烏丸

提供: miniwiki
移動先:案内検索

烏丸(からすま、からすまる、うがん)

「からすま」の語源は「河原の洲(砂州)に接した土地」を意味する「川原洲際」(かわらすま)だと考えられている。これに「烏丸」と当て字するようになったのがいつ頃のことなのかは定かではないものの、平安京造営の際にはその地にすでに賀茂川の一支流とみられる烏丸川という小川が流れていた。その河原に沿って整備された小路が烏丸小路で、今日の烏丸通の前身である。烏丸川の方は応仁の乱後から渇水しがちになり、天正年間までに埋め立てられその姿を消してしまった[1][2]

この「烏丸」、平安遷都の当初はまだ字面通りに「からすまる」と読まれていたとみられるが、やがて時代が降ると撥音便化が起きてこれが「からすまん」になり、さらに語尾音が脱落して「からすま」に転じた。今日では「烏丸」を含む名称のほとんどが「からすま」と読まれているが、旧堂上公家の烏丸家とその家系に連なる者に限っては今日でもこれを「からすまる」と読んでいる。
 


烏丸(からすま)

烏丸(からすまる)

烏丸(うがん)

関連項目

注釈

  1. 昭和50年代に地下鉄烏丸線が建設されていた際、烏丸通の開削現場の多くから砂礫層が出たことで、かつてはその通りにそって川が流れていたことが確認された。京都駅近くの烏丸綾小路付近の砂礫層からは弥生時代のものと推定される住居遺跡も発掘されている。
  2. 京都にはこのほかにも今出川通夷川通など、今日でも通りの名称の中にかつて存在した河川が名残をとどめているものがある。
  3. 底辺がおよそ900メートルの直角二等辺三角形に似た形をしており、その直角の部分にあたるところが付け根となっている。
  4. 国土地理院が発行するいずれの地形図にも烏丸半島の名は記されておらず、また琵琶湖の古地図のなかにもこの地名を含むものがないことから、この名称は少なくとも国が公に認めるこの地域に固有の地名ではなく、地元がこれを独自に「半島」と呼んでいるものだと考えられる。
  5. 中国の正史・二十四史の中では『三国志』が「烏丸」と記し、他は軒並み「烏桓」と記している。

参考文献