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蘇我蝦夷

蘇我 蝦夷(そが の えみし)

古代の中央豪族。馬子の子,入鹿の父。豊浦大臣と呼ばれ,毛人とも書く。推古 34 (626) 年父の死後,大臣になったらしい。推古天皇が皇嗣を定めることなく崩御したため,聖徳太子の子山背大兄王と敏達天皇の孫田村皇子の間で皇位継承問題が起り,蝦夷は叔父境部摩理勢らの反対を強引に押切って,田村皇子を皇位につかせた。これが舒明天皇である。蝦夷は舒明8 (636) 年大派 (おおまた) 王に参朝の怠慢を指摘されたが従わず,皇極天皇即位後も大臣としてとどまり,子入鹿が国政をとった。皇極1 (642) 年祖廟を葛城高宮に建て,天下の民部曲 (かきべ) ,さらに聖徳太子一族の私有民まで使役して今来に2つの墓を造り,これを大陵 (おおみささぎ) ,小陵と称した。翌年,入鹿に紫冠を授けて大臣とし,弟を物部大臣と称した。翌3年甘橿丘 (あまかしのおか) に家を建て,「宮門 (みかど) 」と称した。前年,山背大兄王を殺した入鹿が,4年の三韓朝貢の日に中大兄皇子に殺され,みずからも誅せられるにのぞみ自邸に放火し自殺した。このとき『天皇記』『国記』などを同時に焼失した。彼らの誅伐によって,蘇我氏の宗族は滅亡し,大化改新が断行されることとなった。『扶桑略記』には,斉明天皇のときに,彼の霊威についての風説があったことを記している。



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