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薩英戦争

薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年旧暦7月2日4日1863年8月15日17日))

幕末,薩摩藩とイギリス艦隊との間にかわされた戦闘。文久2 (1862) 年8月の生麦事件に際し,イギリス代理公使 E.ニールは,幕府に対して事件の責任者処罰および 10万ポンドの賠償を請求したが,統治力の衰退した幕府は,賠償金を支払ったのみで犯人の引渡しを拒否する薩摩藩を従わせることができず,事件の解決は引延ばされた。そこでニールは,みずからの力で事態を解決しようとはかり,同3年6月 28日7隻の艦隊を率いて薩摩藩に迫った。これに対して薩摩藩が回答しなかったため,7月2日イギリス艦隊は鹿児島に砲撃を加え,ここに薩英戦争が始った。ちょうど台風襲来で,鹿児島城下は砲火を浴びて火の海と化し,イギリス側も暴風による損害や,武器,食糧の不足で勝敗不明のまま退去した。この戦争の結果,薩摩藩側は,外国の軍事力の強さを認識して攘夷の不可能を自覚し,イギリスと交渉を行い事件を解決した。またこの際,幕府の貿易独占を非難して薩摩藩も外国貿易を行う用意のあることを告げて,イギリスとの間に親善関係を樹立することに努め,以後,薩摩とイギリスとは急速に接近することとなった。



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