佐々木昌信
佐々木 昌信(ささき まさのぶ、1969年8月6日 - )は、日本のプロ野球審判員。
経歴
群馬県館林市出身。館林市立第一小学校[1]、館林市立第一中学校[2]、群馬県立館林高等学校[2]、大谷大学卒業[2]。
小学校時代は剣道をやっていたが、高校に入ってから本格的に野球を始めたという。実家は浄土真宗の寺で佐々木自身は寺の後継者であったため、仏教を学ぶべく大谷大学文学部真宗学科へ入学[2]。父親からは「大学卒業して実家へ帰るまでは好きなことをやって良い」と言われたので、大谷大学でも硬式野球部に入部した。大谷大学時代は一塁手・外野手でプレー、京滋大学野球リーグ公式戦に出場し、大学2年の時にはリーグ優勝も経験している[2]。
佐々木は大学卒業時には社会人野球のチームに入ろうかと思っているうちに、京滋大学野球連盟の審判を指導していた元プロ野球審判OBから「プロ野球の審判員のテストを受験してみれば」と勧められた。本人は合格すると思わずにテストを受けたところ、合格したことでプロ野球審判となった[2][3]。
1992年、セントラル・リーグ審判員。審判員袖番号は38。1995年5月5日の阪神タイガース対広島東洋カープ4回戦において三塁塁審としてデビュー。2017年時点で2165試合出場。オールスターゲーム3回(2000年、2003年、2011年。2003年第2戦で球審)、日本シリーズ6回(2004年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年。2004年第3戦、2007年、2011年第4戦、2013年第1戦、2015年第5戦で球審)の出場。若くして1000試合出場を達成。また、2006年に審判員奨励賞を受賞している。
2009年10月11日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズで三塁塁審を務めた佐々木は、3-2と中日が1点リードしている7回裏一死一塁の場面で、ジェイミー・デントナが放ったレフトポール際への大飛球をホームランと判定し、4-3とヤクルトが逆転に成功した。しかし、中日の監督の落合博満がスコアボードで流れたVTRをみて「ファウルだ」と17分間にわたって猛抗議を行った。審判団が協議をしたが、判定はホームランのまま覆ることはなかった。落合は5分以上の抗議をし、選手を引き揚げさせるなどしたため、遅延行為を理由に退場処分を受け、試合もそのままヤクルトが勝った。
球審を務める際、2012年シーズンまではヘルメットと一体化したマスクを使用していたが、翌2013年からは従来タイプに戻った。球審時のストライクコールや立ち振る舞いが独特である。この独特な立ち振る舞いが話題だった頃、東京ドームの試合で球審を務めた際に、コール時に両手でゲッツのような恰好をする事から、当時巨人ベンチに居た清原と元木に真似をされ、右手で(止めなさい)という仕草をしたというやり取りの映像が、当時放送されていたプロ野球珍プレー好プレーで紹介された事がある。
2014年シーズンより、ストライクコール時の立ち振る舞いが大きく変わっている。
また、大仏のような怖い顔が特徴的だが、かなり温厚な人物である。
2013年よりクルーチーフに昇任。
2016年5月17日、福岡ソフトバンクホークス対北海道日本ハムファイターズ9回戦(北九州市民球場)にて球審を務め、史上64人目の通算2000試合出場を達成した[4]。
上述のように実家は浄土真宗大谷派の寺(佛光山覺應寺)であり、佐々木自身も僧侶の資格を持っている。プロ野球のシーズンオフには館林へ帰省して実家の寺の手伝いをしている[3]。
審判出場記録
- 初出場:1995年5月5日、広島東洋カープ対阪神タイガース4回戦(広島)、三塁塁審。
- 出場試合数:2165試合
- オールスターゲーム出場:3回(2000年、2003年、2011年)
- 日本シリーズ出場:6回(2004年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年)
(記録は2017年シーズン終了時)
表彰
- セントラル・リーグ審判員奨励賞(2006年)
- 最優秀審判員賞(2015年)
脚注
- ↑ 平成29年度 スポーツ少年団の取り組み 館林市立第一小学校
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 “佐々木昌信さんに聞く 衝撃的だったムービングファーストボール (PDF)”. 館高東京同窓会会報. p. 10-13 (2010年2月). . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 【ザ・アンパイア】 実家は寺!袈裟をプロテクターに代えた佐々木 J SPORTS 野球好きコラム 2014年4月16日
- ↑ 佐々木昌信審判員 2000試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構オフィシャルサイト)、2016年5月17日