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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=111.87.58.204&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-15T06:51:44Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 12世紀 2018-07-31T21:28:14Z <p>111.87.58.204: /* 1110年代 */</p> <hr /> <div>{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=12th_century&amp;oldid=699421343 英語版 &quot;12th century&quot; 06:04, 12 January 2016 (UTC)]|date=2016年1月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:Bayon Angkor in Cambodia 001.JPG|thumb|280px|[[カンボジア]]の栄光。[[トンレサップ湖]]に面したこの[[アンコール遺跡|アンコール]]の地に[[アンコール朝]]の王[[スーリヤヴァルマン2世]]は[[アンコール・ワット]]の建設を行い、続く[[ジャヤーヴァルマン7世]]は[[アンコール・トム]]を築いた。画像はアンコール・トムの[[バイヨン]]四面像(観世菩薩像)。]]<br /> [[File:Combat deuxième croisade.jpg|thumb|right|280px|[[十字軍国家]]の消長。イスラム教徒の反撃が始まったことで十字軍国家は重大な存亡の局面に立たされ、西欧に向けて幾度となく十字軍が勧請された。画像は[[ギヨーム・ド・ティール]]著『十字軍国家の歴史(海の向こう側([[ウトラメール]])の歴史)』写本に描かれた[[第2回十字軍]]。]]<br /> [[File:Martorana Palermo msu2017-0166.jpg|thumb|200px|[[シチリア王国]]の繁栄。シチリア島ではギリシア・アラブ・ノルマンの文化が混交した。画像はノルマン人の王[[ルッジェーロ2世]]を描いた[[パレルモ]]の[[マルトラーナ教会]]の[[モザイク]]壁画。]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;12世紀&#039;&#039;&#039;(じゅうにせいき)とは、[[西暦]][[1101年]]から西暦[[1200年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 12世紀の歴史 ==<br /> === ヨーロッパ ===<br /> [[ファイル:Apóstoles del Pórtico de la Gloria.jpg|right|thumb|250px|[[巡礼]]の隆盛。スペインの[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]大聖堂の「栄光の門」の[[ロマネスク様式]]の彫刻群。この地は[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]の終点であり、多くの信者がここを訪れた。]]<br /> [[西ヨーロッパ]]では、前世紀に続き二度、第2回と第3回の[[十字軍]]の遠征が行なわれた(詳しくは以下の「西アジア」の節を参照)。また[[古典]]の文化がイスラム・[[ビザンティン|ビザンツ]]の文化を経由してヨーロッパに伝えられ、[[哲学]]、[[美術]]、[[文学]]などの分野でも新しい動きを見せた([[12世紀ルネサンス]])。<br /> <br /> === 西アジア ===<br /> 十字軍に対するイスラムの反撃が始まり、[[1144年]]に[[シャンルウルファ|エデッサ]]が陥落する。これを受け、[[第2回十字軍]]が[[シリア]]の[[ダマスカス]]を攻撃したが、敗退した。[[1187年]]、[[アイユーブ朝]]の[[スルタン]]、[[サラーフッディーン]]により[[エルサレム王国]]軍が壊滅し([[ヒッティーンの戦い]])、約90年ぶりに[[エルサレム]]が[[イスラム]]側によって奪還された。この事件は[[第3回十字軍]]遠征(1189年-1192年)に発展したが、[[イングランド]]と[[フランス]]、そして[[神聖ローマ帝国]]の十字軍は薄く延びる沿岸地域の奪還にとどまった(ただし、[[休戦協定]]により[[キリスト教徒]]のエルサレム巡礼の自由は保証された)。<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 中国 ====<br /> [[中国]]では、[[遼]]に服属していた[[女真]]が指導者[[完顔阿骨打]]により独立し[[金 (王朝)|金]]が建国された。金はその10年後には遼および[[北宋]]を滅ぼし北半を征服、新たに再興した南半を制する[[南宋]]と対峙することになる。<br /> <br /> ==== 日本 ====<br /> [[File:Kozanji 01.jpg|thumb|right|300px|[[絵巻物]]の流行。[[大和絵]]の手法により絵と詞書を書き連ねる絵巻物が一世を風靡した。画像は京都[[高山寺]]に[[鳥羽僧正覚猷]]の名で伝来した「[[鳥獣戯画]]」。[[院政期文化]]を代表する逸品で動物たちの躍動感ある姿態の描写から「[[漫画]]」の祖とも呼ばれている。]]<br /> [[File:Heiji Monogatari Emaki - Sanjo scroll part 5 - v2.jpg|thumb|right|300px|「武者の世」の到来。[[保元の乱]]と続く[[平治の乱]]で天皇家や摂関家の抗争を介して武士団の軍事力が政局で重要な面を握るようになった。画像は「平治物語絵巻(三条殿焼討)」([[ボストン美術館]]蔵)。]]<br /> [[ファイル:Itsukushima_torii_angle.jpg|right|thumb|250px|[[厳島神社]]。保元・平治の乱の後、政局を指導したのは新興武士団の棟梁[[平清盛]]であった。平家一門の繁栄ぶりは現在も残る厳島神社の壮麗な社殿にも窺うことができる。]]<br /> [[ファイル:AntokuTennou Engi.7&amp;8 Dannoura Kassen.jpg|right|thumb|300px|[[治承・寿永の乱]]。平家の都落ちにより政局は流動化し「源平合戦」と通称される内乱が続いた。画像はこの内乱の終局を描いた伝[[土佐光信]]「安徳天皇縁起絵図」の[[壇ノ浦の戦い]]の場面。<br /> この内乱の勝者源頼朝がやがて鎌倉幕府を開くことになる。]]<br /> [[平安時代]]後期から[[鎌倉時代]]最初期にあたる。<br /> [[皇室|天皇家]]・[[摂家|摂関家]]を巻き込む政争「[[保元の乱]]」「[[平治の乱]]」により[[武士]]の政治的地位が上昇した。両乱で活躍した[[平清盛]]の打ち立てた[[平氏政権]]が栄えたが、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)における最終決戦「&#039;&#039;&#039;[[壇ノ浦の戦い]]&#039;&#039;&#039;」で[[清和源氏|源氏]]を筆頭とする勢力が勝利し[[平家]]が滅亡したことにより、源氏の頭領[[源頼朝]]による新たな[[武家政権]]である[[鎌倉幕府]]の成立に至る。<br /> <br /> == できごと ==<br /> [[ファイル:Along the River During the Qingming Festival (detail of original).jpg|right|thumb|260px|「[[清明上河図]]」。爛熟する[[北宋]]末期の徽宗皇帝「宣和時代」の[[開封]]の都を張択端が描いたもので現在は北京[[故宮博物院]]に所蔵されている。]]<br /> [[File:岳飞像.jpg|thumb|right|180px|[[岳飛]]。[[靖康の変]]により南遷が避けられなくなった宋では金に対する主戦派と和平派が衝突した。主戦派の中心が岳飛で失地回復に努めたが、和平派の宰相[[秦檜]]により謀殺された。今でも「救国の英雄」岳飛に対する中国での人気は高い。]]<br /> [[ファイル:China_11b.jpg|right|thumb|250px|金と南宋。秦檜の主導した[[紹興の和議]]により宋は中国北部を失うが、[[臨安]]を都として経済的には大いに繁栄した。]]<br /> [[ファイル:Zhu-xi1.gif|right|thumb|200px|[[宋学]]の大成。南宋では理気二元論が整備されるとともに[[大義名分論]]が盛んに唱えられた。画像は[[朱熹]]の肖像で、彼のもとで宋学が深められたことから「[[朱子学]]」とも呼ばれるようになった。]]<br /> [[File:Jin Jun ware dish with splashed glazes.jpg|thumb|right|230px|{{仮リンク|鈞窯|en|Jun ware}}の展開。[[河南省]]禹州市にあったとされる宋の五大名窯の一つで、宋の南渡により金の支配するところとなり、空色の青磁に赤や紫の釉薬が交じる窯変の技術はこの時代に発展した。画像は[[大英博物館]]蔵の鈞窯紫紅釉盤。]]<br /> [[File:Marcopolobridge.jpg|thumb|right|250px|[[盧溝橋]]。華北を占領した金では世宗と章宗の二代の安定期を迎えていた。画像は現在の盧溝橋で、章宗時代に完成したものが基礎となっている。金の都燕京の近郊永定河に架けられており、「マルコ・ポーロ橋」の名でも知られている。]]<br /> [[ファイル:Goryeo Celadon.jpg|right|thumb|200px|高麗青磁。この世紀の後半には独自の象嵌青磁が誕生する。画像は[[ソウル特別市|ソウル]]の[[澗松美術館]]の「青瓷象嵌雲鶴文梅瓶」。]]<br /> [[ファイル:Ornate wall panel relief at Hoysaleshwara temple, Halebidu.jpg|right|thumb|250px|[[ホイサラ朝]]の勃興。南インドのマイソール地方のホイサラ朝はこの時代に[[後期チャールキヤ朝]]の支配を脱し勢力を拡大した。画像は首都ドーラサムドラに建てたホイサレシューヴァラ寺院で細密な彫刻を全面に施すホイサラ様式が特徴である。]]<br /> [[File:Minaret of jam 2009 ghor.jpg|thumb|right|200px|[[ゴール朝]]の興隆。[[ガズナ朝]]を滅ぼし[[ホラズム・シャー朝]]を屈服させたゴール朝の[[ギヤースッディーン・ムハンマド]]は中央アジアから北西インドにまたがる地域を支配した。画像はアフガニスタンのハリー川沿いに建てられた[[ジャームのミナレット]]。]]<br /> [[ファイル:Portrait of Saladin (before A.D. 1185; short).jpg|right|thumb|250px|[[サラーフッディーン]]。エジプトのファーティマ朝を倒して[[アイユーブ朝]]の[[スルタン]]となり[[スンナ派]]の信仰を復活させた。また[[十字軍]]と戦って[[エルサレム]]を奪回しイスラム世界を守った英雄として名高い。]]<br /> [[ファイル:TabulaRogeriana.jpg|thumb|right|350px|[[タブラ・ロジェリアナ]]。シチリア王[[ルッジェーロ2世]]のもとでイスラムの地理学者[[イドリースィー]]によって1154年に作成された世界地図。画像は14世紀の模本でアジア・アフリカ・ヨーロッパが描かれている(南が上、東が左)。]]<br /> [[File:Cúpula almorávide (Marrakech) exterior.jpg|thumb|right|200px|[[ムラービト朝]]。北アフリカの[[マラケシュ]]を都としてイベリア半島にまで進出した[[ベルベル人]]の王朝。画像はこの王朝のもとで作られたマラケシュの墓廟{{仮リンク|クッバ・バアディン|en|Almoravid Koubba}}。]]<br /> [[ファイル:Paseo por Córdoba (8176489072).jpg|right|thumb|250px|[[イブン・ルシュド]]。西方イスラム哲学を代表する学者で[[アリストテレス]]の注釈から二重真理説や知性単一論を発展させ、「アヴェロエス」の名で[[スコラ学]]にも大きな影響を与えた。画像は故郷[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]に建てられた彫像。]]<br /> [[ファイル:Toledo Skyline Panorama, Spain - Dec 2006.jpg|right|thumb|300px|12世紀ルネサンスと[[トレド]]。1085年にイスラム教徒から奪回されたトレドはかつての[[西ゴート王国]]の首都で、この時期は[[レコンキスタ]]の最前線であった。イスラムを経由した学術的な著作がこの世紀には多数ラテン語訳された。画像は現在のトレド市街の眺望で左右にアルカサルとトレド大聖堂が見渡せる。]]<br /> [[ファイル:Abelard and Heloise.jpeg|right|thumb|210px|[[アベラール]]と[[アルジャントゥイユのエロイーズ|エロイーズ]]。[[12世紀ルネサンス]]のスコラ学を代表するアベラールは[[唯名論]]者として名声を得ていた。エロイーズとの悲恋も有名である。]]<br /> [[ファイル:Bernhard von Clairvaux (Initiale-B).jpg|right|thumb|300px|[[シトー会]]の世紀。シトー会は華美に流れたクリュニー会を批判し、厳格な修道規則と労働の重視により西欧の大開墾運動にも影響を与えた。画像はシトー会最盛期の指導者[[クレルヴォーのベルナルドゥス|クレルヴォーのベルナール]](ベルナルドゥス)を描いた13世紀の『[[黄金伝説]]』の細密画。]]<br /> [[File:The Leaning Tower of Pisa SB.jpeg|right|thumb|208px|[[ピサの斜塔]]。この塔はもともと[[ロマネスク建築]]を代表する[[ピサ大聖堂]]に付属した[[鐘楼]]で、1170年代の第一工期の終わりにはすでに傾き始めており、今あるような姿になったとされる。]]<br /> [[ファイル:BL MS Royal 14 C VII f.9.jpg|right|thumb|200px|[[アンジュー帝国]]の一族。プランタジネット家のアンジュー伯アンリはイングランド王ヘンリ2世として選出されるとともに、王妃アリエノールとの婚姻を通じてフランス最大の領主ともなった。画像の上段左からヘンリ2世王と若ヘンリーとリチャード1世獅子心王、下段左からジョン欠地王とヘンリ3世。]]<br /> [[ファイル:UigChessmen SelectionOfKings.jpg|right|thumb|270px|[[ルイス島のチェス駒]]。1831年に[[スコットランド]]北西部[[アウター・ヘブリディーズ]]のルイス島で発見されたもので12世紀[[ノルウェー]]支配下で造られたと推定される。全78個のうち67個が[[大英博物館]]に、11個がスコットランド国立博物館にある。]]<br /> [[ファイル:Vladimirskaya ikona.jpg|thumb|right|200px|[[ウラジーミルの生神女|ウラジーミルの聖母]](生神女)。1131年に[[コンスタンティノポリス総主教]]から[[キエフ大公]][[ユーリー・ドルゴルーキー]]に贈られたもので、長らくウラジーミルに保管された後にモスクワに移送され、ロシアを外敵から守護したイコンとして尊崇を受けた。現在は[[モスクワ]]の[[トレチャコフ美術館]]に所蔵されている。]]<br /> [[ファイル:Igorsvyat.jpg|thumb|right|270px|『[[イーゴリ遠征物語]]』。1185年の春に[[ノヴゴロド・セヴェルスキー公]][[イーゴリ]]が遊牧民[[ポロヴェツ人]]との戦いで思わぬ大敗北を喫した事件をもとに作られた叙事詩で[[ロシア文学]]を代表する逸品とされる。画像は大敗したイーゴリ公を描く[[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]の歴史画([[サンクトペテルブルク]]・国立[[ロシア美術館]]蔵)。 ]]<br /> [[ファイル:Arte yoruba, nigeria, testa da ife, 12-15mo secolo.JPG|right|thumb|150px|[[イフェ]]の青銅彫刻。イフェはナイジェリアにあった[[ヨルバ人]]の王国。[[ノク文化]]の影響を受けて発展させた高度な鋳造技術による青銅彫刻が有名。画像は大英博物館所蔵の人物像。]]<br /> <br /> === 1100年代 ===<br /> {{main|1100年代}}<br /> * 1101年<br /> ** [[源義親の乱]](康和の乱)( - [[1108年]])。<br /> ** 大[[地震]]により[[興福寺]]金堂・大門倒壊する。興福寺と[[金峰山]]の僧徒争う。<br /> ** メルシヴァンの戦いで、[[ルーム・セルジューク朝]]軍が「[[1101年の十字軍]]」を壊滅させる。<br /> * 1102年<br /> ** 北宋の[[蔡京]]が「元祐党籍碑」を建て、旧法党関係者を追放する。<br /> ** [[村上源氏]]が公卿の過半数を占める。<br /> * 1103年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世による最古の[[ラント平和令]]。<br /> * 1107年<br /> ** [[堀河天皇]]が没し、宗仁親王が即位(第74代[[鳥羽天皇]])。<br /> ** ウェストミンスター合意。<br /> *** イングランドでの[[叙任権闘争]]が終結し、国王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]とカンタベリー大司教[[アンセルムス]]が和解。<br /> ** ノルウェー王シグール1世の十字軍遠征始まる([[ノルウェー十字軍]]。 - 1110年)。<br /> <br /> === 1110年代 ===<br /> {{main|1110年代}}<br /> * 1111年 - イランの[[ホラサン]]地方[[トゥース]]でイスラム神学者[[ガザーリー]]が死去。<br /> * 1112年 - 白河法皇の還暦祝いで「[[西本願寺本三十六人家集|三十六人歌集(西本願寺本)]]」が宮廷で制作される。<br /> * 1112年頃 - パガン朝でパーリ語・モン語・ピュー語・ビルマ語の刻まれた[[ミャゼディ碑文]]が建てられる。<br /> * 1113年<br /> ** [[永久の変]]。<br /> ** [[聖ヨハネ騎士団]]が認可される(創設は1023年頃か)。<br /> ** [[キエフ洞窟修道院]]の修道士で年代記者ネストルにより『[[原初年代記]]』がまとめられる。<br /> * 1115年<br /> ** 女真族の[[阿骨打|完顔阿骨打]]が金を建国。<br /> ** 異端とされた[[アントウェルペン]]の[[タンケルム]]が殺害される。<br /> * 1117年 - [[ホイサラ朝]]のヴィシュヌヴァルダナがチェナケシェヴァ寺院を建立する。<br /> * 1118年<br /> ** アラゴン王アルフォンソ1世のサラゴサ占領。サラゴサはアラゴンの首都となる。<br /> ** 東ローマ皇帝[[ヨハネス2世コムネノス]]が即位。姉の[[アンナ・コムネナ]]の陰謀事件。<br /> * 1119年 - 金の太祖阿骨打の命により完顔希于や葉魯らが[[女真文字|女真大字]]を作成(小字は1138年に[[熙宗]]により制定)。<br /> <br /> === 1120年代 ===<br /> {{main|1120年代}}<br /> * 1120年<br /> ** 北宋と金との[[海上の盟]]が結ばれる。北宋で[[方臘の乱]]が起こる。<br /> ** [[ホワイトシップの遭難]]。<br /> * 1120年頃 - [[ホイサラ朝]]のヴィシュヌヴァルダナがホイサレシューヴァラ寺院を建立する。<br /> * 1121年 - ソワソン教会会議でアベラールが異端宣告される。<br /> * 1122年 - [[ヴォルムス協約]]。<br /> ** 叙任権闘争全般が終結し、[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]と[[ローマ教皇]][[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリストゥス2世]]が和解。<br /> * 1123年<br /> ** 鳥羽天皇が譲位し、第75代[[崇徳天皇]]が即位する。<br /> ** [[第1ラテラン公会議]]。<br /> ** [[カタルーニャ]]の[[バル・デ・ボイ|ボイ渓谷]]タウル地区のサント・クリメント教会とトサンタ・マリア教会が献堂される。<br /> * 1124年 - [[藤原清衡]]が[[平泉]]の[[中尊寺金色堂]]を建立。<br /> * 1125年 - 金が遼を滅ぼす。<br /> * 1126年 - [[靖康の変]]により金が北宋を滅ぼす。徽宗・[[欽宗]]が金に連行される(二帝北行)。<br /> * 1127年<br /> ** 欽宗の弟[[高宗 (宋)|康王趙構]]が[[南京市|南京]]で南宋を立てる。<br /> ** 新立の[[荘園]]を停止する(大治の荘園停止令)。<br /> * 1128年 - [[トロワ]]教会会議で[[テンプル騎士団]]が認可される(創設は1119年)。<br /> * 1129年<br /> ** 白河法皇が没し、鳥羽上皇が院政を開始する。<br /> ** 明受の変。<br /> <br /> === 1130年代 ===<br /> {{main|1130年代}}<br /> * 1130年<br /> ** [[アナクレトゥス2世 (対立教皇)|アナクレトゥス]]の[[シスマ]]。<br /> ** [[ノルマン人]][[ルッジェーロ2世]]が南[[イタリア]]・[[シチリア]]に[[シチリア王国]]を建国。<br /> ** トランカヴェル家により[[歴史的城塞都市カルカソンヌ|カルカソンヌ]]の城塞都市の建設が始まる。<br /> ** 南モロッコのアトラス山脈付近に[[ムワッヒド朝]]が成立する。<br /> * 1130年頃 - [[ノルウェー]]にある[[ウルネスの木造教会]]が建設される。<br /> * 1131年 <br /> **コンスタンティノポリス総主教から[[キエフ大公]][[ユーリー・ドルゴルーキー]]に「[[ウラジーミルの聖母]]」が贈られる。<br /> **[[アマルフィ公国]]がシチリア王国に併合される。<br /> * 1132年<br /> ** 遼の皇族[[耶律大石]]が[[西遼]]を建国し、[[カラハン朝]]を滅ぼす。<br /> ** 南宋が[[臨安]]([[杭州]])に都を定める。<br /> ** [[平忠盛]]が[[肥前国]][[神崎荘]]の預所となり[[日宋貿易]]に介入する。<br /> * 1136年 - [[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド公]]フセヴォロドが追放される(12世紀のノヴゴロドの革命)。<br /> * 1137年 - アラゴン王国とバルセロナ伯国の連合によるアラゴン連合王国の成立。<br /> * 1138年<br /> **[[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]が[[ホーエンシュタウフェン朝]]の初代[[ドイツ]]王に即位。<br /> ** シリアの[[アレッポ]]で死者23万人の大地震。<br /> ** [[ポーランド大公]][[ボレスワフ3世クシヴォウスティ]]が死去。<br /> ***「[[ボレスワフ3世の遺言状]]」で年長者相続を決めるも、後継者争いが起こりポーランドの分裂時代始まる。<br /> * 1139年<br /> ** [[オーリッケの戦い]]に勝利したポルトゥーカレ公[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]が[[ポルトガル]]王を称する。<br /> ** [[第2ラテラン公会議]]。<br /> <br /> === 1140年代 ===<br /> {{main|1140年代}}<br /> * 1140年<br /> ** [[スコットランド]]王[[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]がイングランドより[[カーライル (イングランド)|カーライル]]の[[貨幣]]鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めて[[硬貨|コイン]]を製造。<br /> ** サンス教会会議でのクレルヴォーのベルナールの告発で、アベラールが再び異端宣告される。<br /> ** [[ヴァインスベルク]]の戦いで、[[ホーエンシュタウフェン家]]の[[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]が[[ヴェルフ家]]に勝利する。<br /> *** この戦いでヴェルフ派は「ヴェルフ」とホーエンシュタウフェン派は「ウィーベリン」と呼ばれ、イタリアでは「教皇派(ゲルフ)」と「皇帝派(ギベリン)」と呼ばれるようになる。<br /> * 1141年<br /> ** [[カトワーンの戦い]]で西遼の耶律大石がセルジューク朝の[[アフマド・サンジャル]]に勝利する。<br /> ** 南宋で主戦派の[[岳飛]]が和平派の[[秦檜]]の陰謀により反逆罪で処刑される。<br /> * 1142年<br /> ** 南宋と金の[[紹興の和議]]。<br /> ** 崇徳天皇が譲位し、第76代[[近衛天皇]]が即位。<br /> ** 聖ヨハネ騎士団が[[クラック・デ・シュヴァリエ]]を獲得。以後大幅な拡張工事を行う( - [[1170年]])。<br /> * 1143年<br /> ** [[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]が即位、[[ポルトガル王国]]成立。<br /> * 1144年<br /> ** 最初の[[ゴシック建築]]とされるフランスの[[サン=ドニ大聖堂]]が完成する([[1136年]] - )。<br /> ** イスラム支配下のイベリア半島[[バレンシア]]地方[[シャティバ]]でヨーロッパ最初の製紙工場が作られる。<br /> ** [[モースル]]太守[[ザンギー]]が十字軍国家[[エデッサ伯国|エデッサ伯領]]を征服する。<br /> * 1145年<br /> **『[[三国史記]]』が完成。<br /> * 1147年<br /> ** [[第2回十字軍]](-1149年)。[[ヴェンド十字軍]]。<br /> ** [[ポルトガル]]王[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]が[[リスボン攻防戦]]で[[リスボン]]をイスラム勢力から奪回。<br /> ** [[ムワッヒド朝]]が[[ムラービト朝]]を滅ぼす。<br /> ** [[祇園闘乱事件]]。<br /> * 1148年<br /> ** シチリア王国が北アフリカの[[マフディーヤ]]を制圧し[[ズィール朝]]が滅亡。<br /> <br /> === 1150年代 ===<br /> {{main|1150年代}}<br /> * 1150年 - [[ゴール朝]]のアラーウッディーンが[[カンダハール]]近郊の戦いで[[ガズナ朝]]に勝利。<br /> ** ゴール朝は[[ガズナ]]を占領し、ガズナ朝は[[パンジャーブ]]地方の[[ラホール]]に遷都。<br /> * 1152年<br /> ** アリエノール・ダキテーヌがフランス王ルイ7世と離婚し、同年アンジュー伯アンリと再婚する。<br /> ** [[シャンパーニュ伯]][[アンリ1世 (シャンパーニュ伯)|アンリ1世]]が伯位を継ぐ。[[シャンパーニュの大市]]などの振興政策を行う。<br /> * 1153年<br /> ** 金の[[海陵王]]が[[上京会寧府|会寧]]から[[北京|燕都]]へ都を遷す。<br /> * 1154年 <br /> ** アンジュー伯アンリがイングランド王ヘンリ2世となり[[プランタジネット朝]]を開く([[アンジュー帝国]])。<br /> ** [[シチリア王]][[ルッジェーロ2世]]の命により[[イドリースィー]]が世界地図「[[タブラ・ロジェリアナ]]」を完成させる。<br /> * 1155年<br /> ** [[スウェーデン]]王[[エリク9世]]の[[フィンランド]]遠征。[[北方十字軍]]始まる。<br /> ** [[オーストリア辺境伯]][[ハインリヒ2世 (オーストリア公)|ハインリヒ2世]]が[[オーストリア公]]に昇爵。<br /> *** この時期までにハインリヒ2世は[[クロスターノイブルク]]から[[ウィーン]]へ遷都する。<br /> ** ローマから急進的改革者[[アルノルド・ダ・ブレシア]]が追放され火刑に処せられる。<br /> ** 近衛天皇が没し、第77代[[後白河天皇]]が即位。<br /> * 1156年 - 鳥羽法皇が没する。[[保元の乱]]。<br /> * 1157年<br /> ** スルタンのアフマド・サンジャルの病没により、統一[[セルジューク朝]]が滅亡。<br /> ** [[ブランデンブルク辺境伯]]が設置される。<br /> * 1158年 - 後白河天皇が譲位し、第78代[[二条天皇]]が即位。<br /> * 1159年<br /> ** [[平治の乱]]。<br /> ** [[ザクセン]]の[[ハインリヒ獅子公]]が[[リューベック]]市を建設。<br /> <br /> === 1160年代 ===<br /> {{main|1160年代}}<br /> * 1160年 <br /> ** [[ウラジーミル (ウラジーミル州)|ウラジーミル]]の[[生神女就寝大聖堂 (ウラジーミル)|生神女就寝大聖堂]]が完成する。<br /> ** 南宋で会子が紙幣として発行される。<br /> ** 平清盛が[[正三位]][[参議]]に補任され、武士として初めて[[公卿]]となる。<br /> * 1161年 - 金が南宋との采石機の戦いで敗北。海陵王が廃位殺害され世宗が即位。<br /> * 1162年頃 - [[セーナ朝]]のバッラーラ・セーナ王が[[パーラ朝]]を滅ぼしベンガルを統一。<br /> * 1163年 - パリの[[ノートルダム大聖堂 (パリ)|ノートルダム大聖堂]]が着工される(最終的な完成は[[1345年]])。<br /> * 1164年<br /> ** 平家一門が[[厳島神社]]に装飾経を寄進([[平家納経]])。<br /> ** 南宋と金の隆興の和議(乾道の和議)。<br /> ** [[スウェーデン]]の[[ガムラ・ウプサラ]]に[[大司教座]]が置かれる。<br /> * 1165年<br /> ** 二条天皇が譲位し、第79代[[六条天皇]]が即位。<br /> ** 後白河院により[[三十三間堂|蓮華王院]]が完成する。<br /> * 1165年頃 - [[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[マヌエル1世コムネノス]]のもとに[[プレスター・ジョン|司祭王ヨハネス]](プレスター・ジョン)を差出人とする書簡が届けられる。<br /> * 1167年<br /> ** 平清盛が[[太政大臣]]となる。<br /> ** 日本僧[[重源]]が南宋に渡る。<br /> ** 南フランスの[[サン=フェリックス=ロラゲ|カラマン]]にて[[カタリ派]]の教会会議が開催される。<br /> *** この会議を主催したのは東方から来た[[ボゴミル派]](ドラゴヴィツァ派)のニケタスとされている。<br /> * 1168年<br /> ** [[朱熹]]と[[陸九淵]]の鵞湖の会がもたれる。<br /> ** 日本僧[[栄西]]が南宋に渡る。栄西と重源が合流しこの年に日本に帰国。<br /> ** 六条天皇が譲位し、第80代[[高倉天皇]]が即位。平清盛が出家し[[福原]]に退隠し、[[六波羅館]]を息子[[平重盛|重盛]]が継承。<br /> ** [[ロスキレ]]司教[[アブサロン]]の指揮でデンマーク軍がスラブ系異教徒[[ラーン人]]の根拠地[[リューゲン島]]を征服。<br /> * 1169年 - [[エジプト]]でサラーフッディーンが[[ファーティマ朝]]の宰相となる。<br /> <br /> === 1170年代 ===<br /> {{main|1170年代}}<br /> * 1170年 - [[カンタベリー大司教]][[トマス・ベケット]]暗殺事件。<br /> * 1171年<br /> ** エジプトの[[ファーティマ朝]]が断絶。代わってサラーフッディーンが[[アイユーブ朝]]を興す。<br /> ** イングランド王として初めてヘンリ2世がアイルランドに上陸し東海岸地帯を支配。<br /> * 1172年 - 南宋孝宗皇帝の兄で[[明州]][[刺史]]の[[趙伯圭]]から日本の後白河法皇と平清盛に供物が届けられる。<br /> * 1173年 - [[ピサの斜塔]]が着工される(最終的な完成は[[1372年]])。<br /> * 1174年 - 平清盛が[[大輪田泊]]([[神戸市|神戸]])に経が島(経ヶ島)を築く。<br /> * 1176年<br /> ** [[レニャーノの戦い]]で、[[ロンバルディア同盟]]が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に勝利。<br /> ** [[ミュリオケファロンの戦い]]で、ルーム・セルジューク朝軍が東ローマ皇帝マヌエル1世に勝利。<br /> * 1177年<br /> ** 後白河法皇の側近達が[[鹿ケ谷の陰謀]]を企てるが失敗。[[安元の大火]](太郎焼亡)。<br /> ** カスティーリャ王[[アルフォンソ8世]]が[[歴史的城塞都市クエンカ|要塞都市クエンカ]]を占領。<br /> ** [[モンジザールの戦い]]で、エルサレム国王[[ボードゥアン4世]]がサラーフッディーンに勝利する。<br /> * 1178年 - [[治承の大火]](次郎焼亡)<br /> * 1179年<br /> ** [[第3ラテラン公会議]]。<br /> ** [[治承三年の政変]]。<br /> <br /> === 1180年代 ===<br /> {{main|1180年代}}<br /> * 1180年<br /> ** [[ゲルンハウゼン]]帝国議会。<br /> *** 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が、ザクセン・バイエルン公ハインリヒ3世を帝国追放刑に処し所領を没収。<br /> *** [[バイエルン公国|バイエルン]]は[[ヴィッテルスバッハ家]]が、[[ザクセン公国|ザクセン]]は[[アスカーニエン家]]が領有する。<br /> ** [[レバノン]]の[[マロン派]]教会が教会合同でローマ教会に復帰する。<br /> ** 高倉天皇が譲位し、第81代[[安徳天皇]]が即位。<br /> ** [[以仁王]]が[[令旨]]を下し挙兵([[以仁王の挙兵]])。源頼朝ら各地の源氏が[[平氏]]に対して挙兵。[[福原京#福原行幸|福原行幸]]。<br /> * 1181年 <br /> ** [[南都焼討]]、平清盛死去、[[養和の大飢饉]]。<br /> ** クメール朝カンボジア国王に[[ジャヤーヴァルマン7世]]が即位。<br /> *** 最初の仏教信者の王としてアンコール・トム([[バイヨン]]・[[象のテラス]]・[[ライ王のテラス]]他)の都城を建設。<br /> ** ハンガリー国王[[ベーラ3世]]が[[ザダル]](ザラ)を含む[[アドリア海]]沿岸の[[ダルマティア]]地方を占領する。<br /> * 1182年<br /> ** [[アンドロニコス1世コムネノス|アンドロニコス・コムネノス]]が東ローマ帝国皇太后[[マリー・ダンティオケ|マリア]]を殺害。<br /> *** 皇太后暗殺と同時にコンスタンティノポリス在留のヴェネツィアやジェノヴァなど{{仮リンク|ラテン人も虐殺する|en|Massacre of the Latins}}。<br /> * 1183年 <br /> ** 源義仲が京に進軍し平氏が都落ち。平氏とともに西走した安徳天皇と並立して第82代[[後鳥羽天皇]]が即位。<br /> * 1184年<br /> ** [[法住寺合戦]]、[[宇治川の戦い]]、[[一ノ谷の戦い]]。<br /> ** [[ヴェローナ]]教会会議と教皇[[ルキウス3世 (ローマ教皇)|ルキウス3世]]により[[ワルドー派]]が異端とされる。<br /> * 1185年<br /> ** [[屋島の戦い]]。壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。安徳天皇は祖母[[平時子]]に抱かれて入水し8歳で崩御。<br /> ** [[守護]][[地頭]]の設置。後白河法皇による東大寺大仏再建の開眼供養が行われる。<br /> ** ノルマン系シチリア国王[[グリエルモ2世]]が東ローマ帝国の[[テッサロニキ]]を陥落させる<br /> *** これで狂乱状態となった首都市民により皇帝[[アンドロニコス1世コムネノス|アンドロニコス1世]]が殺害され、コムネノス朝が断絶する。<br /> ** [[アセンとペタルの蜂起]]。[[第二次ブルガリア帝国]]が建国され皇帝[[ペタル4世]]が即位。<br /> ** ロシアの[[イーホル・スヴャトスラーヴィチ|イーゴリ]]公が[[ポロヴェツ族]](キプチャク族)に大敗。<br /> * 1186年<br /> ** [[摂関家]]が[[近衛家]]と[[九条家]]に分裂する([[五摂家]]の始まり)。<br /> * 1187年 <br /> ** ヒッティーンの戦いで、アイユーブ朝のサラーフッディーンがエルサレム王国の十字軍を壊滅させる。<br /> *** エルサレム国王[[ギー・ド・リュジニャン]]は捕縛され、エルサレム市街はアイユーブ朝に降伏する。<br /> * 1188年頃<br /> ** [[ミュンヘン]]と[[ブラウンシュヴァイク]]共同所有となっている「{{仮リンク|ハインリヒ獅子公の福音書|de|Evangeliar Heinrichs des Löwen}}」が完成する。<br /> * 1189年<br /> ** スコットランド王[[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]がイングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。<br /> ** 第3回十字軍(-1192年)。<br /> ** [[奥州合戦]]により[[奥州藤原氏]]滅亡。<br /> ** [[ホイサラ朝]]のバッラーラ2世が[[後期チャールキヤ朝]]を滅ぼす。<br /> <br /> === 1190年代 ===<br /> {{main|1190年代}}<br /> * 1190年 <br /> ** キリキアのサレフ川で神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が溺死。<br /> ** フランス王フィリップ2世が[[セーヌ川]]右岸の[[シテ島]]近辺に城砦を構える([[ルーヴル宮殿]]の始まり)。<br /> * 1191年<br /> ** イングランド王リチャード1世が[[キプロス島]]を占領。<br /> ** [[アルスフの戦い]]で、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の十字軍がサラーフッディーンを撃退。<br /> ** イングランドの[[アヴァロン|グラストンベリー]]修道院の墓地で[[アーサー王]]の古墓が発見されたとの報告がなされる。<br /> * 1192年<br /> ** 源頼朝が[[征夷大将軍]]となる(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)。<br /> ** サラーフッディーンとリチャード1世の休戦協定。<br /> *** 十字軍はシリアの海岸の領土とエルサレム巡礼の許可を得るだけにとどまる。<br /> ** 帰国途中のリチャード1世をオーストリア公[[レオポルト5世 (オーストリア公)|レオポルト5世]]が拘束する。<br /> ** [[タラーインの戦い]]で、ゴール朝の[[シハーブッディーン・ムハンマド]]が[[チャーハマーナ朝]]の[[プリトヴィーラージャ3世]]に勝利する。<br /> *** 翌年にはデリーを占領しゴール朝の北インド支配が確定、ラージプート勢力は支配に服する。<br /> ** 金の都[[燕京]](北京)の[[盧溝橋]]が完成する。<br /> * 1193年<br /> ** [[曾我祐成]]・[[曾我時致]]兄弟が父の仇[[工藤祐経]]を討つ([[曾我兄弟の仇討ち]])。<br /> ** [[ゴール朝]]の将軍[[ムハンマド・バフティヤール・ハルジー]]がインドの[[ナーランダ大学|ナーランダ寺院]]を破却。<br /> * 1194年<br /> ** 南宋の孝宗(太上皇帝)が死去。皇帝[[光宗]]が趙汝愚・韓侂冑らに廃位され[[寧宗]]が即位(紹煕の内禅)。<br /> ** [[ホラズム・シャー朝]]が[[セルジューク朝]]を滅ぼし、[[イラン]]・[[イラク]]を制圧。<br /> ** 神聖ローマ皇帝[[ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ6世]]の[[シチリア]]遠征。[[パレルモ]]は降伏し[[オートヴィル朝]]は断絶。<br /> * 1195年<br /> ** アラコルスの戦いでムワッヒド朝の[[ヤアクーブ・マンスール]]がカスティーリャ軍に勝利。<br /> ** 東ローマ皇帝[[イサキオス2世アンゲロス|イサキオス2世]]が廃位され、弟の[[アレクシオス3世アンゲロス|アレクシオス3世]]が即位。<br /> * 1196年<br /> ** [[慶元の党禁]]により[[朱熹]]の学派が弾圧される。<br /> ** [[建久七年の政変]]。<br /> * 1197年 - ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールが哲学を禁止し哲学者イブン・ルシュドを追放。<br /> * 1198年<br /> ** 後鳥羽天皇が譲位し、第83代[[土御門天皇]]が即位。<br /> ** [[プシェミスル朝]]のボヘミア公[[オタカル1世]]が陞爵して[[ボヘミア王]]となる。<br /> ** 教皇インノケンティウス3世がフランス国王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]を離婚問題から聖務停止に処す。<br /> * 1199年<br /> ** [[ハーリチ・ヴォルィーニ大公国]](ガリツィア・ロドメリア大公国)が成立。<br /> ** イングランド王リチャード1世が死去、弟[[ジョン (イングランド王) |ジョン]]が国王となる。<br /> ** 教皇インノケンティウス3世が[[ドイツ騎士団]]を[[騎士修道会]]として認可する。<br /> <br /> === 1200年代 ===<br /> * 1200年<br /> ** 朱熹が死去。<br /> <br /> == 伝説・フィクションのできごと ==<br /> {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年世紀12|date=2011年7月}}<br /> * 1119年 - 1125年 - [[北宋]]の[[徽宗]]皇帝の[[宣和]]年間、様々な事情で世間からはじき出された[[宋江]]ら好漢(英雄)108人が義侠心で結びついて[[梁山泊]]に集結。やがて官吏の不正がはびこる世情に義憤を覚え官吏を打倒し国を救うことを目指すようになる(原典は『[[大宋宣和遺事]]』だが、やがて講談や小説の『[[水滸伝]]』に発展)。<br /> * 1120年 - 1170年 - [[ホワイトシップの遭難]]から[[トマス・ベケット]]の暗殺までのイングランドのキングズブリッジで、トム・ビルダーとその仲間たちが大聖堂を建築する([[ケン・フォレット]]『[[大聖堂 (ケン・フォレットの小説)|大聖堂]]』)。<br /> * 1135年以降 - ヘンリ1世亡き後のイングランドを舞台に、第一回十字軍に参加した後に修道士となった経歴をもつカドフェルが東方より学んだ薬草学の知識や洞察力を駆使して難事件を解決していく([[エリス・ピーターズ]]の歴史ミステリー『[[修道士カドフェル]]』)。<br /> * 1151年 - 1154年 - 近衛天皇の仁平年間に御所[[清涼殿]]に[[鵺]]が出現し、[[源頼政]]がこれを退治する(『[[平家物語]]』第四巻「鵺」)。<br /> * 1154年 - 鳥羽上皇のもとへ絶世の美女[[玉藻前]]が現れ上皇に寵愛されるも、[[九尾の狐]]であることが露見し討伐されるが、[[那須]]の[[殺生石]]となってなおも人々を苦しめる(史書『神明鏡』・能『[[殺生石]]』・[[御伽草子]]『玉藻の草紙』ほか「九尾の狐」伝説)。<br /> * 1165年 - [[保元の乱]]で敗れ[[伊豆大島]]に流された鎮西八郎[[源為朝]]は、後に[[古琉球|琉球]]に渡って大里按司の妹と結ばれ、琉球王国の始祖[[舜天]]の父となる(琉球王国の正史『[[中山世鑑]]』では事実として記載されているが真偽は不明。この伝説をもとに書かれたのが[[曲亭馬琴]]の『[[椿説弓張月]]』)。<br /> * 1168年 - 歌人の僧[[西行]]が[[讃岐国]]に下り白峰にて[[崇徳天皇|崇徳上皇]]の怨霊に遭遇する([[上田秋成]]『[[雨月物語]]』「白峰」)。<br /> * 1177年 - [[アヴィニョンのベネゼ]]が神の啓示を受け巨岩を持ち上げるなどの奇跡を起こしつつ[[サン・ベネゼ橋]]建設に着手( - [[1185年]]。唱歌『アヴィニョンの橋で』のもととなった伝説)。<br /> * 1190年以降 - [[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]は死んだのではなく、[[テューリンゲン]]地方のキュフホイザー山中に眠り続けている。帝国が危機に襲われた時には再び蘇り苦境から救い出すという([[グリム兄弟]]『ドイツ伝説集』)。<br /> * 1193年 - [[saku saku]]に出てくるアパート「エスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === キリスト教世界 ===<br /> ==== フランス ====<br /> * [[シャルトルのベルナルドゥス|シャルトルのベルナール]](? - [[1124年]]以降) - [[シャルトル大聖堂]]付属学校学長・[[シャルトル学派]]の創始者・「[[巨人の肩の上]]」の成句で有名<br /> * [[ギヨーム9世 (アキテーヌ公)|ギヨーム9世]]([[1071年]] - [[1126年]]) - 南フランスのアキテーヌ公(在位[[1088年]] - [[1126年]])・「最初の[[トルバドゥール]]」と称される<br /> * [[ピエール・アベラール]]([[1079年]] - [[1142年]]) - [[神学者]]・[[スコラ学|スコラ学者]](唯名論者)・[[エロイーズ]]との恋とそれに伴う[[去勢]]でも有名<br /> * シャルトルのティエリ(? - [[1150年]]) - 神学者・哲学者・『七自由学芸の書(ヘプタテウコン)』による古典学芸の集大成を行う<br /> * [[シュジェール]]([[1081年]]頃 - [[1151年]]) - [[サン=ドニ]]修道院長・国王ルイ7世不在の際の[[摂政]]・[[サン=ドニ大聖堂]]を建立・歴史家でもある<br /> * [[クレルヴォーのベルナルドゥス|クレルヴォーのベルナール]]([[1090年]] - [[1153年]]) - [[シトー会]]修道院長・神学者・説教者・[[教会博士]](甘蜜博士)・第2回十字軍を勧請<br /> * 尊者ピエール([[1094年]] - [[1156年]]) - クリュニー修道院長・「トレド集成」の作成を指導し[[12世紀ルネサンス]]の学術活動に貢献する<br /> * [[サン・ヴィクトルのフーゴー]]([[1096年]] - [[1141年]]) - キリスト教神学者・サン・ヴィクトル学派の創始者・著作に『ディダスカリコン』がある<br /> * アイメリ・ピコー(生没年不詳) - 修道士・「[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]巡礼案内記」を含む『[[カリクストゥス写本]]』を執筆する<br /> * [[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]([[1120年]] - [[1180年]]) - [[カペー朝]]のフランス国王(在位[[1137年]] - [[1180年]])・第2回十字軍に参加・[[アリエノール・ダキテーヌ|アリエノール]]の先夫<br /> * [[クレティアン・ド・トロワ]]([[1135年]]頃 - [[1183年]]頃) - フランスの吟遊詩人・『聖杯の騎士ペルスヴァル』など[[騎士道物語]]を作品とする<br /> * ペトルス・カントール(? - [[1197年]]) - パリ大学の神学者・[[教会法]]の専門家として司牧や説教で活躍・[[煉獄]]の概念の形成にも影響を与える<br /> * [[ピーター・ワルドー|ピエール・ヴァルドー]]([[1140年]] - [[1218年]]?) - [[ワルドー派]]の始祖・[[リヨン]]出身の商人だったが[[巡回説教者]]になり教会に破門される<br /> * アンドレアス・カペラヌス([[1150年]] - [[1220年]]) - フランスの著述家・[[マリー・ド・フランス (1145-1198)|シャンパーニュ伯夫人]]に仕えた司祭・『宮廷風恋愛の技術』を執筆<br /> * [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]](尊厳王) ([[1165年]] - [[1223年]]) - フランス王(在位[[1180年]] - [[1223年]])・第3回十字軍参加・王権の強化を推進<br /> <br /> ==== イングランド ====<br /> * [[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]] ([[1096年]] - [[1154年]]) - [[ブロワ朝]]唯一のイングランド王(在位[[1135年]] - [[1154年]])・[[無政府時代 (イングランド)|無政府時代]]の内乱を招来<br /> * [[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]([[1102年]] - [[1167年]]) - イングランド王ヘンリー1世の王女・スティーブンと王位継承を争う・ヘンリー2世の母<br /> * [[アリエノール・ダキテーヌ]]([[1122年]] - [[1204年]]) - [[アキテーヌ地域圏|アキテーヌ]]女公・フランス王[[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]王妃からイングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]王妃となる<br /> * [[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]([[1133年]] - [[1189年]]) - アンジュー伯・[[プランタジネット朝]]の初代イングランド国王(在位[[1154年]] - [[1189年]])<br /> * ギラルドゥス・カンブレンシス([[1145年]] - [[1223年]]) - [[ウェールズ]]出身の聖職者・文人・ヘンリー2世以下に仕え『アイルランド地誌』を執筆<br /> * [[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](獅子心王)([[1157年]] - [[1199年]]) - イングランド王([[1189年]] - [[1199年]])・第3回十字軍でのサラーフッディーンとの対決が有名<br /> * [[ジョン (イングランド王)|ジョン]](欠地王) ([[1167年]] - [[1216年]]) - イングランド王(在位[[1199年]] - [[1216年]])・兄リチャード1世不在の時期に国政を担当<br /> * [[ロビン・フッド]](生没年不詳) - イングランドの伝説上の[[義賊]]・国王リチャード1世が十字軍で不在の時期に圧政に抵抗したとされる<br /> * [[バースのアデラード]]([[1080年]]頃 - [[1152年]]頃) - イングランド出身の学者・[[エウクレイデス]]『[[原論]]』や[[フワーリズミー]]『天文表』を翻訳<br /> * [[マームズベリのウィリアム]]([[1095年]]? - [[1143年]]) - イングランドの歴史家・ベネディクト会士・[[ベーダ]]を継いで『歴代イングランド王の事績』を執筆<br /> * リーヴォーのアエルレッド([[1100年]] - [[1167年]]) - シトー会修道院長・霊的著作として『霊的友情』が、歴史書として『イングランド王の系譜』がある<br /> * [[ジェフリー・オブ・モンマス]]([[1100年]]頃 - [[1155年]]頃) - イングランドの聖職者・歴史家・[[アーサー王伝説]]に基づく『[[ブリタニア列王史]]』を執筆<br /> * {{仮リンク|ソールズベリーのジョン|en|John of Salisbury}}([[1115年]]? - [[1180年]]) - イングランド出身の聖職者・[[シャルトル学派]]の一人・著作に『メタロギコン』がある<br /> * [[トマス・ベケット]]([[1118年]] - [[1170年]]) - イングランドのカンタベリー大司教・教会勢力を擁護しヘンリー2世配下の騎士に暗殺される<br /> * [[マリー・ド・フランス (詩人)|マリー・ド・フランス]](12世紀後半) - フランス生まれの女流詩人・ヘンリー2世の宮廷で活躍し「マリー・ド・フランスのレー」ほかを残す<br /> <br /> ==== スコットランド ====<br /> * [[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]] ([[1080年]] - [[1153年]]) - スコットランド王(在位[[1124年]] - [[1153年]])・カーライルの貨幣鋳造所を獲得<br /> * [[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]([[1143年]] - [[1214年]]) - スコットランド王(在位[[1165年]] - [[1214年]])・イングランドとカンタベリー協定を締結<br /> <br /> ==== イタリア ====<br /> * [[イルネリウス]]([[1055年]]? - [[1130年]]?) - [[ボローニャ]]の法学者で[[註釈学派]]の開祖・法実務から[[法学]]を独立させ「法の光」と呼ばれる<br /> * [[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリストゥス2世]]([[1065年]]/[[1068年]]? - [[1124年]]) - ローマ教皇(在位[[1119年]] - [[1124年]])・[[ヴォルムス協約]]により叙任権闘争を終わらせる<br /> * ヴェネツィアのジャコモ(? - [[1147年]]以降) - 翻訳家・[[アリストテレス]]『分析論前書・後書』他の著作を[[ギリシア語]]から[[ラテン語]]に翻訳する<br /> * [[ルッジェーロ2世]]([[1095年]] - [[1154年]]) - [[オートヴィル朝]]の初代シチリア王(在位[[1130年]] - [[1154年]])・[[パレルモ]]に[[ノルマンニ宮殿|カッペッラ・パラティーナ]]を建設<br /> * [[アルノルド・ダ・ブレシア]]([[1100年]]? - [[1155年]]) - ローマの参事会員・教会改革を訴えて教皇を放逐し共和政を樹立・後に火刑にされる<br /> * [[ヨハンネス・グラティアヌス]]([[1100年]]? - [[1150年]]?) - [[ボローニャ]]の法学者・『グラティアヌス教令集』を精選し「[[教会法|カノン法]]の父」と呼ばれる<br /> * [[ペトルス・ロンバルドゥス]]([[1100年]]頃 - [[1160年]]) - キリスト教神学者・『命題集(センテンティエ)』を著し「命題集の師」と呼ばれる<br /> * [[アレクサンデル3世 (ローマ教皇)|アレクサンデル3世]]([[1105年]]? - [[1181年]]) - ローマ教皇(在位[[1159年]] - [[1181年]])・[[第3ラテラン公会議]]を招集・皇帝フリードリヒ1世を破門<br /> * [[フィオーレのヨアキム]]([[1135年]] - [[1202年]]) - [[シトー会]]修道院長・[[ヨアキム主義]]と呼ばれる[[終末論]]的神秘思想を唱えるが異端ともされる<br /> <br /> ==== イベリア半島 ====<br /> * イシドロ・デ・メルロ([[1070年]]頃 - [[1130年]]) - スペインの[[マドリッド]]の農夫・生前からその敬虔さと徳行で知られ後にマドリッドの守護聖人とされる<br /> * [[アブラハム・イブン・エズラ]]([[1090年]]/[[1092年]] - [[1164年]]/[[1167年]]) - スペインの[[トレド]]出身の[[ユダヤ教]][[ラビ]]・諸学に通じ聖書註解学に画期をなす<br /> * カリンティアのヘルマン([[1100年]]頃 - [[1160年]]頃) - スペインで活躍した翻訳家・[[エウクレイデス]]『[[原論]]』や『[[コーラン]]』を翻訳<br /> * [[クレモナのジェラルド]]([[1114年]]頃 - [[1187年]]) - [[トレド]]で活躍した翻訳家・[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]『[[アルマゲスト]]』他を翻訳・[[12世紀ルネサンス]]の代表<br /> * [[チェスターのロバート]](生没年不詳) - トレドで活躍した翻訳家・『コーラン』のラテン語訳のほか天文学・数学・錬金術の文献も翻訳する<br /> * [[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]([[1109年]] - [[1185年]]) - ポルトガル王国[[ブルゴーニュ王朝|ボルゴーニャ朝]]初代国王(在位[[1139年]] - [[1185年]])・[[リスボン攻防戦]]で[[リスボン]]を獲得<br /> <br /> ==== 神聖ローマ帝国 ====<br /> * [[レオポルト3世 (オーストリア辺境伯)|レオポルト3世]]([[1073年]] - [[1136年]]) - [[バーベンベルク家]]の[[オーストリア辺境伯]]・[[ヴォルムス協約]]で活躍・修道院の振興に努め聖人となる<br /> * テオフィロス・プレスビテル(12世紀初頭) - ドイツのベネディクト会士・絵画や金工に関し『さまざまな技能について(諸技芸提要)』を著す<br /> * ホノリウス・アウグストドゥネンシス(オータンのホノリウス)([[1180年]] - [[1154年]]) - ドイツの神学者・『世界像』ほか多くの著作がある<br /> * クサンテンのノルベルトゥス([[1082年]] - [[1134年]]) - [[マクデブルク]]大司教・クサンテン聖堂参事会員・プレモントレ会を創設する<br /> * [[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]([[1086年]] - [[1125年]]) - ザーリアー朝の神聖ローマ皇帝(在位[[1111年]] - [[1125年]])・ヴォルムス協約を締結<br /> * [[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]([[1093年]] - [[1152年]]) - [[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウフェン朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1138年]] - [[1152年]])・第2回十字軍参加<br /> * [[ヒルデガルト・フォン・ビンゲン|ビンゲンのヒルデガルト]]([[1098年]] - [[1179年]]) - ドイツの[[ベネディクト会]]系女子修道院長・神秘家・作曲家・薬学者・著作に『道を知れ』がある<br /> * [[フライジングのオットー]]([[1114年]] - [[1158年]]) - フライジング司教・皇帝コンラート3世の異父弟・歴史家として[[普遍史]]『年代記』を執筆<br /> * [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]](赤髭王)([[1123年]] - [[1190年]]) - シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位[[1152年]] - [[1190年]])・第3回十字軍参加<br /> * [[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ3世]](獅子公)([[1129年]] - [[1195年]]) - ザクセン公とバイエルン公を兼任・皇帝に次ぐ権力を持ったが所領を没収され追放される<br /> * ランツベルクのヘラデ([[1130年]]頃 - [[1195年]]) - [[アルザス]]の修道女・ヴォーゲゼンのホーエンブルク修道院長・『喜びの庭』を執筆し挿絵も描く<br /> <br /> ==== 北欧 ====<br /> * {{仮リンク|シグール1世|en|Sigurd the Crusader}}([[1090年]]頃 – [[1130年]]) - ノルウェー王(在位[[1103年]] - [[1130年]])・[[ノルウェー十字軍]]を率いて地中海各地を歴訪する <br /> * [[アブサロン]]([[1128年]]頃 - [[1201年]]) - デンマークの[[ロスキレ]]司教・[[ルンド]]大司教・政治家・[[ヴェンド人]]と戦い[[コペンハーゲン]]の基礎を築く<br /> * {{仮リンク|エリク9世(聖王)|en|Eric IX of Sweden}}(? - [[1160年]]) - エリク家のスウェーデン王(在位[[1150年]] - [[1160年]])・フィンランド遠征(北方十字軍)に参加<br /> * [[サクソ・グラマティクス]]([[1150年]] - [[1220年]]) - デンマークの歴史家・[[北欧神話]]や[[ハムレット]]伝説も含めた『[[デンマーク人の事績]]』を執筆<br /> <br /> ==== 東ローマ帝国 ====<br /> * エウティミオス・ジガベノス(? - [[1118年]]) - 東ローマ帝国の神学者・異端論駁書『パノプリア・ドグマティケー(教義の完全武装)』を執筆<br /> * [[アンナ・コムネナ]]([[1083年]] - [[1153年]]) - 東ローマ皇帝[[アレクシオス1世コムネノス]]の皇女・女流歴史家で『アレクシアド』の著者<br /> * [[ヨハネス2世コムネノス|ヨハネス2世]]([[1087年]] - [[1143年]]) - 東ローマ帝国[[コムネノス朝]]第2代皇帝(在位[[1118年]] - [[1143年]]) - カロヨハネスと呼ばれた名君<br /> * ヨハネス・ツェツェス([[1110年]]頃 - [[1180年]]以降) - 東ローマ帝国の古典文献学者・詩人・『キリアデス(史書千巻)』などの著作を残す<br /> * [[マヌエル1世コムネノス|マヌエル1世]]([[1118年]] - [[1180年]]) - 東ローマ帝国コムネノス朝第3代皇帝(在位[[1143年]] - [[1180年]])・帝国再興を目指しメガスと呼ばれる<br /> * [[イサキオス2世アンゲロス|イサキオス2世]]([[1156年]] - [[1204年]]) - 東ローマ帝国[[アンゲロス朝]]初代皇帝(在位[[1185年]] - [[1195年]])・兄弟争いで[[第4回十字軍]]を招く<br /> * ヤコボス・コッキノバフォス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の修道士・ギリシア語による彩色写本『聖母マリア讃詞集』を作成<br /> <br /> ==== 東欧 ====<br /> * [[ウラジーミル2世モノマフ]]([[1053年]] - [[1125年]]) - [[キエフ大公]](在位[[1113年]] - [[1125年]])・キエフを再統一・「モノマフの帽子」伝説に仮託される<br /> * [[年代記者ネストル]]([[1056年]]頃 - [[1114年]]) - [[キエフ]]の[[洞窟修道院]]の修道士・ロシア最古の記録である『[[原初年代記]]』を編纂<br /> * [[ユーリー・ドルゴルーキー]]([[1099年]] - [[1157年]]) - [[スーズダリ公]](在位[[1108年]] - [[1157年]])・キエフ大公ともなり[[モスクワ]]を建設<br /> * [[ステファン・ネマニャ]]([[1113年]] - [[1200年]]) - セルビア王国ネマニッチ朝初代国王(在位[[1171年]] - [[1196年]])・ヒランダル修道院を創建<br /> * [[ベーラ3世]]([[1148年]]頃 - [[1196年]]) - [[ハンガリー王国]][[アールパード朝]]の国王(在位[[1172年]] - [[1196年]])・領土拡大により最盛期を現出<br /> * [[イーホル・スヴャトスラーヴィチ|イーゴリ・スヴャトスラーヴィチ]]([[1151年]] - [[1202年]]) - ロシアの[[ノーウホロド=シーヴェルシクィイ|ノヴゴロド・セーヴェルスキイ]]公・『[[イーゴリ遠征物語]]』の主人公<br /> <br /> ==== 十字軍国家 ====<br /> * ジェラール・タンク(トム)([[1040年]]頃 - [[1120年]]) - [[聖ヨハネ騎士団]]初代総長・病院と宿泊施設の提供をする修道騎士団を創設する<br /> * [[ボードゥアン1世 (エルサレム王)|ボードゥアン1世]]([[1065年]]頃 - [[1118年]]) - [[第1回十字軍]]の指導者の一人・初代エルサレム王(在位[[1100年]] - [[1118年]])<br /> * ユーグ・ド・パイヤン([[1070年]]頃 - [[1136年]]) - [[テンプル騎士団]]初代総長・巡礼者守護のための修道騎士団を創設する<br /> * [[ルノー・ド・シャティヨン]]([[1125年]]頃 - [[1187年]]) - [[アンティオキア公]]・十字軍強硬派の中心・[[ハッティンの戦い]]を起こし捕虜となり処刑される<br /> * [[ギヨーム・ド・ティール]]([[1130年]]頃 - [[1186年]]) - [[ティルス]]大司教・[[ボードゥアン4世]]の家庭教師・歴史家として『エルサレム王国史』を残す<br /> * [[イブラン家|バリアン・ディブラン]]([[1140年]]頃 - [[1193年]]) - ラムラ領主・サラーフッディーンとのエルサレム攻防戦では十字軍側の指揮をとるが敗北する<br /> * [[ボードゥアン4世]]([[1161年]] - [[1185年]]) - エルサレム国王(在位[[1174年]] - [[1185年]])・重病ながらも[[モンジザールの戦い]]では勝利を得る<br /> * [[ギー・ド・リュジニャン]]([[1159年]] - [[1194年]]) - エルサレム国王(在位[[1186年]] - [[1192年]])・ハッティンの戦いで敗れてエルサレムを喪失<br /> <br /> === イスラム世界 ===<br /> * [[アル・ハリーリー]]([[1054年]] - [[1122年]]) - [[バスラ]]生まれの詩人・著作家・[[マカーマ]]を大成した『マカーマート』や『潜水夫の真珠』がある<br /> * [[ガザーリー]]([[1058年]] - [[1111年]]) - ペルシアのイスラム神学者・哲学者・神秘主義者([[スーフィー]])・著作に『哲学者の矛盾』がある<br /> * イブン・トゥーマルト([[1080年]]頃 - [[1130年]]頃) - ベルベル人のマフディー(救世主)・[[タウヒード|神の唯一性]]を唱えムラービト朝に反抗<br /> * [[サナーイー]](? - [[1131年]]/[[1134年]]/[[1150年]]) - ペルシアの神秘主義詩人・代表作に「真理の園」があり[[ファリードゥッディーン・アッタール|アッタール]]や[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]に影響を与える <br /> * [[アフマド・サンジャル]]([[1086年]] - [[1157年]]) - 大セルジューク朝の最後のスルタン(在位[[1118年]] - [[1157年]])・王朝の再興に一時的に成功する<br /> * [[ザンギー]]([[1087年]]? - [[1146年]]) - [[アタベク]]政権[[ザンギー朝]]の初代君主(在位[[1127年]] - [[1146年]])・十字軍への組織的抵抗を開始<br /> * アラー・ウッディーン・フサイン2世(? - [[1161年]]) - [[ゴール朝]]の君主(在位[[1149年]] - [[1161年]])・ガズナ朝に勝利しガズナを奪取する<br /> * [[アブドゥルムウミン]]([[1094年]] - [[1163年]]) - ムワッヒド朝の初代[[アミール]](在位[[1130年]] - [[1163年]])でイブン・トゥーマルトの後継者<br /> * ウサマ・イブン・ムンキズ([[1095年]] - [[1188年]]) - シャイザール出身の文人・十字軍時代のムスリム側の記録『キターブ・ル・ヤティバール』を残す<br /> * [[イブン・バーッジャ]]([[1095年]]? - [[1138年]]) - ムラービト朝の宰相・西方イスラム哲学の始祖・著作に『孤独者の経綸』がある<br /> * [[イドリースィー]]([[1099年]]/[[1100年]]? - [[1165年]]/[[1166年]]/[[1180年]]?) - シチリア王に仕えた地理学者・世界地図『ルッジェーロの書』を作成<br /> * [[アフマド・ヤサヴィー]]([[1103年]] - [[1166年]]) - ブハラで活躍したテュルク語詩人・スーフィー・[[テュルキスタン]]に記念の[[ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟|霊廟]]が残る<br /> * [[イブン・トファイル]]([[1105年]]-[[1185年]]) - ムワッヒド朝に仕えた侍医・西方イスラム哲学者・著作に『ヤクザーンの子ハイイの物語』がある<br /> * [[ヌールッディーン]]([[1118年]] - [[1174年]]) - アタベク政権ザンギー朝の第2代君主(在位[[1146年]] - [[1174年]])・[[エデッサ伯国|エデッサ伯領]]を滅ぼす<br /> * ディマシュキー(? - [[1175年]]以降) - ダマスクス出身の商人・イスラム式の貨幣論や経営論をまとめた『商業の功徳』を執筆する<br /> * [[イブン・ルシュド]]([[1126年]] - [[1198年]]) - ムワッヒド朝の西方イスラム哲学の中心人物・ガザーリーの論敵・著作に『矛盾の矛盾』がある<br /> * [[モーシェ・ベン=マイモーン|マイモニデス]]([[1135年]] - [[1204年]]) - スペイン出身の[[ユダヤ教徒]][[ラビ]]・哲学者・サラーフッディーンの侍医・著作に『[[ミシュネー・トーラー]]』がある<br /> * [[サラーフッディーン]]([[1138年]] - [[1193年]])- アイユーブ朝の初代君主(在位[[1171年]] - [[1193年]])・イェルサレムを十字軍から奪回<br /> * ラーヴァンディー(生没年不詳) - ルーム・セルジューク朝の歴史家・セルジューク朝の歴史書『胸の安らぎと喜びの証し』を執筆<br /> * [[ニザーミー]]([[1141年]] - [[1209年]]) - ペルシアの詩人・『[[ホスローとシーリーン]]』『[[ライラとマジュヌーン]]』の作者<br /> * [[イブン・ジュバイル]]([[1145年]] - [[1217年]]) - ムワッヒド朝の旅行家・アラビアからエジプトそしてシチリアを遍歴した『旅行記』がある<br /> * イブン・シャッダード([[1145年]] - [[1234年]]) - アイユーヴ朝の文筆家・サラーフッディーンに近侍し『サラーフッディーン伝』を執筆<br /> * スフラワルディー([[1155年]] - [[1191年]]) - ペルシアのイスラム神学者・神秘主義者で照明学派(イシュラーク派)の祖・保守派と対立し獄死<br /> * [[ヤアクーブ・マンスール]](? - [[1198年]]) - ムワッヒド朝のアミール(在位[[1184年]] - [[1198年]])・王朝の最盛期・哲学者[[イブン・ルシュド]]を追放<br /> * [[アラーウッディーン・テキシュ]](? - [[1200年]]) - ホラズム・シャー朝の第6代君主(在位[[1172年]] - [[1200年]])・イラクのセルジューク朝を滅ぼす<br /> * [[ギヤースッディーン・ムハンマド]](? - [[1203年]]) - ゴール朝の君主(在位[[1163年]] - [[1203年]])・イラクから北インドまで領土拡大<br /> * [[シハーブッディーン・ムハンマド]](? - [[1206年]]) - ゴール朝のギヤースッディーンの弟・[[タラーインの戦い]]に勝利・後に兄の跡を継ぐ<br /> <br /> === 南アジア・チベット・東南アジア ===<br /> * [[ラーマーヌジャ]]([[1017年]] - [[1137年]]) - インドの哲学者・バクティ信仰で[[ヒンドゥー教]]を変革し[[カビール]]や[[グル・ナーナク|ナーナク]]に影響を与える<br /> * [[ミラレパ]]([[1052年]] - [[1135年]]) - チベット仏教の修行者・宗教詩人・四大宗派の一つである[[カギュ派]]の祖<br /> * ヴィシュヌヴァルダナ(? - [[1152年]]) - [[ホイサラ朝]]の王(在位[[1110年]] - [[1152年]])・ホイサレシューヴァラ寺院を建立<br /> * [[スーリヤヴァルマン2世]](? - [[1150年]]) - [[カンボジア]]の[[アンコール朝]]の国王(在位[[1113年]] - [[1150年]])・[[アンコール・ワット]]を建設<br /> * [[バースカラ2世]]([[1114年]] - [[1185年]]) - インドの数学者・天文学者・『リーラーヴァティ』『ビージャガニタ』『シッダーンタ・シロマーニ』を著す<br /> * [[ジャヤデーヴァ]](12世紀) - [[セーナ朝]]時代の詩人・叙情詩『[[ギータ・ゴーヴィンダ]]』(牛飼いの歌)でベンガル文学を代表し[[バクティ]]信仰に影響<br /> * カンバン(12世紀) - [[チョーラ朝]]時代の詩人・叙事詩『イラーマーヴァダーラム(ラーマの降臨)』で[[タミル語|タミル文学]]([[サンガム文学]])を代表する<br /> * カルハナ(12世紀) - [[カシミール]]出身の歴史家・古代からこの時代までの歴史叙事詩『ラージャタランギニー(王統の流れ)』を執筆する<br /> * アッカ・マハーデーヴィー([[1130年]]頃 - [[1160年]]) - インドの女性神秘家・シヴァ神への熱烈な[[バクティ]]信仰で有名・[[カンナダ語]]の詩人でもある<br /> * [[ジャヤーヴァルマン7世]]([[1130年]] - [[1218年]]) - カンボジアのアンコール朝の国王(在位[[1181年]] - [[1218年]])・[[アンコール・トム]]を建設<br /> * プリトヴィーラージャ3世([[1149年]] - [[1192年]]) - [[チャーハマーナ朝]]の王(在位[[1165年]] - [[1192年]])・[[ラージプート]]を糾合しゴール朝と戦う<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 北宋・南宋 ====<br /> * [[蔡京]]([[1047年]] - [[1126年]]) - 北宋末の政治家・宰相・書家・新法党に属し「元祐朋党碑」を建立・奸臣「六賊」の一人<br /> * [[童貫]](? - [[1126年]]) - 北宋末の[[宦官]]で軍人・奸臣「六賊」の一人・方臘の乱を鎮圧するも北遼制圧に失敗し斬首される<br /> * [[高キュウ|高俅]](? - [[1126年]]) - 北宋末の武官(殿帥府太尉)・食客から出世し軍政を掌握・『水滸伝』では「四奸臣」の一人で最大の憎まれ役<br /> * 方臘(? - [[1121年]]) - 北宋末の[[方臘の乱]]の指導者・喫菜事魔([[マニ教]]の流れか)を行う・江南で反乱を起こすも童貫に制圧される<br /> * [[宋江]](生没年不詳) - 北宋末の山東の反乱指導者・後に転じて方臘の乱の討伐に与したか・『[[水滸伝]]』では[[梁山泊]]の首領<br /> * [[圜悟克勤]]([[1063年]] - [[1135年]]) - 北宋末期から南宋初期の禅僧・[[語録]]であり[[公案]]集でもある『[[碧巌録]]』を編纂・[[墨蹟]]「流れ圜悟」も有名<br /> * [[元祐皇后]]([[1072年]] - [[1131年]]) - 北宋の哲宗の皇后(孟氏)・掖庭の獄で廃后・靖康の変を逃れて[[張邦昌]]に擁立され南宋の建国に寄与<br /> * [[張邦昌]]([[1081年]] - [[1127年]]) - 北宋の政治家・靖康の変後に金の傀儡国家楚の皇帝になる・退位するも許されず処刑される<br /> * [[徽宗]] ([[1082年]] - [[1135年]]) - 北宋の第8代皇帝(在位[[1100年]] - [[1125年]])・「風流天子」と呼ばれ画家で書家でもある<br /> * [[李綱]]([[1085年]] - [[1140年]]) - 南宋の宰相・靖康の変前から抗金の主戦派・高宗に仕え「十事」の刷新を唱えるが失脚<br /> * [[李清照]]([[1084年]] - [[1153年]]) - 北宋末期から南宋初期の女流詩人(詞人)・靖康の変で江南に落ちのびる・詞集『漱玉集』がある<br /> * 張択端([[1085年]] - [[1145年]]) - 北宋の画家・首都[[開封]]の繁栄を描いた「[[清明上河図]]」で知られる<br /> * 孟元老(生没年不詳) - 北宋末期から南宋初期の文人・靖康の変で南渡し首都開封の記録である『[[東京夢華録]]』を執筆<br /> * [[蘇漢臣]](生没年不詳) - 北宋末期から南宋初期の画家・徽宗から高宗・孝宗に仕える・「秋庭嬰戯図」「貨郎図」などがある <br /> * [[米友仁]]([[1086年]] - [[1165年]]) - 北宋末期から南宋初期の画家・書家・米芾の子・「瀟湘奇観図」や「雲山墨戯図」がある<br /> * [[秦檜]]([[1090年]] - [[1155年]]) - 南宋の宰相・金との和平派・金に拉致されるが帰国し金と紹興の和議を結ぶ <br /> * [[欽宗]]([[1100年]] - [[1161年]]) - 北宋の第9代皇帝(在位[[1125年]] - [[1127年]])・靖康の変で父徽宗らと金に連行される<br /> * [[岳飛]]([[1103年]] - [[1141年]]) - 南宋の武将・金との主戦派・中原回復の機を窺うが和平派により処刑される<br /> * [[高宗 (宋)|高宗]]([[1107年]] - [[1187年]]) - 南宋の初代皇帝(在位[[1127年]] - [[1162年]])・徽宗の子で欽宗の弟・靖康の変を逃れ[[臨安]]に遷都<br /> * [[虞允文]]([[1110年]] - [[1174年]]) - 南宋の丞相・金の南進を阻止するべく軍事参謀として采石磯の戦いで海陵王を撃破する<br /> * [[洪邁]]([[1123年]] - [[1202年]]) - 南宋の政治家・儒学者・秦檜を批判し左遷される・[[志怪小説]]『[[夷堅志]]』や『[[容斎随筆]]』で有名<br /> * [[陸游]]([[1125年]] - [[1210年]]) - 南宋の政治家・詩人で「南宋四大家」の一人・詩集に『剣南詩稿』がある<br /> * [[孝宗 (宋)|孝宗]]([[1127年]] - [[1194年]]) - 南宋の第2代皇帝(在位[[1162年]] - [[1189年]])・南宋の最盛期を現出・その治世が「乾淳の治」<br /> * [[趙汝愚]](? - [[1196年]]) - 南宋の宰相・朱熹の庇護者・光宗を廃し寧宗の擁立を謀る・韓侂冑らにより慶元の党禁で失脚<br /> * [[朱子|朱熹]]([[1130年]] - [[1200年]]) - 南宋の儒学者・[[朱子学]](新儒学)の大成者・弟子のまとめた『[[朱子語類]]』が知られる<br /> * [[呂祖謙]]([[1137年]] - [[1181年]]) - 南宋の儒学者・朱熹と陸象山との会談(鵝湖の会)を準備したことで知られる<br /> * [[陸象山]]([[1139年]] - [[1192年]]) - 南宋の儒学者・朱熹の論敵・「[[心即理]]」の概念は[[陽明学]]の淵源となる<br /> * [[辛棄疾]]([[1140年]] - [[1207年]]) - 南宋の政治家・詞人・金の支配下に生まれ育つも武装蜂起して南宋に帰順・詞集『稼軒集』がある<br /> * 李鳳娘([[1144年]] - [[1200年]]) - 南宋の光宗の皇后・寧宗の生母・光宗に代わって専権をふるい紹熙の内禅を招く<br /> <br /> ==== 金 ====<br /> * [[阿骨打|完顔阿骨打]]([[1068年]] - [[1123年]]) - 女真族の金の初代皇帝(太祖)(在位[[1115年]] - [[1123年]])・[[猛安・謀克]]の制を整備し遼に大勝<br /> * [[呉乞買|太宗]]([[1075年]] - [[1135年]]) - 女真族の金の第2代皇帝(在位[[1123年]] - [[1135年]])・阿骨打の弟・遼と北宋をそれぞれ滅ぼす<br /> * 撻懶(? - [[1139年]]) - 金の皇族(太祖・太宗の叔父盈歌の子)・将軍・秦檜を南宋に帰国させて和議工作を進めるが反対派により処刑される<br /> * [[斡啜]](兀朮)(? - [[1148年]]) - 金の皇族(太祖の子)・将軍・政治家・南宋との間に淮河から秦嶺以北を金の領土とする紹興の和議を締結<br /> * [[王重陽]]([[1112年]] - [[1170年]]) - 金の道士・[[道教]]の一派である[[全真教]]の開祖・弟子に[[丘長春]](長春真人)がいる<br /> * [[海陵王]]([[1122年]] - [[1161年]]) - 金の第4代皇帝(在位[[1150年]] - [[1161年]])・燕京に遷都・南宋と采石磯で戦うも敗北し廃位される<br /> * [[世宗 (金)|世宗]]([[1123年]] - [[1189年]]) - 金の第5代皇帝(在位[[1161年]] - [[1189年]])・南宋と乾道の和約を結ぶ・その治世が「大定の治」<br /> <br /> ==== 遼・西遼 ====<br /> * [[天祚帝]]([[1075年]] - [[1125年]]) - 遼の最後の皇帝(在位[[1101年]] - [[1125年]])・金と北宋に挟撃され降伏し遼は滅亡する<br /> * [[耶律大石]]([[1087年]] - [[1143年]]) - [[西遼]](カラ・キタイ)の建国者・皇帝(徳宗)(在位[[1132年]] - [[1143年]])<br /> <br /> ==== 高麗 ====<br /> * [[金富軾]]([[1075年]] - [[1151年]]) - 高麗の官僚・儒学者・[[仁宗 (高麗王)|仁宗]]の命で現存する朝鮮最古の歴史書『[[三国史記]]』を編纂<br /> * [[知訥]]([[1158年]] - [[1210年]]) - 高麗の僧侶・韓国仏教で最も勢力を拡大した[[曹渓宗]]の宗祖・松広山(曹渓山)[[松広寺|吉祥寺]]を再興<br /> <br /> ==== 日本 ====<br /> * [[白河天皇]]([[1053年]] - [[1129年]]) - 第72代天皇(在位[[1072年]] - [[1086年]])・[[太上天皇|上皇]]([[法皇]])として堀河・鳥羽・崇徳の三代で[[院政]]を行う<br /> * [[覚猷]](鳥羽僧正)([[1053年]] - [[1140年]]) - 僧侶・[[天台座主]]・[[鳥獣人物戯画]]の作者に擬せられ戯画「[[鳥羽絵]]」の祖とされる<br /> * [[藤原顕隆]]([[1072年]] - [[1129年]]) - 公卿・[[権中納言]]・白河院の[[院近臣|近臣]]・摂関を越えて政策を決定したので「夜の関白」と評される<br /> * [[良忍]](聖応大師)([[1073年]] - [[1132年]]) - 僧侶・[[融通念仏宗]]の開祖・京都[[大原]]の[[来迎院]]を再興・天台[[声明]]を統一する<br /> * [[藤原忠実]]([[1078年]] - [[1162年]]) - 公卿・[[摂政]]・[[関白]]・[[太政大臣]]・白河院に圧迫されながら摂関家を維持・忠通や頼長の父<br /> * [[源義親]](? - [[1108年]]) - 武将・源義家の子・対馬守に任じられるが九州各地で狼藉を行い[[平正盛]]に追討される([[源義親の乱|康和の乱]])<br /> * [[藤原定信]]([[1088年]] - [[1156年]]) - 書家([[世尊寺流]])・「[[西本願寺本三十六人家集]]貫之集(石山切)」や「金沢本万葉集」を残す<br /> * [[覚鑁]](興教大師)([[1095年]] - [[1144年]]) - 僧侶・[[真言宗]]中興の祖にして[[新義真言宗]]の祖・[[根来寺]]開山<br /> * [[源為義]]([[1096年]] - [[1156年]]) - 武将・左馬頭・[[河内源氏]]の棟梁・保元の乱で処刑される・義朝や為朝の父<br /> * [[藤原忠通]]([[1097年]] - [[1164年]]) - 公卿・[[摂政]]・[[関白]]・太政大臣・[[書家]]([[法性寺流]])・直系子孫が[[五摂家]]に分立<br /> * [[鳥羽天皇]]([[1103年]] - [[1156年]]) - 第74代天皇(在位[[1107年]] - [[1123年]])・[[院政]]を行う・崩御して保元の乱が発生<br /> * [[源頼政]]([[1104年]] - [[1180年]]) - 武将・平治の乱では平氏方に与す・後に以仁王の挙兵に従い宇治平等院の戦いで敗死<br /> * [[信西|藤原通憲(信西)]]([[1106年]]? - [[1160年]]) - 学者・僧侶・後白河院の近臣・[[保元新制]]を指導するが平治の乱で横死<br /> * [[藤原俊成]]([[1114年]] - [[1204年]]) - 公卿・歌人・『[[千載和歌集]]』の選者・家集に『[[長秋詠藻]]』がある・[[藤原定家]]は子<br /> * [[平清盛]]([[1118年]] - [[1181年]]) - 武将・公卿・太政大臣・平氏政権の全盛期・[[治承三年の政変]]や[[福原行幸|福原遷都]]で反発を招く<br /> * [[西行]]([[1118年]] - [[1190年]]) - 僧侶・歌人で『[[新古今和歌集]]』最多入撰・私家集として『[[山家集]]』がある<br /> * [[崇徳天皇]]([[1119年]] - [[1164年]]) - 第75代天皇(在位[[1123年]] - [[1142年]])・保元の乱で[[讃岐国]]に配流・[[怨霊]]伝説あり<br /> * [[藤原頼長]]([[1120年]] - [[1156年]]) - 公卿・左大臣(悪左府)・保元の乱で横死・日記『[[台記]]』を残す<br /> * [[重源]]([[1121年]] - [[1206年]]) - 僧侶・[[東大寺大勧進職]]・治承・寿永の乱で焼失した[[東大寺]]を再建<br /> * [[藤原秀衡]]([[1122年]]? - [[1187年]]) - 奥州藤原氏第3代当主・治承・寿永の乱でも独立を維持・落ち延びた[[源義経]]を庇護<br /> * [[源義朝]]([[1123年]] - [[1160年]]) - 武将・保元の乱では勝利するが平治の乱で敗死・頼朝や義経らの父<br /> * [[後白河天皇]]([[1127年]] - [[1192年]]) - 第77代[[天皇]](在位[[1155年]] - [[1158年]])・治承・寿永の乱を生き残る・『[[梁塵秘抄]]』を撰述<br /> * [[常盤光長]](生没年不詳) - 絵師([[土佐派]])・後白河院の命で『年中行事絵巻』『[[伴大納言絵詞]]』を描く・『[[吉備大臣入唐絵巻]]』も描いたか<br /> * [[藤原信頼]]([[1133年]] - [[1160年]]) - 公卿・権中納言・後白河院の近臣・平治の乱で信西を倒すが政権を守れず乱後に処刑される<br /> * [[平重盛]]([[1138年]] - [[1179年]]) - 武将・公卿・[[内大臣]](小松内大臣)・平清盛の長男・[[鹿ケ谷の陰謀]]で立場を失う<br /> * [[藤原成親]]([[1138年]] - [[1177年]]) - 公卿・権大納言・後白河院の近臣・[[西光]]や[[俊寛]]らと鹿ケ谷の陰謀を企てたとして流される<br /> * [[北条時政]]([[1138年]] - [[1215年]]) - 鎌倉幕府初代[[執権]](在任[[1203年]] - [[1205年]])・源頼朝の義父として挙兵を援助<br /> * [[源為朝]]([[1139年]] - [[1170年]]) - 武将・平治の乱で敗北し[[伊豆大島]]へ配流・[[第二尚氏|琉球王家]]の始祖伝説あり<br /> * [[文覚]]([[1139年]] - [[1203年]]) - 僧侶・もとは[[北面武士]]・[[神護寺]]再興の強訴で伊豆に流され頼朝の挙兵を鼓舞・後には佐渡にも流される<br /> * [[梶原景時]]([[1140年]]? - [[1200年]]) - 武将・鎌倉幕府[[侍所]]所司・源頼朝に近侍し源義経と対立・[[梶原景時の変]]で滅ぼされる<br /> * [[熊谷直実]]([[1141年]] - [[1207年]]) - 武将・御家人・源平合戦での[[一の谷の戦い]]での[[平敦盛]]との哀話は有名・後に[[法然]]に帰依する<br /> * [[平宗盛]]([[1147年]] - [[1185年]]) - 武将・公卿・内大臣(屋島大臣)・清盛没後の平氏一門を統率・壇ノ浦の敗北後に斬首される<br /> * [[源頼朝]]([[1147年]] - [[1199年]]) - 鎌倉幕府初代将軍(在任[[1192年]] - [[1199年]])・源義仲と平氏一門を滅ぼし奥州合戦に勝利<br /> * [[九条兼実]]([[1149年]] - [[1207年]]) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・[[九条家]]の祖・この時代の記録として『[[玉葉]]』を残す<br /> * [[源通親]]([[1149年]] - [[1202年]]) - 公卿・後白河院の近臣・内大臣・「源博陸」・[[建久七年の政変]]で[[九条兼実]]を失脚させる<br /> * [[以仁王]]([[1151年]] - [[1180年]]) - 後白河院の皇子・「[[以仁王の挙兵|以仁王の令旨]]」により諸国の源氏に平氏打倒の挙兵を促したが敗死する<br /> * [[高階栄子]]([[1151年]]? - [[1216年]]) - 後白河院の寵姫([[丹後局]])・宣陽門院の母・後鳥羽天皇の擁立や鎌倉幕府との交渉に影響力があった<br /> * [[平知盛]]([[1152年]] - [[1185年]]) - 武将・公卿・[[権中納言]](新中納言)・兄宗盛を補佐し平氏都落ち以後は転戦・壇ノ浦で入水 <br /> * [[源義仲]]([[1154年]] - [[1184年]])- 武将・征夷大将軍(征東大将軍)・平氏一門を都落ちさせる・後に源義経に追討される<br /> * [[平重衡]]([[1157年]] - [[1185年]])- 武将・公卿・[[南都焼討]]により東大寺や興福寺を炎上させる・一ノ谷の戦いで捕虜となり斬首<br /> * [[平維盛]]([[1158年]] - [[1184年]]) - 武将・公卿・重盛の嫡男・[[富士川の戦い]]や[[倶利伽羅峠の戦い]]で敗北・一門を離脱し[[那智]]で入水<br /> * [[源義経]]([[1159年]] - [[1189年]]) - 武将・[[検非違使]]・壇ノ浦の戦いで平氏一門を滅ぼす・後に奥州合戦で兄の頼朝に追討される<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 12 | 年代 = 1100 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:12せいき}}<br /> [[Category:12世紀|*]]</div> 111.87.58.204
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