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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=111.87.58.144&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-05T10:14:56Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 ビニロン 2018-06-30T23:43:11Z <p>111.87.58.144: /* 出典 */</p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> | 出典の明記 = 2011-11<br /> | 参照方法 = 2011-11<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;ビニロン&#039;&#039;&#039;(vinylon)は、[[ポリビニルアルコール]]を[[アセタール]]化して得られる[[合成繊維]]の総称である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[ファイル:February8Vinalon.jpg|thumb|250px|北朝鮮・[[興南区域|興南]]の2.8ビナロン連合企業所(2010年8月撮影)。北朝鮮はビニロン生産に力を入れている]]<br /> [[京都大学|京都帝国大学]]の[[桜田一郎]]および共同研究者の[[李升基]]、大日本紡績(現・[[ユニチカ]])の川上博らによって[[1939年]]に初めて合成された。[[ナイロン]]に2年遅れで続き世界で2番目に作られた合成繊維であり、日本初の合成繊維である。当初は「合成一号」や「カネビアン」と呼ばれていたが、[[1948年]]に「ビニロン」と改称された。工業化の研究は戦争のため遅れ、桜田と友成九十九、川上らの研究によって倉敷レイヨン(現・[[クラレ]])、大日本紡績(現・ユニチカ)で工業生産が開始されたのは[[1950年]]のことであった。<br /> <br /> 戦後に李升基を受け入れた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では、ビニロンは同国の発明品とされ、同国主席の[[金日成]]が命名した&#039;&#039;&#039;ビナロン&#039;&#039;&#039;({{lang|ko|비날론}}、Vinalon)という名称で呼ばれる。北朝鮮では、「[[主体思想|主体]]科学」の先駆けとしてビナロン繊維産業に力を入れており、同国で生産される軍用を含んだ被服類に多く使われているといわれている。<br /> <br /> == 性質 ==<br /> 合成繊維中、唯一親水性で吸湿性であるという特徴を持っており、[[綿]]に似た風合いの繊維である。そのほかに、高強度・高弾性率、耐候性、耐薬品性といった性質を併せ持っている。ただし、化学変化や熱に強い反面、[[染色]]しにくくごわごわするという短所があり、衣料用の繊維としては使用しにくい。そのような性質から、産業用資材として用いられることが多い。主な用途としては、[[ロープ]]、[[海苔]]網、[[ゴム]]や[[プラスチック]]の補強繊維、[[石綿]]に代わる[[セメント]]板の補強材などが挙げられる。<br /> <br /> また、フィルム状にした場合の平面性や光学的透過性を生かして[[液晶]]表示装置の[[偏光]]板や、衣類([[ワイシャツ]]、[[ポロシャツ]]など)や寝装品([[布団]]、[[シーツ]]、カバーなど)など各種繊維製品の外装フィルムなど、繊維以外の使用法も開発されている。<br /> <br /> 湿った状態からアイロン等の熱源で加熱加圧することにより糊付けしたような肌触りを持つことから業務用シーツの素材に使用したり、熱に強い性質を利用して難燃素材として作業服等に使用されている。<br /> <br /> 焼却しても[[ダイオキシン]]や[[塩化水素]]などの有害ガスが発生しないので、前述のように包装材としてもよく利用されている。<br /> <br /> == 合成法 ==<br /> [[ファイル:Synthesis of vinylon.png|center|600px|ビニロンの合成]]<br /> ポリビニルアルコールに酸触媒の存在下で[[ホルムアルデヒド]]を反応させる。それにより、ポリビニルアルコールの1,3-ジオール部でホルマール化が起こり、環状の1,3-ジオキサン構造が導入される。なお、この際に確率的には13.5%のヒドロキシル基が未反応のまま残る。<br /> <br /> == 用途 ==<br /> [[2009年]]の日本におけるビニロン繊維の生産量は3万1千tである&lt;ref&gt;[http://www.jcfa.gr.jp/data/japan/1_2.html 日本化学繊維協会 統計資料「日本の化学繊維工業―化学繊維の生産」]&lt;/ref&gt;。なお、2010年以降、その生産量は個別の統計ではなく「その他」にまとめられている。[[学生服]]、[[レインコート]]、[[鞄]]、[[ロープ]]、[[漁網]]&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/563013/|title=ソウル駐在特別記者・黒田勝弘 北核開発の父は京大OB|date=2012-5-19|work=産経ニュース|accessdate=2012年5月19日}}&lt;/ref&gt;、[[繊維補強コンクリート]]の補強用繊維、外科用縫合糸などに、また非繊維用途として農業資材や水溶性樹脂素材、包装材や偏光板等にも用いられている。[[自衛隊]]の幌、幕舎(テント)、[[迷彩服2型|作業服]]にもビニロンとの混紡製品がある。<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{ウィキポータルリンク|ファッション}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> {{Textile-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:ひにろん}}<br /> [[Category:合成繊維]]<br /> [[Category:有機高分子]]<br /> [[Category:ポリエーテル]]<br /> [[Category:アルコール]]<br /> [[Category:アセタール]]<br /> [[Category:1939年の日本]]<br /> [[Category:日本の発明]]<br /> [[Category:朝鮮民主主義人民共和国の科学技術]]<br /> [[Category:ユニチカ]]<br /> [[Category:クラシエ]]<br /> [[Category:倉敷紡績]]</div> 111.87.58.144 天正地震 2018-06-30T23:09:33Z <p>111.87.58.144: /* 震源域 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2012年4月12日 (木) 04:38 (UTC)}}<br /> [[ファイル:Monument of Kaerikumo Castle Ruins 001.JPG|thumb|right|240px|[[帰雲城]]趾。背後の地滑り痕が天正地震による崩壊地&lt;ref name=&quot;Sangawa3&quot;&gt;寒川旭 『地震の日本史』 中公新書、2007年&lt;/ref&gt;。]]<br /> [[ファイル:Sarugabanbayama from Nodanisyojiyama 2010-4-18.JPG|thumb|right|240px|[[帰雲山]]の崩壊跡(中央部)]]<br /> &#039;&#039;&#039;天正地震&#039;&#039;&#039;(てんしょうじしん)は、[[天正]]13年[[11月29日_(旧暦)|11月29日]]([[1586年]][[1月18日]])に日本の中部で発生した[[巨大地震]]である。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;天正大地震&#039;&#039;&#039;(てんしょうおおじしん)あるいは&#039;&#039;&#039;天正の大地震&#039;&#039;&#039;(てんしょうのおおじしん)とも呼ばれる。また、各地の被害から&#039;&#039;&#039;長浜大地震&#039;&#039;&#039;(ながはまおおじしん)&lt;ref&gt;大和田哲男『山内一豊のすべて』新人物往来社、2005年&lt;/ref&gt;、&#039;&#039;&#039;白山大地震&#039;&#039;&#039;(はくさんおおじしん)、&#039;&#039;&#039;木舟大地震&#039;&#039;&#039;(きふねおおじしん)&lt;ref&gt;『菅家見聞録』&lt;/ref&gt;、&#039;&#039;&#039;天酉地震&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;『長島町誌 上』&lt;/ref&gt;とも呼ばれる。<br /> <br /> 『東寺執行日記』、『[[多聞院日記]]』など多くの古記録に記載され、『梵舜日記』(別名『舜旧記』『舜舊記』)には約12日間にわたる余震が記録されている&lt;ref name=&quot;Shinsaiyobo&quot;&gt;[[#Shinsaiyobo (1943) |『大日本地震史料』]]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[ファイル:1586 Tensho earthquake intensity.png|thumb|right|240px|天正地震の震度分布&lt;ref name=&quot;Usami1994&quot;&gt;宇佐美龍夫 『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』 日本電気協会、1994年&lt;/ref&gt;]]<br /> 被害地域の記録が[[日本海]]の[[若狭湾]]から太平洋の[[三河湾]]に及ぶ歴史上例のない大地震であるため、[[震源]]域も[[マグニチュード]]もはっきりした定説はなく、いくつかの調査が行われているが震央位置も判明していない&lt;ref name=&quot;zisin1948.46.143&quot;&gt;金折裕司ほか、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/46/2/46_2_143/_article/-char/ja/ 1586年天正地震の震央に関する一考察 濃尾平野の発掘遺跡に認められた液状化跡] 地震 第2輯 Vol.46 (1993-1994) No.2 P143-147&lt;/ref&gt;。なお、11月27日に[[前震]]と考えられる地震と11月30日に[[誘発地震]]と考えられる地震が発生した&lt;ref name=&quot;Iida1987&quot; /&gt;。<br /> <br /> 戦国時代末期の[[豊臣秀吉]]による東日本支配が完了していない時期であったため、統治機構の混乱から文献による歴史資料が残り難い時代背景であった。しかし、[[三河]]にいた[[松平家忠]]の日記によると、地震は[[亥]]刻(22時頃)に発生し翌日の[[丑]]刻(2時頃)にも大規模な余震が発生。その後も余震は続き、翌月23日まで一日を除いて地震があったことが記載されている。<br /> <br /> === 震源域 ===<br /> [[近畿地方|近畿]]から[[東海地方|東海]]、[[北陸地方|北陸]]にかけての広い範囲、現在の福井県、石川県、愛知県、岐阜県、富山県、滋賀県、京都府、奈良県、三重県([[越中国|越中]]、[[加賀国|加賀]]、[[越前国|越前]]、[[飛騨国|飛騨]]、[[美濃国|美濃]]、[[尾張国|尾張]]、[[伊勢国|伊勢]]、[[近江国|近江]]、[[若狭国|若狭]]、[[山城国|山城]]、[[大和国|大和]])に相当する地域にまたがって甚大な被害を及ぼしたと伝えられる。また[[阿波国|阿波]]でも地割れの被害が生じており、被害の範囲は[[1891年]]の[[濃尾地震]](M8.0-8.4)をも上回る広大なものであった。そのことなどからこの地震は複数の断層がほぼ同時に動いたものと推定されている&lt;ref&gt;[[中村一明]]、守屋以智雄、松田時彦 『地震と火山の国』 岩波書店、1987年,ISBN:4000076795 C0344&lt;/ref&gt;。しかし、ひとつの地震として複数の断層が[[連動型地震|連動]]して活動したのか、数分から数十時間をかけて活動したのかは議論が分かれている&lt;ref name=&quot;AFR035_041_050&quot;&gt;{{PDFlink|[http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/documents/AFR035_041_050.pdf 遠田晋次:中部地方の活断層の相互作用と連動・連鎖性の評価-天正地震を例にして-] 活断層研究 35号(2011年9月) 1586年天正地震特集}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 寒川旭『日本人はどんな大地震を経験してきたか』(平凡社新書)によると、[[養老-桑名-四日市断層帯]]などの三つの大断層が動いたという。<br /> <br /> === 震源断層 ===<br /> 震源断層は判明していない&lt;ref name=&quot;zisin1948.46.143&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;AFR035_041_050&quot; /&gt;。幾つかの説があり、<br /> # [[飛騨国|飛騨]]の[[庄川断層]]または[[阿寺断層]]&lt;ref&gt;遠田 晋次ほか、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/47/1/47_1_73/_article/-char/ja/ 阿寺断層の最新活動時期 1586年天正地震の可能性] 地震 第2輯 Vol.47 (1994-1995) No.1 P73-77&lt;/ref&gt;とする説、<br /> # [[養老断層]]&lt;ref&gt;(須貝俊彦) {{PDFlink|[http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/documents/AFR035_015_028.pdf 1586年天正地震養老断層震源説を示唆する地形地質学的記録] 日本活断層学会 活断層研究 35号(2011年9月)1586年天正地震特集}}&lt;/ref&gt;及び[[伊勢湾断層]]とする説、<br /> # これらの断層が連動したとする説&lt;ref&gt;国立天文台『理科年表』丸善&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;Iida1987&quot;&gt;[[#Iida (1987)|飯田汲事 『天正大地震誌』 名古屋大学出版会、1987年]]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> などがある。<br /> <br /> 1998年に行われた地質調査では岐阜県にある養老断層&lt;ref&gt;[http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/katsudanso/f067_yoro_kuwana_yokkaichi.htm 地震調査研究推進本部・養老-桑名-四日市断層帯]&lt;/ref&gt;における2つの活動歴が確認され、最新の活動は[[15世紀]]以降であることから[[745年]][[天平地震]]と共にこの断層が震源断層のひとつであった可能性が高くなった&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou63/06-06.pdf 養老断層の完新世活動履歴-1586年天正地震・745年天平地震震源断層の地質学的証拠] [[地震予知連絡会]] 会報第63巻}}&lt;/ref&gt;とされている。<br /> <br /> しかし、これらの説では太平洋側の伊勢湾と日本海側の[[若狭湾]]の両方に津波被害が及び、内陸部の被害も大きいことを説明できていない。<br /> <br /> 日本海側沿岸と太平洋沿岸の両方に及ぶ大津波は他に知られていないため&lt;ref&gt;[http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20120424/CK2012042402000021.html 「若狭湾津波の伝承を分析 敦賀短大・外岡教授」中日新聞2012年4月24日]&lt;/ref&gt;。[[ルイス・フロイス|フロイス]]による若狭湾の津波記録&lt;ref&gt;フロイスは「目撃者たちが後日司祭たちに語った」としている。&lt;/ref&gt;は[[琵琶湖]]沿岸の地滑りによるものとの誤りだと考えられているが、若狭湾の津波については別の資料もある(後述)ため、宇佐見は若狭湾の地震としている。<br /> <br /> === 地震の規模 ===<br /> 文献による歴史記録や地殻変動の痕跡は年月の経過により失われ、地震像の詳細は不明である。規模は研究者により諸説あり、主な説は、<br /> * [[河角廣]](1951):規模&#039;&#039;M&#039;&#039;&lt;sub&gt;K&lt;/sub&gt; = 6. を与え&lt;ref&gt;[http://hdl.handle.net/2261/11692 Kawasumi(1951)] 有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値,東京大學地震研究所彙報. 第29冊第3号, 1951.10.5, pp. 469-482&lt;/ref&gt;、マグニチュードは M - 7.9に換算されている。<br /> * 宇佐美龍夫(1996,2003):濃尾断層帯の武儀川断層から東北側を震源として、M - 7.8±0.1 程度&lt;ref name=&quot;Soran&quot;&gt;宇佐美龍夫 『日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年&lt;/ref&gt;。<br /> * 安達(1979):M - 8.1<br /> * [[飯田汲事]](1978,1987):震度分布から M - 8.2&lt;ref name=&quot;Iida1978&quot;&gt;[http://ci.nii.ac.jp/naid/110000043308 飯田汲事(1979), CiNii] 飯田汲事(1978): 歴史地震の研究(1) 天正13年11月29日(1586年1月18日)の地震の震害,震度分布および津波について, 愛知工業大学研究報告. B, 専門関係論文集, &#039;&#039;&#039;13&#039;&#039;&#039;, 161-167.&lt;/ref&gt;。法林寺断層で、11月27日に M - 6.6 と養老断層の延長部で木曽川河口付近において、11月29日に M - 8.1&lt;ref name=&quot;Iida1987&quot; /&gt;。<br /> * 村松郁栄(1998):富山側で、11月27日に M - 6.6 と養老断層付近で M - 7.8&lt;ref&gt;村松郁栄(1998):天正地震の震源について, 日本地震学会秋季大会講演予稿集, p144.&lt;/ref&gt;。<br /> など。<br /> <br /> == 被害 ==<br /> * [[飛騨国]] - [[帰雲城]]は[[帰雲山]]の[[山崩れ]]によって埋没&lt;ref&gt;城があった正確な位置は不明である。&lt;/ref&gt;、城主[[内ヶ島氏理]]とその一族は全員行方不明となり、同時に[[内ヶ島氏]]は滅亡した&lt;ref&gt;この際、同城に滞在していた[[東常堯]]([[東常慶]]の子)も死亡したとみられる&lt;/ref&gt;。また、周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。[[白川郷]]では300戸が倒壊するか飲み込まれた&lt;ref&gt;[http://dx.doi.org/10.3313/jls.42.2_115 天正地震 (1586) による前山地すべりの発生機構] 日本地すべり学会誌 Vol.42 (2005-2006) No.2 P115-120&lt;/ref&gt;。「[[顕如]]上人貝塚御座所日記」に、「十一月二十九日夜4ツ半時、大地震あり」との記述がある。[[焼岳]]付近で地震による(?)山崩れ。家屋300余埋没&lt;ref&gt;[http://www.hrr.mlit.go.jp/jintsu/jigyo/saigai/yakitake.html 国土交通省 神通川水系砂防事務所] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20050124074646/http://www.hrr.mlit.go.jp/jintsu/jigyo/saigai/yakitake.html |date=2005年1月24日 }}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[美濃国]] - [[大垣城]]が全壊焼失した&lt;ref name=&quot;Sangawa3&quot; /&gt;。また、恵那市上矢作町の[[上村川]]では山体崩壊があった可能性がある。奥明方(現[[郡上市]]明宝)の水沢上の金山、また集落(当時60-70軒)が一瞬で崩壊し、辺り一面の大池となったといわれる。<br /> * [[越中国]] - [[木舟城]](現在の[[高岡市]]の南西)が地震で倒壊、城主の[[前田秀継]]夫妻など多数が死亡した。前田秀継は[[前田利春]]の子で[[前田利家]]の弟である。<br /> * [[尾張国]] - 昭和63年([[1988年]])度に実施された[[五条川]]河川改修に伴う[[清洲城]]下の発掘調査で、天正大地震による可能性の高い液状化の痕跡が発見されている。天正14年(1586年)に[[織田信雄]]によって行われた清洲城の大改修は、この地震が契機だった可能性が高いと考察された&lt;ref&gt;{{Cite web|author=森勇一・鈴木正貴|date=1989-03-24|url=http://topo.earth.chiba-u.jp/afr/backnumber/No7/7%E5%8F%B708%E6%A3%AE%E3%81%BB%E3%81%8B.pdf|title=愛知県清洲城下町遺跡における地震痕の発見とその意義|format=PDF|work=活断層研究 7 p.63 - p.69 1989|publisher=|accessdate=2011-09-12}}&lt;/ref&gt;。また[[蟹江城]]が壊滅した。<br /> * [[伊勢国]] - 織田信雄の居城であった[[長島城]]が倒壊、桑名宿は液状化により壊滅するなど甚大な被害を受けた。そのため信雄は居城を清洲城に移した。<br /> * [[京都]] - [[東寺]]の講堂、灌頂院が破損、[[三十三間堂]]では仏像600体が倒れた&lt;ref name=&quot;jiten&quot;&gt;[[宇津徳治]]、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年&lt;/ref&gt;。<br /> * [[琵琶湖]] - 下坂浜千軒遺跡(しもさかはませんけんいせき)となる現[[長浜市]]の集落が[[液状化現象]]により、水没した&lt;ref&gt;朝日新聞2010年6月5日&lt;/ref&gt;。[[秀吉]]の築いた[[長浜城 (近江国)|近江長浜城]]を[[山内一豊]](妻は[[見性院 (山内一豊室)|見性院]])が居城としていたが全壊し、一人娘[[与祢]](よね)姫([[数え年]]6歳)と[[乳母]]が圧死した(『一豊公記』)。また家老の[[乾和信]]夫妻も死亡した&lt;ref&gt;見性院は無事であった。&lt;/ref&gt;。<br /> * [[若狭湾]]・[[伊勢湾]]での大きな津波被害もあった(後述)。<br /> <br /> == 津波 ==<br /> [[琵琶湖]]湖北(『山槐記』)&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://crf.flib.u-fukui.ac.jp/dspace/bitstream/10461/14994/1/201303外岡論文-1.pdf 外岡慎一郎(2013):越前・若狭の歴史地震・津波~年表と史料] 敦賀論叢(敦賀短期大学紀要)第27号 抜刷 2013年3月1日}}&lt;/ref&gt;、[[若狭湾]]、[[伊勢湾]]に[[津波]]があったとされる記録がのこる&lt;ref&gt;[http://hdl.handle.net/10461/14994 外岡慎一郎:越前・若狭の歴史地震・津波~年表と史料] 敦賀論叢, {{ISSN|0913-5960}}&lt;/ref&gt;。しかし、海底下に変位領域が及んでいなくても海面の変動を引き起こす事があり&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/documents/AFR035_001_013.pdf 天正地震とこれを引き起こした活断層]}}2007年能登半島沖地震の際に[[富山湾]]の[[プレジャーボート]]が転覆&lt;/ref&gt;、必ずしも断層が海底に有る必要はない。<br /> <br /> 海岸線から約4.8kmの距離にある[[水月湖]]の湖底堆積物調査からは、水月湖に海水が流入した痕跡は見つかっていない&lt;ref name=&quot;jgeography.122.49&quot;&gt;[http://dx.doi.org/10.5026/jgeography.122.493 水月湖ボーリングコアを用いた天正地震(AD1586)前後の湖底堆積物の分析] 地学雑誌 Vol.122 (2013) No.3 p.493-501&lt;/ref&gt;。しかし、水月湖までは到達する規模で無ければ痕跡が見つからないのは当然であり、見つからなかったことが津波が生じなかったとする証拠ではないとしている&lt;ref name=&quot;jgeography.122.49&quot; /&gt;。<br /> <br /> === 伊勢湾 ===<br /> 伊勢湾に津波があったとされる。加路戸、駒江、篠橋、森島、符丁田、中島などは地盤沈下したところに津波が襲来し水没した。善田は泥海と化した。伊勢湾岸では地震とともに海水があふれ溺死者を出した&lt;ref&gt;東京大学地震研究所 『日本地震史料 続補遺』 日本電気協会、1993年&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;『長島町史』 1978年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 若狭湾 ===<br /> 『[[兼見卿記]]』には[[丹後国|丹後]]、[[若狭国|若狭]]、[[越前国|越前]]など若狭湾周辺に津波があり、家が流され多くの死者を出したことが記され、『[[フロイス日本史]]』にも若狭湾と思われる場所が山ほどの津波に襲われた記録があり、[[日本海]]に震源域が伸びていた可能性もある&lt;ref&gt;「兼見卿記」『大日本史料』第11編23冊&lt;/ref&gt;。<br /> 他にジアン・クラッセ『日本教会史』(1689年。明治時代に翻訳されて『日本西教史』&lt;ref&gt;[{{NDLDC|824973}} ジアン・クラセ 著, [[太政官]]翻訳係 訳 (坂上半七, 1880]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[{{NDLDC|971162/302}} 国立国会図書館デジタルコレクション 日本西教史]大正14年、太陽堂書店&lt;/ref&gt;)や『豊鏡』([[竹中重治]]の子の竹中重門著。江戸時代。[[豊臣秀吉]]の一代記)、『[[神龍院梵舜|舜旧記]]』、『[[顕如]]上人貝塚御座所日記』、『[[イエズス会]]日本書翰集』などにも、詳しい記述がある&lt;ref&gt;[http://hdl.handle.net/10461/8970 「天正地震」と越前・若狭:外岡慎一郎:敦賀論叢(敦賀短期大学研究紀要):第26号:2012年3月1日] この論文には「クルビ浦」についての発見が掲載。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「罪作りなフロイス」磯田道史:読売新聞2012年3月28日朝刊16面&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2011年]](平成23年)12月に原子力安全保安院は、敦賀原発の安全性審査のための津波堆積物と文献調査報告&lt;ref&gt;有効な文献を「兼見卿記」とフロイス「日本史」(と同様のキリスト教の報告)だけとした。県市町村史や神社の調査も事業者によって行われているものを引用。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/26/008/8-2.pdf 若狭湾沿岸における天正地震による津波堆積物調査について 平成23年12月27日 旧:原子力安全・保安院。(現:原子力規制委員会)]&lt;/ref&gt;を発表した。それによると「仮に天正地震による津波があったとしても、久々子湖に海水が流入した程度の小規模な津波であったものと考えられる。なお、事業者においては念のための調査を今後とも行っていくことが望ましいと考えられる。」としている&lt;ref&gt;[http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/32848.html 『若狭湾の津波調査 精度高め多角的検証せよ』福井新聞の論説(2012年2月2日午前8時18分)]&lt;/ref&gt;。2012年12月、再調査結果として大きな津波の後は見つからなかったとしている&lt;ref&gt;約1万年前以降「各発電所の安全性に影響を与えるような津波の痕跡は、認められませんでした。」([http://www.kepco.co.jp/pressre/2012/1218-1j.html 若狭湾沿岸における津波堆積物の調査結果について]2012年12月18日関西電力株式会社ほかのプレスリリース)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2015年]](平成27年)5月、[[福井大学]]の[[山本博文]]教授は福井県大飯郡高浜町薗部の海岸から500mの水田で、[[14世紀]]から[[16世紀]]の[[津波]]跡を発見したと発表した&lt;ref&gt;ここは関西電力による2011年の調査範囲外である。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;山本は、海側にある10mの丘からは津波の痕跡が見あたらないので、笠原川沿いの津波が運んだと推測している。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/science/20150519-OYT1T50046.html 若狭湾沿い地層に津波跡、天正地震発生裏付けか] 読売新聞 記事:2015年05月19日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ルイス・フロイス|フロイス]]『[[フロイス日本史|日本史]]』(5、第60章、第2部77章)<br /> {{Quotation|<br /> :ちょうど船が両側に揺れるように震動し、四日四晩休みなく継続した。<br /> :その後40日間一日とて震動を伴わぬ日とてはなく、身の毛もよだつような恐ろしい轟音が地底から発していた。<br /> :若狭の国には、海に沿ってやはり長浜と称する別の大きい町があった。揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が遠くから恐るべきうなりを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。<br /> :(高)潮が引き返すときには、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑み込まれてしまった。}}<br /> :「やはり長浜と称する別の大きい町」というのは、前の文章に「長浜城下で大地が割れた」と書いてあり、区別するためである。そこには「[[関白]]殿が[[織田信長|信長]]に仕えていた頃に居住していた長浜と言うところ」という説明もあり、これは[[1574年]](天正2年)に[[秀吉]]が築城を開始した[[琵琶湖]]東岸の[[長浜市]]にある[[長浜城 (近江国)|長浜城]]を指し、若狭湾の長浜との区別をはっきりさせている。長浜は小浜の誤記であるとの見方もある&lt;ref name=&quot;Usami1995&quot;&gt;宇佐美龍夫 『日本の歴史地震史料 拾遺 三』 東京大学地震研究所編、1995年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[吉田兼見]]『[[兼見卿記]]』&lt;ref name=&quot;Usami1995&quot; /&gt;<br /> {{Quotation|<br /> 廿九日地震ニ壬生之堂壊之、所々在家ユ(ア)リ壊数多死云々、丹後・若州・越州浦辺波ヲ打上在家悉押流、人死事数不知云々、江州・勢州以外人死云々<br /> }}<br /> :丹後・若州(若狭)・越州(越前)沿岸を津波が襲い、家々はすべて押し流され、死者は無数であった&lt;ref&gt;時刻を「子の刻」(午前0時ころ)とする報道があり、天正大地震の本震と若干異なるが、該当ページにはない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『舜旧記』(十一月二十九日条)<br /> {{Quotation|<br /> 近国之浦浜々屋,皆波ニ溢レテ,数多人死也,其後日々ニ動コト,十二日間々也<br /> }}<br /> <br /> クラッセ『日本教会史』(1689年)&lt;ref&gt;「罪作りなフロイス」磯田道史:読売新聞2012年3月28日朝刊16面&lt;/ref&gt;<br /> {{Quotation|<br /> 若狭の国内貿易の為に屢々(しばしば)交通する海境に小市街あり。此処は数日の間烈しく震動し、之に継ぐに海嘯(かいしょう、津波)を以てし、激浪の為に地上の人家は皆な一掃して海中に流入し、恰も(あたかも)元来無人の境の如く全市を乾浄したり}}<br /> :これには津波が若狭湾を襲ったのは、旧暦11月29日ではなく、その後の[[連動型地震|連動地震]](または[[誘発地震]])による津波であったとしている&lt;ref&gt;若狭で前兆となる地震が数日間あり、本震や津波はその後に来たとも読める。南海トラフの巨大地震でも、1カ所だけ前兆があったという例がある。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『[[イエズス会]]日本書翰集』<br /> {{Quotation|<br /> 若狭の国には海の近くに大変大きな別の町があって町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した。 }}<br /> <br /> 『日本ノ大地震二就キテ』 理學博士[[大森房吉]] [[震災予防調査会]]報告 32号 p57-58<br /> {{Quotation|<br /> 天正十三年十一月二十九曰(西曆千五百八十六年一月十八日)<br /> 山城、大和、河内、和泉、攝津、讃岐、淡路、伊賀、伊勢、尾張、三河、美濃、遠江、飛彈、越前、若狹、加賀大地震」沿海ニ津浪アリ }}<br /> ===富山湾===<br /> [[富山湾]]で津波が発生し、溺死者多数。[[庄川]]流域での被害多数&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=(富山県)上市町史編纂委員会 |year=1970 |title=上市町史|page=p1117その他地震 |publisher=上市町 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 三陸沿岸 ===<br /> 宮城県[[本吉郡]][[戸倉村]](現在の[[南三陸町]]戸倉)口碑に、「天正13年11月29日畿内、東海、東山、北陸大地震の後に津波来襲」という記述があり、太平洋北部にも津波が来襲したか、連動地震による津波があった疑いがある&lt;ref&gt;天正13年5月14日にも三陸沿岸に津波が来襲したという。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;吉村昭「三陸海岸大津波」文春文庫版p60(2)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://tsunami-dl.jp/document/033 昭和八年三月三日 三陸沖強震及津波報告]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一方で戸倉の口碑は天正十三年五月十四日(1585年6月11日)と記した史料もあり&lt;ref name=&quot;Shinsaiyobo&quot; /&gt;、日付は異なるが1586年7月9日リマ地震による遠地津波との見方もある&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1960-chile%20JISHINTSUNAMI/pdf/4_chap1.pdf 第1章 チリ地震津波とは何であったのか]}} 害教訓の継承に関する専門調査会報告書, 1960チリ地震津波 報告書の概要&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;Tsunami jiten&quot;&gt;首藤伸夫、越村俊一、佐竹健治、今村文彦、松冨英夫 『津波の事典』 朝倉書店、2007年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 三陸大震災史(1933)&lt;ref&gt;[http://tsunami-dl.jp/document/032 三陸大震災史(1933)]出典を「宮城県海嘯史」としている&lt;/ref&gt;<br /> {{Quotation|<br /> :正親町天皇天正十三年乙酉十一月二十九日、夜亥時、至子時、地大震、畿内及東海、束山、北陸三道殊甚、地裂水湧、屋舎毀壊、壓死者無算、是時濱海水溢、溺死者数多、斯後震動十二日。 <br /> :按スルニ県下本吉郡戸倉村民ノ口碑二天正十三年五月十四日海嘯アリシト云フモノ蓋シ之ヲ指スモノナラン}}<br /> <br /> == 噴火 ==<br /> 『四ツ半時、大地震あり。この時、硫黄山([[焼岳]])大噴火を起こし、麓中尾村は地形を大きく変貌する。』([[顕如]]上人貝塚御座所日記)。<br /> 焼岳が噴火したという口碑がある&lt;ref&gt;[http://www.hrr.mlit.go.jp/jintsu/jigyo/saigai/yakitake.html 国土交通省 神通川水系砂防事務所]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.qsr.mlit.go.jp/osumi/sivsc/home/03kazanto/03-4jp/kazan-j-32.htm 桜島国際火山砂防センター]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 地震後 ==<br /> 1586年の天正大地震後、近い時期に大地震が複数起こっている。<br /> *[[1596年]][[9月1日]]([[文禄]]5年[[閏]][[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) [[慶長伊予地震]](慶長伊予国地震)- M 7.0。<br /> *[[1596年]][[9月4日]](文禄5年閏[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) [[慶長豊後地震]](大分地震) - M 7.0〜7.8。<br /> *[[1596年]][[9月5日]](文禄5年閏[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) [[慶長伏見地震]](慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1。<br /> *[[1605年]][[2月3日]]([[慶長]]9年12月16日)[[慶長地震]]([[東海・東南海・南海連動型地震]]) - M7.9〜8。<br /> *1608年12月30日(慶長13年11月23日) 仙台で地震 - 津波で50人死亡[49]。<br /> *1611年 9月27日(慶長16年8月21日) [[会津地震]] - M 6.9、死者3,700人。<br /> *[[1611年]][[12月2日]](慶長16年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) [[慶長三陸地震]] - M 8.1。<br /> *[[1614年]][[11月26日]] ([[慶長]]19年10月25日) [[慶長十九年十月二十五日の地震|高田領大地震]]- M 7.7・・同じ日に日本海側の越後高田領と太平洋側の伊豆、銚子の両方の津波記録がある他、京、会津、伊豆、紀伊、山城、松山の地震被害記録があり、これらの記録を満足する単一の地震はあり得ないとされる&lt;ref name=&quot;soran&quot;&gt;宇佐美龍夫『最新版 日本被害地震総覧』東京大学出版会、2003年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *1662年 6月16日(寛文2年5月1日) [[寛文近江・若狭地震]](寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7 1/4〜7.6、死者数千人。<br /> <br /> 九州の[[名護屋]]にいた[[秀吉]]が[[伏見城]]を築くときに[[1592年]]([[文禄]]元年)普請を担当した[[京都所司代]]前田玄以(げんい)に送った書簡に、「ふしみのふしん、なまつ大事にて候まま」と記されていた。“なまず大事”=城の建築にあたっては地震対策を万全にせよ、という意味であるが、これは1586年の天正地震を念頭に置いたものとみられている&lt;ref&gt;これは、天正地震の時に琵琶湖沿岸にいた秀吉がナマズがはねるのを見て地震の原因をナマズと考えたためであるという、これ以前には地震とナマズを関連づけたものはないが、その後江戸時代には「鯰絵」という鯰が地震を起こすという考え方に基づいた絵が流布される。秀吉は地震後即座に堅固な大阪城に避難する。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.bosaijoho.jp/reading/item_1574.html 「災害史は語るNo.139 天正の大地震」伊藤和明のインサイドアウト&lt;防災情報新聞]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;結局[[伏見城]]は[[1596年]]の[[慶長伏見地震]]で崩壊し、「地震加藤」の逸話を残す。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本原子力発電などによる2012年12月の発表では、天正地震の津波の記録を基にした調査により、敦賀市の猪ヶ池で約5,500年前の地層から津波によるとみられる砂が見つかった&lt;ref&gt;[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121218/k10014278071000.html 敦賀原発近くの若狭湾で古い津波の痕]NHK 2012年12月18日 20時43分 {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20121221023151/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121218/k10014278071000.html |date=2012年12月21日 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * [http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/AFRtop.html 1586年天正地震特集] 日本断層学会 『活断層研究 Active Fault Research』35号、2011年9月<br /> * {{Cite book|和書|author=[[飯田汲事]] |title=天正大地震誌 |publisher=名古屋大学出版会 |date=1987 |isbn= |ref=Iida (1987)}}<br /> * {{Cite book|和書|editor=震災予防調査会編 |title=大日本地震史料 上巻 |publisher=[[丸善]] |date=1904 |isbn= |ref=Shinsaiyobo}} pp.180-184 [http://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=59001580 国立国会図書館サーチ]<br /> * {{Cite book|和書|editor=武者金吉 |title=大日本地震史料 増訂 一巻 |publisher=文部省震災予防評議会 |date=1941 |isbn= |ref=Shinsaiyobo (1943)}} pp.553-574 [http://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=46040070 国立国会図書館サーチ]<br /> * {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 一巻 自允恭天皇五年至文禄四年 |publisher=日本電気協会 |date=1981 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1983b)}} pp.138-170<br /> * {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 補遺 自推古天皇三十六年至明治三十年 |publisher=日本電気協会 |date=1989 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1989)}} pp.66-88<br /> * {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 続補遺 自天平六年至大正十五年 |publisher=日本電気協会 |date=1994 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1994)}} pp.23-26<br /> * {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺 |publisher=東京大学地震研究所 |date=1999-03 |isbn= |ref=Usami (1999)}} pp.13-15<br /> * {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺二 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2002-03 |isbn= |ref=Usami (2002)}} p.32<br /> * {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺三 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2005-03 |isbn= |ref=Usami (2005)}} pp.30-76<br /> * {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺四ノ上 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2008-06 |isbn= |ref=Usami (2008)}} pp.26-27<br /> <br /> == 参考論文==<br /> * [[安達正雄]]「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」」(『日本海域研究所報告』8号、1976年発行)<br /> * 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」―第6報 両城主をめぐる地震の被害、震度分布、余震等について―」(『日本海学会誌』3号、1979年発行)<br /> * 安達正雄「飛騨帰雲城と城主・内ヶ嶋氏の史実を探る― 天正大地震の土石流で城と城下町が埋没し、放置されて四百二十年に当り―」(『石川郷土史学会々誌』39号、2006年発行)<br /> * 安達正雄「木舟城を陥没させ帰雲城を埋没させた天正大地震の真相―天正大地震は連続多発地震だった―」(『石川郷土史学会々誌』42号、2009年発行)<br /> * [[松浦律子]]「天正地震の震源域特定―史料情報の詳細検討による最新成果―」(『活断層研究』35号、2011年発行)<br /> * 松浦律子「天正地震に関する欧州史料の素性と確実な内容」(『地震』65巻1号、2012年発行)<br /> * [[外岡慎一郎]]「「天正地震」と越前・若狭」(『敦賀論争』26号、2012年発行)<br /> * 外岡慎一郎「史料と展示「天正地震」の史料を読む : 若狭湾に津波は襲来したか」(『歴史学研究』903号、2013年発行)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[帰雲城]]<br /> * [[功名が辻]]<br /> * [[連動型地震]]<br /> * [[清洲越し]]<br /> * [[地震の年表 (日本)]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.pref.gifu.lg.jp/bosai-bohan/bosai/bosai-oyakudachi-joho/saigai-siryo/tenshojishin.html 天正地震(1586年 天正13年)] 岐阜県<br /> <br /> {{日本の歴史地震}}<br /> <br /> {{Japanese-history-stub}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:てんしようししん}}<br /> [[Category:日本の地震]]<br /> [[Category:安土桃山時代の事件]]<br /> [[Category:16世紀の地震]]<br /> [[Category:1586年の日本]]<br /> [[Category:連動型地震]]</div> 111.87.58.144 カップ麺 2018-06-30T22:25:27Z <p>111.87.58.144: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2017年10月30日 (月) 13:32 (UTC)}}<br /> [[File:Nissin Cup Noodles shrimp flavor cooked.JPG|thumb|220px|right|最初のカップ麺メーカーの製品(カップラーメン)]]<br /> &#039;&#039;&#039;カップ麺&#039;&#039;&#039;(カップめん)とは、乾燥麺や生タイプ麺&lt;ref name=&quot;kiyaku&quot;/&gt;等の[[即席麺]]類のうち、食器として使用できる容器([[コップ]]状の耐熱耐水容器等)に入れ、[[加薬|かやく(具材)]]を添付したものである。[[日本]]で生まれ、世界各地にも消費が広がっている。<br /> <br /> 規約上の正式名は「即席カップめん」である&lt;ref name=&quot;kiyaku&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.jfftc.org/cgi-bin/data/bunsyo/A-30.pdf 即席めんの表示に関する公正競争規約]}}&lt;/ref&gt;。内容物が[[インスタントラーメン]]のものを&#039;&#039;&#039;カップラーメン&#039;&#039;&#039;、[[蕎麦]]、[[うどん]]のものを&#039;&#039;&#039;カップそば&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;カップうどん&#039;&#039;&#039;、[[焼きそば]]風のものを&#039;&#039;&#039;[[カップ焼きそば]](インスタント焼きそば)&#039;&#039;&#039;とも言う。<br /> <br /> ほとんどの商品の調理は[[熱湯]]を注ぐだけで完了する(生麺を使用する製品については湯切りが必要とされるものもある)。この製品のカップは[[調理器具]]であると同時に[[食器]](陳列時にはパッケージとしての役割も果たしている)でもある。また、電子レンジで加熱調理を行うタイプも多い。<br /> <br /> カップ化される麺食品はラーメン系やうどん系等の東洋系小麦麺の他、パスタ(西洋系小麦麺)や、ビーフン及びフォー等の米麺等、およそ麺類全て多岐にわたる。つまりフリーズドライ加工すればあらゆる麺をカップ麺化する事が可能&lt;ref&gt;この事はカップ麺だけでなくあらゆる即席麺全般に言える事である。&lt;/ref&gt;である。現在では日本でも外国の麺食品のカップ版を入手する事が可能である。<br /> <br /> また、後述の本食の発祥の歴史に絡み、西洋のフォーク文化の食習慣から、一部海外市場製品は、国内商品に比べると麺の長さが短くなっているものがある。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[日清食品]]が[[1971年]][[9月18日]]に発売した「[[カップヌードル]]」が最初の製品(事前に行われた試験販売を除く&lt;ref&gt;試験販売のほうについては、あるラジオ番組で紹介され、明星がカップヌードル発売前に明星叉焼麺を試験販売したが販売の際にカップに耐性が無く一般販売にならずとの事。一説としてラジオ番組「[https://web.archive.org/web/20080511173539fw_/http://www.tbs.co.jp:80/radio/1101/ana/mainframe_k.htm 伊集院光・日曜日の秘密基地]」の調査では「世界で最初のカップラーメンはカップヌードル」としているというものがある&lt;!---この他の番組でこの件を調査した番組を捜索中---&gt;。この件に関しては特許に絡む訴訟もあり、しかしながら問題当事者の原告・[[明星食品]]が被告・[[日清食品]]の連結子会社化した時点で、特許紛争と併せて訴えの利益消失に伴い実質取り下げられている(両社の記事も各々参照の事)。&lt;/ref&gt;)である。今では主食としても食べられているが、当初は[[間食]]としての普及を視野に入れて開発されており、[[欧米]]に即席ラーメンのセールスに行った際、ラーメン用のどんぶりが無かったため、紙コップに[[チキンラーメン]]を割り入れて湯を注ぎフォークで試食する姿からの発想だったとされている。カップヌードルが、通常の袋麺(約90〜100g)よりも麺の容量が少ない(麺重量60〜70g)のはその名残りである。[[1980年代]]後半までは他のメーカーもこれに追随していたが、[[1988年]]に[[エースコック]]が麺の容量を袋麺と同等の90gとして「大盛サイズ」を謳った「スーパーカップ」シリーズの販売を開始し、これが大ヒットとなってからは、各社もこれに追随し[[主食]]としての普及を目的とした大容量サイズ(概ね麺重量80g以上)の商品もカップ麺の主流の一角を担うこととなっていく。後にカップヌードルに関しても「大盛サイズ」を製造する事になった。一方、L層(女性客や年少者)向けに、通常の半分程度のミニサイズ商品(概ね麺量30g程度)も販売されている。<br /> <br /> [[あさま山荘事件]]の際、機動隊員が寒さの中、これを食べている姿がテレビでたびたび放映されたため、カップ麺が日本全国に知られて普及したきっかけだったとされている&lt;ref&gt;{{Cite web|url = http://www.cupnoodle.jp/history/|title = カップヌードルヒストリー|publisher = 日清食品|accessdate = 2016-04-17}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 西洋市場においては発売当初箸の文化が浸透していなかった関係上、カップヌードル等発売当初には、折畳み型のフォークが付随している商品が国内でも存在していた。現在でも外国市場製品には、これに類したフォークが貼付されている商品が存在する。また、その関係から発売当初カップ麺を購入した際に、割箸ではなくプラスチック製のフォークを別途添付して販売されていた時期がある。<br /> <br /> == 容器 ==<br /> 容器は通常、[[発泡スチロール]]か[[紙]]が使われる。発泡スチロールを使うのは、保温性・断熱性が良く、持ったときに熱くないという理由からである。紙製の容器の場合、容器外側を段ボール状にして、この点を克服している。代表的なものが「[[サッポロ一番]] [[カップスター]]」&lt;ref&gt;[http://www.sanyofoods.co.jp/products/index_category_capstar.asp サンヨー食品 「サッポロ一番 カップスター」]&lt;/ref&gt;である。最近のものはカップを二重構造にするだけで段の無い容器になっている。近年では紙製でも発泡スチロールのように紙に空間を持たせたものも存在する(日清カップヌードル系列に存在する)。紙の容器に比べ発泡スチロールの方が多彩な形状のものを作ることが可能であり初期のものはすべて発泡スチロールだが、日清食品が[[特許]]を申請した為に、後発メーカーは主に紙容器のものを作った。また[[徳島製粉]]の「金ちゃんラーメン」等、一部の製品は国産品でも複層型の非発泡スチレンケースカップを使用している。外国製品でも単層型のスチレンカップの製品が存在する。<br /> <br /> 乾燥麺タイプは直接容器に麺が入っているケースがほとんどであるが、[[生タイプ麺]]はすべてその麺を真空パック[[包装]]した上で容器に入れた状態となっている。<br /> <br /> 本体容器は通常は廃棄処分される事が多いが、例えば「カップヌードル容器でチキンラーメンを喫食する」等の再利用をする場合もある(ただし長期使用は出来ない構造である為に簡易使用に留まる&lt;ref name=weakpoint&gt;通常だと蓋部分は除去されてしまう事が多く、また本体も発泡スチレン系であれば長期的な負荷耐性はなく、破損し易い。また紙系だと接続部から浸潤していき、そこから強度が極度に低下する(乾燥時にはある程度の強度を保っていても湿潤時は極端に脆弱になる)。さらに浸透した内容液が漏出する事もある。場合によっては、調理によらない外部加熱や内部発熱等が原因の熱変形の恐れもあり、あるいは外部からの負荷応力等で、たやすく本体や蓋のいずれかに変形あるいは破損をきたし、結果封緘が出来なくなる事がある。ねじ止めする瓶等とは違いあくまでも仮保管かまたは簡易保管に留まる理由はそこにある。&lt;/ref&gt;)。<br /> <br /> 通常は封緘は天面に紙ないしはそれに類するもので封緘する形式が多く、この部分は喫食後には最終的には本体容器から除去される。プラスチック製容器で、蓋も同様にプラスチック製の場合はその限りではなく、この場合は本体容器は蓋と共に再利用が可能である。これを利用して容器全体を別の食品用に再利用する事も、また食品以外の簡易収容保管に利用する事も可能である&lt;ref name=weakpoint /&gt;。<br /> <br /> カップ麺本体を封印する封緘フィルムは通常はその製造工程上、搬送機の搬送用歯車(スプロケット)での貫通が避けられず、規則的な小孔が認められる場合がある。場合によっては封緘紙等にその跡が付いている事がある。なお一部の日清食品製品には、この封緘フィルムの底面に、調理時用の封緘シールが付属しているものがあり、このシールは封緘フィルムの除去時の開封補助を兼ねている。<br /> <br /> ; 発泡スチロール容器に関する問題<br /> : [[1998年]]に当時の環境庁(現・[[環境省]])より提出されたSPEED&#039;98リスト(「内分泌攪乱化学物質問題への環境庁の対応方針について」)により、高熱の熱湯を注ぐことで発泡スチロール製の容器から[[内分泌攪乱化学物質|環境ホルモン]](スチレンダイマー、スチレントリマー)が溶出し、スープや麺と一緒に摂取することで人体への影響があるとマスメディアからの批判を浴び、各メーカーが緊急に紙容器に切り替えるなど大きな問題となった。後に同説はカップ麺業界等により再調査され、[[2000年]]に旧[[経済産業省|通産省]]・旧環境庁が「内分泌攪乱作用があるとの証拠は見いだせない」「作用を否定する報告が大半」と発表したが、[[2006年]]に東京都健康安全研究センターは動物実験により、生物への影響が確認されたと発表した。これに対して、通常の10倍以上を摂取する状況下での結果であり、実際の人体への影響がどの程度かは不明であるとの反論が出された。なお発泡スチロール([[ポリスチレン]])は前述の通り、環境ホルモンと関連する物質の疑いが2000年11月に晴れたとされ、同リストより除外されている。しかし、[[2004年]]には当時流行した健康食品の[[シソ#シソ油|しそ油]]([[エゴマ#油脂|荏胡麻油]])が、このスチロール製カップを溶かすとして話題となり、[[国民生活センター]]が調査を行った所、このしそ油をカップに入れ、100度の熱湯を注いだ際に一定の溶解が見られたため、消費者に注意を呼びかけている&lt;ref&gt;[http://www.maff.go.jp/www/press/cont/20040225press_3.htm 発泡ポリスチレン製容器にしそ油又はエゴマ油を加えた際のお湯もれの可能性について] - [[農林水産省]]{{リンク切れ|date=2012年1月}}&lt;br /&gt;[http://www.instantramen.or.jp/about/news/news040225.html 発泡ポリスチレン製容器にしそ油又はエゴマ油を加えた際のお湯もれの可能性について] - 日本即席食品工業協会 [[2004年]][[2月25日]]&lt;br /&gt;[http://www.jasfa.jp/pc/info/info.htm 発泡ポリスチレン製容器にしそ油又はエゴマ油を加えた際のお湯もれの可能性について] - 発泡スチレンシート工業会 ポリスチレンペーパー成型加工工業組合 食品容器成型懇話会 2004年[[3月3日]]&lt;/ref&gt;。<br /> : [[2008年]]にも[[日本即席食品工業協会]]がしそ油や荏胡麻油だけでなく[[亜麻仁油]]や[[ヤシ油]](ココナッツオイル)もスチロール製容器のカップ麺に入れた場合に容器が溶ける事があるとしている&lt;ref&gt;[http://www.instantramen.or.jp/news/081028/_01.html ニュース|インスタントラーメン ナビ_一般社団法人 日本即席食品工業協会] (2008年10月)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 調理 ==<br /> [[file:ぺヤング-s3p11134.jpg|thumb|200px|インスタント[[焼きそば]]の調理例]]<br /> 製品の多くは熱湯を注いで3〜5分(約1〜5分の幅で各種ある)程度で調理が完了する。1980年代前半の一時期、各会社より乾燥麺タイプで調理時間が1分の製品が発売されたが、食べ終わる前に麺が伸びてしまう&lt;ref&gt;逆に本来が1分以下の煮沸を条件とする九州のラーメン系統([[博多ラーメン]]や[[長浜ラーメン]]等)は1分以上時間が過ぎると食べる前に麺が伸びてしまう。&lt;/ref&gt;などの問題があったため消費者からは不評で、多くは短命に終わり、一部の焼きそばタイプで存続するに留まっている&lt;ref&gt;ただし、バリカタやハリガネ等を売り物にしている九州系ラーメンの商品では前述の理由もあり存在する。&lt;/ref&gt;。汁を用いない焼きそば系の場合は湯切の作業が必要となる。また&lt;!--本物を求めた--&gt;生タイプ麺などの製品でも湯切りをし再度お湯を注ぐものもある。しかし生タイプ麺を使用したものは調理時間がやや短めの傾向である&lt;ref&gt;麺の再加熱以外に、別に汁の調理作成にも時間が必要で、結果的に乾燥型よりも総調理時間は長くなる傾向にある。&lt;/ref&gt;。特殊な調理法として、いわゆる&#039;かた焼きそば&quot;系列の焼きうどん等は麺を湯で調理せず、餡を湯で調理作成し、それに油で揚げてある麺を入れるというものが存在するが、このような調理方法のカップ麺は極めて少ない。<br /> <br /> 添え付けのスープや具材は[[フリーズドライ|フリーズドライ製法]]を用い乾燥させたものが主流だが、比較的中高価格帯の製品には[[袋麺|袋入りのインスタントラーメン]]と同様、スープ・具が別添のものも存在する。それらの製品では袋を取り出し、麺の上に置いてから湯を注ぐなど、製品ごとにさまざまな違いも見られるため、湯を注ぐ前にパッケージに記載された説明書きなどを読んでおく事が勧められる&lt;ref&gt;場合によってはそれらの小袋は運搬時振動等により、麺の下部に埋もれ隠れている場合があるので、作り方説明では必ず添付小袋の個数を確認するように注意書きがある。&lt;/ref&gt;。中には[[レトルト食品]]の具材が付属していて、その具材を湯煎あるいは別鍋で加熱する事を勧める製品も存在する。なお、カップ麺は[[2009年]][[6月30日]]以前に発売された商品は[[日本農林規格|JAS規格]]によって「標準」と「上級」に分類されていた。麺の重量に対して具材(かやく)が6%以上のものが標準、15%以上のものが上級、カップ焼きそばやスパゲティの場合、4%以上が標準、10%以上が上級となっていたが、2009年[[7月1日]]以降より発売されるカップ麺についてはこれらの分類は撤廃(廃止)された&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/kikaku_17.pdf 即席めん類の日本農林規格:全部改正平成21年4月9日農林水産省告示第484号]}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 日本では少数であるが、[[電子レンジ]]調理専用商品(日清食品「[[日清焼そばU.F.O.|U.F.O.]]」・[[どん兵衛]]「NEXT GENERATION」シリーズ等)や熱湯調理/電子レンジ調理のいずれか選択可能な商品(「[[カップヌードル#カップヌードル マイ・レンジタイム|カップヌードル マイ・レンジタイム]]〈旧・カップヌードル レンジスタイル〉」シリーズ)のように電子レンジで調理可能な商品も[[2000年代]]以降存在する&lt;ref&gt;電子レンジ調理用カップ麺で日本国内向け商品として初めて発売されたのは、日清食品「e-noodle」シリーズ(ソース焼きそば、焼豚しょうゆ味ラーメン、醤油とんこつラーメンの3種類)とされる([http://allabout.co.jp/gourmet/junkfood/closeup/CU20010301A/index.htm 日清『e-noodle』はいかが? カップ麺のIT革命] - [[All About]] [[2001年]][[3月1日]])。&lt;/ref&gt;。それ以外のものは電子レンジ調理不可とパッケージに記載されている。[[アメリカ合衆国|米国]]など日本国外で販売されているものは&quot;microwavable&quot;(電子レンジ調理可能)と明記されたものが多く存在する。<br /> <br /> [[航空路|航空便]]の[[機内食]]用に作られたもの([[日本航空インターナショナル|日本航空]]の「[[うどんですかい]]」や[[全日本空輸]]の「[[とびっきりおうどん]]」など)では、[[気圧]]の低い[[飛行機]]内で沸かされた低温のお湯でも麺が戻るような特別の製法で作られている。これらの低圧調理可能製品は、登山時等でも高山食・非常食として利用可能である。<br /> <br /> 調理時間の計測にはその手段が各種存在しており、携帯やスマートフォン等の応用ソフトでも、ラーメンタイマー(カップ麺タイマー)なる範疇が存在する。ほとんどのカップ麺の蓋は紙系だと一度剥がしてしまうと再封緘が難しくなり、通常は調理中は別の物体(書籍等)での補助封緘を必要とする事が多い。この為にカップ麺の補助封緘用のマスコットアイテム等が販売されており、一部は調理時間計測用のタイマーを兼ねているものもある。「テレコマ戦士 どんぶりマン」のように実在するカップ麺のモチーフを取り入れたアイテムも存在する。日清食品は本目的のカップヌードルモチーフの変形ロボアイテム「[https://www.nissin.com/jp/news/2414 カップヌードルロボタイマー]」をカップヌードル発売40周年に併せ企画・製造しプレゼント商品として流通させている。<br /> <br /> == 市場 ==<br /> 日本全国で発売されている一部の商品では、東日本と西日本など地域別毎でそれぞれ味付けを変えているケースもある(「どん兵衛」や「[[マルちゃん赤いきつねと緑のたぬき|赤いきつねと緑のたぬき]]」等)。また、地域限定発売の商品もある。尚、カップ麺の購入量第一位は、青森県である。&lt;ref&gt;[https://www.asahi.com/articles/ASL495CJQL49UBQU00V.html カップ麺の購入量、日本一の青森 脱短命県のカギは?]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> [[2000年]]前後からカップラーメンにおいて[[コンビニエンスストア]]を中心に地方色を強く出した「[[ご当地ラーメン]]」や「青葉」など有名店の味を再現・類似した「[[ご当店ラーメン]]」を取り入れるなどバリエーションが拡大し&lt;ref&gt;[http://www.nipponstyle.jp/column/nttr/column_08.html 新田太郎 戦後ニッポン「ものづくり」流行史 第8回 インスタントラーメン〜戦後生まれの「国民食」(ニッポンスタイル)]&lt;br /&gt;[http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100509/acd1005090816004-n2.htm 【日本発 アイデアの文化史】インスタントラーメン(下)(2/2ページ)] - MSN産経ニュース [[2010年]][[5月9日]]{{リンク切れ|date=2012年1月}}&lt;/ref&gt;、当時180円以上と区分された高品質・高価格帯の商品群が活性化した&lt;ref name=&quot;nissinfoods-news20021031&quot;&gt;[http://www.nissinfoods.co.jp/com/news/news_release.html?nid=527 2002年10月31日 &lt;リニューアル新発売のご案内&gt;「ジェット湯切り」を採用「日清ラ王 しょうゆ / みそ / とんこつ」] - 日清食品ニュースリリース&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[市場占有率]]は長いこと各社の主力ブランドである「カップヌードル」や「赤いきつね」など初期に登場した[[ナショナルブランド|ナショナルブランド(NB)商品]]が上位を占めてきたが、[[2008年]]に原材料費などの高騰で大手メーカー製品の売価が上がったことで、カップヌードルは値上げ前比-52%と半減した&lt;ref name=&quot;j20080619&quot;&gt;[http://www.j-cast.com/2008/06/19022117.html 「値上げ」カップめんに大異変 PB躍進、日清、明星など落ち込み] - J-CASTニュース [[2008年]][[6月19日]]&lt;/ref&gt;。その影響で、安価で展開している大手[[スーパーマーケット|スーパーチェーン]]自社[[プライベートブランド|プライベートブランド(PB)商品]]や[[#主な日本のカップ麺メーカー|メーカー各社]]の[[オープン価格|オープンプライス(OP)商品]]の種類が急増し、売上を大きく伸ばした&lt;ref name=&quot;j20080619&quot;/&gt;&lt;ref&gt;『値上げ食品の売上高減 日経調査、節約志向で自主企画品を選好』 - [[日本経済新聞]] 2008年[[6月17日]]朝刊&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;y20091014&quot;&gt;[http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=ma_l&amp;a=011-1254721349 即席麺市場はNB復権へハード・ソフト両面強化 技術革新で麺質向上] - Yahoo!オンビジネス・[[日本食糧新聞]] [[2009年]][[10月14日]]{{リンク切れ|date=2012年1月}}&lt;/ref&gt;。[[2009年]]はNB商品にて品質改良や積極的な[[宣伝|販促活動]]が行われたことなどから、PB商品やOP商品への需要の流れが全体に落ち着き、後半にはNB商品への回帰傾向が出てきた&lt;ref name=&quot;y20091014&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;y20100728&quot;&gt;[http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=ma_l&amp;a=011-1279242213 即席麺市場は品質強化を推進 新たな需要拡大] - Yahoo!オンビジネス・日本食糧新聞 2010年[[7月28日]]{{リンク切れ|date=2012年1月}}&lt;/ref&gt;。[[2010年]]は前半もNB商品への回帰傾向は続き、各社の主力ブランドは価値訴求を行っていることにより、堅調な需要を満たしている&lt;ref name=&quot;y20100728&quot;/&gt;。<br /> <br /> 製品化は、[[スパゲッティ]]、[[焼きそば]]、[[ラーメン]]、[[うどん]]、[[そば]]、[[そうめん]]、[[きしめん]]等、麺類全般。本商品群は[[マーケティングリサーチ]]の格好の資料となっており、日清食品は過去に一度発売したものの商業的に失敗した商品を、「[https://www.nissin.com/jp/news/6087 黒歴史]」として2017年に再発売した。<br /> <br /> カップラーメンは日本国外での生産・販売も行われている。主な生産および消費地は[[東アジア]]地域であるが、北米大陸(特に[[メキシコ]])でも[[ヒスパニック]]系住民を中心に人気がある。日本のメーカーの現地生産も行われている。前述の通り、その地域の一般的な麺類がカップ食品化されるケースが多い。<br /> <br /> == 保管について ==<br /> 2008年10月に、[[日清食品]]製の「カップヌードル」「CO・OPヌードル」、 グループの[[明星食品]]製の「CO・OPカップラーメン」から[[防虫剤]]成分の[[パラジクロロベンゼン]]が検出され、「カップヌードル」を食べた消費者が健康被害を起こす騒ぎが発生した。日清食品や[[日本の警察|警察]]、[[保健所]]などで調査の結果、工場などにパラジクロロベンゼンはなく、防虫剤の近くで保管され、成分がカップ麺に移行したものと結論が出された&lt;ref&gt;[http://www.nissinfoods.co.jp/com/news/news_release.html?nid=1473&amp;src_type=D&amp;yr=2008&amp;mn=11&amp;x=22&amp;y=11 「移り香」事案に関する警察・保健所等の調査結果について] - [[日清食品]] 2008年[[11月20日]]&lt;/ref&gt;。それ以降、防虫剤などと一緒に保管しないよう注意書きがなされている。<br /> <br /> また前述の通り、カップの物理的強度は比較的低く、ほとんどのカップ麺に注意書きにも破損しやすい旨記載されていたり、輸送梱包用のカートン等の扱いは明確にこわれもの扱いとなっている。<br /> <br /> == 非常用食糧 ==<br /> 電気・ガス・水道などライフラインが影響を受ける非常事ではお湯の入手が困難な場合が多いが、警視庁警備部災害対策課によると水でも15分待てば食べられるとしている&lt;ref&gt;{{Cite tweet|user=警視庁警備部災害対策課認証済みアカウント|number=8899806935150493697|date=2017-08-28|title=災害時を想定して一度やってみようと思っていた『水でカップ麺作り』に挑戦!麺に味がついたカップ麺を用意し、水を注いで15分。麺は少しかためでしたが、スープもちゃんとしみ出して味もイイ感じ(驚)!}}&lt;/ref&gt;。また、災害直後の火気使用はガス漏れによる火災事故を起こす危険も高く、集団避難生活では火気が使えない事が多いために調理が難しいケースもある。[[1989年]]に[[日清食品]]より、発熱体により水を注ぐだけで調理できるカップ麺[[スーパーボイル]]がテスト販売された。<br /> <br /> 少なくともインスタントラーメンよりは調理は簡便ではあるが、これの調理に必要な水や燃料・簡易[[焜炉]](カセットガスコンロなど)といった他の備えが必要となる。<br /> <br /> 日清食品は、非常災害用として自社工場や物流倉庫にランニングストックとして常時100万食分のカップめんを在庫しており、過去の大災害時にも随時提供されている<br /> <br /> == 健康面 ==<br /> カップ麺の多くは[[炭水化物]]が主成分で[[塩分]]や[[脂肪]]分などを多く含み(特にスープは高塩分、高油分である)、[[ビタミン]]や[[繊維]]質、[[ミネラル]]などが少量しか含まれていないので、[[栄養]]が偏った食品であるとされる&lt;ref&gt;{{Cite web |date=2013-06-21 |url=http://www.eiyo.ac.jp/recipe/sp/nutrition/view/id:9.html |title=今でもある脚気 |publisher=[[女子栄養大学]] |accessdate=2016-09-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> 現在では、栄養価の不足を補うため、ビタミンB1、ビタミンB2、カルシウムなどが添加されているものが多い<br /> &lt;ref&gt;{{Cite web |date=2015 |url=http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/vitamin_b1.html |title=ビタミンB1の多い食品と含有量一覧表 |publisher=[[簡単!栄養andカロリー計算]] |accessdate=2017-06-14}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref&gt;{{Cite web |date=2017 |url=http://www.instantramen.or.jp/dictionary/nutritional_composition.html |title=インスタントラーメンの成分表を見てみよう |publisher=[[一般社団法人 日本即席食品工業協会]] |accessdate=2017-06-14}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 国立研究開発法人の医薬基盤・健康・栄養研究所は、日本人の食塩摂取源となっている食品の一位はカップ麺で、二位は袋などに入ったインスタントラーメンだったと発表した。同研究所は「食塩の取りすぎが血圧の上昇と関連があることが明らかになっており、注意してほしい」と呼び掛けている。厚生労働省の2012年の国民健康・栄養調査のデータを基に、食塩摂取源となっている食品のランキングを作成したところ、1位のカップ麺からはスープを飲み干したと仮定して一日当たり5.5gの食塩を取っていた。2位はインスタントラーメン5.4g、3位は梅干し1.8g、四位は高菜の漬物1.2g、五位はキュウリの漬物1.2gだった&lt;ref&gt;東京新聞 2017年5月19日 朝刊&lt;/ref&gt;。なおこれらの条件は、スープ類で最初から味付けが完了しているカップヌードルタイプや、別添の味付けが液体スープ系のペヤングソースやきそばタイプ等では、特に塩分の抑制と過剰摂取の回避とが難しい&lt;ref&gt;ただしスープ類を最後に飲み干さず、何らかの形で再利用するようにすると一日の摂取塩分総量は変わらなくても一度の摂取塩分量を抑制可能。&lt;/ref&gt;が、粉末スープ類を別添にしているきつねどん兵衛タイプや、普通の袋麺タイプのインスタント麺類では、粉末スープの使用量を減らす事により、塩分を抑制し、過剰摂取を回避する事が可能である。<br /> <br /> == 主な日本のカップ麺メーカー及び有名ブランド ==<br /> 企業名から直接導出できないもののみ記載。<br /> * [[サンヨー食品]](サッポロ一番ブランド。東京都港区)<br /> * [[東洋水産]](マルちゃんブランド。[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]])<br /> * [[日清食品]]([[日清食品ホールディングス]]傘下。[[大阪府]][[大阪市]][[淀川区]])<br /> * [[エースコック]](サンヨー食品系。大阪府[[吹田市]])<br /> * [[明星食品]](日清食品ホールディングス傘下。東京都[[渋谷区]])<br /> * [[まるか食品]](ペヤングブランド。[[群馬県]][[伊勢崎市]])<br /> * [[ヤマダイ]](ニュータッチブランド。[[茨城県]][[結城郡]][[八千代町]])<br /> * [[テーブルマーク]]([[テーブルマークホールディングス]]傘下、および[[日本たばこ産業|日本たばこ産業(JTグループ)]]傘下。旧社名:加ト吉。東京都[[中央区 (東京都)|中央区]])<br /> * [[徳島製粉]](金ちゃんブランド。[[徳島県]][[徳島市]])<br /> * [[マルタイ]](サンヨー食品系。[[福岡県]][[福岡市]][[西区 (福岡市)|西区]])<br /> * [[サンポー食品]]([[佐賀県]][[三養基郡]][[基山町]])<br /> * [[麺のスナオシ]](茨城県[[水戸市]])<br /> * [[大黒食品工業]](マイフレンドブランド、AKAGIブランド。群馬県[[佐波郡]][[玉村町]])<br /> * [[おやつカンパニー]](ベビースターブランド。ブタメンシリーズ。[[三重県]][[津市]])<br /> * [[東京拉麺]](しんちゃんラーメンブランド。[[栃木県]][[足利市]])<br /> * [[寿がきや食品]]([[愛知県]][[豊明市]])<br /> * [[山本製粉]](愛知県[[豊川市]])<br /> * [[イトメン]]([[兵庫県]][[たつの市]])<br /> * [[五木食品]]([[熊本県]][[熊本市]])<br /> * [[高森興産]](熊本県[[荒尾市]])<br /> * [[とかち麺工房]](旧社名:十勝新津製麺。[[北海道]][[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[池田町 (北海道)|池田町]])<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[袋麺]]<br /> * [[安藤百福]] - 生みの親。<br /> * [[カップ焼きそば]]<br /> * [[鍋焼きうどん]]<br /> * [[鰹節]]<br /> * [[醤油]]<br /> * [[うま味調味料]]<br /> * [[ストップウォッチ]]<br /> * [[インスタント食品]]<br /> &lt;!--* [[ノンフライ麺]]--&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:かつふめん}}<br /> [[Category:即席麺|*かつふめん]]<br /> [[Category:インスタントラーメン]]<br /> [[Category:うどん]]<br /> [[Category:蕎麦]]<br /> [[Category:日本の発明]]</div> 111.87.58.144
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