フェラーリ・F2005

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フェラーリ F2005 (Ferrari F2005) は、スクーデリア・フェラーリ2005年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー2005年の第3戦から、最終戦まで実戦投入された。フェラーリとしてのコードナンバーは656。

2006年に行われたトリノオリンピックの開会式においてこのF2005が登場し、トリノ出身のF1ドライバールカ・バドエルドーナツターンを披露している。

開発の方針

2004年シーズンにおいて、2002年に次ぐ圧勝に終わったフェラーリは、F2005については前年型であるF2004を発展開発する方針をとった。また2グランプリ1エンジン規則やエアロダイナミクス規則が大幅に変更されたことを受け、序盤はF2004Mを導入して様子を見ることにした。他にもチーフデザイナーがロリー・バーンからアルド・コスタに交代するなど大きな変化があった。

フロントウイングには、特徴的なサブウイングがメインエレメント前方に取り付けられている[1]。フロントウイングの最低地上高上昇に対応して設置された。フロントウイングの形状は、発表会ではF2004Mと同じ形状でノーズも下端が膨らんだものを搭載していた。第3戦バーレーンGPでの実戦投入時には、ノーズ下端はF2004に似たストレートな形状に変更された[2]

エンジンカウルは、コークボトルがさらにコンパクトになされており、エギゾーストパイプをおさめるためにバルジを設けるほどであった[3]

インダクションポッドに装着されるミッドウイングは2対4枚に増やされた。前方の1組はダウンフォースを発生する形状で後方の1組が気流を下側(リヤウイング方向)に導くように装着されている[4]

F2004から再び装着されるようになったチムニーだが、F2005ではより空力重視な思想が見える。チムニー後端がウイングレット翼端板と交差する形となっている[5]。また、気温がそれほど高くなく、チムニーが不要な際には、ウイングレットとスムーズに交差する形状のフィンが代わりに搭載され、整流フィンとしての役割を担っている[5]

2005年シーズン

シーズンが開幕するとF2004Mではまったく歯が立たず、第3戦バーレーンGPからF2005が投入された。当初は約1ヵ月後の第5戦スペインGPに投入予定だったが、苦戦続きで2戦前倒しになった。バーレーンGPではシューマッハが予選2番手を獲得し決勝でもポールポジションのルノーフェルナンド・アロンソを追いかけまわす展開となったが序盤でマシントラブルによって早々に姿を消しバリチェロもアロンソに周回遅れの9位と散々な結果に終わった。シューマッハはつづく第4戦サンマリノGPではミスにより予選13位に沈むが、決勝では怒涛の追い上げを見せ、優勝とはならなかったものの首位アロンソと10周近いバトルをみせ2位に入り一時は復調を感じさせた。しかし、ギアボックスの設計ミス(投入初戦のバーレーンGPでは、強度不足によるケーシングの座屈が起きていた[6])に起因するマシンバランスの変化とブリヂストンタイヤとのミスマッチング[7]ディフューザーの設計失敗、2005年の新レギュレーションにマシンがうまく馴染めなかったなどにより、その後は1度のポールポジションこそあったものの何度か表彰台に上がる程度で、優勝はミシュランタイヤ勢がタイヤ問題で撤退した第9戦アメリカGPのみ、自力での優勝は実質的に0回という不本意な結果に終わりアロンソにワールドチャンピオンを奪われた。ドライバーズランキングはシューマッハ3位、バリチェロ8位となった。

上記の理由の他、翌年からの新V8エンジンの開発にリソースを取られていたことも2005年シーズンの不振の原因といわれる。

スペック

ファイル:Lap4 Canada2005 Schumacher.jpg
2005年のカナダGPジル・ヴィルヌーヴ・サーキットを走行するF2005(ドライバーはシューマッハ)

シャーシ

エンジン

記録

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
EUR
欧州連合の旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
BRA
ブラジルの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
2005 1 ドイツの旗 シューマッハ Ret 2 Ret 7 5 2 1 3 6 5 2 Ret 10 Ret 4 7 Ret 100* 3位
2 ブラジルの旗 バリチェロ 9 Ret 9 8 3 3 2 9 7 10 10 10 12 5 6 11 12

脚注

  1. 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、pp.8 - 9。
  2. 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、p.8。
  3. 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、p.11。
  4. 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、pp.13,113。
  5. 5.0 5.1 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、pp.11,113 - 114。
  6. 『F1モデリング Vol.25』 山海堂、2005年、p.114。
  7. 当年のBSユーザーは他にジョーダンミナルディだけで、開発は事実上フェラーリだけに委ねられていた。しかし当のフェラーリのマシンが上記の問題を抱えており、問題の洗い出しをしようにも原因がタイヤ側か車両側か分からず、手の施しようがなかったとシーズン終了後に浜島裕英は語っている。


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