手稲山口バッタ塚

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手稲山口バッタ塚(ていねやまぐちバッタづか)は、北海道札幌市手稲区手稲山口にあるである。札幌市指定史跡。

概要

北海道開拓使時代に、十勝地方バッタが大発生し、各地で蝗害をもたらしていた。バッタは札幌にも飛来し、その後毎年のように大発生し農作物は食べ尽されていった。人々はバッタを減らすために、幼虫を追い込んで穴に埋めたり、でつぶしたり、野焼きをするなどした。雨が降れば卵が溺れ死ぬという事で、雨乞いのために大砲まで撃ったとも言われている。その後、明治政府は被災者の救済も兼ねて市中から卵を買い集め、砂地だったこの地に埋めて、バッタを減らそうとした。蝗害の根絶を願ってそこに建てられたものがバッタ塚である。

バッタ塚は十勝地方などにも多く見られ、札幌市内にもいくつか存在したが、同市内において現存するものは手稲山口バッタ塚のみである。

沿革

  • 1880年 - 1885年 - バッタが北海道を広く襲い、開拓当初の北海道の農業に大打撃を与える。
  • 1883年 - 明治政府によって手稲山口バッタ塚が造られる。
  • 1978年8月21日 - 札幌市文化財(札幌市指定史跡第1号)に指定。

その他

  • 現在、塚を含む付近の開発が行われており、将来は山口緑地として手稲区の新しい観光地として利用される予定である。

所在地

  • 北海道札幌市手稲区手稲山口324-308

アクセス

関連項目

  • 札幌市手稲記念館 - バッタ塚のコーナーがあり、土や塚の説明が書かれたパネルが設置されている。
  • 新得町バッタ塚 - バッタの大量発生源となった十勝地方に残るバッタ塚。新得町に所在する。

外部リンク