積丹郡

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北海道積丹郡の位置(緑:積丹町 薄緑:他郡から編入された区域)

積丹郡(しゃこたんぐん)は、北海道後志国後志総合振興局

人口2,100人、面積238.14km²、人口密度8.82人/km²。(2018年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、積丹町の一部(美国町・幌武意町・婦美町を除く[1])にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代、積丹郡域は和人地となる。松前藩によってシャコタン場所が開かれていた。松前藩の地頭藤倉近兵衛によって神殿を神岬村に創建され「志屋古丹(しやこたん)明神」、「於賀武意(おかむい)明神」として奉斎されていた神威神社寛文3年よりも前の創祀である。元禄元年以降、神威岬から北は女人禁制とされていた。陸上交通は、積丹・美国両場所請負人岩田屋金蔵によって積丹場所日司より美国場所小泊に至る約4里(15.7km)の新道(道道野塚婦美線国道229号の前身)が開削されている。

江戸時代後期文化4年には、積丹郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固にあたった。同年神威岬の女人禁制が解かれている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して積丹郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

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北海道一・二級町村制施行時の積丹郡の町村(9.入舸村 10.余別村 桃:積丹町)

脚注

  1. 1956年美国郡から編入。

参考文献

関連項目