7人制ラグビー
7人制ラグビー | |
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統括団体 | ワールドラグビー |
通称 |
The Borders Game[1] The Scottish Game/Code[1] The Abbreviated Code[1] The "Short Game" Seven-a-side セブンズ, 7's, 7s, VIIs. |
起源 | 1883年 |
特徴 | |
身体接触 | フルコンタクト |
選手数 | 7人 |
男女混合 | 男女別 |
カテゴリ | チームスポーツ、屋外、ラグビーユニオンの変種 |
用品 | ラグビーボール |
オリンピック | 2016年夏季オリンピックから |
7人制ラグビー(しちにんせいラグビー、英: Rugby sevens)は1チームあたり7人の選手で、より短時間で行われるラグビーユニオン(15人制)の変種である。セブンズ(Sevens)ともいう。セブンズはラグビーユニオンの国際競技団体であるワールドラグビーによって管轄されている。セブンズはスコットランドのメルローズ発祥であり、現在も毎年メルローズセブンズ大会が開催されている。セブンズは全てのレベルで人気があり、一般的に毎年夏にアマチュアならびにクラブの大会が開催されている。セブンズは最もよく普及したラグビー形式の1つであり、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ州、そして特に南太平洋諸国で人気がある[2]。
著名な国際大会としては、ワールドラグビーセブンズシリーズとラグビーワールドカップセブンズがある。セブンズはコモンウェルスゲームズ(1998年大会から)といった一部のスポーツ大会でもプレーされている。コモンウェルスゲームズでは2010年までニュージーランドが金メダルを獲得していたが、2014年大会は南アフリカが金メダルを手にした。
セブンズは現在オリンピックスポーツとして認められ、2016年夏季オリンピックから正式種目として採用された。
Contents
概説
7人制ラグビーはワールドラグビーによって公認され、15人制と(後述する例外を除いて)実質的に同じ規則の下、同じ寸法のフィールド上でプレーされる。したがって、15人で守るところを7人で守らなくてはならないので、15人制に比べフィジカルの強さよりも最後まで走り続けられる持久力とランニングスキルが要求される。
15人制ラグビーユニオンの試合は少なくとも80分で終わるのに対して、通常のセブンズの試合は1分間の休憩を挟んだ前後半各7分で構成される。大会の決勝は2分間の休憩を挟んだ前後半各10分でプレーされることもある(ワールドラグビーセブンズシリーズでは、カップ決勝のみが前後半各10分で行われる。より下のレベルの大会の決勝は全て前後半各7分で行われている[3])。シンビン(反則による一時的退場)は2分間である。セブンズのスコアは一般的に15人制スコアと同程度である。セブンズでは守備の間隔がより広いため、はるかに頻繁に得点が起こる。
より短い試合時間によって、セブンズの大会は一日あるいは週末で終えることが可能である。多くのセブンズの大会はカップ(杯)、プレート、ボウル、シールド(楯)をかけた試合を含み、異なるレベルの多くのチームが手ぶらで大会を後にしないでいいようになっている。例えば香港セブンズでは本戦ドロー16カ国のみがトロフィーをかけて争う。各プールの上位2カ国がカップとプレートをかけたトーナメントに進み、残りの国がボウルとシールドを争う。カップ準々決勝(初戦)の敗者はプレートトーナメントに進み、ボウル準々決勝の敗者はシールドトーナメントに進む。
セブンズは15人制とは観衆の雰囲気が違い、観客がビール片手にとにかくどんちゃん騒ぎで盛り上がるのが一般的になっている。最近は香港セブンズなどIRBセブンズワールドシリーズではコスプレをしながら盛り上がる観客が多く見られる。
香港セブンズはアジアにおけるラグビーの普及において特に重要となっており、セブンズはラグビーの「伝道」の形式として重要となっている。ゆえに、セブンズはおそらく最も幅広くプレーされているラグビーの形式である[4]。
フィールド
セブンズは、ワールドラグビーハンドブックにおいて定義されているように標準のラグビーユニオン競技場でプレーされる。フィールドは長さ100メートル (330 ft)、幅70メートル (230 ft)である[5][6]。各ゴールライン上にH型のゴールポストがある。
チームおよびポジション
チームは3人のフォワードと4人のバックスからなる。スクラムは各チーム3人の選手から構成される。セブンズの速い特性のため、セブンズの選手には一般的に15人制でいうバックロー(FL・NO8)やバックスの選手が多い。
7人制ラグビーのポジション | |||||||||||||||||||||||
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- 青: フォワード
- 1 - プロップ
- 2 - プロップ
- 4 - フッカー
- 赤: バックス
- 3 - スクラムハーフ
- 5 - フライハーフ
- 6 - センター
- 7 - ウインガー/フルバック
交替は15人制と同様であるが、ベンチには5人の交替選手のみが許される。
競技規則の変更点
主に試合を高速化するためと少ない人数に対応するため、セブンズではいくかの規則の変更がなされている[7]。主な変更点は以下の通りである(角括弧内は15人制の場合)。
- フィールド上の各チームの選手が7人[15人]。
- 5人の控え選手[7人]、5回の交替回数[7回]。
- 前後半各7分[各40分]。大会決勝では前後半各10分で行われることもある。
- ハーフタイムは1分あるいは2分[10分]。
- 同点の場合、前後半各5分の延長戦に進む。
- 全てのコンバージョンキックやペナルティキックはドロップキックとなる[プレースキックも可]。
- コンバージョンはトライ後40秒以内に行わなければならない[60秒]。
- スクラムは3人で組む[8人]。
- 得点後は得点したチームのキックオフで開始[得点されたほうのキックオフ]。
- イエローカードは2分間[10分間]の一時退場となり、相手チームに数的優位な状態が与えられる(パワープレイ)。
- 審判はアドバンテージを素早く決定する。
- キックオフ時のミス(ノット10m、ダイレクトタッチなど)は相手フリーキックとなる。
- コンバージョンキックの際、相手はチャージできない。
- 主要な大会では、通常のタッチジャッジ2名に加え、インゴールジャッジが各1名ずつインゴールに立つ。セブンズでは、ボールを持ったプレーヤーが独走状態でゴールに向かう場面などが多く、レフリーが追いつけない場合、死角が生じるためである。
歴史
スコットランドでの始まり
7人制ラグビーの歴史は古く、スコットランドはボーダー地方の町、メルローズとガラシールズの地域メンバーの対立がきっかけで、メルローズの町が独立して新たにラグビークラブを結成したことにはじまる。
1883年に、メルローズの地元のクラブメルローズRFCの資金集めのためにラグビーの大会を開こうと考えたが人数がなかなか集まらず、メルローズの肉屋であったネッド・ヘイグとデビッド・サンダーソンによって少ない人数でラグビーを行うにはと考え出されたのが七人制ラグビーであった。史上初のセブンズの試合はメルローズグラウンド、グリーンヤーズで行われた。2年後の1885年、ガラにおいてタインデールはスコットランド外のクラブで初めてボーダーズのセブンズタイトルの1つを獲得した[8]。
ボーダーズでのセブンズの人気にもかかわらず、1920年代、1930年代まで他の場所では流行しなかった[9]。スコットランド外での初のセブンズ大会は1921年にイングランド北東部ノース・シールズで開催されたパーシー・パーク・セブンズである[8]。ここはスコティッシュ・ボーダーズと近かったため、この地域からの関心を集め、決勝はセルカーク(優勝)とメルローズ(準優勝)との間で争われた[8]。
1926年、イングラドの主要な大会ミドルセックスセブンズがロンドン在住のスコットランド人J.A. Russell-Cargill博士によって設立された[8]。セブンズのイングランドへの普及における重要な出来事の一つがこのミドルセックスセブンズであった。ミドルセックスセブンズの小委員会にはウェーベル・ウェイクフィールドやビル・ラムゼイといった風格のある人物がいた[9]。ミドルセックスセブンズはチャリティーのためのすばらしい資金集めの催しでもあり、1926年にはキング・エドワード7世病院のために1600ポンドを集めた。当時は標準的な入場料は1シリング、スタンド席は5シリングであった[9]。
ミドルセックスセブンズでのセブンズの試合の1927年の記述は、イングランドの人々に対するこの競技の目新しさを示している。
フィールドはとてもオープンであり、もしボールを持って逃げられたとすると、彼を捕まえるのには全速力で走る必要があるが、非常に多くの場合そこにはもういなかったのだ[10]
スコティッシュ・ボーダーズは農村地域であるのに対して、ミドルセックスセブンズは人口数百万人のロンドンの郊外の近くであった。第2回のミドルセックス大会には1万人の観客が詰め掛けた[10]。そして、ボーダーズ・セブンズはスコットランドラグビーの中核地域において選手の技術に磨きをかけていたのに対して、ミドルセックスセブンズはロンドンラグビーと同じように行っていた。ミドルセックスセブンズに出場していた地元の選手には、前述したウェーベル・ウェイクフィールドやブラックヒースFCのカール・アーボルド(後のシティ・オブ・ロンドンの法律顧問官)、ロンドン・ウェルシュRFCのウェイク・パウエル、後にフォー・ホームユニオンツアー委員会の委員長となったジョン・タレントがいた[9]。彼らはセールRFC(1936年)やカーディフRFC(1939年)といった様々な招待チームと親交を持った。セールRFCのバックスにはウェールズ代表のウィルフ・ウーラーやクロード・ダビー、スコットランド代表のケン・ファイフがおり、カーディフRFCには再びウィルフ・ウーラーやレス・スペンス、ウェンディー・デービスがいた[9]。
史上初ての公式に認められた国際大会は、1973年にスコットランドラグビー協会の百周年記念行事の一部としてマレーフィールド・スタジアムで行われた。
国際的発展
7人制の成功により、現在も開催されている香港セブンズが3年後の1976年に始まった。「メルローズ・カップ」を争うラグビーワールドカップセブンズは1993年に開始された。最もよく知られている3つのセブンズの大会は香港セブンズ、ウェリントンセブンズ、ドバイセブンズであり、これらは現在ワールドラグビーセブンズワールドシリーズの一部を構成している。
スコットランドとの結び付きは1970年代における香港セブンズの設立でも継続し、香港セブンズは主に "Tokkie" Smithといった専門家らによって設立された。イングランドでは、ロンドン・スコティッシュRFCが開始時からミドルセックスセブンズに強く関与していた。香港セブンズは時代を先取りしており、ラグビーユニオンの近代化に影響力の大きい力であった。例えば、香港セブンズは大きなスポンサーを引き付けた初めてのラグビーユニオン大会の1つであり、1976年大会ではキャセイパシフィック航空がスポンサーを務めた[11]。また、セブンズは世界主義的な国際競争の意識をラグビー界にもたらした。このような意識は、フランスが少し関わっている以外、1987年にラグビーワールドカップが初めて開催される以前にはラグビー界には存在しない傾向があった[12]。特に香港は「ビッグエイト」の1つと見なされていなかった。そして、英連邦のチームは悪名高く排他的な傾向にあった。1986年までには、香港セブンズは他国に対する良い手本として支持されていた。
この7人制国際大会は疑いなく最も壮観、魅惑的で、世界で最もよく組織されたラグビー大会であり、どこでも見られるセブンズ・ラグビーの最高水準を一貫して生み出してきた。
私が最初に観戦した際にオーストラリア人、ニュージーランド人、 フィジー人、そしてイギリス人選手の上質のプレーを見たことは驚きではなかったが、これまでラグビーがプレーされていることを私が知りもしなかった国々によって産み出される驚くほどに質の高いプレーには圧倒された。韓国および西サモアはあらゆる点で日本およびトンガに劣っていなかった。インドネシア、タイ、シンガポールは純然たる体の大きさや厚さに欠けていることで克服できないハンディキャップを負っていたが、互いに対抗して幅広いランとハンドリングの技術を示し、これらは無条件の称賛に値した。パプアニューギニア、スリランカ、ソロモン諸島はいや応なく主要なラグビー強豪国によって打ち負かされたが、彼らは注目すべきほどに高いレベルの技術を持っており、この競技の将来は前途洋々である。
香港大会の週には、数日間にわたって24カ国の代表が混ざることができ、この大規模な知識の交流は新興国に対して長期的には有益なことづくめである。上位8カ国のシード国がプールシステムで戦った初日の後、2日目は3つの異なるレベルの競技会に分かれる。…この偉大な大会の強みは、開幕日に世界で最も有名な選手達と、ラグビーがマイナースポーツである国から来た相手がピッチを共にする点にある。…香港セブンズのような大会が続いている間は、ラグビーの責任者達は、この競技が世界中の100を超える国々で繁栄し続けることを確信できるだろう。
しかしながら、この見かけの多様性とは裏腹に、国際ラグビーを悩ませてきた同じ古い問題の一部が1980年代の香港セブンズではまだ明白であった。例えば、1984年の大会での香港対バーレーンの試合の写真には、民族的にアラビア人あるいは中国人である選手は誰も含まれいないように見え、代わりにどちらのチームもかなり明確に北ヨーロッパに民族的起源を持っていた[13]。
セブンズはスコティッシュ・ボーダーズにおいて人気を保ち、この地方では最高峰の10のセブンズの大会によって「Kings of the Sevens」と呼ばれるリーグ大会が作られている。セブンズの創造におけるメルローズRFCの役割を称えて、クラブはヘイグと共に2008年にIRB殿堂入りした[14]。
セブンズはフィジー、トンガ、サモアの南洋諸国やアグリカのケニアにも強く根付いている。多くのラグビーがマイナーな国々(例えばポーランドの場合)において、ラグビーを人々に紹介する手段としてラグビーセブンズに焦点を合わせる傾向がある[15]。セブンズは香港、シンガポール、ドバイといった15人制の普及が成功してない場所で盛んになっている。加えて、セブンズワールドシリーズの全てのレグに参加している現在の15の核となるチームのうち7つ(フィジー、サモア、ケニア、アメリカ合衆国、カナダ、ポルトガル)は、15人制では広く認められたトップティアの国には入っていない。
主要大会
セブンズワールドシリーズ(男子)
ニュージーランドがワールドラグビーセブンズシリーズをこれまで支配しており、15シーズンの内12回の優勝を果たしている。しかしながら、近年、複数の国がニュージーランドの支配に対してうまく挑んでいる。セブンズで長年強豪であるフィジーは2005-06に、南アフリカは2008-09に、サモアは2009-10シーズンに優勝した。その他の近年の強豪国は、イングランド、オーストラリア、アルゼンチンである[16]。
ラグビーワールドカップセブンズ
ワールドラグビーの後援を受け4年ごとに開催されるこの大会は、7人制ラグビーユニオンにおける最高の目標であり、これまでフィジー、ニュージーランドが過去6大会でそれぞ2度優勝杯を手にしている。しかしながら、2016年のオリンピックでセブンズが採用されるため、現在オリンピックが最も注目を浴びるセブンズの大会として見られている。2018年には、ワールドカップセブンズは夏季オリンピックの中間年に開催される予定である。
夏季オリンピック
IOCは、2016年のリオデジャネイロオリンピックのプログラムに7人制ラグビーとゴルフを含めることを2009年に決定した[17]。2016年に先立って、2014年夏季ユースオリンピックにおいて7人制ラグビー競技が開催された。
地域大会
セブンズは4年毎に開催されるコモンウェルスゲームズにおいて1998年のクアラルンプール大会から行われている。セブンズは現在コモンウェルスゲームズ連盟によって核となる競技と見なされている。これまで、ニュージーランドが5度金メダルを獲得している。女子競技は開催されていない。
セブンズはアジア競技大会、パンアメリカン競技大会、パシフィックゲームズを含む様々な多種スポーツ大会で行われている。ラグビーユニオンは以前はワールドゲームズで行われていたが、オリンピック競技に採用されたことにより終了した。
セブンズグランプリシリーズ
2002年から2010年まではヨーロピアンセブンズチャンピオンシップ、2011年からはセブンズグランプリシリーズの名称で開催されている。2011年まではポルトガルが8回、ロシアが2回優勝を果たした。2012年以降は、イングランドならびにフランスがそれぞれ2連覇を果たした。
日本国内の大会
- ジャパンセブンズ選手権大会
- 全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会
- 全国高等学校選抜女子セブンズラグビーフットボール大会
- 大学女子7人制ラグビーフットボール交流大会
- YC&AC JAPAN SEVENS
- 国民体育大会ラグビーフットボール競技(2013年大会より成年男子の部が7人制になる。2016年大会から女子7人制も追加。)
- 東日本大学セブンズ
- サニックス・ワールド・ラグビー・ユース交流大会(女子7人制)
過去に行われた日本国内の大会
- Chichibunomiya Rugby Stadium3.jpg
なの花薬局ジャパンセブンズ2017(2017年7月2日撮影)
- Chichibunomiya Rugby Stadium4.jpg
なの花薬局ジャパンセブンズ2017(2017年7月2日撮影)
- Chichibunomiya Rugby Stadium5.jpg
なの花薬局ジャパンセブンズ2017(2017年7月2日撮影)
女子7人制ラグビー
女子7人制ラグビーではニュージーランド代表が支配的であり、2012年に創設されたワールドラグビー女子セブンズシリーズでは2015年現在3連覇を果たしている。
国際ラグビー評議会(IRB、現ワールドラグビー)は、ワールドカップ以外で初の公式女子セブンズ大会を2011年ドバイセブンズの一部として組織した。2012年からはワールドラグビー女子セブンズシリーズが始まった。
女子7人制ラグビーは2016年の夏季オリンピックから採用されている。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 Bath, The Complete Book of Rugby, p29
- ↑ The Spread of the Sevens, Melrose Sevens official site, retrieved 25 February 2010
- ↑ “2006–07 IRB Sevens World Series Media Guide (PDF)”. International Rugby Board. . 10 February 2007閲覧.
- ↑ Bath (1997), p29
- ↑ “Intro EN (PDF)”. . 2010閲覧.
- ↑ “Intro EN (PDF)”. . 2010閲覧.
- ↑ “Seven-a-side Variations: Standard Set of Variations Appropriate to the Seven-a-side Game (PDF)”. International Rugby Board. 2007年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 10 February 2007閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 Bath, Scotland Rugby Miscellany, p82
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 Starmer-Smith, p60
- ↑ 10.0 10.1 Grave, Charles. "Grave is Gay: At the Seven-a-Side Rugby Matches" in Illustrated Sport and Dramatic News, 1927
- ↑ Starmer-Smith, p144
- ↑ 12.0 12.1 Starmer-Smith, p142
- ↑ Starmer-Smith, p146
- ↑ “IRB Hall of Fame Welcomes Five Inductees” (プレスリリース), International Rugby Board, (2008年11月23日) . 8 October 2015閲覧.
- ↑ [1] retrieved, 7 November 2009
- ↑ “Dates set for 2010/11 IRB Sevens World Series” (プレスリリース), International Rugby Board, (2010年6月1日) . 2 June 2010閲覧.
- ↑ [2]
参考文献
- Bath, Richard (ed.) The Complete Book of Rugby (Seven Oaks Ltd, 1997 ISBN 1-86200-013-1)
- Bath, Richard (ed.) The Scotland Rugby Miscellany (Vision Sports Publishing Ltd, 2007 ISBN 1-905326-24-6)
- Jones, J.R. Encyclopedia of Rugby Union Football (Robert Hale, London, 1976 ISBN 0-7091-5394-5)
- McLaren, Bill Talking of Rugby (1991, Stanley Paul, London ISBN 0-09-173875-X)
- Massie, Allan A Portrait of Scottish Rugby (Polygon, Edinburgh; ISBN 0-904919-84-6)
- Richards, Huw (2007). A Game for Hooligans: The History of Rugby Union. Edinburgh: Mainstream Publishing. ISBN 978-1-84596-255-5.
- Starmer-Smith, Nigel (ed) Rugby – A Way of Life, An Illustrated History of Rugby (Lennard Books, 1986 ISBN 0-7126-2662-X)
- Stubbs, Ray (2009). The Sports Book. Dorling Kindersley. ISBN 978-1-4053-3697-0.