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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=111.87.58.209&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-01T15:46:05Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 14世紀 2018-07-23T12:08:13Z <p>111.87.58.209: /* 1390年代 */</p> <hr /> <div>{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=14th_century&amp;oldid=690208907 英語版 &quot;14th century&quot; 23:10, 11 November 2015 (UTC)]|date=2016年1月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:Ceiling in Alhambra.JPG|thumb|right|300px|[[ナスル朝]]。[[イベリア半島]]最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有の[[アラベスク]]に彩られた[[アルハンブラ宮殿]]の「二姉妹の間」。]]<br /> [[ファイル:Burying Plague Victims of Tournai.jpg|thumb|right|250px|[[黒死病]](ペスト)の大流行。東方から流入したこの病気により地中海からヨーロッパでは軒並み人口が減少した。画像は黒死病の犠牲者を運び出す[[フランドル]]地方の[[トゥルネー]]の人々(『{{仮リンク|ジル・ル・ミュゼット|fr|Gilles Le Muisit}}の年代記』の挿絵)。]]<br /> [[ファイル:Battle of crecy froissart.jpg|thumb|250px|百年戦争の始まり。[[クレシーの戦い]]では[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いた[[ジャン・フロワサール]]の『年代記』写本の挿絵。]]<br /> [[ファイル:Burning Jews.jpg|thumb|250px|[[ユダヤ人]]迫害。中世末期の不穏な情勢の中で[[スケープゴート]]として標的にされたのが[[ユダヤ人]]であった。画像は15世紀にまとめられた『[[ニュルンベルク年代記]]』の木版挿絵で、1338年に起きた[[バイエルン]]地方のデッゲンドルフでの「聖餅󠄀冒瀆」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。]]<br /> [[ファイル:Sarcophagus Queen Margrethe I 2015-03-31-4810.jpg|thumb|250px|[[カルマル同盟]]。デンマーク摂政(事実上の女王)[[マルグレーテ1世]]がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像は[[ロスキレ大聖堂]]に安置されたマルグレーテの石棺。]]<br /> [[ファイル:Balduineum Wahl Heinrich VII.jpg|thumb|250px|皇帝ハインリヒ7世を選出する[[選帝侯|七選帝侯]]。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は[[金印勅書]]で法制化されることになる。]]<br /> [[ファイル:Bendicht Tschachtlan, Die Schlacht am Morgarten (c. 1470).jpg|thumb|200px|[[スイス]]の自立。13世紀末に成立した[[永久盟約|原初同盟]]は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。]]<br /> [[ファイル:Main entrance of the Palais des Papes - 20050823.jpg|right|thumb|250px|教皇のバビロン捕囚。フランス王[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の圧力で教皇[[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]は[[アヴィニョン]]に移された。画像は[[アヴィニョン教皇庁|アヴィニョン教皇宮殿]]の正面入り口。]]<br /> [[ファイル:Dante and beatrice.jpg|thumb|250px|ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの([[ウォーカー・アート・ギャラリー]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Lorenzetti Ambrogio 1337.jpg|thumb|320px|中世都市[[シエーナ|シエナ]]。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像は[[アンブロージョ・ロレンツェッティ]]によるシエナのプブリコ宮殿(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。]]<br /> [[File:Milano Duomo 2392.jpg|thumb|right|250px|[[ミラノのドゥオーモ|ミラノ大聖堂]]。1386年から[[ミラノ公]][[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]の命により、北方の建築職人も招いてイタリアには珍しい多数の尖塔アーチを聳えさせるゴシック様式で建設が始まった。完成は500年後の1813年のことになるが「ミラノのドゥオモ」の名で親しまれている。]]<br /> [[ファイル:Loza nemanjica.jpg|thumb|200px|セルビア人の帝国。ネマニッチ朝の[[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]は東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建された[[コソボ]]の[[デチャニ修道院]]にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。]]<br /> [[File:John VI Kantakouzenos.jpg|thumb|right|200px|落日の東ローマ帝国。周辺諸国に圧迫されるとともに帝位をめぐる内乱でこの国はバルカンの小国家に転落した。画像は1351年のヘシュカスモス論争についての教会会議を召集する皇帝[[ヨハネス6世カンタクゼノス]]。]]<br /> [[File:Kulikovo05.jpg|thumb|right|200px|[[クリコヴォの戦い]]。[[モスクワ大公]][[ドミートリー・ドンスコイ]]率いる[[ルーシ]]諸侯連合軍が[[ママイ]]率いる[[ジョチ・ウルス]]軍に大勝した。この勝利は「[[タタールの軛]]」からロシアが自立する第一歩となった。画像は17世紀に描かれた挿絵。]]<br /> [[File:Giedzimin, Vilnia. Гедзімін, Вільня (M. Andriolli, 1882).jpg|thumb|right|200px|ヨーロッパ最後の異教大国[[リトアニア]]。東西両教会に挟まれたリトアニアでは古来の信仰を堅持した大公[[ゲディミナス]]が均衡を保って統治を行っていた。画像は都[[ヴィリニュス]]を建設するゲディミナスを描いた歴史画。]]<br /> [[ファイル:Codex Mendoza folio 2r.jpg|thumb|right|200px|[[アステカ帝国]]の勃興。アステカ人は[[ウィツィロポチトリ]]の[[神託]]に従い、蛇を咥えた鷲がサボテンに止まった地を探し当て、[[テスココ湖]]を干拓し都[[テノチティトラン]]を築いた。画像はその様子が描かれた16世紀の「{{仮リンク|メンドーサ写本|en|Codex Mendoza}}」。]]<br /> [[File:Perù, chimù, coppia di orecchini, lega d&#039;oro a sbalzo, XII-XV sec. 02.JPG|thumb|right|250px|[[チムー王国]]。[[モチェ文化]]の流れを汲み[[インカ帝国]]に先立って[[ペルー]]北部の沿岸地帯を支配した王国で金属加工に優れていた。画像はチムー王国で用いられた装飾用の金製品([[メトロポリタン美術館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Emperor Godaigo.jpg|thumb|250px|[[後醍醐天皇]]。[[鎌倉幕府]]を亡ぼし[[建武の新政]]を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は[[清浄光寺]]所蔵の肖像画。]]<br /> [[File:Mounted Warrior (Kyoto National Museum).jpg|thumb|right|200px|「騎馬武者像」。総髪で抜身の太刀を肩にかけた合戦後の武士を描いた作品として知られ、長らく[[足利尊氏]]を描いたものとされていたが、近年は[[高師直]]や他の人物の説も上がっている。[[京都国立博物館]]の所蔵で重要文化財ともなっている。]]<br /> [[ファイル:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|250px|[[足利義満]]。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は[[鹿苑寺]]所蔵の肖像画。]]<br /> [[ファイル:Mansa Musa.jpg|thumb|right|250px|西アフリカのマリ王国の王[[マンサ・ムーサ]]。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。]]<br /> [[ファイル:Bassin Syrie 1.JPG|thumb|right|250px|「{{仮リンク|聖王ルイの洗礼盤|fr|Baptistère de Saint Louis}}」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、[[マムルーク朝]]時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在は[[ルーヴル美術館]]が所蔵している。]]<br /> [[File:Battle of Nicopolis.jpg|thumb|right|200px|[[オスマン朝]]の拡大。小アジアから起こったオスマン朝は[[バヤジット1世]]の時代までにバルカン諸国を臣従させ、[[ニコポリスの戦い]]ではキリスト教徒連合軍に大勝を収めた。画像は[[トプカプ宮殿]]博物館所蔵の細密画に描かれたニコポリスの戦い。]]<br /> [[ファイル:Ghazan et Öldjeïtu.jpg|right|thumb|250px|歴史家[[ラシードゥッディーン]]。その当時の知られていた世界の歴史を『[[集史]]』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。]]<br /> [[File:Ibn Khaldoun-Kassus.jpg|right|thumb|180px|歴史家[[イブン・ハルドゥーン]]。北アフリカからイベリア半島そしてエジプトからシリアを遍歴し、政治家として活躍する一方で、連帯意識([[アサビーヤ]])を軸とする変転極まりない社会や経済の考察から歴史学の構築に取り組んだ。画像は故郷[[チュニス]]に建てられた銅像。]]<br /> [[ファイル:Timur during attack on Balkh 1370.jpg|thumb|right|250px|草原の英雄[[ティムール]]。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『[[清浄園]]』の16世紀の写本の挿絵。]]<br /> [[ファイル:1 Virupaksha temple Gopuram Hampi Vijayanagar India.jpg|thumb|right|250px|[[ヴィジャヤナガル王国]]の興隆。この王国の時代に南インドのヒンドゥー教も活気を取り戻した。画像はその都ヴィジャヤナガル([[ハンピ (インド)|ハンピ]])のヴィルーパークシャ寺院。]]<br /> [[ファイル:Tsongkapa - Google Art Project.jpg|thumb|right|220px|[[チベット仏教]]の改革者[[ツォンカパ]]。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在の[[ダライラマ]]に連なる[[ゲルク派]](黄帽派)を大成した。]]<br /> [[File:Theatre actors, Yuan Dynasty.jpg|thumb|right|220px|[[元曲]]。元時代の中国では[[歌曲]]の一種である[[雑劇]]が盛んになり、この時代の名をとって「元曲」と呼ばれた。画像は泰定元年(1324年)に描かれた[[山西省]]洪洞県広勝寺水神廟明応王殿の「雑劇図」。]]<br /> [[File:9c Zhao Mengfu. Bathing Horses. 1312. 28.1 x 155.5 cm Detail of the scroll. Palace Museum, Beijing.jpg|thumb|right|250px|[[趙孟頫]]。中国絵画に新風を吹き込み[[元末四大家]]の先駆者となった趙孟頫だったが、宋朝の末裔であるにも関らず異民族の元朝に仕えたことは批判を浴びた。画像は趙孟頫「浴馬図([[北京]][[故宮博物院]]蔵)」の一部。]]<br /> [[ファイル:Wine Jar with Fish and Aquatic Plants, 52.87.1.jpg|thumb|right|220px|[[青花]]の誕生。元朝後期に西アジア産の[[コバルト]]顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺([[ブルックリン美術館]]蔵)」。]]<br /> [[ファイル:Hongwu.jpg|thumb|right|220px|明の[[洪武帝]]朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画([[台北]][[国立故宮博物院]]蔵)。]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;14世紀&#039;&#039;&#039;(じゅうよんせいき)は、[[西暦]][[1301年]]から西暦[[1400年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 14世紀の歴史 ==<br /> === 世界 ===<br /> 14世紀の[[ユーラシア大陸]]では[[東アジア]]に発し[[中央アジア]]を経て[[ヨーロッパ]]にまで達した[[ペスト]]の[[パンデミック|大流行]]が起き、また[[19世紀]]半ばまで続くことになる[[小氷期]]がいよいよ本格化して寒冷化により農耕牧畜への大きな被害が出たため人口が大きく減少した。さらに、[[パクス・モンゴリカ]]による交易の広範な活性化により財貨の過剰流動性の制御が困難となり、また当時のユーラシア大陸全体に保有されていた[[銀]]の総量に従属する[[決済]]能力を超えて交易が拡大した結果、全世界的に経済活動が急激に縮小した。この事により歴史は新たな相へと向かう。<br /> <br /> ヨーロッパではペストにより人口が大きく減少(詳細は後述)した後、&#039;&#039;&#039;[[ルネサンス|イタリア・ルネサンス]]&#039;&#039;&#039;により、新しい時代へと大きく転換した([[イタリア・ルネサンス年表]]も参照のこと)。<br /> <br /> 13世紀にユーラシア大陸を覆っていた[[モンゴル帝国]]は弱体化し、[[アジア]]各地に&#039;&#039;&#039;[[明|明朝]]&#039;&#039;&#039;や&#039;&#039;&#039;[[ティムール朝]]&#039;&#039;&#039;などモンゴル帝国の体制の影響を受けながらも地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の皇帝直轄政権たる[[元_(王朝)|大元ウルス]]は中央政府の権力闘争による混乱のもと、中国本土の内乱の中から台頭した明朝の脅威から逃れるため、[[大都]]を捨て北部[[モンゴル高原]]へ退去した(以後、[[北元]]と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立した&#039;&#039;&#039;[[オスマン帝国]]&#039;&#039;&#039;も勢力を拡大した。これらの中規模帝国は、モンゴル帝国の統治下で普及した[[黒色火薬]]を用いた[[火砲]]([[大砲]]や[[小銃]])を軍制の中核に据える事で戦術の大規模な変貌を来して軍隊が急激に膨張、この巨大化した軍隊を扱う戦略の再編を経てやがて歴史学で[[火薬帝国]]と呼ばれる国家体制を成立させることとなる。<br /> <br /> ==== ペスト(黒死病)の大流行 ====<br /> 正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に[[農奴制|農奴]]不足が続いていた[[荘園|荘園制]]に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、病原体の拡散の障壁が失われたことが、この大流行の背景にあると考えられている。<br /> <br /> === 日本 ===<br /> 14世紀の日本は、時代区分上では[[中世]]、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]の初期([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の全期間を含む)にあたる。<br /> <br /> ==== 鎌倉時代 ====<br /> 2度に渡る[[元寇]]を撃退し、[[得宗]]権力を強めた鎌倉[[北条氏|北条]]政権であったが、[[武士]]たちに募る恩賞の不満や[[徳政令]]の発布、[[霜月騒動]]、[[平禅門の乱]]などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。<br /> <br /> ==== 南北朝時代・室町時代 ====<br /> [[後醍醐天皇]]の討幕運動に[[足利尊氏]]・[[新田義貞]]ら有力[[御家人]]が参入した結果[[鎌倉幕府]]は滅亡し、後醍醐天皇は&#039;&#039;&#039;[[建武の新政]]&#039;&#039;&#039;と呼ばれる[[親政|天皇親政]]を開始する。新政は天皇が中華皇帝的な専制統治を行う方向性を志向しており、唐突な改革による混乱と恩賞のあり方などが武士のみならず公家の不満を招き、離反した尊氏が[[京都]]に[[室町幕府]]を開いて&#039;&#039;&#039;[[北朝 (日本)|北朝]]&#039;&#039;&#039;を立て、[[吉野]]に逃れた後醍醐天皇の&#039;&#039;&#039;[[南朝 (日本)|南朝]]&#039;&#039;&#039;と対立する(南北朝時代)。<br /> <br /> その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟[[足利直義|直義]]が対立する内紛([[観応の擾乱]])が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]の時代まで続き、抗争により有力[[守護大名]]が南朝に奔るといった状態が繰り返される。[[今川貞世]]が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により&#039;&#039;&#039;南北朝の合一&#039;&#039;&#039;が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「[[康暦の政変]]」も起こっており、以後義満は1391年に[[明徳の乱]]、1399年に[[応永の乱]]を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて[[天皇]]の権威にせまる将軍権力を確立する。<br /> <br /> ==== 近隣諸国との関係・琉球の情勢 ====<br /> 元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、[[天龍寺船]]などの寺社造営資金の調達のための貿易船([[寺社造営料唐船]])の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには[[倭寇]]と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である[[懐良親王]]は明の使節を迎えて[[冊封]]を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「[[日本国王]]」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。<br /> <br /> 一方、当時の[[朝鮮半島]]でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た[[李成桂]]が[[高麗]]王朝を倒し[[李氏朝鮮]]が成立する。<br /> <br /> [[琉球]]では中山・南山・北山の[[三山時代]]を迎えて、いずれも明王朝に[[朝貢]]をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に[[琉球王国]]の成立にいたる。<br /> <br /> == できごと ==<br /> * [[中国]]では元朝の衰退により、明朝成立。<br /> * 1300年頃に[[スウェーデン]]による[[フィンランド]]遠征([[北方十字軍]]の完了)。<br /> ----<br /> === 1300年代 ===<br /> {{main|1300年代}}<br /> * 1300年 - 1350年頃<br /> ** メキシコの[[ミシュテカ]]族による[[オアハカ州]][[モンテ・アルバン]]7号墓が造営される。<br /> * 1301年 <br /> ** オゴタイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。<br /> ** [[後伏見天皇]]が譲位し、第94代[[後二条天皇]]が即位。<br /> ** [[北条師時]]が鎌倉幕府第10代[[執権]]に就任。<br /> ** [[ハンガリー王国|ハンガリー国王]][[アンドラーシュ3世]]の死により[[アールパード朝]]が断絶。<br /> ** イングランド王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]が王子エドワードに「[[プリンス・オブ・ウェールズ]]」の称号を授ける。<br /> *** イングランド王位継承者としての「プリンス・オブ・ウェールズ」の始まり。<br /> * 1302年<br /> ** 教皇[[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]の回勅「[[ウナム・サンクタム]](唯一聖なる)」。<br /> ** フランス王フィリップ4世による[[三部会]]の招集。<br /> ** [[ブリュージュ]]の朝課事件と、続く[[金拍車の戦い]](コルトレイクの戦い)で[[フランドル]]がフランスから独立。<br /> * 1303年<br /> ** [[アナーニ事件]]。<br /> * 1305年 <br /> ** 元のテムル(成宗)にオゴタイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。<br /> ** [[嘉元の乱]]([[北条宗方]]の乱)。<br /> * 1306年<br /> ** チャガタイ家の[[ドゥア]]がアルタイ山脈以西からオゴタイ家を追放し中央アジアを統一。<br /> ** [[ボヘミア王国|ボヘミア国王]][[ヴァーツラフ3世]]の死により[[プシェミスル朝]]が断絶。<br /> ** [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]が[[スクーン]]でスコットランド国王として戴冠する。<br /> * 1307年<br /> ** フランス王フィリップ4世が国内の[[テンプル騎士団]]団員を一斉に逮捕。<br /> ** [[ハルジー朝]]の[[マリク・カーフール]]の南征始まる。<br /> *** [[ヤーダヴァ朝]](1307年)、[[チャンデーラ朝]](1309年)、[[カーカティーヤ朝]](1310年)、[[ホイサラ朝]]・[[パーンディヤ朝]](1311年)に遠征、貢納を約束させる。<br /> * 1308年 <br /> ** 神聖ローマ皇帝[[アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世]]が甥[[ヨーハン・パリツィーダ|ヨーハン]]に暗殺される。<br /> ** ハンガリー国王[[カーロイ1世]]が即位し、[[ハンガリー・アンジュー朝]]が成立。<br /> ** 後二条天皇が没し、第95代[[花園天皇]]が即位。<br /> ** [[守邦親王]]が鎌倉幕府第9代将軍となる。<br /> ** [[ルーム・セルジューク朝]]滅亡。<br /> * 1309年 <br /> ** [[アヴィニョン捕囚]](教皇のバビロン捕囚)。<br /> ** [[聖ヨハネ騎士団]]が[[ロドス島]]を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。<br /> <br /> === 1310年代 ===<br /> {{main|1310年代}}<br /> * 1311年<br /> ** [[ヴィエンヌ公会議]]。<br /> ** イングランドの[[リンカン大聖堂]]が完成。<br /> *** 尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。<br /> ** [[北条宗宣]]が鎌倉幕府第11代執権に就任。<br /> * 1312年<br /> ** [[北条煕時]]が鎌倉幕府第12代執権に就任。<br /> ** [[ジェノヴァ]]の航海者ランチェロット・マルチェロが[[カナリア諸島]]に到達。<br /> * 1314年<br /> ** [[バノックバーンの戦い]]で、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。<br /> ** フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。<br /> * 1315年 <br /> ** [[北条基時]]が鎌倉幕府第13代執権に就任。<br /> ** [[モルガルテンの戦い]]でスイス軍がハプスブルク軍に勝利。<br /> * 1315年-1321年頃 <br /> ** ヨーロッパで激しい[[飢饉]]。→ [[小氷期]]。<br /> * 1316年<br /> ** [[北条高時]]が鎌倉幕府第14代執権に就任。<br /> * 1317年<br /> ** 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる([[文保の和談]])。<br /> ** アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。<br /> * 1318年<br /> ** 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。<br /> ** イル・ハン国宰相であった[[ラシードゥッディーン]]が処刑される。<br /> ** [[マルセイユ]]において教皇と総長に不服従を示した[[フランシスコ会]]厳格派(スピリトゥアル派)の修道士が処刑される。<br /> <br /> === 1320年代 ===<br /> {{main|1320年代}}<br /> * 1320年<br /> ** [[デリー]]で[[トゥグルク朝]]が成立。<br /> ** {{仮リンク|1320年の羊飼い十字軍|en|Shepherds&#039; Crusade (1320)}}。<br /> ** [[スコットランド王国|スコットランド]]で[[アーブロース宣言]]を採択、イングランドからの独立が決定的に。<br /> * 1321年<br /> ** [[ダンテ・アリギエーリ]]が『[[神曲]]』を完成させ、この年に死去して[[ラヴェンナ]]に葬られる。<br /> ** 東ローマ皇帝[[アンドロニコス2世パレオロゴス|アンドロニコス2世]]に対し孫の[[アンドロニコス3世パレオロゴス|アンドロニコス]]が反乱を起こす( - [[1328年]])。<br /> * 1322年<br /> ** ミュールドルフの戦いで、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。<br /> * 1323年<br /> ** 南坡の変で、元の皇帝[[シデバラ]](英宗)が御史大夫[[テクシ]]に暗殺される。<br /> ** トゥグルグ朝の王子[[ムハンマド・ビン・トゥグルク|ウルグ・ハーン]]が南インド遠征で[[カーカティーヤ朝]]と[[パーンディヤ朝]]を滅ぼし、ホイサラ朝を再服従させる。<br /> ** 1303年とこの年のエジプトの大地震により、[[アレクサンドリアの大灯台]]が完全に崩壊する。<br /> ** この頃、元から日本へ向かう[[寺社造営料唐船|東福寺造営料唐船]]が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。<br /> * 1324年<br /> ** 後醍醐天皇の挙兵計画である [[正中の変]]が発覚。<br /> ** マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。<br /> * 1325年<br /> ** [[イブン・バットゥータ]]のメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり( - [[1355年]])。<br /> ** [[アステカ人]]が[[テスココ湖]]の島に都市[[テノチティトラン]]を築く。<br /> * 1326年 <br /> ** [[嘉暦の騒動]]<br /> *** [[北条貞顕]]が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。<br /> *** [[北条守時]]が鎌倉幕府第16代執権に就任。<br /> ** [[チャガタイ・ハン国]]の東西分裂。<br /> ** [[オッカムのウィリアム]]が異端宣告を受ける。<br /> * 1327年 <br /> ** 王妃[[イザベラ・オブ・フランス|イザベラ]]によりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。<br /> ** [[ジェーラムの戦い]]で、[[ムハンマド・ビン・トゥグルク]]がチャガタイ・ハン国を撃破。<br /> ** [[パドヴァのマルシリウス]]が破門される。<br /> * 1328年<br /> ** 元で天暦の内乱。<br /> ** フランスで[[カペー朝]]本家が断絶。分家の[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]が即位し[[ヴァロワ朝]]が始まる。<br /> ** 東ローマ皇帝アンドロニコス2世が退位させられ、孫のアンドロニコス3世が即位。<br /> ** キエフと全ルーシの府主教座が[[ウラジーミル (ウラジーミル州)|ウラジーミル]]から[[モスクワ]]に遷される。<br /> ** イスラム法学者[[イブン・タイミーヤ]]がダマスクスで獄死する。<br /> * 1329年<br /> ** [[マイスター・エックハルト]](1328年に死去)の著作と教説が異端宣告される。<br /> <br /> === 1330年代 ===<br /> {{main|1330年代}}<br /> * 1330年<br /> ** イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。<br /> * 1331年。<br /> ** [[元弘の乱]]( - [[1333年]])。<br /> *** 8月 後醍醐天皇が[[三種の神器]]を持って[[笠置山 (京都府)|笠置山]]に入る。<br /> *** 9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代[[光厳天皇]]となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。<br /> *** 10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。<br /> * 1332年 <br /> ** 鎌倉幕府、後醍醐天皇を[[隠岐島]]に流す。<br /> * 1333年<br /> ** 鎌倉幕府の滅亡。<br /> *** 2月 後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、[[船上山の戦い]]で幕府軍を退ける。<br /> *** 5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧する。<br /> *** 5月 新田義貞が[[鎌倉]]を陥落させる。東勝寺で北条氏一族郎党が自害([[東勝寺合戦]])。<br /> *** 5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と[[正慶]]の年号を廃止する。<br /> ** [[建武の新政]]の始まり。<br /> *** 6月 後醍醐天皇が京都に入る。<br /> *** 7月 [[記録荘園券契所|記録所]]を復置する。<br /> *** 9月 [[雑訴決断所]]を設置する。<br /> * 1334年<br /> ** [[二条河原の落書]]が書かれる。<br /> ** [[南禅寺]]を五山の第一とする。<br /> ** スコットランド王[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]がフランスに亡命。<br /> * 1335年 <br /> ** [[北条時行]]が[[中先代の乱]]を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に[[護良親王]]を殺害。<br /> ** ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。<br /> ** イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。<br /> * 1336年 <br /> ** 建武政権の崩壊。<br /> *** 3月 [[筑前国]]の[[多々良浜の戦い]]で足利尊氏が多々良浜に[[菊池武敏]]を破る。<br /> *** 5月 [[湊川の戦い]]で足利尊氏が新田義貞・[[楠木正成]]を破る。<br /> *** 9月 足利尊氏が擁立した北朝第2代[[光明天皇]]が即位する。<br /> *** 11月 後醍醐天皇が北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が「[[建武式目]]」を定める。<br /> *** 12月 後醍醐天皇が[[吉野]]へ逃れる([[南北朝時代 (日本)|南北朝]]分立( - 1392年))。<br /> ** [[ハリハラ1世|ハリハラ]]と[[ブッカ1世|ブッカ]]がトゥグルク朝から独立を宣言し、[[ヴィジャヤナガル王国]]を建国。<br /> * 1337年<br /> ** [[イングランド王国|イングランド]]と[[フランス王国|フランス]]の間で[[百年戦争]]が始まる(-[[1453年]])。<br /> ** [[フランドル伯]]を追放した[[ヤコブ・ヴァン・アルテベルデ]]がフランドル都市連合を結成する。<br /> * 1338年<br /> ** 室町幕府の成立。<br /> *** 5月 [[北畠顕家]]が[[高師直]]らと堺浦石津に戦うが敗死。<br /> *** 7月 新田義貞が[[斯波高経]]らと越前藤島で戦うが敗死。<br /> *** 8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍とする。足利尊氏[[室町幕府]]初代将軍となる。<br /> ** レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。<br /> ** [[カザフスタン]]東南部の[[バルハシ湖]]から[[イシク・クル|イシク湖]]近辺のステップ地帯でペストが発生。<br /> * 1339年<br /> ** [[8月15日 (旧暦)|8月15日]]、後醍醐天皇が譲位し、第97代[[後村上天皇]]が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。<br /> <br /> === 1340年代 ===<br /> {{main|1340年代}}<br /> * 1340年<br /> ** サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。<br /> ** イルハン朝の[[ジハーン・テムル]]を廃し、[[タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ]]が[[ジャライル朝]]を建国。<br /> ** [[ハールィチ・ヴォルィーニ戦争]]始まる( - [[1392年]])。<br /> ** [[妙法院]]焼き討ち事件で[[佐々木道誉]]が[[上総]]に配流される。<br /> * 1341年<br /> ** [[塩冶高貞]]が高師直の讒言により討たれる。<br /> ** [[ブルターニュ継承戦争]]( - [[1365年]])。<br /> ** 東ローマ帝国で[[ヨハネス5世パレオロゴス|ヨハネス5世]]と[[ヨハネス6世カンタクゼノス|ヨハネス6世]]の帝位争い。この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失。<br /> * 1342年<br /> ** 花園法皇が[[関山慧玄]]を開山に迎え[[妙心寺]]が創建される。<br /> ** 東ローマ帝国の都市[[テッサロニキ]]でゼーロータイ(熱心党)の反乱が起こる( - 1350年)<br /> * 1344年<br /> ** [[アラゴン連合王国|アラゴン王国]]が[[バレアレス諸島]]の[[マヨルカ王国]]を併合。<br /> ** [[至正]]4年の[[黄河]]大氾濫。<br /> * 1345年 <br /> ** 足利尊氏が[[夢窓疎石]]を開山に迎え[[天龍寺]]が創建される。<br /> * 1346年<br /> ** [[クレシーの戦い]]。<br /> ** [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]が「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。<br /> ** [[デンマーク]]王[[ヴァルデマー4世 (デンマーク王)|ヴァルデマー4世]]が[[エストニア]]を[[ドイツ騎士団]]に売却する。<br /> * 1347年<br /> ** ペストが大流行し、ヨーロッパや[[北アフリカ]]の人口が激減( - 1351年)。<br /> ** [[カレー包囲戦]]により[[カレー (フランス)|カレー市]]がイングランド軍に降伏(「[[カレーの市民]]」)。<br /> ** ハンガリー王[[ラヨシュ1世]]がナポリ女王[[ジョヴァンナ1世]]を追放、都ナポリを占領([[ラヨシュ1世のナポリ遠征]])。<br /> * 1348年<br /> ** 南アルプスの[[フリウリ]]地方から[[ケルンテン]]地方に至る大地震発生。[[フィラッハ]]で最大級の被害。<br /> ** [[四條畷の戦い]]で、[[高師直]]が[[楠木正行]]を敗死させる。北朝第3代[[崇光天皇]]が即位する。<br /> ** イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。[[ガーター勲章]]も制定。<br /> ** 神聖ローマ皇帝カール4世の命で[[プラハ大学]](現カレル大学)が設立される。<br /> * 1349年<br /> ** 京都四条河原で「([[貞和]]5年の)桟敷崩れの勧進[[田楽]]」。<br /> ** セルビアで「ドゥシャン法典」が公布される。<br /> <br /> === 1350年代 ===<br /> {{main|1350年代}}<br /> * 1350年 <br /> ** [[タイ王国|タイ]]で[[アユタヤ王朝]]成立。<br /> ** 室町幕府で足利直義と高師直との抗争が勃発([[観応の擾乱]] - 1352年)。<br /> * 1351年<br /> ** [[紅巾の乱]]。<br /> ** 高師直らが族滅され、尊氏と直義の対立が激化。[[正平の一統]]により北朝の[[崇光天皇]]が廃位される。<br /> ** 東ローマ皇帝[[ヨハネス6世カンタクゼノス]]主催の教会会議で[[静寂主義]](ヘシュカスム)の教義が勝利する。<br /> * 1352年<br /> ** 足利直義が急死する。[[八幡の戦い]]により南朝が京都から脱出し、正平の一統が崩壊。北朝第4代[[後光厳天皇]]が即位。<br /> * 1353年<br /> ** [[イルハン朝]]の滅亡。<br /> ** [[ラオス]]初の統一王朝である[[ラーンサーン王国]]が成立。<br /> * 1356年 <br /> ** [[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]によって、帝国の基本的な体制を規定する[[金印勅書]]が発布される。<br /> ** [[ポワティエの戦い]]。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。<br /> ** 元朝で[[中国の貨幣制度史|交鈔]]が廃止になる。<br /> * 1357年<br /> ** ポルトガル国王[[ペドロ1世 (ポルトガル王)|ペドロ1世]]の即位。惨殺された愛妾[[イネス・デ・カストロ]]を王妃として復権させる。<br /> * 1358年<br /> ** [[足利義詮]]が室町幕府第2代将軍となる。<br /> ** [[ジャックリーの乱]]。<br /> ** 商人ハンザと都市ハンザの統合で[[ハンザ同盟|ハンザ都市同盟]]が正式に発足。<br /> * 1359年<br /> ** [[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)]]、君主([[ハーン]])乱立時代に入る( - 1378年)。<br /> ** [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](建設公)が[[オーストリア大公]]を自称。また同年、[[ウィーン]]に[[シュテファン大聖堂]]を建立。<br /> <br /> === 1360年代 ===<br /> {{main|1360年代}}<br /> * 1360年<br /> ** [[ブレティニー条約]](ブレティニ・カレー条約)が結ばれる。<br /> *** イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王の[[ガスコーニュ]]・[[ギュイエンヌ]]領有をフランス王は承認。<br /> * 1361年<br /> ** 康安の変で、幕府執事[[細川清氏]]が[[佐々木道誉]]らにより失脚させられる。<br /> ** [[スコータイ朝]]の[[リタイ]]王が[[スリランカ]]から高僧を招き出家する。<br /> *** これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。<br /> * 1362年<br /> ** デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)。<br /> * 1363年<br /> ** ヴァロワ家の[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]が[[ブルゴーニュ公]]となる([[ブルゴーニュ公国]]の成立)。<br /> ** ルドルフ4世が[[チロル]]伯領を奪取。<br /> ** [[鄱陽湖の戦い]]。<br /> * 1364年<br /> ** [[アヴィニョン教皇庁|アヴィニョン教皇宮殿]]が完成する(1335年 - )。<br /> * 1365年<br /> ** 元で皇太子[[アユルシリダラ]]と結んだ将軍[[ココテムル]]が[[ボロト・テムル]]政権を倒す。<br /> ** オーストリア大公ルドルフ4世が[[ウィーン大学]]を創設する。<br /> * 1366年<br /> ** オスマン帝国のムラト1世が[[ブルサ]]から[[エディルネ]]に遷都。<br /> ** [[貞治の変]]で、幕府執事[[斯波義将]]とその父[[斯波高経]]が佐々木道誉らに失脚させられる。<br /> ** カスティーリャ王[[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]]が庶兄[[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ]]に追放される([[第一次カスティーリャ継承戦争]]の始まり)。<br /> * 1367年<br /> ** [[ナヘラの戦い]]で、エドワード黒太子の協力によりペドロ1世がカスティーリャ王に復帰。<br /> ** フランス王シャルル5世による王室文庫が設立される([[フランス国立図書館]]の始まり)。<br /> * 1368年<br /> ** 後村上天皇が没し、第98代[[長慶天皇]]が即位。<br /> ** 足利義満が室町幕府第3代将軍となる。<br /> ** [[寺社本所領事|応安の半済令]]施行。<br /> ** [[朱元璋]]が明を建国。<br /> ** [[アウクスブルク]]の[[ツンフト闘争]]が成功する。<br /> * 1369年<br /> ** [[モンティエルの戦い]]でカスティーリャ王ペドロ1世が殺害される。<br /> *** 殺害したトラスタマラ伯エンリケが[[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]]として王位に就く([[トラスタマラ朝]]の成立)。<br /> ** ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯[[マルグリット3世 (フランドル女伯)|マルグリット3世]]の結婚。<br /> <br /> === 1370年代 ===<br /> {{main|1370年代}}<br /> * 1370年<br /> ** ティムール朝の成立。<br /> ** [[リモージュ]]の虐殺。<br /> ** シュトラールズント条約がデンマークと[[ハンザ同盟]]で結ばれる。<br /> * 1371年<br /> ** 「[[日本国王]]良懐([[懐良親王]])」が明に遣使し、[[冊封]]を受ける。<br /> ** 北朝第5代[[後円融天皇]]が即位する。<br /> * 1372年<br /> ** [[万里の長城]]の最西端にある[[嘉峪関]]を設置する。<br /> * 1373年<br /> ** [[英葡永久同盟]]。<br /> * 1375年<br /> ** [[アステカ王国]]の成立。<br /> ** 八聖人戦争で、フィレンツェとローマ教皇庁が戦う( - 1378年)。<br /> ** [[キリキア・アルメニア王国]]がマムルーク朝に滅ぼされる。<br /> * 1375年頃<br /> ** [[チムー王国]]が[[トゥクメ]]の[[シカン文化]]圏を征服する。<br /> * 1376年<br /> ** イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。<br /> ** [[シュヴァーベン]][[都市同盟]]が[[ウルム]]で結ばれる。<br /> ** [[空印事件|空印の案]]。<br /> * 1377年<br /> ** イングランドで「{{仮リンク|悪政議会|en|Bad Parliament|}}」が招集される。エドワード3世が死去し、孫の[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]が国王に即位。<br /> ** 教皇[[グレゴリウス11世 (ローマ教皇)|グレゴリウス11世]]がアヴィニョンからローマに帰還。<br /> * 1378年<br /> ** [[花の御所]]の造営開始。<br /> ** [[教会大分裂]]([[シスマ]])。<br /> ** [[フィレンツェ]]で[[チョンピの乱]]が起きる。<br /> * 1379年 <br /> ** [[康暦の政変]]で、[[管領]][[細川頼之]]が[[斯波義将]]らに失脚させられる。<br /> <br /> === 1380年代 ===<br /> {{main|1380年代}}<br /> * 1380年<br /> ** [[クリコヴォの戦い]]で[[ルーシ]]諸侯連合軍がキプチャク・ハン国に勝利。<br /> ** キオッジャの戦いでヴェネツィアがジェノヴァに勝利し覇権を確立する。<br /> ** [[胡惟庸の獄]]。洪武帝が[[中書省]]を廃止し、[[六部]]を皇帝の直属とする。<br /> * 1381年<br /> ** イングランドで[[ワット・タイラー]]に率いられた[[農民]]・[[労働者]]が[[暴動]]を起こす([[ワット・タイラーの乱]])。<br /> ** 明で全国に[[里甲制]]を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。万里の長城の最東端にある[[山海関]]が整備される。<br /> ** [[梁王国|梁王]][[バツァラワルミ]]が滅ぼされ、明が[[雲南省|雲南]]地方を併合する。<br /> ** オスマン帝国の[[ムラト1世]]が東ローマ帝国を属国とする。<br /> * 1382年<br /> ** 明で[[錦衣衛]]が創設される。<br /> ** 足利義満により[[相国寺]]が創建される。北朝第6代[[後小松天皇]]が即位する。<br /> ** ポーランドの[[チェンストホヴァ]]の[[ヤスナ・グラ修道院]]に「[[ヤスナ・グラの聖母|黒い聖母]]」が納められる。<br /> ** [[サーリフ・ハーッジー|ハーッジー2世]]を廃位した[[バルクーク]]が[[マムルーク朝]]の君主となる([[バフリー・マムルーク朝]]から[[ブルジー・マムルーク朝]]へ)。<br /> * 1383年<br /> ** 長慶天皇が譲位し、第99代[[後亀山天皇]]が即位。<br /> * 1385年<br /> ** [[ポーランド王国]]と[[リトアニア大公国]]が[[クレヴォの合同]]を結ぶ。<br /> ** [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]が[[アヴィス朝]]を創始。[[アルジュバロタの戦い]]で[[カスティーリャ王国]]軍撃破。<br /> * 1386年 <br /> ** [[ポーランド・リトアニア合同|ポーランド・リトアニア連合王国]]成立([[ヤギェウォ朝]])。<br /> ** ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。<br /> ** イングランドで「驚嘆議会」が召集される。<br /> ** [[南禅寺]]を首位とし[[京都五山|京都]]・[[鎌倉五山|鎌倉]]を並立させる[[五山|五山制度]]が成立する。<br /> * 1388年 <br /> ** [[ブイル・ノール]]湖畔の戦いで明が北元に勝利。逃亡した[[トグス・テムル]]も殺害され北元で[[クビライ]]家の皇帝(ハーン)が断絶。<br /> ** イングランドで「[[非情議会|無慈悲議会]]」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。<br /> ** [[威化島回軍]]により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。<br /> * 1389年<br /> ** [[コソヴォの戦い]]で、オスマン帝国が[[セルビア]]を従属させる。<br /> *** オスマン帝国のムラト1世が謁見の際にセルビア人貴族ミロシュ・オビリッチに暗殺される。<br /> <br /> === 1390年代 ===<br /> {{main|1390年代}} <br /> * 1390年<br /> ** 明朝の朱元璋が[[梁王国]]を滅ぼし、[[雲南省|雲南地方]]を中国に併合。<br /> ** [[李善長の獄]]。<br /> * 1391年<br /> ** [[明徳の乱]]。<br /> * 1392年<br /> ** 李成桂が高麗を滅ぼし[[李氏朝鮮]]建国。<br /> ** [[明徳の和約]]による南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代[[後小松天皇]]に渡す。<br /> ** フランス国王シャルル6世が発狂する。<br /> ** [[チベット仏教]]の僧[[ツォンカパ]]が「ガワドンの啓示」を受ける。<br /> * 1393年 <br /> ** オスマン帝国の[[タルノヴォ]]征服により[[第二次ブルガリア帝国]]が滅亡する。<br /> ** フランスで「[[仮面舞踏会|燃ゆる人の舞踏会]]」事件。<br /> ** [[藍玉の獄]]。<br /> * 1394年<br /> ** 足利義満が将軍職を第4代[[足利義持]]に譲り、[[太政大臣]]となる。<br /> * 1395年<br /> ** [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]が神聖ローマ皇帝[[ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)|ヴェンツェル]]からミラノ公の称号を授かる([[ミラノ公国]]の成立)。<br /> ** テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスの[[トクタミシュ]]に勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都[[サライ (都市)|サライ]]を破壊。<br /> * 1396年<br /> ** [[ニコポリスの戦い]]で、オスマン帝国がキリスト教諸国同盟軍を撃破する。<br /> * 1397年<br /> ** [[カルマル同盟]]成立し、[[デンマーク]]が盟主となる。<br /> ** 足利義満が北山山荘(その一部が現在の[[鹿苑寺]]金閣)の造営を始める。<br /> * [[1398年]] <br /> ** [[ティムール]]の[[ティムールの征服戦争#インド遠征|インド北部侵攻]]。[[トゥグルク朝]]を敗走させティムールは[[デリー]]に入城。<br /> * 1399年<br /> ** [[靖難の変]]。<br /> ** 李氏朝鮮に、大内義弘自らが[[百済]]の後裔だと主張し、土地割譲求める<br /> ** 応永の乱で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟[[大内弘茂]]降伏。<br /> ** イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位して[[ランカスター朝]]が成立。<br /> <br /> === 1400年代 ===<br /> {{main|1400年代}}<br /> * 1400年<br /> ** ベトナムで[[胡季リ|胡季犛]]が[[陳朝]]を滅ぼし[[胡朝]]初代君主となる。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> <br /> === キリスト教世界 ===<br /> ==== ローマ教皇 ====<br /> * [[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]([[1235年]] - [[1303年]]) - ローマ教皇(在位[[1294年]] - [[1303年]])・フランス王と争いアナーニ事件後に憤死<br /> * [[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]([[1264年]] - [[1314年]]) - ローマ教皇(在位[[1305年]] - [[1314年]])・教皇庁を[[アヴィニョン]]に移転する<br /> * [[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]([[1244年]]? - [[1334年]]) - ローマ教皇(在位[[1316年]] - [[1334年]])・清貧論争や聖職禄問題に介入<br /> * [[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]([[1318年]] - [[1389年]]) - ローマ教皇(在位[[1378年]] - [[1389年]])・教会大分裂のローマ派初代 <br /> * [[クレメンス7世 (対立教皇)|クレメンス7世]]([[1342年]] - [[1394年]]) - ローマ教皇(対立教皇)(在位[[1378年]] - [[1394年]])・教会大分裂のアヴィニョン派初代<br /> <br /> ==== フランス・フランドル ====<br /> * [[マルグリット・ポレート]](? - [[1310年]]) - 神秘思想家・[[ベギン会]]の女性・[[自由心霊派]]に属し異端者として[[パリ]]で火刑に処される・主著は『純粋な魂の鏡』<br /> * [[ジャック・ド・モレー]]([[1244年]]? - [[1314年]]) - [[テンプル騎士団]]の最後の総長・[[ヴィエンヌ公会議]]の決定で処刑される<br /> * [[ベルナール・ギー]]([[1261年]]/[[1262年]] - [[1331年]]) - フランスのドミニコ会士・[[異端審問]]官・『異端審問の実務』の他に多くの教会文書を編纂<br /> * [[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]](端麗王)([[1268年]] - [[1314年]]) - フランス王(在位[[1285年]] - [[1314年]])・三部会を招集・アナーニ事件では教皇権を抑える<br /> * [[ヤコブ・ヴァン・アルテベルデ]]([[1290年]]頃 - [[1345年]]) - フランドル都市連合の指導者・百年戦争初期に親仏派の[[フランドル伯]]を追放しイギリスに接近<br /> * [[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]([[1293年]] - [[1350年]]) - [[ヴァロワ朝]]初代のフランス王(在位[[1328年]] - [[1350年]])・百年戦争では[[クレシーの戦い]]で敗北<br /> * ヤン・ヴァン・ルースブルック([[1293年]] - [[1381年]]) - フランドルの修道士・神秘主義者・『霊的婚姻』『燦めく石』『最高の真理について』がある<br /> * [[ジャン・ビュリダン]]([[1295年]]頃 - [[1358年]]) - フランスの聖職者・哲学者として「[[インペトゥス理論]]」を展開・「[[ビュリダンのロバ]]」でも有名<br /> * [[ギー・ド・ショーリアック]]([[1298年]] - [[1368年]]) - フランスの外科医・アヴィニョン教皇歴代の侍医で[[黒死病]]に遭遇する・『大外科書』を著した<br /> * [[ギヨーム・ド・マショー]]([[1300年]]頃 - [[1377年]]) - フランスの[[アルス・ノーヴァ]]の作曲家・詩人・「[[ノートルダム・ミサ曲]]」が有名<br /> * [[エティエンヌ・マルセル]]([[1315年]] - [[1358年]]) - パリ市長・王太子シャルルと対立し百年戦争の間にパリを支配・ジャックリーの乱とも合流<br /> * ギョーム・カルル(? - [[1358年]]) - フランスの農民・[[ジャックリーの乱]]の指導者・ナバラ王シャルルに敗れ処刑される <br /> * [[ベルトラン・デュ・ゲクラン]]([[1320年]] - [[1380年]]) - フランスの軍人・国王シャルル5世に仕え百年戦争初期に活躍・フランスの劣勢を挽回<br /> * [[ニコル・オレーム]]([[1323年]] - [[1382年]]) - フランスの聖職者・科学者として『天体地体論』を執筆・国王側近として貨幣改革の理論家として活躍<br /> * [[ニコラ・フラメル]]([[1330年]] - [[1418年]]) - パリの出版業者・[[錬金術]]師として「[[賢者の石]]」を発見したとされ『象形寓意の図』の作者に仮託される<br /> * [[ジャン・フロワサール]]([[1337年]]頃 - [[1405年]]頃) - [[フランドル]]出身の年代記作家・『年代記』は百年戦争前半における重要な史料<br /> * [[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]](賢明王)([[1338年]] - [[1380年]]) - ヴァロワ朝のフランス王(在位[[1364年]] - [[1380年]])・ブレティニ・カレー条約で領土奪回<br /> * [[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ2世]](豪胆公)([[1342年]] - [[1404年]]) - [[ヴァロワ家]]の初代[[ブルゴーニュ公]](在位[[1363年]] - [[1404年]])・婚姻によりフランドルを継承<br /> * [[ロクス]]([[1348年]] - [[1376年]]([[1295年]] - [[1327年]]説もあり)) - フランス南部[[モンペリエ]]出身の信仰者・[[黒死病]]に対する守護聖人として崇敬される<br /> <br /> ==== イタリア ====<br /> * [[ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ]]([[1246年]] - [[1328年]]) - イタリア生まれの宣教師・インドを経て中国で宣教を行い[[大都]]大司教となる<br /> * [[ディーノ・コンパーニ]]([[1255年]] - [[1324年]]) - フィレンツェの政治家・商人・年代記作者として黒派と白派の対立を描く『年代記』を執筆<br /> * [[ダンテ・アリギエーリ]]([[1265年]] - [[1321年]]) - フィレンツェの政治家・哲学者・詩人・『[[神曲]]』や『[[新生 (詩集)|新生]]』のほか『[[俗語論]]』も執筆<br /> * [[ジョット・ディ・ボンドーネ]]([[1267年]]頃 - [[1337年]]) - フィレンツェの[[ゴシック]]期の画家・彫刻家・建築家・[[ルネサンス]]の先駆者とされる<br /> * [[パドヴァのマルシリウス]]([[1275年]]/[[1280年]]/[[1290年]] - [[1342年]]/[[1343年]]) - イタリアの哲学者・神学者・『平和の擁護者』の著者<br /> * [[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]]([[1276年]]/[[1280年]] - [[1348年]]) - フィレンツェの銀行家・歴史家・『新年代記』で同時代の経済発展と危機を記録<br /> * [[シモーネ・マルティーニ]]([[1284年]]頃 - [[1344年]]) - シエナのゴシック期の画家・アヴィニョンでも活躍し[[国際ゴシック]]の先駆者とされる<br /> * [[マリーノ・ファリエロ]] ([[1285年]] - [[1355年]]) - [[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]の元首・世襲君主になる政変を起こすが失敗し処刑される<br /> * [[オドリコ|ポルデノーネのオドリコ]]([[1286年]] - [[1331年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・インドから中国まで歴訪し『東洋旅行記』を残す<br /> * [[ジョヴァンニ・デ・マリニョーリ]]([[1290年]]? - [[1357年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・宣教師として元朝に赴き順帝に会見<br /> * [[シモン・ボッカネグラ]](? - [[1363年]]) - [[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]初代総督・平民派政権を樹立するが毒殺される・オペラの主人公としても有名<br /> * [[フランチェスコ・ペトラルカ]]([[1304年]] - [[1374年]]) - イタリアの人文主義者・古典学者・[[桂冠詩人]]・『アフリカ』『凱旋』の著者<br /> * ジル・デ・アルボルノス([[1310年]] - [[1367年]]) - スペイン出身の枢機卿・アヴィニョン教皇に従いイタリア各地の僭主を平定し教皇領を回復<br /> * [[ジョバンニ・ボッカチオ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - フィレンツェの古典学者・[[作家]]・ペストの時代を活写した『[[デカメロン]]』がある<br /> * [[コーラ・ディ・リエンツォ]]([[1313年]]? - [[1354年]]) - ローマの政治家・[[護民官]]を名乗り教皇不在のローマ復興を唱えるが処刑される<br /> * [[ジョン・ホークウッド]]([[1320年]] - [[1394年]]) - イングランド出身の[[コンドッティエーレ|傭兵隊長]]・百年戦争に参加したのちにイタリア諸都市の抗争に介入<br /> * [[コルッチョ・サルターティ]]([[1331年]] - [[1406年]]) - フィレンツェの政治家(書記官長)・人文主義者・古典復興を行い『専制君主論』を執筆<br /> * [[フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ]]([[1335年]]頃 - [[1410年]]) - [[プラート]]の商人・15万通にも及ぶ「ダティーニ文書」を残す<br /> * [[シエナのカタリナ]]([[1347年]] - [[1380年]]) - ドミニコ会第三会員の在俗修道女・教皇のアヴィニョンからローマへの帰還を促す・後に列聖<br /> * [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]([[1351年]] - [[1402年]]) - [[ヴィスコンティ家]]の初代ミラノ公(在位[[1395年]] - [[1402年]])<br /> <br /> ==== 神聖ローマ帝国 ====<br /> * [[マイスター・エックハルト]]([[1260年]]頃 - [[1328年]]頃) - ドイツの神学者・[[ドイツ神秘主義|神秘主義]]者・異端宣告を受ける・著作に『神の慰めの書』など<br /> * [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]([[1282年]] - [[1347年]]) - [[ヴィッテルスバッハ朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1314年]] - [[1347年]])・レンゼ選帝侯会議を開催<br /> * ハインリヒ・ゾイゼ([[1295年]]頃 - [[1366年]]) - ドイツのドミニコ会士・神秘主義者・キリストの受難の観想を勧め苦行を実践・説教者としても活躍<br /> * ヨハネス・タウラー([[1300年]] - [[1361年]]) - ドイツのドミニコ会士・神秘主義者・日常生活での魂の救済を掲げた「神の友」の運動を推進する<br /> * ヨハネス・ハドラウブ([[13世紀]]末 - [[1340年]]) - ドイツの詩人・ミンネザンガー・中世盛期の宮廷詩人選集『[[マネッセ写本]]』の編者と目される<br /> * [[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]([[1316年]] - [[1378年]]) - [[ルクセンブルク朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1355年]] - [[1378年]])・「金印勅書」を発布し[[七選帝侯]]を定める<br /> * [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](建設公)([[1339年]] - [[1365年]]) - [[ハプスブルク家]]のオーストリア公・「大公」の詐称やウィーンの整備で有名<br /> * [[ティル・オイレンシュピーゲル]]([[1300年]]? - [[1350年]]?) - ドイツのクナイトリンゲン出身の[[トリックスター]]・民衆本の伝説で有名<br /> <br /> ==== イングランド ====<br /> * [[オッカムのウィリアム]]([[1285年]] - [[1347年]]) - イングランドのフランシスコ会士・後期スコラ学(唯名論)の神学者・哲学者<br /> * エドワード3世([[1312年]] - [[1377年]]) - イングランド王(在位[[1327年]] - [[1377年]])・百年戦争を引き起こす・別名は「羊毛商人王」<br /> * [[ジョン・ウィクリフ]]([[1320年]]頃 - [[1384年]]) - [[オックスフォード大学]]教授・その教説から[[ロラード派]]が展開し[[宗教改革]]の先駆者となる<br /> * [[エドワード黒太子]]([[1330年]] - [[1376年]]) - イングランドのエドワード3世の王太子・[[クレシーの戦い]]やポワティエの戦いで勝利<br /> * {{仮リンク|ウィリアム・ラングランド|en|William Langland}} ([[1332年]] – [[1386年]]頃) - イングランドの[[詩人]]・社会風刺を含んだ宗教詩『農夫ピアズの夢』を執筆<br /> * [[ワット・タイラー]](? - [[1381年]]) - イングランドの農民・[[ワット・タイラーの乱]]の指導者・ロンドン市長により暗殺される<br /> * [[ジョン・ボール]]([[1338年]]頃 - [[1381年]]) - イングランドの司祭・ウィクリフの影響を受けワット・タイラーの乱では精神的指導者となる<br /> * ウォルター・ヒルトン([[1340年]]/[[1345年]] - [[1396年]]) - イングランドの神秘主義者・著作に『完徳の階梯』『天使の歌』がある<br /> * [[ジェフリー・チョーサー]]([[1343年]]頃 - [[1400年]]) - イングランドの詩人・巡礼途上の様々な人々が語らう『[[カンタベリー物語]]』を執筆<br /> * ジョン・マンデヴィル(生没年不詳) - イングランドの著作家・幻想と奇談で知られる『東方旅行記』を書く・架空人物説もある<br /> <br /> ==== スコットランド ====<br /> * [[ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス]]([[1266年]]? - [[1308年]]) - スコットランドの[[フランシスコ会]]士・後期[[スコラ学]](実在論)の[[神学者]]・精妙博士<br /> * [[ウィリアム・ウォレス]]([[1272年]]頃 - [[1305年]]) - スコットランドの愛国者・イングランドによるスコットランド支配に抵抗<br /> * [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]([[1274年]] - [[1329年]]) - スコットランド国王(在位[[1306年]] - [[1329年]])・[[スコットランド独立戦争|独立戦争]]に勝利・[[アーブロース宣言]]を採択<br /> <br /> ==== 東ローマ帝国 ====<br /> * テオドロス・メトキテス([[1270年]] - [[1332年]]) - 東ローマ帝国宰相・[[パレオロゴス朝ルネサンス|パレオロゴス時代]]の建築を代表する[[カーリエ博物館|コーラ修道院]]の増改築を行う<br /> * ヨハネス・ククゼレス([[1280年]]頃 - [[1360年]]) - 東ローマ帝国の音楽家・カロフォニーと呼ばれる詠唱法を大成・「光栄讃詞」などの作品がある<br /> * カラブリアのバルラアム([[1290年]]頃 - [[1348年]]) - 南イタリアのギリシア人神学者・静寂主義論争では反対派の中心となり後年はカトリックに改宗<br /> * [[ヨハネス6世カンタクゼノス]]([[1295年]] - [[1383年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1347年]] - [[1354年]])・帝位継承争いで国土を消耗・『歴史』を残す<br /> * [[グレゴリオス・パラマス]]([[1296年]] - [[1359年]]) - [[アトス山]]の修道士・[[テッサロニキ|テサロニケ]]大主教・神学者として[[静寂主義]]({{仮リンク|ヘシカズム|en|Hesychasm}})を提唱<br /> * [[メテオラ]]のアタナシオス([[1305年]] - [[1380年]]) - メテオラの修道士・メガロ・メテオロン(メタモルフォシス)修道院を建立・[[ヨヴァン・ウロシュ・パレオロゴス|ヨアサフ]]は弟子<br /> * [[ニコラオス・カヴァシラス|ニコラオス・カバシラス]]([[1319年]]/[[1323年]]頃 - [[1391年]]後) - 東ローマ帝国の神学者・静寂主義を擁護・『聖体礼儀の注解』を執筆<br /> * キュドネス・デメトリオス([[1324年]]頃 - [[1397年]]/[[1398年]]) - 東ローマ帝国の神学者・教会合同でラテン語を学びトマス神学を紹介・静寂主義と対立<br /> * マヌエル・クリュソロラス([[1350年]] - [[1415年]]) - 東ローマ帝国の人文主義者・フィレンツェに招かれ[[コルッチョ・サルターティ|サルターティ]]らにギリシア語を教授する<br /> * [[マヌエル2世パレオロゴス]]([[1350年]] - [[1425年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1391年]] - [[1425年]])・西欧諸国に救援依頼・文人皇帝でもある<br /> <br /> ==== 東欧 ====<br /> * モスクワのピョートル(? - [[1326年]]) - [[キエフ]]と全[[ルーシ]]の[[府主教]]・府主教座を[[モスクワ]]に遷す・モスクワ大公に[[生神女就寝大聖堂 (モスクワ)|ウスペンスキー聖堂]]建設も進言<br /> * [[ゲディミナス]]([[1275年]] - [[1341年]]) - [[リトアニア大公国]]の君主(在位[[1316年]] - [[1341年]])・キリスト教化に苦慮しつつ東方に領土拡大<br /> * [[イヴァン1世]](カリター)([[1288年]] - [[1340年]]) - [[モスクワ大公]](在位[[1325年]] - [[1340年]])・モンゴルの徴税制度を利用しモスクワの支配を拡大<br /> * アレクセイ([[1293年]] - [[1378年]]) - [[モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧|モスクワ府主教]]・モンゴル人との折衝を行い幼帝ドミートリーを補佐・「全ロシアの奇跡者」<br /> * [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]([[1308年]] - [[1355年]]) - ネマニッチ朝の[[セルビア帝国]]の君主(在位[[1346年]] - [[1355年]])・[[バルカン半島]]に覇を唱える<br /> * [[カジミェシュ3世]](大王)([[1310年]] - [[1370年]]) - [[ピャスト朝]]のポーランド王(在位[[1333年]] - [[1370年]])・ウクライナに領土拡大<br /> * [[ラヨシュ1世]](大王)([[1326年]] - [[1382年]]) - [[アンジュー朝]]のハンガリー王(在位[[1342年]] - [[1382年]])、ポーランド王(在位[[1370年]] - [[1382年]])<br /> * ペルミのステファン([[1340年]] - [[1396年]]) - [[ペルミ]]の主教・[[フィン・ウゴル系]][[コミ人]]への宣教を進める・[[イコン]]制作者としても有名<br /> * [[ドミートリー・ドンスコイ]]([[1350年]] - [[1389年]]) - 第4代[[モスクワ大公]](在位[[1359年]] - [[1389年]])・クリコヴォの戦いで[[モンゴル人]]に勝利<br /> * [[ラドネジのセルギイ]]([[1321年]]/[[1322年]]頃 - [[1392年]]) - ロシアの修道士・[[至聖三者聖セルギイ大修道院]]の創設者<br /> * [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]([[1351年]] - [[1434年]]) - ヤギェウォ朝創始者(ポーランド王位[[1386年]] - [[1434年]]、リトアニア大公位[[1377年]] - [[1401年]])<br /> <br /> ==== 北欧 ====<br /> * [[スウェーデンのビルギッタ|ビルギッタ]]([[1303年]] - [[1373年]]) - スウェーデンの修道女・ビルギッタ会をまとめ[[ヴァドステーナ修道院]]を建設・晩年はローマに定住<br /> * [[マルグレーテ1世]]([[1353年]] - [[1412年]]) - 北欧連合王国の事実上の支配者([[1397年]] - [[1412年]])・カルマル同盟を締結<br /> <br /> ==== イベリア半島 ====<br /> * [[イネス・デ・カストロ]]([[1325年]] - [[1355年]]) - ポルトガル王[[ペドロ1世]]の愛妾・婚姻問題に絡み悲劇的な死を迎えるが死後に王妃として復権<br /> * [[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]](残酷王)([[1334年]] - [[1369年]]) - カスティーリャ国王(在位[[1350年]] - [[1369年]])・庶兄のエンリケ2世に殺害される<br /> * [[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]](恩寵王)([[1333年]] - [[1379年]]) - [[カスティーリャ]]国王(在位[[1369年]] - [[1379年]])・ペドロ1世を倒し[[トラスタマラ朝]]を興す<br /> * [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]](大王)([[1357年]] - [[1433年]]) - [[アヴィス朝]]の創始者・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(在位[[1385年]] - [[1433年]])・[[アルジュバロータの戦い]]に勝利<br /> * [[ラモン・リュイ|ライムンドゥス・ルルス]]([[1232年]] - [[1315年]]) - [[マジョルカ島]]出身のフランシスコ会士・文字結合術の[[アルス・マグナ]]を理論化する<br /> * [[ビセンテ・フェレール]]([[1350年]] - [[1419年]]) - [[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]出身のドミニコ会士・教会大分裂ではアヴィニョン派を支持・[[カスペの妥協]]でも活躍<br /> <br /> === イスラム世界 ===<br /> * [[ドゥア]](? - [[1307年]]頃)- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1283年]] - [[1307年]])・最盛期の君主 <br /> * [[ラシードゥッディーン]]([[1249年]] - [[1318年]]) - [[イル・ハン国]]の政治家・[[ガザン・ハン|ガザン]]と[[オルジェイトゥ]]に仕える・歴史家として『[[集史]]』を編纂<br /> * [[サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー]]([[1252年]] - [[1334年]]) - ペルシアのサファヴィー教団教主・[[サファヴィー朝]]の遠祖<br /> * [[オスマン1世]]([[1258年]] - [[1326年]]) - [[オスマン朝]]の初代スルタン(在位[[1299年]] - [[1326年]])・コユンヒサルの戦いで東ローマ帝国に勝利<br /> * [[ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー|イブン・アッティクタカー]]([[1262年]]頃 - ?) - イラクのシーア派指導者・帝王学の書『[[アルファフリー]]』を残す<br /> * [[ワッサーフ]](生没年不詳) - イル・ハン国の歴史家・『[[世界征服者の歴史]]』の続編『領土の分割と年月の推移(ワッサーフ史)』を執筆<br /> * [[アラー・ウッディーン・ハルジー]]([[1266年]]? - [[1316年]]) - [[ハルジー朝]]の第3代スルターン(在位[[1296年]] - [[1316年]])・最大領土を実現<br /> * [[マリク・カーフール]](? - [[1316年]]) - ハルジー朝の宰相・宦官・アラーウッディーンの下で南インド諸王朝を制圧・新王擁立に際し暗殺される<br /> * [[アブ・アル=フィダ|アブー・アル・フィダー]]([[1273年]] -[[1331年]]) - マムルーク朝の政治家・アイユーブ家の末裔・歴史家として『人類史綱要』『諸国の秩序』がある<br /> * [[アウハディー・マラーギー]]([[1274年]]頃 - [[1338年]]) - [[イスファハーン]]出身の[[スーフィー]]詩人・代表作は『ジャムの酒杯』・[[マラーゲ]]に墓廟がある <br /> * [[マンサ・ムーサ]](カンカン・ムーサ)(? - [[1337年]]?) - [[マリ帝国]]の第10代君主(マンサ)(在位[[1312年]] - [[1337年]])・壮麗な[[メッカ]]巡礼で有名<br /> * ハーッジー・ベクターシュ(? - [[1337年]]頃) - トルコの神秘主義者・神秘主義教団を形成し後に[[イェニチェリ]]の信仰にも影響を与える<br /> * [[ギャースッディーン・トゥグルク]](? - [[1325年]]) - トゥグルク朝の初代スルタン(在位[[1320年]] - [[1325年]])<br /> * ヌワイリー([[1279年]] - [[1332年]]) - マムルーク朝に仕えた官僚・歴史や地誌を含んだ百科全書的な著作『究極の目的』を執筆<br /> * ハージュー・ケルマーニー([[1280年]] - [[1352年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人<br /> * [[オルジェイトゥ]]([[1281年]] - [[1316年]]) - イル・ハン国の第8代君主(在位[[1304年]] - [[1316年]])・[[ソルターニーイェ]]に遷都<br /> * [[ハムドゥッラー・ムスタウフィー・カズヴィーニー]]([[1281年]] - [[1349年]]) - イル・ハン国の歴史家・散文史『選史』や韻文史『勝利の書』を執筆<br /> * [[ナースィル・ムハンマド]]([[1285年]] - [[1341年]]) - [[マムルーク朝]]の第10・13・15代スルタン(在位[[1293年]] - [[1341年]]まで断続的)<br /> * [[ウズベク・ハン]](? - [[1340年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の第10代君主(在位[[1312年]] - [[1342年]])・最盛期の君主<br /> * [[ケベク]](? - [[1326年]])- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1320年]] - [[1326年]])・その死後に国が東西分裂<br /> * [[ムハンマド・ビン・トゥグルク]](? - [[1351年]]) - トゥグルグ朝の君主(在位[[1325年]] - [[1351年]])・度重なる遠征をおこない、首都を一時的に[[ダウラターバード]]に遷都。「天才か狂人か」と評される<br /> * [[イブン・バットゥータ]]([[1304年]]頃 - [[1368年]]頃) - [[モロッコ]]生まれの旅行家・マリーン朝のスルターンに依頼され『[[三大陸周遊記]]』を執筆<br /> * [[イブン・アル=ハティーブ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - ナスル朝の政治家(宰相)・詩人・歴史家としては『グラナダ史』を残す<br /> * [[ママイ (キヤト部)|ママイ]](? - [[1380年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の政治家・[[クリコヴォの戦い]]でモスクワ公国に敗北<br /> * [[ムラト1世]]([[1319年]]/[[1326年]] - [[1389年]]) - オスマン朝の第3代スルタン(在位[[1359年]] - [[1389年]])・コソヴォの戦いで勝利<br /> * [[ハーフェズ]]([[1325年]] - [[1389年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人・出身地[[シーラーズ]]には「ハーフェズ廟」が残る<br /> * [[イブン・ハルドゥーン]]([[1332年]] - [[1406年]]) - [[チュニス]]生まれの政治家・歴史家として『[[歴史序説]]』の著者<br /> * [[ティムール]]([[1336年]] - [[1405年]]) - 中央アジアの征服者でティムール朝の建設者(在位[[1370年]] - [[1405年]])<br /> * [[トクタミシュ]](? - [[1406年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の君主(在位[[1378年]] - [[1395年]])・キプチャク・ハン国を再統一<br /> * [[バヤズィト1世]]([[1360年]] - [[1403年]]) - オスマン朝の第4代スルタン(在位[[1389年]] - [[1402年]])・ニコポリスの戦いで勝利<br /> * [[バルクーク]]([[1366年]] - [[1399年]]) - マムルーク朝のスルタン(在位[[1382年]] - [[1399年]]まで断続的)・バフリー系からブルジー系へ<br /> * マンスール・イブン・イリヤス(14世紀末 - 15世紀初頭) - ペルシアの解剖学者・神経系や循環器系の画像を伴う『人体解剖書』を執筆<br /> <br /> === 南アジア・東南アジア ===<br /> * ハリハラ1世(? - [[1356年]]) - 南インドの[[ヴィジャヤナガル朝|ヴィジャヤナガル王国]]サンガマ朝の初代国王(在位[[1336年]] - [[1356年]])<br /> * [[ガジャ・マダ]](?- [[1364年]]) - ジャワ島の[[マジャパヒト朝]]の宰相・トリブワナー女王からハヤム・ウルク王を補佐し王国の全盛期を築く<br /> * [[ラーマーティボーディー1世]]([[1314年]]? - [[1369年]]) - タイのアユタヤ朝の初代国王(在位[[1351年]] - [[1369年]])・アユタヤを都とする<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 元・明 ====<br /> * [[テムル]]([[1265年]] - [[1307年]]) - 元の第2代皇帝(成宗)(在位[[1294年]] - [[1307年]])・[[カイドゥ]]の乱を鎮圧し西方ハン国と和平を結ぶ<br /> * [[黄公望]]([[1269年]] - [[1354年]]) - 元の[[水墨画]]家・[[元末四大家]]の一人・「[[富春山居図]]」が代表作で画論『写山水訣』もある<br /> * [[呉鎮]]([[1280年]] - [[1354年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・孤高清貧の生涯を送る・代表作に「洞庭漁隠図」がある<br /> * [[アユルバルワダ]]([[1285年]] - [[1320年]]) - 元の第4代皇帝(仁宗)(在位[[1311年]] - [[1320年]])・廃止されていた[[科挙]]を復活<br /> * 康里&amp;#x5dce;&amp;#x5dce;([[1295年]] - [[1345年]]) - 元の[[色目人]]の官僚・書家として「李白詩巻」がある<br /> * [[楊維テイ|楊維楨]]([[1296年]] - [[1370年]]) - 元の官僚・詩人として『東維子集』がある<br /> * [[倪サン|倪瓚]]([[1301年]] - [[1374年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・各地を放浪し「漁荘秋霽図」などの作品を残す<br /> * 高則誠([[1305年]] - [[1359年]]) - 元の劇作家・夫婦の再会と情愛を描いた[[元曲]]「[[琵琶記]]」の作者<br /> * [[王蒙 (画家)|王蒙]]([[1308年]] - [[1385年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・官吏でもあったが胡惟庸の獄に連座し獄死・「青卞隠居図」がある<br /> * 薩都剌([[1308年]] - ?) - 元のモンゴル系イスラム教徒の官吏・詩人として『雁門集』がある<br /> * [[宋濂]]([[1310年]] - [[1381年]]) - 元末明初の政治家・儒学者・明の礼楽制度を整備・『[[元史]]』の編者・[[方孝孺]]の師<br /> * [[劉基]](劉伯温)([[1311年]] - [[1375年]]) - 元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師として小説や講談の主役として名高い<br /> * [[トクト]]([[1314年]] - [[1355年]]) - 元の宰相・『[[宋史]]』など歴史書の編纂や[[黄河]]の治水に尽力・紅巾の乱の鎮圧中に殺害される<br /> * [[李善長]]([[1314年]] - [[1390年]]) - 明初の政治家(左丞相)・明の行政財政の基礎をなす・胡惟庸の獄に連座して誅殺される<br /> * [[トゴン・テムル]]([[1320年]] - [[1370年]]) - 元の最後の皇帝(順帝)(在位[[1333年]] - [[1370年]])・大都を捨て北元の初代となる<br /> * [[韓山童]](? - [[1351年]]) - 元末の反乱指導者・[[白蓮教]]を組織し紅巾の乱を引き起こす<br /> * [[韓林児]](? - [[1366年]]) - 元末の反乱指導者・[[韓山童]]の子・宋朝の復興を唱える<br /> * [[方国珍]]([[1319年]] - [[1374年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[浙江省|浙江]]で海賊と結んで自立・朱元璋と敵対するが屈服<br /> * [[陳友諒]]([[1320年]] - [[1363年]]) - 元末の群雄・紅巾の乱から[[湖北省|湖北]]を根拠地として自立・[[鄱陽湖の戦い]]で朱元璋に敗北<br /> * [[張士誠]]([[1321年]] - [[1367年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[蘇州市|蘇州]]を根拠地として自立・朱元璋に敗北する<br /> * [[朱元璋]]([[1328年]] - [[1398年]]) - 明の初代皇帝(太祖洪武帝)(在位[[1368年]] - [[1398年]])<br /> * [[徐達]]([[1332年]] - [[1385年]]) - 明初の[[大将軍]]・左[[相国]]・大都を元一族から奪回し占領・第一の功臣とされる<br /> * [[胡惟庸]](? - [[1380年]]) - 明初の政治家(左丞相)・北元や日本と内通したとして[[胡藍の獄#胡惟庸の獄|胡惟庸の獄]]にて粛清される<br /> * [[藍玉 (明)|藍玉]](? - [[1393年]]) - 明初の将軍・[[ブイル・ノール]]湖畔の戦いで北元に勝利・[[胡藍の獄#藍玉の獄|藍玉の獄]]にて粛清される<br /> * [[施耐庵]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[水滸伝]]』の編者? [[羅貫中]]の師か?(→[[水滸伝の成立史]])<br /> * [[羅貫中]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[三国志演義]]』『[[平妖伝|三遂平妖伝]]』の編者? [[施耐庵]]の門人か?(→[[三国志演義の成立史]])<br /> * [[高啓]]([[1336年]] - [[1374年]]) - 明初の詩人・『[[元史]]』の編者・「宮女図」の詩文がもとで腰斬の刑に処される<br /> * [[方孝孺]]([[1357年]] - [[1402年]]) - 明初の儒学者・建文帝の側近として翰林侍講学士となる・靖難の変に連座して虐殺される<br /> * [[建文帝]]([[1377年]] - [[1402年]]?) - 明の第2代皇帝(在位[[1398年]] - [[1402年]])・靖難の変により叔父[[永楽帝|燕王]]に帝位を簒奪される<br /> <br /> ==== チベット ====<br /> * カルマ・リンパ([[1326年]] - [[1386年]]) - チベット仏教[[ニンマ派]]のテルトン(埋蔵経発掘者)・『[[チベット死者の書]]』を発掘したか<br /> * [[ツォンカパ]]([[1357年]] - [[1419年]]) - [[チベット仏教]]最大の学僧・歴代[[ダライ・ラマ]]の所属する[[ゲルク派]](黄帽派)の開祖<br /> <br /> ==== 高麗・朝鮮 ====<br /> * [[鄭夢周]]([[1337年]] - [[1392年]]) - 高麗の儒学者・[[倭寇]]について[[九州探題]][[今川貞世]]と交渉を行う・李成桂の王位簒奪には反対し暗殺される<br /> * [[李成桂]]([[1335年]] - [[1408年]]) - 李氏朝鮮の初代国王(在位[[1392年]] - [[1398年]])・倭寇やモンゴルとの戦いで功績をあげ高麗を倒す<br /> <br /> === 日本 ===<br /> * [[京極為兼]]([[1254年]] - [[1332年]]) - 公卿(権大納言)・歌人として『[[玉葉和歌集]]』を選集・両統迭立にからみ二度流罪にされる<br /> * [[度会家行]]([[1256年]] - [[1351年]]) - [[伊勢神宮]](外宮)の神官・[[反本地垂迹説]]を大成し[[伊勢神道]]を提唱・南朝を支援し影響を与える<br /> * [[後深草院二条]]([[1258年]] - ?) - [[後深草天皇|後深草院]]付きの女房・[[日記]]であり[[紀行文]]でもある『[[とはずがたり]]』を残す<br /> * [[高階隆兼]](活動時期[[1309年]] - [[1330年]]) - 御所[[画所]]の絵師・[[西園寺公衡]]の依頼で[[春日大社]]に奉納した「[[春日権現験記]]」で有名<br /> * [[北条貞時]]([[1271年]] - [[1311年]]) - 鎌倉幕府第9代執権(在任[[1284年]] - [[1301年]])・執権退任後に[[嘉元の乱]]が起きる<br /> * [[長崎円喜]](? - [[1333年]]) - 武将・[[内管領]](得宗家執事)・[[嘉暦の政変]]を経て息子[[長崎高資|高資]]ととも幕府末期の実権を握る<br /> * [[正宗|岡崎正宗]](生没年不詳) - 刀工・相模国鎌倉で活動し「相州伝」と呼ばれる作風を確立・刀剣史上もっとも著名な刀工の一人<br /> * [[夢窓疎石]]([[1275年]] - [[1351年]]) - 禅僧・京都[[天竜寺]]開山・七朝帝師(歴代天皇から国師号を七度賜る)<br /> * [[赤松則村]]([[1277年]] - [[1350年]]) - 武将・守護大名・後醍醐天皇を支持し六波羅攻略で活躍・建武政権の後は足利尊氏に従う <br /> * [[虎関師錬]]([[1278年]] - [[1346年]]) - 禅僧・[[東福寺]]ほかの住持・日本最初の仏教通史『[[元亨釈書]]』の著者<br /> * [[文観]]([[1278年]] - [[1357年]]) - 真言宗の僧・醍醐座主・東寺長者・[[立川流 (密教)|立川流]]を大成したとされ後醍醐天皇に信任され南朝につく<br /> * [[円観]]([[1281年]] - [[1356年]]) - 天台宗の僧・法勝寺勧進職・後醍醐天皇に近侍するが後に北朝につく・『[[太平記]]』の編纂を行ったか<br /> * [[宗峰妙超]](大燈国師)([[1282年]] - [[1338年]]) - 禅僧・京都[[大徳寺]]開山・弟子の[[関山慧玄]]を[[妙心寺]]開山に推薦<br /> * [[吉田兼好]]([[1283年]]頃 - [[1352年]]以後) - 官人・遁世者・歌人・随筆家で『[[徒然草]]』の著者・[[和歌四天王]]の一人<br /> * [[後醍醐天皇]]([[1288年]] - [[1339年]]) - 第96代天皇(在位[[1318年]] - [[1339年]])・建武の新政を行う・吉野に退避し南朝の初代となる<br /> * [[日野資朝]]([[1290年]] - [[1332年]]) - 公卿(権中納言)・[[日野俊基]]らとともに後醍醐天皇に近侍・[[正中の変]]で[[佐渡国|佐渡]]に流罪となる<br /> * [[雪村友梅]]([[1290年]] - [[1347年]]) - 禅僧・[[一山一寧]]の門人で元に渡航・帰国後は京都[[万寿寺]]住持・[[五山文学]]の先駆け<br /> * [[洞院公賢]]([[1291年]] - [[1360年]]) - 公卿(太政大臣)・建武政権から北朝に転じ正平の一統で活躍・日記『[[園太暦]]』はこの時代の重要資料<br /> * [[北畠親房]]([[1293年]] - [[1354年]]) - 公卿([[大納言]])・[[准三后]]・南朝の指導者として[[正平の一統]]を指揮・『[[神皇正統記]]』の著者<br /> * [[楠木正成]]([[1294年]] - [[1336年]]) - 武将・赤坂城や千早城で討幕運動を行う・建武政権から続いて南朝側に与す・「[[三木一草]]」の一人<br /> * [[名和長年]](? - [[1336年]]) - 武将・後醍醐天皇の隠岐脱出を援助・建武政権から続いて南朝側に与す・「三木一草」の一人<br /> * [[佐々木道誉]]([[1296年]] - [[1373年]]) - 武将・室町幕府で[[政所]]執事などを歴任し[[貞治の変]]を主導・[[ばさら|婆沙羅大名]]としても有名<br /> * [[尊円法親王]]([[1298年]] - [[1356年]]) - 天台座主・青蓮院門跡・伏見天皇の皇子・後代に公式文書として用いられた書流[[尊円流|御家流]]の祖<br /> * [[賢俊]]([[1299年]] - [[1357年]]) - 真言宗の僧・醍醐寺座主・東寺長者・文観を排除し北朝側につく・尊氏の護持僧となり幕政にも関与<br /> * [[守邦親王]]([[1301年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第9代将軍(在任[[1308年]] - [[1333年]])・[[鎌倉の戦い|鎌倉幕府滅亡]]の後に将軍を辞す <br /> * [[新田義貞]]([[1301年]] - [[1338年]]) - 武将・[[左近衛中将]]・北条氏を滅ぼし鎌倉を占拠・建武政権から続いて南朝側に与す・越前藤島で戦死<br /> * [[北条高時]]([[1303年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第14代執権(在任[[1316年]] - [[1326年]])・鎌倉幕府滅亡時の得宗・[[東勝寺合戦]]で自刃<br /> * [[足利尊氏]]([[1305年]] - [[1358年]]) - [[室町幕府]]初代将軍(在任[[1338年]] - [[1358年]])・北朝の[[光明天皇]]を擁立し幕府を開く<br /> * [[足利直義]]([[1306年]] - [[1352年]]) - 武将・左兵衛督・足利尊氏の弟・[[観応の擾乱]]で高師直一派を倒すが正平の一統の後に兄尊氏に追われ急逝<br /> * [[高師直]](? - [[1351年]]) - 武将・室町幕府[[執事]]・[[四条畷の戦い]]などで活躍するが観応の擾乱で足利直義と対立し殺害される<br /> * [[護良親王]]([[1308年]] - [[1335年]]) - 後醍醐天皇の皇子(大塔宮)・[[天台座主]](尊雲法親王)・征夷大将軍・足利尊氏と争い殺害される<br /> * [[宗良親王]]([[1311年]] - [[1385年]]) - 後醍醐天皇の皇子(信濃宮)・天台座主(尊澄法親王)・征夷大将軍・各地を転戦・『[[新葉和歌集]]』を編纂<br /> * [[春屋妙葩]]([[1312年]] - [[1388年]]) - 禅僧・[[相国寺]]第二世(事実上の開山)・[[五山十刹]]の制度を定め[[五山版]]などの出版を行う<br /> * [[光厳天皇]]([[1313年]] - [[1364年]]) - 北朝第1代天皇(在位[[1331年]] - [[1333年]])・鎌倉幕府滅亡で退位する・光明天皇は弟<br /> * [[北畠顕家]]([[1318年]] - [[1338年]]) - 公卿(権中納言)・[[鎮守府将軍]]・南朝方として活躍するが[[石津の戦い]]で戦死・父は北畠親房<br /> * [[菊池武光]]([[1319年]]? - [[1373年]]) - 武将・肥後守・懐良親王を擁し南朝方につく・[[筑後川の戦い]]に勝利し[[大宰府]]を占領する<br /> * [[二条良基]]([[1320年]] - [[1388年]]) - 公卿([[摂政]]・[[関白]]・太政大臣)・歌人・[[連歌]]の大成者で『[[菟玖波集]]』の撰者<br /> * [[義堂周信]]([[1325年]] - [[1388年]]) - 禅僧・南禅寺ほかの住持・絶海中津とともに五山文学を代表し漢詩集『空華集』がある<br /> * [[今川貞世]](了俊)([[1326年]] - [[1420年]]?) - 武将・守護大名・[[九州探題]]として九州の南朝勢力を鎮圧・著作に『[[難太平記]]』がある<br /> * [[細川頼之]]([[1329年]] - [[1392年]]) - 室町幕府[[管領]]・[[貞治の変]]で幕政を掌握・康暦の政変で失脚するも再び幕政に復帰<br /> * [[懐良親王]]([[1329年]]? - [[1383年]]) - 後醍醐天皇の皇子・征西大将軍(征西将軍宮)・「日本国王」として明と通交<br /> * [[足利義詮]]([[1330年]] - [[1367年]]) - 室町幕府第2代将軍(在任[[1358年]] - [[1367年]])・貞治の変以後は北朝の優位を固める<br /> * [[楠木正儀]]([[1330年]]? - [[1389年]]?) - 武将・楠木正成の三男・南朝方を支え北朝方と戦うがやがて帰順・最晩年は南朝に復帰か<br /> * [[観阿弥]]([[1333年]] - [[1384年]]) - 猿楽師・大和猿楽座の出身で観世家の祖となる・子に[[世阿弥]]がいる<br /> * [[絶海中津]]([[1334年]] - [[1405年]]) - 禅僧・鹿苑院ほかの住持・義堂周信とともに五山文学を代表し漢詩集『蕉堅藁』がある<br /> * [[足利基氏]]([[1340年]] - [[1367年]]) - 室町幕府の初代[[鎌倉公方]]・足利尊氏の子・足利義詮の弟<br /> * [[土岐康行]](? - [[1404年]]) - 武将・守護大名・[[土岐康行の乱]](美濃の乱)を起こすが幕府に鎮圧される<br /> * [[山名氏清]]([[1344年]] - [[1392年]]) - 武将・「六分の一殿」と称される[[守護大名]]・明徳の乱で敗死<br /> * [[斯波義将]]([[1350年]] - [[1410年]]) - 室町幕府管領・貞治の変で失脚するも康暦の政変で幕政を掌握・義満死後の政局も指導<br /> * [[後亀山天皇]]([[1350年]]? - [[1424年]]) - 第99代天皇(在位[[1383年]] - [[1392年]])・[[明徳の和約|南北朝合一]]のときの南朝の天皇<br /> * [[大内義弘]]([[1356年]] - [[1400年]]) - 武将・守護大名・南北朝合一を斡旋・応永の乱で敗死<br /> * [[足利義満]]([[1358年]] - [[1408年]]) - 室町幕府第3代将軍(在任[[1368年]] - [[1394年]])・[[花の御所]]を造営・出家後は[[北山第]]を造営<br /> * [[世阿弥]]([[1363年]]? - [[1443年]]?) - 猿楽師・能楽の大成者・『[[風姿花伝]]』などの著作でも知られる・父は[[観阿弥]]<br /> * [[後小松天皇]]([[1377年]] - [[1433年]]) - 第100代天皇(在位[[1382年]] - [[1412年]])・[[明徳の和約|南北朝合一]]のときの北朝の天皇<br /> <br /> == フィクションのできごと ==<br /> * 1307年 - [[ウィルヘルム・テル]](ウィリアム・テル)が息子の頭上のリンゴを射抜き、余勢をかって[[ハプスブルク家]]の代官[[ヘルマン・ゲスラー]]を倒し、[[スイス]]独立の端緒となる(スイスの伝説)。<br /> * 1326年以降 - 鎌倉幕府の執権であった[[北条高時]](相模入道)が田楽に興じていたところ「天王寺のやようれぼし(妖霊星)を見ばや」と歌う[[天狗]]たちに取り囲まれて前後不覚のまま翻弄される(『[[太平記]]』、[[河竹黙阿弥]]の歌舞伎狂言『[[北条九代名家功]](高時)』)。<br /> * 1327年 - 北イタリアのカトリック修道院にて怪事件が連続して発生。その謎をバスカヴィルのウィリアムとその弟子のメルクのアドソが解き明かしていく([[ウンベルト・エーコ]]『[[薔薇の名前]]』)。<br /> * 1358年以降 - [[多摩川]][[矢口渡]]にて南朝の武将[[新田義興]]が謀殺される。残された義興の弟義岑は苦労を重ねるも兄を謀殺した頓兵衛と遭遇、卑劣な罠に嵌められあわやというその時、兄の義興が天皇から拝領した弓矢がどこからともなく飛んできて敵は倒され、新田義興の霊の声が響き渡る([[平賀源内]]『[[神霊矢口渡]]』)。<br /> * 1380年 - [[クリコヴォの戦い]]で[[イリヤー・ムーロメツ]]と[[モスクワ大公国]]軍が[[ママイ]]率いる[[キプチャク・ハン国]]軍を打ち破るが、勝利した味方が慢心の言葉を発したため天の怒りにふれ、倒したはずの敵の死者たちが蘇り、圧倒的な強さで数を増して襲ってきた(イリヤー・ムーロメツの伝説)。<br /> * 1397年以前 - グロスターシャー出身の貧しいディック・ウィッティントンが唯一の財産である猫を手放し貿易船で送ったところ、ネズミの害に苦しんでいたある国の王に莫大な金額で買い取られ、たちまち裕福となってロンドンの市長を三度も務める名士となった(「{{仮リンク|ディック・ウィッティントンと彼の猫|en|Dick Whittington and His Cat}}」伝説。)<br /> * 14世紀後半から15世紀初頭 - オスマン朝のムラト1世からバヤジット1世の時代にかけてトルコ人[[トリックスター]]の[[ナスレッディン・ホジャ]]が活躍し、ティムールとの交流も挿話として残っている(『ナスレッディン・ホジャ物語』。12世紀の人物だという説や、架空人物説もあり)。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 14 | 年代 = 1300 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:14せいき}}<br /> [[Category:14世紀|*]]</div> 111.87.58.209
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