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ポーランド第二共和国


ポーランド第二共和国
(ポーランドだいにきょうわこく、ポーランド語: II Rzeczpospolita

1918年から1939年までの間、現在のポーランド共和国(第三共和国)を中心とする地域に存在した国家。「第二共和国」とはポーランド・リトアニア共和国(第一共和国)と対比しての呼称で、正式な国号は現在と同じポーランド共和国ポーランド語: Rzeczpospolita Polska)。

歴史


第一次世界大戦中、実質的にロシア帝国に支配されていたポーランド立憲王国に代わり、ポーランド王国(摂政王国)建国が提案されたが、これは短命に終わった。1915年夏にドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国に占領されていたポーランドは、独立を求めていた。そういう時期の1917年ロシア革命が、1918年にドイツ革命が勃発し、これによってチャンスを得たユゼフ・ピウスツキワルシャワへ移動し、初代の国家元首に就任した。ピウスツキはポーランドを率いてウクライナ・ポーランド戦争ポーランド・ソビエト戦争で次々と勝利した。ポーランド・リトアニア戦争polski版lietuvių版English版の停戦協定が結ばれると、新たに建国された中部リトアニア共和国を選挙によりポーランドへ編入した。さらに、三回にわたって蜂起した上シレジア地方をドイツと分割し、その工業地帯の大半をポーランドに編入した。

ところがピウスツキの同僚だったロマン・ドモフスキpolski版English版議院内閣制の導入を検討していた。つまり大統領の権限を大幅に制限しようとしていたのである。これを知ったピウスツキは大統領就任を辞退して政界を引退した。その後もピウスツキとドモフスキとの間に対立が続いた。ドモフスキは反露親独的な方針を示したが、これに対しピウスツキは反独親露的な方針を持っていたからである。

結局、1926年にクーデター「五月革命polski版English版」によってピウスツキが1935年まで政権を掌握した。

1932年と1934年にソ連・ポーランド不可侵条約ドイツ・ポーランド不可侵条約を結んだ。これにより、1938年のミュンヘン会談では有利な結果になり、テッシェンを人民投票によって獲得した。しかし、1939年9月1日にドイツやソ連に侵攻され、第二共和国は崩壊した。その後もポーランドは降伏せず、ロンドンに設置された亡命政府や地下政府がドイツを相手に戦い続けた。

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