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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=2001%3A2F8%3A20%3A700%3A9D87%3AF1E9%3AD8C%3A2432 miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-24T14:16:37Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 都市再開発 2018-12-04T08:05:37Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: </p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> |出典の明記=2017年7月<br /> |独自研究=2008年8月20日 (水) 16:47 (UTC)<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;都市再開発&#039;&#039;&#039;(としさいかいはつ)とは、既成の市街地を再整備([[再開発]])すること。<br /> <br /> 英語にはアーバン・リニューアル(Urban renewal)という概念があり、日本語では&#039;&#039;&#039;都市更新&#039;&#039;&#039;と訳される&lt;ref&gt;日本都市計画学会、都市計画国際用語研究会『都市計画国際用語辞典』丸善、2003年、124頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 日本の都市再開発 ==<br /> {{日本の都市計画}}<br /> [[File:Imperial Palace Pano Some CROPPED RESIZED.png|thumb|300px|再開発の進む[[東京都]][[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]地区]]<br /> [[日本]]では[[都市再開発法]]に定める「&#039;&#039;&#039;市街地再開発事業&#039;&#039;&#039;」を指すことが多い。<br /> <br /> この他の都市再開発には、[[特定街区]]制度や[[総合設計制度]]を用いる場合、[[都市計画]]及び関連法による[[法定計画]](例えば再開発促進区)が定められる場合、任意に事業が行われる場合(例えば工場跡地開発)などがある。<br /> <br /> === 市街地開発事業について ===<br /> 都市計画法12条1項各号に掲げる都市の開発事業に「市街地開発事業」がある。[[地方公共団体]]などが一定の地域に総合的な計画に基づいて[[公共施設]]や[[宅地]]といった建築物の整備を一定的に行い、面的な市街地の開発を図ることを目的としている。<br /> <br /> ;「市街地開発事業」:[[都市計画法]]第12条に定める都市計画事業は、以下のとおり<br /> #[[土地区画整理法]](昭和29年法律第119号)による[[土地区画整理事業]]<br /> #[[新住宅市街地開発法]](昭和38年法律第134号)による[[新住宅市街地開発事業]]<br /> #[[首都圏の近郊整備地帯及び都市開発区域の整備に関する法律]](昭和33年法律第98号)による[[工業団地]]造成事業又は[[近畿圏の近郊整備区域及び都市開発区域の整備及び開発に関する法律]](昭和39年法律第145号)による工業団地造成事業<br /> #[[新都市基盤整備法]](昭和47年法律第86号)による新都市基盤整備事業<br /> #[[大都市地域における住宅及び住宅地の供給の促進に関する特別措置法]]による[[住宅街区整備事業]]<br /> #[[密集市街地整備法]]による[[防災街区整備事業]]<br /> #[[都市再開発法]]による&#039;&#039;&#039;市街地再開発事業&#039;&#039;&#039;<br /> <br /> ==== 新都市基盤整備事業 ====<br /> 市街地開発事業の一つで、新都市基盤整備法に基づき大都市圏における健全な新都市の基盤を整備し、大都市における人口集中と宅地需給の緩和を図ることを目的とする。事業は新都市基盤法第5条により、すべて都市計画事業として施行し、大都市周辺部にあって[[新都市]]として開発されるべき自然的、社会的条件を備えながら、現状では都市化が困難な地域において、法第6条によって[[地方公共団体]]または[[都市再生機構]](旧都市基盤整備公団又は旧地域振興整備公団)が事業主体となって事業を行うと定められている。<br /> 施行者は、施行区域内各筆の土地から一定割合の土地を取得した後、換地方式による土地整理で道路、鉄道、公園、下水道等の根幹的公共施設及び開発誘導地区に充てるべき土地を整備することにより、新都市の基盤をつくる、とされている。なお、開発誘導地区とは、都市として開発するための中核となる地区として、一団地の住宅施設、教育施設、医療施設、官公庁施設、購買施設などを誘導するための土地の区域をいう。施行区域のうち、根幹的公共施設及び開発誘導地区を除くその他の民有地についてはあくまで土地区画整理事業に準じて公共減歩、換地による地区の整備を行うこととされている。<br /> なお、新都市基盤整備事業は、これまで実施例はない。<br /> <br /> 新都市基盤整備事業を定める場合の基準は、新都市基盤法第4条により、つぎのとおりである。<br /> # 道路、公園、下水道その他の施設に関する都市計画が定められている場合においては、その都市計画に適合するように定めること<br /> # 当該区域が、良好な住宅市街地が相当部分を占める新都市として適正な配置及び規模の根幹公共施設を備えるものとなるように、当該施設の用に僕すべき土地の区域を定めること<br /> # 開発誘導地区については、当該区域の市街化を誘導するうえで効果的であるように配置し、その面積が当該区域の面積の40%をこえないよう定めること<br /> # 開発誘導地区内の土地の利用計画は、開発誘導地区内に配置されることとなる住宅施設、教育施設、医療施設、官公庁施設、購買施設その他の施設の用に供すべき土地又は工業団地造成事業が施行されるべき土地の区域の配置及び規模が、新都市として適正なものとなるように定めること<br /> <br /> 以上の施行区域の要件及び都市計画の基準に従って、新都市基盤整備事業の都市計画には、都市計画法第12条第2項、都市計画法都市計画令第7条、新都市基盤法第4条第1項にもとづき、市街地開発事業の種類、名称、施行区域、施行区域の面積、根幹公共施設の用に供すべき土地の区域、開発誘導地区の配置・規模、開発誘導地区内の土地の利用計画、を定める必要がある。<br /> <br /> ==== 工業団地造成事業 ====<br /> [[首都圏 (日本)|首都圏]]の近郊整備地帯、[[近畿圏]]については近郊整備区域といった都市開発地域での[[工業団地]]造成を都市計画事業として地方公共団体、都市再生機構(経過措置)が行う市街地開発事業・[[団地造成|団地造成事業]]のひとつ。<br /> <br /> 計画的な市街地整備で工業都市として発展させるほか、既成市街地への工業産業及び人口の集中抑制と周辺地域への適正分配・配置によって製造工場等の敷地の造成と、道路、排水施設、鉄道、倉庫等の施設を併せて整備することで、首都圏及び近畿圏の秩序ある発展寄与を目的としている。事業化には[[都市計画法]]に基づく手続きのほか、施行計画を定めて[[国土交通大臣]]、[[市町村]]自治体施行のときは都道府県[[知事]]に届出る。また造成敷地等を処分しようとするときにも処分管理計画を定めて大臣に届け出なければならないほか、この工場用地の譲渡を受けた者は10年間の処分制限を受ける。<br /> <br /> [[開発インターチェンジ制度]]では、高速自動車網との開発事業では工業団地造成事業を事業者が遂行できる。<br /> <br /> 主な例として新帯広工業団地造成 (帯広市産業開発公社運営)、会津喜多方中核工業団地造成事業(旧地域振興整備公団、福島県喜多方市)、[[神戸三田国際公園都市]]、大生郷工業団地(水海道都市計画事業工業団地造成事業、茨城県常総市)、[[北摂三田ニュータウン]]、[[入間市]]狭山台工業団地造成事業、[[竜ヶ崎ニュータウン]]、など。<br /> <br /> その他、[[高崎市]]高崎工業団地造成、[[発寒]]工業団地造成、[[香我美町]]大谷工業団地造成、[[宇部線|善和工業用団地造成]]、[[伊予市]]下三谷工業団地造成、[[可児市|可児]]工業団地造成、[[吉野ヶ里遺跡#工場団地造成計画]]、[[長田野工業団地]](府北部産業振興工業団地造成)[[諫早市]]諫早中核工業団地造成、[[国母工業団地]]工業団地造成、[[鹿島臨海工業地帯]]・鹿島臨海工業団地造成事業、などがある。<br /> <br /> === 面開発事業 ===<br /> この市街地開発事業と、[[都市計画法]]で定める[[都市施設]]のうち、[[団地]]など住宅施設の一団地単位での住宅施設開発、[[官公庁]]施設の一団地単位の官公庁施設開発、流通業務団地開発などを合わせ「面開発事業」とも呼ばれている。<br /> <br /> ==== 流通業務団地造成事業 ====<br /> 流通業務団地造成事業とは、都市開発手法のひとつで、流通業務団地について、[[流通業務市街地の整備に関する法律]]第2条第2項に定められている事業。[[都市計画法]]と流通業務市街地の整備に関する法律の定めによって建設される[[流通業務施設]]の全部又は一部の敷地の造成、造成敷地の処分、敷地とあわせて整備されるべき公共施設や公益的施設の敷地の造成又はそれらの施設の整備に関する事業のうち、都市計画事業として施行されるものをいう。<br /> 流通業務団地は、流通業務地区と呼ばれる土地区域があり、流通業務市街地の整備に関する法律第6条の2で、流通業務地区外の幹線道路、鉄道等の交通施設の利用が容易であること、良好な流通業務の団地として一体的に整備される自然的条件を備えていること、その区域の大部分が建築物の敷地として利用されていないことなどの要件を満たすことが定められている。流通業務団地造成事業の施行者は、地方公共団体、都市再生機構又は地域振興整備公団と定められている。<br /> <br /> 流通業務団地の例として[[流通センター (札幌市)]]の[[地域地区]](流通業務地区)約230ヘクタールのうち約154ヘクタール、[[松本流通業務団地]]([[長野県]][[笹賀 (松本市)]])、[[千歳市工業団地]]内流通業務団地、花巻流通業務団地([[花巻市]]、独立行政法人都市再生機構運営)、[[ざびえる本舗|大分流通業務団地]]([[大分県]][[大分市]])、神戸流通業務団地([[神戸]]流通センター)、[[卸町駅 (宮城県)]]北側流通業務団地、[[摂津駅|北大阪流通業務団地]]、[[鹿児島西インターチェンジ]]流通業務団地、[[加須市]]加須流通業務団地などがある。<br /> <br /> === 都市再開発制度について ===<br /> 都市再開発は以下の都市整備事業手法で行われることが多い<br /> #法律に基づく事業手法<br /> #制度要綱等に基づく事業手法(住宅市街地総合整備事業・まちづくり総合支援事業等)<br /> #都市計画法や建築基準法に基づく規制誘導(いわゆる[[地区計画]])<br /> <br /> 国土交通省(旧建設省所管)で、市街地のまちづくり活性事業として、「市街地整備の推進」施策に位置づける市街地再開発事業等(都市局都市再開発課担当)は、以下の通りである。<br /> #[[市街地再開発事業]](法定再開発)  <br /> #地区再開発促進事業:計画的な再開発が必要とされた市街地等において、敷地等の共同化等により公共施設の計画的整備に資する建築物及び敷地の一体的整備<br /> #小規模連鎖型市街地再開発事業:市町村が定める市街地の段階的な整備に関する計画に従って小規模な事業を順次実施することにより、段階的地区整備を図る手法を確立し、都市の再開発の促進寄与が目的<br /> #歴史的建築物等活用型再開発事業:歴史的建造物等を活用する市街地再開発事業<br /> #都市活力再生拠点整備事業:地域の活性化を必要とする地域について市町村が地区再生計画及び街区整備計画を策定しこれに基づいて市街地再開発事業、小規模連鎖型市街地再開発事業、地区再開発促進事業、公開空地等の整備を行う <br /> #まちなか活性化再開発事業:市街地再開発事業を核とし周辺を含めた総合的な機能の更新、高度利用を図る <br /> #市街地再開発緊急促進事業 <br /> #地域活性化再開発緊急促進事業:地方都市の地域活性化に資する市街地再開発事業等に特段の支援を行う <br /> #特定民間再開発事業 <br /> #特定の民間再開発事業<br /> #アーバンマネージメント推進モデル事業:エネルギー、水、廃棄物、情報化、高機能化等多様な都市運営施設の総合的管理運営の推進モデル事業<br /> <br /> 国土交通省(旧建設省所管)で、市街地のまちづくり活性事業として、住宅局市街地建築課所管「再開発の促進」施策に位置づける都市再開発は、以下の通りである。<br /> #市街地再開発事業(都市局都市再開発課) <br /> #優良再開発建築物整備促進事業<br /> #市街地総合再生事業 <br /> #福祉の街づくりモデル事業:高齢者、身体障害者に配慮した街づくりの実施<br /> #まちなみデザイン推進事業 <br /> #商業地域振興整備事業(都市局都市再開発課) <br /> #地域活性化再開発緊急促進事業(都市局都市再開発課) <br /> #都市再開発関連公共施設整備促進事業(都市局都市再開発課) <br /> #特定民間再開発事業(都市局都市再開発課) <br /> #都心ビル群建替促進事業 <br /> #アーバンコンプレックスビルディング:都市空間の高度・複合利用の要請に対応し、スカイウェイ、人工地盤によるビルネットワークの形成、鉄道、自動車専用道路等との一体整備等により市街地の複合的・重層的に活用する高度な大規模・複合建築群の整備を目的とする<br /> #総合設計制度 <br /> #市街地空間総合整備事業<br /> <br /> ==== 都市再開発関連公共施設整備促進事業 ====<br /> 都市の再開発及び都市拠点の形成を図る事業を推進するため、対象となる事業に関連して道路、都市公園、下水道、河川等といった必要となる公共施設の先行的かつ集中的な整備に対する[[国庫補助事業]]。対象となる事業は、市街地再開発事業(法定再開発)のほか、[[土地区画整理事業]]、[[地区再開発事業]]、[[優良建築物等整備事業]]、[[都心共同住宅供給事業]]で優良建築物等整備事業の要件に該当するもの、である。<br /> <br /> === 市街地改造事業 ===<br /> [[市街地改造法]]は公共施設の整備に関連する市街地の改造に関する法律(昭和36年法律第109号)といい、1969年に都市再開発法が創設されるまでは、公共施設の整備を行う場合、市街地改造法による[[市街地改造事業]]によって、[[国庫補助]]を受けて当該事業に必要な土地取得を行い、道路や広場といった公共都市施設と施設建築物とを一体的に整備する都市再開発を行っており、[[大阪市]]の[[大阪駅]]駅前地区や、東京都内では[[港区 (東京都)|港区]]の[[新橋駅]]駅前地区、1966年の[[さんプラザ|神戸市三宮市街地改造事業]]ではこの事業制度を利用して再開発事業がなされた。<br /> <br /> === 都市再開発法 ===<br /> 日本では市街地再開発事業を行うため「&#039;&#039;&#039;都市再開発法&#039;&#039;&#039;」があり、第1種及び第2種市街地再開発事業について規定している。同法に基づく事業(都市計画事業)を一般に法定再開発と呼び、一定の要件を満たした場合、国の[[補助金]]などの助成が行われる。<br /> <br /> 都市の開発の手法としては、大正時代から[[耕地整理法]]([[1909年]])による[[農地]]の耕地整理やこれを準用した都市の区画整理が行われてきた。戦後に[[土地区画整理法]]([[1954年]])ができて[[土地区画整理事業]]による再開発が進められてきた。しかし、狭小な敷地に権利者(土地所有・[[借地]]・[[借家]]など)が多数存在している地価の高い都市市街地においては、土地の増価や減歩を行う土地区画整理事業を進めるのは困難であり、また土地を整理するだけの制度のために建築物の整備が伴わない問題があった。<br /> <br /> そこで、都市施設整備とあわせて、建築敷地を集約して中高層共同ビルを建設し、その床に関係権利者が権利を移して入居できるように法的支援する制度として、「[[防災建築街区促進法]]」([[1961年]])と「[[市街地改造法]]」(1961年)を制定した。後にこれらをひとつにまとめて「[[都市再開発法]]」([[1969年]])を制定し、都市計画事業として市街地再開発事業を行うようにした。都市部の再開発事業は、この市街地再開発事業([[法定再開発]]ともいう)が多い。土地区画整理事業と組み合わせる合併施行の事例もある。<br /> <br /> === 市街地再開発事業 ===<br /> ;「市街地再開発事業」:都市再開発法第2条に定めるの定義<br /> 市街地の土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図るため、都市計画法(昭和43年法律第100号)及びこの法律(第7章を除く)で定めるところに従つて行われる建築物及び建築敷地の整備並びに公共施設の整備に関する事業並びにこれに附帯する事業をいい、第3章の規定により行われる第1種市街地再開発事業と第4章の規定により行われる第2種市街地再開発事業とに区分する。<br /> <br /> ;「都市再開発方針」<br /> 都市計画法に基づく「市街化区域の整備、開発又は保全の方針」の一部として定められていたが、2000年の法改正により、独立した都市計画になった(都市計画法第7条の2、都市再開発法第2条の3)。この方針は、都道府県が既成市街地の中で再開発の必要があると認めた区域について[[再開発促進地区]]などを示すものである。「方針」なので、具体的な権利制限は伴わない。<br /> <br /> ;「再開発等促進区」<br /> 一体的かつ総合的な市街地の再開発又は開発整備を実施すべき区域として、[[地区計画]]により建築物の用途、容積率等の制限などを定める。なお、かつて「再開発地区計画」という制度があったが、2002年の都市計画法改正により「再開発等促進区」に再編された。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;市街地再開発&#039;&#039;&#039;は、市街地の[[土地]]の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図るため、[[都市計画法]]及び都市再開発法で定めるところに従って行われる[[建築物]]及び建築敷地の整備並びに公共施設の整備に関する事業並びにこれに附帯する事業をいう。[[鉄道駅]]の周辺で[[駅前広場]]を造るとともに[[商業ビル]]等を建設する[[駅前再開発]]や、都市部で狭い道路に面して低層の建物が密集している地域などで共同化ビルを建設する事業が典型的なものである。<br /> <br /> ==== 第1種・第2種の違い ====<br /> ;第1種市街地再開発事業(権利変換方式) <br /> 中高層の施設建築物(いわゆる再開発ビル)を建設し、再開発の区域内の土地・建物等の権利者は、再開発事業前のそれらの権利の額に対応する再開発ビルの床(&#039;&#039;&#039;[[権利床]]&#039;&#039;&#039;)及びそれに対応する土地持分を、事業者から取得する。これを権利変換という。権利変換を希望しない者は事業者から権利額に相当する金銭等を受け取る。権利床に加えて余分の床([[保留床]])を建設し、これを売却することによって事業費を調達する方法が通常とられている。<br /> <br /> ;第2種市街地再開発事業(用地買収方式) <br /> 再開発区域内の土地建物を、再開発事業者がいったん買い取って、事業後に入居希望者に再配分する手法。保留床を売却し事業費をまかなう手法は第1種と同じ。区域内の土地建物の権利者のうち希望する者には、買い取る代わりに施設建築物の床を提供する。(第2種は防災上などで緊急性の高い事業について認められる。公共団体が実施するもので、個人・組合施行では不可)<br /> <br /> なお、第2種は[[1975年]]の法改正で導入されたもので、事業区域が広いと権利者も多くなり権利変換までに非常に時間がかかることから、事業者に土地収用の権限を与えることにしたもの。大阪の[[天王寺|阿倍野]]が適用第1号である。<br /> <br /> ==== 地区再開発事業 ====<br /> 都市再開発方針によって計画的な再開発が必要とされた市街地等で、敷地等の共同化による[[公共施設]]又は[[公共駐車場]]の計画的整備に資することとなる建築物及びその敷地の一体的整備、を行う再開発事業を地区再開発事業という。制度としては、当該事業について補助が得られる。<br /> <br /> ==== 災害復興市街地再開発事業 ====<br /> [[阪神・淡路大震災]]による被災市街地の早期復興と被災者の生活再建を図りかつ災害に強いまちづくりを実現するため、[[被災市街地復興特別措置法]](平成7年法律第14号)5条1項に規定する[[被災市街地復興推進地域]]等において、市区町村が策定する復興に関する計画に従い実施される市街地再開発事業。<br /> 具体には補助対象の拡充措置がなされている。その内容は、5分の2非常災害時補助率の適合や地区施設の一部を補助対象に追加するといったものなどである。<br /> <br /> === 特定再開発事業(現・都市機能更新事業)===<br /> 大都市の既成市街地等において、都市機能の更新と市街地の整備改善、業務核都市の整備や都市拠点の形成等を目的として行う事業。<br /> <br /> 特定再開発事業は1981年に事業制度が創設されるが、その後に被災市街地の復興や密集市街地の整備改善、都心の低未利用地の高度利用等を目的とした事業を加え、名称も都市機能更新事業となった。<br /> 手法には土地区画整理事業と市街地再開発事業が活用され、大都市の既成市街地等において、土地区画整理事業により、公共施設の整備と都市機能の更新を一体的かつ総合的な市街地の再開発を促進すべき相当規模の地区の計画的な整備改善を図っている。<br /> <br /> 事業施行は[[土地区画整理法]]第3条の2第1項の規定により、面積規模は原則16ヘクタール以上、一団の国有地や公有地等を活用する場合には5ヘクタール以上かつ関係する地方公共団体からの要請に基づいて、事業実施される。<br /> 主な事業に交通結節点整備である仙台市あすと長町地区、UR都市再生機構の主導のもとで行われている「あまがさき緑遊新都心」キリンビール尼崎工場跡地開発、[[神戸ハーバーランド]]、[[丹波口駅]]、[[八尾市]]の大阪竜華都市拠点、など。<br /> <br /> === 任意型再開発事業 ===<br /> 市街地再開発事業とは別に、法定手続きを取る必要が無い再開発を任意再開発と呼んでいる。これらには「優良建築物等整備事業」などの都市計画制度を利用した再開発や信託事業の手法などがあり、種別は都市再開発に含まれている。任意型は都市再開発法に基づいて手続きをとり実行する市街地再開発事業とは異なり、都市計画決定等の法的手続きは要しない。赤点と呼ばれ、法定手続きなどを取らないで契約だけで再開発が出来る任意の再開発は、法定再開発の場合の面積は広く、相手にする地権者の数が多くなって困難な場合も多く生じるという点とは違い、面積的に小規模で地権者数も少ないものが大多数であるという特徴がある。<br /> <br /> 中国やアメリカなど世界的に多いのは買収額が重要となる全面買収方式で、権利変換などの選択肢の多い合意形成をともなう再開発は日本独特であるが、任意型の再開発は[[等価交換]]を基本としている。地権者全員の合意が必要となる一方で、手続きは簡便であって一定要件を満たして補助金も得られる場合もある。<br /> <br /> ==== 優良建築物等整備事業 ====<br /> [[優良建築物等整備事業]]とは、市街地に良質な住宅建物の供給促進を図ることで市街地の環境改善を行う任意型都市再開発事業の代表的なもので、国の優良建築物等整備事業制度要綱に基づき行われる。<br /> 市街地の環境改善や市街地住宅の供給等を推進するため、土地利用の共同化、高度化に寄与する優良建築物等の整備を行う。<br /> 一定割合以上の[[空地]](くうち)確保などの優れた建築物等の整備に対して共同通行部分や空地の整備補助を行う。共同化や市街地環境形成、マンション建て替えなどの優良再開発型、住宅複合利用や優良住宅供給などの市街地住宅供給型、既存ストック活用型、耐震型の四つの類型がある。<br /> 一定要件を満たす民間再開発に対しては、国と地方公共団体が必要な助成を行う制度となっており、事業例としては、橋本6丁目D地区優良建築物等整備事業、[[コンフォートホテル岐阜#優良建築物等整備事業概要]]、[[サン・パティオ大町]](旧[[通商産業省]]の「商店街パティオ事業」と市の優良建築物等整備事業の合併施行)、[[稚内副港市場]]稚内第一副港地区優良建築物等整備事業、[[ザ・モール仙台長町]](長町七丁目西地区優良建築物等整備事業、仙台市)などがある。特に優良建築物等整備事業による小規模な再開発事業によるものは現在、[[中心市街地]]の再開発においても多機能公共公益・民間商業利便性複合施設整備といった手法で多く進められている。<br /> <br /> ==== 認定再開発事業 ====<br /> 民間活力を活用した簡便な手続きによる再開発事業を支援するため平成10年5月の法改正により創設された再開発事業制度に、認定再開発事業がある。これは都市再開発法129条の3に基づいて認定した、市街地再開発事業を除いた再開発事業計画に係る再開発事業をいう。制度の特徴は、高度利用地区といった都市計画決定を経ずとも、当該首長が認定した再開発事業計画ならば、事業に関し税制特例を与え、任意再開発事業を優良なものに誘導しようとするところにある。策定した「再開発事業計画」が一定の基準に合致すると、優良事案として当該首長の認定が受けられ、税制の特例措置が受けられるが、その認定条件は、すべて都市再開発法第129条の3に基準が規定されている。概要は、事業区域が都市再開発方針二号地区内にあり、耐火建築物等が2分の1以下、土地の利用状況が著しく不健全なこと、建築物等の整備計画については、都市再開発方針二号地区の整備又は開発の計画の概要に即したもので、地階を除く階数が3以上の耐火建築物、建築面積が200平方メートル超で、容積率が指定容積率の3分の1以上、建ぺい率が指定建ぺい率のマイナス10パーセント以下であること、公共施設が必要な位置に適切な規模で配置されていること、事業計画が当該区域の都市計画に適合していること、都市機能の更新に貢献するものであること、事業期間が事業を確実に遂行するため適切なものであること、事業者が事業を遂行するために必要な経済的基礎及びその他の能力が十分であることがあげられている。<br /> <br /> ==== その他任意再開発事業 ====<br /> 基本的に多くの地権者が集まる再開発は時間もかかり採算性が悪い場合も多い。このため一般に再開発者側の考え方としてまとまった土地が得られかつ権利関係も複雑でない土地から開発を始めておき、開発が一巡し、問題の土地利権がクリアになってから再開発を行おうとすることが多いが、[[小布施町]]で実施された小布施方式は話し合い型で進めた等価交換任意再開発の代表例で、1982年から話し合いから開始し、1987年頃に完了している。権利者同士で十分納得を得るために話し合いに2年程かけ、仮設住宅などつくらずに、順繰りと事業を行い、事業完成までには3年費やしている。<br /> <br /> 任意の再開発事業は他に、既成市街地等において、優良な民間の再開発を促進するため、税制の優遇措置を適用する「特定民間再開発事業」と「特定の民間再開発事業([[租税特別措置法]]施行令の規定による特定の民間再開発事業等の認定)」がある。<br /> <br /> 前者は土地、建物などを譲渡した個人又は法人が、当該事業で建築した中高層耐火建築物等もしくは当該事業の施工地区外で一定の土地、建物を取得した場合、一定の要件の下で所得税、法人税の課税繰延べに関する特例の認定制度で、後者は一定の要件を満たす任意再開発事業のため、長期保有資産である土地、建物等を譲渡した者に対し、その譲渡に係る[[所得税]]及び[[住民税]]に[[軽減税率]]が適用される制度である。<br /> <br /> 両者とも都市再開発法によらない任意の再開発事業のうち、一定の要件を満たす場合に適用される税制上の措置という上では共通で、適用条件も地上4階以上の中高層耐火建築物、施行地区面積が1,000平方メートル以上、都市施設用地または一定の空地の確保、地区内の従前権利者が2人以上という用件すべてを満たす必要がある。特定民間再開発事業はこの他にプラスして、従後の地権者が従前権利者を含む2人以上の共有が必要となる。<br /> <br /> === 都市再生プロジェクト ===<br /> 都市再開発と類似の用語に都市再生がある。日本で実施されている都市再生プロジェクトは[[都市再生本部]]が都心における重要な政策課題、全国都市再生モデル調査で明らかになった課題と都心再生の取り組みの展開等の中から、重要かつ緊急に取り組むべきものを選定し、その事業を推進するもので、さまざまな都市の課題ついて、[[内閣府]]を中心に関係省庁、地方公共団体、関係民間主体が参加・連携し、総力を挙げて取り組むプロジェクトである。代表事例に[[国際文化公園都市]], [[ミューザ川崎]](第一種市街地再開発事業として[[都市公団]]が施行)、[[神戸医療産業都市構想]](知的クラスター創成事業としても), [[京成成田空港線]](第二次決定), [[横浜環状北西線]](第二次決定)、寝屋川大東線沿線の密集市街対策(第三次決定) [[東京大学柏キャンパス]]地域「大学と地域の連携恊働による都市再生の推進」, [[北千葉道路]]計画早期具体化, [[都営地下鉄浅草線]]「首都圏の空港アクセス緊急改善対策」などがある。<br /> <br /> 都市再生と単に呼ぶ場合、指定された地域における都市再生に関する事業を指すことが多い。これには[[都市再生特別地区]]、都市再生総合整備事業等が具体的な事業としてあるほか、[[都市再生ファンド]]が設立されている。<br /> <br /> 都市再生特別地区は[[都市再生特別措置法]]第36条に規定される地区で、同法令により指定された[[都市再生緊急整備地域]]内において、土地の合理的かつ健全な特別の高度利用と都市機能の更新とを図り、当該地区の特性に応じた用途や高さ、配列、形態を備えた建築物の建築を誘導するために、各[[都道府県]]の都市計画により定められる。同地区では用途地域における規制を受けない。また、都市再生総合整備事業は[[国土交通省]]住宅局による、都市における面的整備に対する補助事業で、旧[[工場]]跡地や衰退している既成[[市街地]]の再生に際して先行的投資を行い、地域再生の引き金となる事業に対し補助が行われる。総合整備型と拠点整備型の2タイプが用意されている。<br /> <br /> 都市再生特別措置法は近年における経済社会の構造的な変化、国際化の進展などに対応し、都市の再生を図るために制定された。2002年6月から施行され、都市再生に関する基本方針の策定を行うと同時に、都市再生緊急整備地域を指定し、同地域内の都市計画の特例、金融支援等の処置を行うことで、地域における新たな計画や事業を支援することが可能となった。<br /> <br /> === 都市再生土地区画整理事業 ===<br /> 都市再生土地区画整理事業(としさいせいとちくかくせいりじぎょう)とは、空洞化が進行する[[中心市街地]]や、防災上危険な[[密集市街地]]など[[都市基盤]]が貧弱で整備の必要な既成市街地等において、道路整備など都市基盤の整備と併せて街区の再編を行う土地区画整理事業。国の[[一般会計]]による[[補助事業]]で、補助金交付要綱としては都市再生推進事業制度要綱(平成12年3月24日付け建設省都計発第35-2号)および都市再生推進事業費補助交付要綱(平成12年3月24日付け建設省都計発第35-3号)の規定に基づき実施する。<br /> 土地の有効利用を促進するとともに、安全で快適な、活力のある市街地への再生・再構築を行うことを目的としている。<br /> なお、国の都市再生事業とは、一般に同事業と、[[被災市街地復興土地区画整理事業]]、緊急防災空地整備事業から構成される。[[道路整備特別会計]]による[[補助事業]]では都市計画道路の整備に特化させているのに対し、都市再生事業は市街地環境の整備改善を図るための事業制度であり、他の特別会計との併用を可能としてある。<br /> <br /> ==== おもな例 ====<br /> * 三沢都市計画事業中央町地区都市再生土地区画整理事業(青森県三沢市)<br /> * [[五所川原市]]中心市街地地区(大町二丁目地区)都市再生土地区画整理事業<br /> * 八潮都市計画事業八潮南部中央都市再生土地区画整理事業([[埼玉県]][[八潮市]])<br /> * 上石第一地区都市再生土地区画整理事業([[埼玉県]]熊谷市)<br /> * 中野三丁目地区都市再生土地区画整理事業([[東京都]][[中野区]])<br /> * 水守都市再生土地区画整理事業(静岡県藤枝市)<br /> * 東小川都市再生土地区画整理事業(静岡県焼津市)<br /> * [[彦根駅]]東地区都市再生土地区画整理事業<br /> * 彦根四番町スクエアの歴史都市再生土地区画整理事業([[滋賀県]]彦根市)<br /> * 祭都きしわだ都市再生土地区画整理事業(大阪府岸和田市)<br /> * [[神戸]]海上新都心地区<br /> * [[財光寺]]南都市再生土地区画整理事業(宮崎県[[日向市]])<br /> * [[草津市]]追分丸尾土地区画整理事業<br /> * [[西条駅 (広島県)|西条駅]]前都市再生土地区画整理事業(広島県[[東広島市]])<br /> * [[香椎]]副都心([[福岡県]]福岡市)<br /> * [[高知駅]]周辺地区都市再生土地区画整理事業<br /> * 大手前地区都市再生土地区画整理事業(大分県)<br /> * 安慶名地区都市再生土地区画整理事業([[沖縄県]][[うるま市]])<br /> <br /> ==== ミニ区画整理事業 ====<br /> [[阪神・淡路大震災]]の教訓を受け、平成8年度に創設されたが、現在は前述の都市再生土地区画整理事業制度に組み込まれている。いままで全国で実施されてきた土地区画整理事業より規模が小さい区画整理事業の総称で、道路・公園等の公共施設の整備水準が低い木造密集市街地等を対象として、防災性の向上を図り、安全な市街地を形成するのを目的に創設。この制度により、個人施行や組合施行で小規模なものであっても事業が実施できるとして、事業の実現性が増したことから、近年、注目されている既成市街地の整備手法でもあり、次のような種類がある。<br /> * 沿道整備街路事業 - 道路整備のための道路用地と代替地との交換を行う事業。<br /> * 緑住区画整理事業 - 農地所有者が主体的に実施する土地区画整理事業であって、生産緑地と宅地化農地の交換分合を進め、介在的に残された市街化区域内農地の計画的宅地化を図る事業。<br /> * 安全市街地形成土地区画整理事業<br /> * 街区高度利用土地区画整理事業 - 公共施設を再編整備し、高度利用街区を形成するもので、東京都港区の芝三丁目東地区が全国第一号であるが、その後、東京都再生区画整理事業制度での補助に。<br /> * 敷地整序型土地区画整理事業 - 平成9年に創設された手法で、換地による交換分合を通じて、敷地の集約化を図ることを主観とした土地区画整理事業。<br /> 公共施設整備よりもあくまで敷地の整序に主眼がおかれている。これは、一定の都市基盤整備が既になされている既成市街地内で、空き地、駐車場等の小規模かつ不整形な低未利用地が散在し早急に土地の有効利用を図ることが必要と認められる地区において、相互に入り込んだ少数の敷地を対象として、その整序を図り、土地の有効高度利用を実現することを目的にしているからある。<br /> この制度を適用する事業については、その主旨に鑑み、土地区画整理法における公共施設の新設・変更の解釈や、同法施行規則で規定されている技術的基準を弾力的に運用できるとされ、小規模な敷地レベルの事業を実施可能にしている。<br /> <br /> === 都市再開発の事例 ===<br /> {{seealso|日本の再開発の一覧}}<br /> ==== 駅前再開発 ====<br /> 駅前再開発は密集した市街地にある狭小な駅前の道路を拡張して、ロータリーや[[バスターミナル]]などとして用いられる駅前広場の確保の為などに行われるケースも多く、各地に見られる事例である。駅前近くにある大規模な敷地(工場跡地等)の再開発や[[震災]]などの災害からの復興として行われるなど様々な事例がある。<br /> <br /> * [[札幌駅]]周辺([[北海道]][[札幌市]]):南口に[[JRタワー]]などを建設。<br /> * [[仙台駅]]周辺([[宮城県]][[仙台市]])[[仙台トラストシティ]]や[[アエル (仙台市)|アエル]]など複数の再開発事業が実施されている。<br /> * [[東京駅]]周辺(東京都[[千代田区]]):[[東京ステーションシティ]]として八重洲周辺に[[超高層ビル]]が建設された他、グランルーフの開設、丸の内駅舎の復元が行われた。<br /> * [[池袋駅]]周辺([[東京都]][[豊島区]]):東口を中心に再開発事業が複数進行している。西口では3棟の超高層ビルを建設する計画がある。<br /> * [[新宿駅]]周辺(東京都[[新宿区]]):[[西新宿]]のほか、駅前の[[JR新宿ミライナタワー]]など、再開発が進行。<br /> * [[渋谷駅]]周辺(東京都[[渋谷区]]):[[渋谷ヒカリエ]]を嚆矢として複数の開発計画が進行。<br /> * [[高輪ゲートウェイ駅]]周辺(東京都[[品川区]]):2020年に暫定開業する予定の新駅周辺では超高層ビル8棟を建設する計画。<br /> * [[秋葉原駅]]周辺(東京都千代田区):旧神田市場([[大森市場]]に移転)跡地などの開発([[秋葉原クロスフィールド]])。<br /> * [[中野駅_(東京都)|中野駅]](東京都[[中野区]]):[[警察大学校]]跡地を中心に[[中野四季の都市]]などの再開発が進み、駅ビルの建設が予定されている。[[中野_(中野区)|中野(中野区)]]も参照。<br /> * [[浦和駅]]周辺([[埼玉県]][[さいたま市]]):県都の玄関口として駅[[高架化]]と連動し駅前広場を整備。[[伊勢丹浦和店]]や[[浦和パルコ]]などの商業施設が建設され、[[浦和駅西口南高砂地区第一種市街地再開発事業|南高砂地区]]でも再開発を予定。[[埼玉県の再開発の一覧]]も参照。<br /> * [[武蔵浦和駅]]周辺(埼玉県さいたま市):[[超高層マンション]]を中心とした再開発を実施。<br /> * [[横浜駅]]周辺([[神奈川県]][[横浜市]]):駅周辺での再開発が複数計画されている。[[神奈川県の再開発の一覧]]も参照。<br /> * [[武蔵小杉駅]]周辺(神奈川県[[川崎市]]):超高層マンションを中心とした再開発を実施。<br /> * [[千葉駅]]周辺([[千葉県]][[千葉市]]):駅ビルの建て替えと連動し、西口で駅前広場設置を含めた再開発が行われた。<br /> * [[名古屋駅]]周辺([[愛知県]][[名古屋市]]):[[日本の再開発の一覧#名古屋駅前]]を参照。[[JRゲートタワー]]や[[JRセントラルタワーズ]]、[[JPタワー名古屋]]などを建設。<br /> * [[大阪駅]]周辺 :[[大阪府の再開発の一覧#大阪市]]を参照。[[大阪ステーションシティ]]や[[グランフロント大阪]]を整備。<br /> * [[広島駅]]周辺 :[[広島駅#再開発事業]]及び[[エールエール]]を参照。<br /> * [[博多駅]]周辺:[[JR博多シティ]]:[[九州新幹線]]の延伸に合わせ、[[阪急百貨店]]を核店舗とした商業施設を建設。<br /> * [[熊本駅]]周辺:九州新幹線整備に伴う駅舎改築、駅ビル、マンション、商業施設建設など熊本駅一帯の大規模開発。&#039;&#039;[[熊本駅#九州新幹線開業に伴う再開発]]&#039;&#039;<br /> <br /> ==== 駅ビル再開発 ====<br /> * [[京王吉祥寺駅ビル]]<br /> * [[尾張一宮駅#駅前ビル「i-ビル」]]<br /> * [[アミュプラザ]](九州地方での駅ビル開発)<br /> * [[ピオレ姫路]]<br /> <br /> ==== ビル再開発 ====<br /> * [[住友不動産六本木グランドタワー]]<br /> * [[東京ガーデンテラス紀尾井町]]<br /> * [[大手町タワー]]<br /> * [[京橋エドグラン]]<br /> * [[東京日本橋タワー]]<br /> * [[大手町フィナンシャルシティ]]<br /> * [[JPタワー]]<br /> * [[歌舞伎座タワー]]<br /> * [[ワテラス]]<br /> * [[あべのハルカス]]<br /> * [[中之島フェスティバルタワー]]<br /> * 新日比谷プロジェクト([[日比谷映画]]、[[芸術座]]、[[TOHOシネマズみゆき座]])<br /> * 常盤橋街区再開発事業<br /> * 桜町地区第一種市街地再開発事業([[熊本交通センター]]、熊本城ホール、商業施設、映画館、ホテル、分譲マンションからなる複合ビル)<br /> <br /> ==== その他大規模再開発 ====<br /> * [[長町副都心]]([[仙台市]])<br /> * [[アークヒルズ]]([[港区 (東京都)|港区]])<br /> * [[六本木ヒルズ]](港区)<br /> * [[東京ミッドタウン]](港区)<br /> * [[虎ノ門ヒルズ]](港区)<br /> * [[としまエコミューゼタウン]]([[豊島区]])<br /> * [[光が丘 (練馬区)|光が丘]]([[練馬区]])<br /> * [[住友不動産新宿グランドタワー]](新宿区)<br /> * [[新宿イーストサイドスクエア]](新宿区)<br /> * [[西新宿三丁目西地区再開発]](新宿区)<br /> * [[築地市場]]跡地計画(中央区)<br /> * [[朱鷺メッセ]]([[新潟県]][[新潟市]])<br /> * [[ささしまライブ]]24(愛知県[[名古屋市]])<br /> * [[EXPOCITY]]([[大阪府]][[吹田市]])<br /> * [[基町クレド]]([[広島県]][[広島市]])<br /> * [[広島市]]基町再開発(広島県広島市 [[原爆スラム]]・[[広島市中央公園]]・[[市営基町高層アパート]]参照)<br /> * [[那覇新都心]]([[沖縄県]][[那覇市]])<br /> <br /> == アメリカの都市再開発 ==<br /> * [[アセンズ (ジョージア州)]] - レイル・ツー・トレイルの再開発が中心街とイーストサイドを繋ぐために検討されている<br /> * [[アメリカ同時多発テロ事件#跡地の再開発]] - 当初の再建案は遺族の反対で撤回、改めて行われた建築設計競技の結果、ダニエル・リベスキンドの案に<br /> * [[ボルチモア]] - 1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって、ダウンタウンから人口が流出し、スラム街が発展、治安の悪化が進んだ。そこで市は30年にも亘る再開発計画を実施、とりわけインナーハーバーの一新を図り、工業、貿易と共に多数のレジャー施設を建設した<br /> * チャールズセンター - [[ボルチモア]]にある同市街地は、スラムクリアランスを実施したもの。1904年の大火で市街地が再編成されて整然とした街並みがつくられる。現在でも、市街地地区改造と再開発中<br /> * [[インディアナポリス]] - 一時は都市化の波に乗り遅れたが、再開発に成功。大規模ショッピングセンターやコンベンションホール等の建設が進む。[[インディアナポリス#マサチューセッツ・アベニュー]]の再開発はレストラン、劇場及び店舗を独自に所有した上で開発する事に焦点を当てている<br /> * [[エリー (ペンシルベニア州)]]市街地再開発地区(DID)<br /> * [[ヒューストン]]ダウンタウン再開発地区<br /> * [[エバンストン (イリノイ州)#議論]] - 再開発が進み、元市長のロレーヌ・モートンは35万ドル以下の高価でない中規模住宅を建設するよう建設業者を説得している<br /> * [[オーロラ (イリノイ州)]] - 街にカジノが作られ、最近20年間で中心街再開発が、1990年代後半には、市郊外の田園部で開発が開始されている<br /> * [[カウンシルブラフス]] - この地域は、1970年の都市再開発、および1984年のケインズビル・ブールバード・アメリカ国道6号線バイパスの完成後に、市内の主要な小売地区としては衰退した<br /> * [[カンザスシティ (ミズーリ州)#再開発]] - 長らく駐車場となっていたり、空き地のまま放置されていた区画が目立ったダウンタウンを再開発<br /> * [[クラウド・ゲート]] - シカゴ市にミレニアム・パークとして認可され再開発が始まった後、2004年に完成し公開された<br /> * [[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)]] - 中心街の南側地区は新伝統様式地区に再開発された市内中心部の再投資例<br /> * [[コメリカ・パーク]] - デトロイトのダウンタウン再開発の一環として新本拠地として建設<br /> * [[サンフランシスコ]] - 1960年代から1980年代に大規模な再開発を<br /> * [[ジェーンズビル (ウィスコンシン州)]] - ジェーンズビル・モールは1990年代後半に再開発され、1998年にはパインツリー・プラザがオープンした<br /> * [[ジャージーシティ]] - 廃工場のすぐ隣に新築の高層アパートが建つ。再開発が進み、至るところでこのような光景が見られる<br /> * [[スタンフォード (コネチカット州)#再開発]] - 1960年代から1970年代にかけて大規模な都市再開発が行なわれた<br /> * [[ステープルトン国際空港#再開発]] - 現在は再開発が進み、1000戸以上の住宅が建てられている。将来的には30000人が居住する計画<br /> * [[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)]] - Baystate Westと呼ばれる再開発プロジェクトを実施<br /> * [[スリー・リバース・スタジアム]] - チームと、都市活性化のため再開発でできた球場<br /> * [[チャタヌーガ]] - 今日では再開発が進んで、全米でも特に住みよい都市の一つに成長している。官民一体となった再開発に乗り出し、かつて機能していた鉄道ターミナル跡地にホテルとショッピングセンターが一体化 <br /> * [[デイトン (オハイオ州)]] - 近年廃墟と化した建物の取り壊しのための財源が積まれ、再開発が進みつつある<br /> * [[デトロイト]] - ルネサンス・センターは[[ゼネラルモーターズ]]本社が入居しているデトロイトの再開発ビルである<br /> * [[デンバー]] - 日本人街が再開発され、高齢者用のアパートが建築されている<br /> * [[トーランス (カリフォルニア州)]] - 近年の古い工業地域の住宅地への大規模な再開発が、莫大な人口増加を生み、現在のトーランスの姿へと変革させた<br /> * [[ナイアガラフォールズ (ニューヨーク州)]] - 再開発されたユナイテッド・オフィス・ビル、ミストの新しい劇場、元ホリディ・イン・セレクトを再開発<br /> * [[ニューヘイブン (コネチカット州)]] - 近年の都市再開発により、ニューヘイブン・グリーンを囲むように高層オフィスビルやホテル、ショッピングセンターなどが建ち並ぶようになっている<br /> * [[ネイビー・ピア#再開発 (1970年代〜)]]<br /> * [[パターソン (ニュージャージー州)]] - パターソン市中心街は市の商業中心地区で近いうちにこの地域の大きな再開発計画が立ち上がる予定である。この地域にはパターソン博物館がある。<br /> * [[ブッシュ・メモリアル・スタジアム]] - ダウンタウン再開発計画<br /> * [[ブルーミントン (ミネソタ州)]] - 住宅再開発局が市内の低所得者向け住宅を取扱い、市の再開発を監督<br /> * [[マンハッタン]] - 近年までは非常に治安の悪いエリアであったが、近時は再開発が行われている<br /> * [[ミドルタウン (コネチカット州)]] - 都心再開発の名のもとに多くの威厳のある建物が壊されている<br /> * [[モンロー砦#再開発の可能性]] - モンロー砦再利用計画が2008年8月に公式に採用<br /> * [[ヤングスタウン (オハイオ州)#再開発]] - ヤングスタウンでは高層の建物でも街が栄えていた頃の古いものが多いが、再開発も進んできている<br /> * [[ヤングスタウン (オハイオ州)]] - ヤングスタウンでは高層の建物でも、街が栄えていた頃の古いものが多いが、再開発も進んできている<br /> * [[ユニオン駅 (ワシントンD.C.)]] - 1981年に再開発法が成立し、修復と改装。ユニオン駅の所有者は非営利団体のユニオン駅再開発会社<br /> * [[ワシントンD.C.の歴史]] - 1990年代後半から2000年代初期にかけての再開発によって多くの地域が活性化<br /> * ベッドフォード=ストイヴェサントの成功した再開発事業<br /> * [[ヤングスタウン (オハイオ州)]] - 地域は高齢者用住宅、賃貸[[タウンハウス]]、1家族用の分譲住宅が建ち並ぶ住宅街へと変貌<br /> <br /> == カナダの都市再開発 ==<br /> * [[トロント]] - ネイサン・フィリップス・スクエアはトロント市庁舎の南口にある市庁舎前広場で、再開発の計画が進んでいる。また、[[トロント・イートン・センター#再開発]]は北アメリカにあるダウンタウンでも最大のショッピングセンターのひとつである<br /> * [[トロント・イートン・センター#再開発]]<br /> * ハリファックス地区再開発 - 1917年、[[ウィリアム・ホルフォード]]がカナダに赴き、ガーデンシティーの原則理論を展開して建築家アンドリュー・コッブらと協働して手がける<br /> <br /> == ヨーロッパの都市再開発 ==<br /> * [[RER (イル=ド=フランス)]] - 中央市場の郊外移転と跡地再開発(シャトレ-レ・アル駅)<br /> * [[ハーグ]]/ニュー・センター・プロジェクト - 1995年ハーグ市主導のもと複数の民間会社の協力によって始められたハーグ中心部の開発プロジェクト。ハーグを住宅・ビジネス環境を与える町に生まれ変らせるべくまず新しくオフィス、住居、商店が建て、フロート・マルクト通りとカルファーマルクトを通り地下駐車場に直結するトラム用トンネルやハーグ中央駅近くのコニングス・トンネルを建設し、市内中心部の交通アクセスが飛躍的に改善、地下遊歩道でハーグの2つの駅を結ぶことで、フロート・マルクトがまちのショッピングの中心地となっただけではなく、駅の乗り継ぎ客にとても便利に。<br /> * クンストパーク・オスト総合イベントパーク - ミュンヘン中央駅から市電で5つ目の東駅前にあった食品工場跡地を民間発起人によって再開発されたもので、総面積8万平方メートルの敷地にある12の建物を利用しドイツ最大の文化・イベントパークを実現、ミュンヘン若者向け総合イベントパーク「クンストパーク・オスト」として1996年のオープン。テナント大多数を若い起業家にし工場時代よりも多くの雇用を創出している<br /> * コップ・ファン・ザイド - 南の頭を意味するロッテルダム市港湾局が計画したウォーターフロント計画。ウィルヘルミナピアー地区を中心に1990年初頭に始まりマース川南岸の旧港湾地区であるビネンハーフェン(Binennhaven)、アントレポートハーフェン(Entrepothoven)、スポールウェグハーフェン(Spoorweghaven)、ラインハーフェン(Rijhaven)、ウィルヘルミナピアー(Wilhelminapier)を再開発、ウォーターフロントに広がる斬新なオフィスビル群、エレガントな高層マンション、リバーサイドの遊歩道などが注目を集める<br /> * ウェストサイド(ベルン) - 1960年代の構想に始まったベルン郊外ブリュンネン地区Brunnenの開発計画でのスイス史上最大規模の資金をかけた複合レジャー・ショッピングセンター計画。2000年に建築家[[ダニエル・リベスキンド]]起用が決定、初めて手がける商業的複合建築となり2006年から着工し2008年グランドオープンした。広大なスペースに、幅広いジャンルの約50店舗が軒を連ねるショッピングエリア、モール、フードコート、プール&スパ、さらに11スクリーンを誇る最新のシネマ・コンプレックス、144室を備えるホテル Holiday Inn Westsid、高齢者向けマンションセネ・カシータSeneCasitaなども併設。オープンにあわせて、ベルン中央駅から近郊線で直結する鉄道駅も新設している。<br /> * ラインエルベ学術研究パルク - ルール工業地帯の中でも炭坑の町として、またかつては排水や排煙による汚染で最も住みたくない町とされたゲルゼンキルヒェンを再開発モデル都市として公園のオフィスをコンセプトとし、旧テュッセン鋳鋼工場とラインエルベ鉱坑の跡地を再生研究開発都市に、また郊外の炭鉱住宅の特徴である簡素さや機能性を生かした改修と拡張が行われ、ぼた山のレクレーション施設としての再利用計画も<br /> * アントレ・デュ (Entre Deux) - その設計とデザインはヨーロッパでも高く評価され2007年にカンヌのMIPIMのアーキテクチュアル・レビュー・フューチャー・プロジェクツ部門で特別賞を、国際ショッピングセンター委員会 ICSCヨーロピアン・ショッピングセンター・アワード2008を受賞したオランダ南東部の都市マーストリヒトのショッピングモールで、市の中心部に都市開発の一環として生まれたもの。14世紀の聖ドミニカ教会など6つの歴史ある建物を改装してできた建物は、モダンで明るいデザインを取り入れつつマーストリヒトの古き良き町並みと一体とした作りをみせ、ZARAやH&amp;Mなどが入ったショッピングモール、高級マンションと駐車場が併設。<br /> * オーバーハウゼン・ツェントロ - デュッセルドルフの北東約40kmルール工業地帯のオーバーハウゼン市に1996年秋オープンした、ヨーロッパ最大級のショッピングセンターで、巨大な敷地にはショッピングセンターをはじめ、レジャーパークやスポーツパークなど併設。ドイツの大手デパートや国内外の約200のブティックが出店、新鮮な食料品が並ぶ市場や世界各国の料理が楽しめるレストランも。<br /> * メドウ・ホール - 英国・シェフィールド市にある大規模複合ショッピングセンターで、ゲーツヘッドのメトロポールセンターと並んでイギリスで最大級、ヨーロッパでも有数の規模。1991年にオープンした工場跡地の再利用で、駐車場を有し、高速道路M1のジャンクションの直近。ほか都心とはスーパートラム(低床式路面電車)とシャトルバス運行。マークス・アンド・スペンサーズなど3つのデパートと270の専門店を入れ11の映画館から成るシネマ・コンプレックスとレストラン、屋台の集まるコカコーラ・オアシスとこれらをつなぐ二層の専門店モールよりなる一大コンプレックスで、屋内型テーマパークのようにも。<br /> * ブルーウォーター - ロンドンから東へ30km、ダートフォード近郊にヨーロッパ最大級のインドア・ショッピング・センターが1999年オープンしJohn Lewis, Marks &amp; Spencer, House of Fraserといったデパートのほか、Joseph, DKNY, Nicole Farhiをはじめとするブランド・ショップなど、店舗数は300を超える<br /> * [[オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル]]<br /> * ウィーン・ガソメーター - 新都市地区建設という大きな規模で進められ、1898年に建てられ以来使われていたレンガとガラスで出来た魅力的なファサードを持つ円形タワーは、巨大な4つのガス貯蔵施設で建築家たちによって改修され、住宅やオフィスの建物だけではなく、総合的なインフラ設備も提供。文化的にも新しい流れとなるシネマ複合ビルに。<br /> * メディア・パーク・ケルン - ケルンに建設された情報都市で、1986年まではヨーロッパの鉄道網で最大の国有鉄道貨物ヤードを情報が情報を呼び、新たな情報を創出する空間実現のため計画された敷地は20haで、街の真ん中に位置している<br /> * ハーフェンシティ - ハンブルクにおける都市再生プロジェクト。大都市の発達した中心地区の周辺に位置、住宅・商店・工場などが混在するインナーシティで街の中心となり、21世紀の新しいヨーロピアンインナーシティーとしてのユニークな実例に。ウォーターフロントでもある同地区には、文化、レジャー、サービス、ショップ、飲食店、都会生活、公園、広場、散歩道が混在する画期的な街が姿を現し、[[ヘルツォーク&amp;ド・ムーロン]]の設計による華やかなエルブフィルハーモニーコンサートホールやKaispeicher B倉庫の海事博物館、そしてUberseequartierエリアにある水族館複合施設のMaritime Erlebnisweltなどがある。&lt;!--ここでは2020年までにおよそ4万件の新規雇用が創出され、また一万二千人の居住者達が水辺での都心生活を享受する予定で三百万人の観光客やビジターが文化的イベントに訪れることが予想。--&gt;ハンブルクのダウンタウンにおいては、ハーフェンシティの開発に伴い約40%の高度成長率を達成。<br /> * [[ロッテムダム]]再開発 - ラインバン計画に基づく再開発を実施。これは日本の防災街区造成事業のモデルとなっている<br /> * インビリドーバラ - [[プラハ]]北東部、カアルリン地区にある再開発地区<br /> * [[パリ・ベルシー駅]] - [[パリメトロ14号線]] [[ベルシー]]の再開発地区にあり[[フランス経済・財政・産業省]]ビルなどが近い。ベルシー地区再開発はパリ東部のワイン倉庫跡地を開発。セーヌ川左岸地区へつながる計画。開放的なテラスをもつ快適で個性的な住居群を形成<br /> * オムファル([[w:nl:Omval (Amsterdam)|Omval]])再開発地区・高層ビル街 - [[アムステル駅]]近郊<br /> * [[ベルゲン]]再開発地区 - ノルウェー<br /> * ラ・ブレン=サンドニ再開発 - パリ郊外北部の都市開発の中心<br /> * ダンケルク中心市街地再開発 - 運河にかかる橋の建設により孤立していた土地が新しく大学地になり、造船業の衰退と輸送手段の変化で、市街地に隣接した高エ案地区が都市整備の重要拠点となる<br /> * マルセイユ・ユーロメディチラネ構想 - 港湾地区の倉庫をオフィスビル・レドックにコンバージョンを受け、自動車専用の高架道路を地下化。<br /> * [[ヴァーツラフ広場]] - チェコはプラハにある広場。19世紀にプラハが爆発的な発展と近代化を進めるようになると、広場周辺の再開発が始まり、現在まで残る建築物が建てられ、広場の両側に建っている建物の多くは19世紀後半から20世紀初頭に建てられたもの<br /> * [[ウィーン中央駅]] - 再開発の費用として約20億ユーロが投資され、このうちオーストリア国鉄が約6億ユーロ、ウィーン市が約1億5000万ユーロ、残りを個人投資家たちが出資する<br /> * [[エディンバラ新市街#再開発]]<br /> * [[エンスヘーデ]] - 荒廃した街は、オランダでいちばん貧しい街といわれるまでになってしまったが、政府による市街地再開発などで復活<br /> * [[オステルリッツ駅]] - 1990年代からはオステルリッツ駅に付随する鉄道施設の整理と跡地の再開発が行われている<br /> * [[ガトウィック空港駅]] - ネットワーク・レールによるガトウィック空港駅の大規模な再開発では、3000万ポンドを掛けてこの駅を通過する列車本数を増加させ、乗客処理能力を改善<br /> * [[キングス・クロス駅]] - イギリスの主要鉄道幹線の1つであるイースト・コースト本線の南の終着駅。地下鉄駅は現在も大規模再開発中<br /> * [[クアトロ・トーレス・ビジネス・エリア]] - 「四つの塔のビジネスエリア」の意で(略称:CTBA)スペインの首都マドリードを貫く大通り・カステヤーナ通り(Paseo de la Castellana)の北端近くにあるビジネス地区<br /> * [[グウォグフ]] - 町の再開発が始まったのは1967年のことで、このとき銅の鋳造所が作られ、この鋳造所は現在でもグウォグフの町で最大級の企業である<br /> * [[クールブヴォア]] - フランス中央部、イル・ド・フランス地域圏の都市。都市再開発地区のラ・デファンスがある<br /> * [[サウサンプトン#再開発]] - ショッピングセンターの建設はウェスト・キー開発の第二段階で、第一段階はウェスト・キー・リテール公園<br /> * [[サウサンプトン]] - 世界大戦が終結すると、サウサンプトンの広範囲な地域で再開発が行われた。経済の発展により、サウサンプトンは再開発を促進し、1920年代に交通渋滞が増加すると、中世に建設された防壁を撤去。<br /> * [[サセックス大学]] - 2009年:キャンパスを再開発。大学のキャンパスには、他のイギリスの郊外型大学と同様に、学生が住む寮と生活に必要な施設があり、一つの街を形成している<br /> * [[ジョン・ブラウン・アンド・カンパニー#再開発]] - クライドバンクのドッグ跡地の再生プランは現在、ウェスト・ダンバートンシャイア議会とスコットランド開発公社によって実施中<br /> * [[ストラトフォード国際駅]] - イーストロンドン貨物操車場の再開発[[:en:Stratford City|ストラトフォードシティ]]の整備オリンピック関連の施設の整備に合わせ開業予定<br /> * [[チェックポイント・チャーリー]] - 2000年、周辺一帯の再開発によって旧東ドイツの監視塔が取り壊された。チェックポイント・チャーリーの建造物としては、この監視塔が最後まで残っていた<br /> * [[トゥルグ・ムレシュ]] - トランシルヴァニア地方の都市。1913年、トランシルヴァニアでのウィーン分離派様式を採用した市庁舎周辺を都市再開発している<br /> * [[トラファルガー広場]] - ロンドンのウェストミンスターに存在する広場。[[ジョン・ナッシュ (建築家)|ジョン・ナッシュ]]が再開発を<br /> * [[ドランメン]] - ノルウェー・ブスケルー県の都市。市の大半は1866年に起きた大火で廃墟と化し、市中心部の特色ある広場、ブラゲーネス教会などが再開発がなされた<br /> * [[ナンテール]] - イル・ド・フランス地域圏の都市である。オー=ド=セーヌ県の県庁所在地。都市再開発地区のラ・デファンスがある<br /> * [[ナント]] - 2001年、新たな市中心地とすべく島の再活性を目的とする、再開発計画が始まった<br /> * [[ニューカッスル・アポン・タイン]] - イン川沿いのキーサイドはかつて貿易・商業の中心地であった。1990年代から再開発が進み、歩いて渡れる対岸のゲイツヘッドの再開発も同時に行われ、近代美術館やホテル・レストランが建ち並んでいる<br /> * [[ノッティング・ヒル・ゲート駅#再開発]] - 駅の入口は1950年代後半に再築され、1959年からサークル線・ディストリクト線とセントラル線の2つのノッティング・ヒル・ゲート駅が接続して再開業<br /> * [[バーミンガム]]の再開発地区 - 運河を巧みに利用した再開発を実践中。カスタード工場地区再開発によりセルフリッジ(Selfridges)などのデパートやショップが入った巨大ショッピング・センターであるブル・リング・センター(Bull Ring Centre)が竣工。<br /> * [[バイヨンヌ]] - 大西洋岸は保養地として知られ、近年サーフィンをはじめとしたマリンスポーツのリゾートとしての再開発も進む<br /> * [[ハイルブロン]] - ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州北部の大都市。1998年からカールスルーエ市電が乗り入れ、ハイルブロン中心街一部で2005年から再び大きな工事が行われた。現在もこの街では大規模な都市再開発が進行中。ネッカー川に2つの橋が建設され、連邦地方振興政策に基づいて北と南に新しい市街地と、中心街に新しい2つの大型ショッピングセンターが建設されている<br /> * [[バトラーズ・ウォーフ]] - ロンドンのテムズ川南岸、タワーブリッジ東側にあるビル群。以前は倉庫街が広がっていたが、テレンス・コンランが尽力した1980年代の再開発し、以降は隣接するタワーブリッジの人気と相俟って、レストラン街や高級ペントハウス街とショッピングストリートを備えた観光地となっている<br /> * [[パリの歴史]] - ルーブル美術館再開発<br /> * [[パリ改造]] - [[アンリ4世 (フランス王)]]は、セーヌ川にまたがるポンヌフ橋の建造を中心とした首都パリの大規模な再開発計画を実行<br /> * [[ピーターバラ]] - 市内の中心部は再開発されており、現在はクイーンズゲート・ショッピングセンターが設けられている<br /> * [[ピュトー]] - フランス中央部、イル・ド・フランス地域圏の都市である。都市再開発地区のラ・デファンスがある<br /> * [[フィゲイラ広場]] - ポルトガル・リスボン中心地にある広大な広場。1755年のリスボン地震で被害を受け、再開発されたバイシャ・ポンバリーナ地区<br /> * [[プール・オブ・ロンドン]] - シティ・オブ・ロンドンがテムズ川に接する岸辺をさす。1960年代にテムズの水運量が減少し、波止場も大半閉鎖。このため1980年代から1990年代にかけて地区の再開発が行われ、近代的な商業エリアに生まれ変わった。21世紀に入ってもプール・オブ・ロンドン・パートナーシップが設立されるなど開発計画は現在も進行中<br /> * [[ブラチスラヴァ]] - スロバキア国鉄が管理運営する駅舎および駅周辺は2010年から再開発工事が始まる予定<br /> * [[マールブルク・アン・デア・ラーン]] - 1972年に公式な都心再開発事業が始まり、現在も続いている。旧市街の歴史的建造物は、注意深く修繕がなされている<br /> * [[マンチェスター]]の再開発地区 - 元々ロッチデール運河とアシュトン運河の間にある積み替え港だった「キャッスルフィールド」やインナーエリアの大規模集合住宅、ヒューム地区多人種居住エリアなど<br /> * [[ラ・デファンス]] - フランスのパリ近郊にある都市再開発地区<br /> * [[リンゴット]] - イタリア・トリノの地区名で特にフィアットの巨大な自動車工場を指すが工場再開発計画の設計コンペが行われ、[[レンゾ・ピアノ]]の案に決定した。1989年には老朽化した工場が、コンサートホール、劇場、コンベンションセンター、ショッピングモール、ホテルの入った近代的な複合施設に生まれ変わっている<br /> * [[レンヌ駅]] - 駅はレンヌ中心部の南側に位置し、今日では大規模な再開発が進んでいる<br /> * [[ローマ美術#建築|ローマ再開発]]<br /> * [[東洋アフリカ研究学院]] - キャンパス周辺で昨年のユーロスターのセント・パンクラス駅の乗り入れを契機とした大規模な再開発が進行中<br /> * アントウェルペン市再開発計画 - ベルギー・アントウェルペン,1990年<br /> * サウス・バンク再開発計画(1994年)<br /> * サンディエ - 小都市復興計画で不良宅地再開発計画<br /> * セルウィウス城 - カエサルのフォルム建設、フォルム・ロマヌム、市街地の拡大などの再開発を進めるために城壁を撤去<br /> * ベルリン/[[ゲルマニア]] - 大ドイツの首都にふさわしく[[ベルリン]]を改造するメガロマニアックな首都改造再開発で、[[アルベルト・シュペーア]] が ベルリン建設総監に任ぜられ、計画案を作成。1991年に東西統一ドイツの首都と定められて以降、東西に分断されていた道路網や地下鉄も含む鉄道網といった、交通網の東西直結工事が行われ、インフラ整備や再開発が旧東ベルリン地区を中心に進行し再興されているが、[[ソニーセンター]]といった高層、または超高層のビルが建設され始めている<br /> * ベルリン・[[アレクサンダー広場]] - ドイツの首都ベルリンのミッテ区にある広場。広場は何度か再開発され、最近では1960年代に東ドイツによって行われ、この時にベルリンテレビ塔が建てられた<br /> * ベルリン・[[ポツダム広場]]再建 - [[ハンス・シャロウン]] の原設計では、現在とよく似た被覆を行うものであったが、当時の予算ではこれが実現できなかった。[[レンゾ・ピアノ]] は [[ポツダム広場再開発計画]](デビス本社ビル等)で再開発にあたってのダイムラー・シティのマスタープラン設計を、クリストフ・コールベッカーと1992年 - 2000年共同した。これによってこの地域の都市再開発に関するシャロウンの設計は、最終的に完全な状態で実現。広場 のプロジェクトは開始当初から批判の対象であり、現在もなおこの地域が商業化され再開発される過程をすべての人が賞賛しているわけではない。<br /> * ベルリン・中央区やプレンツラウアー・ベルク区の再開発<br /> * [[テート・リバプール]] - [[テート・ギャラリー]]の一つで、サー・ヘンリー・テートゆかりの地、リバプールの港湾再開発地区の倉庫を改造し1988年開設。アルバート・ドックの、ジャッセ・ハートリー設計の1840年代の倉庫をジェームス・スターリングが改造<br /> * [[リージェント・ストリート#再開発]]<br /> * グリニッジ・ペニンチュラ総合基本計画(1996年)<br /> * [[グリニッジ]]ミレニアム・ヴィレッジ - グリニッジドームの南に位置する都市の再開発地区<br /> * ロンドン/[[セント・ジェームズ・パーク駅 (ロンドン地下鉄)]] - パルマー・ストリート出入口らはその後1960年代の再開発で建て替えられた<br /> * ロンドン/[[バーキング・アンド・ダゲナム・ロンドン特別区]] - 地域のほとんどがテムズ・ゲートウェイに位置するロンドン・リバーサイド内にあり、現在は再開発地域に指定されている<br /> * ロンドン・[[カナリー・ワーフ]] - [[ロンドン]]東部にある大規模ウォーターフロント再開発地域で、超高層ビル[[エイト・カナダ・スクウェア]]が竣工<br /> * ロンドン・[[ドックランズ#ドックランズ再開発]] - シティ東部の港湾地帯であるが荒廃からの再開発が進む。1981年、イギリス環境省によってロンドン・ドックランズ再開発公社が設立され中心市街地付近の廃墟をビル街として再開発<br /> * [[イギリスの運河]] - サルフォードは、サルフォード・キーとして再開発された<br /> * 英国防省チェルシーバラックス再開発<br /> * ベイルマミーア - 約40年前に6角形の高層ハニカム型巨大団地14,000戸を中心として建設された理想都市だったが、住民に受け入れられず、アムス市は住民参加で副都心としての再生計画を提案。高層棟の一部を残して解体、さらに減築、改造により、中低層棟を中心に商店、福祉施設を含めた団地再生を完成。さらにオランダ鉄道とメトロの両駅にまたがる新都市センター「アムステルダムアリーナ」の建設を実施し、駅東側にはアムステルダムポートの大ショッピングセンターとオフィス街、小工場群を配置し、8万人の雇用を創出。<br /> <br /> == 中国の都市再開発 ==<br /> * 珠江新城 - 広州市都心の再開発地区<br /> * [[牛街清真寺]] - 北京地方政府は牛街付近の約36[[ヘクタール]]の土地の再開発を開始<br /> * [[北京金融街]] <br /> * [[北京商務中心区]] <br /> * 瀋陽北駅前周辺再開発<br /> == 香港の都市再開発 ==<br /> * [[タイムズスクウェア (香港)]]<br /> * [[九龍]] - 2004年には、旺角の西側一帯を再開発し建設された複合施設であるランガムプレイスが完成した<br /> * [[九龍城砦]] - 正式名称は「九龍寨城」。再開発後の九龍寨城公園には中国趣味の庭園や、在りし日の九龍城砦の状況を簡単に展示する資料館が建てられた<br /> * [[香港]] - 香港島北部の市街地、特に灣仔地区でも環境整備と言う名目で再開発が進められている<br /> == 台湾の都市再開発 ==<br /> * [[信義区 (台北市)]]<br /> :* [[台北101]]<br /> :* [[台湾総督府専売局松山煙草工場]] - {{仮リンク|松山文化創意園区|zh|松山文化創意園區}}としてクリエイティブな空間に生まれ変わった。<br /> * [[台北駅]]<br /> :* [[台北地下街]]<br /> :* [[台北双子星]]<br /> :* [[台北転運站]](Qスクエア)<br /> * [[シティリンク (商業施設)]]<br /> * [[打狗港]] - 海岸公園を設置し高雄港の歴史と自然資源を利用した観光地として再開発<br /> * [[高雄多功能経済貿易園区]]、[[亜洲新湾区]] - [[高雄港]]周辺の港湾・工場施設跡地をリノベーション、または再開発。<br /> :* [[統一夢時代]]<br /> :* [[高雄展覧館]]<br /> :* [[駁二芸術特区]]<br /> <br /> == 韓国の都市再開発 ==<br /> * [[ソウル特別市]]政府中央庁舎付近再開発地区<br /> * [[ミアリテキサス#再開発]]. 淪落街3ヶ所に対する整備宣言(ソウル市幹部会議)以降、均衡発展促進地区に指定され 都市住居環境整備基本計画発表<br /> * 龍山4区域再開発事業 - [[龍山惨事]]を参照<br /> * 霊泉・南大門地区再開発計画 - 1967年<br /> <br /> == 東南アジアの都市再開発 ==<br /> * [[イポー]] - マレーシアの都市、ペラ州の州都。様々な努力が計られた。歴史的に「イポー」は、都市の中心部からキンタ川により分割された旧市街と新市街を指し、郊外に新しい開発がある度に、都市は絶えず広がっている。イポーは定年後に住むのに適した場所とされ、再開発のために新市街のそばに位置するグリーンタウンは1980年代後半から、政府の古い宿舎からしばしば旧市街と新市街を見劣りさせるほどのイポーの行政と商業の中心へと変えられる<br /> * [[シャー・アラム・サーキット]] - 取り壊され、「D&#039;Kayangan」というプロジェクト名の宅地開発が行われることになった<br /> * [[ザ・フラトン・シンガポール]] - ビルは1996年まで中央郵便局として使われたが、再開発によりホテルとして甦っている<br /> * [[ナショナルスタジアム (シンガポール)#再開発]] - ナショナルスタジアムを壊して、35.6ヘクタールの跡地に多目的総合スポーツ・娯楽施設であるSingapore Sports Hub(シンガポールスポーツハブ)の建設計画がある<br /> * [[マカティ]] - フィリピンのメトロ・マニラと呼ばれるマニラ首都圏に属する都市。広大な敷地を持つフォート・ボニファシオは現在再開発中である。<br /> * [[ラーマ4世通り]] - タイのバンコクにある道路。バンコク・メトロが開通してから利便性が向上し、駅前や通り周辺では再開発が進む。<br /> <br /> == 中東の都市再開発 ==<br /> * [[アブダビ#再開発]] - アブダビの500m沖合いの島で大規模再開発が行われている。完成時にはリゾートだけでなくニューヨーク大学・グッゲンハイム美術館もできる<br /> * [[ビジネスベイ]] - [[シェイク・ザーイド・ロード]]沿いの大規模再開発地区。[[ドバイマリーナ]]にも近い<br /> * [[エルサレム]] - ローマ風の都市として再開発<br /> * [[ジュメイラ]] - アラブ首長国連邦・ドバイの浜辺に沿った居住地域。[[ドバイマリーナ]]、[[パーム・アイランド]]など再開発地にジュメイラの一部富裕層は移住したりもしているがジュメイラ地域は未だドバイで一番富裕で排他的な地域<br /> * [[セントラル・マーケット]] - アラブ首長国連邦の首都・アブダビで現在進行中の再開発プロジェクトの名称<br /> * [[タルトゥース]] - 近年は港湾地区を再開発するアンタラドゥス・ウォーターフロント開発計画が進められ、巨額の投資がなされている<br /> * [[ドーハ#再開発]] - 市内各地で大型開発が行われている<br /> * [[ヒジャーズ駅]] - 2004年、駅舎は再開発のために閉鎖されたが、再開発計画は中断されたままになっている<br /> * ヘブロン市占領区域 - イスラエルの占領政策により活力を失ったパレスチナの古都・ヘブロンの中心市街地(オールドマーケット)では、1996年にヘブロン再生委員会(HRC)が組織され、町並みを保存しつつ中心市街地の再生を図るプロジェクトが行われてきた。<br /> <br /> == オーストラリアの都市再開発 ==<br /> * [[キャンベラ]]副都心・衛星地区開発<br /> <br /> == ロシアの都市再開発 ==<br /> * [[スモレンスク空港#再開発計画]] - モスクワ市とスモレンスク州による共同再開発プロジェクトが合意。滑走路の改修と延長、近代的な航法設備の導入、ターミナルの建設が計画されている<br /> * [[モスクワ・シティ]] - ロシアの首都モスクワ中心部(プレスネンスキー区)における都市再開発プロジェクト及び地域の名称<br /> <br /> == アフリカの都市再開発 ==<br /> * [[イェケパ]] - [[リベリア]]の都市。内戦終結後、アルセロール・ミッタル社がこの鉱山の再開発を決定し、多くの議論の後2007年5月に再開発をスタートさせた<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * アメリカの貧困と福祉(アメリカの財政と福祉国家 4 渋谷博史監修)渋谷博史編 C.ウェザーズ編 日本経済評論社 2006<br /> * ダム年鑑 2008 日本ダム協会 2008<br /> * 駅前観測-数えてみればこんなに分かる-(現代風俗 現代風俗研究会年報 第31号) 現代風俗研究会編 新宿書房 2009<br /> * オランダ・ベルギーの図書館-独自の全国ネットワーク・システムを訪ねて- 西川馨編 教育史料出版会 2004<br /> *これならわかる再開発 そのしくみと問題点 遠藤哲人 自治体研究社 2004<br /> * 区画整理・再開発の破綻 区画整理・再開発対策全国連絡会議/編 自治体研究社 2001<br /> * 香港の都市再開発と保全-市民によるアイデンティティとホームの再構築 福島綾子 九州大学出版会 2009<br /> * ウォーターフロント再開発-都市再生の新潮流とアメリカの開発手法- 日本開発銀行都市開発研究グループ訳編 理工図書<br /> * アメリカの都市再開発-コミュニティ開発、活性化、都心再生のまちづくり- 日端康雄著 木村光宏著 学芸出版社 1992<br /> * 「アーバン・アーキテクチュア」の時代へ ジョセフ・ベルモン/著 彰国社 1994<br /> * 手造りの街再開発 木脇義博 第一法規、1987<br /> * 優良再開発事例集 優良再開発建築物整備促進事業 10 年間の実績」(社)全国市街地再開発協会,1995 <br /> * 優良建築物等整備事業による市街地更新に関する研究(まちづくり(2),都市計画) 有川智子, 鵤心治 , 小林剛士 学術講演梗概集. F-1, 都市計画, 建築経済・住宅問題 2004<br /> * 優良建築物等整備事業による市街地更新に関する研究(都市計画) 有川智子, 鵤心治 , 小林剛士 日本建築学会中国支部研究報告集 27, 841-844, 2004-03 <br /> * 日本の都市再開発史 1991年 全国市街地再開発協会<br /> * 大規模任意再開発における制度利用への取組み-日本橋浜町Fタワーの事業経過を通して 大村明弘, 池田新二郎 再開発研究 (16), 25-31, 2000<br /> *[[陣内秀信]] 『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会, 1978年)<br /> *[[五十嵐敬喜]] 『「都市再生」を問う―建築無制限時代の到来』(岩波書店、2003年)<br /> *首都圏の都市再生 : 主要再開発プロジェクト2 都市計画通信社都市再生と環境インフラ編集部 2006年<br /> *日本の都市再開発史 全国市街地再開発協会 1991年<br /> *財団法人地域活性化センター『月刊地域づくり第243号』「都市再生の新しい概念が普及 -世界に広がる「創造都市」のネットワーク-」<br /> *[[橋爪紳也]] 『大阪のひきだし 都市再生フィールドノート』鹿島出版会、2006年<br /> *[[北沢猛]] 岩波講座都市再生を考える 公共空間としての都市、岩波書店<br /> *[[後藤和子]] 翻訳. デヴィッド・スロスビー著、中谷武雄・後藤和子監訳『文化経済学入門:創造性の探求から都市再生まで』日本経済新聞社、2002 年<br /> *チャールズ・ランドリー著、後藤和子監訳『創造的都市―都市再生のための道具箱』日本評論社、2003年<br /> *[[蓑原敬]] 「成熟のための都市再生 ― 人口減少時代の街づくり」学芸出版社、2003<br /> *家田仁、岡並木、国際交通安全学会都市と交通研究グループ著『都市再生―交通学からの解答』、学芸出版社、2002年<br /> *[[ジャイメ・レルネル]] 都市の鍼治療 元クリチバ市長の都市再生術 (訳:中村ひとし・服部圭郎、丸善、2005年) ISBN 4-621-07614-0. O vizinho: parente por parte de rua (画:Claudius、Editora Record、2005年) ISBN 85-01-06877-2<br /> *[[林泰義]] 都市再生(監訳:ロバータ・ブランデズ・グラッツ著) 晶文社 1993年<br /> *安全と再生の都市づくり〜阪神・淡路大震災を超えて〜(共著) 学芸出版社<br /> *陣内秀信[[SD選書]] 147 『イタリア都市再生の論理』<br /> *[[加藤源]] 都市再生の都市デザイン プロセスと実現手法 (学芸出版社、2001年)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[レッドライニング]]<br /> * [[都市計画]]<br /> * [[都市再開発法]]<br /> * [[再開発プランナー]]<br /> * [[都市再生緊急整備地域]]<br /> * [[特定街区]]<br /> * [[都市再生特別地区]]<br /> * [[民間都市再生事業計画認定制度]]<br /> * [[国際競争拠点都市整備事業]]<br /> * [[日本の再開発の一覧]]<br /> * [[土地区画整理事業一覧]]<br /> *[[地域おこし]] <br /> *[[新都市拠点整備事業]]<br /> *[[創造都市ネットワーク]] <br /> *[[デトロイト]] 1990年頃から都市再生を目指し、ダウンタウンにはピープルムーバーと呼ばれる新都市交通が設けられている<br /> *[[東京建物仙台ビル#都市再生貢献]]<br /> *[[北九州市ルネッサンス構想]]、水辺と緑とふれあいの“国際テクノロジー都市”へを基調テーマにした都市再生計画<br /> *[[デベロッパー (開発業者)]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.urca.or.jp/ 社団法人再開発コーディネーター協会]<br /> * [http://www.uraja.or.jp/ 社団法人全国市街地再開発協会]<br /> * [http://www.contemporary.jp 現代アーティストとみんなで考えるオリンピック招致]<br /> <br /> {{不動産開発}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:としさいかいはつ}}<br /> [[Category:再開発|*]]<br /> [[Category:都市計画]]<br /> [[Category:経済地理学]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 神津島空港 2018-05-11T23:33:03Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{Infobox 空港<br /> | 名前 = 神津島空港&lt;br /&gt;Kouzushima Airport<br /> | 画像 = [[File:Kozushima airport.JPG|250px]]<br /> | IATA = -<br /> | ICAO = RJAZ<br /> | 国 = {{JPN}}<br /> | 設置場所 = [[東京都]][[神津島村]]<br /> | タイプ = 商業<br /> | 運営者 = [[東京都港湾局]]<br /> | 標高 m = 138.4<br /> | 標高 ft =454.1<br /> | 緯度度 = 34|緯度分 = 11|緯度秒 = 10|N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 139|経度分 = 08|経度秒 = 12|E(東経)及びW(西経) = E<br /> | ウェブサイト = [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/kozushima/ 神津島空港]<br /> | 座標地域 = JP<br /> | 地図名 = Japan<br /> | 地図ラベル = RJAZ<br /> | 地図説明 = 神津島空港の位置<br /> | 方向 滑走路1 = 11/29<br /> | ILS 滑走路1 = NO<br /> | 全長 滑走路1 m = 800<br /> | 全幅 滑走路1 = 25<br /> | 全長 滑走路1 ft = 2,625<br /> | 表面 滑走路1 = 舗装<br /> }}<br /> [[File:Kozushima Airport Aerial photograph.2000.jpg|thumb|250px|神津島空港周辺の空中写真。2000年撮影。&lt;br /&gt;{{国土航空写真}}]]<br /> &#039;&#039;&#039;神津島空港&#039;&#039;&#039;(こうづしまくうこう、Kouzushima Airport)は、[[東京都]][[神津島村]]([[神津島]])にある[[空港]]。東京都港湾局が運営している東京都営空港の一つ。[[空港法]]の分類では[[日本の空港#概要|地方管理空港]](旧[[空港整備法]]の分類では第三種空港)。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1992年]][[7月]] - 開港。<br /> <br /> == 運航路線 ==<br /> * &#039;&#039;&#039;[[新中央航空]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** 神津島空港 - [[調布飛行場]] ([[1992年]]7月路線開設)<br /> ***1日3~4便が就航している。(運航日によりダイヤが変動)<br />         9:55発・11:45発、(14:40発・運航日注意)、16:30発(2017年7月現在)<br /> <br /> == アクセス ==<br /> * &#039;&#039;&#039;[[神津島村営バス]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[神津島港]]発着便<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の空港]]<br /> * [[航空交通管制]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/kozushima/ 神津島空港|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ] <br /> <br /> {{日本の空港}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:こうつしまくうこう}}<br /> [[Category:関東地方の空港|こうつしま]]<br /> [[Category:東京都島嶼部の交通]]<br /> [[Category:神津島村]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 新島空港 2018-05-11T23:30:29Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{Infobox 空港<br /> | 名前 = 新島空港&lt;br/&gt;Niijima Airport<br /> | 画像 = [[File:Niijima_Airport_(---_RJAN)_(457235823).jpg|280px|新島空港]]<br /> | IATA = -<br /> | ICAO = RJAN<br /> | 国 = {{JPN}}<br /> | 設置場所 = [[東京都]][[新島村]]<br /> | タイプ = 商業<br /> | 運営者 = [[東京都港湾局]]<br /> | 標高 m = 28.6<br /> | 標高 ft = 93.8<br /> | 緯度度 = 34|緯度分 = 22|緯度秒 = 10|N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 139|経度分 = 16|経度秒 = 06|E(東経)及びW(西経) = E<br /> | ウェブサイト = [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/niijima/ 新島空港]<br /> | 座標地域 = JP<br /> | 地図名 = Japan<br /> | 地図ラベル = RJAN<br /> | 地図説明 = 新島空港の位置<br /> | 方向 滑走路1 = 11/29<br /> | ILS 滑走路1 = NO<br /> | 全長 滑走路1 m = 800<br /> | 全幅 滑走路1 = 25<br /> | 全長 滑走路1 ft = 2,625<br /> | 表面 滑走路1 = 舗装<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;新島空港&#039;&#039;&#039;(にいじまくうこう、Niijima Airport)は、[[東京都]][[新島村]]([[新島]])にある[[空港]]。東京都営空港の一つ。[[空港法]]の分類では[[日本の空港#地方管理空港|地方管理空港]](旧[[空港整備法]]の分類では[[日本の空港#第三種空港|第三種空港]])。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1970年]] 村営場外離着陸場として開設。<br /> * [[1984年]] 第三種空港設置許可。<br /> * [[1987年]] 第三種空港として供用開始。<br /> * [[1994年]] 航空灯火供用開始。<br /> <br /> == 運航路線 ==<br /> * &#039;&#039;&#039;[[新中央航空]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[調布飛行場]] - 新島空港 (1979年3月路線開設)<br /> <br /> == アクセス ==<br /> * 新島村役場から車で約5分。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の空港]]<br /> * [[航空交通管制]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/niijima/ 新島空港|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ]<br /> <br /> [[File:Niijima Airport Aerial photograph.1978.jpg|right|thumb|550px|新島空港の空中写真。島の中央、東西方向に滑走路が設置されている。&lt;br/&gt;画像左(西側)が村役場のある本村地区と前浜海岸、右(東側)が羽伏浦。&lt;br/&gt;{{国土航空写真}}。1978年撮影の2枚を合成作成。]]<br /> <br /> {{日本の空港}}<br /> {{airport-stub}}<br /> {{デフォルトソート:にいしまくうこう}}<br /> [[Category:関東地方の空港]]<br /> [[Category:東京都島嶼部の交通]]<br /> [[Category:新島村]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 大島空港 2018-05-11T23:27:26Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{導入部が短い|date=2015年8月}}<br /> {{Infobox 空港<br /> | 名前 = 大島空港&lt;br/&gt;Oshima Airport<br /> | 画像 = [[File:Oshima Airport (OIM-RJTO) 2.jpg|250px|大島空港]]<br /> | IATA = OIM<br /> | ICAO = RJTO<br /> | 国 = {{JPN}}<br /> | 設置場所 = [[東京都]][[大島町]]<br /> | タイプ = 商業<br /> | 運営者 = [[東京都港湾局]]<br /> | 標高 m = 37.8<br /> | 標高 ft = 124<br /> | 緯度度 = 34|緯度分 = 46|緯度秒 = 55|N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 139|経度分 = 21|経度秒 = 37|E(東経)及びW(西経) = E<br /> | ウェブサイト = [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/oshima/ 大島空港]<br /> | 座標地域 = JP<br /> | 地図名 = Japan<br /> | 地図説明 = 大島空港の位置<br /> | 方向 滑走路1 = 03/21<br /> | ILS 滑走路1 = YES<br /> | 全長 滑走路1 m = 1,800<br /> | 全幅 滑走路1 = 45<br /> | 全長 滑走路1 ft = 5,906<br /> | 表面 滑走路1 = 舗装<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;大島空港&#039;&#039;&#039;(おおしまくうこう、{{lang-en-short|Oshima Airport}})は、[[東京都]][[大島町]]([[伊豆大島]])にある[[日本の空港#地方管理空港|地方管理空港]]。<br /> <br /> [[ファイル:20090730大島空港M2.jpg|thumb|280px|大島空港俯瞰(2009年撮影)]]<br /> [[ファイル:Oshima Airport Aerial photograph.1976.jpg|thumb|280px|1976年に撮影された、大島空港の空中写真。&lt;br/&gt;滑走路延長は1,200メートル。&lt;br/&gt;{{国土航空写真}}。1976年撮影の2枚を合成作成。]]<br /> == 歴史 ==<br /> * [[1964年]][[6月]] 第三種空港として滑走路1,200メートルにて開設。<br /> * [[2002年]][[10月]] 滑走路を1,800メートルに延長し、ジェット化。<br /> * [[2008年]][[8月]] ANA減便を発表、羽田 - 大島線が1日1往復になる。<br /> * [[2009年]] 新中央航空、1日3往復化を予定。<br /> * 2009年10月 大島 - 八丈島線休止。羽田 - 大島線が[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DHC-8-300]](Q300)での運航になる。<br /> * [[2014年]][[3月30日]] 羽田 - 大島線がDHC-8-300(Q300)から[[ボーイング737]](ジェット機)の運航になる。<br /> * [[2015年]][[10月25日]] 羽田 - 大島線運休&lt;ref&gt;{{Cite news |title=全日空の羽田―大島便、10月25日から運休 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |date=2015-8-20 |author= |url=http://www.asahi.com/articles/ASH8M5Q3FH8MUTIL03R.html |accessdate= }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 施設 ==<br /> {{節スタブ}}<br /> レストラン、売店、喫煙所、展望デッキ<br /> <br /> == 運航路線 ==<br /> * &#039;&#039;&#039; [[新中央航空]] (CUK) &#039;&#039;&#039;<br /> ** [[調布飛行場]]<br /> * &#039;&#039;&#039; [[東邦航空]] &#039;&#039;&#039;([[東京愛らんどシャトル]])<br /> ** [[三宅島空港]](当面、[[三宅島空港#三宅村場外離着陸場|場外離着陸場]]発着にて運航)、[[利島村|利島]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;かつての定期就航路線&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039; [[全日本空輸]] (ANA) &#039;&#039;&#039;&lt;/small&gt;<br /> ** [[東京国際空港]]・[[八丈島空港]]<br /> <br /> == アクセス ==<br /> * &#039;&#039;&#039;[[大島旅客自動車]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** 元町港、岡田港、大島公園発着の路線バスを運行<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{commonscat|Oshima Airport}}<br /> * [[川田工業]] - 新中央航空や東邦航空の親会社<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/oshima/ 大島空港|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ]<br /> <br /> {{airport-info|RJTO}}<br /> {{日本の空港}}<br /> {{デフォルトソート:おおしまくうこう}}<br /> {{airport-stub}}<br /> <br /> [[Category:関東地方の空港]]<br /> [[Category:東京都島嶼部の交通]]<br /> [[Category:大島町]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 三宅島空港 2018-05-11T23:24:51Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{Infobox 空港<br /> | 名前 = 三宅島空港&lt;br /&gt;Miyakejima Airport<br /> | 画像 =<br /> | IATA = MYE<br /> | ICAO = RJTQ<br /> | 国 = {{JPN}}<br /> | 設置場所 = [[東京都]][[三宅村]]<br /> | タイプ = 商業<br /> | 運営者 = [[東京都港湾局]]<br /> | 標高 m = 19.9<br /> | 標高 ft = 65.3<br /> | 緯度度 = 34|緯度分 = 04|緯度秒 = 25|N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 139|経度分 = 33|経度秒 = 37|E(東経)及びW(西経) = E<br /> | ウェブサイト = [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/miyakejima/ 三宅島空港]<br /> | 座標地域 = JP<br /> | 地図名 = Japan<br /> | 地図説明 = 三宅島空港の位置<br /> | 方向 滑走路1 = 02/20<br /> | ILS 滑走路1 = NO<br /> | 全長 滑走路1 m = 1,200<br /> | 全幅 滑走路1 = 30<br /> | 全長 滑走路1 ft = 3,937<br /> | 表面 滑走路1 = 舗装<br /> }}<br /> [[File:Miyakejima Airport Aerial photograph.jpg|thumb|240px|三宅島空港付近の空中写真。&lt;small&gt;(1978年撮影)&lt;/small&gt;&lt;br /&gt;{{国土航空写真}}]]<br /> &#039;&#039;&#039;三宅島空港&#039;&#039;&#039;(みやけじまくうこう &#039;&#039;Miyakejima Airport&#039;&#039;)は、[[東京都]][[三宅村]]([[三宅島]])にあり、東京都港湾局が運営する[[日本の空港#地方管理空港|地方管理空港]]。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1966年]] : 第三種空港として開港。滑走路1100m。<br /> * [[1976年]] : 滑走路1200mに延長。<br /> * [[1983年]] : 火山災害により、10月3日から8日まで空港閉鎖。<br /> * [[1986年]] : ターミナルビル増改築。<br /> * [[2000年]] : 雄山噴火により空港閉鎖。三宅島空港発着全便が運休。<br /> * [[2008年]][[4月26日]] : [[全日本空輸|全日本空輸(ANA)]]&lt;ref&gt;[[ANAウイングス]]の機材・乗務員で運航。&lt;/ref&gt;の[[東京国際空港]]との定期便を再開。<br /> * [[2014年]][[3月31日]] : ANAの東京国際空港との定期便を廃止&lt;ref&gt;[http://www.ana.co.jp/pr/14_0103/13-150.html 2014年 国内線サマーダイヤについて 〜羽田発着路線の増便により、国内線ネットワークが更に便利に!〜 〜11年ぶりに青森空港の定期便を再開!〜] 全日本空輸株式会社 2014年1月22日付&lt;/ref&gt;。<br /> * 2014年[[4月2日]] : 新中央航空の調布飛行場との定期便が就航&lt;ref&gt;{{Cite web |date=2013-01-22 |url=http://www.mxtv.co.jp/mxnews/news/201301227.html |title=調布-三宅島路線を2014年度開設へ |publisher=TOKYO MX NEWS |language=日本語 |accessdate=2013-02-03 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://flyteam.jp/news/article/30264 新中央航空、4月2日から調布/三宅島線に就航 スケジュール発表] FlyTeam 2013年12月26日付&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 運航路線 ==<br /> * &#039;&#039;&#039; [[新中央航空]] (CUK) &#039;&#039;&#039;<br /> ** [[調布飛行場]]<br /> * &#039;&#039;&#039; [[東邦航空]] &#039;&#039;&#039;([[東京愛らんどシャトル]]) ※[[#三宅村場外離着陸場|三宅島ヘリポート]]発着<br /> ** [[大島空港]]<br /> ** [[御蔵島]]ヘリポート<br /> &#039;&#039;&#039;過去に存在した定期就航路線&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039; [[全日本空輸]] (ANA) &#039;&#039;&#039;<br /> ** [[東京国際空港]]<br /> * &#039;&#039;&#039; 東邦航空 &#039;&#039;&#039;(東京愛らんどシャトル)<br /> ** [[利島]]ヘリポート<br /> <br /> == 交通 ==<br /> * &#039;&#039;&#039; [[三宅村営バス]] &#039;&#039;&#039;(空港前停留所)<br /> <br /> <br /> == 火山噴火の影響 ==<br /> [[2000年]]([[平成]]12年)の[[火山]][[噴火]]による全島避難に伴い、閉鎖された。[[2005年]](平成17年)に島内一部地域で避難指示が解除されたが、空港の一部は高濃度[[火山ガス]]のために立入禁止区域となっており、閉鎖は継続された。[[2007年]](平成19年)8月24日、東京都は条件次第での運航が可能と判断し、[[2008年]](平成20年)4月26日より当面1日1便、最終的には噴火前と同じ1日2便の定期便運航を再開する方針を固め&lt;ref&gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/08/20h8o100.htm 三宅島空港への航空路の再開について]&lt;/ref&gt;、予定通り4月26日より[[火山ガス]]の濃度に問題がない場合に限り1日1往復の運航を再開した&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20080725124341/http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080426/sty0804261248003-n1.htm 三宅島への空路再開 島民待望、観光再生目指す 産経新聞 2008年4月26日]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 火山ガスの影響 ==<br /> 空港ターミナルビルの南側を境に、北側は坪田高濃度地区に指定されている。高濃度地区は4時間以上の滞在が禁止されているが、このこと自体は空港を再開できない理由ではない。同じ坪田高濃度地区には三池港や村営バス車庫があり、いずれも4時間以内の滞在を条件に使用されている。<br /> <br /> 東京都は空港再開を目的として、ターミナルビル南側の高濃度地区から僅かに外れた場所に、仮ターミナルビルを建設し、[[2006年]](平成18年)3月に落成した。以後、この建物は東京都の三宅島空港管理事務所として利用されている。<br /> <br /> === ANA就航時 ===<br /> ANAは仮ターミナルビル完成以後も運航を再開しなかった。三宅島周辺上空の火山ガス濃度が不明であり、高濃度ガス内を飛行すると機内に吸入して乗員乗客の健康を損なうおそれがあること、火山ガスによる機体の腐食を防止するため洗浄作業が必要になることを理由としている。三宅島周辺上空の火山ガスを測定する機器を設置して観測を行ったところ、風速5 - 8mの西風の状況でなければ火山ガスの影響は少なく、運航に支障がないことがわかったため、その後の協議を経て2008年(平成20年)4月26日に運航を再開した。ANAホームページにて午前6時30分に運航見通しが発表され、東京国際空港出発1時間前に最終的な運航可否が決定する。<br /> <br /> 2014年3月31日、[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディア DHC-8-Q300]]が退役するのと同時にANAは路線を休止した。最終日は火山ガスにより出発が遅れたが、結局三宅島空港に着陸することができずに羽田に引き返した。&lt;ref&gt;{{Cite news |title=ANA、Q300退役で羽田-三宅島線休止 最終便は火山ガス引き返し |newspaper=Aviation Wire |date=2014-3-31 |author=吉川 忠行 |url=http://www.aviationwire.jp/archives/34564 |accessdate=2016-12-23}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 三宅村場外離着陸場 ==<br /> 島の北端部にあたる伊豆・神着地区に整備されたヘリポートである。帰島に備えて島内の防災工事を行う際に整備された、作業員宿舎のヘリポートを活用したものであり、宿舎は現在も残されている。宿舎には火山ガスを濾過する装置が備えられており、伊豆緊急避難施設として、火山ガス濃度が高まった際の避難所になっている。<br /> <br /> [[東京愛らんどシャトル]]では、[[2005年]](平成17年)6月に場外離着陸場発着にて[[大島空港]]便が暫定再開され、同年10月より[[御蔵島]]便も含めた定期運航が再開された。空港運用が再開された現在も引き続き場外離着陸場発着となっている。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の空港]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/rito/tmg-airport/miyakejima/ 三宅島空港|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ]<br /> <br /> {{Airport-info|RJTQ}}<br /> {{日本の空港}}<br /> {{Airport-stub}}<br /> {{デフォルトソート:みやけしまくうこう}}<br /> [[Category:関東地方の空港]]<br /> [[Category:東京都島嶼部の交通]]<br /> [[Category:三宅村]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 中澤酒造 2018-04-27T05:41:45Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: Category:Infobox内でサムネイル画像を使用しているページ</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名 = 中澤酒造株式会社<br /> |英文社名 = NAKAZAWA SYUZO CO.,LTD.<br /> |ロゴ = <br /> |画像 = [[File:松みどり2.jpg|中澤酒蔵入口|250px]]<br /> |画像説明 = 中澤酒蔵入口<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 = <br /> |略称 = <br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号 = 258-0003<br /> |本社所在地 = [[神奈川県]][[足柄上郡]][[松田町]]松田惣領1875<br /> | 本社緯度度 = 35 | 本社緯度分 = 20 | 本社緯度秒 = 47.5 | 本社N(北緯)及びS(南緯) = N <br /> | 本社経度度 = 139 |本社経度分 = 8 | 本社経度秒 = 13.2 | 本社E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 本社地図国コード = JP<br /> |本店郵便番号 = <br /> |本店所在地 = <br /> |設立 = [[1825年]]創業<br /> |業種 = 食料品<br /> |統一金融機関コード = <br /> |SWIFTコード = <br /> |事業内容 = [[日本酒]]・酒スイーツの製造・販売など<br /> |代表者 = 鍵和田茂<br /> |資本金 =<br /> |発行済株式総数 = <br /> |売上高 = <br /> |営業利益 = <br /> |純利益 =<br /> |包括利益 =<br /> |純資産 = <br /> |総資産 = <br /> |従業員数 = <br /> |支店舗数 = <br /> |決算期 = <br /> |主要株主 = <br /> |主要子会社 = <br /> |関係する人物 = <br /> |外部リンク = http://www.matsumidori.jp/<br /> |特記事項 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;中澤酒造&#039;&#039;&#039;株式会社(なかざわしゅぞう)は、[[神奈川県]][[足柄上郡]][[松田町]]にある酒造メーカー。[[日本酒]]を中心に製造販売する。主要銘柄名は「松美酉(まつみどり)」。[[1825年]](江戸・[[文政]]8年)創業。中沢酒造で表記されている場合もある。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> * [[神奈川県]]の[[日本酒]]。[[吟醸酒]]、[[純米酒]]、[[本醸造酒]]などがある。原料米は足柄産若水、[[美山錦]]、[[五百万石]]など。仕込み水は[[丹沢山]]系の[[伏流水]]。所在地は足柄上郡松田町松田惣領。&lt;ref name=&quot;kotobank&quot;&gt;{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/松美酉 |title=松美酉 |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2017-10-10 }}&lt;/ref&gt;。<br /> &lt;gallery widths=&quot;210px&quot; heights=&quot;160px&quot;&gt;<br /> ファイル:松みどり1.jpg|展示蔵<br /> ファイル:松みどり4.jpg|松みどり<br /> ファイル:松みどり3.jpg|酒ケーキ<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 銘柄名の由来 ==<br /> [[足柄米]]を使い、おいしい酒づくりに精を出す一方で、松田周辺の庄屋も兼ねる名家であった。また当時は[[小田原藩]]の[[御用商人]]として[[大久保氏|大久保家]]に出入りし、その縁で自慢のお酒を献上したところ、お殿様から立派な酒名を賜った。それが“松美酉(松みどり)”である。ちなみに、この名は[[松]][[並木道|並木]]が美しかった[[松田町|松田]]周辺の景観に由来している。&lt;ref&gt;http://www.shokokai.or.jp/14/1400219014/index.htm 酒ガイド/足柄上商工会&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1825年]](江戸・[[文政]]8年)に創業。<br /> <br /> == 商品 ==<br /> === 日本酒 ===<br /> * 季節限定・松みどり([[日本酒#ひやおろし|ひやおろし]]、しぼりたて、[[にごり酒]]、澤のしずくなど)<br /> * [[大吟醸]]・[[吟醸]](華(はなやか)、松美酉ぎんから)<br /> * [[純米大吟醸]]・[[純米吟醸]]・[[純米酒]](松美酉・吟の舞ソフト、琴姫)<br /> * [[本醸造]]・[[日本酒#普通酒|普通酒]]<br /> * 亮(11代目[[蔵元]]鍵和田亮氏渾身のお酒)&lt;ref&gt;http://www.hakoneyasaketen.com/item/sake-88/ 箱根屋酒店&lt;/ref&gt;<br /> * [[箱根]]シリーズ(四季の箱根)&lt;ref&gt;http://www.matsumidori.jp/syohin.html 商品一覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 酒スイーツ ===<br /> * 酒ケーキ<br /> <br /> == 見学 ==<br /> [[酒蔵]]見学は要予約となっている。(11月~4月の仕込の時期は蔵見学をお休み)<br /> 隣接している展示蔵では、試飲や販売を行っている。(年中無休:10:00~16:00)&lt;ref&gt;http://www.matsumidori.jp/kurakengaku.html 蔵見学のご案内&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == アクセス ==<br /> * [[小田急小田原線]] [[新松田駅]]または[[東海旅客鉄道|JR]][[御殿場線]] [[松田駅]]からそれぞれ徒歩3分<br /> * [[東名高速道路]] [[大井松田インターチェンジ|大井松田IC]]から西へ約2km<br /> * 駐車場あり<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[松田町]]<br /> * [[丹沢山]]<br /> * [[西丹沢]]<br /> * [[丹沢大山国定公園]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.matsumidori.jp/ 丹沢の地酒 松みどり]<br /> * [https://www.facebook.com/matsumidori1825/ 中澤酒造株式会社フェイスブック]<br /> * [https://town.matsuda.kanagawa.jp/site/kankou-sub/matsumidori.html 松美酉(まつみどり) - 松田町公式ホームページ]<br /> <br /> {{デフォルトソート:なかさわしゆそう}}<br /> {{Company-stub}}<br /> {{Sake-stub}}<br /> [[Category:日本の酒類メーカー]]<br /> [[Category:神奈川県の日本酒メーカー]]<br /> [[Category:神奈川県の企業]]<br /> [[Category:1825年設立]]<br /> [[Category:松田町]]<br /> [[Category:松田町の画像]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 武幸四郎 2018-03-31T06:46:28Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: /* 外部リンク */</p> <hr /> <div>{{存命人物の出典明記|date=2015年7月}}<br /> {{騎手<br /> |画 = [[File:Koshiro-Take.jpg|200px]]<br /> |名 = 武幸四郎<br /> |国 = {{JPN}}<br /> |出 = [[滋賀県]][[栗太郡]]栗東町&lt;br /&gt;(現・[[栗東市]])<br /> |生 = {{生年月日と年齢|1978|11|3}}<br /> |死 = <br /> |身 = 177.0cm<br /> |体 = 52kg<br /> |血 = A型<br /> |団 = JRA<br /> |厩 = 栗東・[[武邦彦]](1997.3 - 1998.2)&lt;br&gt;栗東・フリー(1998.3 -2017.2)<br /> |初 = 1997年<br /> |区 = [[平地競走]]&lt;ref&gt;{{Cite web|format=PDF|url=http://www.jra.go.jp/news/201602/pdf/021102_02.pdf |title=平成28年度 騎手免許試験合格者|publisher=日本中央競馬会|date=2016-02-11|accessdate=2016-04-07}}&lt;/ref&gt;&lt;!--28年度--&gt;<br /> |引 = 2017年2月28日<br /> |重 = <br /> |通 = <br /> |調初 = [[2017年]](2018年開業)<br /> |調引 =<br /> |調重 = <br /> |調G1 = <br /> |調通 = <br /> |所 = [[栗東トレーニングセンター|栗東T.C.]] (1997年-)<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;武 幸四郎&#039;&#039;&#039;(たけ こうしろう、[[1978年]][[11月3日]] - )は、[[日本中央競馬会]] (JRA) [[栗東トレーニングセンター|栗東]]所属の元[[騎手]]で[[調教師]]。<br /> <br /> 実兄は[[武豊]]。義姉(豊の妻)は[[佐野量子]]。実父は[[武邦彦]]&lt;ref&gt;{{Cite web|url = http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090301-466082.html|title = 武邦師引退の日に四男幸四郎が孝行の白星|accessdate = 2016-02-18|date= 2009-03-01|publisher = 日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;(かつての師匠でもあった)。<br /> <br /> == 来歴 ==<br /> 初騎乗は[[1997年]][[3月1日]]、[[阪神競馬場|阪神競馬]]第1競走でメイショウユリヒメに騎乗し、13頭立ての6着に終わる。[[3月2日]]、[[マイラーズカップ]]で[[オースミタイクーン]]に騎乗し、11番人気で快勝。初勝利が重賞、さらにはJRA史上最短記録となるデビュー2日目での重賞勝利という快挙を成し遂げた。同年の[[JRA賞]]で最多勝利新人騎手を受賞した。兄・豊も最多勝利新人騎手を受賞しており、JRA史上初の兄弟受賞であった。<br /> <br /> 3年目の[[1999年]]に自己最多の62勝を挙げ、関西リーディング6位につける。その後長い間関西リーディングでは上位につけていた。<br /> <br /> [[2000年]]には[[秋華賞]]を10番人気の[[ティコティコタック]]で勝ち、GI初勝利を挙げる。<br /> <br /> [[2007年]]ごろを境目に騎乗機会、勝利数ともに下降し始め、[[2009年]]には1999年から連続していた連続年重賞勝利もストップ。[[2011年]]にはデビュー以来自己最低の年間7勝に終わる。<br /> <br /> [[2013年]]に[[メイショウマンボ]]で[[優駿牝馬]]を制し、7年ぶりのGI勝利、5年ぶりの重賞勝利を挙げる。この年には同馬で秋華賞と[[エリザベス女王杯]]にも勝利した。<br /> <br /> [[2016年]]12月8日、JRAより2017年度調教師試験に合格したことが発表された。調教師と騎手の兼務はできないJRAの規程に基づき、2017年2月26日の阪神競馬での騎乗が最終騎乗となり、同年[[2月28日]]付をもって騎手を引退した。<br /> <br /> 同年[[3月1日]]付で調教師免許を取得したが、暫くは厩舎は開業せず技術調教師として活動していた。栗東所属ではあるが、厩舎開業までは[[美浦トレーニングセンター|美浦]]所属である[[藤沢和雄]]調教師のもとで活動していた&lt;ref&gt;[http://biz-journal.jp/gj/2017/06/post_3612.html 武豊騎手と藤沢和雄調教師が4年ぶりに「和解」!?] - Business Journal・2017年6月15日&lt;/ref&gt;。なお、親戚(再従兄弟)である[[武英智]]も2017年度調教師試験に合格し、[[武家 (家族)|武家]]の親族2人が同時に調教師として再出発することとなった。<br /> <br /> [[2018年]]3月1日付で厩舎を開業。同年3月3日に阪神競馬第1競走で管理馬のグアンが兄・豊の手綱で勝利。管理馬の初出走が初勝利となった&lt;ref&gt;{{Cite web|url = http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&amp;id=201803030000329&amp;year=2018&amp;month=3&amp;day=3|title = 武幸四郎師と武豊、兄弟タッグでいきなり初勝利|accessdate = 2018-03-03|date= 2018-03-03|publisher = 日刊スポーツ新聞社}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 騎乗成績 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;&quot;<br /> !年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率!!複勝率<br /> |-<br /> |1997年||37||39||36||492||.075||.154||.228<br /> |-<br /> |1998年||31||32||48||526||.059||.120||.211<br /> |-<br /> |1999年||62||65||66||648||.096||.196||.298<br /> |-<br /> |2000年||59||55||50||630||.094||.181||.260<br /> |-<br /> |2001年||47||67||52||594||.079||.192||.279<br /> |-<br /> |2002年||49||47||35||534||.092||.180||.245<br /> |-<br /> |2003年||49||43||44||587||.083||.157||.232<br /> |-<br /> |2004年||61||63||63||680||.090||.182||.275<br /> |-<br /> |2005年||28||40||37||456||.061||.149||.230<br /> |-<br /> |2006年||59||49||42||567||.104||.190||.265<br /> |-<br /> |2007年||32||40||34||456||.070||.158||.232<br /> |-<br /> |2008年||34||31||36||484||.070||.134||.209<br /> |-<br /> |2009年||18||21||17||379||.047||.103||.148<br /> |-<br /> |2010年||21||28||23||294||.057||.134||.197<br /> |-<br /> |2011年||7||9||8||161||.043||.099||.149<br /> |-<br /> |2012年||19||17||10||240||.079||.150||.192<br /> |-<br /> |2013年||23||17||17||350||.057||.098||.140<br /> |-<br /> |2014年||28||19||24||413||.068||.114||.172<br /> |-<br /> |2015年||13||6||12||242||.054||.079||.128<br /> |-<br /> |2016年||11||8||6||207||.053||.092||.121<br /> |-<br /> |2017年||5||3||1||52||.096||.154||.173<br /> |-<br /> !中央||693||699||661||9121||.076||.153||.225<br /> |-<br /> !地方||22||27||19||174||.126||.282||.391<br /> |}<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;&quot;<br /> !||||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;4&quot;|平&lt;br/&gt;地||初騎乗||1997年3月1日||1回阪神3日1R||4歳未勝利||メイショウユリヒメ||13頭||3||6着<br /> |-<br /> |初勝利&lt;br/&gt;重賞初騎乗&lt;br/&gt;重賞初勝利||1997年3月2日||1回阪神4日11R||[[マイラーズカップ]]||[[オースミタイクーン]]||14頭||11||1着<br /> |-<br /> |GI初騎乗||1997年11月16日||5回京都6日11R||[[マイルチャンピオンシップ]]||オースミタイクーン||18頭||8||10着<br /> |-<br /> |GI初勝利||2000年10月15日||4回京都4日11R||[[秋華賞]]||[[ティコティコタック]]||18頭||10||1着<br /> |}<br /> <br /> === 記録 ===<br /> *JRA史上最年少重賞勝利([[1997年]][[マイラーズカップ]] オースミタイクーン) - 18歳3か月27日<br /> *JRA初勝利が初重賞勝利(同上) - 1997年3月2日<br /> *JRA賞最多勝利新人騎手 - 兄弟受賞はJRA史上初<br /> *親子2代菊花賞制覇<br /> *兄弟菊花賞・優駿牝馬制覇 JRA史上初<br /> <br /> == GI競走勝利一覧==<br /> *2000年 [[秋華賞]]([[ティコティコタック]])<br /> *2003年 [[NHKマイルカップ]]([[ウインクリューガー]])<br /> *2006年 [[菊花賞]]([[ソングオブウインド]])<br /> *2013年 [[優駿牝馬]]、[[秋華賞]]、[[エリザベス女王杯]]([[メイショウマンボ]])<br /> <br /> ==エピソード==<br /> {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2015年7月}}<br /> *誕生してから9日後 (1978年[[11月12日]]) に父・邦彦は[[インターグシケン]]で菊花賞3勝目を挙げた。このことから邦彦は「幸四郎じゃなくて『菊三 (きくぞう) 』と命名しようか」と考えたが&lt;ref&gt;[http://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=1485 弟・幸四郎は「菊三」になるとこだった!?] - ウマニティ・2009年4月10日&lt;/ref&gt;、夫人から「[[落語家]]みたいな名前」と却下されたため、現在の名前に落ち着いたという&lt;ref&gt;[[東京スポーツ]]・2010年2月24日付 連載「魔法のムチ 武邦彦の真実」&lt;/ref&gt;。<br /> *初勝利が重賞マイラーズカップであったが、同じ日の中山競馬場で兄である武豊が[[ランニングゲイル]]で[[弥生賞]]を勝ち、同日兄弟重賞制覇という形で華を添えた。<br /> *GIを人気薄の馬で勝利することが多く&lt;ref&gt;[[2000年]]の[[秋華賞]]を10番人気の[[ティコティコタック]]で、[[2003年]]の[[NHKマイルカップ]]を9番人気の[[ウインクリューガー]]で、[[2006年]]の[[菊花賞]]を8番人気の[[ソングオブウインド]]で、[[2013年]]の[[優駿牝馬]]を9番人気の[[メイショウマンボ]]で勝利している。&lt;/ref&gt;、これまで1番人気の馬でGIを勝利したことはない。<br /> *騎手としては長身の177.0センチメートル (公式) で、その長身を活かしたフォームが特徴。<br /> *競馬マスコミ以外でも出演機会が多いため、芸能プロダクション・[[シンクバンク]]に所属している([[田中勝春]]も同事務所に所属している)&lt;ref&gt;芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも[[後藤浩輝]]が[[オスカープロモーション]]に、[[藤田菜七子]]が[[ホリプロ]]に在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。&lt;/ref&gt;。<br /> *2011年8月19日早朝、友人数人と[[京都府]][[京都市]][[東山区]]内の[[飲食店]]で食事をとっていたところ、居合わせた別の客の男とトラブルとなり、顔などを殴られるなどの暴行を受け、左顎を[[骨折]]する重傷を負った。[[京都府警察]][[東山警察署]]は[[傷害罪|傷害]]事件として捜査して犯人を逮捕。この影響で、騎乗予定だった[[小倉競馬]]をキャンセルし、12月10日に復帰するまで長期の休養に入った&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110819/crm11081921050036-n1.htm JRAの武幸四郎騎手、飲食店で殴られ左頬骨折 傷害容疑で捜査 京都府警] 産経新聞 2011年8月19日&lt;/ref&gt;。<br /> *[[武豊TV]]IIの準レギュラーをつとめている。<br /> *「メイショウ」の冠号で知られる馬主の[[松本好雄]]とは幸四郎が子供の頃から関係がある。松本は幸四郎の騎乗成績が低迷した時期にも所有馬の騎乗を任せていた。<br /> <br /> == TV出演 ==<br /> ===バラエティ===<br /> *[[ジャンクSPORTS]]<br /> *[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]<br /> *[[未来創造堂]]<br /> <br /> === CM ===<br /> *[[ミニストップ]](2008年)<br /> * [[ダービースタリオン マスターズ]](2017年)- [[藤田菜七子]]と共演&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.4gamer.net/games/352/G035271/20170421034/|title=「ダビマス」武幸四郎・元騎手&藤田菜七子騎手が出演するTVCMが放送決定。一部CM映像のカットや,2人のコメントも紹介|publisher=4Gamer.net|accessdate=2017-05-29}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[シンクバンク]]<br /> *[[兄弟スポーツ選手一覧]]<br /> *[[武家 (家族)]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.thinkbank.jp/talent_detail.php?t_id=20 thinkbank]<br /> <br /> {{JRA賞最多勝利新人騎手}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:たけ こうしろう}}<br /> [[Category:日本の騎手]]<br /> [[Category:日本中央競馬会の騎手]]<br /> [[Category:日本中央競馬会の調教師]]<br /> [[Category:栗東トレーニングセンターの人物]]<br /> [[Category:武家 (競馬)|こうしろう]]<br /> [[Category:滋賀県出身の人物]]<br /> [[Category:1978年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432 箱根登山バス 2018-03-31T01:10:08Z <p>2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432: 座標</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名 = 箱根登山バス株式会社<br /> |英文社名 = Hakone Tozan Bus Co., Ltd.<br /> |ロゴ =<br /> |画像 = [[ファイル:Tozan-Odawara-office.jpg|280px]]<br /> |画像説明 = [[箱根登山バス小田原営業所|小田原営業所]](左奥の建物が本社)<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 = 非上場<br /> |略称 = 箱根登山、登山バス<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |郵便番号 = 250-0003<br /> |本社所在地 = [[神奈川県]][[小田原市]]東町5丁目33番地1号<br /> | 本社緯度度 = 35 | 本社緯度分 = 15 | 本社緯度秒 = 42.1 | 本社N(北緯)及びS(南緯) = N <br /> | 本社経度度 = 139 |本社経度分 = 10 | 本社経度秒 = 35.7 | 本社E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 本社地図国コード = JP<br /> |設立 = [[1998年]][[6月4日]]&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;旧商号は「沼津箱根登山自動車株式会社」。[[2002年]][[10月1日]]の会社再編により、同日より箱根登山バスとしての事業を開始。&lt;/ref&gt;<br /> |業種 = 5050<br /> |統一金融機関コード =<br /> |SWIFTコード =<br /> |事業内容 = 旅客自動車運送事業、貨物自動車運送事業他<br /> |代表者 = 中丸富夫([[代表取締役]][[社長]])<br /> |資本金 = 8億円<br /> |売上高 =<br /> |総資産 =<br /> |従業員数 = 234名<br /> |決算期 =<br /> |主要株主 = [[小田急箱根ホールディングス]](100%)<br /> |主要子会社 =<br /> |関係する人物 =<br /> |外部リンク = http://www.hakone-tozanbus.co.jp/<br /> |特記事項 = [[小田急電鉄]]の[[連結子会社]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;箱根登山バス株式会社&#039;&#039;&#039;(はこねとざんバス、Hakone Tozan Bus Co., Ltd.)は、[[神奈川県]][[小田原市]]に本社を設け、神奈川県小田原市および[[足柄下郡]][[箱根町]]周辺を主な営業エリアとする、[[小田急グループ]]のバス事業者である。<br /> <br /> 1913年3月1日に開業した&#039;&#039;&#039;小田原電気鉄道&#039;&#039;&#039;の貸自動車業&lt;ref name=&quot;1995-112&quot;/&gt;と、1914年8月15日に開業した&#039;&#039;&#039;富士屋自働車&#039;&#039;&#039;&lt;!--「働」は誤変換にあらず--&gt;の貸自動車業&lt;ref name=&quot;g100-40&quot;/&gt;を前身とし、1932年に両社が合併して&#039;&#039;&#039;富士箱根自動車&#039;&#039;&#039;となる&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;が、戦時中の交通事業統合の流れの中で1921年創業の&#039;&#039;&#039;足柄自動車&#039;&#039;&#039;とともに[[箱根登山鉄道]]に合併し、同社の自動車部門となった&lt;ref name=&quot;g100-88&quot;/&gt;。2002年10月には小田急グループ内での事業再編に伴い分社化された&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> <br /> 本項目では箱根登山鉄道のバス部門(自動車部)によって事業が行われていた時代についても記述する。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 創業期 ===<br /> [[2012年]]現在の箱根登山バスが主な営業エリアとしている[[神奈川県]]西部において自動車業が開始されたのは、[[1912年]]([[明治]]45年)に営業を開始した箱根自動車の貸自動車業([[ハイヤー]])に端を発する&lt;ref name=&quot;1995-109&quot;/&gt;。この頃に日本国外からの旅行者が自動車で箱根を訪れるようになっていた&lt;ref name=&quot;1995-109&quot;/&gt;が、小田原電気鉄道の終点であった湯本駅の駅前にて茶屋を経営していたうちの1軒で、その親族が貸自動車業を開始したものである&lt;ref name=&quot;1995-109&quot;/&gt;。これに驚いた小田原電気鉄道では、翌[[1913年]]([[大正]]2年)3月1日より貸自動車業に参入した&lt;ref name=&quot;1995-112&quot;/&gt;。当初の車両数は5台で、国府津駅から強羅までと、芦ノ湖畔の箱根町を結ぶ区間での営業であった&lt;ref name=&quot;1995-112&quot;/&gt;。これらの貸自動車業は、それまで人力車夫や駕篭かきからは脅威として受け止められ&lt;ref name=&quot;g100-39&quot;/&gt;、路上にガラス片をまかれたり投石されたりといった運行妨害を受けることもあった&lt;ref name=&quot;1995-110&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[ファイル:Fujiya hotel Motors Kozu Car Stand Fiat and Rambler.jpg|thumb|創業当時の富士屋自働車の貸自動車]]<br /> この1913年の夏、[[富士屋ホテル]]での滞在を終えて帰任するアメリカ陸軍少佐から予約を受けたにもかかわらず小田原電気鉄道の貸自動車が約束した時間よりも遅れて配車されるという事態が発生した&lt;ref name=&quot;1995-113&quot;/&gt;。この陸軍少佐は辛うじて国府津駅から予定の列車に乗車し、無事に帰任できた&lt;ref name=&quot;1995-113&quot;/&gt;ものの、帰任後に富士屋ホテルに対して「一流ホテルとしては、ホテル専属の自動車を所有すべき」と意見書を送った&lt;ref name=&quot;g100-40&quot;/&gt;。当時、富士屋ホテルの取締役であった山口正造はこれに応えるべく、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車を設立した&lt;ref name=&quot;g100-40&quot;/&gt;。富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車は運転士に礼儀作法と英語を学ばせた上、当時としてはモダンな制服を着用させた&lt;ref name=&quot;1995-114&quot;/&gt;。また、それまで人力車夫や駕篭かきを営業していたものに対して、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車の株主になることを薦めた&lt;ref name=&quot;1995-114&quot;/&gt;。<br /> <br /> 富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車では貸自動車だけではなく、乗合自動車の運行を行なう構想を抱いており&lt;ref name=&quot;g100-41&quot;/&gt;、1915年(大正4年)8月には国府津駅と箱根地区を結ぶ乗合自動車、1917年(大正6年)6月には小田原と熱海を結ぶ乗合自動車の運行許可を得ていた&lt;ref name=&quot;1995-118&quot;/&gt;。貸自動車業を開始した際にも反対運動があった経験から&lt;ref name=&quot;g100-41&quot;/&gt;、乗合自動車の運行については慎重に時機をうかがうこととした&lt;ref name=&quot;1995-118&quot;/&gt;。なお、箱根で最初に貸自動車業を開始した箱根自動車は、1919年に富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車に買収された&lt;ref name=&quot;1995-111&quot;/&gt;。<br /> <br /> {{Triple image|right|Fujiya Motors car Pierce-Arrow.jpg|170|Odawara Electric Railway Motors car.jpg|150|Ashigara Motors.jpg|140|富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車の乗合自動車|小田原電気鉄道の乗合自動車|創業当時の足柄自動車}}<br /> その後、1912年に小田原電気鉄道が[[箱根湯本駅|湯本]]から[[強羅駅|強羅]]までを結ぶ[[登山鉄道]]の工事を開始した&lt;ref name=&quot;1995-98&quot;/&gt;が、登山電車の開通は貸自動車業にとっては脅威であり、それに対抗するためには乗合自動車の運行を行なう必要があると考えられた&lt;ref name=&quot;g100-41&quot;/&gt;。そこで、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車は登山電車の運行を待つこととし、[[1919年]]6月1日より国府津駅から宮ノ下、宮ノ下から箱根町において乗合自動車(路線バス)の運行を開始した&lt;ref name=&quot;1995-120&quot;/&gt;。これが神奈川県下においても初となる本格的な路線バス運行であった&lt;ref name=&quot;1995-118&quot;/&gt;が、同時に、鉄道とバスの競合の始まりでもあった&lt;ref name=&quot;bjr58-25&quot;/&gt;。富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車では高級車両を投入し&lt;ref name=&quot;bjr58-25&quot;/&gt;、横浜や東京に至る長距離路線の運行も開始した&lt;ref name=&quot;bjr58-25&quot;/&gt;。対する小田原電気鉄道は、[[小涌谷駅|小涌谷]]から箱根町まで、自社の登山電車に接続する路線バスの運行を[[1921年]](大正10年)より開始した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。一方、1921年には足柄自動車が[[松田町]]で設立された&lt;ref name=&quot;1995-160&quot;/&gt;。{{main|箱根登山鉄道#計画変更・着工|箱根登山鉄道鉄道線#難工事・運行開始}}<br /> <br /> 登山電車で小田原から宮ノ下までの運賃が下等で61銭で、それでも下りは歩いて湯本に戻る利用客も多かった状況では、小田原から宮ノ下まで1円80銭もの運賃が設定された路線バスの利用者はさらに少なかった&lt;ref name=&quot;1995-120&quot;/&gt;。このため、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車では1922年には運賃の値下げを行い、小田原から宮ノ下までのバス運賃は1円となった&lt;ref name=&quot;1995-121&quot;/&gt;。また、同年には小田原駅前に営業所を併設した食堂・売店として「カフェ・レゾート」をオープンさせた&lt;ref name=&quot;1995-142&quot;/&gt;。一方の小田原電気鉄道側も運賃を値下げして対抗するなど、激しい乗客争奪が展開された&lt;ref name=&quot;1995-123&quot;/&gt;。同年12月3日には両社の社員同士が乱闘事件を起こし&lt;ref name=&quot;1995-124&quot;/&gt;、4人が傷害罪で送検された&lt;ref name=&quot;1995-124&quot;/&gt;。{{see also|箱根登山鉄道#苦しい経営}}<br /> <br /> 1923年9月1日に発生した[[関東大震災]]によって、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車では前年に完成したばかりの「カフェ・レゾート」が倒壊&lt;ref name=&quot;1995-142&quot;/&gt;、車庫にあった数十台の自動車も破壊された&lt;ref name=&quot;1995-142&quot;/&gt;。また、湯本と塔ノ沢の間では乗客5人を乗せた自動車が崖崩れにより埋没し行方不明となり&lt;ref name=&quot;1995-142&quot;/&gt;、[[底倉温泉|底倉]]にある蛇骨川の橋を渡っていた自動車が谷底へ転落する&lt;ref name=&quot;1995-143&quot;/&gt;など、保有していた自動車の半数近くが失われるという被害を受けた&lt;ref name=&quot;1995-143&quot;/&gt;。{{main|箱根登山鉄道#連続する災難|箱根登山鉄道鉄道線#関東大震災}}<br /> <br /> === 競合の末の合併から戦時統合まで ===<br /> [[ファイル:Fujiya Motors Map.jpg|thumb|200px|当時の富士屋自働車の路線図]]<br /> 震災後、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車は復旧とともに車両の改良に注力した&lt;ref name=&quot;1995-146&quot;/&gt;。1924年には当時としては超大型となる25人乗りのバスを導入し&lt;ref name=&quot;1995-149&quot;/&gt;、1925年から実際に運行を開始している&lt;ref name=&quot;1995-149&quot;/&gt;。また、1924年には[[三島市|三島]]・[[沼津市|沼津]]にまで路線網を拡大した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;ほか、震災以来中断されていた横浜と箱根を結ぶ路線の運行も再開されている&lt;ref name=&quot;1995-149&quot;/&gt;。一方の小田原電気鉄道も1927年までにはほぼ復旧している&lt;ref name=&quot;1995-151&quot;/&gt;。なお、小田原電気鉄道は[[1928年]](昭和3年)1月にいったん日本電力に合併した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;あと、同年8月に再度&#039;&#039;&#039;箱根登山鉄道&#039;&#039;&#039;として分社化された&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。{{main|箱根登山鉄道#合併の後再分離}}<br /> <br /> 鉄道やバスの復旧とともに、再び激しい乗客争奪が展開されることになった。小田原駅前では富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車の社員は「乗り換えなしで箱根へ」と宣伝&lt;ref name=&quot;1995-155&quot;/&gt;、一方の箱根登山鉄道の社員は「電車の方が静かで安い」と声を上げ&lt;ref name=&quot;1995-155&quot;/&gt;、観光客を自社へ誘導した。時には観光客の手を引っ張りあい&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;、ひどい時には互いの社員同士が殴り合いを始める始末だった&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;。<br /> <br /> {{Double image aside|right|Fujiya Motors Odawara Sta.jpg|195|Tozan Saurer Ashinoko.jpg|140|富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車の高級車「ホワイト」|箱根登山鉄道の高級車「サウラー」}}<br /> 箱根登山鉄道が[[1929年]]には国府津まで、[[1931年]]には箱根湯本と箱根町を結ぶ自社鉄道線と並行する路線バスの運行に至り&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;、小田原駅前に乗り入れるようになると、この2社の競合はさらにエスカレートし、現地での社会問題にまで発展した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車はアメリカ製の高級バス「ホワイト」を導入&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;、対する箱根登山鉄道はスイス製の高級バス「サウラー」を導入し&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;、女性の車掌が自社のバスに乗せようと大声を上げる有様であった&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;。<br /> <br /> ここにきて、小田原市や警察署長、さらには鉄道省が両社の合併を再三にわたって勧奨する事態になり&lt;ref name=&quot;1995-156&quot;/&gt;、[[1932年]]には[[京阪電気鉄道]]の社長であった[[太田光凞]]の仲介により&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;両社のバス事業を統合することになった。こうして、[[1933年]]1月に箱根登山鉄道のバス事業全てが富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車に譲渡され、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車は社名を&#039;&#039;&#039;富士箱根自動車&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;[{{NDLDC|1234531/208}} 路線、車両]、[{{NDLDC|1234531/486}} 広告『全国乗合自動車総覧』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)&lt;/ref&gt;に変更した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。[[1934年]]には足柄自動車を傘下に組み入れた&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。{{see also|箱根登山鉄道#小田原から強羅まで直通運転|箱根登山鉄道鉄道線#登山電車が小田原へ乗り入れ}}<br /> <br /> なお、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車は[[1931年]]には省線との[[連絡運輸|連帯運輸]]を開始した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;が、乗合自動車が省線と連絡運輸を行ったのは、日本ではこれが初めての事例である&lt;ref name=&quot;1995-157&quot;/&gt;。<br /> <br /> しかし、戦時体制の波は富士箱根自動車にも影を落とすことになる&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。[[1935年]](昭和10年)に電力統制が行われると、富士箱根自動車は箱根登山鉄道とともに日本電力の傘下に入った&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。戦時体制が強化されると、不要不急の路線は休止を命じられることになり、鉄道並行路線や観光路線などはこれによって休止されたが、これは全路線の6割強に達した&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。さらに、[[1942年]](昭和17年)に強制統合の通牒が出され、統合母体として箱根登山鉄道が選ばれることになり、[[1944年]](昭和19年)7月31日付で富士箱根自動車と足柄自動車は箱根登山鉄道に合併となった&lt;ref name=&quot;g100-88&quot;/&gt;。加えて、箱根登山鉄道の社長に[[東京急行電鉄]]社長の[[五島慶太]]が就任し、かくして箱根登山は[[大東急]]の影響下に置かれることになった。{{main|箱根登山鉄道#戦時体制下|箱根山戦争#堤康次郎と五島慶太}}{{see also|東京急行電鉄#「大東急」の時代|東急バス#東横・目蒲の合併 - 大東急へ}}<br /> <br /> 本項では以下、単に「登山バス」とした場合は箱根登山鉄道および箱根登山バスをさすものとする。<br /> <br /> === 戦後の復興 ===<br /> 終戦間もない[[1945年]](昭和20年)11月より、小田原から[[宮ノ下温泉|宮ノ下]]・江ノ浦への路線について運行を開始&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;、以後順次休止路線の運行再開を図るが、路線網がほぼ完全に復旧したのは1954年と、9年を要している&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。この間の[[1948年]]、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東急から、小田急電鉄(小田急)・[[京浜急行電鉄]]([[京浜急行バス|京急バス]])・[[京王電鉄|京王帝都電鉄]]([[京王電鉄バス|京王バス]])が分離したが、元来旧・小田急電鉄が運行していた鉄道の[[京王井の頭線|井の頭線]]は京王の所属となり、その代わりとして[[神奈川中央交通|神奈川中央乗合自動車]](当時)とともに新生・小田急の傘下に入ることになった&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。{{see also|大東急#成立と崩壊の経緯|神奈川中央交通#戦後の復興|東急バス#大東急解体と東都乗合・関東乗合の東急グループ離脱}}<br /> <br /> 1950年には貸切バス事業も再開&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;、翌年には東京都・静岡県・山梨県にも営業エリアを拡大した。また、長距離路線の開設も目立ち、1950年には東京から箱根・熱海へ直通する路線を開設した&lt;ref name=&quot;g100-62&quot;/&gt;ほか、1952年には[[富士急行|富士山麓電気鉄道]](当時)との運輸協定により小田原駅と山中湖を結ぶ路線も開設された&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。<br /> <br /> 貸切バス事業においても、1953年には東京都内で貸切バス事業を行っていた新光バスを買収し、1956年に箱根登山バス(2003年以降とは別の会社)と改称した上で1960年に登山バスに吸収合併した&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 箱根山戦争と事業拡大 ===<br /> 大正後期以降、[[芦ノ湖]]近辺では[[コクド|箱根土地]](当時)が別荘地の分譲などを中心とした観光開発を行なっており&lt;ref name=&quot;rp679-98&quot;/&gt;、開発に欠かせない交通機関の整備についても[[西武グループ]]の手で[[熱海峠]]と[[箱根峠]]の間と、小涌谷から湖尻を経由して元箱根に至る[[有料道路]]を運営し、[[伊豆箱根鉄道|駿豆鉄道]](当時)の路線バスが運行されていた&lt;ref name=&quot;rp679-98&quot;/&gt;。<br /> <br /> 1947年9月、駿豆鉄道では、小田原と小涌谷を結ぶ区間に路線バスの運行免許申請を行った&lt;ref name=&quot;rp679-99&quot;/&gt;。傘下にあった大雄山鉄道(当時)との一貫輸送を図ったものであった&lt;ref name=&quot;1995-179&quot;/&gt;が、当時まだ東急の傘下だった登山バスは、自社防衛の見地から反対の立場をとった&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。しかし、当時の登山バスではただちに増強を図ることは難しかった&lt;ref name=&quot;1995-180&quot;/&gt;上、地元からも「独占はよくない」という声も上がっていた&lt;ref name=&quot;1995-180&quot;/&gt;こともあり、1949年12月には駿豆鉄道の路線バス運行については条件付で認可された&lt;ref name=&quot;1995-179&quot;/&gt;。これに対応して、小田急の傘下に入った直後の登山バスでは早雲山から大涌谷を経由して湖尻に至る路線バス運行の免許申請を行なった&lt;ref name=&quot;1995-181&quot;/&gt;が、これは逆に駿豆鉄道から反対を受けた&lt;ref name=&quot;1995-182&quot;/&gt;。最終的には、1950年3月に両社の協定により、駿豆鉄道は途中停留所と運行回数の制限を、登山バスは1年ごとの有料道路利用契約の更新をそれぞれ条件とした上&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;で、小田原へは駿豆鉄道バスが乗り入れ、代わりに登山バスが初めて芦ノ湖北岸へ乗り入れることになった&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。{{main|箱根山戦争#対立の序盤}}<br /> <br /> 登山バスはこれに続いて、1950年3月に芦ノ湖への湖上交通に着手するために、箱根町や仙石原で西武グループに敵対の立場を取っていた有力者と共同で船舶会社([[箱根観光船]])を設立した&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;。当初の箱根観光船は小型遊覧船のみを保有する小規模な事業者であった&lt;ref name=&quot;rp679-99&quot;/&gt;が、1954年には芦ノ湖一周航路の免許を取得&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;、さらに1956年には大型の遊覧船を就航させた&lt;ref name=&quot;rp679-99&quot;/&gt;。駿豆鉄道側ではこれに対して、1956年3月に「有料道路通行契約が満了すると共に契約を破棄する」と通告し、契約満了後の同年7月以降には有料道路に遮断機を設けて登山バスの通行を阻止した&lt;ref name=&quot;1995-192&quot;/&gt;。これは箱根観光船の大型船導入に対する報復で&lt;ref name=&quot;1995-192&quot;/&gt;、後に[[箱根山戦争]]として広く知られ、[[獅子文六]]の小説「箱根山」の題材にもなった西武グループと[[小田急グループ]]の対立の始まりでもあった&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;。{{main|箱根山戦争#箱根観光船の進出|芦ノ湖遊覧船#歴史}}<br /> <br /> その後、互いに訴訟を起こして争う一方で、小田急側では[[1959年]]に[[箱根ロープウェイ]]を開通させたことにより、小田急グループのみで芦ノ湖北岸へ到達できるようになった&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;。また、[[1961年]]に有料道路を神奈川県が買い上げた上で一般道路として開放した&lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;/&gt;ことで、抗争は事実上終結した&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;。数多くあった訴訟案件の決着がついた[[1968年]]には西武と小田急のトップが友好的な協定に調印した&lt;ref name=&quot;1995-207208&quot;/&gt;ことから、以後両社は共存してゆくことになる。しかし、既に独自の周遊ルートを築いていたこともあり、小田原駅での観光客の呼び込みや箱根地区でのターミナルの違いなど、競合の構図は残った&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;。{{main|箱根山戦争#終結}}<br /> <br /> これらの紛争の間にも、事業区域の拡大は進められた。1950年代には東海道本線と並行する路線が新設されたほか、[[1958年]]には[[定期観光バス]]の運行を開始している&lt;ref name=&quot;g100-68&quot;/&gt;。また、1960年代には三島・沼津地区において[[東海自動車]](現・[[東海バスオレンジシャトル]])・富士山麓電鉄改め富士急行(現・[[富士急シティバス]])との免許争奪合戦も行われた&lt;ref name=&quot;bjr58-21&quot;/&gt;。<br /> <br /> 貸切バス事業においても拡大傾向は続き、[[1963年]]には[[名古屋市|名古屋]]にも営業所を設置した&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;上で、1968年には箱根登山観光バスとして独立させている&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;。<br /> <br /> === モータリゼーションの波と事業再編成 ===<br /> 1970年代に入ると、モータリゼーションの進展に伴い、路線バスの走行環境は悪化の一途をたどる&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;。特に登山バスの主たる路線は[[国道1号]]という幹線でありながらカーブの多い山岳道路を経由しており、観光客を乗せたマイカーが特定の道路に集中することによる渋滞&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;とそれに伴う利用者減は、登山バスに対して深刻な影響を及ぼすものとなった。このため、[[1982年]]より中型車の導入が開始され、通勤通学路線の開拓を進めた&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;他、[[1985年]]からは地域密着経営の一環として、沿線の小学生の絵画を車内に展示する「ギャラリーバス」の運行を開始した&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;。一方で、1978年からは箱根旧街道経由のバスを毎日運行に切り替えた&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;ほか、定期観光バスのコースを拡充したり、祭りに合わせて会員制ツアーバスの運行を行う&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;など、新規需要の開拓に努めた。[[1998年]]5月からは、箱根地区の施設を巡る循環バスの運行を開始した。<br /> <br /> しかし、モータリゼーションの進行に加え、箱根地区を訪れる観光客自体が減少傾向となった&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;ことにより、バス事業をとりまく環境はさらに厳しくなったため、長距離路線の廃止や短縮などが行われた&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;。また、[[1996年]]には秦野市内の登山バス路線については神奈川中央交通100%出資の[[湘南神奈交バス]]に移管&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;した。{{main|神奈川中央交通西・秦野営業所#所管路線|湘南神奈交バス#秦野営業所}}<br /> <br /> 一方で、静岡県内では[[1971年]](昭和46年)、東海自動車が小田急グループ入りしたことで小田急系バス会社が2社併存することになる。非効率な状態を解消し、将来的な東海自動車の地域別分社化の際には統合させることも視野に入れて、[[1998年]](平成10年)4月1日付で沼津・三島地区の一般路線を分社化の上&#039;&#039;&#039;沼津箱根登山自動車&#039;&#039;&#039;を設立した&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;。法的にはこの時をもって現社設立としている。{{see also|東海自動車#伊豆急線の開業と小田急グループ入り}}<br /> <br /> さらに、2002年(平成14年)10月には[[小田急グループ]]全体の再編成が行われた。沼津箱根登山自動車の路線は全路線が沼津東海バスに譲渡された上、&#039;&#039;&#039;沼津登山東海バス&#039;&#039;&#039;と改称された&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;ほか、熱海営業所は[[伊豆東海バス]]に統合された。残った箱根登山のバス部門は法人格上存続することになった沼津箱根登山自動車に譲渡、社名を&#039;&#039;&#039;箱根登山バス&#039;&#039;&#039;と改称した&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;{{refnest|group=&quot;注釈&quot;|この事業再編の結果、箱根登山バスは、小田急箱根ホールディングスの下で箱根登山鉄道・箱根ロープウェイ・箱根観光船と並列に位置することになる&lt;ref name=&quot;rj480-107&quot;/&gt;。}}。これによって、静岡県内の路線バス事業からは撤退し、営業拠点は消滅した。<br /> <br /> 貸切バス事業についても、東京・横浜の各営業所については1996年に箱根登山観光バスに移管&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;、[[1997年]]には横浜と東京の各営業所を移転の上統合した&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;が、同社は2002年には営業を廃止した&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。また、小田原観光営業所の貸切バス事業は[[1994年]](平成6年)設立の箱根湯本バスに移管された&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;後に、2000年に[[箱根登山観光バス|湘南箱根登山自動車]]に社名変更した&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。その後、2010年には湘南箱根登山自動車を箱根登山観光バスに社名変更している&lt;ref name=&quot;company&quot;/&gt;。{{main|箱根登山観光バス#沿革|東海自動車#傘下の地区・業態別バス会社}}{{see also|小田急箱根ホールディングス#沿革}}<br /> <br /> 一方、2002年には登山電車と登山バスに共通のプリペイドカードとして「とざんカード」を導入し&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;、同時に[[バス共通カード]]も導入した&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;が、2005年度にはICカード化の流れで「とざんカード」の販売は中止された&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。2005年3月からは、箱根湯本駅と宿泊施設との間で観光客の手荷物を託送する「箱根キャリーサービス」の運営を開始した&lt;ref name=&quot;rj480-108&quot;/&gt;。<br /> <br /> 2004年度には、小田急グループと[[西武グループ]]との協力体制構築が発表された&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;ことを受け、[[伊豆箱根バス|伊豆箱根鉄道バス]]とは共同歩調をとることになり、停留所名の統一などが行われた&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。さらに、[[2010年]](平成22年)6月15日からは、伊豆箱根バス・小田急箱根高速バス・沼津登山東海バスと連携し、箱根地区の路線に[[系統番号 (バス)|系統記号]]を設定し、路線図も各社共通の様式で作成した上で各停留所や案内所で掲出することになった&lt;ref name=&quot;oer20100615&quot;/&gt;。{{see also|箱根山戦争#その後の展開|伊豆箱根バス小田原営業所#現行路線}}<br /> <br /> [[2016年]](平成28年)4月1日、沼津登山東海バスは&#039;&#039;&#039;東海バスオレンジシャトル&#039;&#039;&#039;に社名変更。静岡県内拠点の消滅後も社名の上にあった登山バスの名残が消えた。{{main|東海バスオレンジシャトル#歴史}}<br /> <br /> == 事業内容 ==<br /> === バス事業 ===<br /> ; 路線バス:2008年の時点では、営業区域は[[小田原市]]・[[箱根町]]を中心に&lt;ref name=&quot;br110-39&quot;/&gt;、足柄地域([[南足柄市]]・[[開成町]]・[[松田町]])&lt;ref name=&quot;br110-39&quot;/&gt;や[[真鶴町]]&lt;ref name=&quot;br110-40&quot;/&gt;・[[湯河原町]]&lt;ref name=&quot;br110-40&quot;/&gt;を主な営業エリアとしている。一部路線は[[静岡県]][[御殿場市]]にも乗り入れる。かつては[[熱海市]]や[[沼津市]]にもバス路線を開設していたが、その後小田急グループ内での事業再編に伴い他社への移管が行われている&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> ; 貸切バス:2008年時点では7台が稼動している&lt;ref name=&quot;br110-39&quot;/&gt;が、そのうち5台は小田原養護学校の[[スクールバス]]&lt;ref name=&quot;br110-51&quot;/&gt;、1台が企業送迎用&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;で、一般貸切車両は大型バス1台のみである&lt;ref name=&quot;br110-43&quot;/&gt;。<br /> ; 特定バス:2008年時点では8台が稼動している&lt;ref name=&quot;br110-39&quot;/&gt;が、そのうち3台は箱根町立箱根の森小学校のスクールバス&lt;ref name=&quot;br110-49&quot;/&gt;。富士フイルム系列企業の輸送も行っている&lt;ref name=&quot;br110-43&quot;/&gt;。<br /> <br /> === その他事業 ===<br /> ; 箱根キャリーサービス:箱根を訪れる観光客の荷物を箱根湯本駅から提携している宿泊施設へ、また宿泊施設から箱根湯本駅へと託送するサービスで、2005年3月から開始された&lt;ref name=&quot;rj480-108&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 事業所 ==<br /> 以下の営業所を拠点として路線バスの運行を行なっている。<br /> ; [[箱根登山バス小田原営業所|小田原営業所]]:小田原営業所と小田原観光営業所の路線バス部門を統合。<br /> ; [[箱根登山バス小田原営業所|宮城野営業所]]:2005年5月に小田原観光営業所宮城野出張所を格上げして新設&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> ; [[箱根登山バス関本営業所|関本営業所]]:1921年5月22日に足柄自動車として開設&lt;ref name=&quot;g100-86&quot;/&gt;。その後小田原観光営業所に統合されるが、足柄営業所統合後に再分離。<br /> ; [[箱根登山バス湯河原営業所|湯河原営業所]]:1956年5月に開設&lt;ref name=&quot;g100-89&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 過去に存在した事業所 ===<br /> ; 小田原観光営業所:1963年1月16日に開設&lt;ref name=&quot;g100-89&quot;/&gt;。路線バス部門は小田原営業所に移管、貸切部門は1999年に箱根湯本バスに移管後&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;、2000年に[[湘南箱根登山自動車]]に商号変更&lt;ref name=&quot;bjr58-3031&quot;/&gt;。<br /> ; 熱海営業所:2002年10月に[[伊豆東海バス]]に譲渡&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> ; 沼津営業所:1958年6月1日に開設&lt;ref name=&quot;g100-89&quot;/&gt;。[[1998年]]には沼津箱根登山自動車として分社化&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;、2002年10月に沼津東海バスに移管され[[沼津登山東海バス]]と改称&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> ; 横浜観光営業所:1996年に箱根登山観光バスに移管され、関東支店神奈川営業所となる&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;。1997年に東京営業所に統合して廃止&lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;/&gt;。<br /> ; 東京営業所:1953年に設立された新光バスを1956年に箱根登山バス(初代)に改称し&lt;ref name=&quot;g100-89&quot;/&gt;、1960年に合併&lt;ref name=&quot;g100-89&quot;/&gt;。箱根登山観光バスに移管され、関東支店東京営業所となった後、神奈中ハイヤー(現・[[神奈中観光]])に車両・乗務員ごと譲渡。これに伴って、神奈中ハイヤーは町田営業所を[[神奈川中央交通町田営業所|野津田車庫]]より移転。現在の神奈中観光東京営業所。<br /> ; 名古屋営業所:1964年3月1日に新設&lt;ref name=&quot;g100-90&quot;/&gt;。1968年8月1日に箱根登山観光バス(初代)に移管された&lt;ref name=&quot;g100-90&quot;/&gt;が、2002年に廃止&lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 車両 ==<br /> === 車両史 ===<br /> {{Double image aside|right|Fujiya Motors car White.jpg|170|Fujihakone Saurer.jpg|166|富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車が初期に導入した「ホワイト」|富士箱根自動車の「サウラー」}}<br /> 路線バス車両は、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車では当初は[[ビュイック]]の乗用車を利用し、ラジエター上に行き先を掲出しただけであった&lt;ref name=&quot;1995-119&quot;/&gt;。富士屋ホテルの宿泊客から意見を集めた上で、アメリカの高級車[[ホワイト]]&lt;!--アメリカの自動車メーカーの記事がまだないようなのでとりあえず--&gt;を導入した&lt;ref name=&quot;1995-119&quot;/&gt;。当初はシャーシのみ輸入し、車体は日本国内で製造させていた&lt;ref name=&quot;1995-120&quot;/&gt;が、1923年にはアメリカのベンダー車体製造に依頼して製造させた車体をホワイトに架装して輸入&lt;ref name=&quot;1995-147&quot;/&gt;、さらに詳細な図面を取り寄せた上で[[日本自動車]]に依頼して、日本国内で車体を製造させた&lt;ref name=&quot;1995-147&quot;/&gt;。これがその後日本国内で製造されるバス車体の原型となったといわれている&lt;ref name=&quot;1995-147&quot;/&gt;。<br /> <br /> 一方、箱根登山鉄道の自動車部門では、富士屋自働&lt;!--「働」は誤字や誤変換にあらず--&gt;車に対抗して、スイス製の高級車である[[サウラー]]が導入された。この車両は右ハンドル仕様ではあった&lt;ref name=&quot;br6-93&quot;/&gt;が、スイス国内で使用される車両と同様にオープンタイプで&lt;ref name=&quot;br6-93&quot;/&gt;、車体も含めて全てスイスから輸入されたものと推測されている&lt;ref name=&quot;br6-93&quot;/&gt;。[[五十嵐平達]]は「活躍&lt;!--ここは五十嵐氏の書いた部分なので、そのまま引用しているので直さないでください--&gt;した場所から考えても、1930年代の遊覧バスを代表する1台」であるとしている&lt;ref name=&quot;br6-93&quot;/&gt;。富士箱根自動車となってからもサウラーなどの大型車が導入された&lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;/&gt;。<br /> <br /> 戦時中は他社と同様に代用燃料に対応させた車両が使用されたが、代用燃料車両では箱根を登りきることができず、宮ノ下で別のバスに乗換えを余儀なくされたという&lt;ref name=&quot;1995-173&quot;/&gt;。<br /> <br /> 戦後にはディーゼルバスが順次導入され、1953年からは日野自動車(日野)のセンターアンダフロアエンジン車が大量導入された&lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 1970年代以降の車両概説 ===<br /> &lt;!--車両の記述には極力出典を明記していただきますようお願いします--&gt;<br /> [[ファイル:Hakone Tozan Bus B174 Marugoto Hakone Selega Hybrid.jpg|thumb|right|250px|定期観光バス専用車 B174]]<br /> 1970年代頃は日野と日産ディーゼルの台数が多かった&lt;ref name=&quot;br110-46&quot;/&gt;が、2008年時点ではいすゞ・日野・三菱の3メーカーを導入している&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;。箱根地区の道路環境から、自社導入の大型車は全て短尺の高出力車を採用している&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;。また、貸切車については、全て[[空気ブレーキ|フルエアブレーキ]]仕様である&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[排気ブレーキ]]の使用頻度が高いため、日野RE100・RV731系では排気ブレーキのスイッチをハンドルの左側に取り付ける改造が施工されていた。&lt;/ref&gt;。車両のタイヤは年間を通じて[[スタッドレスタイヤ]]を装着し&lt;ref name=&quot;br110-44&quot;/&gt;、毎年冬に交換する&lt;ref name=&quot;br110-44&quot;/&gt;ほか、状況に応じて[[タイヤチェーン]]を併用する&lt;ref name=&quot;br110-44&quot;/&gt;。<br /> <br /> 箱根登山バスの路線バスの特徴として、トップドア車(乗降扉が前方1つだけ)であってもドアの直後の窓には側面方向幕を設置せず、1つ後の窓部分に設置するという独特の仕様が挙げられる&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;。これは、方向幕の大型化に伴い、急カーブで極力視界を確保するためとされている&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;。ノンステップバスは山間部では走りにくいという理由で小田原市内路線に投入されている&lt;ref name=&quot;br110-44&quot;/&gt;。<br /> <br /> [[定期観光バス]]を運行していることから、標準床ながらオールリクライニングシートの観光仕様路線車も導入している&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;。2010年には、同社では11年ぶりとなる定期観光バスの車両更新&lt;ref name=&quot;br119-8&quot;/&gt;と同時に、神奈川県内では初導入となる&lt;ref name=&quot;br119-8&quot;/&gt;[[日野・セレガ|日野・セレガハイブリッド]]を導入している&lt;ref name=&quot;br119-8&quot;/&gt;。<br /> <br /> 乗降方式は車両の扉位置にかかわらず前乗り前降りである&lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;/&gt;。そのため、ベビーカーは折りたたんで乗降する&lt;ref&gt;[http://www.hakone-tozanbus.co.jp/how/user.html 箱根登山バス. ご利用のお客様へ]&lt;/ref&gt;。扉配置は、ワンマン化初期には前中扉仕様&lt;ref group=&quot;注釈&quot; name=&quot;前中扉&quot;&gt;前扉と中扉を配置した仕様。&lt;/ref&gt;が採用されていた&lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;/&gt;が、その後前後扉仕様&lt;ref group=&quot;注釈&quot; name=&quot;前中扉&quot;/&gt;に変わり&lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;/&gt;、さらに1980年代以降は座席定員を極力増加させるために前扉仕様&lt;ref group=&quot;注釈&quot; name=&quot;前扉&quot;&gt;前扉のみを配置した仕様。&lt;/ref&gt;が標準となった&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;。2002年以降は[[高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律|交通バリアフリー法]]に準拠した前中扉仕様&lt;ref group=&quot;注釈&quot; name=&quot;前中扉&quot;/&gt;となり&lt;ref name=&quot;br110-44&quot;/&gt;、中扉は車椅子専用の出入口として使用している&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> 画像:U-LV318L-Tozan-B839.jpg|方向幕が前から2番目の窓にあるのが自社発注車の特徴 B839(過去の車両)<br /> File:PDG-KR234J2 Tozan B153 Skylight front.jpg|箱根施設めぐりバス専用車「スカイライト」 B153<br /> 画像:K-MS615S-Tozan-B710.jpg|貸切車から路線車に格下げされた車両 正面方向幕が後付け B710(過去の車両)<br /> 画像:U-MS716N-kai-Hakone-Tozan-B842.jpg|定期観光バス兼用として導入された車両 B842(過去の車両・伊豆東海バスへ移籍&lt;ref name=&quot;bjr58-57&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.57]]&lt;/ref&gt;)<br /> 画像:KC-RX4JFAA-Tozan-B053.jpg|小型路線車 B053<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === カラーリング ===<br /> 戦後に採用されたカラースキムは、クリーム色の上下に青い帯が入るものであったが、1980年からは白ベースに青の濃淡2色と赤のラインが入るものになった&lt;ref name=&quot;bjr58-35&quot;/&gt;。しかし、塗装パターンが比較的複雑である上に特別色も含まれていることからコストが高く&lt;ref name=&quot;bjr58-35&quot;/&gt;、2000年代には「ハートフルバスとざん」色や試験塗色の採用なども行われた&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;。2010年の新車からは、クリーム色ベースで灯火をイメージするオレンジ色(同社では「柿渋色」と呼称)の帯を配した上、箱根細工をイメージするデザインに変更されることになった&lt;ref name=&quot;tozan0103&quot;/&gt;。これまでの塗装デザインの車両については塗り替えは行わない&lt;ref name=&quot;tozan0103&quot;/&gt;。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> 画像:BU10D-Tozan-B530.jpg|1980年代までの旧塗色 B530(過去の車両・神奈川中央交通からの譲受車)<br /> Image:KL-LV280L1 Tozan B980.jpg|ハートフルとざん色 B980<br /> 画像:KC-MP317KT-Tozan-B900.jpg|試験塗色車 B900<br /> Image:KC-MP317K Tozan B917.jpg|試験塗色車 B917<br /> File:KK-LR233J1 Tozan B951 front.jpg|箱根施設めぐりバス専用車 B951<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 譲受車・譲渡車 ===<br /> 1970年代から2000年代初頭までは、[[都営バス|東京都交通局]]・[[神奈川中央交通]]・[[長崎自動車]]からの譲受車や、東京都交通局の注文流れの車両を導入していた。近年は神奈川県生活環境の保全等に関する条例([[ディーゼル車規制条例]])に対応するため車両の更新は全て新車によって行なわれている。2008年時点では12年以内に代替されており&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;、同条例の規制を受けないことから、グループ会社の東海バスへの譲渡が多い&lt;ref name=&quot;bjr58-32&quot;/&gt;。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:K-CJM550-Tozan-B757.jpg|神奈川中央交通からの譲受車 B757(過去の車両)<br /> File:BU10D Tozan B644 from Nagabus.jpg|長崎バスからの譲受車(方向幕位置変更) B644(過去の車両)<br /> File:Izu-Tokai-Bus785.jpg|伊豆東海バスへ移籍した車両 カラーリングはそのまま使用<br /> File:Numazu Tozan Tokai Bus NB105.jpg|沼津登山東海バスへ移籍した車両 カラーリング変更<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 車両番号 ===<br /> 小型車は001から099まで&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;、中型車と大型車は100から999までの連番で&lt;ref name=&quot;br110-47&quot;/&gt;、番号の前には車種頭文字(B:路線、BH:貸切、特:特定車)が付される&lt;ref name=&quot;bjr58-60&quot;/&gt;。2001年から2003年までの導入車両については、営業所頭文字(K:小田原観光、T:(2001年当時の)熱海、Y:湯河原、A:足柄)+年式記号(A:2001年、B:2002年、C:2003年)+2桁の連番となる附番方式を採用していたが、2004年以降は2000年までの附番方式に戻されている&lt;ref name=&quot;bjr58-60&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|3|refs=<br /> &lt;ref name=&quot;1995-98&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.98]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-109&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.109]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-110&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.110]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-111&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.111]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-112&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.112]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-113&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.113]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-114&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.114]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-118&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.118]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-119&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.119]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-120&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.120]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-121&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.121]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-123&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.123]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-124&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.124]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-142&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.142]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-143&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.143]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-146&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.146]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-147&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.147]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-149&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.149]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-151&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.151]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-155&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.155]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-156&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.156]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-157&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.157]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-160&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.160]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-173&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.173]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-179&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.179]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-180&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.180]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-181&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.181]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-182&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.182]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-192&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 p.192]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;1995-207208&quot;&gt;[[#加藤1995|『箱根山の近代交通』 pp.207-208]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;rp546-72&quot;&gt;[[#青木546|『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.72]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;rp679-98&quot;&gt;[[#青木679|『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.98]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;rp679-99&quot;&gt;[[#青木679|『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.99]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-39&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.39]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-40&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.40]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-41&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.41]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-62&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.62]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-68&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.68]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-86&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.86]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-88&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.88]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-89&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.89]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;g100-90&quot;&gt;[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.90]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;rj480-107&quot;&gt;[[#野中2006|『鉄道ジャーナル』通巻480号 p.107]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;rj480-108&quot;&gt;[[#野中2006|『鉄道ジャーナル』通巻480号 p.108]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-21&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.21]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-25&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.25]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-26&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.26]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-27&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.27]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-28&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.28]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-29&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.29]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-30&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.30]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-3031&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 pp.30-31]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-31&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.31]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-32&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.32]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-33&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.33]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-35&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.35]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bjr58-60&quot;&gt;[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.60]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br6-93&quot;&gt;[[#五十嵐br6|『バスラマ・インターナショナル』通巻6号 p.93]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-39&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.39]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-40&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.40]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-43&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.43]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-44&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.44]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-46&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.46]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-47&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.47]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-49&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.49]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br110-51&quot;&gt;[[#br110|『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.51]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;br119-8&quot;&gt;[[#br119|『バスラマ・インターナショナル』通巻119号 p.8]]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;company&quot;&gt;{{cite web| url = http://www.hakonetozan-charterbus.co.jp/company.html| title = 会社概要|publisher=[http://www.hakonetozan-charterbus.co.jp 箱根登山観光バス]| accessdate = 2010-12-27}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;oer20100615&quot;&gt;{{cite press release| url = http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/5473_4627422_.pdf| title = 箱根エリアバス路線の系統記号化を実施します|publisher=[http://www.odakyu.jp/ 小田急電鉄]| accessdate = 2010-06-14}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;tozan0103&quot;&gt;{{cite press release| url = http://www.hakone-tozanbus.co.jp/images/information/pdf/pdf_126991512503.pdf| title = 箱根登山バス新ボディーカラーの導入について|publisher=[http://www.hakone-tozanbus.co.jp/ 箱根登山バス]| format = PDF| accessdate = 2010-06-14}}&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> === 社史 ===<br /> * {{Cite book|和書|author =箱根登山鉄道株式会社総務部総務課 |authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = すばらしい箱根 グラフ100|publisher = 箱根登山鉄道|ref = tozan100|id = |isbn = }}<br /> <br /> === 書籍 ===<br /> &lt;!--著者名順。著者名がないものは年順--&gt;<br /> * {{Cite book|和書|author =加藤利之 |authorlink = |coauthors = |year = 1995|title = 箱根山の近代交通 |publisher = [[神奈川新聞|神奈川新聞社]]|ref = 加藤1995|id = |isbn = 978-4876451890}}<br /> * {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2006|title = 58 東海自動車・箱根登山バス|series =[[バス・ジャパン|バスジャパン・ハンドブックシリーズR]] |publisher = BJエディターズ|ref = BJ2006|id = |isbn = 4434072730}}<br /> <br /> === 雑誌記事 ===<br /> &lt;!--著者名順。著者名がないものは年順--&gt;<br /> * {{Cite journal|和書|author=[[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]] |year=1991 |month=7|title=小田急電鉄のあゆみ 路線網の拡大と地域開発 |journal= [[鉄道ピクトリアル]]|issue=546 |pages= 65-75 |publisher= [[電気車研究会]]|ref = 青木546}}<br /> * {{Cite journal|和書|author=青木栄一 |year=1999 |month=12|title=小田急電鉄のあゆみ(戦後編) |journal= 鉄道ピクトリアル|issue=679 |pages= 93-105 |publisher= 電気車研究会|ref = 青木679}}<br /> * {{Cite journal|和書|author=[[五十嵐平達]] |year=1991 |month=7 |title=忘れえぬ1930年代の日本の遊覧バス|journal=[[バスラマ・インターナショナル]] |issue=6 |pages=92-93 |publisher=ぽると出版 |ref = 五十嵐br6|isbn =4938677067}}<br /> * {{Cite journal|和書|author=野中祥史 |year=2006 |month=10|title=鉄道・軌道プロジェクトの事例研究54 小田急グループの箱根戦略 |journal= [[鉄道ジャーナル]]|issue=480 |pages= 106-108 |publisher= 鉄道ジャーナル社|ref = 野中480}}<br /> * {{Cite journal|和書|author= |year=2008 |month=11 |title=バス事業者訪問123 箱根登山バス|journal=バスラマ・インターナショナル |issue=110 |pages=38-52 |publisher=ぽると出版 |ref = br110|isbn =978-4899801108}}<br /> * {{Cite journal|和書|author= |year=2010 |month=3 |title=神奈川県第1号!箱根登山バスのセレガハイブリッド|journal=バスラマ・インターナショナル |issue=119 |page=8 |publisher=ぽると出版 |ref = br119|isbn =978-4899801191}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Hakone Tozan Bus}}<br /> * [http://www.hakone-tozanbus.co.jp/ 箱根登山バス] 公式サイト<br /> <br /> {{OdakyuHakone}}<br /> {{バス共通カード}}<br /> {{PASMO}}<br /> {{小田急グループ}}<br /> {{Good article}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:はこねとさんはす}}<br /> [[Category:関東地方の乗合バス事業者]]<br /> [[Category:小田原市の企業]]<br /> [[Category:箱根登山鉄道|社はこねとさんはす]]<br /> [[Category:小田急箱根グループ]]<br /> [[Category:1998年設立の企業]]</div> 2001:2F8:20:700:9D87:F1E9:D8C:2432
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