福島ユナイテッドFC
福島ユナイテッドFC | |
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原語表記 | 福島ユナイテッドフットボールクラブ[1] |
呼称 | 福島ユナイテッドFC |
クラブカラー | 赤[2]、 黒[2]、 黄[2] |
創設年 | 2002年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J3 |
ホームタウン | 福島市・会津若松市を中心とする福島県全県[2] |
ホームスタジアム | 220pxとうほう・みんなのスタジアム[2] |
収容人数 | 6,464[2] |
運営法人 | 株式会社AC福島ユナイテッド[2] |
代表者 | 鈴木勇人[2] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
福島ユナイテッドFC(ふくしまユナイテッドエフシー、Fukushima United FC)は、日本の福島市・会津若松市を中心とする福島県全県をホームタウンとする[2]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブ。登録チーム名(正式名称)は福島ユナイテッドフットボールクラブである[1][注 1]。
Contents
概要
クラブ名のユナイテッド(UNITED)は「結ばれた、団結した、統一した」の意味に由来し、チーム・選手・スタッフ・サポーター、そして福島がひとつになって福島の発展・活性化のために活動していくことを表現している[2]。
ホームタウンはJリーグ加盟当初は「福島市を中心とする福島県全県」であった[4] が、2017年5月25日に「福島市・会津若松市を中心とする福島県全県」に変更された[5]。
ホームスタジアムはとうほう・みんなのスタジアム、練習グラウンドは福島市十六沼公園サッカー場およびあづま総合運動公園補助陸上競技場である(詳細は#スタジアムを参照)[2]。
エンブレムは、チームの力強さと、クラブ・サポーター・市民が"ひとつ"になって夢を叶え、そして戦っていくイメージを表現。「未来に続いていくクラブの活動」を象徴するフェニックスが王冠を被り、福島県の地図が描かれたボールを掴んでいる[1]。
歴史
2013年以前(地域リーグ・JFL)
2002年4月、エフエム福島のアナウンサーだった横田篤がJリーグを目指す団体として「福島夢集団」を創設[2]。2004年4月、「福島夢集団JUNKERS(ユンカース)」を設立(2005年5月に「福島夢集団」はNPO法人化)。2005年は福島県社会人サッカーリーグ3部(西ブロック)に参加して優勝。また、U-18チームを結成した[6]。
2006年12月にFCペラーダ福島(東北社会人サッカーリーグ2部、1977年創設)の運営を譲り受け[6]。FCペラーダ福島がトップチーム、ユンカースがサテライトとなった。
2007年より東北リーグ2部南リーグに参加[2]。1月にホームタウンである福島市の支援も得られたためJリーグ準加盟申請を行うが、承認は先送りとなった[6]。2月に福島市出身で元湘南ベルマーレの時崎悠が選手兼監督に就任した。
2008年にクラブ名を「福島ユナイテッドFC」に改称。2月に運営法人として株式会社フクシマ・スポーツ・マネジメントを設立。東北リーグ2部南リーグを全勝優勝し、2部北を制した盛岡ゼブラを下して東北リーグ2部優勝を決め、1部昇格を決めた。なお、ユンカースはチーム名を「FCシャイネン福島」に変更し独立した。2009年、東北リーグ1部はグルージャ盛岡と得失点1点差の2位。第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会の2回戦でC大阪に勝利を収めた(3回戦は横浜FMに敗北)。
2010年は第46回全国社会人サッカー選手権大会でベスト4に入ったが、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次リーグで敗退。なお、同年8月10日に運営資金が約1,000万円不足し、10月に資金がショートする恐れがあると発表した[7]。
2011年2月、福島県財界が中心となって新しい運営会社となる株式会社AC福島ユナイテッドが設立された(なお、旧運営会社の株式会社フクシマ・スポーツ・マネジメントは6月に福島地方裁判所より破産手続きの開始決定を受けた[8])。3月、東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の放射線の不安から多くの選手が退団したため、コーチの金基洙、柳原裕が現役に復帰した。また福島県内での試合が禁止されるが他県でホームの試合を開催する事を条件に[注 2]東北リーグの参加を認められた。東北リーグ1部で初優勝したが、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退。
2012年、東北リーグ1部で優勝。第48回全国社会人サッカー選手権大会および第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会でいずれも準優勝の成績を収めた。12月16日、日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された[10]。 天皇杯は、2回戦でJ2のヴァンフォーレ甲府、3回戦でJ1のアルビレックス新潟に勝利し、4回戦でJ2のジェフユナイテッド千葉に敗れたがベスト16に入った。
2013年、湘南ベルマーレと業務提携を結んだ(詳細・湘南ベルマーレ「Jリーグ他クラブとの提携」項参照)[11]。9月にJリーグ準加盟クラブとして承認された。11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[4]。
2014年 - (J3)
- 2014年
- クラブスローガン :「蹴福万来」
監督に栗原圭介が就任。リーグ戦は7位。天皇杯は1回戦で関西リーグ・奈良クラブに敗れた。
- 2015年
- クラブスローガン :「Link ~FUFC BURNING 2015~」
リーグ戦は7位。天皇杯は1回戦で同じJ3の秋田に敗れた。
シーズン終了後、大原卓丈が引退、横野純貴がバンコクFC、星雄次が山口、齋藤恵太が熊本へ移籍、田村翔太、安東輝がレンタル移籍期間満了で湘南へ復帰した。
- 2016年
- クラブスローガン :「Link ~PRIDE OF FUKUSHIMA~」
栗原体制3年目。横浜FCから渡辺匠らを完全移籍で獲得、新潟から酒井高聖らを期限付き移籍で獲得。昨年レンタル移籍だったロドリゴが完全移籍で加入。3月に元湘南のアレックスが加入した。リーグ戦は14位に終わり、天皇杯は2回戦で横浜FMに敗れた。
シーズン終了後、栗原が監督を退任、戸川健太らが、植村慶、野田明弘が引退、村岡拓哉、ロドリゴが退団、福岡将太が期限付き移籍期間満了で栃木SCへ移籍、酒井高聖が期限付き移籍期間満了で新潟に復帰、金弘淵が盛岡、梅井大輝が相模原へ完全移籍した。
- 2017年
- クラブスローガン :「Link 繋がりタオす」
新監督に元大分・清水監督の田坂和昭が就任。湘南から田村翔太が期限付き移籍で、期限付き移籍だった小山内貴哉が完全移籍で加入した。7月には湘南から伊藤剛が育成型期限付き移籍で、松本から志知孝明、群馬から小牟田洋佑が期限付き移籍で加入した。福島県サッカー選手権大会の決勝でいわきFCに敗れて10年連続の天皇杯出場は成らなかった。リーグ戦は10位の成績。
成績
スタジアム
ホームスタジアムはとうほう・みんなのスタジアム[2] である。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは福島ユナイテッドFCの年度別成績一覧#年度別入場者数を参照のこと。
タイトル
リーグ戦
- 東北社会人サッカーリーグ1部:2回
- 2011, 2012
- 東北リーグ2部南リーグ:1回
- 2008
カップ戦他
- 東日本社会人サッカー大会:1回
- 2012
- 福島県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会福島県予選):9回
- 2008-2016
その他
ユニフォーム
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クラブカラー
- 赤(ユナイテッドレッド)
- 黒(ユナイテッドブラック)
- 黄(ユナイテッドイエロー)
限定ユニフォーム
- 2017年 : 桃をイメージしたピンクでカラーリングした期間限定ユニフォームをリリース。『福島が誇る「ふくしまの桃」』を全国にPRする福島県との協同企画となる。桃の出荷時期である夏季期間、及び10月に開催される平塚でのホームゲームにて着用。着用期間は7月、8月開催のホーム・アウェイゲーム4試合(第17節を除く)と平塚開催となる第26節の計5試合になる[12]。
- 2018年 : 2017年と同様、ピンク色の3rdユニフォームを発表。6月17日を皮切りに、夏の5試合を戦うこのユニフォームは、福島の名産品のひとつである桃をモチーフにし、2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第一原発事故に伴う福島県産品への風評の払しょくに繋げようという思いで企画。円をグラデーションでデザインすることで、柔らかな桃を表現し、人々が福島の地で繋がり、大きな輪となっていくことをイメージしたユニフォームになっている[13]。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 東邦銀行 | TOHO BANK |
2015年 - | 2009年はパンツ (「東邦銀行」表記)、 2010年 - 2013年は袖、 2014年は背中 (「TOHO」表記) |
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鎖骨 | なし | |||
背中上部 | Prospect | Prospect | 2016年 - | |
背中下部 | なし | |||
袖 | 福島民報社 | 福島民報 | 2014年 - | |
パンツ | 福島トヨタ自動車 | 福島トヨタ | 2013年 - |
練習用
移動着
- JA全農福島
ユニフォームサプライヤー
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2004 | THANKS New Value and High Quality(1st) サンクスホーム(2nd) |
解禁前 | - | 解禁前 | - | - | hummel |
2005 | |||||||
2006 | |||||||
2007 | jose.jp | ||||||
2008 | サンクスホーム | JOGADOR | - | A-LINE | |||
2009 | - / 福島牛 |
- / ふくしま中心街区 ぶらっとWebTV blattotv.com |
- / JA全農福島 |
- / 東邦銀行 | |||
2010 | - | JA全農福島 | TOHO | HYPER Gaja | |||
2011 | hunmel | ||||||
2012 | united sports foundation | ||||||
2013 | - / AIRE |
- | 福島トヨタ | ||||
2014 | AIRE | TOHO | 福島民報 | ||||
2015 | TOHO BANK |
MUSEE PLATINUM | |||||
2016 | Prospect | - | |||||
2017 | - / ふくしまプライド | ||||||
2018 | - | - |
アカデミー
- 福島ユナイテッドFC U-15
- 福島ユナイテッドFC U-12
脚注
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「gaiyo
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 “プロフィール:福島ユナイテッドFC”. 日本プロサッカーリーグ. . 2018-1-10閲覧.
- ↑ Jリーグ規約2016 第3章Jクラブ p.24
- ↑ 4.0 4.1 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「J3
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “福島ユナイテッドFCホームタウン追加について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年5月25日) . 2017-10-3閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “クラブ沿革”. 福島ユナイテッドFC. . 2017-2-18閲覧.
- ↑ “福島ユナイテッドFCが「緊急事態宣言」”. 日刊スポーツ (2010年8月11日). . 2017-10-3閲覧.
- ↑ 「 平成23年(フ)第88号 」 官報、2011年6月22日、2014年3月28日閲覧
- ↑ “東北サッカーリーグ2011 -公式記録- 【1部】”. 東北社会人サッカーリーグ. . 2012閲覧.
- ↑ “日本フットボールリーグ 新入会チームにつきまして” (プレスリリース), 日本フットボールリーグ, (2012年12月5日) . 2014-3-28閲覧.
- ↑ “湘南ベルマーレ・福島ユナイテッドFC 提携会見” (プレスリリース), 湘南ベルマーレ . 2014-3-28閲覧.
- ↑ “「ふくしまの桃」PRユニフォーム決定のお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2017年6月24日) . 2017-6-30閲覧.
- ↑ “風評の払しょくに” (プレスリリース), hummel公式サイト, (2018年6月17日) . 2018-6-27閲覧.
関連項目
外部リンク
福島ユナイテッドFC 関連テンプレート |
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テンプレート:福島ユナイテッドFCのメンバー テンプレート:福島ユナイテッドFC歴代監督 |