ボン
ボン Bonn | |
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位置 | |
ドイツ内のボンの位置の位置図 ドイツ内のボンの位置 | |
座標 : 東経7度6分北緯50.733度 東経7.1度 | |
歴史 | |
軍駐屯地 | 紀元前1世紀 |
行政 | |
国 | ![]() |
州 | ノルトライン=ヴェストファーレン州 |
行政管区 | ケルン行政管区(de) |
郡 | 独立市 |
市 | ボン |
地理 | |
面積 | |
市域 | 141.22 km2 |
標高 | 45.6 – 194.8 m |
人口 | |
人口 | (2017年12月31日現在) |
市域 | 325,490人 |
人口密度 | 2,305人/km2 |
備考 | Amtliche Bevölkerungszahlen auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011 |
公式ウェブサイト : http://www.bonn.de/ |
ボン(Bonn)は、ジーベンゲビルゲ山脈の北部にあるライン川沿いのケルンの南約20 km に位置する、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属するドイツ連邦共和国の(19番目に大きい)都市である。人口318,809人(2015年現在)。
分断時代の1949年から1990年まで西ドイツの首都であり、ドイツ再統一後も首都機能を分担する。
1288年から1803年までケルン大司教の在所であり、1818年にボン大学が設置された後は小さな文教都市という位置づけであった。作曲家ベートーヴェンの生誕地・シューマンの終焉の地としても知られている。
地勢
ライン川沿いに位置する。50キロほど南東にコブレンツ、25キロほど北西にケルン、35キロほど北にレーヴァークーゼンが位置している。
歴史
ケルト人の集落があったが、前1世紀になるとローマ帝国の駐屯地となった。13世紀よりケルン大司教の居住地となった。18世紀末、ナポレオンによって占領されたが、19世紀初頭のウィーン体制の発足とともにプロイセンの支配下におかれた。典型的な文教都市であったが、第二次世界大戦中は1944年2月〜1945年2月までの間に72回も空襲を受け、伝統あるボン大学も全焼するなど被害を受けた。
西ドイツの首都として
ドイツ国の首都であったベルリンは、大戦後には東ドイツ内の飛地と化し、連合国軍の占領下でもある西ベルリンが西ドイツの首都たることは事実上不可能であった。ボンが暫定首都に選ばれたのは、初代首相コンラート・アデナウアーの意向が大きく影響を与えたとされる。アデナウアーら主要政治家は、将来東西ドイツが統一された暁にはベルリンが再び首都になるべきだと考えており、フランクフルト・アム・マインやハンブルクといった大都市では、首都としての発展がいずれ恒久的な既成事実・既得権益として定着し、ベルリンへの遷都が困難になりかねないという恐れが予見された。そこで小規模な古くからの文教都市で、なおかつ地理的にも西ドイツの中央部に位置していたボンに白羽の矢が立った。
1969年にはバート・ゴーデスベルク(Bad Godesberg)と合併している。この頃より、早期の東西ドイツ統一は期待できないとの認識が強まり、恒久的な首都機能の整備が行われるようになった。
東西統一後
1990年の東西ドイツ統一により、ベルリンへの遷都が政治日程に浮上した。一方で、オランダのように名目上の首都をベルリンと定め、実質的な首都機能はボンに残すべきであるとする主張もドイツ南西部を中心に支持を集めていた。議論の末、1991年に連邦議会において首都機能のベルリン移転決議が可決された[1]。しかし、ボンの地域経済への配慮に加え、EUとNATOの本部のあるブリュッセルに近いという利点を活用するため、1994年の「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律)」によって、ボンは「連邦市 (Bundesstadt)」であると規定され、連邦首都 (Bundeshauptstadt)ベルリンと並んで国家の中枢機能を引き続き保持することが定められた。
それにより1998年11月の大統領府移転を皮切りに、連邦議会(1999年9月7日に移転)、連邦参議院(2000年9月29日に移転)、首相府(2001年5月2日に移転)および9の省庁をベルリンに移転し[2]、約11,500人の職員がベルリンに転勤した[3]。一方、6つの省をボンに残留させることに加え、既にベルリンにあった連邦政府機関のいくつかを逆にボンに移転し(ベルリンからボンに転勤した職員数は約4,400人)、さらにライン=マイン地方にあった連邦政府機関をボンに移転集約させることとなった(職員数約2,300人)[3]。結果、ボンには教育学術省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。大統領と首相の官邸もベルリンの官邸とは別にボン滞在時に用いる第二官邸として維持され、ベルリンに移転した省庁の支所もボンに設けられている(ボンに置かれた省庁の支所もベルリンに設けられる)。2011年時点で、連邦官僚18,000人のうち8,000人がボンに勤めている[4]。
加えて、1995年から10年間、年間15億ユーロ[5](約28億マルク[3])の補償金が連邦よりボンに支払われ、これを元にIT産業等の育成・誘致が行われた。国営事業を前身とする民営会社であるドイツテレコム、ドイツポスト、ポストバンクもボンに本社・本店を置く。
また、国連キャンパスプロジェクトにより、旧議員会館ビルのランガー・オイゲンを全面改装し、2006年より持続可能な開発を管轄する国連機関を賃料無償で入居させている。これにより、2014年までに18の国連機関が設置され(ドイツ全体にある国連機関は27)、ボンにおいて約1,000人のスタッフが雇われている[6]。
首都機能移転開始の1994年から2011年の間に、ボン都市圏における雇用は14.4%増加している[4]。
音楽
ベートーヴェンの生家である「ベートーヴェン・ハウス」がある。音楽家パブロ・カザルスはフランコ政権を支持する国(西ドイツを含む)への訪問を生涯拒んだが、ベートーヴェン・ハウスだけは「この家はドイツでの治外法権である」と述べている。
また、中心地から少し離れたエンデニッヒにはシューマンが最期を迎えた療養所を改装したシューマン記念館がある。シューマンと妻のクララは市街にあるアルター墓地に埋葬されている。ベートーヴェンの母や、シラーの妻シャルロッテが埋葬されているのも同じ墓地である。
交通
ボンは3つのアウトバーン並びに高速鉄道Inter City Expressを含む2つの鉄道路線によって結ばれている。この都市はケルン、ジークブルク(ICE駅が所在する)及び、バート・ホンネフ(Bad Honnef)への路線としてボンLRT輸送システムが運行されている。また、バスも運行されている。
ボンの国際空港は多くのヨーロッパの都市と低価格で結ばれていて、アメリカ合衆国ニュージャージー州にあるニューアーク・リバティー国際空港(ニューヨーク市)への直行便(コンチネンタル航空)が運航されているケルン-ボン空港である。
郵便番号: | 53111–53229 (旧: 5300) |
市外局番: | 0228 |
ナンバープレート: | BN |
自治体コード: | 05 3 14 000 |
UN/LOコード: | DE BON |
市の構成: | 4 市区、51 街区 |
市庁舎の住所: | Berliner Platz 2 53103 Bonn |
負債: | 914,850,000 € (2006年1月19日現在) |
失業率: | 8.8 % (2006年7月) |
外国人: | 13.65 % (2005年12月31日現在) |
スポーツ
- テレコム・バスケッツ・ボン - バスケットボール・ブンデスリーガ(ドイツプロバスケットボールリーグの1部)
姉妹都市
オックスフォード(イギリス)1947年
テルアビブ(イスラエル国)1983年
ポツダム, ブランデンブルク州(旧 東ドイツ)1988年
ブダペストのXII地区Budafok(ハンガリー共和国)1991年
オポーレ(ポーランド共和国)公式1997年;交流1954年
Beuel 地区
ミルクール(フランス共和国)
Hardtberg 地区
ヴィルモンブル(フランス共和国)
イスラマバード-ラワルピンディ(パキスタン・イスラム共和国)
出身の有名人
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - 作曲家
- セリア・シャシッチ - サッカー選手
- ブシドー - ラッパー
- ヨハネス・B・ケルナー - スポーツキャスター
- ヨハンナ・キンケル - 作曲家・ピアニスト・合唱指揮者・ 音楽教師・ジャーナリスト・作家・歴史家・革命家
- ペーター・ヨーゼフ・レンネ - 作庭家
- トーマス・デメジエール - 政治家
- ハイデ・ジモーニス - 政治家
- ハンス・リーゲル(Hans Riegel) - 製菓会社ハリボー創業者
脚注
- ↑ 賛成338、反対320。 Bonn to Berlin move still controversial The Local (2011年6月15日)
- ↑ https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000436/05000436_003_BUP_0.pdf
- ↑ 3.0 3.1 3.2 ドイツの首都機能移転 - 国会等の移転ホームページ - 国土交通省 2017年5月5日閲覧
- ↑ 4.0 4.1 Memo From Berlin: The Fate of Germany’s Two Capital Cities ニューヨーク・タイムズ (2011年6月23日)
- ↑ ペーター・ロンドルフ経済・科学担当公使へのインタビュー 国土交通省 国土計画局 首都機能移転企画課(2009年12月2日)
- ↑ Stadt Bonn - Organisationen der Vereinten Nationen in Bonn ボン市 2017年5月7日閲覧(同5月3日最終更新の版)