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八戸駐屯地

テンプレート:Infobox JGSDF camp

八戸駐屯地の位置
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八戸駐屯地の位置
八戸駐屯地の位置


八戸駐屯地(はちのへちゅうとんち、JGSDF Camp Hachinohe)は、青森県八戸市市川町字桔梗野官地に所在し、第4地対艦ミサイル連隊等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

駐屯地司令は、第4地対艦ミサイル連隊長が兼務。

駐屯地北東に隣接して演習場(八戸演習場)がある。

概要

飛行隊、高射特科などが配置され、青森駐屯地と並んで第9師団の中核をなす駐屯地である。海上自衛隊八戸航空基地と隣接しており、一体化しているように見えるが、第9飛行隊が使用する滑走路を含め、完全に別個に運用されている。

連合軍占領時代には進駐軍(アメリカ軍)が駐留し、“キャンプ・ホーガン(Camp Hogan)”の名称で呼ばれた。駐屯地内にはキャンプ・ホーガン時代に建設された尖塔(鐘楼)付き教会があり、現在は銃剣道の道場となっている他、やはりアメリカ軍駐留時に建設された将校クラブがあり、こちらは戦術講堂と資料館(「防衛館」)となっている。防衛館の東側の敷地には退役したものを展示品とした74式戦車61式戦車他の車輌と火砲、ヘリコプターといった歴代の装備が屋外展示されている。

沿革

  • 1939年(昭和14年):前身となる日本陸軍飛行場の建設が開始される。
  • 1941年(昭和16年):日本陸軍八戸飛行場として完成。
  • 1945年(昭和20年)9月:アメリカ陸軍第8軍第9軍団第81師団が進駐。「キャンプ・ホーガン」と改称される。この時期に大規模拡張が行われ、海上自衛隊基地を含む現在の面積に拡張された。
  • 1950年(昭和25年)
    • 同年5月:朝鮮戦争により駐留する米第81師団の大半が移動。
    • 同年9月:敷地の一部が返還され、警察予備隊八戸駐屯地と改称される。
  • 1952年(昭和27年)10月:保安隊の発足により保安隊八戸駐屯地に改称される。
  • 1956年昭和31年)
    • 同年3月:駐留する米第81師団の大津駐屯地滋賀県)への移駐が決定。米軍に替わり陸上自衛隊第5普通科連隊青森駐屯地より移駐することとなり、米軍部隊の撤収と陸上自衛隊部隊の移動が行われる。
    • 同年5月:敷地の全域が日本に返還される。
    • 同年5月31日:第5普通科連隊が青森駐屯地より移駐を完了し、陸上自衛隊駐屯地として正式に発足する[1]
  • 1962年(昭和37年)8月15日:第9師団編成に伴い、第5普通科連隊を母体として第38普通科連隊及び第39普通科連隊を新編。
  • 1970年(昭和45年)3月:第9戦車大隊および第9対戦車隊が岩手駐屯地へ移駐[2]
  • 1968年(昭和43年)3月25日:第39普通科連隊が弘前駐屯地に移駐。
  • 1994年平成6年)3月28日:第9飛行隊が第9師団の隷下部隊となる。
  • 1996年(平成8年)3月29日:第4地対艦ミサイル連隊が新編される。
  • 1999年(平成11年)3月29日:第38普通科連隊が多賀城駐屯地に移駐。第9対戦車隊が岩手駐屯地から八戸駐屯地へ移駐。
  • 2006年(平成18年)3月27日:東北方面混成団新設に伴い、第38普通科連隊が多賀城駐屯地と八戸駐屯地に分駐。第3・4中隊のみが八戸駐屯地に再移駐。
  • 2010年(平成22年)3月26日:第9後方支援連隊が改編され青森駐屯地から八戸駐屯地へ移駐。第9対戦車隊及び第303特科直接支援中隊を廃止。
  • 2018年(平成30年)3月26日:第5高射特科群及び東北方面後方支援隊第101高射直接支援隊を廃止(それぞれ第101高射特科隊、第301高射直接支援隊に改組[3]

駐屯部隊

最寄の幹線交通

脚注・出典

  1. 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和31年5月28日政令第158号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1956年5月28日). . 2016閲覧.
  2. 岩手駐屯地だより ~ 沿革
  3. 第101高射特科隊新編行事東北方面隊ホームページ

外部リンク


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