マリア・ガエターナ・アニェージ

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マリア・ガエターナ・アニェージ(Maria Gaetana Agnesi、1718年5月16日 - 1799年1月9日)はイタリアの女性の数学者哲学者

微分積分の教科書を初めて著し、ボローニャ大学教授となったことで知られ、ラウラ・バッシに次いで大学教授となった史上2人目の女性である。

来歴

1718年ミラノ生まれ。妹には音楽家として有名になったマリア・テレーザ・アニェージがいる。父ピエトロは富豪であったが、自らは低い出自のため一族を名門とすべく子供たちに英才教育を施した。彼女は幼少時から語学の天才として知られた。彼女が15歳になると父は知識人たちを呼んでサロンとし、彼女は彼らと議論を交わした。しかし20歳になるとこのような生活を嫌い、数学の研究に没頭し、この間に微積分の研究を行った。また父には(再婚で)21人の子がいたので、彼女は弟妹たちの教育係ともなった。

彼女の業績で一番有名なのは数学の概説書 Instituzioni analitiche ad uso della gioventu italiana で、1748年ミラノで出版された。第一巻は有限数を、第二巻は無限計算(微積分)を扱っている。当時は最も優れた教科書として18世紀中にフランス語訳と英語訳が出ている。

また彼女は1748年、アニェージの曲線と呼ばれる曲線を論じている。これは英語圏では「アニェージの魔女」(Witch of Agnesi)とも呼ばれる。その由来はやや複雑な事情によるもので、ある種の誤訳とも言える。

具体的な経緯は以下のようなものである。この曲線が最初に扱われたのは1630年、ピエール・ド・フェルマーによってであるが、当時は特別な名前は与えられていなかった。後の1713年、修道僧にして数学者であるGuido Grandiによりこの曲線はVersoria(ラテン語で「ロープ」の意)と名付けられ、更にこの曲線はVersiera(ラテン語で「Versine関数のような」の意)とも記述された。Instituzioni analitiche ad uso della gioventu italianaにおいてアニェージはGuido Grandiの記述に従い、この曲線をVersieraとして紹介したが、イタリア語においてVersieraは「悪魔」「魔女」の意味を持つ単語でもあった。このため、後にこの文献をイタリア語から英語に翻訳したJohn Colson教授はこれを「(アニェージの)魔女」と訳したのである。 もっとも、この曲線を名付けたGuido Grandiもまたイタリア人であり、この意味の重複には明らかに気付いていたものと思われる。彼が自身でVersoriaの名を与えておきながら、あえてVersieraとも記述したのは、二つの語の類似性を見出した彼の遊び心によるものだとも言われる。更に厄介な事に、Instituzioni analitiche ad uso della gioventu italiana原文での記述は「la versiera」即ち女性形であった。これはアニェージ自身がVersieraをイタリア語と捉えていたのか、それとも当時既にイタリアの数学界においてこの意味の重複をユーモアとして受け取る風潮が出来ていたのか、そのどちらであったのかは定かでない。いずれにせよ、以上のような複数の偶然と、アニェージ自身の才女としてのイメージが重なり、この「アニェージの魔女」という訳は以後広く親しまれるものとなった。


1750年彼女は教皇ベネディクトゥス14世からボローニャ大学の数学および自然哲学の教授に任命された。1752年の父の死後は神学を研究し、また慈善のために身を捧げ、修道女として生涯を終えた。

関連項目