山陽小野田市立山口東京理科大学

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山陽小野田市立山口東京理科大学
大学設置 1995年
創立 1987年
学校種別 公立
設置者 公立大学法人山陽小野田市立山口東京理科大学
本部所在地 山口県山陽小野田市大学通1-1-1
キャンパス 本部のみ
学部 工学
薬学
研究科 工学研究科
ウェブサイト 山陽小野田市立山口東京理科大学公式サイト
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山陽小野田市立山口東京理科大学(さんようおのだしりつやまぐちとうきょうりかだいがく、英語: Sanyo-Onoda City University(旧称Tokyo University of Science ,Yamaguchi)

山口県山陽小野田市大学通1-1-1に本部を置く日本公立大学

1995年に設置。大学の略称は山口理大、山口理科大、山口東理大、TUSY、やまりか。地元では理科大で通じる。

概観

ファイル:Tokyo University of Science, Yamaguchi 01.jpg
山陽小野田市立山口東京理科大学

大学全体

1987年学校法人東京理科大学により山口県小野田市(当時)に設置された東京理科大学山口短期大学を前身とする。1995年に四年制となり山口東京理科大学となった。2016年より設置者が学校法人東京理科大学から公立大学法人山陽小野田市立山口東京理科大学となり、公立大学に移行した。本部は山陽小野田市だが、敷地の一部は宇部市にもまたがる。最寄の西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線雀田駅。2011年3月までは構内に放送大学山口学習センターも併設されていた。

建学の精神

理学の普及をもって国運発展の基礎となす」と掲げる東京理科大学の1881年建学の精神を継承し、「教育」「研究」「地域貢献」を理念として構成されている。この基本理念が規範となり学部学科の使命・目的が定められ、その実現に向けた学士課程が設置されている。

沿革

年表

公立化への動き

設置者の学校法人東京理科大学は本学及び東京理科大学・諏訪東京理科大学の組織改革を進めており、2014年12月、学校法人東京理科大学と山陽小野田市は本学の公立大学法人化について合意し[2]、2016年度から公立大学法人に移行した。2017年度以降には薬学部の新設をめざす。山陽小野田市は同月22日に市議会に公立化の方針を示し、同意を得た上で、26日には学校法人東京理科大学と山陽小野田市の間で移管についての基本協定書を交わした。公立大学法人の名称は「山陽小野田市立山口東京理科大学」とし、本校の東京理科大学との連携は維持される。公立化に際し、学校法人側は土地、建物、設備を市に寄付し、市がそれらを公立大学法人に引き継ぐ。現在の学生・教職員はそのまま「山陽小野田市立山口東京理科大学」の学生・教職員となる。公立化によって総務省から運営交付金が受けられるほか、設置主体の地方自治体地方交付税交付金が配分される。これらによる収入が現在の私学助成金より高額になることから、授業料が他の国公立大並みに引き下げられる見通しであるという。本学は地元自治体の誘致と協力によって開学した短期大学を前身とする大学であるが、2010年度以降入学者が1年を除き定員割れしており、2014年度の全在学生も定員の800人を下回る状態となっていた。少子化と学生定員割れが続く中、このままでは今後の状況は厳しいと大学側は判断、本学より後発の公設民営方式・「公私協力」型の大学が相次いで公立に移行している現状を踏まえ、学費を引き下げることにより学生・父母保証人の負担を軽減し、学生数を確保するとともに、県内高校卒業者の県内大学進学率を上げ、「公立理工系大学」として地域の高等教育機関の維持と活性化を図ろうとするものである。

薬学部の設置

2018年(平成30年)4月に山口県としては初となる薬学部を設置した。また、西日本近畿中国四国九州沖縄地方)の公立大においては、初の薬学部設置となった[3]

基礎データ

所在地

教育および研究

組織

学部

  • 工学部
    • 機械工学科
    • 電気工学科
    • 応用化学科

大学院

附属機関

  • 液晶研究所
  • 先進材料研究所

学生生活

学園祭

学園祭は「竜王祭」と呼ばれている。

大学関係者と組織

大学関係者一覧

大学関係者

施設

キャンパス

対外関係

姉妹校

脚注

出典

公式サイト


テンプレート:学校法人東京理科大学



座標: 北緯33度57分25秒 東経131度11分15.5秒