神田練塀町

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神田練塀町
—  町丁  —
神田練塀町の位置
神田練塀町
神田練塀町の位置
座標: 東経139度46分24.56秒北緯35.700475度 東経139.7734889度35.700475; 139.7734889
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 25px 千代田区
地域 神田地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 280人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 101-0022[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

神田練塀町(かんだねりべいちょう)は、東京都千代田区町名住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0022[2]

地理

千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。北辺は台東区秋葉原に接する。東部は千代田区神田松永町に接する。南部は千代田区神田相生町に接する。西部は千代田区外神田に接する。秋葉原駅付近の一角で、ビルや商店が多い地域となっている。西部はJR山手線京浜東北線などの鉄道用地である。また近年の秋葉原駅前の再開発で高層ビル高層マンションも見られるようになった。住居表示未実施で、神田松永町との町域が複雑に入り組んでいる。昭和通りとその一本西の通りは松永町の町域だが、斉藤機工本社ビル、ライオンズマンション秋葉原のみ練塀町に属する。また南では、吉野家のある街区は全体が松永町だが、その南、ヨドバシAkiba北西角の東京青果商会館(TSKビル)は練塀町に属する。

歴史

江戸時代武家地で、南北に走る通りに立派な練塀があったことから下谷練塀小路と呼ばれた。練塀とは、瓦と土を交互に重ねた瓦屋根の土塀のことである。練塀があったのは、『東京府史料』は元禄年間まであった新発田藩溝口家屋敷、『御府内備考』は南隅の河野某屋敷とする。実際に絵図では練塀小路の南隅西脇に河野長十郎の名が見られる。

現在は神田地域に含まれるが、当時はこの一帯まで下谷と認識されていた。茶坊主河内山宗春の居所として知られた。1872年明治5年)、下谷練塀小路沿いの武家地に下谷練塀町が成立した。東隣の武家地は神田松永町に編入されたため、下谷は練塀町で神田に大きく突き出る形となった。このため東京15区設置当初は下谷区に属したが、1943年昭和18年)、結局神田区との区界が変更され、練塀町南側が神田区に、松永町北側が下谷区に編入された。この下谷区練塀町及び松永町が現在の台東区秋葉原である。1964年(昭和39年)、住居表示実施によりJR線路より西が外神田四丁目に編入されたが、残りは未実施のまま現在に至る。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
神田練塀町 160世帯 280人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[5]

番地 小学校 中学校
全域 千代田区立和泉小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校

交通

町域内に鉄道駅はないが、町域の西部がJRの線路で占められており、地下ではつくばエクスプレスが町を縦貫している。南部方面すぐのところに秋葉原駅があり、つくばエクスプレス駅ホームの一部は練塀町にかかっている。

施設

脚注

  1. 1.0 1.1 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). . 2018閲覧.
  2. 2.0 2.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
  4. 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). . 2018閲覧.
  5. 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). . 2018閲覧.

外部リンク