桜島地震
桜島地震 | |
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本震 | |
発生日 | 1914年1月12日 |
発生時刻 | 18:28(JST) |
震央 |
日本 鹿児島県 鹿児島湾 北緯31度36分 東経130度36分(地図) |
震源の深さ | 6 - 10[1]km |
規模 | マグニチュード(M)7.1 |
最大震度 | 震度5 - 6[2]:鹿児島市 |
津波 | あり |
地震の種類 | 火山性地震 |
被害 | |
死傷者数 |
死者29名 負傷者111名[2] |
被害地域 | 鹿児島県 |
本文脚注参照
出典:特に注記がない場合は理科年表による。 |
桜島地震(さくらじまじしん)は、1914年(大正3年)1月12日午後6時28分(JST)、鹿児島県中央部、薩摩半島と桜島に挟まれた鹿児島湾を震源として発生したM7.1[3]の地震。
Contents
概要
桜島大正大噴火の最中に起きた地震であり、噴火開始から約8.5時間後に発生している。通常の火山性地震はマグニチュード6以下であるが、この地震は例外的に規模が大きい[3]。
単純な火山性地震ではなく、マグマの侵入によって地殻の強度が低下し、元々蓄えられていたひずみが解放されたため、大地震につながった[1]。
本震による各地の震度
桜島地震の本震による各地の震度は以下の通りである[4]
被害
当時の鹿児島市と谷山村(後の谷山市、現:鹿児島市の一部)を中心に死者29名、負傷者111名、住宅の全壊120棟、半壊195棟の被害があった[5]。道路は土砂崩れにより各所で寸断され、特に鹿児島郡西武田村大字田上(現:鹿児島市田上)の天神ヶ瀬戸では、県道が高さ約3.6m、長さ約54mにわたって崩壊し、谷山村山田(現:鹿児島市山田町)に向け避難中であった20名以上が下敷きとなり、10名が死亡した[2]。
その他にも谷山村の清見橋の上部が崩壊し交通が途絶えたり、潮見橋の高欄の一部が落下するなどし、交通に影響を与えた[6]。
また、鹿児島市、伊敷村(現:鹿児島市の一部)、伊集院町、日置村(後に日吉町の一部、現:日置市)では石垣が崩壊し、7名が死亡している[6]。
鉄道は落石や路盤崩壊などにより、鹿児島本線(当時)の鹿児島駅 - 重富駅間及び、川内本線(当時)の武駅(現在の鹿児島中央駅) - 伊集院駅間が不通となった。伊集院駅方面は1月13日午後、重富駅方面は1月14日未明に復旧している[7]。
小規模津波の発生
また、地震の揺れにより、鹿児島測候所(後の鹿児島地方気象台)の地震計が破損した。この地震により小規模な津波(波高2m前後)が発生しており、当時、鹿児島湾沿岸にあった塩田や江戸期の埋立地などでは地盤沈下を含めて大きな被害を受けた[8]。
鹿児島市内の混乱
地震発生が桜島大正大噴火の最中であったことから鹿児島市内では住民の不安が加速され、大津波発生などの流言が飛び交い市外へ避難しようとする人々が続出し混乱した[9]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 横山泉、荒牧重雄、中村一明編 『岩波講座 地球科学7 火山』 岩波書店、1982年。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 鹿児島県総務部消防防災課編 『桜島火山対策ハンドブック 改訂版』 鹿児島県、1989年。
- ↑ 3.0 3.1 2.日本で起こる地震 (PDF) p.17(地震の発生メカニズムを探る) - 地震調査研究推進本部 2012年1月20日閲覧。
- ↑ 大正三年桜島噴火に先立って発生した地震の規模の推定 p.3 - 気象研究所地震火山研究部 林豊 2012年9月6日閲覧。
- ↑ 桜島の大規模噴火発生開始時の火山情報 (PDF) p.34 - 京都大学防災研究所 2012年1月20日閲覧。
- ↑ 6.0 6.1 第二章 大正噴火の経過と災害 p.78 - 内閣府 2012年9月6日閲覧。
- ↑ 九州鉄道管理局編 『大正三年桜島噴火記事』 1914年。
- ↑ おわりに-桜島大正噴火の教訓(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書)p.158 - 内閣府 2012年1月19日閲覧。
- ↑ おわりに-桜島大正噴火の教訓(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書)p.154 - 内閣府 2012年1月19日閲覧。