森忠洪

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森 忠洪
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年(1728年
死没 安永5年6月2日1776年7月17日
幕府 江戸幕府
播磨赤穂藩
氏族 森氏

森 忠洪(もり ただひろ)は、播磨赤穂藩の第5代藩主。

享保13年(1728年)、藩主森家の家老・森正典の子として生まれる(生年は享保16年(1731年)10月23日とも、また各務利直の七男ともいわれる)。

延享3年(1746年)12月8日に第4代藩主・森政房が死去したため、その養子となる。延享4年(1747年)2月6日に家督を継ぎ、12月15日に従五位下・和泉守に叙位・任官する。生来から学問好きだったため、藩財政難打開を目指して文人を数多く登用し、その文人による学問的な藩政改革を行なった。主に塩田開発を行なったが、この改革は一時的に成功し、後に「大盛院(忠洪の戒名)時代」と称されている。

明和6年(1769年)7月23日、長男・忠興に家督を譲って隠居し、以後は秋香亭傘路と号して俳諧の道を歩み、「秋香亭句集」を残している。安永5年(1776年)6月2日に死去した。享年49。

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