宝島 (鹿児島県)

提供: miniwiki
移動先:案内検索

宝島
たからじま
座標 北緯29度8分45秒東経129度12分30秒
面積 7.14 km²
海岸線長 13.77 km
最高標高 291.9 m
最高峰 イマキラ岳
所在海域 東シナ海
所属諸島 トカラ列島
所属国・地域 日本の旗 日本鹿児島県鹿児島郡十島村
テンプレートを表示
ファイル:Takara-jima Island Aerial photograph.1978.jpg
宝島の空中写真。この画像は上方が北東方角である。1978年撮影の12枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
ファイル:Kagoshima Satsunan-islands.png
トカラ列島(薩南諸島、中部)

宝島(たからじま)は、トカラ列島に浮かぶである。郵便番号は891-5301。人口は133人、世帯数は78世帯(2015年12月31日現在)[1]

地名(行政区画)としての「宝島」の呼称は鹿児島県鹿児島郡十島村大字となっており、大字の区域は宝島の全域にあたる。

概要

地理

トカラ列島の有人島では最南端(無人島は宝島の南方に横当島がある)にあり、鹿児島港から366 km、奄美大島からは90 kmの位置にある。周囲はサンゴ礁に囲まれているが、島の北東部には地元住民が「サバク」と呼称する海浜砂丘がある。集落は島の北岸の平地にあり、前籠港や十島村立宝島小中学校などの公共施設が多く所在している[2]

歴史

島内からは多くの土器が出土しており、下層部からは縄文後期の頃のものとみられる宇宿下層式土器や八重山式土器、上層部からは弥生中期の頃と見られる須玖式土器が出土している[3]

宝島という地名は江戸期より見え、薩摩国川辺郡のうちの村名であったとあるが、薩摩藩の直轄領であったため、には属さず、藩の船奉行の支配下に置かれていた。宝島の村には小宝島も含まれていた。口之島中之島と同様に津口番所、異国船番所、異国船遠見番所が設置され、城下より在番が派遣されていた。村高は「薩藩政要録」では395余であった[3]

文政7年(1824年)8月、イギリス船(捕鯨船)が来島し、島民に牛を譲渡するように要求したが、在番及び郡司が拒否したため、20名から30名程度のイギリス人が島に上陸し牛3頭を略奪した。この事件で横目の吉村九助が在番所でイギリス人1名を射殺、流人であった本田助之丞と田尻後藤兵衛の2名の武士も争いに参加したとある。射殺された船員は塩漬けにされた(磯田道史 『素顔の西郷隆盛』 2018年 pp.60 - 61)。この事件が1つの要因となり、翌年の文政8年(1825年)には異国船打払令が出された[3][4] この事件の顛末を吉村昭が短編小説『牛』で描いている。島にはこの事件に由来したイギリス坂という地名が存在する。


行政区分の変遷はトカラ列島に準じるが、1952年昭和27年)の本土復帰時に、小宝島の領域が大字宝島から分立され、大字小宝島となった[3]

なお、17世紀後半のイギリス海賊キャプテンキッドがこの島に財宝を隠したという言い伝えがある[5]

人口の変遷

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 出典
1871年(明治4年) 55 299 地理纂考[6]
1882年(明治15年) 64 352 県地誌[7]
1895年(明治28年) 59 403 拾島状況録[7]
1910年(明治43年) 78 499 トカラの地名と民俗
1932年(昭和7年) 112 664
1955年(昭和30年) 123 560 角川日本地名大辞典

施設

公共
  • 十島村役場宝島出張所
  • 前籠港
教育
郵便局
  • 宝島郵便局
温泉

交通

航路

村営船フェリーとしま
  • 前籠港

湖沼

  • 大池

脚注

  1. 1.0 1.1 国勢調査でみる地区別人口・世帯数の推移 - 十島村ウェブサイト 2016年01月13日閲覧。
  2. 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.922
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.400 - 401
  4. 白石一郎『天上の露』に収録の「宝島」は、この事件を元にした物語。
  5. 宝島について - 十島村役場ウェブサイト
  6. 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.400からの孫引き
  7. 7.0 7.1 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.401からの孫引き

関連項目

外部リンク

テンプレート:トカラ列島