躁病

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躁病(そうびょう、Mania)は、気分が異常に高揚し、夜も眠らずに、支離滅裂な言動を発したり、危険を顧みなくなるような状態になる期間(病相)。19世紀の診断分類の登場時から躁うつ病の、あるいは現行では双極I型障害の、躁病の期間である。以上では、躁病とうつ病が循環すると考えらるが、循環しない単極性躁病の概念も存在する。躁病の用語は双極I型障害の場合に用い、より軽い双極II型障害では軽躁病を用いる。

躁病 Mania については、紀元前にヒポクラテスが人々の気分について悲しみの性質のあるメランコリー melancholia と共に言及しており、ローマの医師Caelius Aurelianus(英語)によれば7つの語源があるとし、プラトンは身体、神あるいは閃きから生じる精神的緊張を伴うものとした[1]。その後カッパドギアのアレタイオースEnglish版(1世紀)が、この2つの状態が対応したものだとした[1]

19世紀まで、躁 Mania と うつ melancholia はまったく異なる障害だとみなされたが、1851年にジャン=ピエール・ファルレEnglish版がこの2つの間を循環するという初の概念を提示し、19世紀末までには広く認識されていった[1]。 ファルレと、初期の精神病の分類を行ったカール・カールバウムEnglish版から、着想を得てエミール・クレペリンは分類体系を手掛け、躁と鬱を一体化し、また精神病状態を、早発性痴呆と躁鬱狂気 manic-depressive insanity に組み入れ、現在の双極性障害よりも広い概念といえる[1]。当時の、躁病の用語では幻覚なども含まれ現代的な意味とは必ずしも一致するものではない[2]

クレペリンの偉業は国際的に評価され『精神病学』(1899年)が著され、日本では呉秀三の門下生である石田昇らが、1906年クレペリンに基づく精神病学を紹介し、1908年には三宅鑛一らが『精神病診断及治療学』を著し、躁鬱狂を紹介した[3]。呉は「狂」の字を除き躁鬱病とした[4]

これはDSM-IIでは、まだ躁鬱病 manic-depressive illness であったが、1980年の『精神障害の診断と統計マニュアル』第3版(DSM-III)の登場によって、双極性障害 Bipolar Disorder となった。単極性躁病の概念は残されている[5]。双極性障害においては、躁病エピソードは双極I型障害における名称となる。双極II型障害では軽躁病エピソードのみとなる。

バルプロ酸ナトリウムのように、医薬品の添付文書では躁病の言葉が使われている場合がある。

躁病の状態では、気分が高揚しエネルギーに満ち、素晴らしいもので、言葉は絶えず出てくる、睡眠や食事も必要ないように思え、衝動的な無茶をやらかす[6]。怪我、経済的リスクなどを顧みれなくなっている場合、安全の確保のために入院も必要となる[6]。大半の双極I型障害では、躁病エピソードに続くうつ病エピソードが待っている[6]。35歳以上での躁病エピソードの発症はまれで、抗うつ薬、身体疾患、薬物の影響が考えられる[6]

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 Historical 2016.
  2. 川村恵子「躁病における自殺企画(その1)」、『東京女子医科大学雑誌』第58巻第11号、1988年11月25日、 1079-1091頁、 NAID 120002358958
  3. 高橋智「戦前の精神病学における「精神薄弱」概念の理論史研究」、『特殊教育学研究』第35巻第1号、1997年、 33-43頁、 doi:10.6033/tokkyou.35.33_1NAID 110006785181
  4. 小泉博明「斎藤茂吉と呉秀三--巣鴨病院の時代」 (pdf) 、『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』第9号、2009年2月、 93-104頁、 NAID 40016577395
  5. 津田均「双極スペクトラムの精神病理, 治療関係, 鑑別診断」、『精神神經學雜誌』第113巻第12号、2011年12月25日、 1209-1217頁、 NAID 10030969129
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 アレン・フランセス 2014, pp. 65-68.

参考文献

関連項目