清和天皇]]の命を受けて[[石清水八幡宮]]を創建。<br /> ** [[ヴァリャーグ]]が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される([[ルーシ・ビザンツ戦争]])。<br /> * 861年<br /> ** 日本で[[宣明暦]]が採用される。<br /> *** 唐で822年に作成された暦で、1685年の[[貞享暦]]への改定まで使用され続ける。<br /> ** [[ヴェズレー]]の[[サント=マドレーヌ大聖堂 (ヴェズレー)|サント=マドレーヌ大聖堂]]がベネディクト会士により建立される。<br /> * 862年<br /> ** 伝承では[[ノルマン人]]ルス族の[[リューリク]]が[[ノブゴロド公国]]を建国する。[[ロシア]]国家のはじまり。<br /> ** [[フランドル家]]のボードゥアン1世が西フランク王シャルル2世の王女ジュディトと結婚し、初代[[フランドル伯|フランドル辺境伯]]となる。<br /> * 863年<br /> ** ララカオン川の戦いで東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。<br /> ** [[東ローマ帝国]]の[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]、[[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]](コンスタンティノス)兄弟が[[スラヴ人]]に対して[[キリスト教]]伝道を開始する。<br /> ** ローマ教皇[[ニコラウス1世 (ローマ教皇)|ニコラウス1世]]が[[コンスタンティノポリス総主教]][[フォティオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|フォティオス]]を破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( - [[867年]])。<br /> ** [[神泉苑]]にて最初の[[御霊会]]が行われる([[祇園祭]]の始まり)。<br /> * 864年<br /> ** [[富士山]][[貞観 (日本)|貞観]][[噴火]]。[[せの海|剗の海]]が埋没し[[富士五湖]]の[[西湖 (富士五湖)|西湖]]・[[精進湖]]が形成される。<br /> ** [[カスピ海]]南岸に[[アラヴィー朝]](ザイド朝)が成立。<br /> ** [[コンク]]の修道士アリヴィスクスが[[アジャン]]教会所蔵の[[聖フォワ|聖女フォワ]]の[[聖遺物]]を窃取する( - [[875年]])。<br /> * 864年頃 - [[第一次ブルガリア帝国]]の[[ボリス1世]]がキリスト教に改宗する。<br /> * 865年<br /> ** デーン人がイングランド東部[[イースト・アングリア]]に上陸し各地を植民する。<br /> ** [[高岳親王]](真如)が天竺行きの途上の羅越国にて死去する。<br /> * 866年<br /> ** [[応天門の変]]がおこる。応天門放火の罪で[[大納言]][[伴善男]]が流罪となる。<br /> ** 日本最初の[[大師 (僧)|大師]]号として最澄に「伝教」、円仁に「慈覚」の号が贈られる。<br /> * 867年<br /> ** 東ローマ帝国で[[ミカエル3世]]が暗殺され[[アモリア朝]]が断絶。<br /> *** 政変を起こした[[バシレイオス1世]]が単独皇帝に即位し[[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア朝]]が成立。<br /> ** コンスタンティノポリスの[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]][[アプス]]半ドームの「玉座の聖母子像」のモザイクが造られる。<br /> ** [[イラン]]に[[サッファール朝]]が興る。<br /> * 868年<br /> ** 唐で[[龐勛の乱]]が起こる。<br /> ** [[エジプト]]に[[トゥールーン朝]]が興る。<br /> ** 『[[熊野年代記]]』に記録された慶竜による最古の[[補陀落渡海]]。<br /> * 869年<br /> ** [[第4コンスタンティノポリス公会議]]による総主教フォティオスの追放( - 870年)。<br /> ** デーン人(大異教徒軍)との戦いでイースト・アングリア王[[エドマンド殉教王|エドマンド]]が殉教する。<br /> ** [[イラク]]で黒人奴隷が反乱を起こす([[ザンジュの乱]])。<br /> ** [[貞観地震]]発生。[[陸奥国]]を大津波が襲う。<br /> <br /> === 870年代 ===<br /> {{main|870年代}}<br /> * 870年 - [[メルセン条約]]により中部フランクが東西に2分割される。<br /> * 871年 - [[アルフレッド大王|アルフレッド]]がイングランド王となる( - 899年)。<br /> * 873年 - サッファール朝がターヒル朝を倒し[[ホラーサーン]]地方を獲得。<br /> * 874年<br /> ** 唐の[[僖宗]]皇帝が[[法門寺]]に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。<br /> ** 『[[植民の書]]』では[[ノルウェー]]人首領[[インゴールヴル・アルナルソン]]が最初の[[アイスランド]]定住したと伝える。<br /> ** [[シーア派]]の[[十二イマーム派]]では第12代[[イマーム]]の[[ムハンマド・ムンタザル]]が[[隠れイマーム]]([[ガイバ (イスラム教)|ガイバ]])となったとされる。<br /> * 875年<br /> ** [[聖宝]]が[[醍醐寺]]を創建。<br /> ** 唐で[[黄巣]]の乱が起こる( - 884年)。<br /> ** 中央アジア最初のイラン系イスラム王朝である[[サーマーン朝]]が興る。<br /> ** イタリアにおけるカロリング朝の断絶。<br /> * 876年<br /> ** 清和天皇が譲位し、第57代[[陽成天皇]]が即位。<br /> ** [[正子内親王 (嵯峨天皇皇女)|淳和皇后]]が[[恒貞親王|恒寂]](恒貞親王)を開山に迎え[[大覚寺]](旧嵯峨院)が創建される。<br /> ** アンデルナハの戦いで、東フランク王[[シャルル2世 (西フランク王)|ルートヴィヒ3世]]ら三兄弟が西フランク王[[シャルル2世]]を撃退。<br /> * 877年<br /> ** トゥルーン朝が[[シリア]]を併合。<br /> ** キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。<br /> ** ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。<br /> * 878年<br /> ** エサンドゥーンの戦いで、イングランド王アルフレッドが[[ヴァイキング]]のデーン人の侵入を撃退。[[ウェドモーアの和議]]が結ばれる。<br /> ** [[元慶の乱]]が起こり[[藤原保則]]が陸奥の蝦夷平定に派遣される。<br /> ** {{仮リンク|広州大虐殺|en|Guangzhou massacre}}。<br /> * 879年<br /> ** コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権( - 880年)。<br /> ** [[ボソ (プロヴァンス王)|ボソ]]により[[キスユラブルグント王国|下ブルグント王国]]が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。<br /> ** [[クロアティア]]の独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。<br /> <br /> === 880年代 ===<br /> {{main|880年代}}<br /> * 880年<br /> ** [[リブモント条約]]により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。<br /> ** 黄巣が洛陽・長安を占領。皇帝僖宗は蜀に逃亡する。<br /> * 882年 - [[オレグ (キエフ大公)|オレグ]]が[[リューリク]]の子[[イーゴリ1世|イーゴリ]]を擁して[[キエフ]]を占領し、[[キエフ大公国]]を建てる。<br /> * 883年<br /> ** 唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。<br /> ** [[モンテ・カッシーノ]]修道院がイスラム教徒サラセン人に破壊される。<br /> * 884年<br /> ** [[藤原基経]]によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代[[光孝天皇]]が即位。<br /> ** 王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。<br /> * 885年<br /> ** ノルマン人の[[パリ]]攻撃に対し[[ウード (西フランク王)|パリ伯ウード]]やパリ司教ゴズランらが篭城戦( - 886年)。<br /> ** 宦官田令孜と節度使王重栄の対立から皇帝僖宗は鳳翔に逃亡。<br /> * 886年<br /> ** イングランド王アルフレッドが[[ロンドン]]を奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。<br /> ** [[カルス (都市)|カルス]]を都とするバグラト朝[[アルメニア]]王国が独立。<br /> * 887年<br /> ** イタリアにおける[[カロリング朝]]断絶。<br /> ** 光孝天皇が没し、第59代[[宇多天皇]]が即位([[寛平の治]])。<br /> ** [[藤原基経]]が初の[[関白]]となる。これに絡み[[阿衡事件]]が起こる。<br /> * 888年<br /> ** 最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が没し、統一フランク王国は分裂する。<br /> ** ルドルフ1世により[[ユーラブルグント王国|上ブルグント王国]]が独立し、スイス西部がその版図となる。<br /> ** 宇多天皇が[[仁和寺]]を創建。<br /> * 889年 - [[高望王]]に平姓を賜う([[桓武平氏]])。<br /> <br /> === 890年代 ===<br /> {{main|890年代}}<br /> * 890年 - シリア北部に[[ハムダーン朝]]が成立。<br /> * 891年<br /> ** 宇多天皇が[[菅原道真]]らを登用して国政改革に着手。<br /> ** ルーヴァンの戦いで、東フランク王[[アルヌルフ (東フランク王)|アルヌルフ]]がノルマン人ヴァイキングに大勝。<br /> * 892年<br /> ** [[朝鮮半島]]で[[甄萱]]が[[完山]](全州)に[[後百済]]を建てる。[[新羅]]が分裂への道を歩み始める。<br /> ** アッバース朝がサーマッラーから再びバグダードに遷都。<br /> * 892年頃 - 東ローマ皇帝[[レオーン6世]]により「バシリカ法典」が出される。<br /> * 893年 - ブルガリア王に[[シメオン1世]]が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。<br /> * 894年 - 菅原道真の進言により、[[遣唐使]]が廃止される。<br /> * 895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起([[寛平・延喜東国の乱]])が勃発。<br /> * 896年<br /> ** [[パンノニア]](現ハンガリー)に首長[[アールパード]]に率いられた騎馬民族[[マジャル人]]が定住。<br /> ** 教皇[[フォルモスス (ローマ教皇)|フォルモスス]]の「死体裁判」が行われる。<br /> *** この時代から次の10世紀を教皇庁の「鉄の時代」と呼び、教皇の権威は低下しローマは混乱が続く。<br /> * 897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代[[醍醐天皇]]が即位する。<br /> * 898年 - [[古マタラム王国]]のバリトゥン王が即位。その治世で[[プランバナン寺院群]]を建立。<br /> * 899年<br /> ** [[藤原時平]]が[[左大臣]]に、菅原道真が[[右大臣]]に就任、両者の対立が激化。<br /> ** カルマト派が[[クーファ]]近郊からイラク南部に勢力を拡大し反乱を起こす。<br /> <br /> === 900年代 ===<br /> {{main|900年代}}<br /> * 900年 - [[バルフ]]の戦いでサーマーン朝の[[イスマーイール・サーマーニー|イスマーイール]]はサッファール朝の[[アムル・イブン・アル=ライス]]に勝利。<br /> ** サーマーン朝は[[ホラーサーン]]と[[マー・ワラー・アンナフル]]を支配下に置き最盛期を迎える。<br /> <br /> == 時代の動向 ==<br /> === 東アジア ===<br /> ==== 大陸 ====<br /> ==== 朝鮮半島 ====<br /> ==== 日本 ====<br /> 日本では[[平安時代]]前期にあたり、唐制に基づく[[律令制]]が衰退に向かい、戸籍に基づく人別課税から、[[田堵]]と呼ばれる実際に公田を請け負い経営している[[富豪]]層を[[負名]]として土地課税する制度に移行する。変動する在地社会を現実に即して統治するために現地派遣の[[国司]]の筆頭者に大幅な権限が付与され、[[受領]]と呼ばれるようになる。<br /> <br /> === 西アジア ===<br /> === 南アジア ===<br /> === 東南アジア ===<br /> === ヨーロッパ ===<br /> <br /> == フィクションのできごと ==<br /> * 804年 - 遣唐留学僧として唐に渡った稀代の天才[[空海]]は予言をする猫の話から唐の皇帝の相次ぐ怪死事件が起きていることを知る。詩人[[白楽天]]らの協力を得て事件の経緯を探ると50年以上前に死んだ[[楊貴妃]]の存在が浮かび上がってくる([[夢枕獏]]『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』。[[チェン・カイコー]](陳 凱歌)監督の映画「[[空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎]]」も有名)。<br /> * 844年 - クラビホの戦いで「ムーア人殺し」聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]](サンティアゴ)が出現しキリスト教徒に勝利を導く(「聖ヤコブ出現伝説」)。<br /> * 846年以前 - 唐の詩人[[白楽天]]が日本の知恵を試しに筑紫松浦潟に来訪。漁夫に扮した[[住吉明神]]が白楽天と対決して漢詩と和歌の競作を行い、最後には正体を顕わにして白楽天の乗った船を日本から押し戻す(謡曲「白楽天」)。<br /> * 853年以前 - 病を得て死んだ[[藤原良相]](西三条大臣)が地獄の[[閻魔]]大王のもとに引き出されるが、地獄で裁判に携わっていた[[小野篁]]の取りなしにより蘇生した(『今昔物語集』「小野篁、情に依り西三条の大臣を助くる語」)。<br /> * 855-858年 - ローマ教皇[[レオ4世 (ローマ教皇)|レオ4世]]の後継者としてヨハン・アングリクスが教皇となった。しかしその正体は男装した女性で、急な出産がきっかけで正体が明らかとなり、それがもとで死んだ([[オパヴァのマルティン]]ほか「[[女教皇ヨハンナ]]」伝説)。<br /> * 865年 - [[平城天皇]]の皇子[[高丘親王]]が唐の広州の港を出て仏道修行のため[[天竺]]を目指すも各地を放浪し、人の言葉を話す儒良、夢を食う獏、下半身が鳥の女、ミイラ化した蜜人など不思議な一群に遭遇する([[澁澤龍彦|澁澤龍彥]]『高丘親王航海記』)。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === キリスト教世界 ===<br /> ==== フランク王国 ====<br /> * [[カール大帝]]([[742年]] - [[814年]]) - フランク王(在位[[768年]] - [[814年]])・西ローマ皇帝(在位[[800年]] - [[814年]])<br /> * [[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルートヴィヒ1世]](敬虔王)([[778年]] - [[840年]]) - カール大帝の子でフランク王・西ローマ皇帝(在位[[814年]] - [[840年]])<br /> * [[ロタール1世]]([[795年]] - [[855年]]) - ヴェルダン条約による[[中部フランク王国|中央フランク王]](在位[[843年]] - [[855年]])<br /> * [[ルートヴィヒ2世 (東フランク王)|ルートヴィヒ2世]]([[804年]] - [[876年]]) - ヴェルダン条約による[[東フランク王国|東フランク(ドイツ)王]](在位[[843年]] - [[876年]])<br /> * [[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世(禿頭王)]]([[823年]] - [[877年]]) - ヴェルダン条約による[[西フランク王国|西フランク(フランス)]]王(在位[[843年]] - [[877年]])<br /> * [[カール3世 (フランク王)|カール3世・シャルル肥満王]]([[839年]]頃 - [[888年]]) - 東西フランク王を兼任した最後の[[カロリング朝]]皇帝(在位[[881年]] - [[887年]])<br /> * [[ウード (西フランク王)|ウード]]([[860年]]頃 - [[898年]]) - パリ伯・ノルマン人からパリを死守した功で西フランク国王となる(在位[[888年]] - [[898年]])<br /> * アニアーヌのベネディクトゥス([[750年]]頃 - [[821年]]) - 修道士・ルートヴィヒ敬虔王に近侍し[[ベネディクトゥス]]の修道規則を普及させる<br /> * オルレアンのテオドゥルフ([[750年]]/[[760年]]頃 - [[821年]]) - オルレアン司教・詩人・ジェルミニー=デ=プレの小礼拝堂を建設<br /> * [[アインハルト]]([[770年]]頃 - [[840年]]) - フランク王国宮廷学校教授・[[アルクイン]]の弟子・『カール大帝伝』の著者<br /> * [[ラバヌス・マウルス・マグネンティウス]]([[780年]]頃 - [[856年]]) - [[マインツ]]大司教・『事物の本性』ほかを執筆・「ゲルマニアの教師」<br /> * アンスガル([[801年]] - [[865年]]) - [[ハンブルク]]と[[ブレーメン]]の司教・北ヨーロッパ各地に宣教活動を行い「北方の使徒」と呼ばれる<br /> * ヒンクマール([[806年]]頃 - [[882年]]) - [[ランス (マルヌ県)|ランス]]大司教・[[ランス大聖堂]]でのフランス王の塗油戴冠を定式化・『[[サンベルタン年代記]]』も執筆<br /> * オルベのゴットシャルク([[808年]]頃 - [[867年]]頃) - 修道士・[[予定説|二重予定説]]を唱えヒンクマールらと対決するが異端の嫌疑を受け幽閉中に死去<br /> * [[エリウゲナ|ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ]]([[810年]]? - [[877年]]?) - フランク王国宮廷学校校長・[[神学者]]・[[哲学者]]・『自然区分論』を著す<br /> <br /> ==== イタリア ====<br /> * [[ニコラウス1世 (ローマ教皇)|ニコラウス1世]]([[820年]]? - [[867年]]) - ローマ教皇(在位[[858年]] - [[867年]])・総主教フォティオスと対立<br /> * [[ヨハネス8世 (ローマ教皇)|ヨハネス8世]](? - [[882年]]) - ローマ教皇(在位[[872年]] - [[882年]])・サラセン人の攻撃からローマを守る<br /> * [[フォルモスス (ローマ教皇)|フォルモスス]](? - [[896年]]) - ローマ教皇(在位[[891年]] - [[896年]])・いわゆる「死体裁判」で辱めを受ける<br /> <br /> ==== イングランド・スコットランド ====<br /> * [[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]([[775年]]? - [[839年]]) - [[ウェセックス]]王(在位[[802年]] - [[839年]])・[[マーシア]]を破り[[イングランド]]を統一<br /> * [[エゼルウルフ]](? - [[858年]]) - ウェセックス王(在位[[839年]] - [[858年]])・エグバードの子・アルフレッド大王の父<br /> * [[アルフレッド大王]]([[849年]] - [[899年]]) - イングランド王(在位[[871年]] - [[899年]])・海軍を創設しデーン人を追い払う<br /> * [[ケネス1世 (スコットランド王)|ケネス・マカルピン]]([[810年]] - [[858年]]) - 最初の[[スコットランド]]王(在位[[848年]] - [[859年]])・[[アルバ王国]]を建設<br /> <br /> ==== 東ローマ帝国 ====<br /> * ゲオルギオス・シュンケロス(? - [[810年]]以降) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・帝都総主教タラシオスに仕え『年代記選集』を執筆<br /> * テオファネス([[752年]]頃 - [[818年]]頃) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・この時代の記録として『テオファネスの[[年代記]]』は重要<br /> * [[ニケフォロス1世]]([[760年]]? - [[811年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[802年]] - [[811年]])・[[アモリア朝]]の始祖・クルムに敗北し戦死する<br /> * [[レオーン5世]]アルメニオス(? - [[820年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[813年]] - [[820年]])・イコノクラスムを再開し総主教[[ニキフォロス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ニケフォロス1世]]を解任<br /> * {{仮リンク|テオドラ (テオフィロスの皇后)|en|Theodora (wife of Theophilos)|label=テオドラ}}([[815年]]頃 - [[867年]]以降) - 東ローマ皇帝[[テオフィロス]]の皇后・息子[[ミカエル3世]]の摂政として[[イコノクラスム]]を終結させる<br /> * [[バシレイオス1世]]([[827年]] - [[886年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[867年]] - [[886年]])・ミカエル3世を倒し[[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]を開く<br /> * [[フォティオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|フォティオス]]([[820年]] - [[897年]]) - [[コンスタンディヌーポリ総主教|コンスタンティノポリス総主教]]・神学者・古典文献学者・『図書総覧』を著す・ローマ教皇と対立<br /> * [[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]([[826年]] - [[885年]]) - 東ローマ帝国の神学者・[[修道士]]・「スラブ人の使徒」・[[グラゴル文字]]を作る・キュリロスは弟<br /> * [[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]([[827年]] - [[869年]]) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・[[グラゴル文字]]を作る・メトディオスは兄<br /> <br /> ==== 東欧 ====<br /> * [[クルム]]([[755年]] - [[814年]]) - [[ブルガリア]]国王(ハーン)(在位[[803年]] - [[814年]])・[[プリスカの戦い]]で東ローマ帝国を破り領土を拡大<br /> * [[リューリク]](? - [[879年]]) - [[ヴァリャーグ]]([[ヴァイキング]])の一族で[[ノヴゴロド公国]]の建国者(在位[[864年]] - [[879年]])<br /> * [[ラスチスラフ]](? - [[870年]]) - [[モラヴィア王国]]の国王(在位[[846年]] - [[870年]])・メトディオスとキュリロス兄弟の宣教を支援<br /> * [[ボリス1世]](? - [[907年]]) - ブルガリア国王(在位[[852年]] - [[889年]])・キリスト教(東方正教)を受容し従来の宗教を弾圧<br /> * [[オフリドのクリメント]]([[840年]]頃 - [[916年]]) - [[オフリド]]の[[主教]]・スラブ人へ東方正教を宣教・スラヴ語での説教や著述活動を行う<br /> * [[シメオン1世]]([[863年]]頃 - [[927年]]) - [[ブルガリア]]最盛期の君主・国王(在位[[893年]] - [[913年]])・皇帝(在位[[913年]] - [[927年]])<br /> * [[オレグ (キエフ大公)|オレグ]](? - [[912年]]/[[922年]]) - リューリクの一族か・[[キエフ公国]]の建国者(在位[[882年]] - [[912年]])・ドニエプル水系から黒海を支配<br /> <br /> ==== 北欧 ====<br /> * アンスガリオ([[801年]] - [[865年]]) - ブレーメンの司教・デンマーク王ハーラルに同行し以後も北欧各国に宣教を行い教会を建立する<br /> * [[ハーラル1世 (ノルウェー王)|ハーラル1世]](美髪王)([[850年]]頃 - [[930年]]頃) - [[ノルウェー]]最初の統一国王(在位[[872年]]頃 - [[930年]]頃)<br /> <br /> ==== イベリア半島 ====<br /> * [[アルフォンソ2世 (アストゥリアス王)|アルフォンソ2世]]([[760年]] - [[842年]]) - [[アストゥリアス王国|アストゥリアス王]](在位[[791年]] - [[842年]])・半世紀に及ぶ治世で聖[[ヤコブ]]の墓が発見されたという<br /> * [[エウロギウス]]([[800年]] - [[859年]]) - [[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]のキリスト教聖職者・[[反イスラーム主義|反イスラム主義]]を唱え後ウマイヤ朝支配のもとで殉教する<br /> <br /> === イスラム世界 ===<br /> ==== アッバース朝 ====<br /> * [[ハールーン・アッラシード]]([[763年]] - [[809年]]) - [[アッバース朝]]第5代カリフ(在位[[786年]] - [[809年]])・王朝の全盛期を現出<br /> * [[ジャアファル]]([[766年]]? - [[803年]]) - アッバース朝の政治家・名門バルマク家出身・権力を恣にしたがカリフにより一族とも殲滅される<br /> * [[ズバイダ]]([[768年]] - [[823年]]?) - アッバース朝第5代カリフのハールーン・アッラシードの正妃・第6代カリフの[[アミーン]]の母<br /> * [[マアムーン]]([[786年]] - [[833年]]) - アッバース朝第7代カリフ(在位[[813年]] - [[833年]])・弟アミーンを倒す・「[[知恵の館]]」を設置<br /> * [[ムウタスィム]]([[794年]] - [[842年]]) - アッバース朝第8代カリフ(在位[[833年]] - [[842年]])・バグダードから[[サーマッラー|サマッラー]]に遷都<br /> * [[アリー・ブン・ムハンマド]](? - [[883年]]頃) - イラク南部での黒人反乱の[[ザンジュの乱]]の指導者・アッバース朝を弱体化させる<br /> <br /> ==== イラン系諸王朝 ====<br /> * ターヒル・イブン・アル・フサイン(? - [[822年]]) - [[ターヒル朝]]の建国者(在位[[821年]] - [[822年]])・アッバース朝から最初に独立<br /> * [[ヤアクーブ・イブン・アル=ライス・アル=サッファール]]([[840年]] - [[879年]]) - [[サッファール朝]]の建国者(在位[[867年]] - [[879年]])・[[アイヤール]](イラン世界における任侠の徒)出身<br /> * [[ナスル1世|ナスル・イブン・アフマド]](? - [[892年]]) - [[サーマーン朝]]の建国者(在位[[875年]] - [[892年]])・ブハラを首都にマー・ワラー・アンナフルを支配<br /> <br /> ==== その他の王朝 ====<br /> * アフマド・ブン・トゥールーン([[835年]] - [[884年]]) - [[トゥールーン朝]]の建国者(在位[[868年]] - [[884年]])・エジプトとシリアで独自勢力を保つ。<br /> <br /> ==== 宗教指導者 ====<br /> * [[ムハンマド・ムンタザル]]([[868年]] - [[874年]]?) - [[シーア派]]([[十二イマーム派]])での第12代[[イマーム]]([[隠れイマーム]])・マフディー<br /> * ハムダーン・カルマト(? - [[899年]]頃) - カルマト派の指導者・[[イスマーイール派]]から分派しクーファを中心に独自の組織を形成し反乱を起こす<br /> <br /> ==== 学者・詩人 ====<br /> * [[アブー・ヌワース]]([[756年]] - [[814年]]) - [[アッバース朝]]最盛期に活躍した詩人・飲酒や少年愛などを歌ったことで知られる<br /> * シャーフィイー([[767年]] - [[820年]]) - イスラム法学者・[[シャーフィイー学派]]の祖・著作に『起源の書』がある<br /> * [[ジャーヒズ]]([[776年]] - [[869年]]頃) - アラブ古典散文学の確立者・著作に『けちんぼども』『動物の書』などがある<br /> * [[フワーリズミー]]([[780年]]/[[800年]] - [[845年]]/[[850年]]) - 「知恵の館」で活躍・地理学者・天文学者・数学者として移項の原則をまとめる<br /> * [[イブン・ハンバル]]([[780年]] - [[855年]]) - イスラム法学者・[[ハンバル学派]]の祖・著作に『ムスナド』がある<br /> * [[アブー・タンマーム]]([[788年]]頃/[[807年]]頃 - [[845年]]頃) - アッバース朝のカリフに仕えた詩人・遠征に従軍し『ハマーサ』を残す<br /> * [[キンディー]]([[801年]] - [[873年]]?) - 「知恵の館」で活躍・科学者・数学者・哲学者であり「アラブの哲学者」と呼ばれる<br /> * [[フナイン・イブン・イスハーク]]([[808年]]頃 - [[873年]]頃) - 「知恵の館」で活躍・主任翻訳官で[[ネストリウス派]]キリスト教徒<br /> * [[アルフラガヌス|ファルガーニー]](9世紀前半) - 天文学者・『天の運動と天文知識の集成』やアストロラーベに関する著作がある<br /> * [[ムハンマド・アル=ブハーリー|ブハーリー]]([[810年]] - [[870年]]) - イスラム法学者・[[スンナ派]][[ハディース]]集の最高峰とされる『[[サヒーフ・アル=ブハーリー|真正集]]』の編纂者<br /> * [[アッバース・イブン・フィルナス]]([[810年]] - [[887年]]) - 後ウマイヤ朝の[[博学者]]・技術者・気象実験やレンズの製法のほか空中滑空でも有名<br /> * バラーズリー(? - [[892年]]頃) - 歴史学者・イスラム帝国の拡大を描いた『諸国征服史』や有名人の伝記集『貴族の系譜』がある<br /> * ジュッバーイー(? - [[915年]]) - イスラム神学者・合理主義的神学[[ムウタズィラ派]]の代表・アシュアリーは弟子だったが後に離反<br /> * [[イブン・フルダーズベ]]([[820年]]頃 - [[912年]]) - アッバース朝のペルシャ系官僚・地理学者・アラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』を執筆<br /> * [[サービト・イブン・クッラ]]([[826年]] - [[901年]]) - 「知恵の館」で活躍・[[ハッラーン]]の[[サービア教徒]]の出身・数学者として[[友愛数]]を発見<br /> * [[タバリー]]([[838年]] - [[923年]]) - イスラム法学者・歴史学者として『諸使徒と諸王の歴史』がある<br /> * [[バッターニー]]([[850年]]? - [[929年]]) - シリアで活躍した天文学者・数学者・[[三角法]]の整理や私設天文台の設置で知られる<br /> <br /> === 南アジア・東南アジア・チベット ===<br /> * ダルマパーラ(? - [[815年]]) - インドの[[パーラ朝]]の王(在位[[770年]] - [[815年]])・仏教を保護し[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ寺院]]を建立<br /> * [[ゴーヴィンダ3世]](? - [[814年]]) - インドの[[ラーシュトラクータ朝]]の王(在位[[793年]] - [[814年]])・[[カナウジ]]からインド南端[[コモリン岬]]まで征服<br /> * [[シャンカラ]]([[788年]]頃 - [[820年]]頃) - インドのヴェーダーンタ派の哲学者で不二一元論を提唱する・著作に『ブラフマ・スートラ注解』がある<br /> * ジャヤーヴァルマン2世(? - [[834年]]) - [[カンボジア]]の[[アンコール朝]]の建国者(在位[[802年]] - [[834年]])・[[シャイレーンドラ朝]]から独立<br /> * [[アモーガヴァルシャ1世]]([[801年]] - [[878年]]) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位[[814年]] - [[878年]])・『カヴィーラージャ・マールガ』を執筆<br /> * [[ティツク・デツェン]](レルパチェン)(? - [[841年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[815年]] - [[841年]])・唐との間に[[長慶会盟]]を結び仏教興隆に尽くすが暗殺される<br /> * [[ラン・ダルマ]]([[803年]]/[[809年]] - [[842年]]/[[843年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[841年]]? - [[842年]]/[[843年]])・ティツク・デツェンの弟・廃仏を行い暗殺される<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 唐 ====<br /> * [[恵果]]([[746年]] - [[806年]]) - 唐の僧侶・真言宗第七祖・長安[[青龍寺 (西安市)|青龍寺]]住持・両部曼荼羅を大成・空海の師<br /> * [[百丈懐海]]([[749年]] - [[814年]]) - 唐の僧侶・禅門の規範として『百丈[[清規]]』を定め勤労を尊重する自給自足の体制を確立した<br /> * [[裴度]]([[765年]] - [[839年]]) - 唐の政治家・宰相・[[憲宗 (唐)|憲宗]]に仕え淮西の呉元済の乱を鎮圧させる・敬宗没後の文宗の擁立にも参与<br /> * [[韓愈]]([[768年]] - [[824年]]) - 唐の文人[[士大夫]]・[[唐宋八大家]]の一人・皇帝憲宗の怒りに触れた『[[論仏骨表]]』がある<br /> * [[白居易]]([[772年]] - [[846年]]) - 唐の詩人・政治家・詩文集『[[白氏文集]]』があり「[[長恨歌]]」「琵琶行」が有名<br /> * [[劉禹錫]]([[772年]] - [[842年]]) - 唐の詩人・政治家・柳宗元らと永貞の革新に関与するが失敗・詩では「竹枝詞」が有名<br /> * [[柳宗元]]([[773年]] - [[819年]]) - 唐の詩人・政治家・唐宋八大家の一人・詩では「江雪」散文では「永州八記」が有名<br /> * [[柳公権]]([[778年]] - [[865年]]) - 唐の政治家・書家・[[楷書]]に優れ「玄秘塔碑」などを残す<br /> * [[牛僧孺]]([[779年]] - [[847年]]) - 唐の政治家・科挙出身者の代表として牛李の党争を引き起こす<br /> * [[元シン|元稹]]([[779年]] - [[831年]]) - 唐の詩人・政治家・詩文集『元氏長慶集』や小説『鶯鶯伝』がある<br /> * 仇士良([[781年]] - [[843年]]) - 唐の[[宦官]]・[[甘露の変]]で李訓や鄭注を処刑し皇帝[[文宗 (唐)|文宗]]を幽閉<br /> * [[李徳裕]]([[787年]] - [[849年]]) - 唐の政治家・門閥貴族の代表として牛李の党争を引き起こす<br /> * [[李賀]]([[791年]] - [[817年]]) - 唐の詩人・「蘇小小歌」など幻想的な作品を残し「鬼才」と評される<br /> * [[呂洞賓]]([[798年]]? - ?) - 唐の道士・中国を代表する仙人の「[[八仙]]」の一人<br /> * [[段成式]]([[803年]] - [[863年]]) - 唐の官僚・怪異をまとめた『[[酉陽雑俎]]』の著者<br /> * [[杜牧]]([[803年]]- [[853年]]) - 唐の詩人・官僚・李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される<br /> * [[李商隠]]([[812年]] - [[858年]]) - 唐の詩人・官僚・杜牧と共に「晩唐の李杜」とも称される<br /> * [[武宗 (唐)|武宗]]([[814年]] - [[846年]]) - 唐の第18代皇帝(在位[[840年]] - [[846年]])・[[会昌の廃仏]]を行う<br /> * [[趙帰真]](? - [[846年]]) - 唐の道士・皇帝武宗に近侍し会昌の廃仏を進める・廃仏中止で斬殺される<br /> * [[宣宗 (唐)|宣宗]]([[810年]] - [[859年]]) - 唐の第19代皇帝(在位[[846年]] - [[859年]])・牛李の党争を抑え小康期をもたらす<br /> * 裘甫(? - [[860年]]) - 唐の反乱指導者・没落農民の出身で浙江にて[[裘甫の乱]]を起こすが王式により鎮圧される<br /> * 龐勛(? - [[868年]]) - 唐の反乱指導者・武寧藩鎮の軍人で桂州にて[[ホウクンの乱|龐勛の乱]]を起こすが朱邪赤心に鎮圧される<br /> * [[臨済義玄]](?- [[867年]]) - 唐の[[禅]]僧で[[臨済宗]]の開祖・[[語録]]に『臨済録』がある・「臨済の喝」で有名<br /> * [[張彦遠]]([[815年]]頃 - [[877年]]頃) - 唐の官僚・著述家・『[[歴代名画記]]』を著し画史の祖とされた<br /> * [[皮日休]]([[830年代]] - [[883年]]) - 唐の詩人・政治批判を多く含む詩文集『皮子文藪』がある・黄巣に与したが疑われ処刑される<br /> * [[韋荘]]([[836年]] - [[910年]]) - 唐の詩人・黄巣の乱で荒廃した長安を「秦婦吟」で歌う・後に[[王建 (前蜀)|王建]]の[[前蜀]]に仕える<br /> * 魚玄機([[844年]]頃 - [[871年]]頃) - 唐の女流詩人・女道士となり詩人[[温庭筠]]らと交わる・侍婢を殺した罪で処刑される<br /> * [[王仙芝]](? - [[878年]]) - 唐末の反乱指導者・黄巣の協力者・後に黄巣と別れるが反乱は鎮圧される<br /> * [[黄巣]](? - [[884年]]) - 唐末の反乱指導者・黄巣の乱を起こし大斉皇帝を名乗る(在位[[880年]] - [[884年]])・反乱は鎮圧される<br /> * 楊復恭(? - [[894年]]) - 唐末の宦官・[[僖宗 (唐)|僖宗]]没後に[[昭宗 (唐)|昭宗]]を擁立するが討伐される・「門生天子、定策国老」の語は有名<br /> * [[李克用]]([[856年]] - [[908年]]) - 唐末の[[突厥]][[沙陀部]]出身の軍閥指導者で黄巣の乱を鎮圧・後唐の[[李存勗]](荘宗)の父<br /> <br /> ==== 日本 ====<br /> * [[桓武天皇]]([[737年]] - [[806年]]) - 第50代天皇(在位[[781年]] - [[806年]])・[[平安京]]遷都、蝦夷制圧を実施<br /> * [[坂上田村麻呂]]([[758年]] - [[811年]]) - 征夷大将軍・[[大納言]]・陸奥国の蝦夷制圧に功績を残す<br /> * [[藤原薬子]](? - [[810年]]) - [[尚侍]](女官)・兄の藤原仲成とともに平城上皇を擁して[[薬子の変]]を起こす<br /> * [[景戒]](生没年不詳) - 法相宗(薬師寺)の僧・日本最初の仏教説話集『[[日本霊異記]](日本国現報善悪霊異記)』の著者<br /> * [[最澄]](伝教大師)([[767年]] - [[822年]]) - 入唐僧・天台宗の祖で比叡山延暦寺開山・著作に『顕戒論』がある<br /> * [[空海]](弘法大師)([[774年]] - [[835年]]) - 入唐僧・真言宗の祖で高野山金剛峰寺開山・書家([[三筆]]の一人)・著作に『[[三教指帰]]』がある<br /> * [[藤原緒嗣]]([[774年]] - [[843年]]) - 公卿・左大臣(山本大臣)・[[菅野真道]]との徳政論争で有名・『[[日本後紀]]』や『[[新撰姓氏録]]』を編纂<br /> * [[藤原冬嗣]]([[775年]] - [[826年]]) - 公卿・左大臣(閑院大臣)・最初の[[蔵人頭]]となる・『[[弘仁格式]]』や『[[内裏式]]』を編纂<br /> * [[徳一]]([[781年]]? - [[842年]]?) - 法相宗の僧・[[恵日寺 (磐梯町)|会津慧日寺]]開山・[[三一権実諍論]]で最澄と対決・著作に空海に宛てた『[[真言宗未決文]]』がある<br /> * [[橘逸勢]]([[782年]]? - [[842年]]) - 官人・書家(三筆の一人)・遣唐使で唐に渡る・[[承和の変]]で流罪となる<br /> * [[嵯峨天皇]]([[786年]] - [[842年]]) - 第52代天皇(在位[[809年]] - [[823年]])・書家(三筆の一人)<br /> * [[橘嘉智子]]([[786年]] - [[850年]]) - 嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)・[[仁明天皇]]の母・橘氏を支援し[[学館院]]を設立<br /> * [[円仁]](慈覚大師)([[794年]] - [[864年]]) - 入唐僧・天台山門派の祖・『[[入唐求法巡礼行記]]』を著す<br /> * [[高岳親王]](真如)([[799年]] - [[865年]]?) - 廃太子・空海の弟子となり入唐後さらに天竺を目指すが羅越国で没す<br /> * [[小野篁]]([[802年]] - [[853年]]) - [[公卿]]・[[参議]]・学者・歌人・遣唐副使の任免で衝突し隠岐へ流される<br /> * [[藤原良房]]([[804年]] - [[872年]]) - 公卿・太政大臣・人臣最初の[[摂政]]・承和の変や応天門の変に勝利し北家全盛を築く<br /> * [[伴善男]]([[811年]] - [[868年]]) - 公卿・大納言・応天門の変の犯人とされ伊豆に流される<br /> * [[円珍]](智証大師)([[814年]] - [[891年]]) - 入唐僧・天台寺門派の祖・長等山[[園城寺]](三井寺)を再興<br /> * [[遍昭]](花山僧正)([[816年]] - [[890年]]) - 天台宗の僧・歌人([[六歌仙]]の一人)・花山の[[元慶寺]]を創建<br /> * [[源融]]([[822年]] - [[895年]]) - 公卿・左大臣(河原左大臣)・賜姓源氏の一人([[嵯峨源氏]]の祖)<br /> * [[藤原保則]]([[825年]] - [[895年]]) - 公卿・参議・「好二千石」の良吏として知られ[[元慶の乱]]を寛政で鎮撫する<br /> * [[在原業平]]([[825年]] - [[880年]]) - [[蔵人頭]]・歌人(六歌仙の一人)・『[[伊勢物語]]』の主人公とされる<br /> * [[小野小町]](生没年不詳) - 女流歌人(六歌仙の一人)・絶世の美女とされ日本各地に伝説が残る<br /> * [[益信]](本覚大師)([[827年]] - [[906年]]) - 真言宗の僧・東密広沢流の祖で[[円成寺]]開山・[[仁和寺]]で宇多法皇を受戒<br /> * [[相応 (僧)|相応]]([[831年]] - [[918年]]) - 天台宗の僧・比叡山での[[千日回峰行]]の祖とされ数々の霊験譚が伝えられている<br /> * [[聖宝]](理源大師)([[832年]] - [[909年]]) - 真言宗の僧・東密小野流の祖で[[醍醐寺]]開山・当山派[[修験道]]の祖<br /> * [[藤原基経]]([[836年]] - [[891年]]) - 公卿・太政大臣・最初の[[関白]]・藤原良房の養子・陽成天皇を廃し光孝天皇を擁立<br /> * [[安然]]([[841年]]? - [[915年]]?) - 天台宗の僧・[[東密]]に対する[[台密]]の教理を大成・著作に『悉曇蔵』などがある・通称は阿覚大師<br /> * [[菅原道真]]([[845年]] - [[903年]]) - 公卿・右大臣・詩人・学者・宇多上皇の信任を得て昇進する・遣唐使を廃止<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 9 | 年代 = 800 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:9せいき}}<br /> [[Category:9世紀|*]]</div> 111.87.58.8 紀元前21世紀 2018-08-04T13:23:52Z <p>111.87.58.8: /* 主な人物 */</p> <hr /> <div>{{Centurybox| 千年紀 = 3 | 世紀 = 21 | BC = 1 }}<br /> [[ファイル:Khashkhamer seal moon worship.jpg|thumb|280px|[[ウル・ナンム]]。[[ウル第三王朝]]の初代王で現存する世界最古の「[[ウル・ナンム法典]]」を定めたことで知られている。画像は[[円筒印章]]に刻まれたウル・ナンムと神々。]]<br /> [[ファイル:大禹治水圖.png|thumb|200px|夏王朝の建国者の[[禹]]。画像は耜(すき)を持って工事に勤しむ禹の像で[[後漢]]時代に造られた[[山東省]]武氏祠の[[拓本]]。]]<br /> &#039;&#039;&#039;紀元前21世紀&#039;&#039;&#039;(きげんぜんにじゅういちせいき)は、[[西暦]]による紀元前2100年から紀元前2001年までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 出来事 ==<br /> === 紀元前2100年代 ===<br /> * 紀元前2100年頃<br /> ** 中国最古の王朝である[[夏 (三代)|夏]]を[[禹]]が建国した(紀元前2070年説もある)。<br /> *** [[河南省]][[偃師市]][[二里頭遺跡]]を代表とする[[二里頭文化]]I期( - 紀元前1700年頃)が夏の初期に相当するとされている。<br /> ** [[ウルク]]王ウトゥ・ヘガルがエンニギの戦いで[[グティ人|グティ]]王[[ティリガン]]に勝利。<br /> *** グティ時代は終わりグティ人はメソポタミアから駆逐され、以後記録からは消滅する。<br /> ** 現存する最古の法典「[[ウル・ナンム法典]]」が編纂される。<br /> *** [[ウル第三王朝]]の[[ウル・ナンム]]在位中(紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃)の頃とされる。<br /> * 紀元前2100-2050年頃 - [[ウル]]遺跡の[[ジッグラト]]「[[エ・テメン・ニグル]]」が建設された。<br /> <br /> === 紀元前2090年代 ===<br /> * 紀元前2094年頃 - ウル第三王朝の王[[シュルギ]]が即位( - 紀元前2047年頃)。<br /> ** この王により[[ニップル]]から出土した粘土板文書『[[シュルギの自賛]]』が書かれる。<br /> * 紀元前2091年 - [[アブラハム]]、[[イサク]]、[[ヤコブ (旧約聖書)|ヤコブ]]による[[族長時代]]が始まった。<br /> <br /> === 紀元前2080年代 ===<br /> * 紀元前2080年 - [[エジプト第9王朝]]で戦争が始まった。<br /> <br /> === 紀元前2070年代 ===<br /> * 紀元前2071年 - [[アイルランド神話]]に記録された最初の戦争であるMagh Itheが始まった。<br /> <br /> === 紀元前2060年代 ===<br /> * 紀元前2064-1986年 - エジプトのネンネス(ヘラクレオポリス)政権(第10王朝)とテーベ政権(第11王朝)の間で抗争が続いた。<br /> * 紀元前2060年頃 - [[テーベ]]政権の[[メンチュヘテプ2世]]が即位。<br /> <br /> === 紀元前2040年代 ===<br /> * 紀元前2049年 - {{仮リンク|シーヘンジ|en|Seahenge}}の[[オーク]]の木が倒れた。<br /> * 紀元前2040年頃<br /> ** [[メリカラー]]の死により[[エジプト第10王朝]]が衰退。<br /> ** テーベ政権のメンチュヘテプ2世の[[古代エジプト|エジプト]]の再統一。<br /> *** 第11王朝メンチュヘテプ2世の全エジプト支配により、[[エジプト第一中間期|第一中間期]]は終わり[[エジプト中王国|中王国時代]]が始まる。<br /> *** この王の治世に上エジプトの巡礼地[[アビドス|アビュドス]]にイルティセン碑文のあるステラ([[ルーヴル美術館]]蔵)が建立される。<br /> <br /> === 紀元前2030年代 ===<br /> * 紀元前2034-2004年 - ウルと[[アムル]]の間で戦争が起こった。<br /> <br /> === 紀元前2020年代 ===<br /> * 紀元前2025年頃 - [[エシュヌンナ]]のシュ・イリア王がウルから独立する。<br /> <br /> === 紀元前2010年代 ===<br /> * 紀元前2017年頃 - アムル人[[イシュビ・エッラ]]がウルから独立し[[イシン第1王朝]]を成立させる。<br /> <br /> === 紀元前2000年代 ===<br /> * 紀元前2009-1997年頃 - [[メンチュヘテプ3世]]の墓が建設された。<br /> * 紀元前2004年頃<br /> ** [[エラム]]王キンダットゥがウルを破壊、イビ・シン王が連行されウル第三王朝が滅亡する。<br /> *** この事件により『ウル市滅亡哀歌』『第二ウル市滅亡哀歌』ほかの記録が書かれる。<br /> *** ウル滅亡後にエラムを追い払いイシン第1王朝のイシュビ・エッラがこの地を征服する。<br /> *** メソポタミア各地にアムル人(マルトゥ)諸国が乱立する[[イシン・ラルサ時代]]が始まる。<br /> ** メンチュヘテプ2世が死去した。<br /> <br /> == 主な人物 ==<br /> * [[ウル・ナンム]] - [[ウル第三王朝]]の王<br /> * [[シュルギ]] - [[ウル第三王朝]]の王<br /> * メンチュヘテプ2世 - [[エジプト第11王朝]]の王・[[エジプト第1中間期|第1中間期]]を終わらせる<br /> * [[アブラハム]] - ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の預言者(紀元前19世紀 - 紀元前15世紀の間にいたとの説も)<br /> * [[ラーマ]] - [[ヴィシュヌ]]の7つ目の[[アヴァターラ]]<br /> * [[禹]] - 古代中国の伝説的な帝・[[夏]]の創始者<br /> * [[益 (中国神話)|益]] - [[舜]]から禹に仕える・『[[山海経]]』を編纂したとも伝わる<br /> <br /> == 誕生 ==<br /> * [[シラ]](紀元前2067年-紀元前1634年) - [[アルパクサデ]]の息子<br /> * [[エベル]](紀元前2037年-紀元前1573年) - シラの息子<br /> * [[ペレグ]](紀元前2003年-紀元前1764年) - エベルの息子<br /> <br /> == 発明・発見・文化 ==<br /> * [[二里頭遺跡]] - [[夏_(三代)|夏王朝]]の遺跡。<br /> * [[法律]] - 紀元前2100年、メソポタミアのウル・ナンムの下で最初の法律ができた。<br /> * [[茶]] - 紀元前2037年、古代中国の皇帝[[神農]]は生の葉を茹でて茶を作った。<br /> <br /> == 伝説・フィクションのできごと ==<br /> * 紀元前21世紀 - [[夏]]の創始者[[禹]]が洪水を治めたとき、[[洛水]]から神亀が出現しその背中には「[[洛書]]」と呼ばれる文様が刻まれていた。禹はこれにもとづいて[[洪範九疇]]を作ったといわれる(『[[易経]]』「繋辞伝」をもとに『[[漢書]]』「五行志」の[[劉歆]]の注釈などで伝説化される)。<br /> * 紀元前2063年 - [[アトランティス]]人がクロノスのクリスタルを用い、時間を捕食する怪物クロノヴォーレのコントロールに成功する(ドラマ『[[ドクター・フー]]』)。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|21st century BC}}<br /> * [[年表]]<br /> <br /> {{世紀}}<br /> {{history-stub}}<br /> {{デフォルトソート:-79}}<br /> [[Category:紀元前3千年紀]]<br /> [[Category:世紀]]</div> 111.87.58.8
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