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http:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=126.242.172.182
miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-06-13T08:38:08Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
スティーヴン・スピルバーグ
2018-09-23T16:04:37Z
<p>126.242.172.182: </p>
<hr />
<div>{{ActorActress<br />
| 芸名 = Steven Spielberg<br />
| ふりがな = スティーヴン・スピルバーグ<br />
| 画像ファイル = Steven Spielberg 2011.jpg<br />
| 画像サイズ = 200px<br />
| 画像コメント = 2011年7月<br />
| 本名 = <br />
| 別名義 = <br />
| 出生地 = {{USA}} [[オハイオ州]][[シンシナティ]]<br />
| 死没地 = <br />
| 国籍 = {{USA}}<br />
| 民族 = [[ユダヤ系アメリカ人]]<br />
| 身長 = <br />
| 生年 = 1946<br />
| 生月 = 12<br />
| 生日 = 18<br />
| 没年 = <br />
| 没月 = <br />
| 没日 = <br />
| 職業 = [[映画監督]]、[[映画プロデューサー]]<br />
| ジャンル = [[映画]]<br />
| 活動期間 = [[1969年]] -<br />
| 活動内容 = [[1969年]]:テレビ脚本初執筆<br />[[1971年]]:テレビ映画初監督<br />[[1974年]]:劇場映画初監督<br />[[1975年]]:『[[ジョーズ]]』でブレイク<br />[[1993年]]:アカデミー賞受賞<br />[[1998年]]:アカデミー賞受賞<br />
| 配偶者 = [[エイミー・アーヴィング]] (1985 - 89) <br />[[ケイト・キャプショー]] (1991 - )<br />
| 著名な家族 = [[ジェシカ・キャプショー|ジェシカ]] (1976 - ) 現妻の連子<br />マックス (1985 - ) 前妻との実子<br />セオ (1988 - ) 現妻の連子<br />[[サーシャ・スピルバーグ|サーシャ]] (1990 - ) 実子<br />サイヤー (1992 - ) 実子<br />ミカエラ (1996 - ) 養子<br />デストリー (1996 - ) 実子<br />
| 事務所 = <br />
| 公式サイト = <br />
| 主な作品 = '''監督'''<br />『[[激突!]]』<br />『[[ジョーズ]]』<br />『[[未知との遭遇]]』<br />『[[E.T.]]』<br />『[[カラーパープル (映画)|カラー・パープル]]』<br />『[[ジュラシック・パーク]]』シリーズ<br />『[[シンドラーのリスト]]』<br />[[インディ・ジョーンズ シリーズ|『インディ・ジョーンズ』シリーズ]]<br />『[[プライベート・ライアン]]』<br />『[[A.I.]]』<br />『[[マイノリティ・リポート]]』<br />『[[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]』<br />『[[ターミナル (映画)|ターミナル]]』<br />『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]』<br />『[[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]』<br />『[[戦火の馬]]』<br />『[[リンカーン (映画)|リンカーン]]』<br />『[[ブリッジ・オブ・スパイ]]』<br/>『[[ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書]]』<br/>『[[レディ・プレイヤー1]]』<hr />'''製作・製作総指揮'''<br />『[[グレムリン (映画)|グレムリン]]』<br />『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』シリーズ<br />『[[グーニーズ]]』<br />『[[ロジャー・ラビット]]』<br />『[[夢 (映画)|夢]]』<br />『[[メン・イン・ブラック (映画)|メン・イン・ブラック]]』シリーズ<br />『[[SAYURI]]』<br />『[[父親たちの星条旗]]』<br />『[[硫黄島からの手紙]]』<br />『[[トランスフォーマー]]』シリーズ<br />『[[トゥルー・グリット]]』<br />『[[リアル・スティール]]』<br />『[[SUPER8/スーパーエイト]]』<br />『[[ジュラシック・ワールド]]』<br />
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー作品賞|作品賞]]'''<br />[[第66回アカデミー賞|1993年]]『[[シンドラーのリスト]]』<br />'''[[アカデミー監督賞|監督賞]]'''<br />[[第66回アカデミー賞|1993年]]『[[シンドラーのリスト]]』<br />[[第71回アカデミー賞|1998年]]『[[プライベート・ライアン]]』<br />'''[[アービング・G・タルバーグ賞]]'''<br />1986年 映画界への貢献に対して<br />
| 東京国際映画祭 = '''黒澤明賞'''<br />[[第17回東京国際映画祭|2004年]]<br />
| カンヌ国際映画祭 = '''[[カンヌ国際映画祭 脚本賞|脚本賞]]'''<br />[[第27回カンヌ国際映画祭|1974年]]『[[続・激突!/カージャック]]』<br />
| ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[栄誉金獅子賞]]'''<br />[[1993年]]<br />
| 全米映画批評家協会賞 = '''[[全米映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]'''<br />1982年『E.T.』<br />1993年『シンドラーのリスト』<br />
| ロサンゼルス映画批評家協会賞 = '''[[ロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]'''<br />[[第8回ロサンゼルス映画批評家協会賞|1982年]]『E.T.』<br />[[第24回ロサンゼルス映画批評家協会賞|1998年]]『プライベート・ライアン』<br />
| 放送映画批評家協会賞 = '''[[放送映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]'''<br />[[放送映画批評家協会賞|1998年]]『プライベート・ライアン』<br />[[放送映画批評家協会賞|2002年]]『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』<br />
| セザール賞 = '''名誉賞'''<br />[[1995年]]<br />
| 日本アカデミー賞 = '''最優秀外国語作品賞'''<br />[[第6回日本アカデミー賞|1982年]]『E.T.』<br />[[1993年]]『[[ジュラシック・パーク]]』<br />[[1994年]]『シンドラーのリスト』<br />
| 英国アカデミー賞 = '''[[英国アカデミー賞 作品賞|作品賞]]'''<br />1993年『[[シンドラーのリスト]]』<br />'''[[英国アカデミー賞 監督賞|監督賞]]'''<br />1993年『シンドラーのリスト』<br />
| エミー賞 = '''[[プライムタイム・エミー賞 作品賞 (ミニシリーズ部門)|作品賞 (ミニシリーズ部門)]]'''<br />2002年『[[バンド・オブ・ブラザーズ]]』<br />2003年『[[TAKEN]]』<br />2010年『[[ザ・パシフィック]]』<br />
| AFI賞 = '''[[アメリカン・フィルム・インスティチュート|生涯功労賞]]'''<br />[[1995年]]<br />
| ゴールデングローブ賞 = '''[[ゴールデングローブ賞 監督賞|監督賞]]'''<br />[[第51回ゴールデングローブ賞|1993年]]『シンドラーのリスト』<br />[[第56回ゴールデングローブ賞|1998年]]『プライベート・ライアン』<br />'''[[ゴールデングローブ賞 アニメ映画賞|アニメ映画賞]]'''<br />[[第69回ゴールデングローブ賞|2011年]]『[[タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密]]』<br />'''[[ゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞|セシル・B・デミル賞]]'''<br />[[2008年]]<br />
| 備考 = [[アンブリン・エンターテインメント]]及び[[ドリームワークス]]の共同創業者<br />
}}<br />
'''スティーヴン・スピルバーグ'''({{lang|en|Steven Spielberg}}, [[1946年]][[12月18日]] - ) は、[[アメリカ合衆国]]の[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]]。[[映画芸術科学アカデミー|アメリカ映画アカデミー]]会員。[[大英帝国勲章|大英帝国勲章 (KBE)]]受章。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
===幼少時代===<br />
[[オハイオ州]][[シンシナティ]]で[[アシュケナジム|ウクライナ系ユダヤ人]]<ref>[http://www.orenburg.kp.ru/daily/24103/329446/ Steven Spielberg: "I'm Russian. But that doesn't explain a thing." //KP.RU]</ref> の家庭に生まれ、[[アリゾナ州]]に育つ。古い資料では[[1947年]]生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、[[1946年]]生まれが正しい。Spielberg(シュピールベルク)という[[ドイツ語]]の姓は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していた[[オーストリア]]の町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。<br />
<br />
父のアーノルド・スピルバーグ (1917 - ) は[[エンジニア|電気技師]]、母のリア・アドラーはコンサート[[ピアニスト]](後に、レストラン経営者となり、ロサンゼルスで“The Milk Way”というユダヤの乳製品料理のレストランを始める)であった<ref name="autogenerated1">{{Cite web|title = Steven Spielberg Biography (1947?–)|url = http://www.filmreference.com/film/85/Steven-Spielberg.html|work = filmreference.com|accessdate = 2008-01-15}}</ref>。父の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。<br />
<br />
[[ユダヤ人]]であったほか、[[ディスレクシア]](失読症もしくは難読症、[[学習障害]]の一種)のために同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このため[[いじめ]]も受けたこともあった<ref>スピルバーグが学習障害であると診断されたのは60歳になってからのことである。{{Cite news<br />
|url=http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201210030452.html<br />
|title=スピルバーグ氏、学習障害を告白 「映画で救われた」<br />
|work=asahi.com<br />
|newspaper=[[朝日新聞]]<br />
|date=2012-10-03<br />
|accessdate=2012-10-03<br />
}}</ref>。また、両親は離婚しており、これらのことが後の作品に大きな影響を及ぼすことになる。<br />
<br />
初めて観た映画は5歳の頃に鑑賞した『[[地上最大のショウ]]』。幼い頃から[[8ミリ映画|8ミリ]]カメラで自主的に映画を製作する。きっかけは13歳の頃、家族旅行の際に父親から8ミリカメラを渡され撮影係を頼まれたためだという。[[スタンリー・キューブリック]]、[[デヴィッド・リーン]]、[[黒澤明]]、[[アルフレッド・ヒッチコック]]、『[[ゴジラ]]』など様々な映画の影響をうけるが、特に[[ディズニー映画]]は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「[[ウォルト・ディズニー]]こそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。<br />
<br />
===少年時代===<br />
17歳の時、アリゾナに住んでいたスピルバーグはカリフォルニアに遊びに来た際、[[ユニバーサル・スタジオ]]をバスで回るツアーに参加。ツアーの途中でトイレに隠れてバスが去ってからスタジオ内を探索するという大胆な行動を行った。スタジオで映像保管係をしていたスタッフと知り合うと、3日間の通行証を作ってもらったためその3日間で人脈を作り、スタジオには顔パスで入れるようになり、通行証なしで出入りできるようになったという<ref>「映像の魔術師 スピルバーグ自作を語る」</ref>。この頃、映画監督の[[ジョン・フォード]]と出会う。<br />
<br />
1965年から[[カリフォルニア州立大学]]ロングビーチ校にて映画を専攻。この頃になると、スピルバーグは大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。その後、21歳のときに、オープニングタイトルと[[オプチカル効果]]の会社を経営している[[デニス・ホフマン]]と知り合い、映画製作資金を提供してもらうこととなり、最初の作品「アンブリン」を完成させる。この映画がユニバーサルテレビ部門の責任者[[シドニー・シャインバーグ]]の目に止まり、ユニバーサルと7年契約することとなる。<br />
<br />
しかし、上記の契約のため大学の卒業は困難になり、1969年にカリフォルニア州立大学は中退した。後に再度入学し卒業、2002年にB.A.([[学士号]])を取得。なお、1999年に[[ブラウン大学]]から名誉博士号を授与されている。<br />
<br />
== 職歴 ==<br />
=== 1970年代 ===<br />
[[1972年]]に、テレビ映画として撮った『[[激突!]]』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。[[1974年]]に『[[続・激突! カージャック]]』で、劇場用映画監督に進出。<br />
<br />
1975年に公開された『[[ジョーズ]]』はそれまでの『[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]]』の記録を破り1977年に『[[スター・ウォーズ]]』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり一流監督の仲間入りを果たす。1977年に公開された、人類と宇宙人のコンタクトを描いた『[[未知との遭遇]]』も話題となった。<br />
<br />
=== 1980年代 ===<br />
初期の頃は、娯楽映画で評価を得ていたが、やがて様々なジャンルの映画を手がけるようになる。一作目が1981年、二作目が1984年、三作目が1989年に公開された、考古学教授でありトレジャーハンターの大冒険を描いた『[[インディ・ジョーンズ]]』シリーズも大ヒットとなった。1982年に公開された、不恰好だが愛くるしい宇宙人と子供たちとの交流を描いたファンタジー作品『[[E.T.]]』では、2度目の世界歴代興行収入1位を記録。<br />
<br />
また、1980年頃より、自ら監督を務めない作品でも、プロデューサーとして名を連ねることが多くなった。ただし、必ずしも製作指揮をとっていたわけではなく、製作資金を確保するために名前を貸したケースも多く、その中には興行的に失敗した作品も少なくない(詳細は''[[#主な製作総指揮作品]]''を参照)。<br />
<br />
=== 1990年代 ===<br />
[[ファイル:Steven Spielberg - GianAngelo Pistoia 1.jpg|サムネイル]]<br />
[[1993年]]には『[[ジュラシック・パーク]]』を大ヒットさせ、3度目の世界歴代興行収入1位を記録。1997年に『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』に破られるまで続いた。同年の[[アカデミー賞]]では『[[シンドラーのリスト]]』で[[アカデミー作品賞|作品賞]]、[[アカデミー監督賞|監督賞]]を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。<br />
<br />
[[1994年]]に[[ドリームワークス]]を設立。[[1998年]]に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。1999年4月に南カリフォルニア大学のロバート・ゼメキス・センターに50万ドルを寄付した。<br />
<br />
=== 2000年代 ===<br />
[[2001年]]に[[英国王室]]([[エリザベス2世]])より、[[ナイト]]爵を授与された。<br />
<br />
ドリームワークスの経営者としての活動が多くなり、監督作品を出すペースもやや遅くなりつつある一方でプロデューサー(製作総指揮)としての活動が盛んになり、『[[トランスフォーマー (2007年の映画)|トランスフォーマー]]』や『[[イーグル・アイ]]』で大ヒットを飛ばす。3年ぶりの監督作であり19年ぶりの続編となる『[[インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国]]』では興行的には成功したものの、[[ゴールデンラズベリー賞]]で[[第29回ゴールデンラズベリー賞#最低リメイク及び続編賞|最低リメイク及び続編賞]]を受賞する不名誉な結果となった。<br />
<br />
=== 近年の活躍 ===<br />
近年では、[[パラマウント映画]]との関係が悪化するなどで契約上のトラブルが多くなり、長年温めている企画である[[エイブラハム・リンカーン]]の映画も制作に取り掛かるまでに時間を要したが、2011年秋にようやく撮影開始となった。その後は2年間で監督作3作品を公開し、その内2作品が2年連続で[[アカデミー作品賞]]にノミネートされるなどの活躍を見せている。<br />
<br />
2013年2月には[[第66回カンヌ国際映画祭]]の審査委員長に就任し、5月15日から26日の間で審査員長を務めた。「映画が世界共通の言語であることを長年に渡って証明し続けてきた、最も権威ある映画祭の審査委員長を務めることを大変光栄に思っている」と語っている。<br />
<br />
2012年1月には[[旧約聖書]]に記される古代イスラエルの[[モーゼ]]を描く映画『[[エクソダス:神と王]]』の監督にほぼ決定したと報じられたが<ref>[http://www.cinematoday.jp/page/N0038843 スピルバーグ監督、旧約聖書のモーゼを描く新作監督にほぼ決定!]</ref>、2013年3月に降板が決定した<ref>[http://www.cinemacafe.net/article/2013/03/18/16054.html アン・リー、スピルバーグが蹴ったモーセを題材にした新作映画で監督に!?]</ref>。2013年5月にはアメリカの狙撃手の実話を映画化する『[[アメリカン・スナイパー]]』の監督に就任したと報じられたが、8月に降板したと、Deadlineで報じられた<ref>[http://eiga.com/news/20130807/6/ スピルバーグ監督、ブラッドリー・クーパー主演映画から降板]</ref>。<br />
<br />
2015年、[[大統領自由勲章]]を受章<ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1567369.html|title=スピルバーグ監督に文民最高位の「大統領自由勲章」|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2015-11-17|accessdate=2015-11-17}}</ref>。<br />
<br />
2015年12月、新映画会社'''アンブリン・パートナーズ'''を設立。[[パーティシパント・メディア]]、インドの[[リライアンス・エンターテインメント|リライアンス・グループ]]、カナダのメディア企業エンターテイメント・ワンと共同で創設し、[[アンブリン・エンターテインメント]]、ドリームワークス、パーティシパント・メディアの3つのレーベルを用いて映画やテレビ、デジタルコンテンツを製作する予定。<br />
<br />
== 作風 ==<br />
(IMDb Steven Spielberg http://www.imdb.com/name/nm0000229/bio の翻訳転載)<br />
* 暗いシーンの中で強烈な懐中電灯の光を使う。それはしばしば、空気中の埃や霧などで輪郭のはっきりしたビームとして描かれる。(『[[ジュラシック・パーク]]』『[[ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク]]』『[[E.T.]]』)<br />
* 画面上の人物が、画面外の何かを凝視する。(『ジュラシック・パーク』のグラント博士がブラキオサウルスをはじめて見るシーンなど)<br />
* 太陽の映像(『[[インディ・ジョーンズ シリーズ]]』『[[太陽の帝国]]』『[[カラーパープル (映画)|カラーパープル]]』『[[プライベート・ライアン]]』)<br />
* 子供を何らかの危機に陥らせる。(『ジュラシック・パーク』など。)<br />
* [[第二次世界大戦]]に言及、引用する。(『ジョーズ』の巡洋艦インディアナポリスに関する話など。)<br />
* [[ディズニー]]の映画、音楽、テーマパークに言及、引用する。<br />
* 高い頻度でピアノが重要なシーンを際立たせる要素として使われる(『[[シンドラーのリスト]]』『プライベート・ライアン』『[[マイノリティ・リポート]]』)<br />
* 車のバックミラー越しに重要なことが描写される。(『激突』、『ジュラシック・パーク』など)<br />
* 特殊視覚効果を多用する。一見気づかれない部分に使っていることもある。『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]』以降、ほぼすべての映画を、ジョージ·ルーカスとの関係によって[[インダストリアル・ライト&マジック|ILM]]を使っている。例外的に『ターミナル』のみデジタル・イメージワークスが担当した。<br />
* [[デジタル]]を使わず、[[映画|フィルム]]で撮影する(同様のスタイルの監督は、[[マーティン・スコセッシ]]や[[オリヴァー・ストーン]]など。近年では『[[タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密]]』など例外もある)。<br />
* 作中の家庭は離婚家庭であることが多く、父親は不在であるか、無責任なもののように描写される。「離れ離れになった家族」という構図が頻繁に登場する。これはスピルバーグ自身の両親が離婚していた体験が反映されていて、「私の映画は、両親が離婚した子供たちに向けられたものだ」と語ったこともある。<br />
*子供部屋が汚く、物が溢れており、あちこちに玩具や服が散乱しているのは、スピルバーグの幼少期の子供部屋を参考にしている。[[ADHD]]や[[アスペルガー]]を先天的に持つ子供は片付けが苦手である。また、スピルバーグの両親はしょっちゅう喧嘩していた。スピルバーグは両親の不仲を悲しむよりも「'''うるさい'''」と感じていたため、スピルバーグは子供部屋へ籠り、ドアの隙間には布団を詰めて防音していた。<br />
* あまりズームを使用しない([[黒澤明]]の影響だと本人は語っている)。ただし、『E.T.』と『[[ジョーズ]]』では[[アルフレッド・ヒッチコック]]流の「[[めまい (映画)|めまいズーム]]」を使用している。<br />
* 異文化の登場人物間のコミュニケーション(『未知との遭遇』『[[アミスタッド]]』『E.T.』『カラーパープル』『[[ターミナル]]』)<br />
<br />
監督作品はアクション、ロマンス、サスペンス、コメディ等様々な要素を盛り込まれ、視覚効果も駆使したヒット作が多い。1980年代半ばからよりドラマ性の強い作風に変化している。<br />
<br />
先に正解をバラしておいて、周囲が隠してじらす方法を取り入れている。これは、スピルバーグが子供の頃に悪い事をして教師に登校してすぐに「放課後、話がある」と言われてずっと一日中「先生に放課後何を言われるんだろう」という恐怖を味わった経験から来ている。<br />
<br />
劇場映画初監督の『[[続・激突! カージャック]]』はテレビ映画『[[激突!]]』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『[[ジョーズ]]』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『[[E.T.]]』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『[[ジュラシック・パーク]]』は[[ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク|2作目]]ですでにあまり乗り気ではなく、[[ジュラシック・パークIII|3作目]]は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くあり、テレビでも『[[ER緊急救命室]]』が10年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『[[インディ・ジョーンズ]]』だけ。リメイクも『トワイライトゾーン/超次元の体験』第2話、『オールウェイズ』、『宇宙戦争』と作品数は多くない。<br />
<br />
== 人物 ==<br />
=== 監督としての功績 ===<br />
監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。監督作品の全米生涯興行収入は2018年現在で計46億3660万ドル(約4974億円)に達しており、歴代1位を記録している<ref>[http://eiga.com/news/20140719/4/ マイケル・ベイ「トランスフォーマー」で全米生涯興行収入ランキング更新!]</ref><ref>[http://www.boxofficemojo.com/people/?view=Director&sort=sumgross&order=DESC&p=.htm Box Office Mojo - People Index]</ref>。また、プロデュース作品の同興行収入は計77億3330万ドル(約8297億円)を記録していて長年歴代1位であったが、2018年に[[ケヴィン・ファイギ]]が1位となり、現在は歴代2位<ref>[http://boxofficemojo.com/people/?view=Producer&sort=sumgross&order=DESC&p=.htm Box Office Mojo - People Index]</ref>。<br />
<br />
撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『[[プライベート・ライアン]]』は2か月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『[[マイノリティ・リポート]]』、『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]』、『[[インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国]]』、『[[タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密]]』。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している<ref>http://homepage3.nifty.com/gachinkobros/badget-a.html</ref>。<br />
<br />
撮影機材に精通した監督としても知られている。また、多くの監督がデジタルで撮影を行っている中、彼は未だに[[フィルム#映画用フィルム|フィルム]]を使用している。『[[タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密]]』は[[モーションキャプチャ]]によるアニメーションという形となったため、監督としては初となるデジタル撮影かつ3Dでの公開となった。『[[戦火の馬 (映画)|戦火の馬]]』でもフィルム撮影でありながら、編集はAvidを用いてデジタル作業で行われた。<br />
<br />
[[ダニエル・デイ=ルイス]]が『[[リンカーン (映画)|リンカーン]]』で受賞するまで、監督作の出演者は[[アカデミー賞]]演技部門ではノミネートにとどまり受賞には恵まれなかった。その一方で『[[太陽の帝国]]』の[[ベン・スティラー]]や[[クリスチャン・ベール]]、『[[フック (映画)|フック]]』の[[グウィネス・パルトロウ]]など、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。<br />
<br />
=== 友人 ===<br />
同業の[[ジョージ・ルーカス]]は長年の親友かつ一番の[[ライバル]]であり、ルーカスの学生時代の作品『[[電子的迷宮/THX 1138 4EB]]』を観た当時は「彼が大嫌いだった、私よりずっとうまく映画を撮るから」と、純粋な対抗心を持っていたことを打ち明けている。ルーカスとは『[[インディ・ジョーンズ]]』シリーズを一緒に製作しているほか、『[[スター・ウォーズ]]』でも一部を手伝ったことがある。『レイダース』を生んだ1977年、ハワイでの休暇で、新作『スター・ウォーズ』の失敗を確信していたルーカスは自身が受け取る『スター・ウォーズ』の収益歩合と、スピルバーグが受け取る『未知との遭遇』の収益歩合を交換しようと持ち掛けスピルバーグも了承(正確には印税の2.5%を交換)。『スター・ウォーズ』は『未知との遭遇』を超える大ヒットとなり、現在になってもスピルバーグに利益をもたらしている。また、この『スター・ウォーズ』の収益のお陰で[[コロンビア映画]]は破産を免れたという。<br />
<br />
その他にも[[マーティン・スコセッシ]]、[[フランシス・フォード・コッポラ]]、[[クリント・イーストウッド]]といった監督と長年の交友があり、[[トム・ハンクス]]、[[ハリソン・フォード]]、[[リチャード・ドレイファス]]、[[トム・クルーズ]]などの俳優陣と親交が深く自身の監督作にも頻繁に起用している<ref>[http://eiga.com/magazine/1110/special1/kankeizu/]</ref>。<br />
<br />
『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]]』で長男マックスが2015年の世界で『ジョーズ19』(小説版では『ジョーズ14』)を監督しているジョークがあったが、現実ではゲームソフト『[[メダル・オブ・オナー (ゲームソフト)|メダル・オブ・オナー]]』製作に一部関わったり、『[[ターミナル (映画)|ターミナル]]』に端役で出演したりしている。『ターミナル』にはサーシャも出演。この後『[[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]』と『[[インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国]]』にも出演した。トム・ハンクス主演の『[[ビッグ (映画)|ビッグ]]』で脚本を書いたアンは実妹。もう一人の妹ナンシーと学生時代のスピルバーグ作品に参加した。また父が『[[プライベート・ライアン]]』メイキングに出演している。<br />
<br />
=== 常連スタッフ ===<br />
スピルバーグ自身が監督する作品の製作総指揮は、初期から[[キャスリーン・ケネディ]]との連名になっており、キャストのオーディションなどにも同席する。その他、自らの監督作品には作曲家の[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]、編集の[[マイケル・カーン]]ら、多くのスタッフを継続して起用する傾向がある(製作に名を連ねているだけの場合は、現場の監督らに人選を任せる)。それは、気心が知れたスタッフなら、簡単な指示を出すだけで自分の意向に沿った仕事をしてくれるため、時間と資金の節約になるからである。<br />
<br />
カーンは、ビデオで編集したくないというスピルバーグの意向から、[[ノンリニア編集]]を使わず極力フィルムによる編集を心がけているという<ref>『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』や『ターミナル』ではエンドロールに"edited on moviola"(ムヴィオラで編集=ノンリニア編集は使用せず)と明記している。</ref>。2013年には[[アメリカ映画編集者協会]](ACE)より第63回ACEエディ賞授賞式にて、監督と編集者の関係を数10年にわたって維持してきた功績を称えられ、特別賞にあたる「ACE Golden Eddie Filmmaker of the Year賞」を授与された<ref>[http://eiga.com/news/20130203/12/ スティーブン・スピルバーグ、米編集者組合から特別賞 : 映画ニュース - 映画.com]</ref>。<br />
<br />
撮影監督は1990年代からの[[ヤヌス・カミンスキー]]との作品が続いている。初期作品を支えた撮影監督は[[アレン・ダヴィオー]]であり、また2作で組んだ[[ヴィルモス・スィグモンド]]から受けた影響の大きさも語っている。<br />
<br />
=== 新技術に対する姿勢 ===<br />
{{節スタブ}}<br />
[[DVD]]が新[[メディア (媒体)|メディア]]として登場した際、監督、プロデューサー、俳優らによる[[オーディオコメンタリー]]の録音が盛んに行われるようになったが、スピルバーグは「コメンタリー嫌い」と公言し、自身の監督作品のDVDにコメンタリーを吹き込むことは一切なく、他のスタッフやキャストによるコメンタリーも入れさせない。その代わりに、特典映像を豊富に提供するという姿勢を取っている。<br />
<br />
ジョージ・ルーカスが『[[スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃]]』で全編デジタル撮影を行ったのをきっかけに、ハリウッド業界の大勢は安価で増産もしやすいデジタル化に傾いたが、スピルバーグは慎重な態度を示した。2002年末の『[[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]』公開時点で全米に36000以上あった劇場映画用スクリーンのうち、デジタル・スクリーンがわずか100以下しか存在しなかったというのが主な理由だが、35ミリのセルロイド・フィルムの絵を好むことでも知られるスピルバーグは、自身を[[ラッダイト運動]]にたとえて「デジタル映像化は進歩とはいえない。キズなどが付かない綺麗な映像は作れても、映画製作における芸術性を損なう」「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」ともコメントした<ref>[http://www.economist.com/node/1503432 The Economist - A movie-making Luddite: Is Steven Spielberg right to fear technological change in the movie business?](2002年12月19日付)を参照。なお、同記事では、デジタル映画は安価で、かつ輸送・増産しやすいかわりに違法コピーも簡単に作れると指摘し、また『[[A.I.]]』や『[[マイノリティ・リポート]]』は、技術的変化に懐疑的な視線で描かれているとも分析している。</ref>。<br />
<br />
[[第3世代光ディスク]](当時の「次世代DVD」)規格をめぐって[[Blu-ray Disc|Blu-ray]]と[[HD DVD]]が競合した際、スピルバーグ作品の配給元・販売元である[[パラマウント映画]]社は後者を支持したが、スピルバーグ自身は規格争いが終息するまで待つという構えを崩さなかった。そのため、スピルバーグ監督作品は一切、HD DVD化されなかった。<br />
<br />
== アカデミー賞とヒットメーカー ==<br />
1981年に「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したスピルバーグだが、1998年の『プライベート・ライアン』でアカデミー監督賞(2度目の)受賞スピーチでは「どうしても欲しかった」と語った。<br />
<br />
『[[未知との遭遇]]』と『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]』で[[アカデミー監督賞|監督賞]]、『E.T.』で監督賞と[[アカデミー作品賞|作品賞]]にノミネートされたが受賞は出来ず、『[[カラーパープル (映画)|カラー・パープル]]』では作品、[[アカデミー脚色賞|脚色]]、[[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]を含む10部門にノミネートされながら全て逃し、自身は監督賞にノミネートもされないという苦い思いを味わった。1980年代はスピルバーグにとって娯楽性の高い作風からシリアス路線へと移行した時期だが、[[アーヴィング・G・タルバーグ賞]]を1987年に40歳という異例の若さで受賞した際には「[[アカデミー監督賞|オスカー]]が獲れないのはヒット連発に対する嫉み」という噂が立つことになった<ref>あからさまに「彼(スピルバーグ)は充分成功しているから受賞の必要なし」と発言する[[ジョン・ヒューストン]]の例もある。</ref>。『[[ジュラシック・パーク]]』を大ヒットさせた同じ年に『[[シンドラーのリスト]]』でアカデミー監督・作品賞をダブル受賞。<br />
<br />
『[[マイノリティ・リポート]]』と『[[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]』(2002年)、『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]』と『[[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]』(2005年)とシリアスな作品とより娯楽性の高い作品が同じ年に作られたが、3度目の受賞には至っていない。<br />
<br />
== 逸話 ==<br />
; 親日家<br />
: 親日家としても有名で、『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]』の日本限定のCMを公開したり、自らの作品及び製作に携わった作品の予告編の前振りに出演することがある。『1941』の日本版サントラの解説によると食べ物の中で寿司が好物とのこと。{{要出典範囲|ウナギの蒲焼きが大好物|date=2011年11月}}とも言われる。自宅の門には日本語で「スチーブン スピルバーグ」と彫られた木製の表札が掛かっており、これは三船敏郎が『1941』に出演した際にプレゼントしたものである。2001年に『[[A.I.]]』と『[[鉄腕アトム]]』の類似性について尋ねられた際、「日本のテレビ局のインタビューを受けるまで、『鉄腕アトム』という作品の存在すら知らなかった」と答えた<ref>[http://www.eiga-portal.com/butaiaisatsu/ai-eisei/01.shtml DVD映画ポータル - スティーブン・スピルバーグ監督 サテライト記者会見 「A.I.」](2001年6月19日、帝国ホテルにて)</ref>。ただし手塚治虫とは一時親交があった。手塚治虫はテレビのインタビューで、スビルバーグ監督からもらった色紙を披露しており、そこにはサインとともに監督直筆のETが描いてあった。また手塚治虫は、自分とスピルバーグとの共通点は黒澤明監督から影響を受けていることだと述べている。<br />
<br />
; 自ら監督・製作した映画への出演<br />
: 通行人などとして、数秒[[カメオ出演]]することがある。<br />
<br />
;影響を受けた作品<br />
: スピルバーグが影響を受けた映画は数多く、本人曰く103本くらいあるという。また、テレビやラジオ、家族から聞いたお伽話からも影響を受けている、と語っている<ref>http://cinematoday.jp/page/A0001432</ref>。<br />
: 映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ず観る映画として、『[[捜索者]]』『[[七人の侍]]』『[[素晴らしき哉、人生!]]』『[[アラビアのロレンス]]』を挙げている<ref>FilmMakers.com、“[http://www.filmmakers.com/artists/spielberg/ Steven Spielberg]”、2007年12月16日</ref>。<br />
: 特に『アラビアのロレンス』は、彼を最も映画監督になりたいと思わせた映画であると語っている。また、この映画は1962年に、ロイヤル・プレミアで公開された際には222分の上映時間であったが、その1か月後には約20分カットされ、以後も上映効率のためなどで次々と短くなっていった。しかし、スピルバーグや[[マーティン・スコセッシ]]の働きかけにより、欠落部分を探し出し、監督の[[デヴィッド・リーン]]自身が最終的に216分にまでに編集し、1989年に〈完全版〉として再上映させることに成功した(復元には2年を費やし、費用が掛かりすぎたため、一時は完成も危ぶまれた)。その後、2001年にリリースされたDVDには、特典としてスピルバーグ自身が『アラビアのロレンス』を語るという映像を収録し、「'''A miracle of a film'''」という賛辞をDVDパッケージにコメントしている。また、『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』では、若きインディアナ・ジョーンズは、1908年エジプトにて、[[トーマス・エドワード・ロレンス|T・E・ロレンス]](『アラビアのロレンス』の主人公)と実際に出会っている。ロレンスはインディにとっても、考古学者としての先輩であり、旧友であったという。<br />
: 2012年にはEmpire Magazineにて「世界の映画監督が選ぶ好きな映画ベスト10」にて、以下の10作を挙げている。<br />
:* 『[[アラビアのロレンス]]』<br />
:* 『[[ファンタジア (映画)|ファンタジア]]』<br />
:* 『[[市民ケーン]]』<br />
:* 『[[素晴らしき哉、人生!]]』<br />
:* 『[[2001年宇宙の旅]]』<br />
:* 『[[宇宙戦争 (1953年の映画)|宇宙戦争 (1953年)]]』 - 後に『[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争 (2005年)]]』としてリメイク。<br />
:* 『[[サイコ (1960年の映画)|サイコ]]』<br />
:* 『[[アメリカの夜]]』<br />
:* 『[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]]』 - 1972年、『ジョーズ』公開前に観賞した際「監督になるのを諦めた」という<ref>[http://eiga.com/official/godfather/ ゴッドファーザー コッポラ・リストレーションDVD BOXキャンペーン]</ref>。<br />
:* 『ジョーと呼ばれた男』 - 後に『[[オールウェイズ (映画)|オールウェイズ]]』としてリメイク。<br />
<br />
== 私生活 ==<br />
=== 妻と子供 ===<br />
1985年から89年までは女優の[[エイミー・アーヴィング]]と結婚していた。1989年の離婚調停で、裁判官が弁護士無しでナプキンに書かれた[[婚前契約|婚前契約書]]を無効としたため、アーヴィングはスピルバーグから1億ドルを受け取った。彼らの離婚は史上3番目に高額なセレブ離婚と報じられている<ref>{{Cite news|title = 'Most costly' celebrity divorces|publisher = BBC NEWS|url = http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/6552597.stm|date = 2007-04-13}}</ref>。離婚後もスピルバーグとアーヴィングは息子のマックスの親権を共有している。<br />
<br />
その後スピルバーグは『[[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]』に出演した女優の[[ケイト・キャプショー]]との関係を深めていった。1991年10月12日に2人は結婚し、キャプショーはユダヤ教に改宗した<ref name="Capshaw">{{Cite book|last =Pogrebin| first =Abigail| title =Stars of David: Prominent Jews Talk about Being Jewish| publisher =Bantam Dell Pub Group|year=2005| month =October| isbn =0767916123}}</ref>。<br />
<br />
スピルバーグとキャプショーの子供は以下の7名:<br />
* [[ジェシカ・キャプショー]](Jessica Capshaw, 1976年8月9日 - ) - 娘。ケイト・キャプショーとその前夫ロバート・キャプショーとの子。<br />
* マックス・サミュエル・スピルバーグ(Max Samuel Spielberg, 1985年6月7日 - ) - 息子。スピルバーグとその前妻[[エイミー・アーヴィング]]との子。<br />
* セオ・スピルバーグ(Theo Spielberg, 1988年 - ) - 息子。キャプショーが結婚前に出産<ref>{{Cite web|url=http://www.funtrivia.com/en/Celebrities/Spielberg-Steven-14300.html |title=Spielberg, Steven – Fun Facts, Answers, Factoids, Info, Information |publisher=Funtrivia.com |accessdate=2010-03-02}}</ref>。<br />
* [[サーシャ・スピルバーグ]](Sasha Rebecca Spielberg, 1990年5月4日 - ) - ロサンゼルスで生まれる<ref>{{Cite web|url=http://www.familytreelegends.com/records/calbirths?c=search&first=Sasha&last=Spielberg&spelling=Exact&4_year=&4_month=0&4_day=0&5=&7=&SubmitSearch.x=51&SubmitSearch.y=15 |title=California Birth Index |publisher=Familytreelegends.com |date=1990-05-14 |accessdate=2011-01-31}}</ref>。<br />
* ソーヤー・アヴェリー・スピルバーグ(Sawyer Avery Spielberg, 1992年3月10日 - )<ref>{{Cite web|url=http://www.familytreelegends.com/records/calbirths?c=search&first=Sawyer&last=Spielberg&spelling=Exact&4_year=&4_month=0&4_day=0&5=&7=&SubmitSearch.x=0&SubmitSearch.y=0 |title=California Birth Index |publisher=Familytreelegends.com |accessdate= 2011-01-31}}</ref>。<br />
* ミカエラ・ジョージ(Mikaela George, 1996年2月28日 - ) - 養子。<br />
* デストリー・アリーン・スピルバーグ(Destry Allyn Spielberg, 1996年12月1日 - )<br />
<br />
=== 資産 ===<br />
『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』誌によると、2009年時点でのスピルバーグの個人資産は30億ドルである<ref>{{Cite news|url=http://www.forbes.com/lists/2009/54/rich-list-09_Steven-Spielberg_4XKR.html|title=#97 Steven Spielberg – The Forbes 400 Richest Americans 2009|date=2009-09-30|publisher=[[フォーブス (雑誌)|Forbes]]|accessdate=2009-10-20}}</ref>。<br />
<br />
2010年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、8,500万ドルを稼いで2位にランクインした。この収入はユニバーサルスタジオからの著作権料や今までの作品のDVDのロイヤリティの額が半分以上を占めている<ref>{{Cite news|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0022297|title=2009年「最も稼いだ監督」はマイケル・ベイ「最も稼いだ俳優」はダニエル・ラドクリフ|date=2010-02-05|publisher=シネマトゥデイ|accessdate=2011-12-27}}</ref>。同年12月、『フォーブス』誌による「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」では、1億ドルを稼いで7位にランクインした<ref>{{Cite news|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0029300|title=今年エンターテインメント業界で最も稼いだ人物決定!2位にジェームズ・キャメロンで約172億円!|date=2010-12-28|publisher=シネマトゥデイ|accessdate=2011-12-27}}</ref>。2011年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2010年にハリウッドで最も稼いだ人たち」のランキングを発表し、2010年のギャラが推定8,000万ドルになることがわかった<ref>{{Cite news|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0030090|title=『トワイライト』のテイラー・ロートナー 昨年の稼ぎはロバート・パティンソンとクリステン・スチュワートを超えた|date=2011-02-06|publisher=シネマトゥデイ|accessdate=2011-12-27}}</ref>。<br />
<br />
=== 認識 ===<br />
2002年、[[ソルトレイクシティ]]で行われた[[ソルトレイクシティオリンピック|冬季オリンピック]]の開会式ではオリンピック旗手の8人のうち1人を務めた。2006年、『{{仮リンク|プレミア (雑誌)|en|Premiere (magazine)|label=プレミア}}』は{{仮リンク|映画業界|en|film industry}}で最も影響力のある人物の一人としてスピルバーグを挙げた。また『[[タイム (雑誌)|タイム]]』では{{仮リンク|20世紀の最も影響力のある100人|en|Time 100: The Most Important People of the Century}}の一人に選ばれた。20世紀末、『[[ライフ (雑誌)|ライフ]]』は彼の世代で最も影響力のある人物としてスピルバーグの名を挙げた<ref>{{Cite web| title = The 50 most influential baby boomers: Top 10| publisher = Life.com| url = http://www.life.com/Life/boomers/50boomers01.html#05| accessdate = 2006-10-21| archiveurl = https://web.archive.org/web/20051223110753/http://www.life.com/Life/boomers/50boomers01.html#05| archivedate = 2005年12月23日| deadurldate = 2017年9月}}</ref>。<br />
<br />
=== 政治的言動 ===<br />
* スピルバーグは[[民主党 (アメリカ)|アメリカ民主党]]の候補者を支援しており、党と候補者に80万ドル以上の寄付を行っている。[[ビル・クリントン]]元大統領とは友人であり、合衆国のミレニアムの祭典の際には協力している。彼は[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]作曲で、『''The American Journey''』という題の18分の映画を監督している。それは1999年12月31日、[[ワシントンD.C.]]の[[リンカーン記念館]]の[[ナショナル・モール]]で行われた米国ミレニアム祝祭で上映された<ref>{{Cite news|title = The Clintons' Showbiz Celebration| publisher = BBC News| date = January 1, 2000| url = http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/586684.stm| accessdate =October 21, 2006}}</ref>。<br />
[[ファイル:Steven Spielberg 1999 2.jpg|thumb|left|スピルバーグと[[ウィリアム・コーエン]]国防長官(当時)]]<br />
<br />
* 2001年、{{仮リンク|全米ボーイスカウト連盟|en|Boy Scouts of America}}が反同性愛のスタンスを取っていることを理由に、同団体の全国諮問委員会のメンバーを辞任した<ref>{{Cite news|title = Spielberg quits scouts 'over gay ban'| publisher = BBC| date = 2001-04-17|url = http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/film/1281309.stm| accessdate = 2006-10-30}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.hollywood.com/news/detail/id/386418|work=Hollywood.com|title=Spielberg resigns from Boy Scouts board|accessdate=2006-03-10|archiveurl=https://archive.is/20130103095203/http://www.hollywood.com/news/Spielberg_resigns_from_Boy_Scouts_board/386418|archivedate=2013年1月3日|deadurldate=2017年9月}}</ref>。<br />
* ハリウッドでの友人でもある[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]のカリフォルニア州知事再選の際には[[ジェフリー・カッツェンバーグ]]や[[ハイム・サバン]]と共に支持した。<br />
* [[レバノン侵攻 (2006年)|2006年のレバノン侵攻]]の間、イスラエルに100万ドルの寄付をしたため、翌2007年に[[アラブ連盟]]がスピルバーグの映画をボイコットすることとなった<ref>[http://www.haaretz.com/news/international/spielberg-movies-banned-by-arab-league-wikileaks-cable-reveals-1.331251?localLinksEnabled=false "Spielberg movies banned by Arab League, WikiLeaks cable reveals."] ''[[ハアレツ|Haaretz]]'', 18 December 2010.</ref><ref>{{Cite news|title = Spielberg donates $US1m to Israeli relief|agency = Associated Press|date = August 10, 2006|accessdate =December 18, 2010|url=http://www.theage.com.au/news/people/spielberg-directs-aid-to-israel/2006/08/10/1154803000553.html|newspaper=The Age|location=Melbourne}}</ref><br />
* 2007年2月20日、スピルバーグ、カッツェンバーグ、[[デヴィッド・ゲフィン]]は[[バラク・オバマ]]の基金パーティに民主党員を招待した<ref>[http://news.yahoo.com/s/ap/20070126/ap_en_ot/celebrities_obama_8 Obama excites entertainment community]{{リンク切れ|date=January 2011}} By JOCELYN NOVECK, AP National Writer</ref>。しかしながら2007年6月14日、スピルバーグは大統領選では[[ヒラリー・クリントン]]を支援した(カッツェンバーグとゲフィンはオバマを支持し続けた)。だが2008年8月、スピルバーグはオバマのためのビデオを監督し、[[バラク・オバマ大統領就任式]]にも出席した。<br />
* 2008年2月、[[ダルフール紛争]]での中国政府の対応に不満を持ったスピルバーグは[[2008年北京オリンピック|同年の北京オリンピック]]の芸術顧問を降板した<ref>{{Cite news|title=Spielberg drops out as Beijing Olympics advisor|year=2008|work=Los Angeles Times|author=Rachel Abramowitz|url=http://www.latimes.com/entertainment/news/movies/la-et-spielberg13feb13,1,7027646.story?ctrack=2&cset=true<br />
|accessdate=2007-02-13}} {{リンク切れ|date=2010年8月|bot=RjwilmsiBot}}</ref>。スピルバーグは「これ以上この仕事を続けるのは私の良心が耐えられない」という声明を発表した。また、「スーダン政府には継続しているこれら犯罪行為の責任があるが、国際社会、特に中国はもっと手を打つべきだ」とも述べた<ref>{{Cite news|title=Spielberg in Darfur snub to China|work=BBC|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7242016.stm<br />
|accessdate=2008-05-16|date=2008-02-13}}</ref>。[[国際オリンピック委員会]](IOC)はスピルバーグの決断を尊重したが、IOC会長の[[ジャック・ロゲ]]はインタビューで「(スピルバーグは)確かに創造性の面で開幕式へ多くものを提供しただろう。」と認めた<ref>{{Cite news|title=Rogge respect for Spielberg move|work=BBC|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/olympics/7247590.stm<br />
|accessdate=2008-05-16|date=2008-02-15}}</ref>。スピルバーグの声明は中国当局と国営メディアから「不公平」であると批判された<ref>{{Cite news|title=China hits back over Olympics row|work=BBC|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7254479.stm<br />
|accessdate=2008-05-16|date=2008-02-20|first=Michael|last=Bristow}}</ref>。<br />
<br />
* 2008年9月、スピルバーグ夫妻は[[同性結婚]]を支持するため、「No on [[:en:California Proposition 8 (2008)|Proposition 8]]」キャンペーン・ファンドへ10万ドルの寄付を行った。これは[[ブラッド・ピット]]と同額である<ref>{{Cite web|url=http://uk.eonline.com/uberblog/b30446_Spielberg_Makes_Like_Pitt__Supports_Same_Sex_Marriage.html |title=Spielberg Makes Like Pitt, Supports Same-Sex Marriage – E! Online |publisher=Uk.eonline.com |date=2008-09-23 |accessdate=2010-03-02}}</ref>。<br />
<br />
=== 趣味 ===<br />
スピルバーグは熱心な映画ファンとして知られており、撮影を行っていない時期には「映画パーティ」を行っている<ref>{{Cite video|title = [[:en:Face to Face (British TV series)|Face to Face]]|publisher = [[BBC Two]] |date = January 31, 1994}}</ref>。<br />
<br />
熱心な[[ゲーマー|コンピュータゲームプレイヤー]]としても知られ、1974年に『[[ジョーズ]]』を撮っていた頃には[[ポン (ゲーム)|ポン]]で遊んでいた。[[Wii]]、[[PlayStation 3]]、[[PlayStation Portable]]、[[Xbox 360]]を所有しており、『[[コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア]]』や『[[メダル・オブ・オナー (ゲームソフト)|メダル・オブ・オナー]]』といった[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|ファーストパーソン・シューティング]]を楽しんでいる。ゲームに{{仮リンク|カットシーン|en|Cutscene}}を使うことに関しては批判的であり、ゲームプレイ中に自然に話の流れを作ることが今後のゲーム開発者の課題だと考えている<ref>{{Cite news|author=Tom Chick|title=A Close Encounter with Steven Spielberg|work=[[Yahoo!]]|date=December 8, 2008|url=http://videogames.yahoo.com/celebrity-byte/steven-spielberg/1271249|accessdate=2008-12-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081211191412/http://videogames.yahoo.com/celebrity-byte/steven-spielberg/1271249|archivedate=2008年12月11日|deadurldate=2017年9月}}</ref>。『[[シェンムー]]』を高く評価したことで知られ、ディレクターである[[鈴木裕]]にサインを求めたことがある。また、2006年5月10日から12日にかけて開催されたE3では、ゲームデザイナーの[[宮本茂]]と『[[Wii Sports]]』のテニス対決をし、この模様は、[[AP通信]]が伝え、全世界に配信された。<br />
<br />
=== 犯罪被害 ===<br />
2001年、スピルバーグは[[陰謀論|陰謀論者]]で元ソーシャル・ワーカーの女から[[ストーカー]]被害を受けた。女は洗脳攻撃を受けていると主張し、スピルバーグと[[ジェニファー・ラブ・ヒューイット]]を非難していた。女はストーキングの罪を認める前に精神病院に[[予防拘禁]]され、その後スピルバーグとヒューイットに近づかないという条件で釈放された<ref>{{Cite news|title = Spielberg wins order banning cult stalker|publisher = [[オーストラリアン|The Australian]]|date = 2002-10-23|page = 12}}</ref><ref name = Mirror>{{Cite news|title = Spielberg Stalker in Mind-Bug Game|publisher = [[:en:Sunday Mirror|Sunday Mirror]]|last = MacKenzie|first = D|page = 16|date = 2002-10-22}}</ref><ref name = Sauer2002>{{Cite news|publisher = [[:en:The San Diego Union-Tribune|The San Diego Union-Tribune]]|last = Sauer|first = M|date = 2002-12-31|accessdate = 2008-10-30|title = Stalking suspect to undergo more psychological tests|url = http://www.signonsandiego.com/news/metro/20021231-9999_1m31stalker.html}}</ref><ref name = DeYoung>{{Cite book|author=De Young, Mary |title=The day care ritual abuse moral panic |publisher=McFarland |location=Jefferson, N.C |year=2004 |isbn=0-7864-1830-3 |accessdate=2008-10-30| pages = http://books.google.com/books?id=_e8ZkJBtz0EC&pg=PA234 234–5}}</ref>。<br />
<br />
[[:en:2002 white supremacist terror plot|2002年の白人至上主義者によるテロ計画]]では攻撃対象の一人にされていた<ref name=conviction>{{Cite web|url=http://www.upi.com/Top_News/2002/07/26/Jury-convicts-white-supremacists/UPI-67151027718854/|title=Jury convicts white supremacists|author=Haskell, Dave|date=2002-07-26|work=[[UPI通信社|United Press International]]|accessdate=2009-06-10}}</ref>。<br />
<br />
また、ジョナサン・ノーマンが1997年6月と7月の2度にわたってパシフィック・パリセーズのスピルバーグの自宅に侵入を試みたとして逮捕された。ノーマンはカリフォルニア州で25年の懲役刑に処された。スピルバーグは裁判で「ノーマンがもし実際に私に遭遇していたら、彼は私をレイプするか殺していただろう」と証言した<ref>{{Cite web|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/114988.stm|title=Spielberg stalker jailed|date=June 17 1998|publisher=BBC Online|accessdate=11 December 2011}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://edition.cnn.com/SHOWBIZ/9802/26/spielberg.stalker/|title=Spielberg recounts fears, anguish over alleged stalker|last=Sylvester|first=Sherri|date=1998-02-26|publisher=[[CNN]]|accessdate=2011-12-11}}</ref>。<br />
<br />
=== 発達障害 ===<br />
2012年10月、[[ディスレクシア]]であることを明かした<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201210030452.html |title=スピルバーグ氏、学習障害を告白「映画で救われた」 |accessdate=2012-10-03}}</ref>。その際の記事によると過去には[[アスペルガー症候群]]との診断も受けたらしい<ref>{{Cite web |url=http://www.cinematoday.jp/page/N0046319/ |title=スピルバーグ、学習障害を告白 診断は5年前…子ども時代は理解がなく、イジメも |accessdate=2013-8-03}}</ref>。<br />
<br />
== フィルモグラフィ ==<br />
メジャースタジオのうち、版権分割以後の[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]](MGM。旧[[ユナイテッド・アーティスツ]]時代を含む)とは全く仕事をしていない。版権分割以前のMGMについても『[[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]]』の1作品のみ。<br />
<br />
=== 監督作品 ===<br />
{| class="wikitable sortable" style="font-size:85%;"<br />
|-<br />
!公開年!!邦題<br />原題!!備考<br />
|-<br />
| rowspan="2"| 1971 || [[刑事コロンボ]]/構想の死角<br />''Columbo: Murder by the Book'' || (テレビ映画)<ref>コロンボ・シリーズでは「愛情の計算」で犯行解明に一役買う天才少年の名前が「スティーヴン・スペルバーグ」になっていたり、「予期せぬシナリオ」(「狂ったシナリオ」とも)では若い頃のスピルバーグそっくりの映画少年が事件にかかわる。</ref><br />
|-<br />
| [[激突!]]<br />''Duel'' || (テレビ映画)<br />
|-<br />
| 1972 || [[恐怖の館 (映画)|恐怖の館]]<br />''Something Evil'' || (テレビ映画)<br />
|-<br />
| 1974 || [[続・激突! カージャック]]<br />''The Sugarland Express'' || <br />
|-<br />
| 1975 || [[ジョーズ]]<br />''Jaws'' || <br />
|-<br />
| 1977 || [[未知との遭遇]]<br />''Close Encounters of the Third Kind'' || <br />
|-<br />
| 1979 || [[1941 (映画)|1941]]<br />''[[:en:1941 (film)|1941]]'' || <br />
|-<br />
| 1981 || [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]<br />''Raiders of the Lost Ark'' || <br />
|-<br />
| 1982 || [[E.T.]]<br />''E.T. the Extra-Terrestrial'' || <br />
|-<br />
| 1983 || [[トワイライトゾーン/超次元の体験]]<br />''Twilight Zone: The Movie'' || (監督4名によるオムニバス作品。スピルバーグは第2話を監督)<br />
|-<br />
| 1984 || [[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]<br />''Indiana Jones and the Temple of Doom'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 1985 || [[世にも不思議なアメージング・ストーリー]]<br />''Amazing Stories'' || <br />
|-<br />
| [[カラーパープル (映画)|カラー・パープル]]<br />''The Color Purple'' || <br />
|-<br />
| 1987 || [[太陽の帝国]]<br />''Empire of the Sun'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 1989 || [[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]]<br />''Indiana Jones and the Last Crusade'' || <br />
|-<br />
| [[オールウェイズ (映画)|オールウェイズ]]<br />''Always'' || <br />
|-<br />
| 1991 || [[フック (映画)|フック]]<br />''Hook'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 1993 || [[ジュラシック・パーク]]<br />''Jurassic Park'' || <br />
|-<br />
| [[シンドラーのリスト]]<br />''Schindler's List'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 1997 || [[ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク]]<br />''The Lost World: Jurassic Park'' || <br />
|-<br />
| [[アミスタッド]]<br />''Amistad'' || <br />
|-<br />
| 1998 || [[プライベート・ライアン]]<br />''Saving Private Ryan'' || <br />
|-<br />
| 2001 || [[A.I.]]<br />''Artificial Intelligence: AI'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 2002 || [[マイノリティ・リポート]]<br />''Minority Report'' || <br />
|-<br />
| [[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]<br />''Catch Me If You Can'' || <br />
|-<br />
| 2004 || [[ターミナル (映画)|ターミナル]]<br />''The Terminal'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 2005 || [[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]<br />''War of the Worlds'' || ([[H・G・ウェルズ]]原作[[宇宙戦争 (H・G・ウェルズ)|宇宙戦争]]の再映画化)<br />
|-<br />
| [[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]<br />''Munich'' || <br />
|-<br />
| 2008 || [[インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国]]<br />''Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 2011 || [[タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密]]<br />''The Adventures of Tintin: Secret of the Unicorn'' || <br />
|-<br />
| [[戦火の馬 (映画)|戦火の馬]]<br />''War Horse'' || <br />
|-<br />
| 2012 || [[リンカーン (映画)|リンカーン]]<br />''Lincoln'' || <br />
|-<br />
| 2015 || [[ブリッジ・オブ・スパイ]]<br />''Bridge of Spies'' || <br />
|-<br />
| 2016 || [[BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント]]<br />''The BFG'' || <br />
|-<br />
| 2017 || [[ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書]]<br />''The Post'' || <br />
|-<br />
| 2018 || [[レディ・プレイヤー1]]<br />''Ready Player One'' || <br />
|-<br />
| 2019 || インディ・ジョーンズ5<br />''Indiana Jones 5'' || <br />
|-<br />
| 未定 || <br />''It's What I Do'' || <br />
|-<br />
| 未定 || <br />''[[:en:Robopocalypse|Robopocalypse]]'' || <ref>Fleming, Mike (2010-10-22). "Steven Spielberg Commits To Next Direct 'Robopocalypse'". Deadline.com. http://www.deadline.com/2010/10/steven-spielberg-commits-to-direct-robopocalypse/. Retrieved 2010-10-22.</ref><br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== 製作作品 ===<br />
{| class="wikitable sortable" style="font-size:85%;"<br />
|-<br />
!公開年!!邦題<br />原題!!備考<br />
|-<br />
| 1982 || [[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]]<br />''Poltergeist'' || <br />
|-<br />
| 1991 || [[アメリカ物語2/ファイベル西へ行く]]<br />''An American Tail: Fievel Goes West'' || <br />
|-<br />
| 2005 || [[SAYURI]]<br />''Memoirs of a Geisha'' || <br />
|-<br />
| rowspan="2"| 2006 || [[父親たちの星条旗]]<br />''Flags of Our Fathers'' || <br />
|-<br />
| [[硫黄島からの手紙]]<br />''Letters from Iwo Jima'' || <br />
|-<br />
| 2011 || [[SUPER8/スーパーエイト]]<br />''Super 8'' || <br />
|-<br />
| 2014 || [[マダム・マロリーと魔法のスパイス]]<br />''The Hundred-Foot Journey'' || <br />
|-<br />
| 2016 || <br />''The Adventures of Tintin: Prisoners of the Sun'' || <br />
|-<br />
| 未定 || シカゴ7裁判<br />''The Trial of the Chicago 7'' || <br />
|-<br />
| 未定 || [[地球最後の日]]<br />''When Worlds Collide'' || <br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== 製作総指揮作品 ===<br />
スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。「製作総指揮」の明確な仕事の内容は決まってはおらず、スピルバーグやジョージ・ルーカスは製作総指揮作品でも制作に参加することがある。例として、『トランスフォーマー』では主演の[[シャイア・ラブーフ]]を始めとして、ほとんどのキャスティングを行い、監督を[[マイケル・ベイ]]に頼んだのも彼自身である。特に、自ら経営するアンブリンやドリームワークスの制作作品は多数プロデュースしている。また、クレジットに名前は載っていないが、『[[ディスタービア (映画)|ディスタービア]]』の監督に[[D・J・カルーソー]]を選んだのもスピルバーグである<ref>『ディスタービア』DVDの特典映像より</ref>。<br />
* [[抱きしめたい (1978年の映画)|抱きしめたい]](''I Wanna Hold Your Hand'', 1978年)<br />
* [[ユーズド・カー]](''Used Cars'', 1980年)<br />
* [[Oh! ベルーシ絶体絶命]](''Continental Divide'', 1981年)<br />
* [[グレムリン (映画)|グレムリン]](''Gremlins'', 1984年)<br />
* [[ヤング・シャーロック ピラミッドの謎]](''Young Sherlock Holmes Pyramid of Fear'', 1985年)<br />
* [[ファンダンゴ (映画)|ファンダンゴ]](''Fandango'', 1985年)<br />
* [[バック・トゥ・ザ・フューチャー]](''Back to the Future'', 1985年)<br />
* [[グーニーズ]](''The Goonies'', 1985年)<br />
* [[世にも不思議なアメージング・ストーリー]](''Amazing Stories'', 1986年)<br />
* [[マネー・ピット]](''The Money Pit'', 1986年)<br />
* [[アメリカ物語]](''An American Tail'', 1986年)<br />
* [[ニューヨーク東8番街の奇跡]](''*Batteries not Included'', 1987年)<br />
* [[ハリーとヘンダスン一家]](''Harry and the Hendersons'', 1987年) - クレジットなし<br />
* [[インナースペース (映画)|インナー・スペース]](''Inner Space'', 1987年)<br />
* [[タイム・リミットは午後3時]](''Three O'Clock High'', 1987年)<br />
* [[ロジャー・ラビット]](''Who Framed Roger Rabbit'', 1988年)<br />
* [[リトルフットの大冒険/謎の恐竜大陸]](''The Land Before Time'', 1988年)<br />
* [[晩秋 (映画)|晩秋]](''Dad'', 1989年)<br />
* [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]](''Back to the Future Part II'', 1989年)<br />
* [[夢 (映画)|夢]](''Dreams'', 1990年)(日本 / アメリカ)<br />
* [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3]](''Back to the Future Part III'', 1990年)<br />
* [[ジョー、満月の島へ行く]](''Joe Versus The Volcano'', 1990年)<br />
* [[グレムリン2 新・種・誕・生]](''Gremlins 2: The New Batch'', 1990年)<br />
* [[アラクノフォビア (映画)|アラクノフォビア]](''Arachnophobia'', 1990年)<br />
* [[ローラー・コースター・ラビット]](''Roller Coaster Rabbit'', 1990年)<br />
* ''A Wish for Wings That Work'' (1991年)<br />
* [[ケープ・フィアー]](''Cape Fear'', 1991年) - クレジットなし<br />
* ''A Brief History of Time'' (1991年)<br />
* [[恐竜大行進]](''WE're BACK! A DINOSAUR's STORY'', 1994年)<br />
* [[バルト (映画)|バルト]](''Balto'', 1995年)<br />
* [[キャスパー (映画)|キャスパー]](''Casper'', 1995年)<br />
* [[ツイスター (映画)|ツイスター]](''Twister'', 1996年)<br />
* [[メン・イン・ブラック (映画)|メン・イン・ブラック]](''Men in Black'', 1997年)<br />
* [[ディープ・インパクト (映画)|ディープ・インパクト]](''Deep Impact'', 1998年)<br />
* [[マスク・オブ・ゾロ]](''The Mask of Zorro'', 1998年)<br />
* [[チキンラン]](''Chicken Run'', 2000年)<br />
* [[ミート・ザ・ペアレンツ]](''Meet The Parents'', 2000年)<br />
* [[バガー・ヴァンスの伝説]](''The Legend of Bagger Vance'', 2000年)<br />
* [[フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス]](''The Flintstones In Viva Rock Vegas'', 2000年)<br />
* [[シュレック]](''Shrek'', 2001年)<br />
* [[ジュラシック・パークIII]](''Jurassic Park III'', 2001年)<br />
* [[メン・イン・ブラック2]](''Men in Black II'', 2002年)<br />
* [[レジェンド・オブ・ゾロ]](''The Legend of Zorro'', 2005年)<br />
* [[モンスター・ハウス (映画)|モンスター・ハウス]](''Monster House'', 2006年)<br />
* [[トランスフォーマー (2007年の映画)|トランスフォーマー]](''Transformers'', 2007年)<br />
* [[イーグル・アイ]](''Eagle Eye'', 2008年)<br />
* [[トランスフォーマー/リベンジ]](''Transformers: Revenge of the Fallen'', 2009年)<br />
* [[ラブリーボーン]](''The Lovely Bones'', 2009年)<br />
* [[ヒア アフター]](''Hereafter'', 2010年)<br />
* [[トゥルー・グリット]](''True Grit'', 2010年)<br />
* [[カウボーイ & エイリアン (映画)|カウボーイ & エイリアン]](''Cowboys & Aliens'', 2011年)<br />
* [[トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン]](''Transformers: Dark of the Moon'', 2011年)<br />
* [[リアル・スティール]](''Real Steel'', 2011年)<br />
* ロック&キー(''Locke & Key'', 2011年)(テレビ映画)<br />
* [[メン・イン・ブラック3]](''Men in Black III'', 2012年)<br />
* [[トランスフォーマー/ロストエイジ]] ''Transformers: Age of Extinction'' (2014年)<br />
* [[ジュラシック・ワールド]]''Jurassic World'' (2015年)<br />
* ''Real Steel 2'' (未定)<br />
<br />
==== テレビシリーズ ====<br />
製作総指揮を担当したテレビシリーズ作品。<br />
* [[世にも不思議なアメージング・ストーリー]]('' Amazing Stories'', 1985 - 1987年)(監督, 脚本も担当したエピソードもある)<br />
* [[タイニー・トゥーンズ]](''Tiny Toon Adventures'', 1990年 - 1992年, 1994年, 1995年)(アニメ)<br />
* [[アメリカ物語 ファイベルの冒険]](''Fievel's American Tails'', 1992年)(アニメ, クレジットなし)<br />
* [[シークエスト]](''SeaQuest DSV'', 1993年 - 1995年)<br />
* [[アニマニアックス]](''Animaniacs'', 1993年 - 1999年)(アニメ)<br />
* [[ピンキー&ブレイン]](''Pinky and the Brain'', 1995年 - 2000年)(アニメ)<br />
* [[ピンキー&ブレイン|Pinky, Elmyra & the Brain]](''Pinky, Elmyra & the Brain'', 1998年 - 1999年)(アニメ)<br />
* ''[[Freakazoid!]]'' (1995 - 1997年)(アニメ)<br />
* [[ハイ・インシデント/警察ファイルJ]] ''High Incident'' (1996 - 1997年)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグのトゥーンシルバニア]](''Toonsylvania'', 1998年)(アニメ)<br />
* [[バンド・オブ・ブラザース]](''Band of Brothers'', 2001年)<br />
* [[TAKEN]](''Taken'', 2002年)<br />
* [[サンドクリークの虐殺#関連作品|Into the West]](''Into the West'', 2005年)<br />
* [[ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ]](''United States of Tara'', 2009 - 2011年)<br />
* [[フォーリング スカイズ]](''Falling Skies'', 2011 - 2015年)<br />
* [[Terra Nova 〜未来創世記]](''Terra Nova'', 2011年)<br />
* [[ザ・パシフィック]](''The Pacific'', 2010年)<br />
* [[SMASH (テレビドラマ)|SMASH]](''Smash'', 2012年)<br />
* [[THE RIVER 呪いの川]] (''The River'', 2012年)<br />
* [[アンダー・ザ・ドーム (テレビドラマ)|アンダー・ザ・ドーム]] (''Under the Dome'', 2013年)<br />
* [[エクスタント]] (''[[:en:Extant (TV series)|Extant]]'', 2014年-)<br />
* レッド・バンド・ソサエティ (''[[:en:Red Band Society|Red Band Society]]'', 2014 - 2015年)<br />
* The Whispers (''[[:en:The Whispers (TV series)|The Whispers]]'', 2015年)<br />
* ''[[HALO (ビデオゲームシリーズ)|World of Halo]]'' (未定)<br />
<br />
=== 脚本作品 ===<br />
スピルバーグは多くの作品を監督・プロデュースしているが、その一方で、脚本を行った作品は非常に少ない。また、『A.I.』は[[スタンリー・キューブリック]]の遺した原案のトリートメントを基に書いたもので、あまり“脚本家”とは肩書きされない。しかし、クレジットされていなくとも脚本の作業に参加することはあるという<ref>『A.I.』DVD特典</ref>。<br />
* [[未知との遭遇]](''Close Encounters of the Third Kind'', 1977年)<br />
* [[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]](''Poltergeist'', 1982年)<br />
* [[A.I.]](''Artificial Intelligence: AI'', 2001年)<br />
<br />
=== カメオ出演 ===<br />
* [[ブルース・ブラザース]] ''The Blues Brothers'' (1980年) - 納税課職員<br />
* [[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]] ''Indiana Jones and the Temple of Doom'' (1984年)<br />
* [[グレムリン (映画)|グレムリン]] ''Gremlins'' (1984年)<br />
* [[バニラ・スカイ]] ''Vanilla Sky'' (2001年)<br />
* [[オースティン・パワーズ ゴールドメンバー]] ''Austin Powers in Goldmember'' (2002年)<br />
* [[ER緊急救命室|ER緊急救命室レトロスペクティブ]](2009年) - インタビュー出演<br />
* [[宇宙人ポール]] ''Paul'' (2011年) - 声の出演<br />
<br />
=== ドキュメンタリーへの出演 ===<br />
* [[スピルバーグ!]] ''Spielberg'' (2017年)<br />
<br />
== 受賞とノミネート ==<br />
{| class="wikitable" style="font-size: 85%"<br />
|- style="background:#b0c4de; text-align:center;"<br />
! 賞 !! 年 !! 部門 !! 作品名 !! 結果<br />
|-<br />
| rowspan="17" | [[アカデミー賞]]<br />
| [[第50回アカデミー賞|1977年]]<br />
| [[アカデミー監督賞|監督賞]]<br />
| 『未知との遭遇』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第54回アカデミー賞|1981年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[第55回アカデミー賞|1982年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『E.T.』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[アカデミー作品賞|作品賞]]<br />
| 『E.T.』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第58回アカデミー賞|1985年]]<br />
| 作品賞<br />
| 『カラーパープル』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第59回アカデミー賞|1986年]]<br />
| [[アービング・G・タルバーグ賞]]<br />
| -<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[第66回アカデミー賞|1993年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『シンドラーのリスト』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| 作品賞<br />
| 『シンドラーのリスト』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[第71回アカデミー賞|1998年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『プライベート・ライアン』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| 作品賞<br />
| 『プライベート・ライアン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[第78回アカデミー賞|2005年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『ミュンヘン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| 作品賞<br />
| 『ミュンヘン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第79回アカデミー賞|2006年]]<br />
| 作品賞<br />
| 『硫黄島からの手紙』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第84回アカデミー賞|2011年]]<br />
| 作品賞<br />
| 『戦火の馬』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[第85回アカデミー賞|2012年]]<br />
| 作品賞<br />
| 『リンカーン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| 監督賞<br />
| 『リンカーン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第88回アカデミー賞|2015年]]<br />
| 作品賞<br />
| 『ブリッジ・オブ・スパイ』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="11" | [[英国アカデミー賞]]<br />
| 1975年<br />
| [[英国アカデミー賞 監督賞|監督賞]]<br />
| 『ジョーズ』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | 1978年<br />
| 監督賞<br />
| 『未知との遭遇』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[英国アカデミー賞 脚本賞|脚本賞]]<br />
| 『未知との遭遇』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | 1982年<br />
| 監督賞<br />
| 『E.T.』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[英国アカデミー賞 作品賞|作品賞]]<br />
| 『E.T.』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| 1985年<br />
| アカデミー友愛賞<br />
| -<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | 1993年<br />
| 監督賞<br />
| 『シンドラーのリスト』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| 作品賞<br />
| 『シンドラーのリスト』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | 1998年<br />
| 監督賞<br />
| 『プライベート・ライアン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| 作品賞<br />
| 『プライベート・ライアン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第65回英国アカデミー賞|2011年]]<br />
| [[英国アカデミー賞 アニメ映画賞|アニメ映画賞]]<br />
| 『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[カンヌ国際映画祭]]<br />
| rowspan="2" | [[第27回カンヌ国際映画祭|1974年]]<br />
| [[パルム・ドール]]<br />
| 『続・激突!/カージャック』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[カンヌ国際映画祭 脚本賞|脚本賞]]<br />
| 『続・激突!/カージャック』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="2" | [[ヴェネツィア国際映画祭]]<br />
| 1993年<br />
| 名誉金獅子賞・特別功労賞<br />
| -<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| 2001年<br />
| Future Film Festival Digital Award<br />
| 『A.I.』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| rowspan="5" | [[放送映画批評家協会賞]]<br />
| 1998年<br />
| [[放送映画批評家協会賞 監督賞|監督賞]]<br />
| 『プライベート・ライアン』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| [[第8回放送映画批評家協会賞|2002年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『マイノリティ・リポート』<br />
| {{won}}<br />
|-<br />
| [[第11回放送映画批評家協会賞|2005年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『ミュンヘン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第17回放送映画批評家協会賞|2011年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『戦火の馬』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
| [[第18回放送映画批評家協会賞|2012年]]<br />
| 監督賞<br />
| 『リンカーン』<br />
| {{nom}}<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
; [[全米映画批評家協会賞]]<br />
: 1982年: 監督賞 / 『[[E.T.]]』<br />
: 1993年: 監督賞 / 『シンドラーのリスト』<br />
<br />
; [[ロサンゼルス映画批評家協会賞]] <br />
: 1982年: 監督賞 / 『E.T.』<br />
<br />
; [[ゴールデングローブ賞]]<br />
: 1983年: [[ゴールデングローブ賞 作品賞 (ドラマ部門)|作品賞]] / 『E.T.』<br />
: 1993年: [[ゴールデングローブ賞 監督賞|監督賞]]・作品賞 / 『シンドラーのリスト』<br />
: 1998年: 監督賞・作品賞 / 『プライベート・ライアン』<br />
: 2007年: セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)<br />
: 2008年: セシル・B・デミル賞<br />
<br />
; [[レジオンドヌール勲章]]<br />
: 2004年: シュヴァリエ<ref>{{Cite web| author=| title=Le Président de la République remet les insignes de chevalier de la Légion d'Honneur à M. Steven| 3=Spielberg| url=http://www.elysee.fr/elysee/elysee.fr/francais_archives/actualites/a_l_elysee/2004/septembre/popup/steven_spielberg_legion_d_honneur-photo_1-5.22276.html| publisher=Palais de l'Elysée| language=フランス語| work=| format=| date=2004-09-05| accessdate=2010-04-18| archiveurl=https://web.archive.org/web/20071206131550/https://www.elysee.fr/elysee/elysee.fr/francais_archives/actualites/a_l_elysee/2004/septembre/popup/steven_spielberg_legion_d_honneur-photo_1-5.22276.html| archivedate=2007年12月6日| deadurldate=2017年9月}}</ref><br />
<br />
; [[ビジュアル・エフェクト・アワード]]<br />
: 2008年: 生涯功労賞<br />
<br />
; [[アニー賞]]<br />
: 2014年:ウィンザー・マッケイ賞<ref>2014年2月3日中日新聞朝刊27面</ref><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|colwidth=30em}}<br />
<br />
== 関連文献 ==<br />
{{参照方法|date=2010年8月|section=1}}<br />
* 猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』[[竹書房]]、1986年5月、ISBN 4884750179<br />
* フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 [[学研ホールディングス|学習研究社]]、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7<br />
** 原著: Frank Sanello, ''Spielberg: the Man, the Movies, the Mythology'', Taylor Publishing Co., Mar 1996, ISBN 0878339116, Sep 2002, ISBN 0878331484<br />
* ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 [[角川書店]]、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1<br />
** 原著: John Baxter, ''Steven Spielberg: The Unauthorized Biography'', HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998 <br />
* 橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、[[現代書館]]、2000年2月、ISBN 4768400884<br />
** 年譜あり<br />
* 筈見有弘著『スピルバーグ』([[講談社現代新書]])、[[講談社]]、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9<br />
** スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202 - 208<br />
* ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、[[シンコー・ミュージック]]、1995年11月、ISBN 4401615271<br />
** 原著: Douglas Brode, ''The films of Steven Spielberg'', Citadel Trade, Jan 1995, ISBN 0806515406, Oct 2000, ISBN 0806519517<br />
* アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540<br />
** 原著: Andrew Yule, ''Steven Spielberg: Father to the Man'',Little Brown and Company, 05 Dec 1996,<br />Andrew Yule, ''Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies'', Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907<br />
*アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『[[グラデュエーションデイ]]~未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007<br />
**スピルバーグのスピーチ収録<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[:Category:スティーヴン・スピルバーグの監督映画]]<br />
* [[アンブリン・エンターテインメント]]<br />
* [[スターライト・スターブライト・チルドレンズファンデーション・ジャパン]]<br />
* {{仮リンク|UFO少年アブドラジャン|en|Abdullajon (film)}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commonscat|Steven Spielberg}}<br />
* {{allcinema name|3617|スティーヴン・スピルバーグ}}<br />
* {{Kinejun name|5557|スティーヴン・スピルバーグ}}<br />
* {{IMDb name|0000229|Steven Spielberg}}<br />
* [http://www.time.com/time/time100/artists/profile/spielberg.html タイム誌が選ぶ20世紀の100人:スティーヴン・スピルバーグ]{{en icon}}<br />
<br />
{{スティーヴン・スピルバーグ監督作品}}<br />
{{アカデミー賞監督賞 1981-2000}}<br />
{{アービング・G・タルバーグ賞}}<br />
{{英国アカデミー賞監督賞}}<br />
{{ゴールデングローブ賞 監督賞}}<br />
{{ロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞}}<br />
{{Normdaten}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:すひるはあく すていいうん}}<br />
[[Category:スティーヴン・スピルバーグ|*1]]<br />
[[Category:アメリカ合衆国の映画監督]]<br />
[[Category:アメリカ合衆国の映画プロデューサー]]<br />
[[Category:SF映画監督]]<br />
[[Category:ドリームワークス]]<br />
[[Category:大英帝国勲章]]<br />
[[Category:アカデミー賞受賞者]]<br />
[[Category:英国アカデミー賞受賞者]]<br />
[[Category:エミー賞受賞者]]<br />
[[Category:ゴールデングローブ賞受賞者]]<br />
[[Category:セザール賞受賞者]]<br />
[[Category:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者]]<br />
[[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]<br />
[[Category:クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー]]<br />
[[Category:東欧ユダヤ系アメリカ人]]<br />
[[Category:ウクライナ系アメリカ人]]<br />
[[Category:アリゾナ州の人物]]<br />
[[Category:シンシナティ出身の人物]]<br />
[[Category:1947年生]]<br />
[[Category:存命人物]]<br />
[[Category:アニー賞受賞者]]</div>
126.242.172.182
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