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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2400%3A7800%3A4975%3A9200%3A4193%3AC535%3A1A68%3A8AD7
miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
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利用者の投稿記録
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記者クラブ
2018-07-09T15:02:26Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 自主規制 */</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2007年9月10日08:55(UTC)}}<br />
<br />
'''記者クラブ'''(きしゃクラブ)は、[[公的機関]]や[[業界団体]]などの各組織の継続取材を目的とするために大手[[報道機関|メディア]]が中心となって構成されている任意組織。[[英語]]では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される。大手メディア以外の記者・[[ジャーナリスト]]も加盟できる「[[プレスクラブ]]」(日本では、社団法人である[[日本記者クラブ]]や、[[日本外国特派員協会]]などが該当)とは全く性格を異にし、日本独特のシステムと言われ、[[フリーランス]]などに対し排他的であるとして近年、批判を受けている<ref>[http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=4213 原因は特定秘密保護法と記者クラブ制度――日本の言論自由度は世界59位][[週刊金曜日]]ニュース、2014年3月14日観覧</ref>。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のホワイトハウスや連邦政府の官庁、国連本部などに似た組織が存在している。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[日本新聞協会]]は、記者クラブの目的を「国民の『[[知る権利]]』と密接にかかわる」ものと定義している。しかし加盟社以外の記者会見参加を認めないケースがみられるほか、記者クラブをもつ組織が記者クラブ加盟社、所属記者以外の取材に消極姿勢を取るなど、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別されており、[[経済協力開発機構]]や[[欧州議会]]などから記者クラブの改善勧告を受けている。<br />
<br />
公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。また、[[官房機密費]]を使っての供与疑惑も持ち上がっている。<br />
<br />
取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。<br />
<br />
批判や問題が多いと判断した一部の政治家が[[1990年代]]から制度に切り込み、今日では[[首相官邸]]・中央省庁も記者会見をクラブ以外にも開放する試みが始まっている。しかし「それは見せかけだけで実際会見場に入って挙手してもまったく当ててもらえず質問すらさせてもらえないのが現状」との批判もある。<br />
<br />
== 組織 ==<br />
記者クラブは法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり<ref name="singenba11">『新現場から見た新聞学』第1部 第1節</ref>、[[中央省庁]]・[[国会]]・[[政党]]を初め、[[企業]]・業界団体、[[地方自治体]]の[[役場]]などに置かれている(詳細は[[記者クラブ一覧]]を参照)。ほとんどの記者クラブは庁舎内に専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。[[光熱費]]などの運営費も負担しないケースも多い<!-- ここからコメントアウトされていたけれども、そうすると ref name="riyu" のところがエラーになってしまうので一旦コメントアウトを戻します。 -->。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れている<ref name="riyu">岩瀬『新聞が面白くない理由』</ref>という<!--ここまでコメントアウトされていた。 -->(詳細は[[記者室]]を参照)。<br />
<br />
記者はほとんどがクラブに常駐する。加盟報道機関が複数当番制で「幹事」社となってクラブの運営にあたる事が多い。情報は情報源の広報担当から幹事社に伝えられ調整され、幹事が件名や発表日時などその報道に関する約束事を記者室の「ボード」([[黒板]])に書く。黒板に書かれた約束事は「黒板協定」「クラブ協定」「しばり(縛り)」などと呼ばれ、加盟社が順守するべき約束事とみなされる([[報道協定]]参照)<ref name="manabuhito">『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』</ref><ref>天野勝文、橋場義之『新版 現場から見た新聞学』 2002年 p.96 </ref>。欧米の記者発表で「エンバーゴ」と呼ばれる解禁日時付きの事前報道資料提供と同様である。<br />
<br />
記者会見は、ほとんどがクラブ主催となっており参加者も加盟社に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問は出来ないことが批判を受けていたが、最近は開放の動きが進んでいる。中央官庁の大臣会見は省庁が主催するケースも多いが、記者クラブ主催の方が、記者クラブ外からの参加に柔軟な場合もある<ref>{{cite news<br />
|url = http://spork.jp/?p=746<br />
|title = 大臣記者会見、だれが主催?省庁と記者クラブ、7閣僚で見解不一致 J-School院生の調査で判明 <br />
|newspaper = 早稲田大学ジャーナリズムスクールウェブマガジンSpork!<br />
|publisher = 早稲田大学ジャーナリズム大学院<br />
|date = 2010-02-16<br />
|accessdate = 2012-10-28<br />
}}</ref>(詳細は[[記者会見]]を参照)。[[外務省]]などは広報対象が広範(海外メディアも含む)なため、もともと省が主催している。<br />
<br />
省庁などの側は[[記者懇談会]]や[[ぶら下がり取材]]、国会記者証(入館許可証)の交付などの対象を、記者クラブのメンバーに限って認めることが多い。<br />
<br />
=== 機能 ===<br />
日本新聞協会は記者クラブの機能を「公的情報の迅速・的確な[[報道]]」、「[[公権力]]の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と定義している<ref name="Kenkai">{{Cite web<br />
|url= http://www.pressnet.or.jp/statement/report/020117_68.html<br />
|title=記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解<br />
|publisher=日本新聞協会<br />
|accessdate=2010-4-24<br />
}}</ref>。<!--{{要出典範囲|しかしこれには「公的機関の発表を補足・調整して報道する組織」として批判する声もある。|date=2010年5月}}--><br />
<br />
=== 構成員 ===<br />
記者クラブの構成員は主として大手メディアの記者である。日本新聞協会は「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成」されていると説明する<ref name="Kenkai"/>。しかし地方の[[月刊誌]]や[[コミュニティFM]]、[[ケーブルテレビ|ケーブルテレビ局]]などの加入は、地元の市政記者会(市役所記者クラブ)などで認められているだけである。また外国報道機関が加盟するクラブは少数にとどまる(新聞協会は「増えつつある」としている<ref name="Kenkai"/>)。<br />
<br />
加盟社の記者は[[新聞社]]や[[テレビ局]]であっても、[[ストレートニュース]](主観や分析を交えず事実のみを記す記事)を中心とする通信社的仕事を行う<ref name="jhoukai11">『ジャーナリズム崩壊』第1章 第1節</ref>。そのため、担当する対象に常駐して取材を行っており、日本新聞協会も構成員の「継続的に取材」にこだわっている<ref name="Kenkai"/>。これは「ストレートは通信社、批評・解説はジャーナリスト」という世界の潮流とは、ずれており<ref name="jhoukai11"/>、効率性の面からも賢くないほか、記者の分析眼が養いにくくなるなどの弊害もある。<br />
<br />
=== 閉鎖性 ===<br />
記者クラブは前述の通り、大手メディアが組織している。従って会員制と言えるが、大手以外のジャーナリストなどの入会は難しい。日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」<ref name="Kenkai"/>と説明している。<br />
<br />
実際に入会審査するのは各記者クラブだが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対すれば入会は認められず、新規参入が事実上阻害されている。外国メディアへの対応もこれと同じで、入会を巡って激しい交渉が行われた(詳細は[[外国人記者]]を参照)。クラブのその排他性から「情報カルテル」「談合」「護送船団方式」と表現されることもある<ref name="jhoukai44">『ジャーナリズム崩壊』第4章 第4節</ref>。取材源側が親睦団体の建前を利用し、「[[官報接待]]」などを行うことも多々ある<ref name="riyu"/>。<br />
<br />
入会を希望するジャーナリストの中には、クラブの一員になりたいのではなく、記者会見で取材がしたいだけという者もおり<ref>{{cite web<br />
| author = 土肥義則<br />
| url = http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0911/27/news011_2.html<br />
| title = 記者クラブを批判したら……最大の抵抗勢力が出てきた(4)<br />
| date = 2009-11-27<br />
| publisher = Business Media 誠<br />
| accessdate = 2010年4月26日<br />
}}</ref>、記者クラブに代わる認定制度・会見制度を求める意見がある。<br />
<br />
これまで[[OECD]]や[[EU]]議会などから記者クラブの改善勧告を受けているが、一貫して大手メディアは記者クラブに関する事柄を報道しないため、日本国民が記者クラブの持つ閉鎖性を知る機会が限られてしまっている<ref name="houkai"/>。<br />
<br />
また、張り込み中は部外者からの質問に答えないなどの問題も多い。<br />
<br />
=== 海外の「プレスクラブ」 ===<br />
プレスクラブとは記者同士の親睦を深めるための私的な団体である。よく知られたものにアメリカの[[:en:National Press Club (USA)|ナショナル・プレスクラブ]]や日本の[[日本記者クラブ]]、[[日本外国特派員協会]]などがあり<ref name="sinbungaku">『新聞学』 pp. 108-118</ref>、そのほかの多くの国にも存在する。プレスクラブは自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交友を深める<ref name="tasukeai">『ジャーナリズム崩壊』第2章 第1節</ref>のが目的である。<br />
<br />
== 取材活動 ==<br />
記者クラブに詰めている記者が普段、出勤するのは取材機関の記者室である<ref name="singenba11"/>。日中は'''常駐'''し、[[プレスリリース]]を待ったり[[記者会見]]や[[記者懇談会]]で話を聞き、必要があれば現場に取材に行く。夜になると「夜討・朝駆」(ようち・あさがけ)と呼ばれる、関係者への取材(対象者の自宅や訪問先が多い)を行う。<br />
<br />
[[政治]]報道の場合、[[番記者]]が取材対象に一日中張り付く。移動中に取り囲んで、「[[ぶら下がり]]」という非公式な会見を行うという手法も取られる。<br />
<br />
事件などのその性質によっては記者クラブの内部でも[[報道協定]]で取材を制限することもある<ref>『ジャーナリズム崩壊』第1章 第5節</ref>。<br />
<br />
特に制度として確立しているのは身代金目的誘拐事件が発生した場合の誘拐報道協定である。犯人が「警察に通報すれば人質を殺害する」などと脅迫し、事件が報道されれば警察が捜査していることが犯人に露見し人質に危険が及ぶことから、報道を各社間の協定で控える<ref>平成12年警察白書 第1節 犯罪情勢の推移と刑事警察の50年</ref>。また大きな事件、事故の関係者のところに多数の記者が集まる「集団的過熱取材」(メディアスクラム)が起きた場合に、地元の記者クラブなどが中心となって取材の自粛や制限を申し合わせることもある<ref>「集団的過熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」 2001年12月6日第609回編集委員会</ref>。<br />
<br />
上杉隆は著書で、それが顕著に表れているのが「メモ合わせ」であり、クラブに加盟している記者は別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合っていると主張している<ref>『ジャーナリズム崩壊』 37-38頁。</ref>。ただし同書は、「メモ合わせ」は政治家の声がよく聞き取れなかったときにその場にいた記者同士で語句を確認するためだともしている。2012年7月には読売新聞記者が取材メモを同じ記者クラブ所属の他社記者に誤ってメールで送信し、メモ内容を社外に流出させたために諭旨解雇処分となっており、取材メモは記者クラブ記者にとっても普通は厳秘である。この件では担当記者の他、編集局長が更迭、社会部長が降格などの処分を受ける事態になった<ref>{{cite news<br />
|url = http://www.asahi.com/national/update/0814/SEB201208140004.html<br />
|title = 読売記者、取材メモを誤送信 諭旨退職処分に<br />
|newspaper = 朝日新聞デジタル<br />
|publisher = 朝日新聞社<br />
|date = 2012-08-14<br />
|accessdate = 2012-10-28<br />
}}</ref>。<br />
<br />
横並び意識は報道機関にとっても都合がよい。特に新聞は戸別配達制度で部数が安定しており、取材コストを掛けて良い記事を書いても部数が伸びる見込みはない。よって取材は程々で良く<ref name="singenba02"/>、[[特オチ]]を避けて無難に過ごせば、エリートサラリーマンとして一生安泰である<ref name="singenba02">『新現場から見た新聞学』序章 第2節</ref>。<br />
<br />
公的機関では、記者クラブ以外に広報など便宜を積極的に図らないケースが多く、加盟社でないと十分に取材が行えない場合がある<ref name="tasukeai"/>。日本新聞協会は「記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史がある」<ref name="Kenkai"/>とするが、十分な根拠を基にした対応ではないと言える。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
=== 取材互助組織として発足 ===<br />
日本の記者クラブの歴史は明治時代にはじまった。[[1890年]](明治23年)、第1回[[帝国議会]]が開催されたが、議会側が示した新聞記者取材禁止の方針に対して、『[[時事新報]]』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成し、取材用傍聴席の確保や議事筆記の作成で協力を図った<ref>今西光男『新聞 資本と経営の昭和史』(朝日選書824)p.287</ref>。10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改めた。しかし、実態は数人の記者のたまり場にすぎず、中級官僚に面会できる程度であった<ref name="sinbungaku"/>。[[大正時代]]に入ると本格的な記者クラブがつくられた。昭和初期までに、取材の自由を勝ち取っていった<ref name="kiro">『岐路に立つ日本のジャーナリズム』P130-144</ref>。この時期の記者クラブのほとんどは記者が個人個人で直接加入するものだった<ref name="Imanishi">今西光男『新聞 資本と経営の昭和史』(朝日選書824)287-291 朝日新聞社 2007年</ref>。<br />
<br />
=== 翼賛クラブ化 ===<br />
しかし[[太平洋戦争]]が始まると記者クラブは変質することになる。まず、日米開戦前の [[1941年]][[5月]]、[[新聞統制]]機関「[[日本新聞連盟]]」が発足。11月28日、「新聞の戦時体制化」が決定され、日米開戦後に新聞連盟の設けた「記者会規約」により加盟は記者個人から会社単位となり、役所の発表を取材して右から左へ発表報道をおこなう翼賛クラブが1官公庁1クラブだけ認められた。取材組織として公認され、国家体制に組み込まれた記者クラブ制度が始まった<ref name="sinbungaku"/>。記者クラブはだんだんと政府発表を政府の意向通りに報じる「御用クラブ」と化していき、東條内閣が倒れ、朝日新聞出身の[[緒方竹虎]]が国務大臣兼情報局総裁として小磯内閣に入閣し、新聞への検閲を緩めようとしたころには、検閲と自己規制で委縮した新聞には統制緩和を生かす力はもはや残っていなかった<ref name="Imanishi"/>。<br />
<br />
=== GHQの圧力 ===<br />
戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は記者クラブの解体を執拗にせまった。報道の自由や取材の自由を踏みにじる組織であるとして取材組織から世界一般の親睦団体への転換をせまった。これを受けて、[[1949年]][[10月26日]]、 [[日本新聞協会]]は『記者クラブに関する方針』を作成した。記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定した。[[アメリカ対日協議会|ジャパン・ロビー]]の圧力を受けてGHQは態度を軟化させ、公共機関に対しては記者室などの便宜供与をおこなうべきとする方針を取り、記者クラブは超法規的な措置として受け入れられた<ref name="kiro"/>。1958年(昭和33年)には、記者室の使用を許可する[[大蔵省]]管財局長の通達が出た。<br />
<br />
=== 建前と実態の乖離 ===<br />
記者クラブは親睦団体の建前のもと、戦争中と同じように取材組織としての活動を続けていたが、[[報道協定]]を巡って建前と実態の乖離が表面化した。役所は報道協定などによって報道制限や取材制限をもとめた。対して親睦団体は報道の自由や取材の自由を旨とした。1960年代までは報道協定が発覚すると除名処分をおこなっていたが、こういった対立の末1970年以降、記者クラブの指揮権を公然と認めるようになった<ref name="sinbungaku"/>。このころからテレビやラジオも記者クラブ制度に加わっていった。<!--{{要出典範囲|効率よく発表報道をこなす集団体制が固まっていった。|date=2010年5月}}--><br />
[[1978年]]、日本新聞協会は記者クラブの目的について「親睦」に加えて「相互の啓発」を挙げた(78年見解)<ref>『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.96</ref><ref>[http://www.pressnet.or.jp/statement/report/020117_68.html 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解 - 1.目的と役割]</ref>。<br />
<br />
=== 外国人記者からの批判 ===<br />
{{main|外国人記者#外国人記者の排除と外圧}}<br />
しかし、平成時代に入ると記者クラブ体制は見直しをせまられた。1990年代、[[バブル景気]]により日本経済の国際的影響力が増大し、[[外国人記者]]の活動が活発化してくると日本国内でも記者クラブに対する疑問の声が強まった<ref name="sinbungaku"/><ref name="shinbunryoku">[[青木彰]]『新聞力』東京新聞出版局 2003年 pp.78-80</ref>。<br />
1992年、外務省の「霞クラブ」が外国人記者を正式会員として受け入れ<ref>『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.111</ref>、1993年に日本新聞協会は、外国報道機関の記者について「原則として正会員の資格でクラブへの加入を認めるべきである」との見解を発表した<ref>[http://www.pressnet.or.jp/statement/report/930610_107.html 外国報道機関記者の記者クラブ加入に関する日本新聞協会編集委員会の見解]</ref>。<br />
<!--{{要出典範囲|1993年、在日アメリカ大使館の外圧によって、外国人記者の[[兜倶楽部]]への加盟が実現した|date=2010年5月}}([[外国人記者#外国人記者の排除と外圧]])。{{要出典範囲|1995年、全国市民オンブズマン連絡会議の調査によって[[官報接待]]の実態が暴露された。|date=2010年5月}}--><br />
1995年には[[江藤隆美]]総務庁長官のオフレコ発言のリークが問題となり、翌1996年、新聞協会はオフレコ取材は重要な手段だが乱用すべきではなく「安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」との見解を発表した<ref>[http://www.pressnet.or.jp/statement/report/960214_109.html オフレコ問題に関する日本新聞協会編集委員会の見解]</ref>。<br />
<br />
=== 特権廃止と開放の動き ===<br />
1996年、鎌倉市は記者クラブに属さない報道機関にも記者室と記者会見を開放した(ただし企業の広報誌、宗教団体の機関誌、政党機関誌は対象外) <ref>『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.99</ref><ref>[http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kouhou/mediacenter.html 鎌倉市・広報メディアセンター]</ref>。<br />
<br />
こういった流れのなかで、記者クラブの既得権益は、親睦団体という建前では維持しにくくなった。[[1997年]]、日本新聞協会は記者クラブを「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材のための拠点』」と改めた(97年見解)<ref>『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.102</ref><ref>[http://www.pressnet.or.jp/statement/report/020117_68.html 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解 - 1.目的と役割]</ref>。<br />
<br />
2001年、長野県が[[田中康夫]]知事(当時)のもと、[[脱・記者クラブ宣言]]を行い特権廃止の動きは県レベルまで拡大した。<br />
<br />
2002年、新聞協会は、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」であるとの見解を出した<ref>[http://www.pressnet.or.jp/statement/report/020117_68.html 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(第656回編集委員会)]</ref>。{{要出典範囲|2004年にはEUからの外圧によって、外国人記者の「記者証」制度が実質的に認められた。|date=2010年5月}}しかし末端組織である、各記者クラブは抵抗を続けていた。記者クラブの閉鎖性・排他性・便宜供与は揺るがなかった。2009年、政権交代が起きて以降、[[記者会見オープン化]]が徐々に行われた。<br />
<br />
[[2005年]][[3月24日]] - [[ライブドア]]が[[インターネット]][[メディア]]として初めて[[気象庁]]記者クラブに加盟を申請。しかし、[[2006年]][[3月15日]]、前社長・[[堀江貴文]]が[[証券取引法]]違反で起訴されたことを理由に申請を出席者の全会一致で却下<ref>{{cite news|author=徳永裕介|authorlink=徳永裕介|url=http://news.livedoor.com/article/detail/1777753/|title=LDニュースのクラブ加盟却下|newspaper=ライブドア・ニュース|publisher=[[ライブドア]]|date=2006-03-15|accessdate=2008-11-21}}</ref>。<br />
<br />
[[2005年]][[7月9日]] - フリージャーナリスト(ルポライター)[[寺澤有]]と[[船川輝樹]][[週刊現代]]副編集長が、[[警察庁]]とその記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならないとの[[仮処分申請]]を[[東京地方裁判所]]、[[東京高等裁判所]]に申し立てるが棄却。[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[特別抗告]]している。<br />
<br />
2010年3月4日 - [[日本新聞労働組合連合]](新聞労連)が記者クラブの全面開放をもとめる声明を発表<ref>{{cite press release|title=記者会見の全面開放宣言〜記者クラブ改革へ踏み出そう〜|publisher=日本新聞労働組合連合|date=2010-03-04|url=http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/100304.htm|accessdate=2010-03-04<br />
}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.j-cast.com/2010/03/04061623.html|title=「記者会見は全面開放すべき」 新聞労連が大手マスコミに提言|newspaper=J-CASTニュース|publisher=[[ジェイ・キャスト]]|date=2010-03-04|accessdate=2010-03-04}}</ref>。<br />
<br />
=== 性格規定の変遷 ===<br />
* 大正から昭和10年代、「取材の自由を獲得する戦いの前線基地」<ref name="kiro"/><br />
* 1949年9月、GHQの警告<br />
* 1949年10月28日、親睦機関 - 「記者クラブに関する編集委員会の方針」(49年方針)<br />
* 1978年、親睦機関かつ若干の調整的役割 - 「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(78年見解)<br />
<br />
== 記者クラブの利点と弊害 ==<br />
ここでは日本における記者クラブに対して挙げられている利点と弊害を記述し、あるものについては事例を示す。<br />
<br />
=== 利点 ===<br />
記者クラブの弊害が指摘されて久しいが、それでも記者クラブが廃止されないのは、記者クラブにはメディア側およびニュースソース側にとって一定の利点があるからである。以下にあげる「利点」はそれぞれの立場にとっての利点であり、それがすなわち情報の受け手である国民にとっての利点となりうるかについては、別途考慮を要する。<br />
<br />
==== 加盟ニュース・メディアにとって ====<br />
* 情報発表に消極的な公的機関に記者クラブが記者会見を求めて実現させてきたという歴史がある<ref name="kiro"/>。<br />
* 「言論・報道の自由」と、国民の[[知る権利]]のために培われてきたシステムである<ref>97年見解</ref><br />
* 公権力や政治家の取材拒否や差別に、個人ではなく団体として当たれる<ref name="sinbungaku"/>。<br />
* 情報公開の推進拠点<ref name="shinbunryoku"/><br />
* 公的機関がもつ第一次情報に密着取材して報道できる<ref>[[花岡信昭]]「記者クラブ制度批判は完全な誤りだ」日経BPネット2009年09月24日</ref><br />
* 組織として取材機能を備え、情報源からのレクチャーや資料配布の窓口となり、ニュース・メディアにとって効率的な情報システムである。公的情報を迅速に報道できる<ref name="manabuhito"/>。<br />
* 記者クラブ主催の記者会見は、クラブのペースで取材できる<ref name="sinbungaku"/>。<br />
* 無駄な競争が省ける。取材活動がスムーズにできる<ref name="sinbungaku"/>。<br />
* 研究会、見学会、勉強会など、単独ではむずかしい活動が可能になる<ref name="sinbungaku"/>。<br />
<br />
==== ニュース・ソースにとって ====<br />
* 国民への積極的な情報開示と説明責任を果たす上で役立つ<ref>97年見解</ref><br />
* 効率的な広報推進システムである。広報すべき情報を迅速に発表できる<ref name="manabuhito"/>。<br />
* 効率的な発表ができ、手間が省ける。記者会見もスムーズに運営できる<ref name="sinbungaku"/>。<br />
* 公的組織と国民をつなぐ「コミュニケーションの回路」「情報ネットワーク」「国家の情報をプールするダム」としての役割を担っており、膨大な情報を蓄積、整理、報道する。記者クラブを廃止すれば、日本の情報システムが麻痺するだろう<ref>『日本型メディアシステムの興亡』</ref>。<br />
* 記者クラブが廃止されれば、記者会見が開放されなかった場合、情報を出し渋る権力側を牽制する存在が失われ、国民の[[知る権利]]が損なわれる恐れがある(例えば、記者クラブがない労働基準監督署では、情報発信が殆どない<ref>[http://apc.cup.com/apc200911_08_10.pdf なぜ記者クラブが問題なのか]</ref>)。<br />
<br />
=== 弊害 ===<br />
<!--閉鎖性--><br />
* 情報[[カルテル]]して、加盟報道機関が非加盟の組織やジャーナリストを排除する<ref name="kobayashi200305">{{Cite book|和書<br />
|author=小林雅一<br />
|authorlink=小林雅一<br />
|title=隠すマスコミ、騙されるマスコミ<br />
|origdate=2003-05<br />
|publisher=[[文藝春秋]]<br />
|series=文春新書<br />
|isbn=9784166603183<br />
}}</ref>。<br />
* 閉鎖性と排他性。加盟報道機関にとっての利点は、そのまま、加盟したくてもできないメディアやジャーナリストにとっては不当な差別と受け止められる<ref name="manabuhito"/>。排他性はニュース・ソースの独占取材を助長する可能性がある<ref name="sinbungaku"/>。<br />
* 常駐、常時取材が前提となっており、これが可能な報道機関は限られる<ref name="kiro"/>。<br />
* 首相や外相の外遊の際でも、記者クラブ主催の記者会見が開かれ、現地や海外のメディア、ジャーナリストは参加が制限される。結果、外遊での情報発信は、国内向けに制限される<ref name="houkai"/>。<br />
<!--知る権利の規制・発表ジャーナリズム--><br />
* 報道協定が国民の「知る権利」を結果的に規制する可能性がある<ref name="manabuhito"/>。<br />
* 記者クラブに頼るうちに、独自取材する力が低下する可能性がある<ref name="manabuhito"/>。<br />
* 独自の取材活動が阻害される可能性がある<ref name="sinbungaku"/>。<br />
<!--癒着--><br />
* 取材対象と癒着、一体化して、場合によっては「番記者」「ご注進」などの現象も起きている<ref name="kobayashi200305"/>。<br />
* [[情報源]]に近すぎるために、公的機関の動向監視というニュース・メディアの機能が失われる可能性がある<ref name="manabuhito"/>。<br />
*クラブの配置が固定化してしまい、時代のニーズにあわせた報道がしにくくなる。たとえば、労働事件が増えているのに労働基準監督署に記者クラブを置く動きが見られない<ref>{{Cite web|author=高田昌幸|authorlink=高田昌幸|date=2010-08-15|url=http://www.the-journal.jp/contents/takada/2010/08/post_5.html|title=タコつぼ化したジャーナリズム ── 特定記者クラブへの過剰配置が取材態勢の硬直化を招く|work=高田昌幸の「新聞社のデスク席から」|publisher=THE JOURNAL |accessdate=2012-01-03}}</ref>。<br />
<br />
==== 発表報道と情報操作 ====<br />
* [[情報操作]]を目的とした金銭授受<br />
** [[1921年]]にガス会社がガスの値上げの承認のために、当時の[[東京市会]]の市議に[[贈賄]]工作を行ったが、その際、[[市役所]]や[[警視庁]]の記者クラブに詰めていた[[新聞記者]]にも贈賄工作が行われていたことが発覚し、世論から糾弾された([[東京ガス疑獄事件]])。<!--この事例は古いので「歴史」のセクションで記述すべきか--><br />
* [[発表報道]]の横行<br />
** メディアが政府の政策を代弁し、政府の広報となっている。<br />
** 警察及び[[検察]]が自らの[[捜査]]に有利な方向に情報操作を行い、メディアも[[調査報道]]に消極的なため、[[冤罪]]を生み易い(例:[[松本サリン事件]]、[[志布志事件]]、[[香川・坂出3人殺害事件]]、[[足利事件]])。<br />
** [[池田信夫]]によると、警察記者クラブに多数の記者を常駐させることが日本の報道を[[犯罪]]報道中心にしているのではないかという<ref>{{Cite web<br />
|author=池田信夫<br />
|date=2008-11-23<br />
|url=http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1db85ab549339d0f9665bf8723d264d3<br />
|title=警察ネタの過剰<br />
|work=池田信夫 blog<br />
|accessdate=2008-12-07<br />
}}</ref>。ちなみに池田は元NHK[[報道局]]職員で、番組制作にも携わった。<br />
** フリージャーナリストの[[魚住昭]]は「官庁の集めた二次、三次情報をいかに早く取るかが仕事の7、8割を占めてしまうと、実際に世の中で起きていることを察知する感覚が鈍る。[[役人]]の論理が知らず知らず自分の中に入り込み『統治される側からの発想』がしにくくなる。自分はそうではないと思っていたが、フリーとなって5年、徐々に実感するようになった<ref>『[[朝日新聞]]』[[2001年]][[5月26日]]</ref>」と述べている。<br />
** [[衆議院議員]]の[[河野太郎]]は(日本では)記者が[[政治家]]から食事をご馳走になるのは当たり前、政治家が外遊する際には同じホテルに泊まり「'''政治家と記者はよいお友達'''」になることがメディアでは「良い記者」とされている現状を指摘している<ref name="kobayashi200305"/>。<br />
** [[ニューヨーク・タイムズ]]東京支局長のファクラーは、「記者クラブは官僚機構と一体となり、その意向を無批判に伝え、国民をコントロールする役割を担ってきた。記者クラブと権力との馴れ合いが生まれており、その最大の被害者は日本の民主主義と日本国民である。」と述べている<ref name="houkai"/>。<br />
** 主要メディアが報じる捜査情報について、「検察が記者クラブを通じておこなう『[[情報漏洩|リーク]]』に依存している」と指摘されることがある<ref name="Aoki">[[青木理]]『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』(28-40頁)[[週刊金曜日|金曜日]]、2008年5月。ISBN 9784906605408</ref><ref name="sapio20091125">{{Cite journal|和書<br />
| date = 2009-11-25<br />
| title = 鳩山政権を挟撃する大メディアと官僚「霞ヶ関の笛」連合<br />
| journal = SAPIO<br />
| volume = 21<br />
| issue = 20<br />
| pages = p.81<br />
| publisher = 小学館<br />
}}</ref><ref name="suzuki">{{cite news |title=鈴木宗男氏「狙われたら誰でもやられる」 |newspaper=産経新聞 |date=2010-01-16 |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100116/stt1001161856026-n1.htm}}</ref>。また、検察側は自己に不都合と考えられる報道をおこなった加盟報道機関に対しては検察関連施設への「出入り禁止」措置を取ることがある<ref name="sapio20091125"/>。[[西松建設事件]]に際しては、一部の加盟報道機関が西松建設から献金を受け取った政治家の1人である[[二階俊博]]の件についての記事を掲載したことに対し、取材拒否および[[東京地方検察庁]]への3週間の出入り禁止措置を取った<ref name="newyorktimes20090529">{{cite news<br />
| author = [[マーティン・ファックラー]]<br />
| url = http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html<br />
| title = In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening<br />
| newspaper = [[ニューヨーク・タイムズ]]<br />
| date = 2009-05-29<br />
| accessdate = 2010-01-03<br />
| language = 英語<br />
}}</ref><ref name="sapio20091125"/>。この一件以後、加盟報道機関は検察および自民党に有利な報道をおこなうようになったといわれる<ref name="sapio20091125"/>。また、検察は記者クラブに加盟していない報道機関による取材を拒否している<ref name="newyorktimes20090529"/>。<br />
<br />
==== 自主規制 ====<br />
* 記者自身による[[自主規制]]<br />
** [[1974年]]に「[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]」が報じた「[[田中金脈問題]]」の場合、当時、この疑惑は以前から記者クラブ内では知られていた話にもかかわらず、ほとんどのマスコミが文藝春秋が記事化するまでこれを黙殺していた。<br />
** [[1999年]]、[[東京高等検察庁]]検事長である[[則定衛]]の女性問題を調査していた[[最高検察庁]]次長検事が、[[法務省]]内で複数の記者に対し「確かに[[浮気]]はあったかもしれないが、みんなそういうことを活力にしているんだ。この建物(法務省)の中の半分以上の検事はそう思っている」と発言。しかしこの発言はすぐには報道されず、2日後の紙面で『[[朝日新聞]]』と『[[西日本新聞]]』が記事にした。これを受けて他の新聞やテレビが報道した。朝日新聞、西日本新聞とも司法記者クラブに加盟している<ref>[http://www.kisha-club.jp/05/0501/ 官公庁(東京地域)] 記者クラブ一覧情報館</ref>。<br />
** 記者クラブに加盟している記者は、別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合う「メモ合わせ」を行っているといわれる<ref>『ジャーナリズム崩壊』 37-38頁。</ref>。<br />
**[[2011年]]、[[2012年]]に首都圏で多発した[[原子力発電所反対デモ]]のうち、いくつかは[[国会議事堂]]前、[[総理大臣官邸]]前で行われ、参加者が数万人に達したこともあったが、議事堂や官邸に常駐していた記者クラブの記者たちは横並びに黙殺して報道しなかった。また、フリージャーナリストが取材のために記者クラブが利用している[[国会記者会館]]の利用を申請したところ、既得権を理由に拒否され、フリージャーナリストという「身分」を蔑視さえされた<ref>[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121015-00000006-pseven-soci 脱原発官邸前デモの絶好の取材場所巡り記者クラブ提訴される]</ref>。<br />
**上記の上杉隆は、「記者クラブの記者たちは2011年の[[福島第一原子力発電所事故]]に際し、公式発表を書き写すだけでろくに質問もしないだけではなく、(当局に都合が悪い)質問をしようとしたフリージャーナリストたちを[[やじ|野次]]って黙らせようとさえした」逸話を紹介している<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20110722_26377.html 読売、日経記者が飛ばす野次の背景に「選民思想」と上杉隆氏]</ref>。さらに「既存のテレビ・新聞は、全く質問もしません。[[東京電力]]という、[[電気事業連合会|電事連]]のいわゆるスポンサーに気を遣って何一つ質問しないで、結果として半ば[[大本営発表]]のように、情報を出てくるのを止める、防衛するような状況です」「なんと2週間、私が質問するまで「プルトニウム」と言う単語を記者会見で訊いた記者は一人もいませんでした」と指摘した<ref>[http://uesugitakashi.com/?p=717 鳩山由紀夫前主催勉強会 2011年4月6日] 上杉隆公式ウェブサイト</ref>。 しかし朝日新聞記者の奥山俊宏は、プルトニウムについて上杉が質問するより先に、朝日新聞経済部の記者が3月22日深夜の記者会見で「プルトニウムの測定はする必要はないんですか?」「定量的にデータを測定して説明するべきではないんですか?」と執拗に質問したと指摘している。<ref> 奥山俊宏 「[福島原発事故]マスコミ批判・記者批判を検証する」『Journalism』266号、朝日新聞社、2012年7月、88頁 </ref> 東電の会見では大手メディアも含め、記者の厳しい質問ややりとりが続いていたことを、会見に自ら連日出ていた奥山が書籍にまとめ出版している(しかし、野次って黙らせようとしたことに関する記述はない)。<ref> 奥山俊宏 『ルポ東京電力 原発危機1カ月』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2011年6月30日 </ref><br />
<br />
==== 情報源への肩入れ ====<br />
* 積極的加担<br />
* [[2000年]][[6月25日]]、[[総理大臣官邸|首相官邸]]敷地内にある記者クラブ「[[内閣記者会]]」で『明日の記者会見についての私見』と題するメモが落ちているのが見つかった。このメモは[[2000年]][[5月26日]]に行われた当時の[[内閣総理大臣|首相]]・[[森喜朗]]の[[神の国発言]]の釈明会見で、記者側の追及をかわす方策を記した首相宛ての「指南書」とみられた。またこの問題をめぐっては主要週刊誌がその指南書を書いたメディア([[日本放送協会|NHK]])を実名で取り上げたにも関わらず内閣記者会側はこの問題の真相究明には消極的だった。この指南書はNHKが記事出稿に使用する「[[5300 (システム)|5300]]」と呼ばれる端末内にある「連絡メール」の印刷様式と同じであった。また、NHKでしか使わない「民放」という表記があった。<br />
* [[2005年]][[11月8日]]、[[放火]]事件で[[逮捕]]された[[NHK大津放送局]]の記者が所属していた滋賀県警記者クラブを滋賀県警が家宅捜索した。しかし、情報源の秘匿が脅かされるとして危惧する意見も出た<ref>{{Cite journal|和書<br />
|author=粟野仁雄<br />
|authorlink=粟野仁雄<br />
|date=2005-11<br />
|title=滋賀県警の「ガサ」入れ ついに記者クラブまで<br />
|journal=[[週刊金曜日]]<br />
|issue=582<br />
|publisher=金曜日<br />
|url=http://www2.kinyobi.co.jp/pages/vol582/mokuji/view<br />
|accessdate=2008-11-21<br />
}}</ref>。<br />
<br />
== 憲法との関連 ==<br />
記者クラブ制度は憲法で保障されているとされる「国民の知る権利」を確保するために必要だとする意見がある。一方、政府や公共機関が記者クラブという'''特定の組織のみに情報を提供する'''事こそが「国民の知る権利」を侵害するもの(憲法に違反した行為)だとする意見がある。<br />
<br />
国民の「[[知る権利]]」は憲法が保障しているとする憲法解釈にはほぼ異論はない。そのためこの問題は単に記者クラブ制度の良し悪しにとどまらない憲法に関わる問題でもある。記者クラブに加盟していないために取材が出来ない個人や組織が、権利侵害だとして国や公共機関を憲法違反で訴える可能性もある。<br />
<br />
== 記者クラブ制度見直しの動き ==<br />
多くの批判を受け[[1990年代]]から記者クラブの見直しが始まった。<br />
<br />
=== 首相官邸 ===<br />
{{See also|記者会見オープン化}}<br />
[[2010年]]3月26日、内閣総理大臣の[[鳩山由紀夫]]は、記者クラブに属さない記者を記者会見に参加させた<ref>{{cite press release|title=鳩山内閣総理大臣記者会見|publisher=首相官邸|date=2010-03-26|url=http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201003/26kaiken.html|accessdate=2010-04-01}}</ref>。<br />
<br />
=== 政党 ===<br />
<br />
==== 新生党 ====<br />
[[1994年]]、[[新生党]]代表幹事の[[小沢一郎]]が記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが、小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追い込まれた。<br />
<br />
==== 民主党 ====<br />
[[2002年]]、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]幹事長の[[岡田克也]]が[[スポーツ紙]]や[[週刊誌]]や日本国外報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した<ref name="sakoku">{{cite news|url=http://www.j-cast.com/2008/12/30032953.html|title=記者クラブという「鎖国」制度 世界の笑いものだ|newspaper=J-CASTニュース|publisher=[[ジェイ・キャスト]]|date=2008-12-30|accessdate=2010-05-03}}</ref>。それまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することができなかった。<br />
<br />
==== 自由民主党 ====<br />
[[2009年]][[10月14日]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[自由民主党総裁|総裁]]・[[谷垣禎一]]は定例記者会見を、自民党の記者クラブである平河クラブ以外の日本国内外のあらゆるメディアやフリーランスの記者・カメラマンにも開放した。ただし、最初の質問権は平河クラブのみで、平河クラブの質問が一通りした後に、平河クラブ加盟社以外のフリーランスの記者も含めて質問出来る様になっている。会見所開放当初は熟慮したものではなかった<ref>{{cite news<br />
|url = http://www.j-cast.com/2009/10/14051656.html<br />
|title = 自民総裁会見もオープン化 谷垣氏「熟慮したわけではない」<br />
|newspaper = J-CASTニュース<br />
|publisher = ジェイ・キャスト<br />
|date = 2009-10-14<br />
|accessdate = 2009-10-17<br />
}}</ref>。<br />
<br />
=== 中央官庁 ===<br />
{{See also|記者会見オープン化}}<br />
[[2004年]][[3月30日]]、[[外務省]]は中央官庁・都道府県庁・[[警察]]などに対し、日本国外メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。<br />
<br />
[[2009年]]9月16日、[[鳩山由紀夫内閣]]が成立した。外務省を皮切りに'''記者会見のオープン化'''が行われた。ネットメディアやフリーランス記者などが記者会見に出席し、質問できるようになった。<br />
<br />
[[2010年]](平成22年)4月現在、外務省や[[金融庁]]、法務省、総務省、内閣府の一部([[行政刷新会議]]など)、環境省、首相官邸など14府省で行われている。ただし、依然記者クラブが主催権を持ち、大臣がオープン化を記者クラブに申し出る、記者クラブ主催の記者会見とは別にオープンな記者会見を始めるなど、オープン化の方法や程度はさまざまで、大臣が主催権を持つ'''フルオープン化'''はまだ少ない。<br />
<br />
鳩山内閣の閣僚による閣議後記者会見のオープン化度合いを調べるため、大学のウェブマガジン(早稲田大学大学院ジャーナリズム研究科の「Spork!」)の記者(大学院生)が参加出来るかを調べた記事によると、閣僚18人のうち7人の記者会見について、だれが主催者なのか、省庁と記者クラブで見解が一致していなかった。学生記者の参加は、18閣僚のうち13人について「報道の対価として収入を得ている職業報道人にあたらない」などの理由で拒否された。認められた5閣僚については、いずれも記者クラブが主催を主張する記者会見だった<ref>{{cite news<br />
|url = http://spork.jp/?p=746<br />
|title = 大臣記者会見、だれが主催?省庁と記者クラブ、7閣僚で見解不一致 J-School院生の調査で判明 <br />
|newspaper = 早稲田大学ジャーナリズムスクールウェブマガジンSpork!<br />
|publisher = 早稲田大学ジャーナリズム大学院<br />
|date = 2010-02-16<br />
|accessdate = 2012-10-28<br />
}}</ref>。<br />
<br />
=== 地方公共団体 ===<br />
[[1996年]][[4月]]、[[神奈川県]][[鎌倉市]]は[[全国紙]]や[[地元紙]]の[[神奈川新聞]]など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の[[市長]]・[[竹内謙]](元[[朝日新聞]][[編集委員]]、元インターネット新聞[[JANJAN]]代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。<br />
<br />
[[2001年]][[5月15日]]、[[長野県知事]]の[[田中康夫]]は「[[脱・記者クラブ宣言]]」を発表し、記者クラブから[[記者室]]と[[記者会見]]の主催権を返上させた。<br />
<br />
[[2001年]][[6月8日]]、[[東京都]]は、[[都庁]]内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]は[[週刊誌]]や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。<br />
<br />
[[2006年]][[3月14日]]、[[北海道]]は厳しい[[財政]]状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し、光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。<br />
<br />
[[2007年]][[5月11日]]、[[東国原英夫]][[宮崎県知事]]は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、[[先進国]]では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。この直後、[[読売新聞]]など一部メディアでは否定的見解を表明した。<br />
<br />
=== 業界・経済団体 ===<br />
[[1993年]][[6月]]、[[東京証券取引所]]記者クラブである「[[兜倶楽部]]」はこれまで加盟資格は日本の報道機関に限られていた規約を改正して、新たに「[[日本新聞協会]]加盟社に準ずる報道業務を営む[[外国報道機関]]」と付記し、事実上、日本国外報道機関にも門戸を開放した。<br />
<br />
[[1999年]][[3月]]、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは電機、[[造船]]、[[半導体]]、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の[[経団連]]側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。<br />
<br />
この背景には、電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、[[ニュースリリース]]も[[メール]]を利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、[[自動車業界]]はクラブを存続させるため、[[日本自動車工業会]]の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。<br />
<br />
[[1999年]][[7月]]、[[日本電信電話]](NTT)の記者クラブ「葵クラブ」がNTTの再編に伴って廃止。葵クラブについてはかねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や日本国外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。<br />
<br />
== 記者証制度 ==<br />
日本以外の国でもジャーナリストを名乗れば誰もが自由に取材できる訳ではない。これは特に保安上の理由である。例えば、事前審査を行い、[[記者証]]を発行するなどの手続きが必要である。ただし、審査によって報道機関に所属していることが確認され、保安上の問題なしとされた場合は記者証が自動的に発行されるのが原則である。記者証を持っていれば、少なくとも公的機関の記者会見には出席できる。[[上杉隆]]は政府自らが記者の身分を確認しない現状の方が危険だと指摘している<ref name="uesugi">{{Cite web<br />
|author=井上理<br />
|authorlink=井上理<br />
|date=2009-09-17<br />
|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090916/204933/?P=3<br />
|title=鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず<br />
|work=日経ビジネスオンライン<br />
|pages=p. 3<br />
|publisher=[[日経BP社]]<br />
|accessdate=2009-09-17<br />
}}</ref>。<br />
<br />
日本以外の国では審査や登録の制度は窓口が1つで、いったん、[[記者]]と認められれば自由に取材することができる。日本のように、全国津々浦々に私的なクラブが乱立し、1つの記者クラブで記者と認められても、他の記者クラブでは認められないということはない。また、審査や登録には[[公的機関]]が関わっていることが多く、[[法律]]の枠内で運用されている。<br />
<br />
アメリカ合衆国では、最近では[[インターネット]]の[[ブログ]]でニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し、話題になった。ウェブ上でニュース報道を配信し[[ホワイトハウス]]から記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が違法[[ポルノサイト]]を運営、違法取引を行っていたことが発覚しセキュリティーチェックの不十分さが指摘された。<br />
<br />
フランスでは、[[ジャーナリスト]]であれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合はメディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。また、この「プレスカード」によって大統領府([[エリゼ宮]])や各省庁の[[記者会見]]に参加することができる。<br />
<br />
政府首脳の取材は保安上の理由で身元や身辺の調査などがある。ホワイトハウスでは「記者証」を発行してもらうためには厳重な[[セキュリティーチェック]]を受けなければならず<ref name="houkai">『ジャーナリズム崩壊』 182-183頁。</ref>、また発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。政府首脳とメディアの距離が非常に近いといわれていた[[北欧諸国]]でも、[[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降は制限されるようになった<ref>『ジャーナリズム崩壊』 176頁。</ref>。<br />
<br />
日本新聞協会は2004年から、外国人記者に限って「記者証」制度を認めつつある。しかし、末端の記者クラブがそれを認めるかどうか保証はない。<br />
<br />
== 日本以外の例 ==<br />
=== 記者団 ===<br />
上杉隆はその著書『記者クラブ崩壊』で、現在、記者クラブは日本と[[ガボン]]、[[ジンバブエ]]<ref>『記者クラブ崩壊』P148</ref>にしか存在しないとしているが、アメリカのホワイトハウスや連邦政府の官庁にも記者クラブのようなものがあるという担当記者の指摘がある<ref>{{Cite book |author=佐々木伸 |year=1992 |title=ホワイトハウスとメディア |page=147 |publisher=[[中央公論社]] |isbn=4-12-101071-X }}</ref>。ジンバブエでは政府の情報メディア委員会への登録が義務化されているという報道がある。<ref>{{cite web<br />
| author = 横山仁美<br />
| url = http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/TKY200809080072.html<br />
| title = 抑圧下の記者クラブ シリーズ・ジンバブエ(1)<br />
| date = 2008-9-8<br />
| publisher = asahi.com<br />
| accessdate = 2010年5月6日<br />
}}</ref>。<br />
<br />
=== 記者会見 ===<br />
<br />
{{要出典範囲|日本以外では、記者会見は必要がある時のみ開催され、出来るだけ多くのメディアが参加出来るようにしている。|date=2012年10月}}<br />
<br />
=== ブリーフィング ===<br />
日本には記者会見の他に[[記者懇談会]]やブリーフィング(背景事情説明)があり、記者クラブが独占している。アメリカ合衆国やイギリスでも同様のブリーフィングがあると言われている。<br />
<br />
イギリスの首相官邸(ホワイトホール)では、以前は議会[[記者証]]を持った記者しか参加できない[[オフレコ]]のブリーフィングが行われていた。[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]が[[第2次世界大戦]]中に始めたもので、非公式なリークによって報道を操る目的があったと言われる{{要出典|date=2010年4月}}。しかし[[トニー・ブレア]]政権以降は、フリー記者の参加が認められるようになり、オフレコも廃止された。<br />
<br />
アメリカ合衆国のホワイトハウスでは、重大な発表が行われる場合のみ発表後の混乱を避けるため、特定の大手メディア(特にテレビ)記者を秘密裏に招集して、事前説明(ブリーフ)を行うと言われる{{要出典|date=2010年4月}}。<br />
<br />
=== 記者室 ===<br />
{{Main|記者室#日本以外}}<br />
<br />
=== アメリカの「記者クラブ」 ===<br />
アメリカ合衆国にもホワイトハウス <ref> フランスのテレビドキュメンタリー「近くて遠い大統領 〜ホワイトハウス記者のジレンマ〜」でホワイトハウス記者団や記者室の内部、米国の大手メディアが優先的に取材をしている様子が詳しく報じられた。このドキュメンタリーは日本でもNHKが放映した。 </ref> 、連邦政府の官庁、国連本部などに大手メディア記者からなる記者団体がある。大手メディア記者は記者室の提供や優先的な取材機会などの便宜供与を受けている。<br />
<br />
アメリカのホワイトハウス、国務省、ペンタゴン、連邦議会詰めの記者の団体の間では、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど有力メディア記者が当局者から特別な便宜を受け、独占インタビューや特ダネを与えられている。ホワイトハウスのブリーフィング・ルームの60ある椅子は会社の名前が貼り付けてあり、最前列は通信社と大手テレビ、後方になるほど影響力の小さいメディアに割り振られる。大統領や国務長官の同行取材の飛行機内の席順も同様である<ref>{{Cite book |author=佐々木伸 |year=1992 |title=ホワイトハウスとメディア |page=147 |publisher=[[中央公論社]] |isbn=4-12-101071-X }}</ref>。<br />
<br />
アメリカの記者クラブは常駐メディア各社のブースや机はあるが、日本の記者クラブのような休憩用のソファや冷蔵庫はない。代表取材のやり方などを調整することはあるが、取材上の取り決めや各社の協定を結ぶことはない<ref>{{Cite book |author=佐々木伸 |year=1992 |title=ホワイトハウスとメディア |page=147 |publisher=[[中央公論社]] |isbn=4-12-101071-X }}</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist|3}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
{{参照方法|date=2009年8月|section=1}}<br />
* [[稲葉三千男]]ほか『新聞学 第三版』1995年 ISBN 978-4535581883<br />
* [[天野勝文]]ほか『岐路に立つ日本のジャーナリズム』1996年 ISBN 978-4535582156<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=岩瀬達哉<br />
|authorlink=岩瀬達哉<br />
|title=新聞が面白くない理由<br />
|origdate=2001-09<br />
|publisher=[[講談社]]<br />
|series=講談社文庫<br />
|isbn=9784062732857<br />
}}<br />
* 田村紀雄、[[林利隆]](編) 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』世界思想社 新版 1999年 ISBN 4790707881<br />
<!--この改訂版が『現代ジャーナリズムを学ぶ人のために』2004年--><br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=村上玄一<br />
|authorlink=村上玄一<br />
|title=記者クラブって何だ!?<br />
|origdate=2001-11<br />
|publisher=[[同朋舎]]<br />
|isbn=9784810427271<br />
}}<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=筑紫哲也<br />
|authorlink=筑紫哲也<br />
|title=ニュースキャスター<br />
|origdate=2002-06<br />
|publisher=[[集英社]]<br />
|series=集英社新書<br />
|isbn= 9784087201451<br />
}}<br />
* 筑紫哲也他 『職業としてのジャーナリスト―ジャーナリズムの条件〈1〉』 [[岩波書店]]、2005年2月。ISBN 978-4000263979<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=田中良紹<br />
|authorlink=田中良紹<br />
|title=メディア裏支配--語られざる巨大マスコミの暗闘史<br />
|origdate=2005-03<br />
|publisher=講談社<br />
|isbn=9784062128346<br />
}}<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=柴山哲也<br />
|authorlink=柴山哲也<br />
|title=日本型メディアシステムの興亡--瓦版からブログまで<br />
|origdate=2006-06<br />
|publisher=ミネルヴァ書房<br />
|series=叢書・現代社会のフロンティア<br />
|isbn=9784623046089<br />
}}<br />
* [[山田直樹 (ジャーナリスト)|山田直樹]]他 『追跡!平成日本タブー大全 2』 [[宝島社]]、2006年10月。ISBN 978-4796650250<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=青木理<br />
|authorlink=青木理<br />
|title=国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち<br />
|origdate=2008-05<br />
|publisher=[[週刊金曜日|金曜日]]<br />
|isbn=9784906605408<br />
}}<br />
* 天野勝文、橋場義之『新現場から見た新聞学』2008年 ISBN 978-4762018770<br />
* {{Cite book|和書<br />
|author=上杉隆<br />
|authorlink=上杉隆<br />
|title=ジャーナリズム崩壊<br />
|origdate=2008-07-30<br />
|publisher=[[幻冬舎]]<br />
|series=[[幻冬舎新書]]<br />
|isbn=9784344980884<br />
}}<br />
* ローリー・アン フリーマン(著), 橋場 義之(訳)『記者クラブ―情報カルテル』緑風出版 2011年<br />
<br />
* [[マーティン・ファクラー]]『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』2012年 ISBN 978-4575153941<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[記者クラブ一覧]]<br />
* [[記者会見]]<br />
* [[記者室]]<br />
* [[外国人記者]]<br />
* [[報道協定]]<br />
* [[発表報道]]<br />
* [[記者会見オープン化]]<br />
* [[カルテル]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:きしやくらふ}}<br />
[[Category:記者クラブ|*]]<br />
[[Category:報道]]<br />
[[Category:日本語の語句]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
社畜
2018-07-09T14:53:47Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: </p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2012年8月}}<br />
'''社畜'''(しゃちく)とは、主に[[日本]]で、[[社員]]として勤めている[[会社]]に飼い慣らされてしまい自分の[[意思]]と[[良心]]を放棄し[[奴隷]]([[家畜]])と化した[[賃金労働者]]の状態を[[揶揄]]したものである。「会社+家畜」から来た[[造語]]かつ[[俗語]]で、「会社人間」や「[[企業戦士]]」などよりも、外部から[[馬鹿]]にされる意味合いを持つ。<br />
<br />
[[正社員]]([[正規雇用]])のみならず[[非正規雇用]]全般([[アルバイト]]・[[パートタイム]]・[[派遣社員]]・[[契約社員]]・[[嘱託社員]]等)で、1日8時間より多く働く者も同等とされる。<br />
<br />
[[英語圏]]では同様の概念として「[[:en:Wage slavery|wage slave]]」(賃金奴隷)が存在する。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[1990年]]([[平成]]2年)の[[流行語]]の一つに挙げられている<ref name=nikki901227>「90年ヒット流行語」『[[日経MJ|日経流通新聞]]』1990年12月27日付、20頁。</ref>。類語に長年の勤務にくたびれた[[中年]]層のサラリーマンの状態を指す「勤続疲労」([[疲労 (材料)|金属疲労]]のもじり)がある<ref name=nikki901227 />。<br />
<br />
この用語の考案者は[[小説家]]の[[安土敏]](本名・荒井伸也)<ref>安土敏『ニッポン・サラリーマン 幸福への処方箋』</ref>で、広めたのは[[評論家]]の[[佐高信]]と言われる。<!--また、佐高は[[社宅]](会社の保有する[[従業員]]用[[住宅]])を「家畜小屋」と呼び、その存在を批判している(佐高によれば[[京セラ]]には社員専用の“社[[墓]]”(物故社員慰霊碑ではない)まであるという)。--><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[仕事中毒]]<br />
* [[サービス残業]]<br />
* [[過労死]]・[[過労自殺]]・[[労働災害]]<br />
* [[栄養ドリンク]]・[[ラッシュ時]]<br />
* [[マックジョブ]]・[[ブラック企業]]・[[賃金奴隷]]<br />
* [[いきのこれ! 社畜ちゃん]]<br />
<br />
{{就業}}<br />
<br />
{{labor-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:しやちく}}<br />
[[Category:労働の形態]]<br />
[[Category:労働問題]]<br />
[[Category:同調]]<br />
[[Category:比喩]]<br />
[[Category:造語]]<br />
[[Category:日本の俗語]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
名誉人種
2018-07-09T14:51:19Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 南アフリカ */</p>
<hr />
<div>'''名誉人種'''(めいよじんしゅ)とは[[人種差別]]政策を行っている政権・制度下において、本来ならば差別されるはずの人種を、差別されない側の人種として扱う制度である。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
名誉人種として扱われる理由にはいくつかあり、外交関係や経済関係など実益的な理由によって特定の国籍を名誉人種とするもの、権力者と個人的に懇意にしている人物が特例として扱われるものなどがある。<br />
<br />
== 名誉人種の例 ==<br />
=== 南アフリカ ===<br />
[[南アフリカ共和国]]で行われていた[[アパルトヘイト]]の下では、外国人を含めて、[[有色人種]]は総じて差別的な扱いを受けてきた。ただしインド系人種や白人との混血の者は議会の議席など、黒人には認められない一定の権利が認められ、有色人種の中でも待遇の違いがあった。<br />
<br />
[[日本国籍]]を有する者は、[[1961年]][[1月19日]]から、経済上の都合から「'''名誉白人'''」扱いとされていた<ref>{{Cite book|和書|author=楠原彰|authorlink=楠原彰|title=アパルトヘイトと日本|publisher=[[亜紀書房]]|date=1988-06|asin=4750588113|isbn=978-4750588117}}</ref>。欧米諸国がアパルトヘイトを続ける南アフリカとの経済関係を人道的理由により縮小する一方で、[[日本]]は1980年代後半から南アフリカ共和国の最大の貿易相手国になる。国際的に孤立していた南アフリカと数少ない国交を持っていた[[中華民国]]([[台湾]])籍の者は白人として扱われた<ref>{{Cite book|和書|author=伊藤正孝|authorlink=伊藤正孝|title=南ア共和国の内幕―アパルトヘイトの終焉まで|url=https://books.google.co.jp/books/about/%E5%8D%97%E3%82%A2%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95.html?id=hnWvAAAACAAJ&hl=ja|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公新書]]|date=1992-05|asin=4121902432|isbn=978-4121902436}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=中国年鑑|publisher=[[大修館書店]]|date=2009}}</ref>。また、[[香港]]からの[[華僑]]と[[華人]]も名誉白人と扱われた<ref>[https://web.archive.org/web/20080709144156/http://www.time.com/time/magazine/article/0%2C9171%2C895835%2C00.html South Africa: Honorary Whites], ''[[TIME]]'', 19 January 1962</ref><ref>[https://books.google.co.uk/books?id=1npFnaydPJEC&lpg=PA215&ots=j5Pqt5jmMS&dq=%22honorary%20white%22%20south%20africa%20%22hong%20kong%22&pg=PA159#v=onepage&q=%22hong%20kong%22&f=true ''A Matter of Honour: Being Chinese in South Africa''], Yoon Jung Park, Lexington Books, 2008 page 159</ref>。ただしこれらの扱いはあくまで国策上の法的措置であり、民間における差別感情やそれにともなう差別行為がなかったわけではない。<br />
<br />
[[1987年]]、国際社会がアパルトヘイトに反対して、文化交流を禁止し、経済制裁に動くなかで、日本は逆に、南アフリカの最大の貿易相手国([[アメリカ合衆国ドル]]ベースの貿易額基準)となり、翌[[1988年]][[2月5日]]に[[国際連合|国連]]反アパルトヘイト特別委員会のガルバ委員長はこれに遺憾の意を表明した(ガルバ声明)<ref group="注">{{Cite news|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/112/1410/11205231410006c.html|title=参議院会議録情報 第112回国会 決算委員会 第6号|newspaper=議事録|publisher=[[国立国会図書館]]|postscript=。日本政府の対応については、[[外務省]]の当該答弁を参照。}}</ref>。アパルトヘイトに対する国際的な非難と世界的な経済制裁が強まる中、南アフリカとの経済的交流を積極的に続ける日本の姿勢もまた批判の対象となり、[[1988年]]に[[国連総会]]で採択された「南アフリカ制裁決議案」の中で、日本は名指しで非難された<ref>{{Cite book|和書|author=河辺一郎|title=国連と日本|publisher=[[岩波書店]]|date=1994}}</ref>。<br />
<br />
南アフリカにおける名誉白人という地位は日本国内においても問題視され、1988年の国会外務委員会においては、[[岩垂寿喜男]]が自らの質問の中で、[[三井物産]]の[[社内報]]「三井海外ニュース」の「ここ数年来、南アと日本との貿易は飛躍的に伸長し、それに伴い名誉白人は実質的白人になりつつある。最近は、多くの日本人が緑の芝生のある広々とした郊外の家に白人と親しみながら、そして日本人の地位が南ア白人一般の中において急速に向上していることはまことに喜ばしく、我々駐在日本人としても、この信頼にこたえるようさらに着実な歩みを続けたい。インド人は煮ても焼いても食えないこうかつさがあり、中国人はひっそり固まって住み、カラードは粗暴無知、黒人に至ってははしにも棒にもかからない済度しがたい蒙昧の徒という印象が強い」という一節や、日本・南ア友好議員連盟幹事であった[[石原慎太郎]]による「アメリカでは黒人を使って能率が落ちている。黒人に一人一票やっても南アの行く先が混乱するだけだ」といった発言を取り上げた。岩垂は「名誉白人ということは決して名誉な称号ではないと思います」とこれらの言説を批判した<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/112/0110/11204130110006a.html 第112回国会 外務委員会 第6号 昭和六十三年四月十三日] </ref>。<br />
<br />
一方で、[[19世紀]]の[[ゴールドラッシュ]]で[[苦力]]としてやってきた中国系移民もアパルトヘイトの対象となったものの、[[中国語]]を話す他の華僑や華人と見分けのつかないことから投票権を除いて事実上名誉白人に準じた扱いを享受していた曖昧な法的地位ゆえに<ref>{{Cite news|url=https://www.iol.co.za/business-report/opinion/chinese-people-fall-in-grey-area-of-bee-scorecard-729718|title=In South Africa, Chinese is the New Black |work=|agency=[[ウォール・ストリート・ジャーナル|WSJ]]|date=2008-06-19|accessdate=2017-11-24}}</ref>、黒人経済権限付与計画や[[積極的差別是正措置]]が適用されていなかったため、大きな問題となっていたが、[[2008年]][[6月18日]]に南アフリカの高等裁判所において、中国系住民を黒人と同様に扱うという、逆転的な名誉人種の適用を受けることとなった<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2407438/3053471|title=南ア裁判所、中国系住民を「黒人」と裁定 優遇措置の対象に|newspaper=AFP BB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2008-06-20|accessdate=2008-06-20}}</ref>。<br />
<br />
=== ドイツ ===<br />
[[ナチス]]政権下で一部の[[ユダヤ人]]などが名誉[[アーリア人]]として扱われ、[[ホロコースト]]などからも除外されていた。また、当時ナチスは、『[[我が闘争]]』([[アドルフ・ヒトラー]]著)に書いてある通り、アーリア人こそが至高だと考える[[アーリアン学説]]を掲げており、[[アジア系民族|アジア人]]を含む異色人種をアーリア人に次ぐ二流民族と差別していた。ヒトラーが若い頃に書いた『我が闘争』では[[日本人]]も差別対象に含まれていたが、[[日独伊三国同盟|三国同盟]]を結んで日本が友邦になると一転して日本人を'''名誉アーリア人種'''として整合性を図った。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
一方、平等を求める活動から逆に名誉黒人の称号を授与された白人の黒人権利擁護運動家などもいる。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注"}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[戦場のピアニスト]]<br />
<br />
{{History-stub}}<br />
{{SouthAfrica-stub}}<br />
{{BD-stub}}<br />
<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:めいよしんしゆ}}<br />
[[Category:アパルトヘイト]]<br />
[[Category:南アフリカ共和国の歴史]]<br />
[[Category:ドイツの歴史]]<br />
[[Category:人種差別]]<br />
[[Category:人権]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ
2018-07-09T13:35:45Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>{{law|地域=[[フランス共和国]]}}<br />
[[ファイル:France-AOC Piment d'Espelette-2005-08-05.jpg|250px|thumb|[[ピーマン]]に付されたAOCラベル]]<br />
'''アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ'''({{lang-fr-short|Appellation d'Origine Contrôlée}}; {{fr|AOC}} {{IPA-fr|aose}}、アオセ)とは、[[フランス]]の[[農業]]製品、[[フランスワイン]]、[[チーズ]]、[[バター]]などに対して与えられる認証であり、製造過程及び最終的な品質評価において、特定の条件を満たしたものにのみ付与される品質保証である。[[日本語]]に翻訳すると「原産地統制呼称」「原産地呼称統制」などとなる。フランスの[[法律]]では、AOCの基準を満たさないものは、AOCで規制された名称で、製品を製造または販売することは違法である。フランスの原産地呼称委員会({{fr|Institut National des Appellations d'Origine, INAO}})が管理している。<br />
<br />
全てのAOC製品は、ラベルや製品そのものに印刷された証印によって識別される。可能な限り不当表示を防止するため、いかなるAOC名も、そうでない製品のラベルには使用されない。生産者の住所における地名がAOC名である場合は、5桁の[[郵便番号]]をつかって代替させる。この場合、最初の2桁の番号が[[県]]を示す<ref group="※">この番号は、自動車のナンバープレートなどにも使われる。初等教育で、この県名を示す汎用番号を覚えさせられるため、ほとんどの[[フランス人]]は、郵便番号だけで県名や都市名を思い浮かべることができる。</ref>。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
AOCの原点は[[ブルーチーズ]]の[[ロックフォール (チーズ)|ロックフォール]]が議会の布告によって規制された、[[15世紀]]に遡る。直接的にAOCの前身となった近代的な法の整備としては、1905年の「原料の偽装を取り締まる法律」、そして1919年5月6日に制定された「原産地保護に関する法律」がある。これは製品が生産されるべき地域や組織を特定したものであり、その後度重なる改訂が試されてきた。1925年にはこの法律に基づき、ロックフォールがチーズとしては最初のAOCを獲得している。<br />
<br />
1935年7月30日、ワインの製造工程を管理する目的で、フランス農林省管轄の組織としてINAOが設立された。INAOは生産者・消費者・行政官の3者より構成される組織で、AOCの認定・運用などの業務を行っている。[[ローヌ県]][[シャトーヌフ・デュ・パプ]]({{fr|Châteauneuf-du-Pape}})のワイン醸造家にして老練な法律家でもあった {{fr|Pierre Le Roy}} [[男爵]]は、INAO設立よりわずか2年の後、1937年に[[コート・デュ・ローヌ]]({{fr|Côtes du Rhône}})の名でAOCを獲得している。<br />
<br />
AOCのマークは1950年代、60年代、70年代にそれぞれ作られ、フランスの法に基づき統制・管理されてきた。1990年7月2日には、INAOの管轄範囲がワインのみならず他の農産物にも拡大された。<br />
<br />
AOCが規定する項目の最たるものは農産物の生産場所であるが、その範囲は実に様々である。様々な[[気候]]条件や[[土壌]]を含む広大な地域を認めるものもあれば、ごく狭小な範囲(例えば単一の[[畑]])のみを指定する場合もある。例えば前述のコート・デュ・ローヌAOCでは40,000[[ヘクタール]]の耕地が指定されているが、[[シャトー・グリエ]]({{fr|Château Grillet}})AOCの範囲は4ヘクタールに満たない。<br />
<br />
== ワインのAOC ==<br />
[[File:Château Margaux 1961.jpg|thumb|ワインのラベル表示例。「APPELATION MARGAUX CONTROLÉE」と表示されている]]<br />
AOC製品の印として、ワインの[[ラベル]]には必ず「{{fr|Appellation Contrôlée}}」または「{{fr|Appellation d'Origine(生産地)Contrôlée}}」の表示を入れる。<br />
生産地の部分には、「{{fr|Bordeaux}}([[ボルドー]])」などの地方名、「{{fr|Médoc}}([[メドック]])」などの地区名、「{{fr|Margaux}}([[マルゴー]])」などの村名が入る。<br />
<br />
[[ブルゴーニュ・ワイン]]の場合は、さらに「{{fr|Romanée Conti}}([[ロマネ・コンティ]])」などの畑名まで入る。AOC法では、品質を保持し、産地名称を保護するため、[[ワイン用葡萄品種の一覧|ブドウ品種]]による最低アルコール度数の規定、最大収穫量、栽培法、剪定法、また地方によっては熟成方法なども規制している。<br />
<br />
[[フランスワイン]]の他、[[ブランデー]]、[[ラム酒]]にもAOCが制定される。<br />
<br />
=== AOCの規定 ===<br />
# 生産地域 : その産地内でできた[[ブドウ]]100%で作られている。<br />
# [[品種]] : ブドウの品種に関しても使用の可否に規定があるので、それが守られていること。<br />
# 最低アルコール度数 : 収穫期のブドウの糖度にも規定がある。<br />
# 最大収穫量 : 1[[ヘクタール]]当たりの最大収穫量が規制されている。ワインの品質は、単位面積当たりの原料ブドウの収穫量が少ないほど高くなる(多いほど低くなる)傾向があるので、面積あたりの生産量を増やしすぎることはワインの品質低下に直結する。このため、高い品質を維持するには、ブドウの花の開花の段階で調整し結実させる房の数を減らす必要がある。<br />
# [[栽培]]法 : ブドウの樹齢が5年を経過していること、など。<br />
# [[剪定]]法 : ブドウの樹の種類を考慮し、産地によっても異なる。<br />
# [[醸造]]法 : [[ミュスカデ]]、[[ロゼワイン]]、[[シャンパン|シャンパーニュ]]などの[[発泡ワイン]]には特別に規定がある。産地によって異なる。<br />
# [[熟成]]法 : [[ボジョレーワイン|ボジョレー・ヌーヴォー]]の発売日や、発泡ワインの熟成法は、特に厳密に定められている。<br />
# 試飲検査 : AOCワインのすべてが、試飲検査を受けなければならない。<br />
<br />
== チーズのAOC ==<br />
チーズの場合、ワインのように「{{fr|d'Origine}}」の位置に生産地を直接記入はせず、円と楕円を組み合わせたラベルの中に「{{fr|Appellation d'Origine Contrôlée}}」の語、産地名、チーズ名が別個に刻まれる。<br />
<br />
=== AOCの規定 ===<br />
# 牧畜地域 : 原料を生産する動物の牧畜場所。[[ボーフォール (チーズ)|ボーフォール]]などでは放牧の標高も規定される。<br />
# 生産地域 : チーズの生産や熟成を行う地域。例えばロックフォールの場合、熟成完了から出荷までの作業はすべてロックフォール村内で行わなければならない。<br />
# 生産時期 : [[ウシ|牛]]や[[ヒツジ|羊]]などの[[放牧]]及び[[搾乳]]の時期。<br />
# 乳の種類 : 動物の種類(牛、羊、山羊、水牛)、品種、[[生乳]]か殺菌乳か。他に、一群の動物のみから集めた乳であるか、隣家の乳を混合していないか、などがチェックされるものもある。<br />
# 搾乳法 : 乳を一日に何回搾るか、搾ってから何時間以内に[[酵素]]を添加すべきか、など。<br />
# 凝固温度 : 凝乳酵素([[レンネット]])を加える時の温度。加熱の是非。製造時に原料を規定以上に加熱する事はもちろん、加熱する事が可能な設備がアトリエ(チーズの製造場)にあるだけでもAOCを失格する。<br />
# 凝固法 : 凝乳を押し固めるか否か、その際に加熱するかどうか。<br />
# 加塩法 : 乾いた[[塩]]を直に振るか、塩水に漬け込むか、など。<br />
# 菌種 : チーズに明示的に[[真菌]]や[[真正細菌|細菌]]を与える場合、その種類や採集場所。<br />
# 熟成法 : 熟成場所や最低熟成期間など。<br />
# サイズ : チーズの重量、直径、高さなど。<br />
# 目視検査 : チーズの概形が整っているか(異常に収縮、または膨潤していないか)、ヒビ割れは無いか、目(チーズの切断部に見える孔)の数は適切か、など。<br />
# 試食検査 : チーズの甘みや金属味に関する[[食味官能試験|官能検査]]。<br />
# 鑑札 : 生産地や生産者などを記した鑑札(主に[[カゼイン]]製)が付いているか、鑑札上の文字が判読可能か。これはハード~セミハードのチーズに対して要求される項目である。<br />
# 販売時の形態 : 表皮が特徴となるチーズでは、切り身に表皮が付いているか。表皮を付けて売る事を義務付けられたチーズでは、例えばすりおろして粉末にするなどの販売形態は許可されていない。この場合はAOC名以外の名前、例えば[[グリュイエールチーズ]]などの名称や、別途[[商標]]名で販売する事になる。<br />
<br />
チーズにおけるAOCの規定はチーズ毎に様々であり、全てのAOCチーズでこれらの全項目に関する規定があるわけではない。評価方法やその厳しさも様々である。フランス国内で最も生産量の大きいチーズである[[コンテ (チーズ)|コンテ]]の場合、毎年5%程度のチーズがAOCの基準を満たせずに失格し、コンテの名を冠されずに販売される。<br />
<br />
[[カマンベールチーズ]]はAOCの取得が遅すぎた(1983年)為、AOC認定に先んじて「カマンベール」の名で世界的に多くのコピーチーズが出回った。そうした状況を受け、カマンベールのAOCは単なる「カマンベール」ではなく、'''[[ノルマンディ]]産'''の「[[カマンベール・ド・ノルマンディ]]」([[:fr:Camembert de Normandie|Camembert de Normandie]])に対して与えられている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
=== 注釈 ===<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|group="※"}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist}}<br />
<br />
=== 参考文献 ===<br />
* 文藝春秋 編『チーズ図鑑』([[文藝春秋]]、1993年)ISBN 4-16-348130-3<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[AOCワインの一覧]](日本語・スタブ)<br />
* [[AOCチーズの一覧]]<br />
* [[原産地名称保護制度]]:[[欧州連合]]の法律が整備されつつある<br />
** [[保護原産地呼称|AOP]] EU統一の保護原産地呼称。2009年5月以降、EU産の高品質産品にAOPラベルが義務化。フランスでは従来のAOCに相当。<br />
* [[フランスワイン]]<br />
* [[イタリアワイン]] - [[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・プロテッタ|DOP]](DOC/DOCG)による統制呼称<br />
* [[地理的表示]]<br />
* [[地域団体商標]]<br />
* [[長野県原産地呼称管理制度]]<br />
* [[地域食品ブランド表示基準制度「本場の本物」]]<br />
* [[テロワール]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.inao.gouv.fr/ フランス国立原産地名称研究所(Institut National de l'Origine et de la qualité, INAO)]<br />
* [[:fr:Liste des vins AOC français|AOCワインの一覧]]{{fr icon}} [[フランス語版ウィキペディア]]<br />
* [[:fr:Liste des fromages français en AOC|AOCチーズの一覧]]{{fr icon}} フランス語版ウィキペディア<br />
* [[:fr:Liste des AOC agroalimentaires|AOC農産物の一覧]]{{fr icon}} フランス語版ウィキペディア<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あへらしおんとりしいぬ}}<br />
[[Category:フランスワイン|*]]<br />
[[Category:フランスのチーズ|*]]<br />
[[Category:フランスの食文化]]<br />
[[Category:フランスの法]]<br />
[[Category:酒類関連法規]]<br />
[[Category:食品関連法規]]<br />
[[Category:フランス語の語句]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
会社更生法
2018-07-09T10:01:53Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 関連項目 */</p>
<hr />
<div>{{law}}<br />
{{日本の法令<br />
|題名 = 会社更生法<br />
|通称 = なし<br />
|番号 = 平成14年12月13日法律第154号<br />
|効力 = 現行法<br />
|種類 = 倒産法<br />
|内容 = 株式会社の更生手続<br />
|関連 = [[民事再生法]]<br />[[破産法]]<br />
|リンク= {{Egov law|H14|HO154|会社更生法}}<br />
}}<br />
'''会社更生法'''(かいしゃこうせいほう)は、経営困難である[[株式会社]]について、事業の更生を目的としてなされる更生手続を定めるために制定された日本の[[倒産法]]の一つ。最終改正は[[2006年]]([[平成]]18年3月31日法律第10号)。なお、会社更生法に基づく更生手続のことを、「会社更生手続」と呼ぶことが多い。<br />
<br />
== 制定・改正の経緯 ==<br />
[[第二次世界大戦後]]、[[アメリカ合衆国]]で実績を挙げつつあった、当時の連邦倒産法第10章Corporate Reorganization(会社更生)の制度を日本に移植するべく、[[1952年]]([[昭和]]27年)に制定された(昭和27年法律第172号)。その後、[[1967年]](昭和42年)に会社更生手続の濫用防止、債権者である取引先中小企業の保護の観点から実質改正がされ、さらに、[[2002年]](平成14年)に会社更生法の全部改正をする新しい会社更生法(平成14年[[法律]]第154号)が制定され、その施行([[2003年]](平成15年)[[4月1日]])に伴い以前の会社更生法は廃止された。<br />
<br />
米国では旧連邦倒産法を全面的に改正する新[[連邦倒産法]]が[[1978年]]に制定され、旧第10章は[[連邦倒産法第11章]]Reorganizationに改められた。これは日本の会社更生に相当するといわれることもあるが、手続を利用できる債務者の範囲に限定がない点で、会社更生よりは民事再生に近い。なお、米国では一般的にこの手続きを"Chapter11"と呼ぶ。<br />
<br />
== 倒産法制における位置づけ ==<br />
倒産法制における位置づけとして、再建を目的とする点では[[民事再生法|民事再生]]と共通するが、株式会社だけが対象となる点では民事再生とは異なる。<br />
<br />
民事再生法との違いとしては、担保権者や[[株主]]についても更生手続の対象となることなどが異なる。<br />
<br />
また、会社更生法のみが、他の破産手続きと異なり[[抵当権]]・[[質権]]といった[[担保物権]]について[[別除権]]を認めず、更生手続き中の担保権の実行は禁止又は中止となる。<br />
<br />
== DIP型会社更生手続 ==<br />
会社更生手続においては、管財人が通常選任されており、これが民事再生手続との一つの違いとなり会社更生手続の特徴となっていたが、[[2008年]]には、[[東京地方裁判所]]で会社更生手続を担当する民事第八部(商事部)所属の判事がDIP(Debtor In Possession)型会社更生手続の運用の導入に関する論文を法律雑誌に掲載することなどを経て、運用の拡張が行われ、一定の条件を満たした場合には、更生手続開始申し立て時の取締役を管財人として引き続き業務の運営に当たらせる運用が行われるようになった。<br />
<br />
かかる手続の導入の背景には、会社更生手続は、担保権者を倒産手続に参加させることで、債務者の再建のための強力な方法論たるべく制度であったところが、危機に陥った債務者が、現行経営陣がそのまま経営を継続しうる民事再生手続を申し立てる例が増加し、本来の機能を発揮していなかったとの意識がある。裁判所による運用の変更という形でDIP型が導入されたのは、会社更生法の法文でも、かかる方法論をとることも予定されていたことによる。<br />
<br />
上記運用導入の発表後の第1号案件は[[クリード (企業)|クリード]]に対する手続きである。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Wikibooks|コンメンタール会社更生法|会社更生法}}<br />
* [[会社更生法を適用した企業一覧]]<br />
* [[倒産]]<br />
* [[特別清算]]<br />
* [[和議法]] - [[民事再生法]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*{{Egov law|H14|HO154|会社更生法}}<br />
*[https://web.archive.org/web/20090304114001/http://www.moj.go.jp/HOUAN/houan15.html 第155回国会において成立した新「会社更生法」について ∼ 新しい会社更生手続の概要 ∼]<br />
<br />
{{法学のテンプレート}}<br />
{{law-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:かいしやこうせいほう}}<br />
<br />
[[Category:日本の法律]]<br />
[[Category:日本の倒産法]]<br />
[[Category:1952年の法]]<br />
[[Category:2002年の法]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
成田国際空港 (企業)
2018-07-09T09:37:00Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 沿革 */</p>
<hr />
<div>{{基礎情報 会社<br />
|社名 = 成田国際空港株式会社<br />
|英文社名 = NARITA INTERNATIONAL AIRPORT CORPORATION<br />
|ロゴ =<br />
|画像 = [[File:Narita International Airport Corporation Building.JPG|250px]]<br />
|画像説明 = 成田国際空港株式会社本社ビル<br />
|種類 = [[成田国際空港株式会社法]]に基づく[[特殊会社]]([[株式会社]])<br />
|市場情報 = 非上場<br />
|略称 = NAA<br />
|国籍 = {{JPN}}<br />
|郵便番号 = 282-8601 <br />
|本社所在地 = [[千葉県]][[成田市]][[古込|古込字]]古込1番地1<br />(成田国際空港内)<br />
|設立 = [[2004年]](平成16年)[[4月1日]]<br />
|業種 = <br />
|事業内容 = 成田国際空港の設置・管理等<br />
|代表者 = 夏目誠(代表取締役社長)<br />斉田正己(代表取締役副社長)<br />長田太(代表取締役専務)<br />
|資本金 = 1,000億円(2016年3月31日現在)<br />
|発行済株式総数 = 200万株(2016年3月31日現在)<br />
|売上高 = 連結:2,184億80百万円<br />単独:1,584億75百万円<br />(2016年3月期)<br />
|営業利益 = 連結:433億08百万円<br />単独:350億23百万円<br />(2016年3月期)<br />
|純利益 = 連結:243億67百万円<br />単独:190億69百万円<br />(2016年3月期)<br />
|純資産 = 連結:2,954億90百万円<br />単独:2,620億83百万円<br />(2016年3月31日現在)<br />
|総資産 = 連結:8,542億31百万円<br />単独:8,136億80百万円<br />(2016年3月31日現在)<br />
|従業員数 = 連結:2,192人 単独:676人<br />(2016年3月31日現在)<br />
|決算期 = [[3月31日]]<br />
|主要株主 = [[国土交通大臣]] 90.01%<br />[[財務大臣]] 9.99%<br />(2015年3月31日現在)<br />
|主要子会社 = 株式会社NAAリテイリング100%<br />[[成田高速鉄道アクセス|成田高速鉄道アクセス株式会社]] 53.7%<br />
|関係する人物 = <br />
|外部リンク = http://www.naa.jp/<br />
|特記事項 = <br />
}}<br />
'''成田国際空港株式会社'''(なりたこくさいくうこう、{{lang-en|'''Na'''rita International '''A'''irport Corporation; '''NAA'''}})は、[[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]]に施行された[[成田国際空港株式会社法]]により、[[成田国際空港|成田国際空港(成田空港)]]の設置および管理を目的として設立された[[特殊会社]]([[株式会社]])。通称は「'''成田空港会社'''」。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[特殊法人]][[新東京国際空港公団]]の業務及び[[資産]]・[[負債]]を承継した[[特殊会社]]で、全[[株式]]を[[日本国政府]]([[国土交通大臣]] 90.01%, [[財務大臣]] 9.99%)が所有する。略称である {{en|'''NAA'''}} は、空港公団の英字略称 ({{en|'''N'''ew Tokyo International '''A'''irport '''A'''uthority}})と同じである。<br />
<br />
成田国際空港株式会社法に基づき、日本国政府から無利子貸付、[[出資]]や[[債務保証]]を受ける事ができる<ref>成田国際空港株式会社法 第15条</ref>。一方で、[[営業年度]]毎の[[事業計画]]や[[新株発行]]・[[社債]]の募集・資金の借入、[[代表取締役]]の選定・[[定款]]の変更等については、[[国土交通大臣]]の認可を要する<ref>成田国際空港株式会社法 第9・10・11・13条</ref>。<br />
<br />
[[日本国政府]]が100%出資する会社のため、[[配当金]]として連結[[最終利益]]の3割程度が毎年[[国庫]]に納付される<ref name=":1"/>(なお、[[2016年]]6月27日の同社[[株主総会]]で決議された配当額は、72億7800万円<ref>成田国際空港株式会社『2016年3月期 有価証券報告書』</ref>)。この他に、株式会社化する際に、新東京国際空港公団の政府出資金等3016億円のうち1496億5300万円が政府の無利子融資として振り替えられたため、その負債返済を継続している<ref name=":1">[http://report.jbaudit.go.jp/org/h23/2011-h23-1283-0.htm 成田国際空港株式会社の経営について - 会計検査院 平成23年度 決算検査報告]</ref><ref>[http://www.naa.jp/jp/ir/pdf/pdf20160518_setsumei4.pdf 2016年3月期決算説明会資料 - 成田国際空港株式会社]</ref><ref> {{Cite web |date=2014-03-28 |url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16SE050.html |title=成田国際空港株式会社法施行令([[法令データ提供システム]]) |publisher=[[総務省]][[行政管理局]] |accessdate=2017-06-07}}</ref><br />
([[2017年]]度に完済予定)。<br />
<br />
会社の事業の範囲には、[[成田国際空港]]周辺における[[航空機]]の[[騒音]]等により生ずる[[公害]]の防止や、[[損失補償]]のための諸事業が含まれている<ref>成田国際空港株式会社法 第5条</ref>。<br />
<br />
株式会社化して以降、[[空港ターミナルビル]]に入居している[[飲食店]]・[[ショップ]]・[[航空会社]]事務所といった[[テナント]]による賃貸収入等を「非航空系収入」と称して売上の強化を図っており、公団時代の主な収入であった[[空港使用料]]の「航空系収入」に依存しない経営体質を目指している。[[2015年]](平成27年)度[[決算]]では、航空系収入が45に対し非航空系収入が55という比率になった。<br />
<br />
なお、2015年度における成田国際空港の[[空港ターミナルビル|ターミナルビル]]全体の店舗売上は1169億円に上り、[[ショッピングセンター]]としては、[[御殿場プレミアムアウトレット]](891億円)や[[ラゾーナ川崎プラザ]](788億円)を押さえて日本一の売上収入を誇る<ref>繊研新聞 2016年8月10日 6面</ref>。<br />
<br />
== 事業 ==<br />
=== 事業目的 ===<br />
成田国際空港の設置及び管理を効率的に行うこと等により、航空輸送の利用者の利便の向上を図り、もって航空の総合的な発展に資するとともに、我が国の[[産業]]、[[観光]]等の[[国際競争力]]の強化に寄与する。(成田国際空港株式会社法第1条)<br />
<br />
=== 法令等で定められた事業 ===<br />
成田国際空港株式会社法第5条や定款第2条で定められた主な事業は以下のとおり。<br />
*成田国際空港の設置及び管理<br />
*成田国際空港における航空機の離陸又は着陸の安全を確保するために必要な[[航空保安施設]]の設置及び管理<br />
*航空旅客及び[[航空貨物]]の取扱施設、航空機給油施設その他の成田国際空港の機能を確保するために必要な航空保安施設の建設及び管理<br />
*[[事務所]]、店舗その他の成田国際空港を利用する者の利便に資するために成田国際空港の敷地内に建設することが適当であると認められる施設の建設及び管理<br />
*成田国際空港の周辺における航空機の騒音等により生ずる障害を防止し、又はその損失を補償するために行う事業(移転補償、騒音防止工事等)<br />
*成田国際空港の周辺における生活環境の改善に資するために行う事業(空港周辺における環境評価、自治体への交付金交付等)<br />
<br />
=== 事業部門 ===<br />
同社では[[事業部制]]を採用しており、事業を「'''空港運営事業'''」「'''リテール事業'''」「'''施設貸付事業'''」「'''鉄道事業'''」の4つに分類している。<br />
<br />
=== 周辺対策交付金 ===<br />
NAAは空港の円滑な運営を図るため、航空機騒音等により生じる障害の防止及び空港周辺整備の費用に充てるものとして、千葉県・[[茨城県]]の10市町(成田市・[[富里市]]・[[香取市]]・[[山武市]]・[[神崎町]]・[[多古町]]・[[芝山町]]・[[横芝光町]]・[[稲敷市]]・[[河内町]])に'''成田国際空港周辺対策交付金'''を交付している。<br />
<br />
2016年度までの交付総額は約1214億円であり、同年度は約41.6億円を交付した。<br />
<br />
交付金の使途としては、防音工事を行った公共施設の維持費並びに空港周辺道路・[[公園]]・消防施設・農業施設等の整備のための費用に充てられる<ref>{{Cite web|url=http://www.naa.jp/jp/issue/yakuwarigenjyo/list.html|title=成田空港~その役割と現状~ 2017年度(175頁)|accessdate=2018-02-21|date=|publisher=成田国際空港株式会社}}</ref>。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
{{See also|成田国際空港#歴史}}<br />
*2004年([[平成]]16年)<br />
**[[4月1日]] - [[新東京国際空港公団]]が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組し、同時に空港の正式名称も「新東京国際空港」から『成田国際空港』に改称。<br />
*2005年(平成17年)<br />
**世界で初めての試みとして、航空機の騒音レベルに応じて[[最大離陸重量]]あたりの単価が変動する新体系の[[着陸料]]を導入<br />
**3月 - 「エコ・エア ポート基本計画」を策定。<br />
*2006年(平成18年)- [[三里塚芝山連合空港反対同盟|反対同盟]](熱田派)代表であった熱田一と土地売買契約を締結<br />
*2008年(平成20年)- 空港開港30周年<br />
*2009年(平成21年)<br />
**[[3月23日]] - [[フェデックス80便着陸失敗事故]]発生<br />
**B滑走路の2500m化工事完了、供用開始<br />
**[[リーマン・ショック]]及び[[2009年新型インフルエンザの世界的流行|新型インフルエンザ]]による航空需要減少に対し、航空会社支援策として着陸料の一時引き下げ実施<br />
*2010年(平成22年)<br />
**[[7月17日]] - [[京成成田空港線]]開業<br />
*2011年(平成23年)<br />
**4月 - 「エコ・エアポートビジョン2020」策定。<br />
**[[6月23日]] - 「[[成田空港 空と大地の歴史館]]」オープン<br />
*2013年(平成25年)- 夏ダイヤから[[オープンスカイ]]が適用<br />
*2014年(平成26年)- [[デルタ航空]]と[[格納庫]]の[[リース契約]]を締結<ref>[http://news.delta.com/NRT_Technical_Operation_Center-JP デルタ航空、成田空港に「成田テクニカルオペレーションセンター」をオープン] - デルタ航空日本支社ニュースリリース 2014年12月1日</ref><br />
*2015年(平成27年)<br />
**[[3月30日]] - 入場ゲートのノンストップ化(検問廃止)を実施<br />
**[[4月1日]] - 航空会社に対する新規就航割引(成田ハブ化インセンティブ)を実施(2018年3月31日まで)<br />
**[[4月8日]] - 第3旅客ターミナルビルの供用を開始、10月30日には[[グッドデザイン賞]]の金賞を受賞したと発表<br />
* 2016年(平成28年)<br />
** 4月 - 「エコ・エアポートビジョン 2030」を策定<ref>{{Cite web |date=2016年11月 |url=http://www.naa.jp/jp/issue/yakuwarigenjyo/2016/pdf/6_06.pdf |title=成田空港~その役割と現状~ 2016年度 |format=PDF |publisher=成田国際空港株式会社 |accessdate=2017-03-30}}</ref><br />
* [[2018年]](平成30年)<br />
** [[5月20日]] - 空港開港40周年<br />
<gallery><br />
ファイル:SoratodaichinorekishikanZenkei.jpg|成田空港 空と大地の歴史館<br />
ファイル:A350- Exterior (37250461841).jpg|デルタ航空 成田テクニカルオペレーションセンター<br />
ファイル:NRT T3 inside 20150418.JPG|第3旅客ターミナルビル 出発ロビー<br />
</gallery><br />
<br />
== 事務所 ==<br />
* 本社・成田国際空港 [[千葉県]][[成田市]][[古込|古込字]]古込1番地1(成田市成田国際空港内NAAビル) <br />
** [[2007年]][[4月1日]]までに、第2ターミナルビルに隣接する旧[[全日本空輸|全日空]][[マネジメントセンター]]ビルへ本社機能を移転した。<br />
* 東京事務所 [[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]二丁目2番1号 岸本ビルヂング11階<br />
* 千葉港頭事務所 千葉県千葉市[[美浜区]][[新港 (千葉市)|新港]]234番地<br />
* 四街道事務所 千葉県[[四街道市]]山梨字松山2351番地<br />
<br />
=== 旧本社ビル ===<br />
[[画像:Narita Airport Authority Main Building.jpg|thumb|200px|right|旧本社ビル(現在解体)]]<br />
[[1996年]]7月から第1ターミナルビル前の旧[[日本航空]][[オペレーションセンター]]ビル跡をNAA本社ビルとして使用してきたが、移転後に旧本社ビルは解体され、跡地は2008年より空港利用者用の[[立体駐車場]](P5駐車場)となった。<br />
<br />
旧本社ビルは、日本航空のオペレーションセンタービルとして、空港開港の1978年当時から存在する建物であった。[[ドラマ]]「[[スチュワーデス物語]]」のロケ地などにも使用された経緯がある。<br />
<br />
== 不祥事 ==<br />
=== 官製談合事件 ===<br />
[[2005年]][[11月18日]]に旧[[新東京国際空港公団]]発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製[[談合]]の疑いが浮上し、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検特捜部の捜索を受けた。この官製談合疑惑では、成田国際空港の社員2人(懲戒解雇処分)が[[競売入札妨害罪|競売入札妨害]]の疑いで[[逮捕]]されるなど、一連の談合疑惑は官製談合事件へと発展した<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-12-06/2005120615_01_2.html 旧公団 空港会社部長を逮捕 成田官製談合 業者に予定価格漏えい 天下り状況で発注調整 2005年12月6日(火)「しんぶん赤旗」]</ref>。<br />
<br />
=== 俳優のクレジットカード伝票の無断撮影 ===<br />
2013年(平成25年)9月16日、俳優の[[玉木宏]]が同社の子会社、成田国際空港の制限区域内にあるNAAリテイリングの[[免税店]]を訪れ、[[土産]]を[[クレジットカード]]で購入した。その際に接客した女性[[労働者派遣事業|派遣社員]](当時23歳)が、玉木の[[署名|サイン]]やカード番号(下3桁は非公表)が書かれたクレジットカード伝票を無断で撮影し、8名の仕事仲間に[[LINE (アプリケーション)|LINE]]でその画像を送信した。その内、女性[[非正規雇用|パート]]店員(当時19歳)が、[[Twitter]]に「玉木宏さんが来店しました」という[[バカッター|ツイート]]を送信された画像とともに投稿した(該当の画像はネットユーザーの指摘を受けて削除された)<ref>[http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130921/enn1309211459012-n1.htm 玉木宏“ツイッター被害” 店員に署名&カード番号アップされ… zakzak by 夕刊フジ 2013年9月21日]</ref>。<br />
<br />
これを受けてNAAリテイリングは、玉木の所属芸能事務所に謝罪をした上で、女性パート店員を[[懲戒解雇]]処分、女性派遣社員を派遣契約解除の処分にした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/09/26/kiji/K20130926006693400.html 玉木宏の伝票をツイッター投稿の土産物店員ら解雇 スポニチSponichi Annex 2013年9月26日] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130929003308/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/09/26/kiji/K20130926006693400.html |date=2013年9月29日 }}。<br />
</ref>。<br />
<br />
=== 汚職事件 ===<br />
[[2017年]][[7月5日]]に、成田空港関連の事務用品などの随意契約をめぐり現金60万円を受け取ったとして、成田国際空港の元上席[[執行役員]]が[[成田国際空港株式会社法]]違反([[収賄]])、[[千葉県]][[香取郡]][[多古町]]の建設会社「オフィスときわ」社長とその妻も同法違反(贈賄)容疑で警視庁捜査2課に逮捕され、同日成田国際空港会社が家宅捜索を受けた。その後[[7月26日]]、元上席執行役員が同法違反(収賄)の罪、オフィスときわ元社長が同法違反(収賄)の罪で起訴された。元社長の妻は不起訴処分になった<ref>{{cite web|url =http://www.sankei.com/smp/affairs/news/170726/afr1707260029-s1.html| title = 成田空港会社元幹部ら起訴 東京地検特捜部 |publisher = 産経新聞 | date = 2017-07-26| accessdate = 2017-08-01}}</ref>。<br />
<br />
同年10月25日、東京地裁にて、元上席執行役員は懲役1年6カ月執行猶予3年を有罪判決を言い渡された<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/sp/articles/ASKBT3DDWKBTUTIL00C.html|title=成田空港元幹部に有罪判決 贈収賄事件で東京地裁|newspaper=朝日新聞|date=2017-10-25|accessdate=2017-11-11}}</ref>。2018年5月7日にはオフィスときわ元社長も懲役1年2月執行猶予3年の有罪判決を言い渡された<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/affairs/news/180507/afr1805070022-s1.html |title=成田空港汚職、贈賄側も有罪判決 東京地裁|newspaper=産経新聞|date=2018-05-07|accessdate=2018-05-23}}</ref>。<br />
<br />
贈賄容疑で逮捕された2人が経営に携わる会社は、2013年4月以降、成田国際空港の出入り口で使う、通行止めゲートや空港事務所の事務機器用品を成田国際空港会社に販売していた<ref>{{cite web|url =http://www.asahi.com/sp/articles/ASK7451VFK74UTIL024.html|title =成田空港の元役員、収賄容疑で逮捕 取引先から60万円|publisher=[[朝日新聞]]|date=2017-07-05|accessdate=2017-07-06}}</ref>。元上席執行役員が起訴された社長以外の業者からも借金をした上、共謀して成田国際空港に対し水増し請求をしていたことも分かっている<ref name = "sankei20170926">{{Cite web |url=http://www.sankei.com/smp/affairs/news/170929/afr1709290001-s1.html |title=成田空港汚職で起訴の元役員、別業者からも借金|date=2017-09-29 |publisher=産経新聞|accessdate=2017-10-06}}</ref>。<br />
<br />
元上席執行役員の部下の男性社員も、同様の行為をしていたことが判明し、諭旨免職処分を受けた<ref name = "sankei20170926" />。<br />
<br />
== 関連会社 ==<br />
=== 連結子会社 ===<br />
同社の連結子会社は以下のとおり(2016年3月31日時点)。<br />
*[http://www.e-amco.co.jp/ エアポートメンテナンスサービス株式会社] - 100%出資。施設に設計・工事・管理・保守点検。<br />
*[http://www.natech.co.jp/ 株式会社成田エアポートテクノ] - 66.7%出資。ターミナルビルの保守管理。2014年4月1日にネイテック防災株式会社と合併。<br />
*[http://www.naa-eletec.jp/ 株式会社NAAエレテック] - 100%出資。[[エレベーター]]・[[手荷物搬送装置]]・[[ボーディングブリッジ]]の保守管理。<br />
*[http://www.n-nafco.co.jp/ 株式会社NAAファシリティーズ] - 100%出資。空港諸施設の保守管理。<br />
*[http://www.aics.co.jp/index.html 空港情報通信株式会社](AICS) - 100%出資。[[航空保安無線施設保守管理]]、フライト情報配信サービス、通信ネットワーク・空港内電話保守管理、[[ソフトウエア]]開発。<br />
*[http://www.naacom.jp/ 株式会社NAAコミュニケーションズ] - 100%出資。セキュリティー設備・運用管理用設備等の保守。[[IDカード]]発行。<br />
*[http://www.naaf.jp/ 成田空港給油施設株式会社] - 100%出資。給油施設の維持管理・保安防災。<br />
*[http://www.nafs.jp/ NAAセーフティサポート株式会社] - 100%出資。警備・消火救難。<br />
*[https://www.naab.co.jp/ 株式会社成田空港ビジネス] - 100%出資。ターミナルビルでの手荷物カートサービス。<br />
*[http://www.naa.jp/jp/naa/naa_yakuin_kohyo_13.html 株式会社NAAリテイリング] - 100%出資。ターミナルビルでの[[免税品]]・食品・贈答品・[[電化製品]]販売及び飲食店経営。2015年4月1日に成田空港サービス株式会社を吸収合併。<br />
*[http://www.gpa-net.co.jp/top/ 株式会社グリーンポート・エージェンシー] - 95.5%出資。ターミナルビルでの[[損害保険]]代理店、宅配サービス、乗車券販売、[[両替]]、広告媒体販売、イベントの企画・運営、賃貸、空港周辺用地の管理等。2015年4月に株式会社メディアポート成田、臨空開発整備株式会社と合併。<br />
*成田空港ロジスティックス株式会社 - 100%出資。[[自動販売機]]での飲料販売<br />
*[[芝山鉄道]]株式会社 - 68.5%出資。[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業]]([[芝山鉄道線]])。<br />
*[[成田高速鉄道アクセス]]株式会社 - 53.7%出資。[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業]]([[京成成田空港線]])。<br />
<br />
=== 持分法適用関連会社 ===<br />
同社の持分法適用会社は以下のとおり(2016年3月31日時点)。<br />
*[http://www.jafsnet.co.jp/ 日本空港給油株式会社] - 20%出資。成田空港を発着する航空機への給油業。<br />
*[http://jdf-fsl-im.jp/ 株式会社 Japan Duty Free Fa-So-La 三越伊勢丹] - 27.5%出資。市中の空港型免税店での免税品販売業。<br />
<br />
== キャラクター ==<br />
*「クウタン」<br />
**成田国際空港株式会社の民営化1周年を迎えた[[2005年]](平成17年)4月に作られた。キャラクターの設定は、性別は男。年齢は不詳。夢はヒーローになる事。趣味は深夜の滑走路散歩。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[成田国際空港]]<br />
*[[成田国際空港株式会社法]] - 根拠法。<br />
*[[新東京国際空港公団]] - 前身の公団。<br />
*[[成田空港高速鉄道]] - 10パーセントの株式を保有している。<br />
*[[東京国際空港ターミナル]] - 設立時に出資している。<br />
*[[吉田文代]] - 元社員。地元出身の陸上選手で、2008年に入社している。<br />
*[[ナリタ5番街]]<br />
* [[成田テレビ中継局]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.naa.jp/jp/ 成田国際空港株式会社]<br />
<br />
{{特殊法人}}<br />
{{成田空港問題}}<br />
{{normdaten}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:なりたこくさいくうこう}}<br />
[[Category:成田国際空港|企くうこうかいしゃ]]<br />
[[Category:空港運営者]]<br />
[[Category:特殊会社]]<br />
[[Category:災害対策基本法指定公共機関]]<br />
[[Category:成田市の企業]]<br />
[[Category:2004年設立の企業]]</div>
2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7
道路関係四公団
2018-07-09T09:25:31Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* 民営化推進委員会の設置 */</p>
<hr />
<div>'''道路関係四公団'''(どうろかんけいよんこうだん)とは、[[2005年]](平成17年)[[9月30日]]まで主として[[有料道路]]の[[建設]]・[[管理]]等を行っていた、[[日本道路公団]](JH)、[[首都高速道路公団]]、[[阪神高速道路公団]]、[[本州四国連絡橋公団]]の4つの[[特殊法人]]である<ref name="ikensho">{{Cite report|title=意見書|publisher=道路関係四公団民営化推進委員会|date=2002-12-06|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/kouhyo/1206iken.html|accessdate=2017-05-07}}</ref>。<br />
<br />
2005年(平成17年)[[10月1日]]に四公団の[[民営化]]が行われ、日本道路公団は分割され[[東日本高速道路|東日本高速道路株式会社]]・[[中日本高速道路|中日本高速道路株式会社]]・[[西日本高速道路|西日本高速道路株式会社]]に、首都高速道路公団は[[首都高速道路|首都高速道路株式会社]]に、阪神高速道路公団は[[阪神高速道路|阪神高速道路株式会社]]に、本州四国連絡橋公団は[[本州四国連絡高速道路|本州四国連絡高速道路株式会社]]になり、各公団の従来の業務・権利・義務を承継することになった<ref name="keii">{{Cite web|url=https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/gyomu_tenken/pdf01/7.pdf|publisher=国土交通省|date=2015-05-14|title=道路関係四公団民営化の経緯等(第1回高速道路機構・会社の業務点検検討会配付資料)|accessdate=2017-05-07}}</ref>。<br />
<br />
== 民営化の経緯 ==<br />
道路関係四公団の民営化を巡る議論の背景には、道路関係四公団が約40兆円の負債([[財政投融資]])を抱えていたことがある<ref name="ikensho" />。[[2001年]](平成13年)に発足した[[第1次小泉内閣]]は、[[聖域なき構造改革]]の一環として同年12月19日に特殊法人等整理合理化計画を閣議決定し、民営化の検討に着手した<ref name="keii" />。<br />
<br />
=== 民営化推進委員会の設置 ===<br />
[[2002年]](平成14年)6月7日に成立した道路関係四公団民営化推進委員会設置法に基づき、同年[[内閣府]]に'''道路関係四公団民営化推進委員会'''が設置され、民営化の具体的検討を進めた<ref name="iinkai">{{Cite web|title=道路関係四公団民営化推進委員会委員名簿 |publisher=首相官邸 |url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/index.html|accessdate=2012-10-01}}</ref>。委員には当初、[[今井敬]]([[日本経済団体連合会]]名誉会長・[[新日本製鐵]]代表取締役会長)、[[中村英夫 (土木工学者)|中村英夫]]([[武蔵工業大学]]教授)、[[松田昌士]]([[東日本旅客鉄道]]会長)、[[田中一昭]]([[拓殖大学]]政経学部教授・元行政改革委員会事務局長)、[[大宅映子]]([[評論家]])、[[猪瀬直樹]]([[作家]]・[[日本ペンクラブ]]言論表現委員長・[[東京大学]]客員教授)、[[川本裕子]]([[マッキンゼー・アンド・カンパニー]]シニア・エクスパート)らが任命され<ref>{{Cite web|title=道路関係四公団民営化推進委員会委員名簿(第一回道路関係四公団民営化推進委員会配布資料)|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai1/1siryou1.pdf|publisher=道路関係四公団民営化推進委員会事務局|date=2002-06-24|accessdate=2017-05-07}}</ref>、第一回会合にて委員長に今井、委員長代理に田中が選任された<ref>{{Cite web|title=第一回道路関係四公団民営化推進委員会議事録|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai1/1gijiroku.html|publisher=道路関係四公団民営化推進委員会事務局|date=2002-06-24|accessdate=2017-05-07}}</ref>。<br />
<br />
委員会は同年[[12月6日]]、民営化後の新たな組織のあり方、今後の道路建設、関連公益法人、ファミリー企業の改革・管理コストの削減等について意見書を取りまとめ、[[内閣総理大臣]]の[[小泉純一郎]]に提出した<ref name="ikensho" /><ref name="keii" />。意見書では「約40兆円に達する道路関係四公団の債務を国民負担ができる限り少なくなるよう長期固定で確実に返済していくことを第一優先順位とするとともに、民営化の果実を国民に還元するため、民営化と同時に弾力的な料金設定等による料金引き下げやサービスの向上が実現するような、国民全体にメリットのある改革を実現するのが民営化の目的であり、本委員会が達成すべき目標」とされた<ref name="ikensho" />。<br />
<br />
意見書では民営化後の組織について、四公団の道路資産と対応する長期債務を一括して継承する保有・債務返済機構(仮称)を設立し、パーキングエリア等の資産を承継して発足した新会社が機構から道路資産を借り受け、貸付料を支払う形態で構築するとした<ref name="ikensho" />。また、新会社は当初国が全株式を保有する特殊法人として発足し、発足後10年を目処に機構から道路資産を買い取り、早期に上場して国が保有する全株式の売却を目指す、機構は道路資産の譲渡と同時に解散することとした<ref name="ikensho" />。<br />
<br />
地域分割については、<br />
# 東日本([[北海道]]、[[東北地方]]、[[新潟県]]、[[東京都]]と[[神奈川県]]を除く[[関東地方]]、[[長野県]]北部)、拡大首都高速([[首都高速道路]]、[[第三京浜道路]]、[[横浜新道]]、[[京葉道路]]、[[東京湾アクアライン]]等)<br />
# 中日本([[東海3県|東海4県]]の[[東名高速道路]]・[[名神高速道路]]・[[中央自動車道]]全線、東京都、神奈川県、[[山梨県]]、長野県南部、[[滋賀県]]南東部、[[京都府]]南部)、拡大阪神高速([[阪神高速道路]]、[[近畿自動車道]]、[[阪和自動車道]]、[[関西空港自動車道]]、名神高速道路の一部等)<br />
# 西日本(中日本・阪神の管轄区域を除く[[近畿地方]]、[[北陸地方|北陸3県]]、[[中国地方]]、[[本州四国連絡道路]]、[[四国地方]]、[[九州地方]]、[[沖縄県]])<br />
# 首都高速道路<br />
# 阪神高速道路<br />
の5社分割とする考え方を示した<ref name="ikensho" />。<br />
<br />
委員会から意見書の提出を受けた[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉第1次改造内閣]]は、[[12月17日]]「道路関係四公団、国際拠点空港及び政策金融機関の改革について」閣議決定を行い、建設コストの削減等といった直ちに取り組むべき事項、[[2003年]]度(平成15年度)予算に関する事項、今後検討すべき課題等を整理した上で、民営化の具体化に向け検討を進めることとした<ref name="keii" />。<br />
<br />
2003年(平成15年)3月25日に開催された、第3回道路関係四公団民営化に関する[[日本国政府]]・[[与党]]協議会では、道路関係四公団民営化に関し、[[費用|コスト]]削減計画の策定、関連法人の抜本的見直し、公団における[[民間]]経営ノウハウの導入といった事項に直ちに取り組む方針が決定された<ref name="keii" />。<br />
<br />
=== 日本道路公団の総裁解任 ===<br />
2003年(平成15年)5月中旬、日本道路公団が[[債務超過]]に陥っていることを示す[[財務諸表]]を入手したとする[[新聞]]報道があり、この財務諸表の事実関係について[[国会]]で質問が行われた<ref name="kainin">{{Cite press|title=藤井道路公団総裁の解任について|date=2003-10-24|url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/06/061024_.html|accessdate=2017-05-07|publisher=国土交通省道路局総務課、日本道路公団・本州四国連絡橋公団監理室}}</ref>。7月10日には、同公団四国支社副支社長の[[片桐幸雄]]が月刊誌『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』8月号で「道路公団藤井総裁の嘘と専横を暴く」と題した手記を発表し、同公団が債務超過であるとする「幻の財務諸表」を公団総裁の[[藤井治芳]]が隠蔽した疑いがあると主張した<ref>{{Cite news|title=道路公団:「幻の財務諸表、説明された事実なし」公団調査報告|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2003-07-25|accessdate=2017-05-07}}</ref>。これに対し公団と藤井は7月25日、手記が[[名誉毀損]]に当たるとして、片桐と文藝春秋に対し3000万円の損害賠償と文芸春秋の1ページ全面の謝罪広告掲載を求める民事訴訟を東京地裁に提起した<ref>{{Cite news|title=道路公団:文春手記で片桐副支社長ら提訴 藤井総裁個人も原告|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2003-07-25|accessdate=2017-05-07}}</ref>。<br />
<br />
この事態に対し、[[国土交通大臣]]の[[石原伸晃]]は同年10月24日、正確な事実関係を確認するための適切な対応を行わなかったとして藤井を解任した<ref name="kainin" />。解任は日本道路公団法に基づくもので、民営化の検討が進む重要な時期において、報道された財務諸表について8月までデータの存在を確認できず、国会での答弁内容が都度変遷した上に不誠実な答弁を繰り返し、国会や道路関係四公団民営化推進委員会、マスコミ等に一方的な見解に基づく対応を続けるなど、一連の対応が日本道路公団に対する国民の信頼を著しく損ねたことに加え、一部の公式行事等を除いて[[秘書]]以外に自身の居場所を知らせず、[[理事]]等も秘書を通じてしか外出中の藤井に連絡できないといった組織運営手法などが、同法第13条第2項本文規定の「その他役員たるに適しないと認めるとき」に該当するとされた<ref name="kainin" />。<br />
<br />
後任の総裁が決定していなかったため、総裁の解任後は日本道路公団法第9条第2項の規定に基づき、副総裁の村瀬興一が総裁の職務を代行した<ref name="kainin" />。同年[[11月13日]]、元[[伊藤忠商事]]常務で[[参議院議員]]1期目([[第19回参議院議員通常選挙]]当選)の[[近藤剛]]が総裁に内定したと報じられ<ref>{{Cite news|title=道路公団総裁に近藤剛参院議員 19日に議員辞職し就任|date=2003-11-13|accessdate=2017=05-08|newspaper=asahi.com|url=http://www.asahi.com/special/jh/TKY200311130214.html|publisher|朝日新聞社}}</ref>、近藤は[[11月17日]]に議員辞職し<ref>{{Cite web|url=http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/kuriagehoju/kuriagehoju_2.html|title=参議院議員選挙にかかる繰上補充|publisher=総務省|accessdate=2017-05-08}}</ref>、[[11月20日]]に総裁に就任した<ref>{{Cite news|title=日本道路公団総裁に近藤剛氏が正式に就任|url=http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20031120/113654/|date=2003-11-20|accessdate=2017=05-08|publisher=日経BP社|newspaper=日経コンストラクション}}</ref>。[[11月27日]]、日本道路公団は前述の片桐と文藝春秋に対する訴訟を取り下げた<ref>{{Cite news|title=道路公団、片桐氏らへの訴訟取り下げ 藤井前総裁解任で|date=2003-11-27|accessdate=2017=05-08|newspaper=asahi.com|url=http://www.asahi.com/special/jh/TKY200311270188.html|publisher|朝日新聞社}}</ref>。<br />
<br />
なお、一連の問題をめぐる議論の中で推進委員会やマスコミが「赤字」との表現を用いる場面があったことについて、[[高橋洋一]]は個別の路線ではなく公団全体で見れば赤字ではなかったと指摘している{{Sfn|高橋洋一|2008|pp=97-100}}。高橋は、道路関係四公団のうち本四公団を除いては収入が支出を上回る状態であり、[[DCF法]]で試算して2兆円から3兆円程度の資産超過(黒字)となっていたが、学者やマスコミは保有資産の[[時価総額]]のみで試算した結果、四公団は6兆円から7兆円の債務超過とする情報を流していたとしている{{Sfn|高橋洋一|2008|pp=97-100}}。また、高橋は「借金の存在=悪」という考え方は必ずしも正しくなく、借金とはストックの概念であり、将来にわたってフローの健全性が見込めるのであれば借金の存在自体はなんら問題はない、本四公団を除いた各公団はフローで「黒字」であったことから、借金の存在だけをもってただちに道路関係四公団を批判することは、的外れであるとも主張している{{Sfn|高橋洋一|2008|pp=97-100}}。<br />
<br />
=== 道路関係四公団民営化の基本的枠組み ===<br />
2003年(平成15年)12月22日に開催された第5回道路関係四公団民営化に関する政府・与党協議会では、道路関係四公団民営化の目的を『民間にできることは民間に委ねる』との原則に基づき、<br />
# 道路関係四公団合計で約40兆円に上る[[有利子負債|有利子債務]]を一定期間内に確実に返済し<br />
# 有料道路として整備すべき区間について、民間の経営上の判断を取り入れつつ、必要な道路を早期に、かつできるだけ少ない国民負担の下で建設するとともに<br />
# 民間のノウハウ発揮により、多様で弾力的な料金設定、[[サービスエリア]]を始めとする道路資産や関連情報を活用した多様なサービス提供等を図る<br />
とする基本的枠組みが決定された<ref name="keii" /><ref name="wakugumi">{{Cite web|title=道路関係四公団民営化の基本的枠組みについて|url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/06/061222/02.pdf|date=2003-12-22|accessdate=2017-05-07|publisher=国土交通省}}</ref>。<br />
<br />
基本的枠組みでは、高速国道の整備計画区間(9,342km)について、従来は全て有料道路として建設予定だった[[国土開発幹線自動車道]]の整備計画区間1万1,520kmのうち未供用区間(約2,000km)の事業方法等を見直し、同年内に開催する[[国土開発幹線自動車道建設会議]]で「直ちに[[新直轄方式]]に切り替える道路」と「有料道路事業のまま継続する道路」に分け、両方に「抜本的見直し区間」を設定することとした<ref name="wakugumi" />。<br />
<br />
抜本的見直し区間は、通行料金収入で管理費が賄えない、あるいは、有料道路としての[[費用便益分析|費用対便益]]が1を下まわる「明らかに有料道路に適さないと想定される区間」のうち、[[都市計画]]決定済または[[用地買収]]中の区間を除く、[[北海道縦貫自動車道]]の[[士別市]] - [[名寄市]]間24km、[[北海道横断自動車道]]の[[足寄町]] - [[北見市]]間79km、[[中国横断自動車道]]の[[米子市]]内5kmの3区間に加え、同等機能を持つ複数の道路が完成し、新たな道路を追加する必要性を見極める必要のある区間として[[近畿自動車道]]の[[大津市]] - [[城陽市]]間25km、同[[八幡市]] - [[高槻市]]間10kmの2区間、合計5区間が選定され、構造・規格の大幅な見直しにより抜本的なコスト削減を図ることとなった<ref name="wakugumi" />。<br />
<br />
また、民営化後の新たな組織について、有料道路事業として道路の建設・管理・料金徴収を行う[[会社]](特殊法人)と、道路を保有し会社からの貸付料徴収により債務を返済する機構([[独立行政法人]])を設立し、道路関係四公団の業務を引き継ぐこと、日本道路公団を継承する会社は地域ごとに3社に分割して設立すること、首都高速道路公団・阪神高速道路公団・本州四国連絡橋公団を継承する会社は独立して設立すること、機構は民営化から45年後には債務を確実に返済して解散すること等が基本的枠組みに盛り込まれ、[[#民営化のスキーム|後述する民営化のスキーム]]が概ね決定された<ref name="wakugumi" />。<br />
<br />
一方、道路関係四公団民営化推進委員会委員長代理の田中と同委員の松田は、委員会が2002年(平成14年)に提出した意見書とは民営化後の新たな組織のあり方に関する考え方等が異なるとして、内閣総理大臣に辞表を提出、辞任した<ref name="CN2003122201004569">{{Cite news|title=田中、松田両委員が辞任 道路公団民営化案を批判 |url=http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003122201004569.html |agency=共同 |date=2003-12-22}}{{リンク切れ|date=2017年2月}}</ref>。<br />
<br />
=== 道路関係四公団民営化関係四法案 ===<br />
基本的枠組みを基に[[2004年]](平成16年)3月9日、[[第2次小泉内閣]]が道路関係四公団民営化関係四法案を[[閣議決定]]し<ref name="kakugi">{{Cite press|publisher=国土交通省道路局 |title=道路関係四公団民営化関係四法案の閣議決定について |date=2004-03-09 |url=http://www.mlit.go.jp/road/4kou-minei/20040309/20040309.html}}</ref>、同年6月2日に道路関係四公団民営化関係四法([[高速道路株式会社法]]、独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構法、日本道路公団等の民営化に伴う道路関係法律の整備等に関する法律、日本道路公団等民営化関係法施行法)が成立した<ref name="keii" />。<br />
<br />
2005年(平成17年)9月30日をもって道路関係四公団民営化推進委員会が廃止され<ref name="iinkai" />、10月1日に高速道路株式会社(東日本高速道路株式会社・中日本高速道路株式会社・西日本高速道路株式会社・首都高速道路株式会社・阪神高速道路株式会社・本州四国連絡高速道路株式会社)と[[独立行政法人]][[日本高速道路保有・債務返済機構]]が設立、日本道路公団・首都高速道路公団・阪神高速道路公団・本州四国連絡橋公団の4公団は廃止された<ref name="keii" />。<br />
<br />
== 民営化のスキーム ==<br />
民営化においては、高速道路の建設・管理・料金徴収を各高速道路株式会社、高速道路の保有・債務返済を日本高速道路保有・債務返済機構が担うこととされた<ref name="keii" />。日本高速道路保有・債務返済機構は、保有する高速道路を会社に貸し付け、会社の料金収入を貸付料として受け取り、債務を返済する<ref name="keii" />。高速道路を新規に建設する際は、会社が債券や借入金を調達して道路を建設し、完成後に資産と債務を機構に移行する<ref name="keii" />。債務返済後は無料開放し、本来の道路管理者に道路を移管する<ref name="keii" />。これらの業務(高速道路事業)には国土交通大臣の認可を必要とする<ref name="keii" />。<br />
<br />
高速道路会社は、高速道路事業以外にサービスエリア(SA)・[[パーキングエリア]](PA)事業、[[駐車場]]事業、[[トラックターミナル]]事業、[[不動産]]開発事業、道路の新設・維持・調査等の受託といった関連事業を行う<ref name="keii" />。関連事業は国土交通大臣の認可が必要な高速道路事業と異なり届出制で、収入を貸付料として機構に支払うが必要ないため高速道路会社が利益を得ることができる<ref name="keii" />。無料開放後はこの関連事業が高速道路会社の経営基盤となる<ref name="keii" />。高速道路の[[固定資産税]]や[[不動産取得税]]等は非課税だが、関連事業分は通常の会社と同様に課税されるため、高速道路会社法により高速道路事業と関連事業の会計を区分することが義務づけられている<ref name="keii" />。<br />
<br />
民営化前の四公団および関連組織と、事業を引き継ぎ発足した民営化後の組織は次の通り<ref name="keii" />。<br />
{| class="wikitable"<br />
! colspan="2"| 改組前 !! colspan="4"| 改組後<br />
|-<br />
! rowspan="2"|高速道路事業 !! rowspan="2"|関連事業 !! colspan="2"|高速道路事業 !! colspan="2" rowspan="2"|関連事業<br />
|-<br />
! 建設・管理・料金徴収 !! 保有・債務返済<br />
|-<br />
| rowspan="3"| 日本道路公団 <br />
| rowspan="6"| [[ハイウェイ交流センター|財団法人ハイウェイ交流センター]]<br />[[道路サービス機構|財団法人道路サービス機構]] <br />
| 東日本高速道路株式会社<br />
| rowspan="6"| 独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構<br />
| [[ネクセリア東日本|ネクセリア東日本株式会社]]<br />
| rowspan="6"| 財団法人[[高速道路交流推進財団]]<br />
|-<br />
| 中日本高速道路株式会社<br />
| [[中日本エクシス|中日本エクシス株式会社]]<br />
|-<br />
| 西日本高速道路株式会社<br />
| [[西日本高速道路サービス・ホールディングス|西日本高速道路サービス・ホールディングス株式会社]]<br />
|-<br />
| 首都高速道路公団 || 首都高速道路株式会社 || -<br />
|-<br />
| 阪神高速道路公団 || 阪神高速道路株式会社 || -<br />
|-<br />
| 本州四国連絡橋公団 || 本州四国連絡高速道路株式会社 || -<br />
|}<br />
<br />
== 出典 ==<br />
=== 脚注 ===<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
=== 参考文献 ===<br />
<!---脚注で出典利用箇所、ページを示してください* {{Cite|和書|author=猪瀬直樹 |authorlink=猪瀬直樹 |title=道路の権力 : 道路公団民営化の攻防1000日 |date=2003 |publisher=文藝春秋 |isbn=4163654003 |ref=harv}}--><br />
* {{Cite|和書|author=高橋洋一 |authorlink=高橋洋一 (経済学者) |title=さらば財務省! : 官僚すべてを敵にした男の告白 |date=2008 |publisher=[[講談社]] |isbn=978-4-06-214594-7 |ref=harv}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日本の民営化の一覧]]<br />
* [[ミルトン・フリードマン#主張した具体的政策]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/index.html 道路関係四公団民営化推進委員会]<br />
* [http://www.mlit.go.jp/road/4kou-minei/4kou-minei_4.html 道路:道路関係四公団民営化 - 国土交通省]<br />
* [http://www.mlit.go.jp/road/ir/hyouka/kodan/ 国土交通省道路局 Investor Relations 道路行政の評価 道路関係公団の概要]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とうろかんけいよんこうたん}}<br />
[[Category:日本の高速道路]]<br />
[[Category:財政投融資]]<br />
[[Category:民営化]]<br />
[[Category:公団|*とうろかんけいよんこうたん]]<br />
[[Category:名数4|とうろかんけいこうたん]]</div>
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三塚博
2018-07-09T07:32:57Z
<p>2400:7800:4975:9200:4193:C535:1A68:8AD7: /* エピソード */</p>
<hr />
<div>{{画像提供依頼|顔写真|date=2010年7月|cat=人物}}<br />
{{政治家<br />
|人名 = 三塚 博<br />
|各国語表記 = みつづか ひろし<br />
|画像 = Replace_this_image_JA.svg<br />
|画像説明 = <br />
|国略称 = {{JPN}}<br />
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1927|8|1|死去}}<br />
|出生地 = {{JPN}} [[宮城県]][[遠田郡]][[美里町 (宮城県)|美里町]]<br />
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1927|8|1|2004|4|25}}<br />
|死没地 = {{JPN}} [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]<br />
|出身校 = 旧制東京高等獣医学校<br/>(現・[[日本大学生物資源科学部・大学院生物資源科学研究科及び獣医学研究科|日本大学生物資源科学部]])<br/>[[早稲田大学法学部|早稲田大学第一法学部]]<br />
|前職 = <br />
|現職 = <br />
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[清和政策研究会]])<br />
|称号・勲章 = [[正三位]]<br/>[[旭日大綬章]]<br />
|世襲の有無 = 無<br />
|親族(政治家) = <br />
|配偶者 = 三塚寿子<br />
|サイン = <br />
|ウェブサイト = <br />
|サイトタイトル = <br />
|国旗 = JPN<br />
|職名 = 第102代 [[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]<br />
|内閣 = [[第2次橋本内閣]]<br />[[第2次橋本内閣 (改造)|第2次橋本改造内閣]]<br />
|選挙区 = <br />
|当選回数 = <br />
|就任日 = [[1996年]][[11月7日]]<br />
|退任日 = [[1998年]][[1月28日]]<br />
|退任理由 = 省内での汚職事件で連帯責任を取らされたため<br />
|所属委員会 = <br />
|議員会館 = <br />
|元首職 = <br />
|元首 = <br />
|国旗2 = JPN<br />
|職名2 = 第116代 [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]<br />
|内閣2 = [[宇野内閣]]<br />
|選挙区2 = <br />
|当選回数2 = <br />
|就任日2 = [[1989年]][[6月3日]]<br />
|退任日2 = [[1989年]][[8月10日]]<br />
|退任理由2 = <br />
|所属委員会2 = <br />
|議員会館2 = <br />
|元首職2 = <br />
|元首2 = <br />
|国旗3 = JPN<br />
|職名3 = 第50代 [[経済産業大臣|通商産業大臣]]<br />
|内閣3 = [[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]]<br />
|選挙区3 = <br />
|当選回数3 = <br />
|就任日3 = [[1988年]][[12月27日]]<br />
|退任日3 = [[1989年]][[6月3日]]<br />
|退任理由3 = <br />
|所属委員会3 = <br />
|議員会館3 = <br />
|元首職3 = <br />
|元首3 = <br />
|国旗4 = JPN<br />
|職名4 = 第57代 [[運輸大臣]]<br />
|内閣4 = [[第2次中曽根内閣 (第2次改造)|第2次中曽根改造内閣]]<br />
|選挙区4 = <br />
|当選回数4 = <br />
|就任日4 = [[1985年]][[12月28日]]<br />
|退任日4 = [[1986年]][[7月22日]]<br />
|退任理由4 = <br />
|所属委員会4 = <br />
|議員会館4 = <br />
|元首職4 = <br />
|元首4 = <br />
|国旗5 = JPN<br />
|職名5 = [[衆議院議員]]<br />
|内閣5 = <br />
|選挙区5 = ([[宮城県第1区_(中選挙区)|旧宮城1区]]→)<br />[[宮城県第3区|宮城3区]]<br />
|当選回数5 = 10回<br />
|就任日5 = [[1972年]][[12月11日]]<br />
|退任日5 = [[2003年]][[10月10日]]<br />
|退任理由5 = <br />
|元首職5 = <br />
|元首5 = <br />
|国旗6 = 宮城県<br />
|その他職歴1 = [[宮城県議会議員]]<br />
|就任日6 = [[1963年]]<br />
|退任日6 = [[1970年]]<br />
}}<br />
'''三塚 博'''(みつづか ひろし、[[1927年]]([[昭和]]2年)[[8月1日]] - [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月25日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。<br />
<br />
[[衆議院議員]](10期)、[[運輸大臣]]([[第2次中曽根内閣 (第2次改造)|第57代]])、[[経済産業大臣|通産大臣]]([[竹下内閣 (改造)|第50代]])、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]([[宇野内閣|第116代]])、[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]([[第2次橋本改造内閣|第102代]])、[[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]](第44代)、[[自由民主党政務調査会長|自民党政務調査会長]](第35代、第38代)、[[自民党幹事長]](第31代)を歴任。[[正三位]][[旭日大綬章]]。血液型O型。<br />
<br />
== 来歴・人物 ==<br />
[[宮城県]][[遠田郡]]北浦村(現[[美里町 (宮城県)|美里町]])で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現[[宮城県小牛田農林高等学校]])、東京高等獣医学校(現[[日本大学生物資源科学部・大学院生物資源科学研究科及び獣医学研究科|日本大学生物資源科学部]])を経て[[早稲田大学法学部|早稲田大学第一法学部]]へ[[学士入学]]し、[[1951年]]に卒業。在学中は[[早稲田大学雄弁会|雄弁会]]に所属。<br />
<br />
大学卒業後は[[本間俊一]]、[[保科善四郎]]両衆院議員秘書を経て、[[1959年]]の[[宮城県議会議員]]選挙に立候補するも落選。捲土重来を期した次の[[1963年]]に宮城県議会議員に初当選。2期務める。[[1970年]]には[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]宮城県連の一方的な要請により[[仙台市]]長選挙に立候補し落選するが、[[1972年]]の[[第33回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で立候補し初当選を飾る。以降10期連続当選(当選同期に[[小泉純一郎]]・[[加藤紘一]]・[[山崎拓]]・[[石原慎太郎]]・[[村岡兼造]]・[[保岡興治]]・[[瓦力]]・[[越智通雄]]・[[野田毅]]・[[深谷隆司]]など)。派閥は[[清和政策研究会|福田派→安倍派]]に属した。<br />
<br />
新人議員の頃に、[[青嵐会]]の結成に参加。[[中川一郎]]の信用を得て、[[清和政策研究会|福田派]]議員でありながら[[1979年]]に設立された[[自由革新同友会|中川派]]の幹事長を務める。政策通であり、同じ派閥の[[加藤六月]]などと共に「'''運輸族'''」の有力議員として知られ、[[1985年]]に[[運輸大臣]]として初入閣。[[国鉄分割民営化]]、財政構造改革路線の推進に尽力した。<br />
<br />
[[1986年]]、安倍が福田派を継承すると、三塚は派内事務総長に就任し加藤、[[森喜朗]]、[[塩川正十郎]]と共に「'''[[安倍派四天王]]'''」のひとりに数えられる実力者へと成長する。派内の後継者候補と目されるライバルが四天王として並び立つ構図は、[[1988年]]の[[リクルート事件]]の発覚により加藤と森が謹慎を余儀なくされた事で崩れ、事件に無関与だった三塚は[[経済産業大臣|通産大臣]]、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]、[[自由民主党政務調査会|自民党政調会長]]をたて続けに歴任。異例のスピードで重要役職をこなす。<br />
<br />
[[1991年]]に、[[安倍晋太郎]]が死去すると、加藤との「'''[[三六戦争]]'''」に勝利し、安倍派を継承。三塚派とした。派閥を率いて[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]に出馬し(結果は落選)、その後も[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]、[[第2次橋本内閣]]で[[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]を務めるなど、首相・総裁候補として、申し分のないキャリアを積んだ。<br />
<br />
[[1997年]]には第2次橋本内閣の蔵相であり[[清和会]]21世紀を考える会の会長であったが、4月の衆議院本会議では、大蔵大臣として[[外国為替及び外国貿易管理法]]の改正法案の趣旨説明を行った<ref>『[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0001/14004030001021a.html 衆議院会議録]』、『[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/14019970523059.htm 外国為替及び外国貿易管理法の一部を改正する法律]』。</ref>。同改正法案は、[[日本国]]が他国に対し、[[国際連合]]の決議に基づかずとも独自に経済制裁等の措置を講ずることを可能とするものであった<ref>[[経済産業省]]によれば同法に基づき、[[2006年]]から[[北朝鮮]]への[[経済制裁]]が開始された。この改正に関する[[財務省]][https://megalodon.jp/2017-1108-2117-49/www.mof.go.jp/international_policy/gaitame_kawase/gaitame/hensen.html 『外為法の目的と変遷』]には時期についての説明不足がある。</ref>。<br />
<br />
しかし同年、[[山一證券]]・[[北海道拓殖銀行]]の経営破綻といった、未曾有の金融危機に見舞われた際に、目立った指導力を発揮出来ず、北海道拓殖銀行の資金繰りが行き詰まり、[[北洋銀行]]への営業譲渡に追い込まれたのが、[[1997年]](平成9年)[[11月17日]]。[[大蔵省]]は「護送船団方式」の維持を[[北海道銀行]]との合併に賭けたが、道銀側の反対が根強く、「大手20行は1行たりともつぶさない」とする国際公約は脆くも崩れ去り、1997年(平成9年)[[11月24日]]に山一證券が経営破綻し、三塚は「マーケットを無視することはできない」と、敗北を認めた<ref>{{cite news<br />
| url = http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/anohi/CK2007112302066723.html<br />
| title = 1997年11月24日 山一証券が自主廃業 『日本式経営』の終焉 象徴<br />
| newspaper = [[東京新聞]]<br />
| date = 1997-11-24<br />
| accessdate =2016-09-27<br />
| archiveurl = https://archive.is/nPd80<br />
| archivedate = 2016-02-16<br />
}}</ref>。[[大蔵省接待汚職事件]]の責任を取って、大蔵大臣を辞任した。<br />
<br />
また、1997年の宮城県知事選挙で、自民党推薦の[[市川一朗]]が敗北するなど、宮城政界への影響力も低下した。結果、[[内閣総理大臣]]への夢は叶わず、翌年には森に派閥会長の座を譲って三塚派から森派とし、政界の第一線から退く形になった<ref>三塚から森への禅譲に反発した[[亀井静香]]や[[平沼赳夫]]をはじめ中堅・若手議員の一部は三塚派を離脱し、翌年[[志帥会|村上・亀井派]]を結成した</ref>。<br />
<br />
その後、清和政策研究会の名誉会長となる。[[2001年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では自身と当選同期の小泉純一郎を支持した。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]には出馬せず政界を引退。2004年4月25日死去。発表されている死因は[[肺炎]](一説には[[肺癌]]を発病していたという)。{{没年齢|1927|8|1|2004|4|25}}。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
*[[1959年]][[4月]] 宮城県議会議員に立候補し、落選。<br />
*[[1963年]][[4月]] 宮城県議会議員に初当選。(2期)<br />
*[[1970年]][[1月]] 仙台市長選挙に立候補し、落選。<br />
*[[1972年]][[12月]] 衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以降10期連続当選。<br />
*[[1977年]][[11月]] 運輸政務次官([[福田赳夫内閣 (改造)|福田改造内閣]])に就任。<br />
*[[1985年]][[12月]] 運輸大臣([[第2次中曽根内閣 (第2次改造)|第2次中曽根第2次改造内閣]])に就任。<br />
*[[1987年]][[11月]] 衆議院議員運営委員長に就任<br />
*[[1988年]][[12月]] 通産大臣([[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]])に就任。<br />
*[[1989年]][[6月]] 外務大臣([[宇野内閣]])に就任。<br />
*[[1989年]][[8月]] 自民党政調会長に就任。<br />
*[[1991年]][[6月]] 安倍晋太郎の死去を受け清和会会長に就任。安倍派から三塚派となる。<br />
*[[1991年]][[10月]] [[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補。<br />
*[[1992年]][[12月]] 再び自民党政調会長に就任。<br />
*[[1993年]][[8月]] 自民党政治改革本部長に就任。<br />
*[[1995年]][[8月]] 幹事長を務めていた森が建設大臣として入閣したため、その後任として自民党幹事長に就任。<br />
*[[1996年]][[11月]] 大蔵大臣([[第2次橋本内閣]])に就任。<br />
*[[1998年]][[1月]] 一連の[[大蔵省接待汚職事件]]の責任を取り大臣を辞任。<br />
*[[1998年]][[12月]] 派閥会長を[[森喜朗]]に禅譲し、三塚派から森派となる。<br />
*[[2003年]][[10月]] 政界を引退。<br />
*[[2004年]][[4月]] [[聖路加国際病院]]にて死去(享年76)<br />
<br />
== エピソード ==<br />
*東京高等獣医学校(現[[日本大学]]生物資源科学部)で[[獣医師]]免許を取得している。<br />
*{{要出典範囲|株仕手戦を巡る[[国際航業]]事件、師の子息である[[本間俊太郎]]宮城県知事が逮捕された[[ゼネコン]]汚職への関与を指摘されるなど、疑惑の対象となることが多く、「疑惑のデパート」と揶揄された|date=2015年1月}}。<br />
*前述の[[中川一郎]]の[[自由民主党総裁選挙]]出馬の件に関して、三塚の先輩である[[浜田幸一]]は、著書『[[日本をダメにした九人の政治家]]』にて、「金で総てを動かし、中川さんが苦しんでいるさまを横目に出世していった三塚君の人間性を許すわけにはいかない」と厳しく断じ、「この男が[[内閣総理大臣|首相]]にでもなろうものなら、間違いなく日本は滅びてしまう」と警鐘を鳴らし、「三塚博よ、真っ先に辞職を」と迫った。なお、浜田はこの著書の中で、三塚を9人の中でも一番厳しく糾弾している。<br />
*その一方で、[[宗教法人]]の[[幸福の科学]]は三塚を「'''[[哲人政治]]家'''」として高く評価し、1995年には自らの政権の首相として三塚を推薦する事を表明した上、同団体系の出版社から『'''三塚博総理大臣待望論'''』<ref>書籍『三塚博総理大臣待望論』小川空城 編纂共著、幸福の科学出版、1995年8月10日発行、ISBN 978-4-87688-260-1。</ref>を刊行した。<br />
*[[有害図書]]の規制を主張し{{要出典範囲|「少年の健全な育成を阻害する図書類の販売等の規制に関する法案」(未提出)作成の中心人物となったことで知られる|date = 2015年12月}}。特に当時、[[角川書店]]から刊行されていた『[[ポップティーン]]』を始めとする少女向け情報誌の内容を[[予算委員会]]で「性欲講座」と批判<ref>{{Cite conference|title = 予算委員会|conference = 第101回国会|date = 1984-02-14|volume = 3|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0380/10102140380003a.html}}</ref>。{{要出典範囲|この煽りを受けて複数の雑誌が休廃刊ないし大幅な路線変更を余儀無くされた|date=2015年1月}}。<br />
*中選挙区時代、旧宮城1区で[[愛知揆一]]・[[愛知和男|和男]]親子との間で、選挙戦の際に得票数をめぐって激しい争いが行われた。「'''三愛戦争'''」と呼ばれたこの争いは、[[1994年]]の小選挙区制導入で愛知和男が宮城1区、三塚が宮城3区と住み分けが成立したことで解消された。<br />
*1982年に国鉄現場を抜き打ち視察を行い、同行していたマスメディアに国鉄の現場の腐敗ぶりを広く知らしめることで、[[国鉄労働組合|国労]]の[[遵法闘争]]に終止符を打って、[[国鉄分割民営化]]への道筋を切り開くなど、政治家としての実力自体はかなり高いほうではあった。<br />
**なお、分割民営化の案が想定されていた当時、[[本州]]の[[JR]]分割に関して、東日本と西日本と二分割論が主流であった自民党において、「'''[[大阪]]の会社に[[東海道新幹線]]をやるわけにはいかん'''」と、三分割論を強硬に推進した中心人物とされている{{要出典|date=2013年5月}}。結果、中部地方には東海道新幹線を所有する[[東海旅客鉄道|JR東海]]が誕生し、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]は[[山陽新幹線]]を有するのみにとどまった。<br />
<br />
== 幸福の科学との関係 ==<br />
[[幸福の科学]]の刊行物によれば、1991年に妻の寿子が同教団に入会し、その後本人も正会員になったとされる<ref>書籍『新生日本の指針』p19,p110</ref>。幸福の科学は三塚を会員と認識していたが、1995年8月14日時点の本人側の見解を報じた報道には、「幸福の科学からの一方的支持であり、ただただ困惑している」との三塚代議士事務所のコメントおよび「書籍は購読しているが、正会員という認識はない」という本人の発言がある<ref name=aera19950814/>。<br />
<br />
また1996年に本人は「[[ほめ殺し]]だろうと、私のスタッフはガードした。代表の大川(隆法)さんとは会ったことはない」と述べている<ref>{{cite news|title=[96政局 言いたい聞きたい](6)三塚博・自民前幹事長(連載)|newspaper=読売新聞東京朝刊|publisher=読売新聞社|date=1996-04-30|page=2}}</ref>。<br />
<br />
一方、1995年7月10日の[[東京ドーム]]での幸福の科学の祭典「御生誕祭」で大川隆法の講演「新生日本の指針」に参加し、会場の舞台の画面に三塚の映像メッセージが示され<ref name=aera19950814>{{Cite book|author = 山之上玲子・高橋淳子|year = 1995|title = AERA 1995年8月14日号|publisher = 朝日新聞社|page = 16}}</ref>、集まった5万人に紹介された<ref>書籍『新生日本の指針』p19,p110</ref>。この大川の講演では、当時発生した[[松本サリン事件]]や[[地下鉄サリン事件]]に代表される「[[オウム真理教|オウム]]事件」の解決に尽力したのは三塚であり「事実上の内閣総理大臣」として国家危機管理に獅子奮迅の努力をされたと評価された<ref>書籍『新生日本の指針』p18</ref>。<br />
<br />
また当時の経済運営や、日米貿易摩擦などの外交問題での政治手腕なども評価をし「次期総理大臣に推薦」<ref>書籍『新生日本の指針』p110</ref>との大川隆法の言葉があり、それに賛同する東京ドームの観衆から大きな拍手で評価された。この祭典の状況はマスコミに報道され、書籍『新生日本の指針』<ref>書籍『新生日本の指針』大川隆法 著、幸福の科学出版、1995年7月31日発刊、ISBN 978-4-87688-259-5。</ref>やVHSビデオで頒布された。<br />
<br />
[[幸福の科学]]は書籍『三塚博総理大臣待望論』を1995年8月に発刊したり、雑誌「[[ザ・リバティ]]」1995年10月号で、「首相候補を採点する」などの特集で、三塚を最高点で評価した。1995年8月8日には東京日比谷の野外音楽堂を中心に日比谷公園に約10万人が集まり、「三塚総理実現のための集い」が開かれたりした<ref>雑誌『ザ・リバティ』1995年10月号p2</ref>。<br />
<br />
== 著作 ==<br />
*『国鉄を再建する方法はこれしかない』(ユニコーン書林 1984年)ISBN 4880941085<br />
*『さらば国有鉄道』(ネスコ 1986年)ISBN 4890360360<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
*『三塚博 全人像』(関口茂著 行政問題研究所 1992年)ISBN 4905786924<br />
*『三塚博 黒い履歴書 ゼネコン疑惑の主役 汚れた領袖の悪行を暴く』(菊池久著 ポケットブック社 1993年)ISBN 4341140558<br />
<br />
== 所属団体 ==<br />
* [[神道政治連盟国会議員懇談会]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連人物 ==<br />
* [[満井忠男]]<br />
* [[狩野岳也]]<br />
* [[中野正志]]<br />
<br />
{{-}}<br />
{{start box}}<br />
{{s-off}}<br />
{{succession box<br />
| title = {{Flagicon|JPN}} [[日本の大蔵大臣・財務大臣一覧|大蔵大臣]]<br />
| before = [[久保亘]]<br />
| years = 第102代:1996年 - 1998年<br />
| after = [[橋本龍太郎]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = {{Flagicon|JPN}} [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]<br />
| before = [[宇野宗佑]]<br />
| years = 第116代:1989年<br />
| after = [[中山太郎]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = {{Flagicon|JPN}} [[経済産業大臣|通商産業大臣]]<br />
| before = [[田村元]]<br />
| years = 第50代:1988年 - 1989年<br />
| after = [[梶山静六]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = {{Flagicon|JPN}} [[運輸大臣]]<br />
| before = [[山下徳夫]]<br />
| years = 第57代:1985年 - 1986年<br />
| after = [[橋本龍太郎]]<br />
}}<br />
{{s-par}}<br />
{{succession box <br />
| title = {{Flagicon|日本}} [[議院運営委員会|衆議院議院運営委員長]]<br />
| before = [[越智伊平]]<br />
| years = 第44代:1987年 - 1988年<br />
| after = [[山口敏夫]]<br />
}}<br />
{{s-ppo}}<br />
{{succession box <br />
| title = [[自由民主党幹事長]]<br />
| before = [[森喜朗]]<br />
| years = 第31代:1995年<br />
| after = [[加藤紘一]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = [[自由民主党政務調査会長]]<br />
| before = [[村田敬次郎]]<br/>[[森喜朗]]<br />
| years = 第35代:1989年 - 1990年<br/>第38代:1992年 - 1993年<br />
| after = [[加藤六月]]<br/>[[橋本龍太郎]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = [[税制調査会|自由民主党税制調査会長]]<br />
| before = [[山中貞則]]<br />
| years = 第22代:1989年<br />
| after = [[西岡武夫]]<br />
}}<br />
{{succession box <br />
| title = [[清和政策研究会|清和会会長]]<br />
| before = [[安倍晋太郎]]<br />
| years = 第3代:1991年 - 1998年<br />
| after = [[森喜朗]]<br />
}}<br />
{{end box}}<br />
{{衆議院議院運営委員長}}<br />
{{財務大臣||大蔵大臣}} <br />
{{外務大臣}}<br />
{{経済産業大臣||通商産業大臣}}<br />
{{国土交通大臣||[[運輸大臣]]}}<br />
{{自由民主党幹事長}}<br />
{{自由民主党政調会長}}<br />
{{自由民主党税制調査会長}}<br />
{{清和政策研究会会長}}<br />
{{Normdaten}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:みつつか ひろし}}<br />
[[Category:日本の外務大臣]]<br />
[[Category:日本の大蔵大臣]]<br />
[[Category:日本の通商産業大臣]]<br />
[[Category:日本の運輸大臣]]<br />
[[Category:自由民主党幹事長]]<br />
[[Category:自由民主党の衆議院議員]]<br />
[[Category:宮城県選出の衆議院議員]]<br />
[[Category:宮城県の地方議会議員]]<br />
[[Category:日本の市区町村長選挙の立候補経験者]]<br />
[[Category:日本の獣医師]]<br />
[[Category:日本の秘書]]<br />
[[Category:神道政治連盟国会議員懇談会の人物]]<br />
[[Category:幸福の科学の人物]]<br />
[[Category:早稲田大学出身の人物]]<br />
[[Category:日本大学出身の人物]]<br />
[[Category:宮城県出身の人物]]<br />
[[Category:旭日大綬章受章者]]<br />
[[Category:1927年生]]<br />
[[Category:2004年没]]</div>
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