十字屋 (百貨店)

提供: miniwiki
移動先:案内検索


株式会社十字屋(じゅうじや、英文表記:JUJIYA Co.,Ltd)は、かつて百貨店を初め、商業施設などを運営していた日本の企業。2007年平成19年)1月16日に株式会社ダイエーに吸収合併された[1]

かつて百貨店の十字屋は全国8都市にあったが、平成時代に入り店舗閉鎖を進め、ダイエーの子会社である株式会社中合福島県福島市)が運営する十字屋山形店山形県山形市)のみとなったが2018(平成30)年1月31日をもって閉鎖され95年の歴史に幕を閉じた[2][3]

沿革

1923年大正12年)、神奈川県平塚市にて、衣料品や身のまわり品を扱う十字屋呉服店として創業した[4]1935年昭和10年)に株式会社[4]終戦後、早々と関東地方の主要都市を中心に小型店を多数出店し、ダイエーなどよりも早い時期にチェーン展開を図っていた。この時期、東京都内にも多数の店を有していたが、その後時代のニーズにそぐわなくなり整理されるようになった。

法人としては1954年(昭和29年)には商号を株式会社十字屋に変更して本店を東京都中央区日本橋橘町に移転、翌1955年(昭和30年)に株式会社十字屋洋装店など関連企業20社と合併し組織の再構築を図った。1961年(昭和36年)には本店をその後長らく所在する東京都台東区柳橋に移転し[5]、また東京証券取引所市場第二部への上場も果たした[5]

1967年(昭和42年)には百貨店に業態変更し、初の本格的な百貨店として栃木県足利市に足利店を開業した[6]1968年(昭和43年)に第一部上場となった[5]。百貨店化にあたって1971年(昭和46年)に大丸と業務提携し[5]、商品券相互利用やTROJANといった大丸のプライベートブランドの取り扱い、物流面で協力体制を図った。

町田、新小岩(東京都)、太田(群馬県)といった売場面積2000㎡前後の小型店では従来からの衣料品量販店の運営を続ける一方、1960年代から大宮(埼玉県)、宇都宮(栃木県)、千葉(千葉県)、船橋(千葉県)などの小型店を売場面積2000~7000㎡の規模に順次大型化させた。また1970年代に入ると仙台(宮城県)、山形(山形県)、藤沢(神奈川県)、銚子(千葉県)に売場面積10000㎡級の大型店を、さらに佐原(千葉県)、八千代台(千葉県)にショッピングセンターを出店し拡大路線を図った[† 1]。しかし、度重なる設備投資によって経営不振が表面化し、丸紅等による経営のテコ入れが実施された。

1976年(昭和51年)、当時百貨店業態の展開に興味を示していたダイエーが、筆頭株主だった丸紅から発行済み株式の約23%にあたる1000万株を取得[7]1982年(昭和57年)に資本業務提携するに至った[7][5]。ダイエーと提携後は不採算店舗の整理業態変更が実施され、宇都宮、町田、船橋、千葉などの店舗は手芸用品専門店やディスカウントストアに転換し、不採算であった仙台店も仙台十字屋として別会社化された。1996平成8年)にはダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併し、業績改善のため大型商業施設OPA事業を譲受した[8]。アゴラとの合併後、売場面積が6000㎡に満たない店舗が一斉にスクラップの対象とされ、佐野、太田、宇都宮、船橋などの店舗が閉鎖された。

2004年(平成16年)に親会社のダイエーと共に産業再生機構の支援決定を受け、山形を除く[5]仙台[9][10]、銚子[10][11]、館山[10]の店舗を閉鎖した。山形店については同じダイエーの子会社中合福島県福島市)に経営権を譲渡し、十字屋は事実上、百貨店事業から撤退した[2]。さらに2006年(平成18年)には、施設運営部門(OPAやステーションパーク)とHIPIN事業部門に関する営業を分割し、新設の株式会社OPAに承継された。またダイエーによる簡易合併手続きを内容とする合併契約書を2006年(平成18年)に締結、翌年の2007年(平成19年)1月16日をもって会社は解散された。この吸収合併により、十字屋の子会社であったOPAがダイエーの直接の完全子会社となった。。

年表

  • 1923年(大正12年)12月 - 神奈川県平塚市に十字屋呉服店を創業[5]
  • 1935年(昭和10年)2月 - 商号を株式会社十字屋呉服店に変更[12][5]。(資本金8万円[13]
  • 1951年(昭和26年) - 商品の共同仕入を行う十字屋協同組合を設立[12]
  • 1954年(昭和29年)6月 - 商号を株式会社十字屋に変更し、本店を東京都中央区日本橋橘町に移転する[5]
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月 - 本店を東京都台東区柳橋に移転[12][5]
    • 10月 - 東京証券取引所市場第二部に上場[5]
  • 1967年(昭和42年) - 百貨店に業態変更した[6]
  • 1968年(昭和43年)1月 - 東京証券取引所市場第一部に上場[5]
  • 1971年(昭和46年)6月 - 大丸と業務提携[12][5]。大丸松坂屋CBSグループ(共同仕入れ機構)に 山形店、仙台店、足利店、藤沢店、千葉店、木更津店、銚子店、館山店が加盟し、大丸商品券の取り扱いや共同配送等を行った。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 株式会社ダイエーと業務提携[5]
  • 1996年(平成8年)9月 - 株式会社ダイエー・アゴラ(OPA事業)と合併、株式会社キャナルシティ・オーパを設立[5]
  • 1999年(平成11年)8月 - 大丸と業務提携解消[5]
  • 2004年(平成16年)12月28日 - 親会社のダイエーとともに、産業再生機構の支援が決定[5]
  • 2005年(平成17年)
    • 7月1日 - 株式交換によりダイエーの完全子会社となる。(2月23日に「株式交換に関する覚書」を締結[5])
    • 11月30日 - 仙台店[9]、銚子店[11]、館山店を閉店[10]
    • 12月1日 - 山形店の営業権を中合に譲渡。
  • 2006年(平成18年)3月1日 - 会社分割によりOPAやステーションパークの施設運営部門とHIPIN事業部門を「株式会社OPA」として分社化。
  • 2007年(平成19年)1月16日 - ダイエーに吸収合併され消滅。
  • 2018年(平成30年)1月31日-最後の店舗である山形店の閉店をもって完全に消滅。

店舗

十字屋山形店

十字屋山形店
店舗概要
所在地 990-8551[14]
山形県山形市幸町2-8[14]
座標 地図
開業日 1971年(昭和46年)6月10日[16]
正式名称 十字屋山形店
建物名称 白蝶ビル[17]
土地所有者 株式会社白蝶ビル[3]
施設所有者 株式会社白蝶ビル[3]
施設管理者 株式会社中合
設計者 山本建築設計事務所[18]
営業時間 10:00 - 19:30
駐車台数 268台(タイムズ十字屋山形店)
提携:60台(ヨシダパーキング)[14]
商圏人口 村山地方約55万人[15]
最寄駅 JR logo (east).svg山形駅
最寄IC NEXCO East.png山形自動車道山形蔵王IC
外部リンク 公式ウェブサイト

1971年(昭和46年)に開業。仙台店(宮城県)、藤沢店(神奈川県)、銚子店(千葉県)といった十字屋の店舗大型化の一環として七日町に既設していた店舗からの移転開業であった。当時、山形市内の大型商業施設は1956年(昭和31年)に大沼(現在も営業)、丸久(山形松坂屋に社名変更、2000年閉店)の2百貨店が開業(十字屋は3番目の開業)、さらに1973年(昭和48年)には大手資本であるダイエー山形店やニチイ山形店(後に山形ビブレに社名変更、2000年閉店)が開業し、東北屈指の大型店の激戦区となった。その中でも十字屋は先立って開業した丸久よりも好業績であり、1981年度(昭和56年度)には100億円を計上し大沼と並び山形県を代表する大型店の地位にあった。[15]

十字屋としても山形店の存在は中小の規模の店舗も多く地方の都市に点在していた同社の店舗体制の中で県庁所在地でかつ売場面積も1万㎡オーバーの店舗であり特別な存在であった。十字屋にはフラッグシップ的存在でかつ売場面積と売上でトップの仙台店(宮城県仙台市)が存在していたが同店は赤字基調であり利益的に貢献していたのは山形店であった。

1990年代前半までは売上高も90億から80億円台と堅調に推移していたが、景気悪化と商業の多様化、高速バスの発達に伴う仙台市へのストロー現象等で徐々に低下し2004年度(平成16年度)には約65億円にまで減少した[2]

その後親会社のダイエーが産業再生機構の支援が決定し、十字屋もそれに準じ2005年(平成17年)11月30日を以って株式会社十字屋による営業を終了、翌12月1日に同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権が譲渡、その際、山形店のみを継続させた。

2007年(平成19年)10月6日に地下1階の食品売り場を10年振りに改装して地元特産の天元豚や庄内鶏、地元の野菜等の地場の農産物の取り扱い、焼き魚の販売開始や寿司コーナーでのおこわの品目数増強等々総菜販売等を強化した他、有名洋菓子店や焼き立てパンの店なども導入した[19]

2016年度(平成28年度)の売上高は約31億円で、開業以来、最も少なかった[3][15]。同年12月には当店が入居するビルが耐震基準を満たしていないことが判明した[3]が、2019年(平成31年)に耐震改修を実施予定と公表された[20][17]

2017年(平成29年)8月30日、運営者の中合が翌2018年(平成30年)1月31日を以って当店を閉店すると発表した[15][21]。地方百貨店業界の低迷、集客を支えてきた大手アパレルブランドのテナントの撤退、宮城県仙台市への消費活動の一極集中、郊外ショッピングモールとの競争激化、客層が50代から70代中心で若者層を取り込めなかった等が閉店要因とされる[3]。中合は耐震工事について所有者と調整してきたが、改修の工期が1年以上必要とみられ、賃借料の値上げも予想される中、折り合いがつかなった[3][22]。そして、発表通り2018年1月31日に閉店した。閉店時刻には店の前の大通りに多くの人がつめかけ、別れを惜しんだ[23][24]

その後、旧十字屋山形店ビルを所有する事業者が、安全確保を最優先する観点からビル解体の方針を固めたことが同年6月に明らかとなった[25]。解体工事は事業者が国と県、市からそれぞれビル解体費の補助を受け、早ければことし8月にも解体を始め、来年春までに取り壊すとしている[26][27]

東北地方に所在する百貨店の売上高(2015年度)[28]
(東北所在の百貨店の総売上高の 「47.6%」 を仙台市の3店舗が占め、「仙台一極集中」傾向がある)
店名 運営会社 売上高(億円)
青森県の旗青森県 30px青森市 さくら野青森本店 さくら野百貨店 057.3
30px弘前市 さくら野弘前店 (株)さくら野百貨店 069.8
30px八戸市 中合三春屋 (株)中合 047.4
さくら野八戸店 (株)さくら野百貨店 040.2
岩手県の旗岩手県 30px盛岡市 パルクアベニューカワトク (株)川徳 188
アネックスカワトク (株)川徳 034.7
30px北上市 さくら野北上店 (株)さくら野百貨店 035.9
宮城県の旗宮城県 Flag of Sendai, Miyagi.svg仙台市 藤崎 (株)藤崎 431
仙台三越 (株)仙台三越 353
さくら野仙台店 (株)エマルシェ 079.3
秋田県の旗秋田県 30px秋田市 西武秋田店 (株)西武百貨店 102
山形県の旗山形県 30px山形市 大沼本店 (株)大沼 062.8
十字屋山形店 (株)中合 034.7
30px米沢市 大沼米沢店 (株)大沼 017.8
福島県の旗福島県 30px福島市 中合福島店 (株)中合 094.9
Flag of Koriyama, Fukushima.svg郡山市 うすい百貨店 (株)うすい百貨店 163

OPA(オーパ)

1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設で[8]聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)、新百合丘(川崎市麻生区)、藤沢(神奈川県藤沢市)、河原町(京都市)、心斎橋三宮キャナルシティ博多の各店は現在も営業を継続している。

ステーションパーク

郊外の近隣型ショッピングセンターとして展開した店舗[29]

過去に存在した十字屋の店舗

百貨店

かつて存在した百貨店業態の十字屋の店舗(1970年大丸・松坂屋CBSグループに加盟)
店名 開店 閉店 都市 位置 後身
仙台店 1972年 2005年 04100-9(全国地方公共団体コード)宮城県仙台市 地図 仙台TRビル(核店舗:LABI仙台店)
足利店 1969年12月 1993年 09202-9(全国地方公共団体コード)栃木県足利市 地図 フレッセイ通町店
千葉店 1951年 1986年 12100-2(全国地方公共団体コード)千葉県千葉市 地図 十字屋ショッカー
→ メディアバレー千葉(電器店)
銚子店(2代目) 1976年 2005年 12202-5(全国地方公共団体コード)千葉県銚子市 地図 銚子セレクト市場 ほか
館山店 1969年02月20日 2005年 12205-0(全国地方公共団体コード)千葉県館山市 地図 パインズマンション館山駅前タワー
木更津店 1993年 12206-8(全国地方公共団体コード)千葉県木更津市 地図 十字屋ショッカー
アクア木更津立体駐車場
藤沢店 1973年 1986年02月11日 14205-1(全国地方公共団体コード)神奈川県藤沢市 地図 コスタ
藤沢オーパファッションビル

ダイエー及び株式会社十字屋が産業再生機構の支援を受けて策定した再建策の一環として、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店[9]・銚子店[10][11]・館山店[10]を閉店し、翌日の12月1日に残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権を譲渡して百貨店全店の経営を終了した[2]

  • 仙台店 開店:1972年(昭和47年)4月20日[30]→増床:1974年(昭和49年)12月および1987年(昭和62年)→閉店:2005年(平成17年)11月30日[9][10][30]
    地上8階・地下3階、延床面積約31,700㎡、[31]売場面積14,883m2の規模で営業[32]していた。屋上にはかつて遊園施設があったが、のちにゴルフ練習場(スイングアカデミー)へ転換された。
    十字屋としては最大の売場面積と売上高を持つフラッグシップ的な店舗であり、丸光エンドーチェーン(現在のイービーンズ)、エスパルams西武等と共に仙台駅周辺商業地区における中核の一つであった[33]。また、TBC東北放送ラジオ「朝の百貨店案内」(放送期間:1954年7月13日 - 1997年3月31日、放送時間:午前9:35 - 午前9:45)に、一番町藤崎仙台三越、仙台駅前の丸光といった市内百貨店各店と共に紹介され、百貨店同士での競合もあった(同番組内や店内放送において十字屋のCMソング「ハニーレイク」が使用された)[30]
    1972年(昭和47年)開業(現・仙台TRビル東館に入居)。1974年(昭和49年)に増床(現・仙台TRビル西館に入居)。1984年(昭和59年)4月に「株式会社仙台十字屋」設立[4]1987年(昭和62年)には、仙台市地下鉄南北線開業に合わせて倉庫だった地下の2フロア(地下2〜3階)のうち地下2階を売り場に転換し増床、地下鉄仙台駅と直結させた。
    アゴラ合併以前は同社が得意とする40代以上の女性をメインターゲットに、1996年(平成8年)まで売り上げを堅調に増加させていた。だが合併後に方針を転換し若い層も取り込むことになり、1999年(平成11年)にはペディストリアンデッキ口(当ビルとの接続年不明)にあたる2階にギャル系のショップを集めたJUJIYA HIP[34]を新設した。このリニューアルに際してアゴラが展開するOPA事業と十字屋が展開し好調であった藤沢COSTAのノウハウを活用し、当時10代から20代の女性層から絶大な支持を有していたココルルエゴイストなどが出店し話題を呼んだ。
    2000年(平成12年)9月に「株式会社仙台十字屋」から仙台店を株式会社十字屋に営業譲渡し、2001年(平成13年)2月に株式会社仙台十字屋の清算が結了した[4]。売上高は同2001年2月期をピークに減少[9]。売上高減少を打開するため、食品売場にニュークイック、北辰水産など外部テナントや直営酒類ディスカウントショップ・リカーズの導入を図ったが、功を奏ぜずダイエー再建の一環により2005年(平成17年)に閉鎖が決定した。
    閉店時の売上高は105億円であり、ピーク時と比べ50億円近く減少していた。
    閉店後、土地・建物を所有する仙台市の不動産会社「日本オフィスビル」から東急レクリエーションが一括して借り上げ[35]2007年(平成19年)2月23日ヤマダ電機LABI仙台店を核店舗とする複合商業施設仙台TRビルとして再スタートした[36][37][† 2]
ファイル:Sakuraya-ashikaga.jpg
元十字屋足利店の建物。現在は解体済み
  • 足利店 (旧さくら屋開店:1967年(昭和42年)11月27日[38] → 買収:1969年(昭和44年)12月[38]1993年(平成5年)閉店・解体[39]
    さくら屋から営業権移譲をうける形で開業した十字屋としては初の百貨店業態[38]。移譲後間もなく店舗西側に別館を建設し玩具売場などの売場の他、地下1階には食料品売場も新設しフルライン型の百貨店を形成した。
    建物の構造上別館並びに地階へは直接エスカレーターとエレベーターをつなげることができず地下食料品売場へのアクセスはスロープを2ヶ所設置することで対応した。また本館屋上の遊園スペースには小規模な観覧車が設置されていた。
    ただ渡良瀬川南にイトーヨーカ堂が開業すると食料品売場を含む別館は閉鎖され、フルライン型百貨店業態から撤退した。
    その後、ディスカウントストア業態の堅調を受け1988(昭和63)年にかつてレストランがあった6階にディスカウントストアJマートを新設し小規模な食料品売場を復活させたが場所の兼ね合いから振るわず1993(平成5)年に閉店した。
    建物除却後空地の状態が続いたが、2000(平成12)年11月から2001(平成13)年1月に足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けビューティフルあしかがスクエアと銘打った各種イベントが開催された[39]
    現在は群馬県を本拠とする食品スーパーフレッセイ通町店が進出し現在に至っている[39]
  • 千葉店 開店:1951年(昭和26年)。「十字屋ショッカー」へ業態転換:1986年(昭和61年)。 閉店:1996年(平成8年)8月。
    ダイエー・メディアバレー千葉店:1997年(平成9年)9月4日 [40] 閉店:2002年(平成14年)2月24日 
    売り場面積約7,770m2[41]
  • (2代目)銚子店 開店:1976年(昭和51年)10月[42][43]1日→増床:1990年(平成2年)11月→閉店:2005年(平成17年)11月30日[43][10][11] 売場面積12,668m2[32]
    銚子市の表玄関である銚子駅前通りに位置した銚子市内唯一の百貨店で1991年(平成3年)に売上高約107億円を上げたが[42]、郊外型店との競合や不況の影響などで2004年(平成16年)に売上高約47.5億円に落ち込み[42]、産業再生機構の支援を受けて経営再建する一環として2005年(平成17年)11月30日に閉店した[43]
    当店の開設の際には、銚子商店連盟連合会が売場面積の縮小など3項目の意見書を提出するなど反対運動を行ったが、1974年(昭和49年)の銚子市長選で誘致を掲げる嶋田が当選を果たしたことなどが影響して進出が決まった[44]
    当店開店は、銚子駅前の商店街の通行量の増大や地元の商店主らの積極的な営業姿勢への転換などの効果をもたらし、銚子の商業発展につながったとされた[45]
    店舗跡地は、当初、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店[46](注・東京銀座などで百貨店を運営する松屋とは別企業)による商業施設「リズム」が地下1階が食品で地上1階は婦人服など全館を使って2008年(平成20年)11月14日に開店する予定だった[47]がテナントが集まらず断念し[42]2008年(平成20年)11月下旬から[42]2009年(平成21年)1月頃にかけて解体された。しばらくは更地であったが、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店が運営会社「てうし横丁」設立して2011年(平成23年)7月から木造平屋建ての銚子漁港市場「てうし横丁」を建設して2011年(平成23年)12月オープン予定していた[48]が、テナントが集まらず延期。
  • 館山店 開店:1969年(昭和44年)2月20日→閉店:2005年(平成17年)11月30日[10]
  • 木更津店(? - 1994年(平成6年)1月31日[49]
    →「十字屋ショッカー」へ業態転換。→閉店解体
    JR木更津駅西口の富士見通りに面した場所にあった[50]
    閉店後もビルが残っていたが解体され、2007年(平成19年)8月3日に隣接するアクア木更津の立体駐車場が建設された[50]
  • 藤沢店 百貨店としての開店(移転拡張):1973年(昭和48年)9月28日[51]→藤沢十字屋(1986年(昭和61年)2月11日閉店[52])→業態転換:1986年(昭和61年)3月13日 COSTA(コスタ)[52] →1995年(平成7年)ダイエー・アゴラと合併に際し 藤沢OPAに改称。仙台、山形、銚子と並ぶ売場面積10,000㎡超の大型店(10,500㎡)として藤沢駅北口から南口に1973年(昭和48年)に移転開業した。開業当初はフルライン型の売場構成であったが、差別化をはかるために10代後半から20代前半の女性をメインターゲットにした専門店ビル藤沢COSTAに業態転換した。またアゴラ合併後は名称を藤沢OPAに改められたが、藤沢COSTAのコンセプトは継承された。十字屋山形店閉店後は十字屋の流れを汲む最後の店舗となっている。

十字エス・シー ポポ

百貨店店舗に準じて展開されていた店舗である。

  • 佐原店(1997年(平成9年)閉店)
    JR佐原駅南口で地元百貨店の清見屋と共に商店街の2つの核店舗の一つとして機能していたが、郊外型店舗との競合により1997年(平成9年)に閉店し、建物は解体されて2011年(平成23年)2月時点で空き地となっていた[53]が、2013年現在はセブン-イレブン香取市佐原駅前店が建っている。
  • 八千代台店(八千代台駅東口[54]、1971年(昭和46年)2月26日[55] - ?)
    同じ東口にあるユアエルム八千代台が千葉そごうに対抗して[56]1993年(平成5年)に増床[57]した煽りで急速に集客力が低下していた[56]
  • 小岩店(1972年(昭和47年)7月15日[58]

中小型店舗

衣料品主体の中小型店舗を関東地方や東北地方を中心に展開していた。

末期には後期までの存続した6-7店舗程度が手芸専門店「クロスティ」と称した。○印。

山形県
  • 山形七日町店
    山形市七日町にあった店舗で、山形駅前の現在の山形店が開業した後も並行して営業を継続した[59]
  • 米沢店
  • 寒河江店(1982年(昭和57年)9月 - 1994年(平成6年)1月16日[49]
    1982年9月 「寒河江ショッピングセンター・チェリーモール」の核テナントとして開店。売り場面積は6,400m2。1986年5月「ダイエーFC十字屋寒河江店」に店名変更。1994年1月16日閉店。
    同ビルは同年7月には「山形ウェルマート」を核とする「パオ2丁目店」としてリニューアルするが、1999年8月ウェルマートも撤退。永らく核テナントが見つからない状況が続いたため寒河江市がビルと敷地を買い取り、2000年に3階以上を公共施設を入居させた複合ビル「フローラ・SAGAE」として再開発を行った。
福島県
  • 白河店
    白河市中心市街地のほぼ中央に立地していて店舗面積1,924m2であった[60]1969年(昭和44年)2月開店し、2000年(平成12年)12月に閉店した[60]
茨城県
栃木県
  • ○宇都宮店(1968年(昭和43年)[62] - ?)
    宇都宮市江野町3113 延べ床面積6,803m2[63]
    5階売り場には下りエスカレータがなく(上りのみ)、階段またはエレベーターで下降した。手芸用品専門店クロスティに業態変更した際、地階にあった食品売場を閉鎖し衣料品売場に充てた。
    閉店後、解体されて2006年5月に時間貸し駐車場となった[64]
  • 佐野店 佐野市
    地元の大型衣料品店だった小佐野が営業を取り止めた店舗跡の居抜き出店する形で1981(昭和56)年に開業した。売場構成は地上5階地下1階の売場面積7000㎡の規模であった。地階には食品売場が設けられ、当時としてはやや小規模ながらもフルライン型の百貨店であった。駐車場も十字屋としては多い300台分を確保しとしていたため、業績も堅調であった。
    だが、アゴラとの合併を受けた中小規模の店舗整理の一環で1996(平成8)年に閉鎖された。その後医療法人聖生会のデイケア機能を備えた介護老人保健施設「和の里」、1階の一部に給食を行う日清医療食品、2階に指定居宅介護支援事業所「ゆうゆう」、2階から4階を介護対応型高齢者向けマンション「悠楓園」などが入居する福祉関連の複合ビルとして利用されている[65]
群馬県
  • 前橋店(1961年(昭和36年)[66] - ?)
    前橋松竹跡を改装して出店した[66]
  • 高崎店(1964年(昭和39年)[66] - 1976年(昭和51年)2月[6]
  • 桐生店(1963年(昭和38年)[67] - 1992年(平成4年)[67]
    1963年(昭和38年)に桐生市の繁華街だった本町6丁目に約558m2の敷地に鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て延べ床面積約1,400m2の店舗を建設して開業し、長崎屋やいせやなど近隣にあった他の大型店と共に昭和40年代をピークとする同地区の繁栄の核として営業していたが、1992年(平成4年)に閉店した[67]
    閉店後は十字屋から物件を借りてゲームセンター「プレイランドパル」が2006年(平成18年)11月末まで営業してその後は空き店舗となっていたが、2012年(平成24年)7月から9月まで解体工事を行って更地に戻し、土地所有者に返還するが、変換後の土地利用は未定となっている[67]
  • 太田店(1950年(昭和25年)10月[68] - 1996年(平成8年)8月閉店[69]
    太田市東本町19-20[13]
    地上5階で売場面積1900㎡の衣料品量販店業態として営業していた[69]。立地も開業当初は国道407号に面し比較的恵まれていたが、東武伊勢崎線の跨線橋が設置されたことで悪化していた。対策として跨線橋を挟んだ場所に別館を建設し紳士衣料品を展開していたこともあったが、業績低迷で閉鎖後にゲームセンターとなった。
    同店もアゴラ合併後の店舗整理の対象となり佐野店同様に閉鎖された。
埼玉県
  • (初代)浦和店(1950年(昭和25年)9月[70] - 1962年(昭和37年)11月[70]
    浦和市仲町に出店していた[70]
  • (2代目)浦和店(1962年(昭和37年)11月[70] - 1984年(昭和59年)2月19日[71]
    浦和西口の浦和市高砂町、県庁通りに出店していた[55]
  • ○大宮店(大宮市宮町1-83[72]、1955年(昭和30年)2月[72] - )店舗面積約2,448m2[72]
  • ○大宮中央デパート店 2005年(平成17年)2月閉店[5]
  • 与野店
千葉県
  • (初代)銚子店(1960年(昭和35年)12月[45] - ?)
    陣屋町二番地に出店していた売り場面積約330m2の衣料品店[45]
  • 本八幡店(最後はローソン等の複合ビルだったが、京成八幡駅前の再開発により解体済み)
  • 浦安店(浦安パークスクエアにかつて存在)
  • 船橋店(ショッカーに業態転換)→閉店後、現在はドンキホーテ船橋店となっている。
  • 千葉店(1951年)、十字屋ショッカー(1986年)、1996年閉店。
東京都
  • ○亀戸店(2003年(平成15年)8月閉店[5]
  • 新小岩店(1996年(平成8年)7月[73]
  • ○町田店(2005年11月末閉店)現在はオカダヤ町田店
  • 八王子店
神奈川県
  • ○平塚店(1996年(平成8年)7月14日閉店[73][74]
    1923年(大正12年)に十字屋呉服店として創業した地。売り場面積969m2[73]
  • 横浜店
  • ○新百合丘オーパ店(2005年(平成17年)2月閉店[5]
  • ○小田原店(1964年(昭和39年)10月[75] - ?)
静岡県
  • 伊東支店(1996年(平成7年)7月閉店[76]
    伊東市猪戸1-26[13]
  • 沼津支店(1956年(昭和31年)5月[77] - 1994年(平成6年)11月末[78]
    仲見世商店街のほぼ中間に出店していた[79]
    現「マルサン書店」本店。
  • 冨士店
  • 島田店 

十字屋ショッカー

ディスカウントストアとして営業していた店舗である[80]

1980年代にダイエーの傘下に入ったことを機に店舗の売り場体制の見直しを行った一環として、手芸専門店業態のクロスティとならび展開された。同業態はダイエーが展開していたディスカウント業態であるトポスのノウハウを導入して比較的人口規模があり購買層の厚さが期待できる千葉県の3店舗があてられた。

特に船橋と千葉(千葉県)の両店は周辺にそごう、西武、東武といった巨艦店とも称される規模の百貨店が立地し小規模の売り場であった同店は業績が悪化していた。業態転換後は1980年代後半からの好景気から好調な業績をあげていたが、アゴラとの合併に伴う中小規模の店舗整理の一環で3店舗とも閉鎖となり消滅した。

  • 木更津店
  • 船橋店[80]
  • 千葉店

十字屋ドアイ

ホームセンター

  • 看板にはダックスフントをイメージしたキャラクターを使用。
ロゴはダイエーのディスカウントストアトポスと同様式であった。

ジューエル

  • 浦和店
  • 新小岩店

十字マート

  • 戸塚店(1969年(昭和44年)[81] - ?)

十字ストア

  • 大船店
  • 逗子店
  • 飯能店

OPA(オーパ)

1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設[8]

  • 浜大津OPA
    1983年(昭和58年)に都市計画決定されて1992年(平成4年)にバブル崩壊に伴って高島屋が出店辞退を表明し[82]1998年(平成10年)3月27日に開業した[58]京阪電鉄浜大津駅西側の「明日都浜大津」の核店舗として出店したが[83]2004年(平成16年)に3月に閉店した[5]
    店舗跡の核店舗としてコジマコジマNEW大津店が1階に出店していたが、2012年(平成24年)9月23日に閉店した[84]
  • 新神戸OPA
    ポートアイランドに移転した神戸市立中央市民病院の跡地に[85]1988年(昭和63年)9月29日に開業した新神戸オリエンタルホテルと同居する形で1988年(昭和63年)9月23日に開業した[86]が、当時施設を保有していた株式会社福岡ドームとの契約期限満了に合わせて2002年に撤退)

子会社

  • 株式会社OPA(施設運営事業、2006年(平成18年)3月1日に会社分割で新設された完全子会社)
  • 株式会社キャナルシティ・オーパ(施設運営事業、80%出資)[5]
  • 株式会社りんくうパーク(商業施設開発事業、りんくうパパラ関連、100%出資)[5]
  • 株式会社十字屋友の会(前払い式特定取引業)[5]中合友の会に営業譲渡
  • 十字興業株式会社(不動産賃貸業)[5]
    2006年(平成18年)3月30日より商号をダイエースペースクリエイトに変更した。現在はダイエーの100%子会社。
  • 十字エス・シー開発株式会社(不動産賃貸業、間接50%を含め100%出資)[5]
    りんくうパーク、十字エス・シー開発については、2007年(平成19年)に清算

脚注

注釈

  1. 昭和40年代始めにはJOAK(J-十字屋、O-扇屋、A-赤札堂、K-キンカ堂)としてスーパー業界4強の一角に挙げられていた。
  2. 現在は、自社ビルだった東棟と、第5日本オフィスビルの西棟を一体として、東急レクリエーション運営となっている。核テナントは、西棟1Fと東西2-5Fに入居するヤマダ電機LABI仙台店である。

出店

  1. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「nikkei-2006-12-15」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 上田泰嗣、辻本貴洋(2005年10月12日)。十字屋山形店、「中合」に営業を譲渡 屋号、雇用は継続(毎日新聞
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 十字屋山形店 来年閉店 競争激化で売り上げ減 中心街の空洞化拍車懸念(毎日新聞 2017年8月31日)
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 沿革(有報リーダー「株式会社十字屋」)
  5. 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 5.19 5.20 5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「jujiya-annual-report-71-2005」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  6. 6.0 6.1 6.2 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985-5。ISBN 978-4771002906。
  7. 7.0 7.1 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社 、1977年5月。ISBN 978-4828200057
  8. 8.0 8.1 8.2 “十字屋、9月1日付でダイエー・アゴラと合併 経営基盤強化図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年4月24日) 
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 “駅前の顔また消える 十字屋仙台店11月閉店”. 河北新報 (河北新報社). (2005年9月1日) 
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 10.7 10.8 “ダイエー、新たに十字屋含め7店を11月末までに閉鎖”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年8月31日) 
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 “ダイエー、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年9月2日) 
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「company-history-list-japan-1991」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  13. 13.0 13.1 13.2 『会社年鑑 上場会社版 下巻 1997年版』 日本経済新聞社、1997年。
  14. 14.0 14.1 14.2 アクセス&駐車場(十字屋山形店)
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 「十字屋山形店」来年1月閉店 国内最後の店舗…老舗の歴史に幕(産経新聞 2017年8月31日)
  16. 山形市史編さん委員会 『山形市史 現代編 』 山形市、1981年。
  17. 17.0 17.1 要緊急安全確認大規模建築物(民間建築物) (PDF) (山形市「大規模建築物等の耐震診断の結果及び公表について」)
  18. 十字屋山形店(白蝶ビル)(山本建築設計事務所)
  19. “十字屋/食品売り場、10年ぶり全面改装”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2007年10月12日)
  20. 倒壊危険性、山形市内8施設 7施設は対応予定山形新聞 2016年12月6日)
  21. “十字屋山形店、来年1月末で閉店へ”. 山形新聞. (2017年8月30日). http://yamagata-np.jp/news/201708/30/kj_2017083000615.php . 2017閲覧. 
  22. 中合 十字屋山形店を閉鎖 来年1月末(日本経済新聞 2017年8月31日)
  23. “「十字屋、ありがとう」 山形店が閉店、常連客ら名残惜しむ”. 山形新聞. (2018年2月1日). http://yamagata-np.jp/news/201802/01/kj_2018020100003.php . 2018-02-3閲覧. 
  24. “山形)駅前のシンボルに惜しむ声 十字屋山形店が閉店”. 朝日新聞デジタル. (2018年2月1日). https://www.asahi.com/articles/ASL102RK5L10UZHB001.html . 2018-02-3閲覧. 
  25. “旧十字屋山形店ビル、解体へ 所有者、安全を最優先”. 山形新聞. (2018年6月6日). http://yamagata-np.jp/news/201806/06/kj_2018060600108.php . 2018閲覧. 
  26. “旧十字屋解体、補助事業を活用 山形市長が考え示す”. 山形新聞. (2018年6月8日). http://www1.yamagata-np.jp/news/201806/08/kj_2018060800156.php . 2018閲覧. 
  27. “「十字屋」跡地活用へ市も支援”. NHK NEWS WEB 山形 NEWS WEB. (2018年6月7日). https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20180607/6020000845.html . 2018閲覧. 
  28. 日経流通新聞(2016年8月17日)
  29. “ダイエー初のNSC「ステーションパーク小束山店」4月27日オープン 兵庫県神戸市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年5月25日)
  30. 30.0 30.1 30.2 『懐かしのせんだいCM大百科』-せんだいCM捜索隊-(企画:スダジオM77。発行:エイエイピー東北、2007年11月) pp.14-15
  31. 旧「十字屋仙台店」跡地利用について (PDF) (東急レクリエーション 2006年9月)
  32. 32.0 32.1 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) (Report). 国土審議会調査改革部会. (2000年).
  33. 鳥越幸宏 (1990-7). 100万都市の流通-広島市の小売を考える- 第1回研究集会報告書 (Report). 地域経済システム研究センター. 
  34. AneCanモデル葛岡碧、細かいネタから楽天まで故郷・仙台を語り尽くす!CanCam 2014年2月3日)
  35. “旧十字屋仙台店、東急系の商業施設に 来年3月開業”. 河北新報 (河北新報社). (2006年9月13日) 
  36. “激しさ一層、仙台家電競争 ヤマダ電機都心型店舗開店”. 河北新報 (河北新報社). (2007年2月23日)
  37. “ヤマダ電機LABI仙台 2月23日(金)オープン 宮城県仙台市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年4月5日)
  38. 38.0 38.1 38.2 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日
  39. 39.0 39.1 39.2 米浜健人. “旧まちづくり三法下における地方都市中心市街地活性化の実情と課題 栃木県足利市を例として”. 早稲田大学学術研究 地理学・歴史学・社会科学編 第58号 (早稲田大学 教育学部) (2010年2月).
  40. “ダイエー・メディア、パソコン専門店「メディアバレー千葉」9月4日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年8月27日)
  41. 杉村暢二 『都市の商業 その地誌的考察』 大明堂、1978年3月。ISBN 978-4470060054
  42. 42.0 42.1 42.2 42.3 42.4 新沼章 (2008年12月6日). “十字屋銚子店:取り壊し開始、市内唯一のデパート消滅”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  43. 43.0 43.1 43.2 “十字屋銚子店が閉店”. 日刊大衆日報 (大衆日報社). (2005年12月2日)
  44. 戸石四郎 『もう一つの銚子市史 戦後の民衆運動五十年史』 なのはな出版、1998年8月。ISBN 978-4931379084
  45. 45.0 45.1 45.2 『続銚子市史』 銚子市、1983年2月。
  46. “松屋百貨店:昨年閉店の十字屋銚子店を買収”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2006年7月16日)
  47. 新沼章 (2008年7月23日). “十字屋銚子店跡地:新商業施設、開業へ 新名称は「リズム」-JR銚子駅前”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  48. “銚子の百貨店跡に魚や野菜の屋台村”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2011年7月13日)
  49. 49.0 49.1 『平成6年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1994年。
  50. 50.0 50.1 “旧十字屋木更津店跡 立体駐車場が完成”. 房総時事新聞 (房総時事新聞社). (2007年8月8日)
  51. 藤沢駅周辺商店街商業活性化調査報告書 (Report). 藤沢市経済部産業振興課. (1999年3月).
  52. 52.0 52.1 (続)藤沢市史編さん委員会 『ニュースは語る20世紀の藤沢1956-2000 (続)藤沢市史 別編3』 藤沢市、2006年3月。
  53. 平成22年度 中心市街地商業等活性化支援業務 市町村の中心市街地活性化の取組に対する報告書 千葉県 香取市 (Report). 経済産業省 中心市街地活性化室. (2011年2月).
  54. 平成12年6月 定例会(第2回)八千代市議会会議録 第5号 (Report). 八千代市議会. (2000年6月8日).
  55. 55.0 55.1 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
  56. 56.0 56.1 東洋経済新報社,社会調査研究所共同編集 『東洋経済臨時増刊 首都圏商業地図マップ』 東洋経済新報社、1995年。
  57. “「アメニティパーク・ユアエルム八千代台」が好調持続、低価格訴求が人気集める”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月3日)
  58. 58.0 58.1 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月).
  59. 神谷満雄 『山形商工会議所創立75周年記念出版 山形商工会議所史 下巻』 山形商工会議所、1972年。
  60. 60.0 60.1 白河市中心市街地活性化基本計画 平成21年3月 平成21年3月27日 認定 平成23年7月7日 変更 (Report). 白河市. (2011年7月7日).
  61. 61.0 61.1 61.2 水戸市史編さん委員会編 『水戸市史 下巻(三)』 北海道新聞社、1998年5月。
  62. 宇都宮市史編さん委員会編 『宇都宮市史 第7巻 近現代編1』 宇都宮市、1980年。
  63. 消防防災博物館 事例
  64. “増える時間貸し駐車場 宇都宮市の中心部”. 下野新聞 (下野新聞社). (2006年3月14日)
  65. 中心市街地の空きビル活用及びリニューアル事例調査 報告書 平成24年3月 (Report). 国土交通省都市局. (2012年3月4日).
  66. 66.0 66.1 66.2 群馬銀行五十年史編纂室 『群馬銀行五十年史』 群馬銀行、1983年。
  67. 67.0 67.1 67.2 67.3 “旧十字屋、解体へ 跡地利用は未定”. 桐生タイムス (桐生タイムス社). (2012年7月10日)
  68. 『太田市史 通史編 近現代』 太田市、1994年。
  69. 69.0 69.1 杉村暢二 『中心商業地の構造と変容』 大明堂、2000年7月16日。ISBN 978-4470540235
  70. 70.0 70.1 70.2 70.3 浦和市市史編さん室 『浦和市史 第5巻 現代史料編Ⅰ』 浦和市、1999年3月30日。
  71. 『昭和59年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1984年。
  72. 72.0 72.1 72.2 杉村暢二 『中心商業地の変容』 大明堂、1998年3月30日。ISBN 978-4470540174
  73. 73.0 73.1 73.2 日経流通新聞 1996年7月18日付「店舗閉鎖が来月完了 十字屋」より
  74. “平塚最後の百貨店、「梅屋・本館」が8月末で閉館へ”. 神奈川新聞 (神奈川新聞社). (2011年8月2日)
  75. 『小田原市史 通史編 近現代』 小田原市、2001年3月28日。
  76. 日経流通新聞 1996年7月18日付「店舗閉鎖が来月完了 十字屋」より
  77. “簡略沼津市商業界 昭和戦後史”. かみほんニュース (沼津上本通り商店街振興組合). (2012年6月10日)
  78. 『静岡年鑑 データしずおか 96』 静岡新聞社、1996年9月。
  79. 棟田他喜男 『現代ビジネス用語 即戦力 1996』 朝日出版社、1996年1月。ISBN 978-4255950310
  80. 80.0 80.1 “船橋地区、大型店の食品激戦地に 客奪回へ生鮮強化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月26日)
  81. 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
  82. 平成12年 9月定例会-9月8日- 大津市議会会議録 (Report). 大津市議会. (2000年9月8日).
  83. “大津市長選 県都の課題<上>中心市街地「人口増」と「客足減」の矛盾”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年1月11日)
  84. 千葉紀和 (2012年8月25日). “コジマNEW大津店:明日都浜大津、来月23日閉店 市「大変残念だ」”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  85. 大久保斉、松井元 (2005年9月22日). “流通革命を夢見て-中内功氏と神戸 中.愛着 開発行政と歩調合わせ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  86. 『ネアカのびのびへこたれず 中内功 言行録』 流通科学大学、1987年12月。

関連項目

外部リンク


テンプレート:ダイエーグループ テンプレート:イオングループ