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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=240F%3A6C%3A4E85%3A1%3A3899%3A851E%3A454C%3AB655 miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-23T14:17:29Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 カルメン・マキ 2018-09-18T23:21:38Z <p>240F:6C:4E85:1:3899:851E:454C:B655: /* 映像作品 */</p> <hr /> <div>{{Infobox Musician &lt;!--プロジェクト:音楽家を参照--&gt;<br /> | Name = カルメン・マキ<br /> | Img = <br /> | Img_capt = <br /> | Img_size = &lt;!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --&gt;<br /> | Landscape = &lt;!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --&gt;<br /> | Background = singer<br /> | Birth_name = &lt;!-- 個人のみ --&gt;&lt;!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --&gt;<br /> | Alias = <br /> | Blood = &lt;!-- 個人のみ --&gt;<br /> | School_background = [[香蘭女学校]]中退<br /> | Born = {{生年月日と年齢|1951|5|18}}<br /> | Died = &lt;!-- 個人のみ --&gt;<br /> | Origin = {{JPN}}[[神奈川県]][[鎌倉市]]<br /> | Instrument = [[歌]]<br /> | Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]<br /> | Occupation = [[歌手]]<br /> | Years_active = [[1969年]] - <br /> | Label = <br /> | Production = <br /> | Associated_acts = カルメン・マキ&amp;タイムマシーン&lt;br /&gt;[[クリエイション (バンド)|ブルース・クリエイション]]&lt;br /&gt;カルメン・マキ&amp;OZ&lt;br /&gt;カルメン・マキ&amp;LAFF&lt;br/&gt;うるさくてゴメンねBAND<br /> | Influences = <br /> | URL = [http://www.carmenmaki.com/ カルメン・マキ-Carmen Maki]<br /> | Notable_instruments = <br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;カルメン・マキ&#039;&#039;&#039;(旧本名:Maki Annette Lovelace&lt;ref name=&quot;official&quot;&gt;{{Cite web |url=http://carmenmaki.com/ |title=Carmen Maki Official Web |publisher=carmenmaki.com |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180816100031/http://carmenmaki.com/ |archivedate=2018-08-16 |accessdate=2018-08-16}}&lt;/ref&gt;、[[1951年]][[5月18日]] - )は、[[歌手]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ミュージシャン]]である。[[日本国籍]]を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。<br /> <br /> == 来歴 ==<br /> === 誕生〜歌謡曲時代 ===<br /> [[アイルランド人]]と[[ユダヤ人]]の血を引く[[アメリカ合衆国#国民|アメリカ人]]の父と[[日本人]]の母との間に[[神奈川県]][[鎌倉市]]で生まれる&lt;ref name=&quot;official&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[1968年]]、私立[[香蘭女学校|香蘭女学校高等学校]]を2年次で中退。[[イラストレーター]]か[[役者]]になろうかと考えていた時期に、詩人の[[寺山修司]]が主宰していた劇団「[[天井桟敷 (劇団)|天井桟敷]]」の舞台『[[青ひげ]]』にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に[[新宿厚生年金会館]]での「[[書を捨てよ町へ出よう]]」が初舞台&lt;ref name=&quot;official&quot;/&gt;。この時、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBSソニー]]の関係者の目に止まり、歌手として契約。<br /> 芸名の「カルメン・マキ」はこの時期に舞台の練習中にたまたま思いついたものだという。<br /> <br /> 翌[[1969年]]に「[[時には母のない子のように]]」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、累計で[[ミリオンセラー]]&lt;ref&gt;[[富澤一誠]]『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』[[ヤマハミュージックメディア]]、2007年、57頁。ISBN 978-4-636-82548-0&lt;/ref&gt;<br /> の大ヒット。この曲で[[第20回NHK紅白歌合戦]]への出場も果たす。ステージには[[ジーンズ]]姿で登場し、司会者に「ジーパンもステージ衣装になる時代が来ました」と紹介された。ちなみに、当時の彼女の曲の[[作曲]]は[[武満徹]]や[[クニ河内]]が、[[作詞]]は前述の寺山修司や[[谷川俊太郎]]が、それぞれ手がけている。<br /> <br /> これ以降も個性派歌手として活動し、6枚の[[シングル]]と3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」と言った[[ヒット曲]]が出た。<br /> <br /> [[1970年]]、写真集『篠山紀信集 NUDE』([[篠山紀信]])でヌードを披露。<br /> <br /> === ロックへの転向 ===<br /> 彼女のキャリアを語る上で欠かせないのは[[ロック (音楽)|ロック]]への転向である。そもそものきっかけは、「時には母のない子のように」のレコード大賞受賞でCBSソニー社長から「ご褒美」として[[レコードプレイヤー]]と[[レコード#レコードの諸形態|LP]]盤数枚をプレゼントされた時の事である。<br /> <br /> そのLP盤の中に[[ジャニス・ジョプリン]]があった。それを聴いたマキは衝撃を受け、[[1970年]]に突然のロック転向を表明する。直後[[近田春夫]](のちに[[ハルヲフォン]]を結成)、[[立川直樹]]らと「カルメン・マキ&amp;タイムマシーン」と言うバンドを結成するが、すぐに解散。その後さまざまなバンドがバッキングについたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト[[竹田和夫]]率いる[[クリエイション (バンド)|ブルース・クリエイション]](第2期)に落ち着き、[[1971年]]にコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&amp;ブルース・クリエイション』を発表。それまで[[黒人霊歌]]をもとにしたフォークなどを歌うシンガーから、女性ロッカーへとイメージ・チェンジをした。<br /> <br /> === OZ結成〜解散まで ===<br /> [[1972年]]には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&amp;OZ」を結成。メンバーは、[[春日博文]](ギター)、[[鳴瀬喜博]](ベース、後に[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]加入)、[[樋口晶之]](ドラムス、のちに[[竜童組]])。<br /> <br /> 結成当初は順風満帆とは言えず、所属事務所からは[[キャバレー]]回りを強要され、時には客から「こんな曲では踊れない」とビンを投げつけられることもあったと言う。<br /> <br /> しかし、こうした地道な活動が実を結び、[[1974年]]に[[ポリドール・レコード|ポリドール]]からシングル「午前一時のスケッチ」でデビュー。翌[[1975年]][[1月]]にはファーストアルバム『カルメン・マキ&amp;OZ』をリリース。10万枚以上を売る当時のロックアルバムとしては大ヒットとなった。このアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作「私は風」は、のちにさまざまな歌手、ミュージシャンに[[カバー]]され、その中でも特に[[中森明菜]]のものが有名である。なお、この録音前後にマキと春日以外のメンバーが総入れ替えとなっている。ドラムは[[西哲也]]、[[古田宣司]]の1stアルバム参加を経て、[[内藤正美]]が[[1975年]]末まで在籍。ベースは[[千代谷晃]]を経て、1stアルバム録音の後から、後期OZの音に決定的影響を与えた[[川上茂幸]]に替わった。<br /> <br /> 1975年5月、[[ジェフ・ベック・グループ]]、[[グランド・ファンク・レイルロード]]の来日公演のオープニング・アクトを務める&lt;ref name=&quot;official&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[1976年]]に[[アメリカ合衆国]]の[[ロサンゼルス]]でセカンド『閉ざされた町』を4か月かけて制作。ファーストに引き続き「閉ざされた町」や「火の鳥」といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。「閉ざされた町」でドラムを担当したのは[[久藤賀一]]。<br /> <br /> 翌[[1977年]]の10月18日[[新宿厚生年金会館]]でのステージを最後に解散。その年の12月にはサードアルバム『III』を発表。前2作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ。<br /> また解散の翌年8月にはシングル盤として「私は風」、そして10月の解散ステージと同年5月の[[日比谷野外音楽堂]]のライブ音源を収録した『ライヴ』がリリースされている。『III』『ライヴ』録音時のメンバーはマキ、春日、川上、[[武田治]](Dr)、川崎雅文([[川崎真弘]])(Kb)であった。<br /> <br /> ===OZ以降〜活動休止まで ===<br /> OZ解散後、[[1979年]]に数回の渡米を経て、ドラマーで当時[[ロッド・スチュワート|ロッド・スチュアート・バンド]]の一員でもあった[[カーマイン・アピス]](元[[ヴァニラ・ファッジ]]→[[カクタス]]→[[ベック・ボガート &amp; アピス|BB&amp;A]])の知己を得、同年彼のプロデュースのもとでソロ『NIGHT STALKER』を発表。<br /> <br /> 翌[[1980年]]には「カルメン・マキ&amp;LAFF」を結成。同年『カルメン・マキ&amp;LAFF』をリリース。「60s:時には・・・、70s:OZ、そして時代は今・・・LAFF」とレコードの帯にあるようにレコード会社からも期待がかかっていたが結局思うようなヒットが出ず、[[1981年]]に[[ヘヴィメタル|ヘヴィメタルバンド]]『カルメン・マキ&5X』へと発展解消。[[1982年]]にファースト『HUMAN TARGET』、ライブ盤『LIVE X』、[[1983年]]にはセカンド『CARMEN MAKI&#039;S 5X』をリリースし、解散。また、この期間には[[村上龍]]原作の映画『[[限りなく透明に近いブルー]]』の音楽に参加。「青白い夕焼け(&quot;リュウ&quot;のテーマ)」を歌っている。<br /> <br /> [[1980年]]9月と11月に2度の薬物禍があった。これら事件のため、一時的にカルメン・マキ&amp;LAFFは活動停止を余儀なくされてしまった。<br /> <br /> [[1983年]]には、[[週刊プレイボーイ]]誌上でヌードを披露した。<br /> <br /> その後[[1986年]]にはOZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や[[松本孝弘]](のちに[[B&#039;z]]を結成)などがいたセッションバンド、「うるさくてゴメンねBAND」に参加。ライブ活動を中心とする。[[1987年]]にはライブ盤『うるさくてゴメンねLIVE』を発表。その後出産、育児に専念するために一時的に音楽活動の休止を宣言した。<br /> <br /> ===復帰〜現在 ===<br /> [[1993年]]に日本国籍を取得し&lt;ref name=&quot;official&quot;/&gt;、音楽活動を再開。同年、寺山修司歿後十年の企画として『時には母のない子のように』(新録音)を発表し、[[久保田麻琴]]プロデュースによる子守唄のアルバム『MOON SONGS』を発表。そして翌[[1994年]]には「MOSES」を結成。[[1995年]]に『VOICES OF MOSES』を発表。[[1996年]]にはOZ時代の盟友、春日博文のプロデュースによる「UNISON」を発表。また、この時のセッションメンバーをもとに「UNISON UNIT」を結成し、ライブを中心として活動。この頃に現在もライブ、アルバム制作で組んでいるギタリスト、[[鬼怒無月]]と出会っている。<br /> <br /> [[1997年]]12月29日、「カルメン・マキ&amp;OZ」の一夜限りの再結成を行う(於:[[京都大学西部講堂]])。<br /> <br /> [[1998年]]には[[後藤次利]]、[[笹路正徳]]、[[春日博文]]、[[辻仁成]]などをプロデューサーに迎えて『SPLIT』を発表。<br /> <br /> [[2000年]]にはライブツアー「CARMEN MAKI 世紀末を歌う」を行い、翌年にはライブ盤『CARMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う』をリリース。<br /> <br /> [[2003年]]には鬼怒無月らとともに「CARMEN MAKI &amp; SALAMANDRE」を結成。また同年に同名のアルバムをリリースし、ライブ活動も活発化させていく。<br /> <br /> [[2004年]]には全曲アコースティックのアルバム『ANOTHER WAY』を発表。<br /> <br /> [[2008年]]には、初の朗読(ポエトリー・リーディング)CD『白い月』をリリース。[[中原中也]]、[[萩原朔太郎]]らの詩を[[水城雄]](ピアノ)の[[即興演奏]]にのせて読み、歌に留まらない表現に新境地を開いた。<br /> <br /> 現在も全国各地をライブハウスを中心に精力的に回っている。<br /> <br /> 2014年11月25日には[[LIQUIDROOM]]にて「カルメン・マキ45周年記念VOL.1 〜ONE NIGHT STAND〜 《ROCK SIDE》」が行われた。出演はカルメン・マキの他、春日博文(g)、川上茂幸(b)、武田治(ds)、[[厚見玲衣]](kbd)、[[ジョージ吾妻]](g)、[[盛山キンタ]](b)、[[大内貴雅]](ds)、[[Dr.kyOn]](kbd)、[[澤田浩史]](b)、[[古田たかし]](ds)、[[木暮武彦]](g)、[[金子マリ]](vo)、[[Char]](g)であった。<br /> <br /> 2015年2月6日・7日の2日に渡って、[[ザムザ阿佐ヶ谷]]にて「カルメン・マキ45周年記念VOL.2《アングラSIDE》2days」が行われた。出演はカルメン・マキの他、[[春日博文]](g)、Dr.kyOn(kbd)、[[太田恵資]](Vl)、[[桜井芳樹]](g)、[[佐藤正治 (音楽家)|佐藤正治]](ds)、[[清水一登]](pf)、[[西嶋徹]](b)であった。<br /> <br /> == エピソード ==<br /> [[1978年]]、ギタリスト[[Char]]が、芸能界から追放処分を受け、四面楚歌状態にあったとき、救いの手を差し伸べたのが彼女である。当時、精神的な沈鬱状態で、[[ギター]]を弾く状態になかった彼を、自身のツアーにサイドマンとして誘って、ギターを弾く機会と場を与えた。「救われた。マキちゃんのおかげで再スタートさせてもらった」と後年Charは、デビュー20周年記念の[[リットーミュージック]]のインタビューで語った。この再スタートを足掛かりにCharは、ジョニー,ルイス&チャー(後の[[ピンククラウド]])を結成した。<br /> <br /> == ディスコグラフィー ==<br /> === オリジナル・アルバム ===<br /> * [[カルメン・マキ真夜中詩集ーろうそくの消えるまでー]](1969年 [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBSソニー]])<br /> * アダムとイヴ(1970年 CBSソニー)<br /> * 思い出にサヨナラ “カルメン・マキ&#039;70”(1970年 CBSソニー)<br /> * カルメン・マキ/ブルース・クリエイション(1971年 [[日本コロムビア|コロムビア]] デノン)<br /> * カルメン・マキ&amp;OZ(1975年 [[ポリドール・レコード|ポリドール]])<br /> *カルメン・マキ・ストーリー(1976年 CBSソニー)<br /> * 閉ざされた町(1976年 [[ユニバーサルミュージック (日本)|キティ]])<br /> * カルメン・マキ&amp;OZ 3(1977年 キティ)<br /> * カルメン・マキ&amp;OZ LIVE(1978年 キティ)<br /> * NIGHT STALKER(1979年 キティ)<br /> * カルメン・マキ&amp;LAFF(1980年 キティ)<br /> * HUMAN TARGET(1982年 [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]])<br /> * LIVE X(1982年 東芝EMI)<br /> * CARMEN MAKI&#039;S 5X(1983年 東芝EMI)<br /> * MOON SONGS(1993年 東芝EMI)<br /> * VOICE OF MOSES(1995年 ビデオアーツミュージック)<br /> * UNISON(1996年 [[パイオニアLDC]])<br /> * SPLIT(1998年 パイオニアLDC)<br /> * CARMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う(2001年 [[バップ|VAP]])<br /> * CARMEN MAKI AND SALAMANDRE(2003年)<br /> * ANOTHER WAY(2004年)<br /> * 時には母のない子のように2007(2007年 [[SOLID]])<br /> * 白い月(2008年 [[アイ文庫]])<br /> * ペルソナ(2009年 ジパングレーベル)<br /> * FROM THE BOTTOM(2012年 ジパングレーベル)<br /> <br /> === ベスト・アルバム ===<br /> * ギャザリング(1982年 キティ)(カルメン・マキ&amp;OZのベスト盤。[[1977年]]10月18日新宿厚生年金会館(解散時のステージ)での「私は風」が収録されている)<br /> * ベスト・オブ・カルメン・マキ&amp;OZ(1996年 キティ)(『ギャザリング』に収録されていた解散ステージの「私は風」がここにも収録されている)<br /> * カルメン・マキ ベスト&カルト(1998年 ソニー・ミュージックレコーズ)<br /> * スーパーバリュー(2001年 [[ユニバーサルミュージック]])<br /> * ゴールデン☆ベスト カルメン・マキ セブンティーズ・ロック(2003年 ユニバーサルミュージック)<br /> * Good Times, Bad Times 〜History of Carmen Maki〜(2014年 ユニバーサルミュージック)<br /> <br /> === シングル ===<br /> * 時には母のない子のように(1969年 CBSソニー)<br /> * 山羊にひかれて(1969年 CBSソニー)<br /> * 私が死んでも(1969年 CBSソニー)<br /> * 東京はみなし児(1970年 CBSソニー)<br /> * ノイジー・ベイビー(1970年 CBSソニー)<br /> * 想いでにサヨナラ(1970年 CBSソニー)<br /> * あなたが欲しい(1970年 CBSソニー)<br /> * 午前1時のスケッチ(1974年 ポリドール)<br /> * 空へ(1977年 キティ)<br /> * 私は風(1978年 キティ)<br /> * ラヴ・アゲイン(1979年 キティ)<br /> * 風に乗って / EASY COME,EASY GO(1979年 キティ)<br /> * 青白い夕焼け(&quot;リュウ&quot;のテーマ)(1979年 キティ)<br /> * 恋はエクスタシー(1980年 東芝EMI)<br /> * EASY COME, EASY GO(1982年 東芝EMI)<br /> * FANTASY(1983年 東芝EMI)<br /> * 時には母のない子のように・新録音(1993年 東芝EMI)<br /> * 夜間飛行(1995年 ビデオアーツミュージック)<br /> * 星の河を渡ろう(1996年 パイオニアLDC)<br /> * ワイルドフラワー(1998年 パイオニアLDC)<br /> *デラシネ(c/w「望みのない恋~挿入朗読詩:波の音)(2017年 galabox)<br /> <br /> === 映像作品 ===<br /> *日本ロック映像全集 Vol.1(1994年 リットー・ミュージック)※VHS、オムニバス作品(カルメン・マキ&amp;OZの「閉ざされた町」の映像が収録されている)<br /> *カルメン・マキ〜スタジオライブ&インタヴュー〜ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.4(2003年 第一興商)<br /> *CARMEN MAKI 45th Anniv. Live ~Rock Side &amp; アングラSide~(2015年 ZICCA RECORDS)<br /> <br /> == 主な出演作品 ==<br /> === 映画 ===<br /> *[[あらかじめ失われた恋人たちよ]]&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0923592/|title=Arakajime ushinawareta koibitotchiyo (1971) - IMDb|publisher=[[The Internet Movie Database]]|accessdate=2012-3-14}}&lt;/ref&gt; - 自閉症の女役(1971年、[[日本アート・シアター・ギルド]])<br /> *[[探偵はBARにいる]] - マキ役(2011年、[[東映]])主題歌「時計をとめて」も担当。<br /> <br /> === テレビドラマ ===<br /> *[[平四郎危機一発#新平四郎危機一発|新平四郎危機一発]] 第6話「まぼろしの女」(1969年、[[TBSテレビ|TBS]])<br /> &lt;!-- ==テレビ番組==<br /> 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --&gt;<br /> <br /> === NHK紅白歌合戦出場歴 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> ! 年度/放送回!! 回!! 曲目!! 出演順!! 対戦相手<br /> |-<br /> |[[1969年]](昭和44年)/[[第20回NHK紅白歌合戦|第20回]]||初||時には母のない子のように||04/23||[[アイ・ジョージ]]<br /> |}<br /> ;注意点<br /> <br /> * 出演順は「出演順/出場者数」で表す。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.carmenmaki.com/ カルメン・マキ-Carmen Maki] - 公式サイト<br /> * {{twitter|carmen__maki}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:かるめん まき}}<br /> [[Category:日本のフォークシンガー]]<br /> [[Category:神奈川県出身の人物]]<br /> [[Category:1951年生]]<br /> [[Category:存命人物]]<br /> [[Category:アメリカ系日本人]]<br /> [[Category:ユダヤ系日本人]]<br /> [[Category:ユダヤ人の後裔]]<br /> [[Category:日本に帰化した人物]]<br /> [[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]<br /> [[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]<br /> [[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]<br /> [[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]<br /> [[Category:NBCユニバーサル・ジャパンのアーティスト]]<br /> [[Category:本名非公開の人物]]</div> 240F:6C:4E85:1:3899:851E:454C:B655
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