大詔奉戴日

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大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とは、大東亜戦争太平洋戦争)完遂のための大政翼賛の一環として1942年1月から終戦まで実施された国民運動。大東亜戦争(対米英戦争)開戦の日(1941年12月8日)に「宣戦の詔勅」(開戦の詔書)が公布されたことにちなんで、毎月8日に設定された。

1942年1月2日に閣議決定され、同月8日より実施。これに伴い、1939年9月から毎月1日に行われていた興亜奉公日は廃止となった。大詔奉戴日は大東亜戦争中は継続するものとされていた。

大詔奉戴日の趣旨は「皇國ノ隆替ト東亞ノ興廃トヲ決スベキ大東亞戰爭ノ展開ニ伴ヒ國民運動ノ方途亦畫期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戰ノ大詔ヲ渙發アラセラレタル日ヲ擧國戰爭完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス」とされ、興亜奉公日より一層戦時色の強いものとなった。国旗掲揚、君が代吹奏、宮城遥拝、詔勅勅語の奉読などの他、学校では御真影の奉拝や分列行進なども行われた。新聞の一面には宣戦詔勅が掲載された。

興亜奉公日で推奨されていた、児童・生徒の日の丸弁当は引き続き実施されたが、戦争末期になると食糧事情が悪化し、日の丸弁当ですら容易に作ることができなくなっていった。