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フランツ・ヨーゼフ1世

(ドイツ語: Franz Joseph I)

オーストリア皇帝 (在位 1848~1916) ,ハンガリー王 (在位 1867~1916) 。 1848年の革命の終末に,伯父フェルディナント1世の退位後即位。新首相に任命されていた F.シュワルツェンベルクとともに,ハンガリーに対する支配権を確実なものとするために,ロシアの援助を受け,49年ハンガリーの反乱を鎮圧。 66年プロシア=オーストリア戦争に敗れたため,ドイツの指導的勢力であろうとするオーストリアは,ドイツから最終的に除外されることになり,ドイツにおける指導的な役割はプロシアがになうことになった。

67年ハンガリー人との間に「和協」 Ausgleichがなり,オーストリア=ハンガリー二重帝国を編成したが,オーストリアは2つの部分から成り立つことになり,和協は帝国内の障害となった。 71年ドイツ帝国成立後はビスマルクの外交政策と提携したが,ベルリン会議以後バルカンをめぐってロシアと対立し,1908年ボスニア=ヘルツェゴビナを併合した。家庭的にはきわめて不幸で,メキシコ皇帝であった弟のマクシミリアンはメキシコ人に銃殺され,一人息子の皇太子ルドルフは自殺,皇后エリザベートはスイスで無政府主義者に暗殺され,さらにルドルフの死後皇太子となった甥のフランツ・フェルディナントもサラエボで暗殺され (サラエボ事件 ) ,それが第1次世界大戦のきっかけとなった。