和泉葛城山

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和泉葛城山(いずみかつらぎさん)は、大阪府和歌山県の境にある、標高858m[1]の山。和泉山脈金剛山地の120キロにわたる逆L字型をなす「金剛・和泉葛城山系」を構成する山として受け取られている。大阪府奈良県の境にある大和葛城山もそれに連なる。和泉葛城山は、葛城連峰の中心として昔から親しまれている山である。

概要

  • 和泉葛城山は古くから信仰とのかかわりの深い山である。山頂には、八大竜王社と呼ばれる神社が二つ坐している。片方の大阪側の神社は、正式には、「高龗(たかおがみ)神社」であり、葛城一言主を祀っている。その昔、石造の宝殿と鳥居は、岸和田藩岡部氏が寄進したと言われている。現地説明板には葛城神社とあるが、中古よりこのような名称は存在しなかった。「石の宝殿社」、「八大竜王社」も通称である[2]。高龗大神とは黒龍大神のことで闇龗大神(白龍大神)の御二柱で対となる。雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われる時に、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(九頭龍)の守護と国家鎮護産業興隆を願って、こちらの御二柱を御祀りされた記録がある。
そのすぐ南の紀州側に背中を合わせるように坐しているのが、正式な八大竜王社である。類似した造りの石造の宝殿が鎮座しているが、これは修験道の「葛城二十八宿」のうちの「龍の宿」における「峰の竜王」を祀ったものである。
  • 山頂北側の斜面にブナの天然林が広がっている。ブナは本来冷涼な気候帯で生育するが、ここのブナ林は生育の南限に近く、さらに八大竜王社の社有林として伐採を禁じられていた。そのため、奇跡的に残っていたという理由で、1923年に国の天然記念物に指定されている。
  • 山頂には、展望台があり、そこから大阪平野・紀の川市山麓が一望できる。夜になると関西国際空港が輝いて見える。また、天体観測などにも適していると言われている。
  • ハイキングコースも整備されていて、岸和田市には、2つのハイキングコースが用意されている。牛滝山(うしたきさん)から登る場合は「お地蔵さんコース」、塔原(とのはら)地区から登る場合は「ブナ林コース」となっている。もちろん、貝塚市蕎原(そぶら)から登る事も可能。また後述のとおり、車でのアクセスルートは充実しており、山頂付近まで乗り入れることができる。 山頂付近には駐車場と売店がある。
  • 和歌山側からのアプローチは深い谷間からの急登が多いため、利用する登山者も少ないようで踏み跡も朽ちたコースが多く、まさに苦行の態である。

交通アクセス

自家用車の場合
公共交通機関の場合
  • 南海岸和田駅」から、南海バスの塔原(とのはら)行きで終点下車、ハイキングコースにて。
  • 南海「岸和田駅」から、南海バスの牛滝山(うしたきさん)行きで終点下車。ハイキングコースにて。
  • 水間鉄道水間観音駅」から、水鉄バスの蕎原(そぶら)行きで終点下車。ハイキングコースにて。

脚注

  1. 八大竜王社の付近を山頂とし、標高858mとすることが多い。しかし、八大竜王社の東方に865.7mの三角点があり、そちらを採用し標高865.7mとすることもある。
    • 井上正雄『大阪府全志 巻之五』776-778頁(東葛城村大字塔原の項)、1922
    • 泉南郡役所『泉南記要』99頁(第五章第一節「神社」)、1917-1926
    • 岸和田市史編さん委員会『岸和田市史』第八巻、13-15頁「明治七年五月塔原村一村限調帳」、32-34頁「明治十年十一月塔原村地誌編輯」、同39-42頁「明治二十年塔原村村誌写」、1980
    などに高龗神社とあり、例年3回の祭日に使う祭器を収納する櫃の箱書にも「高龗神社」と墨書されており、土地の古老によれば本体の石祠にも「高龗」と彫られているとのことであるが、「葛城神社」という名称は古い文献および古文書の類では確認できない。おそらく江戸期の五箇庄が明治に東葛城村と西葛城村とに分離統合され、それぞれに村社として東西の葛城神社を構えたという経緯を誤解し、東西の村の惣社という位置づけから単に「葛城神社」と付会したと考えられる。地元においても「(和泉)葛城山の神社」という呼称はあるが、「葛城神社」とは言わないようである。ただし「高龗神社」という名称も、寛永年間の藩主岡部氏入部後における「葛城一言主との邂逅譚」の成立以降と考えられ、それ以前および通常は単に「八大竜王社」と言われていた形跡を、塔原村堀田家文書『葛城峰宝仙山萬覚書』や寛政年間の『和泉国寺社境内帳』から推察することができる。

関連項目

外部リンク




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