actions

末長 (川崎市)


末長
—  町丁  —
末長の位置
末長
末長の位置
座標: 東経139度37分4.35秒北緯35.58965度 東経139.617875度35.58965; 139.617875
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
高津区
面積[1]
 - 計 1.29km2 (0.5mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 - 計 21,420人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 213-0013[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

末長(すえなが)は、神奈川県川崎市高津区の地名。2013年及び2014年住居表示が施行された、末長一丁目~四丁目[5][6]が存在する。郵便番号は213-0013[3]2010年国勢調査時点での面積は1.29 km2である[1]

地理

高津区の中央部にあり、北西では下末吉台地[7]谷戸が入り込んでおり、南東が低地となっている[8]。低地部には富士通ゼネラルの本社があり、周辺も宅地となっている[6]

東急田園都市線第三京浜道路南武線などの交通路が末長を通過し、梶が谷駅京浜川崎インターチェンジなどが所在する。また、二ヶ領用水の分流である根方堀が台地と低地の境を流れている[9]

末長は北端で下作延久本坂戸と、東端で中原区上新城と、南西端で新作・高津区梶ケ谷と接している(特記のない町域は高津区)。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、末長字高ノ面1394番3の地点で29万4000円/m2となっている。 [10]

歴史

古代・中世

当地からは縄文弥生時代の遺跡が発掘されている[7]。また、田地の地割りが条里制の遺構だと考えられているほか、延喜式の「小高」に関係すると思われる「小高谷戸」の地名が付いていたなど[9]、古代からの歴史がうかがえるが、「末長」の名の初出は「小田原衆所領役帳」に、「稲毛末長」として残る[8]

近世

江戸時代を通して、当地は旗本の国領氏・浅井氏・松波氏による三給の地であった[8]。農地は畑より水田が多く[7]、村は、正保年間の「武蔵田園簿」や「元禄郷帳」では508あまり、「天保郷帳」では585石あまり、幕末の「旧高旧領取調帳」では587石あまりというように推移していた[7]。水利として、二ヶ領用水からの分流である根方堀のほか、「池の谷」と呼ばれた現在の梶が谷駅あたりに溜池を設けていた[9]。賦役として、溝口宿・品川宿の半高助郷を務めた。品川宿の助郷は負担が重く、何度も免除の嘆願を行なっているが、これが容れられることはなかった[11]

近代・現代

明治以降、当地は橘村の一部となり、のちに川崎市へ合併した。当地では明治頃から養蚕が行われたり、大正末期からは養蚕に変わり野菜栽培が始まるなど、農村として推移していた[6]。しかし、1940年昭和15年)に日本光学(現・ニコン)が水田を埋め立て当地に工場を設置し、海軍の光学兵器の生産を始めた[6]。その結果、1945年(昭和20年)には空襲を受けることとなり、工場が壊滅したのみならず周囲にも被害が出たが、日本光学は丘陵に地下壕を作り生産を続けたという[6]

戦後の1955年(昭和30年)には日本光学の跡地に八欧電機(現:富士通ゼネラル)が進出し、周囲に社宅が建つなど、宅地化が進行していった[12]

地名の由来

地名の由来ははっきりしていない[9]。ただし、いくつかの説が提起されている。

  • 瑞祥地名であるとする説[8]
  • 村域の形状から生じたとする説[8]
  • 丘陵地帯のある地形から生じた「セナガ」が転じたとする説[7]

なお、源義家後三年の役からの帰途に、当地の奇妙な石を見つけて、弓矢を納めて武運を祈り、この地の民が末永く栄えるように願ったという伝承が、「新編武蔵風土記稿」にも残っている[8]

沿革

町域の新旧対照

末長のうち住居表示が施行された区域について、施行前のは以下のようになっていた。

現町丁 施行日 住居表示施行前の字 出典
末長一丁目 2013年(平成25年)9月24日 末長字姿見台・字向台の各全部、末長字久保台・字中原の各一部 [18]
末長二丁目 2013年(平成25年)11月18日 末長字富士見台・字大谷の各全部、末長字久保台・字中原の残部、末長字宗田町の一部 [19]
末長三丁目 2014年(平成26年)10月20日 末長字宗田町の残部、末長字中町の一部 [20]
末長四丁目 2014年(平成26年)10月20日 末長字高ノ面各全部、末長字中町の残部 [21]

小字

住居表示施行前の末長には、姿見台・久保台・向台・富士見台・中原・大谷(おおやと)・宗田町・中の町・高の面という小字が存在した[22]

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
末長一丁目 3,973世帯 7,925人
末長二丁目 1,938世帯 3,851人
末長三丁目 2,138世帯 4,882人
末長四丁目 2,379世帯 4,762人
10,428世帯 21,420人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[23][24]

丁目 番地 小学校 中学校
末長一丁目 6~10番
40~53番
川崎市立西梶ヶ谷小学校 川崎市立宮崎中学校
その他 川崎市立新作小学校 川崎市立橘中学校
末長二丁目 1~13番
16番以降
その他 川崎市立末長小学校
末長三丁目 1~3番
5番以降
その他 川崎市立坂戸小学校 川崎市立東高津中学校
末長四丁目 1~8番
その他 川崎市立末長小学校

交通

鉄道

当地を通る路線は東急田園都市線南武線の2路線がある。東急田園都市線は当地で丘陵地を通り、梶が谷駅が設置されている。南武線は当地の低地を通るが、駅は設置されていない(南方の武蔵新城駅が利用可能である)。

路線バス

当地で路線バスを運行しているのは東急バス川崎市交通局の2事業者であるが、両者とも梶が谷駅を拠点として丘陵上を結ぶバスと、溝の口駅を拠点として平地を結ぶバスを運行しており、末長の丘陵地と平地を直接結ぶようなバスはない。

道路

施設

ファイル:Fujitsugeneral.jpg
富士通ゼネラル本社

教育施設

脚注

  1. 1.0 1.1 町丁別面積(総務省統計局 統計GIS)Excelデータ) 川崎市、2010年(2012年10月18日閲覧)。
  2. 2.0 2.1 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). . 2018閲覧.
  3. 3.0 3.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
  4. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
  5. 5.0 5.1 平成25年8月23日川崎市告示611号(同年9月10日川崎市公報1634号1945ページに採録、Web版 (PDF)
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.502。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.501。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 川崎地名辞典(上)』 p.363。
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 川崎の町名』 p.167。
  10. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  11. 11.0 11.1 川崎地名辞典(上)』 pp.363-364。
  12. 川崎の町名』 p.168。
  13. 13.0 13.1 川崎地名辞典(上)』 p.367。
  14. 歴史”. 川崎市立高津高等学校. . 2012閲覧.
  15. 平成25年8月23日川崎市告示610号(同年9月10日川崎市公報1634号1945ページに採録、Web版 (PDF)
  16. 平成25年度の住居表示実施予定地区”. 川崎市 (2013年10月18日). . 2013閲覧.
  17. 平成26年度の住居表示実施地区”. 川崎市 (2014年10月20日). . 2014閲覧.
  18. 住居表示新旧対照案内図 No.99 末長1丁目 (PDF)”. 川崎市 (2013年9月24日). . 2013閲覧.
  19. 住居表示新旧対照案内図 No.100 末長2丁目 (PDF)”. 川崎市 (2013年11月18日). . 2013閲覧.
  20. 住居表示新旧対照案内図 末長3・4丁目 (PDF)”. 川崎市 (2014年10月21日). . 2014閲覧.
  21. 住居表示新旧対照案内図 末長3・4丁目 (PDF)”. 川崎市 (2014年10月21日). . 2014閲覧.
  22. 川崎地名辞典(上)』 p.365
  23. 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2018閲覧.
  24. 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). . 2018閲覧.

参考文献

  • 『川崎の町名』 日本地名研究所 編、川崎市、1995年。
  • 『川崎地名辞典(上)』 日本地名研究所 編、川崎市、2004年。
  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 角川書店、1984年。