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京橋町 (広島市)

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京橋町
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 広島県
広島市 南区
人口 (2017年10月末現在[1])
 - 計 667人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 732-0828

京橋町(きょうばしちょう)は、広島市南区町名住居表示実施済み。丁番の設定がない単独町名である。

地理

広島駅から猿猴川を挟み南側に位置し、西側には京橋川をはさんで中区と隣り合っている。

歴史

毛利氏在城の時、たびたびに入覲した[2]。往復し、通り過ぎる所の郭門を京口門と称し、橋を京橋と称した[2]。町名はその橋名に起因する[2]1880年1月、段原村の内265歩を当町に属した[2]

地名の由来

町内にかかる京橋より名づけられた。京橋がかかる川は京橋川と呼ばれる。

人口

1925年末の戸数・人口は、198・884[3]2017年10月末の世帯数・人口は、424・667[1]

経済

産業

ファイル:アパホテル広島駅前大橋.jpg
アパホテル広島駅前大橋
店・企業
広島支店エリアマーケティンググループ、同支店総括スタッフ、同支店販売グループ・産業燃料グループ
コンビニ
旅館・ホテル
  • アパホテル広島駅前大橋
  • 広島グランドインテリジェントホテル
金融機関


地域

教育

  • KATEKYO学院広島駅前校

健康

医療機関
  • 新井内科
  • 河村歯科クリニック
  • 京橋心療クリニック
  • 佐々木内科クリニック
  • 心身健康センター
  • すぐる歯科
  • タマガワ矯正歯科クリニック

相談

施設

宗教

かつて存在した施設

交通

鉄道

町内に鉄道駅はないが、JR西日本JR西日本広島駅山陽新幹線山陽線可部線芸備線呉線)、広島電鉄本線稲荷町電停などが徒歩圏内にある。

出身・ゆかりのある人物

経済

前名は圭一。
保田家は縄屋という家号の商家で、広島市第一流の門閥家である[6]。八十吉は縄屋の分家(新宅)の3代目である。
祖先の松井伊右衛門が豊田郡小田の荘より出て寛永年間広島に創業した酒造業を継いだ[8]
藤田組(現・フジタ)創業者。24歳の頃、弟の定市とともに土木建築請負業を始めた地が台屋町(現・南区京橋町)だった。

学術

  • 大和菊代(女子専門教授)[5]

医療

文化

芸能

その他

  • 木村弘[5]
  • 三吉庫次郎[4]

脚注

  1. 1.0 1.1 人口、世帯数(町丁目別)、広島市公式サイト。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 『広島市史 第4巻』172頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月7日閲覧。
  3. 『広島市統計年表 大正14年(第21回)』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月12日閲覧。
  4. 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 4.17 4.18 4.19 4.20 4.21 4.22 4.23 4.24 『日本紳士録 第28版』広島1-34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月15日閲覧。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 『日本紳士録 第44版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月20日閲覧。
  6. 6.0 6.1 『広島県紳士名鑑』125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月27日閲覧。
  7. 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月1日閲覧。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 『広島県紳士録 昭和8年版』1-101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月4日閲覧。

参考文献

  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
  • 広島市編『広島市統計年表 大正14年(第21回)』広島市、1927年。
  • 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。