レミー・キルミスター

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レミー・キルミスター
Lemmy Kilmister
基本情報
出生名 Ian Fraser Kilmister
生誕 (1945-12-24) 1945年12月24日
出身地 イングランドの旗 イングランド
ストーク・オン・トレント
死没 (2015-12-28) 2015年12月28日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル ロックンロールサイケデリック・ロックヘヴィメタルハードロックロカビリーハードコア・パンクブルース
職業 ミュージシャンソングライター俳優
担当楽器 ベースギターハーモニカヴォーカル
活動期間 1965年 - 2015年
共同作業者 モーターヘッド
ホークウインド
プロボット
ダムド
ラモーンズ
ガールスクール
公式サイト www.backstreet-merch.com
著名使用楽器
Rickenbacker 4001, 4003, 4004

レミーLemmy)、あるいはレミー・キルミスターLemmy Kilmister)の芸名で知られるイアン・フレイザー・キルミスター(Ian Fraser Kilmister 1945年12月24日 - 2015年12月28日[1])は、イングランド出身のロックミュージシャン

同国のロックバンドモーターヘッド」の主宰者。バンドではベースを駆使し、激しいダミ声を使ったヴォーカルおよび大多数のレパートリーで作曲を担当。HR/HMの分野で多大な貢献をし、リスペクトされる存在であった。

来歴

ストーク・オン・トレントで生まれ、ウェールズアングルシー島で育った。

少年時代からライヴ通いし、駆け出し時代のザ・ビートルズも見ている(そればかりか、ジョン・レノンが客と殴り合いをするところまで目撃したと語っている)。

1960年代にはジミ・ヘンドリックスのローディをしていたという。タブラを使用した異色ロックバンド、サム・ゴパル(SAM GOPAL)でヴォーカルとギターを担当した後、1972年サイケデリック・ロック・バンド「ホークウインド」にヴォーカリスト/ベーシストとして加入、同バンドの全盛期を支えたが、ドラッグの問題などで1975年バンドを解雇される。その後同年に、大音量で演奏するフリークアウト・ミュージックをコンセプトにした自らをフロントマンとする「モーターヘッド」を結成。

以来40年に渡り、モーターヘッドで文字通り不動のフロントマンとして活動。この間、パンク・ロック興隆とハードロック衰退、NWOBHM勃興と世界的なヘヴィメタルブーム、オルタナティヴ・ミュージックの台頭などロックシーンは激動するも、彼が創り出す独特の爆走型ロックン・ロールは不変であり続け、「レミー没後の現在も」どの世代からもどの時代のミュージシャンからも支持され続けている[2]。それぞれの時代で若手バンドをツアーに帯同させて成功へのチャンスを与えるなど、常にロック・シーンで兄貴分として敬愛され続ける存在でもあった(ガールスクールタンクを発掘したのも彼であった)。

ホークウィンド、モーターヘッド以外の活動では、ラモーンズのライヴにゲスト参加したり、アイアン・メイデンのトリビュートアルバムで「The Trooper」、クイーンのトリビュートアルバムで「Tie Your Mother Down」をカバーしている他、フー・ファイターズのフロントマンのデイヴ・グロールのプロジェクトである「プロボット」に参加していた。

近年体調を崩していたが、2015年12月26日に末期であることを宣告される。既に脳などにも転移が見られ、手の施しようがない状態だったという。その2日後である12月28日、ロサンゼルスの自宅にて逝去。70歳没[1]。死因は前立腺癌と不整脈心不全だった。

彼の死を受けて、モーターヘッドのメンバーであるミッキー・ディーはバンド解散を公式に表明した[3]

器材・演奏スタイル

ベースは一貫してリッケンバッカーを使用。強力なピックアップに変更したシグネイチャー・モデル4001、4003、型式不明の特殊モデルも存在する。晩年は同4004を愛用、これはボディがウォルナットで作られており、表面にオークの葉の彫刻が施されている。

この大きなベースをフロントピックアップ付近(かなりネック寄りの位置)でピック弾きするのが彼のスタイル。高音弦を多用し、複弦を用いての5度コードを基本としていた。マーシャル・アンプとの組み合わせでベースとは思えない、ギターのような歪んだ音で演奏する、非常に個性的なスタイルを貫き通していた。マーシャルからは後に彼のシグネイチャーモデルが発売されていた。

またマイクを顔より高い位置にセットし、やや上を向いて歌うのも特徴であった。理由は、「下を向くと吐いてしまうからさ」と言われているが、本人は「この方が楽だったからね」と生前述べていた。

人物

ファイル:Kilmister'sFibromas.jpg
トレードマークの髭とイボ
  • ひげ面、長髪、頬の大きなイボがトレードマーク。本国イギリスでは良くも悪くもロック・ミュージシャンの象徴的存在として老若男女に知れ渡っており、テレビで彼の生き様を取り上げた特番やツアーの特集が組まれたり、ポテトチップス(現地ではクリスプスと呼ぶ)のテレビCMに出演するなど、意外にもお茶の間の人気者でもあった。なお日本では、その風貌故“極悪ロッカー”というキャッチコピーが常に付いて回っていた。
  • コーラジャックダニエル割り(「ジャックダニエルのコーラ割り」ではない)を常に愛飲し、1975年のバンド結成以来酒を飲まないでいた事は一度もなかったという。2005年頃から体調を崩す時あったが、インタビューで2000年頃に糖尿病と診断されていた事を公表した。
  • 食事する所を他人に見られたくないという頑固な一面があった。
  • ライヴ後は睡眠時間を削ってでも本を手にする(ツアーのドキュメントによれば、4時間しか眠らないらしい)という非常な読書家でもあり、戦記物などを特に愛読していた。
  • ナチス関係のコレクターであり、世界一を自称する。このことでドイツ人やユダヤ系の団体から糾弾されることもある。但し本人曰く、これはあくまで単なるコレクションであり、ナチスネオナチの思想に賛同することはなく、コレクションの理由は純粋にデザインが美しいからであったり、何故あのような悲劇が起こったかへの関心であると述べていた[4]
  • 結婚などについては生涯公表していなかったが、息子が少なくとも一人おり、ミュージシャンである(あった?)ことは確実。但しこれについても、「自分のイメージが彼にとってマイナスとなる可能性もある」ために公にはしていなかったが、実は陰で物心両面ともサポートしていたらしい。彼の思慮深さを語るエピソードであった。2010年に公開されたレミーのドキュメンタリー映画『極悪レミー』に息子が出演している。
  • 若き時代からJ・R・R・トールキン指輪物語』のファンであり、トールキン・ファンが多数登場するドキュメンタリー映画『リンガーズ ~ロード・オブ・ザ・ファンズ~』にも主要なコメント担当者として出演していた。

脚注

  1. 1.0 1.1 “モーターヘッドのレミー、死去”. BARKS. (2015年12月29日). http://www.barks.jp/news/?id=1000122816 . 2015閲覧. 
  2. Motorheadプロフィール - ワーナーミュージック・ジャパン
  3. モーターヘッドのドラマー、レミー死去に伴いモーターヘッドの終了を宣言 - amass
  4. アルバム『ボマー』のライナーノーツより

外部リンク