霞が関ビルディング
霞が関ビルディング | |
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情報 | |
用途 | 事務所、店舗 |
設計者 | 三井不動産、山下設計 |
施工 | 鹿島・三井建設共同企業体 |
建築主 | 三井不動産、霞会館 |
構造形式 | 鉄骨造(一部SRC造、RC造) |
敷地面積 | 11,578.43 m² |
延床面積 | 153,959.23 m² (容積率1330%) |
階数 | 地上36階、塔屋3階、地下3階 |
高さ | 147m |
エレベーター数 | 36基[1] |
着工 | 1965年3月18日 |
竣工 | 1968年4月12日[2] |
所在地 |
〒160-6090 東京都千代田区霞が関三丁目2番5号 |
座標 | 東経139度44分50秒北緯35.67139度 東経139.74722度 |
霞が関ビルディング(かすみがせきビルディング、略称:霞が関ビル)は、東京都千代田区霞が関三丁目にある地上36階、地下3階、地上高147mの超高層ビル(オフィス・商業複合施設)。所有者は三井不動産。
概要
一般に日本最初の超高層ビルとして知られている[3]。設計は山下寿郎設計事務所、施工は三井建設と鹿島建設による共同企業体(JV)、事業主体は三井不動産である。
建設工事費は約163億円(2018年時点の物価に換算すると約554億円)。敷地内の緑地、当時36階に設けられた展望台、郵便局(霞が関ビル内郵便局)や診療所といったテナント企業従業員以外も利用する施設を設けて、「街」としての機能を取り込んだ複合高層ビルの先駆けとされる。夜間にビル照明を制御して壁にメッセージを描くウィンドアートを日本で初めて披露したのも霞が関ビルである(1972年、アポロ計画の有人月面着陸祝賀)。
空調・給水や情報通信といったインフラストラクチャーの更新や、後述する周辺再開発などのため、2010年代にかけて、約470億円を投じて3度の大規模改修(1994年と2000年、2009年)を実施。東日本大震災後の2014年には防災対応能力を強化した[4]。
沿革
東京倶楽部が経営していた旧・東京倶楽部ビル跡と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建設され、1965年(昭和40年)3月18日に起工、1967年(昭和42年)4月18日に上棟し、1968年(昭和43年)4月12日にオープンした。耐震設計として鋼材を組み上げた柔構造を採用している。
当時の建築基準法により、31mという高さ制限(いわゆる百尺規制)があったため、当初は9階建てのビルの計画であったが、都市計画法改正(1961年)により導入された特定街区制度を利用して、超高層ビルへ計画変更された経緯がある。日本においてはじめての高層ビルの建設のため苦労も多く、そのエピソードはNHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』[5]でも取り上げられた。竣工当時、13階は縁起の悪い数字のため、テナントではなくビル内の空調機器をまとめて配置する機械室として用いられた。非常階段は中央共用部に設置され、火災時の煙が溜まらない構造となっていたが、停電時に自分の位置が分からなくなる可能性があり、また煙の滞留性にも不安が残ったため、後年の京王プラザホテルや新宿三井ビルディングでは非常階段の一部を外部に剥き出しにする構造が採られている[6]。開業当初より最上階36階には展望台「パノラマ36」があり賑わいをみせていたが、1989年にオフィスへ改装された。現在は、35階に東海大学校友会館が入居して、レストラン、宴会場、会議場を運営しており(卒業生などに限らず、一般も利用可能)、このフロアが一般客が利用できる最上階となっている[7]。
ビルの総容積は約50万立方メートル(総重量約10万トン)あり、東京ドームが竣工する前は莫大な体積を表現する際に「霞が関ビル何杯分」という表現がよく使われていた[8]。かつてはGoogleで「東京ドームを霞ヶ関ビルで」と検索すると、「1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル」と換算が表示される機能が実装されていたが[9]、2018年時点この機能は削除されている。
2003年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。
竣工から40年以上が経過したため、継続的にIT化など設備のリニューアルをしたり、テナントを入れ替えたりしてビルの資産価値を減らさない努力を行っている。特に、2001年からの霞が関三丁目エリアの再開発(「霞が関コモンゲート」)にともなって、隣接する霞が関ビルでも低層部の増築や改装などが行われ、ビル単体に止まらず地域全体の付加価値の向上が図られている。この再開発計画によって建設された、霞が関コモンゲート西館(175.78m)及び東館(156.67m)は、霞が関ビルの高さを上回っている。
主な入居企業など
- 霞会館
- 東海大学校友会館
- 新日本有限責任監査法人霞が関オフィス
- みらいコンサルティング
- 伊藤忠テクノソリューションズ霞が関オフィス
- LIXILグループ本社
- LIXIL本社
- アジア開発銀行駐日代表事務所・アジア開発銀行研究所
その他
- ビル名や所在地名は「霞が関」であるが、最寄り駅としては地下鉄の虎ノ門駅が霞ケ関駅より近い[10]。
- ビル内のテナント勤務者参加型の情報誌『リエゾン』を発行している。
- ビル専用の郵便番号「100-60xx」が設定されている(末尾2桁は階数を示す、地階および階数不明の場合は100-6090)。
ギャラリー
- Kasumigaseki Building-1.jpg
エントランスロビー(2010年6月20日撮影)
- Kasumigaseki Building-2.jpg
北側の皇居、国会議事堂等を見る(2010年6月20日撮影)
- Kasumigaseki Building-3.jpg
北西側の首相官邸、衆議院議員会館等を見る(2010年6月20日撮影)
- Kasumigaseki Building-5.jpg
西側在日米国大使館などを見る(2010年6月20日撮影)
- Kasumigaseki Building-4.jpg
南側の東京タワー等を見る(2010年6月20日撮影)
脚注
- ↑ エレベータ・エスカレータ(建物ご利用案内) - 霞が関ビル(三井不動産、2013年3月1日閲覧)
- ↑ “霞が関ビル点灯”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年4月19日)
- ↑ 超高層建築物には種々の定義があり、ホテルニューオータニ(1962年竣工、17階、73m)やホテルエンパイア(1965年竣工、21階、68m(尖塔高93m)を日本最初の超高層ビルとする説もある。
- ↑ 霞が関ビル 進化続け50年/緑地整備・複合化…再開発スタイル確立『産経新聞』朝刊2018年4月12日(経済面)2018年4月28日閲覧。
- ↑ プロジェクトX 挑戦者たち 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い〜地震列島 日本の革命技術〜 2001年5月15日放送 - NHKアーカイブス
- ↑ 池田武邦「聞き書きシリーズ 超高層から茅葺きへ 第54回」2009年7月7日付『西日本新聞』朝刊6面
- ↑ 東海大学校友会館
- ↑ 「霞が関ビル」竣工50年、色あせぬ存在感 日本初の超高層ビル、今も“進化中”
- ↑ “Google、電卓機能を強化、「東京ドームを霞ヶ関ビルで」検索可能に”. SEMリサーチ. . 2018閲覧.
- ↑ 霞が関ビル・アクセス(2018年4月28日閲覧)。
関連項目
- 霞が関地区の超高層ビル
- 映画『超高層のあけぼの』 - 霞が関ビル建設を描く。1969年公開。
- 映画『超高層のあけぼの』 - 霞ヶ関超高層ビル・第1部。1966年公開、制作:日本技術映画社
- 映画『霞が関147M』 - 霞が関超高層ビル・第2部。1968年公開、制作:日本技術映画社
- 映画『怪獣総進撃』 - 劇中で破壊される描写がある。
- 武藤清(建築家、当時鹿島建設副社長)
- 江戸英雄(当時三井不動産会長)
- 特定街区
- 全日本空輸(ANA) - かつて同ビルに本社を設けていた。
- 昭和シェル石油 - かつて同ビルに本社を設けていた。
- エフエム東京 - かつて同ビルに本社を設けていた。
- 丸の内ビルディング - 通称丸ビル。霞が関ビル完成以前の日本を代表する高層ビルで、やはり「丸ビル○杯」という表現に用いられた。
外部リンク
- 霞が関ビルディング(公式サイト)