マカロニ・ウェスタン

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マカロニ・ウェスタンは、1960年代から1970年代前半に作られたイタリア西部劇を表す和製英語。大半のものはユーゴスラビア(当時)やスペインで撮影された。

イギリスアメリカ合衆国・イタリアなどでは、これらの西部劇をスパゲッティ・ウェスタン (Spaghetti Western) と呼んでいる。マカロニ・ウェスタンという呼称は、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が日本に1965年に公開された際に、映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」ということで「マカロニ」と呼び変えたと言われる。日本人による造語でありマカロニ・ウェスタンという言葉は他国では通用しないとも言われるが、イギリスの映画評論家であるen:Christopher Fraylingが2006年に出した著書『Spaghetti Westerns: Cowboys And Europeans from Karl May to Sergio Leone』によれば、実際には本国イタリアでもマカロニ・ウェスタンと呼ばれているという[1]韓国ではマカロニとスパゲッティの両方の呼称が使われており、より多く用いられているのは「マカロニ・ウェスタン」である。「スパゲッティ・ウェスタン」という名称はやや蔑称的なのでドイツでは「イタロ・ウェスタン」という呼称が正式である。俳優などイタリア人以外が多く関与しているものは「ユーロ・ウェスタン」と呼ばれることもある。

発祥とその特徴

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セルジオ・レオーネ
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クリント・イーストウッド
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バート・レイノルズ

最初にイタリア製西部劇、いわゆるマカロニウェスタンを作ったのはセルジオ・レオーネ、という認識が一般的だがこれは事実ではない。

最初にイタリア製西部劇を撮ったのはセルジオ・コルブッチのほうで、1963年、『荒野の用心棒』より一年も前にロバート・ミッチャムの息子ジェームズ・ミッチャムを主役にしてMassacro al Grande Canyonという西部劇を撮っている。

マカロニ・ウェスタン発生の先駆となったのは一つには「カール・マイ西部劇」とよばれる一連の西ドイツ映画があげられる。カール・マイは19世紀の作家で冒険小説を数多く書いた有名作家で、その作品は「ドイツ文学」に含めていいのかどうか微妙なところだが、そのなかにアメリカ・インディアンを主人公とした小説もあり、ドイツではさかんに映画化された。ロケ地はユーゴスラビア(当時)だった。そしてマカロニ・ウェスタン登場以降も引き続いてドイツでも西部劇が作られていった。マカロニ・ウェスタンには制作や俳優の面で西ドイツ映画界が相当関与しているが、それはそういう歴史的背景があるからだ。例えば『荒野の用心棒』はドイツでは「イタリア映画」とは言わずに「イタリア・西ドイツ・スペイン合作」と定義されている。

このように西ドイツ製西部劇がマカロニウェスタンの片親だとすると、もう一方の親はイタリア史劇映画、俗に「サンダル映画」と呼ばれた一連の映画である。 イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニをはじめとする多くの映画人が使用した欧州有数の巨大映画スタジオ『チネチッタ』が、『ベン・ハー』『十戒』などの史劇ブーム(その多くがヨーロッパにプールされていたアメリカ映画の興行収益をヨーロッパで活用するために製作された)の終焉でイタリア映画産業の斜陽から経営危機に陥り、活路を見いだすために製作され始めたものである。ジュリアーノ・ジェンマが『ベン・ハー』に出ていたことはいまや知らない人がない事実だが、コルブッチもレオーネも元々このサンダル映画出身で、レオーネは『荒野の用心棒』をとる前にB級サンダル映画を1本撮っている。

後に名作『続・荒野の1ドル銀貨』を撮ったドゥッチョ・テッサリなどはホメロスの「オデュッセイア」をモチーフにしているが、他にもマカロニウェスタンをみているとギリシャ・ローマのモチーフが見て取れることが多いのはこのためである。

つまりレオーネがいきなり無からマカロニ・ウェスタンを発明したのではない。それなのにレオーネが「マカロニウェスタンの創設者」といわれるのは、このジャンルの基本路線を決定したのがレオーネだからである。

その基本路線とは「アンチ・アメリカ西部劇」である。ドイツにはEdelwestern「高級西部劇」という言葉があるが、当時のアメリカ西部劇、ハワード・ホークスジョン・フォードなどの西部劇は主人公が高潔で、ストーリーもピューリタン的、清浄で見ていて気分がよくなるようなものだった。対してマカロニウェスタンは見ていると気分が悪くなるとまでは言えないが、良心などというものの皆無な主人公、その、褒められた人物でない主人公の周りの人物がそれに輪をかけて褒められないタイプの人格で、たまに高潔な人物が出てくるとたいてい殺される。処女地を開いて新しい国を作った国アメリカの誇り高い西部劇とは正反対である。

また、レオーネの『荒野の用心棒』は映画音楽と絵との関係も変えた。いままでのように常にバックに流れていたオーケストラでなく、「音で絵を描く、セリフの代わりに音楽にストーリーを語らせる」方式にしたのだ。

その第1作として特に名高いのが『荒野の用心棒』だった。制作費を安く上げるためにスペインでロケをし、ハリウッドの駆け出し俳優などを使って、残忍で暴力的なシーンを多用した斬新な作風が、当時の西部劇の価値観を大きく変えた。口笛を使ったエンニオ・モリコーネのテーマ曲も一世を風靡した。ストーリーは黒澤明の『用心棒』をそのまま使い、後に盗作で訴えられている。

役者として招いていたハリウッドのB級俳優の中には、まだ売り出し中のクリント・イーストウッドバート・レイノルズの姿もあり、また、ハリウッドでは悪役専門だったリー・ヴァン・クリーフが主人公に据えられたりした。イタリア人の俳優では、フランコ・ネロジュリアーノ・ジェンマが有名であるが、この「アンチ・アメリカ西部劇路線」は後にマカロニウェスタンの中で二つのサブジャンルを生み出した。

一つは「メキシコ革命もの」と言われる作品群で、アメリカではなく、メキシコ、あるいはアメリカとメキシコの国境付近を舞台に、フアレスなどが率いたメキシコ革命を扱ったもの。セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマなどがこのモチーフを手がけている。特にソリーマは最初から社会派路線を行くマカロニ・ウェスタンを撮り続けた。『アルジェの戦い』を手がけたフランコ・ソリナスなどもいくつかのマカロニ・ウェスタンで脚本を担当している。アメリカ西部劇では主要舞台はあくまで英語圏の西部で、登場人物は英語の話者がほとんどだったのがマカロニ・ウェスタンと違う点である。

もう一つのサブジャンルは、エンツォ・バルボーニなどに代表させられるドタバタ喜劇路線。これが出てくる1970年代とは、1969年ごろにその頂点に達した以後マカロニウェスタンがはっきり衰退期に入った時期だが、このドタバタ路線はある程度の成功を記して、いまだにファンも多い。この時期に有名になったのが「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来の最大のギャグコンビ」といわれるバッド・スペンサーテレンス・ヒルである。この二人を最初に共演させたのはバルボーニ、と思われることが多いが、最初にこのコンビを「発掘」したのは実はジュゼッペ・コリッツィで、その映画はハード路線のマカロニ・ウェスタンである。

黄金期と衰退期

『荒野の用心棒』が世界中で爆発的な人気を博すると、イタリアでは1965年頃から500本以上にのぼる作品が量産されるようになる。

映画に箔をつけるため、アメリカ(クリント・イーストウッドヘンリー・フォンダロッド・スタイガーなど)やイギリス(リンゴ・スター)などから俳優を持ってくることも少なくなかったが、大半は脇役も主役もイタリア本国を始め、スペイン(アントニオ・カサス、ニエヴェス・ナヴァロなど)、フランス(ロベール・オッセンジャン=ルイ・トランティニャン)、オーストリア(ジークフリート・ルップ、ヨゼフ・エッガー、ヴィルヘルム・ベルガー)、西ドイツ(クラウス・キンスキーマリアンネ・コッホ)など、ヨーロッパ大陸部全体から集められた。「ユーロ・ウェスタン」という呼称の所以である。南米ウルグアイ出身のスター、ジョージ・ヒルトンが参加しており、日本からも仲代達矢が招かれている。ソリーマの映画でスターとなったトーマス・ミリアンはキューバ出身(後アメリカに移住)、『続・荒野の用心棒』の作曲家ルイス・エンリケス・バカロフはアルゼンチン人である。

イタリアからは、ジュリアーノ・ジェンマフランコ・ネロバッド・スペンサーテレンス・ヒルたちがスターとなり、年に1、2本は大型予算を投じた作品も撮られるようになり、その代表的なものに、レオーネ監督の『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』、そしてハリウッドからヘンリー・フォンダチャールズ・ブロンソンらのA級スターを招いた『ウエスタン』などがある。

面白いところでは、ホラー映画で有名なルチオ・フルチが、ジュリアーノ・ジェンマでマカロニ・ウェスタンを1作撮っている。予想に反して普通の映画で、決してジュリーノ・ジェンマが眼をつぶされたりはしない。さらに、ピエル・パオロ・パゾリーニが監督でなく俳優として出演している『殺して祈れ』などの作品もある。

製作はほとんどイタリアのものだったが、最盛期にはロベール・オッセン監督・主役の『傷だらけの用心棒』など、ほとんどフランス人の手だけによる西部劇も作られた(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント)。これも「ユーロ・ウェスタン」の名の由来である。『傷だらけの用心棒』は、フランス人トランティニャンが主役を勤めた『殺しが静かにやって来る』と同様、ネガティブなラストでノワール映画的な陰鬱な雰囲気が漂っているが、『殺しが静かにやって来る』ほどの凄みはない。

マカロニ・ウェスタンは日本でも人気を集め、ブームの頃にはその影響を強く受けた時代劇が作られるようになる。映画では五社英雄監督(『牙狼之介』『御用金』)や三隅研次監督(『子連れ狼』『御用牙』)など、テレビドラマでは『必殺シリーズ』、『木枯し紋次郎』、『唖侍鬼一法眼』、『斬り抜ける』など、マカロニ・ウェスタンの要素を取り入れた作品が多く作られ、若者を中心に支持を集めた。また刑事ドラマ太陽にほえろ!』の登場人物の早見淳(萩原健一)が、マカロニ・ウェスタンの主人公のような格好をしていることからマカロニの愛称で呼ばれている。

しかし1970年代に入ると、急速にそのブームは失速していった。マカロニ・ウェスタンは「既成のヒーロー像の反対を行く」というのが基本コンセプトであったため、『続・荒野の用心棒』のような強烈なインパクトのあるアンチ・ヒーロー、言い換えるなら奇をてらったヒーロー像を必要としたわけだが、その要求を満たすため様々な主人公が考え出された。棺桶を引きずったヒーロー、口のきけない主人公、盲目のガンマン、聖職者のガンマン、ホモセクシャルなどありとあらゆるヒーローが作り出されたが、あまりにも量産されてアイデアが枯渇、インパクトに欠けてしまい、観客も食傷気味になってしまった。その状態を打破するために、サブジャンルが生じたことは上述の通りである。

1973年製作のトニーノ・ヴァレリ監督による『ミスター・ノーボディ』は事実上最後のマカロニ・ウェスタンと呼ばれ、これ以後は見るべき作品は生まれなかった。1976年には『Keoma』、1993年には『Jonathan degli orsi』といういずれもフランコ・ネロ主演のマカロニ・ウェスタンが作られているが、かつてのような精彩は感じられない。また、1987年には『続・荒野の用心棒』の正式な続編がやはりフランコ・ネロで撮られたが(Django 2: Il grande ritorno)、完全な失敗作に終わった。

2005年には、全盛期に映画の撮影が行われたスペインの村がロケセットを西部村として観光化するも、それすら寂れていくという、マカロニ・ウェスタンの楽屋落ちのようなストーリーを描いた『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』 (800 Bullets) というスペイン映画が製作されている。

主な監督

  • ロベール・オッセン - 国際的に名の通ったフランス映画界の俳優・監督。代表作はマカロニ・ウェスタン『傷だらけの用心棒』Une corde, un Colt...(1968年)。自ら主役を務め、『アンジェリク』という映画シリーズでコンビを組み人気を博していたミシェル・メルシエを相手役に起用した。1961年にはメキシコを舞台にした独仏伊合作映画Le Gout de la violenceも監督している。
  • ジュゼッペ・コリッツィ - 元作家志望で、脚本家から監督になった。テレンス・ヒル、バッド・スペンサーで3本のマカロニ・ウェスタンを撮っている。その3本とも音楽は『鉄道員』のカルロ・ルスティケリが担当。コリッツィが発見したヒル・スペンサーのコンビは後にバルボーニが引き継いだ。
  • セルジオ・コルブッチ - マカロニ・ウェスタン独特のスタイルを確立した。マカロニ・ウェスタン作品数も最も多く、陰鬱な作品からコメディまで作風も幅広い。アイディアに富んだ娯楽作品を多数連発した。
  • エンツォ・ジロラーミ(またはエンツォ・カステラーリ)- 1966年にレオン・クリモフスキーのマカロニ・ウェスタン『Pochi dollari per Django』で非公式の助監督をした後、『荒野のお尋ね者』Sette Winchester per un massacro(1967年)でデビューした。中堅作品が多い。作曲家のフランチェスコ・デ・マージとよく組んでいる。ずっと後になってから(1993年)フランコ・ネロでマカロニ・ウェスタンを撮ったのもジロラーミ。
    • 作品 - 『荒野のお尋ね者』Sette Winchester per un massacro(1967年)、Quella sporca storia nel West(1967年)(劇場未公開)、『黄金の三悪人』 Vado, l'ammazzo e torno(1967年)、『七人の特命隊』Ammazzali tuti e torna solo(1968年)、『Tedeum』(1972年)(劇場未公開)、『ケオマ・ザ・リベンジャー』Keoma(1976年)(劇場未公開)、『ジョナサン・ベア』Jonathan degli orsi(1993年)(劇場未公開)
  • セルジオ・ソリーマ - レオーネ、コルブッチと並ぶ重要な作家で、3本のマカロニ・ウェスタンを作った。特に一作目の『復讐のガンマン』(1967年)は高い評価を受けている。レオーネの作風を受け継いだヴァレリや、これ見よがしにレオーネに対抗して見せたコルブッチと違い、ソリーマは最初から中立で独自の路線を貫き、テーマも社会的なものである。レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用して成功したが、ソリーマは全作品でトーマス・ミリアンを主役に立てている。
  • ダミアーノ・ダミアーニ - 政治社会問題を得意のテーマとした正統派の監督・脚本家。ジャン・マリア・ヴォロンテ、クラウス・キンスキーで撮った『群盗荒野を裂く』Quien sabe?(1966年)も社会派路線を貫き、大ヒットした。1975年にセルジオ・レオーネの誘いを受けて再度『ミスター・ノーボディ2』Un genio, due compari, un polloというマカロニ・ウェスタンをテレンス・ヒルで撮ったが、1作目ほどの成功はおさめなかった。
    • 作品 - 『群盗荒野を裂く』Quien sabe?(1966年)、『ミスター・ノーボディ2』Un genio, due compari, un pollo(1975年)
  • ドゥッチョ・テッサリ - ドキュメンタリー映画からサンダル映画出身。ジュリアーノ・ジェンマを使った『続・荒野の一ドル銀貨』Il ritorno di Ringoはマカロニ・ウェスタンの名作だが、これはホメロスのオデュッセイアの最後の部分をそのままストーリーにしている。1985年に再びジュリアーノ・ジェンマで西部劇を撮った。
    • 作品 - 『夕陽の用心棒』Una pistola per Ringo(1964年)(劇場未公開)、『続・荒野の一ドル銀貨』Il ritorno di Ringo(1965年)、『荒野の大活劇』Vivi o preferibilmente morti(1969年)、『新・脱獄の用心棒』Viva la muerte ... tua!(1971年)(劇場未公開)、『魔境のガン・ファイター』Tex e il Signore degli abissi(1985年)(劇場未公開)
  • エンツォ・バルボーニ(またはE.B.クラッチャー) - カメラマン出身で、『続・荒野の用心棒』でも撮影を担当し、1969年から監督としてマカロニ・ウェスタンを撮りはじめた。最初はハード路線であったがテレンス・ヒルとバッド・スペンサーを使ったコメディ・マカロニ・ウェスタン『風来坊/花と夕日とライフルと』Lo chiamavano Trinitaで大ヒットを飛ばした後は喜劇に転向した。
  • ルチオ・フルチ - ホラー映画監督として有名だが、1966年に『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu ... tempo di masssacroでマカロニ・ウェスタンでもデビューし、フランコ・ネロだけでなくジョージ・ヒルトンをスターにのし上げた。ホラー映画に転向したのは70年代であるが、1977年、マカロニ・ウェスタンのブームがすでに去ってからもジュリアーノ・ジェンマで西部劇を撮っている。
    • 作品 - 『真昼の用心棒Le colt cantarono la morte e fu ... tempo di masssacro(1966年)、『白い牙』Zanna Bianca(1973年)(劇場未公開)、『名犬ホワイト/大雪原の死闘』Il ritorno di Zana Bianca(1974年)(劇場未公開)、『荒野の処刑』I quattro dell'Apocalisse(1975年)(劇場未公開)、『新・復讐の用心棒』Sella d'argento(1977年)(劇場未公開)
  • セルジオ・レオーネ - イタリア製西部劇を「マカロニ・ウェスタン」という一つの映画ジャンルとして確立した事実上の創設者。海外の映画作家に多大な影響を与えた。俳優の顔の極端なアップや特徴的なロングショットなどを使ったアクの強い画像で知られる。
  • トニーノ・ヴァレリ - 『夕陽のガンマン』でレオーネの助監督を務め、『さすらいの一匹狼』でデビューしたので、レオーネの影響を強く受けているが、レオーネよりもマイルドな作風である。

主な作品

邦題に関して

配給会社ごとに邦題に特徴がつけられた。東和は「用心棒」、ユナイトは「ガンマン」、ヘラルドは「無頼」、松竹は「一匹狼」などである。


出典

  1. 鏡明「連続的SF話400 世界のウエスタン」『本の雑誌』2017年9月号、pp.96-97

関連項目