謀大逆

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謀大逆(むたいぎゃく、ぼうたいぎゃく、むだいぎゃく、ぼうだいぎゃく)は、中国と日本の律令制では、君主の宮殿・墳墓等の破壊を企む犯罪をいう。平安時代以降の日本で大逆は謀反(君主に対する殺傷)の意味で用いられることが多く、近代日本の大逆罪はもっぱら君主に対する殺傷になったが、本項目では律令制の大逆と謀大逆について説明する。

謀大逆の意味

謀大逆は、中国の律で十悪の第二、日本でも八虐の第二にあたる重大犯罪である。律の用語で謀は計画だけで実行に着手していない予備罪にあたり、準備段階が謀大逆、実行に踏み切ると大逆となる。律は十悪・八虐に列挙する際には謀大逆で代表させる[1]

養老律で謀大逆は、山陵および宮闕を毀とうとすることとある。唐では皇室の先祖をまつる宗廟の破壊も謀大逆となるが、日本の皇室は宗廟を置かないので、含めない[1]。山陵の木や草を盗むのは大逆ではなく、木が杖100、草が杖70にあたる別の罪である[2]

量刑

日本律でも唐律でも、大逆は、謀大逆はで、方法が異なるがどちらも死刑である[3]。大逆にだけ親族に刑が及ぶ縁座があり、謀大逆にはない。

日本律での縁座は、父と子(息子)が没官となり、祖父と兄弟は遠流になった。没官になった父子は、政府所有の賤民である官戸または官奴婢に落とされた[4]。ただし、80以上の高齢者と、篤疾(重度の障害者)は縁座を免除された。本人の家人・資材・田宅は没官となった[5]

唐律は日本より縁座が厳しい。父と16歳以上の子が絞になり、母・女(娘)・妻妾・子の妻妾・祖孫、兄弟姉妹が没官である。男の80歳以上、女の60歳以上の高齢者、男の篤疾、女の廃疾(篤疾より軽い障害者)が没官を免除された。伯叔父、兄弟の子は流三千里になった。部曲、資財、田宅は没官である[6]

日本でも唐でも、本人と同居しない縁座者の資材・田宅は没収されず、高齢・篤疾などの縁座免除者が同居していれば、没収時に遺産分割に準じて留保分を確保した[7]

日本における適用

日本では律の制定後しばらくして謀反、大逆、謀叛が重大政治犯として混同され、区別がつかなくなった。他戸親王を皇太子から外して庶人にした宝亀3年(772年)5月27日の詔は、他戸の母で天皇を呪詛した井上内親王の行為を、「魘魅大逆」「謀反大逆」と呼んでおり、大逆には重大犯罪という程度の意味しかないようである[8]

大逆が処断された日本史上最大の事件は、貞観8年閏3月10日(866年4月28日)の応天門炎上に端を発した応天門の変である[9]。犯人とされた伴善男ら5人の刑を、明法博士らは大逆の罪で斬にあたると述べたが、清和天皇が詔によって死一等を降し、9月22日に遠流にした[10]

元慶4年(880年)10月26日に、安倍吉岡佐渡に流すことが決まった。吉岡は大逆を誣告して斬刑になるはずが、詔によって死一等を減じ遠流になった[11]

脚注

  1. 1.0 1.1 『養老律』名例律第一の1、八逆条。日本思想大系『律令』16頁。
  2. 『養老律』賊盗律第七の31、山陵条。日本思想大系『律令』104頁。
  3. 『養老律』賊盗律第七の1、謀反条。日本思想大系『律令』87-88頁。『唐律疏議』巻第十七賊盗の1。
  4. 『養老律』戸令第八の38 官奴婢条によれば、没官された者が原則として官奴婢、特に許された者が官戸となる。しかし諸注は官戸になると解しており、実態としては官戸になったのであろう。日本思想大系『律令』237-238頁、567頁補注38b。
  5. 『養老律』賊盗律第七の1、謀反条。日本思想大系『律令』87-88頁。
  6. 『唐律疏議』巻第十七賊盗の1。
  7. 『養老律』賊盗律第七の2、縁座条。日本思想大系『律令』88頁。『唐律疏議』巻第十七賊盗の2。
  8. 『続日本紀』巻第32、宝亀3年5月丁未(27日)条。新日本古典文学大系『続日本紀 四』382-383頁、382頁脚注7。日本思想大系『律令』489頁補注6e。
  9. 『日本三代実録』貞観8年閏3月10日乙卯条。新訂増補国史大系『日本三代実録』前編180頁。
  10. 『日本三代実録』貞観8年9月22日甲子条。新訂増補国史大系『日本三代実録』前編195頁。
  11. 『日本三代実録』元慶4年10月26日丙午条。新訂増補国史大系『日本三代実録』後編483頁。

参考文献