三濃村

提供: miniwiki
移動先:案内検索
三濃村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 分割編入
岐阜県恵那郡三濃村 → 愛知県東加茂郡旭村・岐阜県恵那郡明智町
現在の自治体 愛知県豊田市・岐阜県恵那市
廃止時点のデータ
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
恵那郡
団体コード なし
 表示 

三濃村(みのむら)は、かつて岐阜県恵那郡に存在したである。

村名は三河国美濃国の両方に跨っていたことから、一文字ずつを取った合成地名である。村域は美濃三河高原であり、古くから愛知県側との交流が盛んであった[1]

昭和の大合併越境合併により、大部分が愛知県東加茂郡旭村(旭町 → 現・豊田市)に編入されたが、一部(横通地区)は岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)に編入されている。

大字・字

  • 大字:浅谷
  • :大平、横手、中屋、隠里、井戸洞、平柴、日蔭、ぶさ、土場、青木洞、かをれ、下万場、大屋、下の切、百々平、きびう、小坂、飛腰、中の切、井戸入、瀧の上、下洞、前田、上の切、ひじり平、辻畑、槇の下、若里、若里洞、井の口、宮の前、上平、下平、新戸、上萬場、若里平
  • 大字:野原
  • :赤羽根、山口、阿瀬尾、南洞、田久谷、石畑、名柳、寺坂、藪筬、一色、新田、白坂、川西、井戸洞、城ケ洞、押場、倉久谷、上使、湯船、多幸、上切、岡田、札辻、曾良、大平峯、大平岩、小平岩、梅之郷、水洗、長洞、槇本、樫本、水別、上中、菅の澤、槇の洞、綱所、仲田、上谷久保、羽根、西羽根、猪久保、生田、大羽根、秀澤、玉ケ根、大渚、南平、日影、上貝津、六地蔵、花の木、一本松、木多橋、久々里木、下貝戸、金山、眞坂、丸根、大比良、山野田和、眞名平、中根、大入、宮の前、樋の入、猪の道、栃本、森の入、稲場、宮の洞、捕手、小阿妻、孫女、大砂、尺地、殿畑、野田久保、森下、川端、下切、平田、石原、ちくわご、間瀬口、島崎、小柳、川原、下中
  • 大字:横通
  • :北澤、前洞、中洞、東洞、下洞、柏尾、向平、雨堤、下横手、前田、岩竹坂、しをりど、藤田、渡瀬、颪、乳曾、乳曾洞、すげんとう、岩竹、瀧の口、青柏、西安、梅ケ久保、平柴、下平、横平、土助、澤の尻、大畑、笹久谷、宵、上の切、久原、柳ケ入、はぜいし、瀧坂、長久谷、洞田、才坂、虚澤、中畑、向洞、やさがいと、あづき田、平柴

歴史

分割編入の経緯[7]

三濃村が分割・越境編入となったのは、三濃村の北部(旧・横通村)と南部(旧・野原村[8]、浅谷村)が峠で隔たれており、交流面でも北部が明智町、南部が旭村との繋がりが深かったからである。越境合併の場合、様々な問題が発生することが多いのだが、三濃村の場合、住民同士の大きなトラブルは少なく、比較的順調に行われたという。

  • 1953年(昭和28年)、岐阜県は三濃村と串原村との合併を計画する。
  • 1954年(昭和29年)1月、三濃村は愛知県旭村から合併の申し入れを受け、1月28日には検討を開始する。村は旧・野原村、浅谷村は旭村への合併、旧・横通村は明智町への合併で意見がまとまる。この動きに対し、岐阜県は反対、愛知県は静観の立場をとる。
  • 同年9月、三濃村と明智町とで旧・横通村の編入で合意がなされる。同じ頃、岐阜県と三濃村とで数度にわたり話し合いが行われ、県側は越境編入に賛成に方針変更し、1955年4月1日に分割・越境編入に決定する。

学校

  • 三濃村立三濃中学校(旭村に編入後、旭村立浅野中学校に改称。町制施行で旭町立浅野中学校となった後、1996年に旭町立旭中学校に統合。現・豊田市立旭中学校

脚注

出典

  1. 当村内を流れる川は矢作川水系である。
  2. 岐阜県町村合併史
  3. 恵那郡史
  4. 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページでは1890年(明治23年)4月1日となっている。
  5. 角川日本地名大辞典23愛知県の「野原村」の項目では、合併は1890年(明治23年)。角川日本地名大辞典21岐阜県の「三濃村」の項目では、合併は1889年(明治22年)となっており、同じ「角川日本地名大辞典」でも分かれている。
  6. 6.0 6.1 豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
  7. 「岐阜県町村合併史」P743・744より抜粋
  8. 村民は旭村の神社の氏子である。

参考文献

  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 『岐阜県町村合併史』、岐阜県地方課、1961年。
  • 『恵那郡史』、恵那郡教育会、1926年(大衆書房 1982年復刻)。

関連項目