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伊江村


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北側上空から見た伊江島。ほぼ中央に見えるのが伊江島空港で、右が米軍演習場
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1945年の伊江島。日本軍の飛行場が見える

伊江村(いえそん)は、沖縄県国頭郡沖縄本島本部半島から北西9kmの場所に位置する周囲22.4kmの伊江島(いえじま)から成る。

地理

沖縄本島本部半島の北西約9kmの位置にある伊江島一島の全部で構成される。

島中央から少し東にずれたところにある標高172.2mの城山(ぐすくやま)は本島からもよく見え、伊江島タッチュー(イータッチュー)の愛称で親しまれている。産業は主に農業、漁業から成り立っている。本部港からもフェリーで30分あまりということもあり、「日帰り可能な離島」としての人気も高い。また、戦争に関する施設・史跡もあることから県内外からの修学旅行の需要も多い。

川平、東江前、東江上、西江前、西江上、阿良(あら)、真謝(まじゃ)、西崎の8つの集落からなる。定期便のフェリーが発着する港がある川平周辺が、島の中心部になっている。島の北西部には在日米軍伊江島補助飛行場があるなど基地の島でもある。一時は島の面積の約半分が米軍基地であったが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、5度にわたり部分的な返還がなされた。この結果、基地の面積は島全体の35%となっている。米軍基地の概要と返還闘争の経緯は伊江島補助飛行場を参照。

5字からなり、行政区は8つに分かれる。

  • 川平(かわひら)
  • 西江上(にしえうえ)
    • 真謝
  • 西江前(にしえまえ)
    • 西崎
  • 東江上(ひがしえうえ)
  • 東江前(ひがしえまえ)
    • 阿良

歴史

旧石器時代から古代にかけての遺跡が数多くあり、特に島の南海岸の砂丘には多くの遺跡が連なる。

  • 旧石器時代 : 化石人骨が出土しているが文化的な様相は不明。
  • 貝塚時代前半(縄文時代) : 貝塚時代早期の土器が出土し、以後、南海岸の砂丘や台地上に遺跡がある。
  • 貝塚時代後半(弥生時代 - 平安時代) : 前半同様、多くの遺跡があり、九州との交易が考えられている。
  • グスク時代 : この時代の遺跡は少ないが、中国などの陶磁器が出土している。
  • 14世紀 : 伊平屋とともに北山王の支配下にあった。

戦後

日本の敗戦により、沖縄は米軍の支配下に置かれ伊江島では米軍の不発弾処理が行われていた。1948年8月6日に伊江島の波止場で、米軍の弾薬輸送船 (LCT1141) が接岸時に爆発事故を起こした。弾薬輸送船には、5インチロケット砲弾約5,000発(125トン)が積載されており、多数の死傷者を出した。その日は夏休み中だったこと、たまたま地元の連絡船が入港していて多くの人が出迎えに来ていたことなどで、米軍事故調査委員会報告書によると死者107人、負傷者70人を出し、米軍統治下の沖縄で最大の犠牲者を出す事故となった。

年表

  • 1701年康熙40年) - 東江村・西江村・川平村がおかれる。
  • 1875年明治8年) - 東江村が東江上村と東江前村に、西江村が西江上村と西江前村にそれぞれ分かれる。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、東江上村・東江前村・西江上村・西江前村・川平村が合併し国頭郡伊江村が発足。従来の村は字となる。[1][2]
  • 1944年昭和19年) - 九州への疎開が始まる。東江前から阿良、西江上から真謝が独立して行政区となる。
  • 1948年(昭和23年) - 波止場爆発事故が発生する(死者107人、負傷者70人)。
  • 1975年(昭和50年) - 伊江島空港が民間共用化される。

変遷表


方言

古い日本語を残しているとされる琉球語[3]のなかでも、中南部方言の、ファー、ハナ、フニ、ハタキ、ヒージャーが、パー、パナ、プニ、パターキ、ピージャーであるなど、古代日本語のp音が保存されるなど、さらに古い日本語の特徴を残している[3]

行政

  • 村長:島袋秀幸(2013年4月28日より)

経済

産業

農業では、沖縄県全体で盛んなサトウキビのほか、タバコ、花木、肉牛などの生産が盛んである。

観光業も盛んで、第一次産業と第三次産業の従事者比率はほぼ同じである。特に近年は修学旅行生の民泊での受け入れを積極的に行っていることが特筆される。また、イエソーダなどオリジナルの特産品の開発も続々と進められている。また、品種改良されたサトウキビを使ったエタノール実験プラントがアサヒビールによって設置されている。

日本郵政グループ

村内の郵便番号は、905-05xx である。集配業務は本部郵便局が行っている。

  • 日本郵便 伊江郵便局(川平) - 2013年10月現在、郵便窓口は土曜(休日の場合を除く)も午前中に開設しているほか、局内設置のゆうちょ銀行ATMはホリデーサービスも行われている。

地域

人口

伊江村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

健康

  • 平均寿命:83歳

医療

  • 重傷患者の搬送のさい、従来は船舶(漁船、フェリー)を利用していたが、近年は名護市にある北部地区医師会病院を拠点とする民間救急ヘリコプター「MESH」を利用した搬送も多い。ランデブーポイントは7箇所ある[4]

教育

図書館の無い村

村内には書店図書館も無いことから、一般から古書を収集し各地の施設へ寄贈する活動「ブックリボン」を主宰する一般財団法人出版文化産業振興財団 (JPIC) により寄贈対象に選定され、2011年2月28日に村役場で贈呈式典が行われた。村には約1万冊が寄贈され、児童・生徒が利用する16施設に分配された。[5][6]

交通

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伊江港のターミナル施設
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フェリー「ぐすく」 - 本部港

島外との交通

  • 航路:沖縄本島(本部町)の本部港と伊江港の間を結ぶ伊江村営フェリーが運航されている。所要時間約30分。1日4往復(繁忙期は増発あり)[7]
  • 空路:伊江島空港が島内にあるが、定期航空路線はない。アイラス航空によるチャーター便が那覇空港との間に運航されている[8]

島内の交通

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 城山
    • 沖縄八景の1つ。頂上からの眺めが良い。
  • リリーフィールド公園
    • 4月下旬から5月にかけて100万輪のテッポウユリが咲き、「伊江島ゆり祭り」が開催される。
  • 伊江村青少年旅行村
    • 伊江ビーチに併設。
  • 湧出(わじ、わじー)
    • 断崖絶壁の海岸の波打ち際から湧出する泉は、古くから現在にわたって水源として利用されている。絶壁の上に展望台がある。
  • ニャティア洞
    • 女性が持ち上げると子宝に恵まれるという、霊石「力石」がある。第二次大戦中は防空壕として利用され、多くの人を収容したことから「千人洞」(せんにんがま)とも呼ばれる。
  • 公益質屋跡
    • 村営の金融機関として1929年(昭和4年)に建築された。沖縄戦の弾痕跡が生々しく残っている。
  • 伊江島反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」

著名人

出身者
その他の関連人物

伊江村を舞台にした作品

脚注

  1. 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』、角川書店、1986年 ISBN 4040014707
  2. 日本加除出版編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
  3. 3.0 3.1 沖縄市教育委員会『チャンプルー44号』
  4. 離島MESHランデブーポイント - NPO法人 MESHサポート(2011年9月27日現在)
  5. 「子どもたちの財産に」ブックリボンプロジェクト 伊江村へ本1万冊贈る - 琉球新報(2011年3月6日付、2012年5月12日閲覧)
  6. 各施設へ本の寄贈が終了しました。(ブックリボンニュース) - 出版文化産業振興財団(2011年5月11日付、2012年5月12日閲覧)
  7. 船舶時刻・運賃表 - 伊江村
  8. 8.0 8.1 交通アクセス - 伊江村

外部リンク