20180809ラス・カサスについて(S.Kamijo)

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1.はじめに

 コロンブス(1451-1506)スペイン女王イザベル(1451-1504)の支援を受け1492年南米バハマに到着した。そして、ポルトガルスペイン、そしてオランダインド洋大西洋そして新大陸に進出し、地球規模の商取引が始まる、大航海時代となった。 それは、地球規模で商取引が広がり、豊かな「中核」と貧しい「周辺」の対立構造が生み出せれ、現代にまで維持される「世界システム」の始まりでもあった。この場合は征服者(コンキスタドール)であるスペイン人とインディオとは対立し、インディオたちは殺害され奴隷となった。この過程において、キリスト教はその蛮行に加担した。それは、エンコミエンダ制(1503年頃採用)というものであり、スペイン国王は征服者に征服地の先住民をキリスト教徒にすることにより労働力として使役することを許可するというものであった。しかし、その労働力としての使役は苛烈で、インディオの人口は激減した。  この状況下において、スペイン、ドミニコ会修道士ラス・カサス(1474-1566)は『インディアスの破壊についての簡潔な報告』をスペイン国王カルロス1世(1500-1558)に書き、エンコミエンダ制とインディオの酷使を弾劾し、インディオの奴隷化防止に尽力した。

 このレポートにおいては、ラス・カサスを追いながら彼の神学と当時の神学と違いを焦点にすえながら論評する。 [全国歴史教育研究協議会, 2004, ページ: 154-157](参照)

2.エンコミエンダ制を肯定した神学

 ラス・カサスは、原住民をキリスト教に導くためには軍隊の力に頼らず、戦争は起こさず、聖書に示されている教義を伝道し、浸透させることだけを平和的に行なわなければならないと、スペイン王室に対し訴えた。 しかし、その主張は主流ではなかった。当時スペインの主流となっていたのは、フアン・ヒネス・デ・セプルベダ(1489-1573)を中心とする主張であった。その主張は先天的奴隷人説であった。人類には主人としてこの世に君臨する部族と奴隷として生まれた部族があり、主人は肉体労働をすることなく徳高い生活を送り、奴隷は労働でもって主人に仕えるというものであった。先住民は奴隷人であり、野蛮で獣的な存在であるから、先住民がキリスト教を学び自発的にキリスト教徒となることは期待できない。よって、先住民をキリスト教徒に改宗させるのがローマ教皇からスペイン人に託された義務であり、その合理的遂行は先住民に戦争を仕掛けることであると主張した。具体的には、

  • (1)インディオは野蛮な風習に染まっている自然奴隷であり、彼らがより人道的で徳の高いスペイン人に服従するのは彼ら自身にとっても有益である。服従を通じて彼らはより高い徳や分別のある行動をとるようになる。もし彼らが服従を拒否するなら、彼らに戦争を仕掛けるのは自然法 (理性と正義)にもとづき正当である。
  • (2)インディオが犯してきた罪、とりわけ偶像崇拝と人身犠牲は神および自然法に反する重罪である。したがってそのような行為にふけるインディオに戦争を仕掛け、生命や財産を奪うことに なっても正当である。
  • (3) 先住民の中で人身御供に捧げられた弱者や無実の者を救うための戦争は正当であるばかりか、その戦争を遂行することはキリスト教徒の義務である。
  • (4)破滅に向かう異教徒のインディオを、たとえその意思に反してでもキリスト教に改宗させるのは自然法および神の法に一致し、布教はキリスト教徒の義務である。これはインディオをあらかじめ武力によって屈服させることによってより速やかに達成される。

[河野和男, 2009, ページ: 31-32](引用)

と言う内容であった。現代の倫理観では肯定できない内容であるが、これは当時キリスト教が中心である社会であり、霊性や教養に階層があることが教会によって肯定されていた。よって、ラス・カサスのような主張は14世紀から16世紀ルネッサンスの人間中心主義的思想の影響があったかのようなこの当時としては革新的ではあっただろうが、スペインでは少数派であった。

3. 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』においてラス・カサスが主張したこと

ラス・カサスはスペイン国王に提出した『インディアスの破壊についての簡潔な報告』において先住民の生活と信仰を高く評価いる。

神はすべての中で、このインディアス一帯に住む無数の人びとをことごとく、この上なく素朴で、悪意や二心をもたない民として、また、きわめて恭順で、もともと 開できた土着の首長にも、また今現在仕えているキリスト教徒にもじつに忠実な民として創造された。彼らは世界中のどの民族よりも謙虚で辛抱強く、また、温厚でおとなしく、醜いや騒動を好まない。また、彼らは口論したり不満を抱いたりすることもなければ、人に怨みや憎しみ、それに復讐する気持ちを抱くこともない。

インディアスの人びとは地上のどの民族より、明晰かつ何ものにも囚われない鋭い判 断力を具え、あらゆる汚れた教えを理解し、守ることができる。彼らはわが聖なるカトリックの信仰を受け入れ、徳高い習慣を身につけるのに十分な能力をもちあわせている。 すなわち、彼らは、神がこの世に創造されたあらゆる人間の中で、信仰へ導くのに障害 となるものがとりわけ数少ない人たちである。 [ラス・カサス, 2013, ページ: 28-29](引用)

 キリスト教中心主義的な思想は見られるが、この当時、人間として扱われていなかった先住民を冷静に分析したことは、大きな驚きである。さらに、同胞である征服者の信仰と支配に対しては激しく非難している。そして、その本質は経済的な欲望であることも指摘している。

キリスト教徒があれだけ大勢の人びとを殺め、無数の魂を破滅させるに至った原因は ただひとつ、彼らが金を手に入れることを最終目的と考え、できる限り短時日で財を築き、身分不相応な高い地位に就こうとしたことにある。すなわち、キリスト教徒が世界 に類をみないほど飽くなき欲望と野心を抱いていたことにある。 [ラス・カサス, 2013, ページ: 33]

この働きかけにより、インディアス新法(1543)が制定され、先住民の奴隷化の禁止、エンコミエンダ制の廃止が実現した。しかし、植民地の入植者は反発し、現地では反乱が勃発し、収拾がつかなくなり、先住民に施行される場合はエンコミエンダ制廃止の条項は除外すると決定され、新法は形骸化してしまった。さらに、現地の入植者の経済活動は先住民の強制労働なしには成り立たなくなっているという現実もあり、ラス・カサスの運動は失敗に終わった。理想は経済的な欲望という現実に後退を余儀なくされた。 結局、人権意識の向上には更に時代が経る必要があった。そして先住民の子孫はそのまま、旧支配者層は大地主となり、所得格差は存在し続け社会に影を落としている、真の南米における開放はまだ完全にはなされていない。

4.おわりに

 他文化の人を理解すること、人種や宗教にかかわらず、その行いや行動、信仰のみによって人を尊重することは、現代においても必要とされる理念である。 しかし、その実行は簡単ではない。私たちにも差別意識はある。宗教的なところでいうと私はペンテコステ派の礼拝形式に苦手意識を持っている。その人のあり方を見ずに。まして、宗教的権威からの肯定、政治的権威からの肯定、経済的欲望の肯定、武力格差による肯定、このような、優越状況にあるヨーロッパ人が先住民たちを人として向き合うのは困難だったかもしれない。そのような時代に、入植者や同胞からの敵意にさらされながら、本来のキリスト教はそうではないという信仰と良心に従って行動を続けたラス・カサスは、現代の開放の神学や経済的植民地支配の中において困難な状況にある人に対して、指針となる行動であるかもしれない。そして、彼を支えたものとは何であったかを知ることは巨大な社会悪と対峙するときの参考となるだろう。

5.参考文献

ラス・カサス. (2013). インディアスの破壊についての簡潔な報告. (秀藤染田, 訳) 岩波書店.
河野和男. (2009). キリスト教・組織宗教批判500年の系譜. 明石書店.
全国歴史教育研究協議会. (2004). 世界史B用語集. 山川出版社.