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佐野氏

佐野氏(さのし)

秀郷流藤原氏。寿永二年(一一八三)二月、下野国野木宮合戦で、源頼朝に味方する小山朝政が常陸の志田義広軍を破った時、足利俊綱・忠綱は志田に一味して滅亡した。この時、同族の有綱(戸矢子・足利)は子息基綱らと小山氏の側に立ち、乱後基綱は妙音院領(のちに西園寺家領)下野国佐野荘の荘司(地頭)となり、佐野氏の祖となった。また承久の乱の勲功により淡路国都志郷の地頭となり、御家人として活躍した。南北朝内乱期には師綱が足利尊氏方として、享徳の乱では盛綱が古河公方足利成氏を支えてそれぞれ活躍した。唐沢山城の築城も盛綱の代と推定される。戦国時代、昌綱(天正二年(一五七四)没)は上杉輝虎に抵抗し、宗綱は、天正十三年館林の長尾顕長と抗争し戦死した。北条氏は氏康の子氏忠に佐野氏家督を継がせ、一方昌綱の兄弟(一説に子)房綱(俊綱ともいう、天徳寺宝衍・了伯)は、北条氏に叛き、豊臣秀吉と結び天正十八年佐野に復帰した。房綱は、文録元年(一五九二)、家督を富田知信の子信吉に譲り隠退、信吉も慶長十九年(一六一四)改易となり、佐野氏は滅亡した。



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