赤松一朗

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赤松 一朗(あかまつ いちろう、1955年10月17日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

丸岡高校では、1973年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが三国高に敗退。地元の福井工業大学へ進学し、北陸大学野球リーグで活躍。大学卒業後は電電北陸へ入社。エースとして1979年都市対抗に13年ぶりに出場。1回戦は新日鐵堺を延長10回の末降すが、2回戦では日本楽器の武居邦生に逆転打を喫し敗退[1]

1979年ドラフト会議阪神タイガースから2位指名され入団。1983年に一軍初登板を果たすが、故障もあって同年に現役を引退した。

1997年、社会人野球の全播磨硬式野球団監督に就任[2]。その後、2006年より部長となる。

詳細情報

年度別投手成績

1983 阪神 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1 1 0 1 0 0 1 1 0 2 2 18.00 2.00
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1 1 0 1 0 0 1 1 0 2 2 18.00 2.00

背番号

  • 15 (1980年 - 1982年途中) ※南海から阪神に復帰した上田次朗に背番号を譲り49に変更
  • 49 (1982年途中 - 1983年)

脚注

  1. 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、7ページ

関連項目

外部リンク

テンプレート:阪神タイガース1979年ドラフト指名選手