柳京ホテル
柳京ホテル | |
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施設情報 | |
所在地 | 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市普通江区域 |
座標 |
北緯39度2分11秒 東経125度43分50秒 |
状態 | 建設中 |
建設期間 | 1987年 - 未定 |
完成予定 | 未定 |
用途 | ホテル |
地上高 | |
最頂部 | 330.02m |
各種諸元 | |
階数 | 105階(諸説あり) |
延床面積 | 約360,000 m² |
テンプレート:北朝鮮の事物 柳京ホテル(リュギョンホテル、りゅうけいホテル、テンプレート:Lang-ko-kp)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌直轄市普通江区域にて建設途上にある大型商業宿泊施設である。
沿革
建設の経緯
北朝鮮が1988年のソウルオリンピックに対抗して開催したとされる第13回世界青年学生祭典(1989年)に間に合わせるべく、1987年に起工された。設計および建設は白頭山建設研究院 (Baikdoosan Architects & Engineers) による[1]。北朝鮮の威信をかけた「世界一のホテル」として、当時韓国一の高さを誇ったソウルの63ビルや韓国の双竜グループ(後のSTXグループ)が1986年にシンガポールに建てた当時高さ世界一のホテル・ウェスティン・スタンフォード・シンガポールよりも高く[2]することを目指したとされる。ホテル名は平壌の旧称である「柳京」から取られ、建設段階から国外へ向けての宣伝を行い、地図にも掲載されていた。
しかしあまりにも巨大な施設のため世界青年学生祭典には間に合わないことが明らかになり、急遽両江ホテルと西山ホテルが建てられた[3]。その後ホテルの完成そのものが危うくなるにつれ、北朝鮮当局は不足している資金や建設技術を日本など西側の外資を誘致することで解決しようと画策、建設中にもかかわらず外国人ツアーの経路に柳京ホテルを入れたり、投資会社 (Ryugyong Hotel Investment and Management Co.,) を設立し、カジノを設置して日本人観光客を誘致する案を打ち出したりした[2]。しかし1992年に建設は完全に中断され、15年以上にわたり備品はおろか窓も外装すらないまま放置された。この中断の原因は資金不足や電源不足、広汎な飢餓のためと推測される。
長らく放置されたことで単独の建築物としては世界最大の廃墟であると言われ、アメリカのファッション雑誌『Esquire』は2008年に「人類史上最悪の建物」という題で柳京ホテルを「傾いた北朝鮮式シンデレラ城」と紹介した[4][5]。また『CNN』の選んだ「世界で最も醜い建物」の第1位に選出されている[6]。国際メディアからは「滅びのホテル (Hotel of Doom)」「幽霊ホテル(Phantom Hotel)」と呼ばれている[7]。
建設再開
2008年5月、16年ぶりに建設が同年4月より再開されたことが報じられ、窓ガラスの取り付け工事が始まった[5][8]。建設には北朝鮮で携帯電話事業の展開を計画中のエジプト企業オラスコム・テレコム社(当時の会長はナギーブ・サウィーリス)が関わっていたとされ、1億8000万ドルを投資したという情報もあった[9]。2012年4月15日の金日成の生誕100周年までの完成を目指しているとされたが[10]、この目標もついに達成されることはなかった。
2012年9月23日に北京の旅行会社のスタッフが建物内部へ入った。その際建設関係者から「完工まであと2、3年を要する」と示唆された[11]。その後、しばらく建設に関する報道はなかったが、2016年12月15日に韓国の聯合ニュースが2017年中に開業する可能性を報じた[12]。2017年7月27日にはAP通信が「ホテルの正面に看板が取り付けられた」と報じている[13]。2018年からは、夜間のライトアップも行われている。
もっとも、現在でも監視員が常時監視しており、平壌市内の観光コースからも外されている。
ケンピンスキーの開発参入と断念
2012年11月1日、欧州のホテルチェーン企業ケンピンスキーが営業を請け負うこととなり、2013年中ごろに一部開業するとの見通しを明らかにした[14]。その後ケンピンスキーのレトー・ヴィットヴァー会長が韓国メディアに対し最上部に最大150客室規模をオープンすることを発表、同社ミヒャエル・ヘンスラー中国支部長も柳京ホテルは国際基準を満たしているとし、5つの回転式レストランやスパ、宴会場、商業施設、地下には劇場や映画館を備える計画を発表するなど当初ケンピンスキーは北朝鮮での事業展開に積極的な姿勢を見せていたが[15]、2013年3月にケンピンスキーの幹部は現時点では平壌でのホテル産業には参入できないとし、開業は事実上白紙となった[16]。さらに4月9日には最終的に開発を断念すると発表した[17]。
建物の設計、工事費、立地、その他について
平壌市普通江区域、平壌教員大学の近くにあり、平壌市主要部のいずこからもよく見える特徴的な三角形のフォルムをしている。矢羽のような三角錐状の外観は非常に特徴的で、安定性を重視した設計がなされているとされる。
延べ建築面積は約36万m2、朝鮮労働党中央委員会総書記・金正日の教示があった日である10月5日にちなんだとされる105階建(114階、117階説もある[3])で、客室数3,000室(6,000室説もある[3])以上を有し、最上階には3つの回転展望レストランを用意する予定であった。
『Engineering News Record』(1990年11月15日)によると、ホテルの工事費は7億5,000万ドルと推測された。ちなみに、北朝鮮の国内総生産は90年代末でも126億ドル(1998年、韓国銀行推定値)であったことを考慮すれば、このホテル建設プロジェクトが北朝鮮経済に及ぼした負担の大きさが窺える。柳京ホテルを完工するには専門家の見積もりによるとさらに5億~10億ドルがかかると言う[18]。
建物の形状は安定性の高い三角形だが、ホテルがある普通江地域は大同江の支流である普通江に取り巻かれた地帯でその中でもホテルの建物は水田が多数存在した川岸の地盤の悪い土地に建っており、この劣悪な地盤と設計ミスにより建物の傾きが判明している[3]。さらに保護措置が取られないまま長期間建物が放置された結果、コンクリートのクラックに入り込んだ水分が冬の寒さで凍結膨張をくりかえし一層強度が低下したともされ、建設継続は不可能と見る専門家もいる。
ケンピンスキーは開発を断念した時点で外装工事とロビーや宴会場などの一部の内部工事は終わっており、客室のある最上層部から先に開業する予定だったとしている。また、ホテルの中間までのエレベーターはシャフトが曲がっているため使用はいまだ不可能としている[15]。
ギャラリー
- Ryugyong Hotel Pyongyang.jpg
大城山革命烈士陵から見た柳京ホテルの最上部
- Dprk pyongyang hotel rugen 05 s.jpg
建設中断時の柳京ホテル(2005年4月)
- Ryugyong Hotel - August 27, 2011 (Cropped).jpg
建設中の柳京ホテル(2011年8月)
- Ryugyong Hotel Pyongyang 02.JPG
建設中の柳京ホテル(2012年8月)
- Finished ryug.jpg
完成予想イラスト
参考文献
- ↑ (2006) in Cramer, James P.; Jennifer Evans Yankopolus: Almanac of Architecture & Design, 7th, Atlanta, Georgia: Greenway Publications. ISBN 0-9755654-2-7.
- ↑ 2.0 2.1 Ngor, Oh Kwee (1990-06-09). “Western decadence hits N. Korea”. Japan Economic Journal: 12.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 加藤将輝・中森明夫・プロデュース 『北朝鮮トリビア』 飛鳥新社、2004年。ISBN 978-4-87031-619-5。
- ↑ Eva Hagberg (2008年1月28日). “The Worst Building in the History of Mankind” [人類史上最悪の建物] (英語). Esquire. Hearst Corporation. 2008年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 金素烈 (2008年5月20日). ““北, 4月から ‘105階柳京ホテル’ の工事を再開””. デイリーNK. 2014年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ Duncan Forgan (2012年1月4日). “10 of the world's ugliest buildings” [世界で最も醜い建物10] (英語). cnngo.com. CNN. 2012年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “Will 'Hotel of Doom' ever be finished?” [‘滅びのホテル’ はいつ終る?] (英語). BBC NEWS. BBC (2009年10月15日). 2009年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “建設中断していた平壌の105階建てホテル、工事再開”. 読売新聞. (2008年5月19日)
- ↑ 塩山敏之 (2012年11月4日). ““史上最悪” 北の摩天楼が完成? エレベーターはあの会社製…”. イザ!. 産経デジタル. 2012年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ Barbara Demick (2008年9月27日). “North Korea in the midst of mysterious building boom” [不思議な建築ブームの真っ只中の北朝鮮] (英語). latimes.com. Los Angeles Times. 2012年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “平壌の柳京ホテル、完工まで2年 外国人に異例の公開”. 47NEWS. 共同通信 (2012年9月27日). 2014年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “北朝鮮の柳京ホテル 来年開業か=着工から30年”. 聯合ニュース日本語版. 聯合ニュース (2016年12月15日). 2017年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “北朝鮮の「滅びのホテル」がいよいよオープン間近?”. ニューズウィーク日本版ウェブ. ニューズウィーク (2017年8月2日). 2018年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “柳京ホテル「来年開業」 平壌、欧州チェーンが運営”. 産経ニュース. 産経新聞 (2012年11月1日). 2012年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 塩山敏之 (2013年4月27日). ““北朝鮮の摩天楼” から逃げ出した欧州ホテル資本…「柳京ホテル」やはり人類史上最悪の建物に”. 産経WEST. 産経新聞. 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ [[en:NK News|NK News]] (2013年3月30日). “「平壌のランドマーク」柳京ホテル、開業延期 着工から25年余”. 産経ニュース. 産経新聞. 2013年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ “スイス事業者、20年以上建設中の北朝鮮の「滅びのホテル」開業を断念”. AFPBB News. AFP (2e arrondissement de Paris: AFPBB News). (2013年4月10日). オリジナルの2018年4月30日時点によるアーカイブ。 . 2018閲覧.
- ↑ 朝鮮日報. (2005年6月5日)
外部リンク
- 地図 - Google マップ