駅使

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駅使(えきし)とは、古代に駅馬に乗用することが許された公的な使者。公務による出張で駅馬の利用を許された官人もこれに準じる扱いを受けた。

概要

駅使は駅鈴を携行し、駅家でこれを提示することで駅馬の提供を受けることができた。原則として急使は1日に10駅以上、通常は8駅以上の行程を進む必要があった。また、通常は3駅ごと、区間が長い地域では毎駅で食料・宿泊の供給を受けることができた。ただし、食料支給額は決して多くは無く、駅使は1日あたり稲3-4把と酒8合-1升、その従者には1日あたり稲3把の支給と定められていた。もっとも、駅家自体は現地の国司が監督していたため、国内を通過する駅使に対して何らかの便宜が図られていたとみられている。

駅使として認められていた者として、神祇官奉幣使宮内省御贄使、在京官司のうち太政官の許可を得て発する臨時の使者、所定の遠国から派遣される朝集使公式令[1])、及び緊急時[2]に出される飛駅使馳駅使が該当した。後に正税帳使大帳使にも認められた。中央からの駅使が駅鈴の支給を受ける際には天皇から賜る手続が取られるため、規定は厳格であった。賜る駅鈴は使者の位階によってその剋数(刻み目の数)が異なり、その数と同数の馬が支給された[3]。多くの場合は駅使は騎乗に慣れた中下級の官人で、1もしくは数名の従者を連れて目的地に向かったものと考えられている。

脚注

  1. 越後国上野国相模国(・武蔵国)より東側、出雲国安芸国より西側及び土佐国南海道では同国のみ)の国々が該当し、これらの国々よりも畿内に近いは民間の馬を調達することが定められていた。
  2. 謀叛・災害・疫病・数箇国規模の大規模な盗賊発生・死罪が確定した罪人が冤罪である可能性が浮上した時、国司の急逝などによる欠員発生といった事態を指す。
  3. 親王と一位は10剋(すなわち10頭分)、二位と三位は8剋、四位は6剋、五位は5剋、六位と七位と八位は3剋、初位以下は2剋の駅鈴が与えられていた。

参考文献

  • 田名網宏「駅使」(『国史大辞典 2』(吉川弘文館、1980年) ISBN 978-4-642-00502-9)
  • 加藤友康「駅使」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)
  • 南部昇「駅使」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23001-6)