三条公睦

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三条 公睦(さんじょう きんむつ、文政11年5月7日1828年6月18日) - 嘉永7年2月11日1854年3月9日))は、江戸時代後期の公卿仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)の二朝にわたって仕え、従二位権中納言まで昇った。父は内大臣三条実万。母は土佐藩山内豊策の娘。弟に明治維新の功臣三条実美内閣総理大臣が設置されるまでの日本政府の首相である右大臣太政大臣の地位にあった政治家)がいる。妻は土佐藩主山内豊資の養女(山内豊著の娘)・恒姫。子に東三条公恭がいる。

文政12年(1829年)に叙爵してから、清華家三条家の出身として速いスピードで昇進し、天保12年(1841年)には従三位となり、公卿に列する。嘉永5年(1852年)には従二位権中納言となったが、その二年後には薨去した。享年27。三条家は弟の実美が相続した。

なお、三条家を相続した実美は当初、兄公睦の子の公恭を継嗣としていたが、公恭の素行が悪かったため、これを廃嫡して実子の公美に三条家を相続させることにした[1]

脚注

  1. 中嶋 (1981) 109頁

参考文献

  • 中嶋繁雄『日本の名門100家II その栄光と没落』、立風書房、1981年

関連項目