千秋公園

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千秋公園(せんしゅうこうえん)は、秋田県秋田市にある都市公園(総合公園)である[1]

概要

久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された。面積は16.29ha。名称は秋田市出身の漢学者狩野良知による命名(当初は「千秋園」[2])で、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものと伝えられる。

園内には緑が多く、復元された久保田城御隅櫓・本丸表門が藩政時代の雰囲気を今に伝えるほか、園内には秋田県民会館秋田市立中央図書館明徳館平野政吉美術館秋田市立佐竹史料館などがある。

また与次郎稲荷神社八幡秋田神社彌高神社などの神社も園内に所在する。

歴史

  • 1890年(明治23年) - 陸軍省から旧藩主の佐竹氏へ城跡が払い下げられ、うち本丸・二の丸を秋田市が佐竹氏から借り受け公園とする。
  • 1892年(明治25年)
  • 1896年(明治29年) - 秋田市から秋田県へ移管。長岡安平の設計により整備される。
  • 1899年(明治32年)5月 - 東根小屋町(現在の中通二丁目)にあった八幡神社と秋田神社が本丸に移転してくる。
  • 1907年(明治40年)12月 - 八幡神社と秋田神社を合祀し、八幡秋田神社と改称。
  • 1950年(昭和25年)10月 - 秋田県児童会館付属動物園(後の大森山動物園)が開園。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 秋田市に移管。動物園を秋田市児童動物園と改称。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 付近の地名が千秋公園と改称される(後述)。
  • 1972年(昭和47年)9月1日 - 動物園が秋田市浜田の大森山に移転。
  • 1984年(昭和59年) - 前年12月に没した佐竹宗家第35代(旧侯爵4代)・佐竹義栄の遺志に従い、公園用地(約14.6ha)が佐竹氏から秋田市へ寄贈される。
  • 1990年(平成2年) - 財団法人日本さくらの会によって日本さくら名所100選に選定される。
  • 2005年(平成17年)1月9日 - 八幡秋田神社が放火により焼失。
  • 2008年(平成20年)12月 - 八幡秋田神社を再建。

イベント

ファイル:SensyuPark.jpg
つつじまつり
  • 桜まつり(4月中旬~下旬)
  • つつじまつり(5月中旬~下旬)

アクセス

地名としての千秋公園

1966年(昭和41年)4月1日、住居表示導入に伴い町名整理が行われ、公園内(現在の明徳小学校敷地を含む)の地名が「千秋公園」となった。他にも公園周辺に「千秋」を冠した地名が新たに作られ、総じて「千秋地区」とされる。

関連項目

脚注

  1. 都市公園明細表(秋田市)
  2. 明徳館の最高職である第4代酒祭の野上国佐の号が千秋園であった。
  3. 現在園内に存在する桜771株のほとんどが明治期に有終会によって寄付されたものとされ、樹齢の限界を迎えており植え替えが検討されている[1]
  4. 多くの路線が経由するが、秋田駅西口の次の停留所である
  5. 秋田駅西口から秋田駅の北東側へ向かう路線が経由するが、秋田駅西口の次の停留所である

外部リンク