学校法人東洋英和女学院
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創立者 | マーサ・カートメル(メソジスト系宣教師) |
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団体種類 | 学校法人 |
設立 | 1884年 |
所在地 |
東京都港区六本木五丁目14番40号 (旧・麻布鳥居坂町) 北緯35度39分32.4秒東経139度44分6秒 |
ウェブサイト | 東洋英和女学院 |
学校法人東洋英和女学院(がっこうほうじんとうようえいわじょがくいん)は、東京都港区六本木五丁目14番40号 (旧: 麻布区鳥居坂町)に本部を置く学校法人。
来歴
- 1884年: カナダメソジスト教会の宣教師マーサ・カートメルが麻布鳥居坂に東洋英和女学校を開校する。
- 1889年: イザベラ・ブラックモーア校長が本科4年の受けに修業期間2年の高等教育を非公式で始める[2]。
- 1891年: ジェシー・マンローが校長に就任する。マンローは平岩愃保を議長とする外国人4名と日本人4名による商議員会を設け、組織化する。
- 1896年: 加茂令子が寄宿舎舎監になる。(-1936)
- 1899年: 高等科が公式に認可される。
- 1909年: 高等科が3年制に改められる。また、幼稚科と予科が小学科になる。
- 1913年: 高等科が4年制の英語科になる。
- 1914年: 附属幼稚園が設立される。
- 1918年: 高等科が東京女子大学と合併し発展解消した。
- 1919年: 本科が高等女学校となった。また、付属幼稚園保母養成所を設置する。
- 1921年: 付属幼稚園保母養成所が付属幼稚園師範科に改称される
- 1924年: 日本福音保母養成所を合併する。
- 1927年: 校章および制服を制定する。
- 1934年: 創立60周年記をむかえ、校歌を制定する。
- 1947年: 保母養成所が保育専攻部となり、高等女学校は中学部と高等部に分かれる。初等学校は小学部に改められる。
- 1950年: 保育専攻部が短期大学保育科に改組される。
- 1951年: 学校法人東洋英和学院が設立される。
- 1954年: 英文科が設置される
- 1963年: 保育専攻科・英文専攻科が設置される。
- 1973年: 横浜市緑区に短期大学付属かえで幼稚園を設立する。
- 1984年: 創立100周年記をむかえ、短期大学が横浜市緑区へ移転され、国際教養部が設置される。
- 1989年: 横浜市緑区に東洋英和女学院大学が設置される。
- 1999年: 短期大学が廃止される
設置校
- 東洋英和女学院大学院
- 東洋英和女学院大学
- 東洋英和女学院中学部・高等部
- 東洋英和女学院小学部
- 東洋英和幼稚園
- 東洋英和女学院大学付属かえで幼稚園
- 東洋英和女学院生涯学習センター
廃止校
- 東洋英和女学院大学短期大学部(東洋英和女学院短期大学) - 1998年(平成10年)をもって廃止
- 東洋英和学校[3]
脚注
- ↑ 7月1日付で、新理事長が就任しました 東洋英和女学院 Topics
- ↑ 当時の教育のようすは連続テレビ小説「花子とアン」に取り上げられたほか、林真理子の『白蓮れんれん』で白蓮が継子を東洋英和に入れようとする際の回想で描かれている。具体的には『村岡花子と赤毛のアンの世界』(河出書房新社)の村岡美枝「東洋英和の教育と『赤毛のアン』、「当時の東洋英和女学校と『赤毛のアン』の共通点」に描かれている。
- ↑ 現在の麻布中学校・高等学校の前身